守護霊

2018年07月06日

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守護霊


人間世界で残虐行為を繰り返し、多くの人