悩み
2015年04月30日
【連載】の途中ですが、ちょっと感じた事を。。。
スピリチュアルの世界でよく言われている事
「思考が現実化する」
考えた事が現実の世界になっていくと読み取れるし、そう説明されている。
分かりにくい説明である事は間違いない。
しかし、そういかない現実があるから皆悩んでいる。
iPhoneで有名なアップル社のスティーブジョブスがガンであった事は有名で、その治療の為に西洋医学を取り入れなかった事も有名な話である。
そして瞑想や精神世界、自分の意思で治そうとしていたという特集番組まであった。
しかし結果は皆さんご存知の通りである。
だからと言ってこれが全てだという訳でも無い。
有名では無い話でも、末期だった人のガン細胞がきれいさっぱり消えうせたという話もあちらこちらである。
※私自身がその全てを目撃したり検証出来たわけでは無いので、断言はできないが。
思考を現実化させたいと思う人は世界中にいると思う。
またその為に現実的な手法で活動している人がほとんどであろう。
では、なぜ思考を現実化させたいのか?
思い通りにならないからであろう。
思い通りにならないから、何とか自分の思った通りにしたいから様々な事を考えている。
人が思った事、それがそのまま現実になる世界に生きていれば、スピリチュアルの世界で言われている重要なテーマ「思考は現実化する」という話題など上がってこないであろう。
そんな事は当たり前。
ブログや書籍、講演会、セミナー等全てにおいて考えている事を伝えようとしたら、そこには必ず皆が知っている「言語」を使わなくてはならない。
大昔は地球は「球」では無く平らな世界だと世界中の共通認識であった。
だから「球体」であると唱えた人は変人扱いされた。
今現代の人たちは地球は「球体」であると言うのは当然であるという認識を持っている。
当時の人に「球体」という事を説明し、「引力」という概念を理解してもらうというのは至難の業であったろうと想像できる。
現代のスピリチュアルの世界も同様に、言語で説明される為、その概念を理解するのに非常に混乱が生じていると感じている。
そして説明する人が一人、それを聞く人が100名いたら、100名分の違った概念が有る為に意見が割れてしまうであろう。
では、スピリチュアルの世界で「思考は現実化する」と説明している人たちは、その事を概念として完全に理解しているのだろうか?
「思考」という頭の中で「思っている事」をはその本人以外分からない。
それを「現実化する」という事は、どういう事だろうか?
「現実」って?
深堀していくと、「現実」はその人だけの世界で、他の人には他の人の分だけ別の現実があるという説明も出てくる。
こうなると一般的な概念として支離滅裂という感想になる。
「現実」という言葉が持つ意味を皆が同じ意味として理解できていないとまるで違う意味の言葉になってしまうだろう。
「はし」の「はし」持って「はし」の「はし」っこ「はし」ってこい。
外人が日本語を難しいと感じてしまうのはこうした同音異義語がとても多いという事だと言われている。
では「現実」という言葉を皆さんはどのように理解しているのだろうか?
空気も石も動物もスマホも全て「陽子」と「電子」という成分で出来ている。
更に分解すると「クォーク」とか色々あるが、こうした微小な成分の組み合わせで出来上がった物が地球であり人間であり空気でありとなっている。
人間が手に触れる事が出来る物。
人間の目という器官が捉えた光の成分を脳という器官に伝達し、目の前にどんな物があり、光の屈折具合により色を感じている。
極端な言い方をすれば、極小成分がこれら組み合わさって出来ただけで有る為、人間も地球も何もかも全て「幻想」であるという事も言える。
しかしその極小成分の構成物である人間が、手で触れることが出来、目で認識することが出来、耳で聞く事が出来る世界が一般的に「現実」として認識しているのではないだろうか。
こうした一般的な概念で「現実」という認識を持っている人たちに向かって「現実とは幻想」であるとか説明されても困惑してしまうだけであり、考えただけでこの現実が変わるのだとしたら、それは一般的には空想の世界だけであろう。
過去に言われて来た霊の世界の話も、語り尽され新たなインパクトを与え、振り向いてもらうためには「新たなアプローチ」が必要である為、「突飛な説明」が必要になるという事は分かる。
ネットの世界で「スピリチュアル」というキーワードで検索をすれば、数ヶ月読み続けても読み切れないほどの情報や説明、体験談等で溢れている。
「思考は現実化する」「引き寄せの法則」「いい気分で過ごす事が重要」「願望を手放す」「既に夢は叶った状態をイメージし、潜在意識に覚え込ませる」e,t,c・・・
思考が現実化するとこれだけ情報発信をしている人達で、一般的に言われている「現実」が「思い通り」に返る事に成功した人は、実際どの位本当にいるのだろうか?
とある霊能者の説明では「夢」はそれに向かって努力し続けた人だけに魔法的な現象が起こりやすくなるという。
では、引き寄せの法則は?
はたまた、苦労は苦労を呼ぶだけというセミナーもあるようだ。
とても表現が難しいこの精神世界の説明をこれまで疑うことなく取り込んできた。そしてその表現されている世界を感じてみようと想像の世界で自分なりの概念でイメージしたりしを繰り返してきた。
ここへきて最近思う事がひとつある。
「言葉あそび」という事が浮かんできてしまう。
実際に自分自身で体験した事に「あぁ、これが引き寄せだな」と思えるような現象も確かにあった事は事実である。
確かに思った通りになった事もあるのだが、書籍等で表現されているほど「魔法的」に現実化したという印象は無い。
日本という国の中の一般的と言われる家庭に生まれて来た、一般的という言葉が当てはまるだろうと思われる女の子が、ある日突然ハリウッド映画で主役に抜擢されるなんて事は無いだろう。
こう書くと「いや、そんなことはない、可能性はある」という反論ももちろんできる。
では引き寄せの法則を使って。。。
でももしそんな異例という言葉の通りの事が有ったとしても、それを望んだ人全てがその通りになる事は無い。
だからハリウッドなのだ。
それを望んだ人が全てそうなれるとしたら、ハリウッド映画という特殊な世界は当たり前の世界で、誰でもそれを望めば望んだとおりになり、ごく普通な一般的世界である。
今こうしてブログを読んだりしている方々は、生きているのが普通一般的な状態である事が「現実」である。
一昔前はちょっとした事で簡単に命を失う事も珍しくはなかった。
また、何億という精子の中から先頭で卵子に辿り着いたという生存競争も覚えていない為、生まれて来た自分は凄いとも思わず普通だろう。
人間として生まれて来た事自体がハリウッド映画の主役に抜擢されるレベルだと「霊界」にいるときは思ったかもしれない。
「自分」という人生の主役なのであるから。
こうして「言葉あそび」をしていくと、一般的な生活の中ではあまり遭遇しない言葉の組み合わせに人は「面白い」とか感じたりしてしまう。
自分の思い通りにならないから、困った事に遭遇するから、因縁のように何度も似たような困難に遭遇したりするから、その原因を知りたい。
そして精神世界にその答えが有るような「そぶり」なのか「真実」なのかは、分からないがそれらしき言葉が並んでいるので、スピリチュアルの世界へどんどん入って行ってしまうのかもしれない。
「霊界」の話では、魂だけの状態でいるときは「リンゴ」が食べたいとイメージすれば即目の前に「リンゴ」が出てくる世界なので全てが思い通りだと言われている。だから敢て「思い通りにならない」人間界へ来るという話もある。
そこで思い通りにならないから「引き寄せの法則」等で思い通りにしたいとか思ったり。もしかして思い通りにならないが「思考」すれば「思い通りになる」という感覚だけは魂レベルで持っている為不自由な人間になってもそう思ってしまうのかもしれないという考え方も出来る。
こうした話の展開になってくると精神世界の無限ワールドで迷走を始める事になる。
では「思考」だけで「現実化」出来るのか?
出来ないからそうしたいと思う人が大多数なのではないだろうか?
それがあたかも簡単に「考え方」だけで「現実化」出来てしまうような説明で溢れかえっているから矛盾と混乱が生まれるのではないだろうか?
まあ、そこへ乗っかって商魂たくましい方々がいるという現実もあるのだが。
もう少し原点というか、現実に見えている世界だけでの話から戻って考えてみると、発生する現象や困難、災害も含めてもっと別な所に原因となりうる因子があるのでは?という事も考えられる。
魂を磨く事を望んだから人間に生まれて来た。(何の為?という理由は今回はとりあえず横へ置いておいて)
実は未来に起こる事も全て収録済みのDVDのように決まっていて、その現象を楽しんでいるだけとか。
そうした理由など一切無く、単純に生命という不思議な存在が発生し、自然と呼ばれる環境に即して存在しているだけ。
とか、まだまだ書ききれないほど沢山の説があるが、ありとあらゆる方面から精神世界、霊界、スピリチュアル色々な呼び方が有る世界の説明がされている為、統一見解は無い。
またそれらを統一して考えると矛盾が起こりまくり途中で破綻してしまう。
そうした中、更にそれを上回る「全てが正解」という表現もある。
もう何でもありだ。
しかし一般的に人が毎日の生活の中で遭遇出来る、理解できる、読めるという世界はごく一部に限られている。
その一部の中に自分の抱える問題の理由等があれば、「納得」出来てしまう。するともうそれ以上の理由探しは止まる為、矛盾に気が付くことなくそれが原因だと「思い込んでしまう」。
「信じた世界がその人の真実である」というまたまた困惑するような言葉の配列があったりするが、これも人それぞれの解釈が必要であり、自分にとって都合のいい解釈が出来ればそれでOKなわけでもある。
「アセンション!アセンション!」と日々大騒ぎして、大変な事が起きていると言ったブログを書いていた方もおられたが、「現実の世界」として何が起きたのだろうか?
その人の「現実」の世界で起きていた事は私の「現実」と違うからという表現もあったが、それも「現実」という言葉の概念が別の意味として使われている為、話は平行線のままで一般的な「現実」という言葉で表現されている事としては違和感を感じていた。
それはその人の「現実」では無く、その人の「空想の世界」という表現の方が一般的ではないだろうか?
思い通りにならない世界にいるからこそ「思い通りにしたい」という思考があり、それがその人の「空想の世界」で実現していると「信じ込み」「いい気分」になるという身も蓋も無い夢の無い表現も出来てしまう。
実は「思考は現実化出来ない」という方が現実的な表現ではないだろうか。
または「思考の現実化は出来るが難しい」とか。
オリンピックで金メダル、この夢を現実化したいとオリンピックへ出場する人は皆思って頑張っている。会社を立ち上げて大金持ちになりたいと夢を実現する為頑張る人もいるが、全員は無理であり倒産する企業もあるという「現実」。
その現実社会の中で何としても成功したい、夢を現実化したいと思えば何でも出来そうな事はする。「引き寄せの法則?」そんな事が可能ならそれも取り入れる。
霊能者に聞けば方向を示してもらえる?それなら有名な霊能者へ話を聞きに行ってみる。
靴を履くとき左足から履くといい事が起こる。だからマイジンクスで必ず靴は左足からと決めている人。お坊さんの世界では、宗派によっては門をくぐる時必ず左足からという所もあるようだ。
しかし不思議な現象という現実も自分自身経験している為、なんでもかんでも「現実的」という思考にもなり切れない。
その為自分自身でも自分の人生を使い大実験を行っていたりもする。
誰の為にという事は何も無く、自分自身で一体これはどういった事が原因となりこうした現象が起こるのだろうか?という疑問に対する行動である。
こうしてブログに書き続けている事により自分自身の考えを具体的にまとめる事も可能になり、時間の経過と共に過去の考え方の記録にもなる。
こんな事をしながら完全に空想の世界というイメージで【連載】としてフィクションを書いてみたりもしているのだ。
こうして書いていると、書きたかったこととは違う言葉を次から次へ書き込んでいる時もあるので、自分でも面白い。
本日も最後まで読んでいただきありがとう!
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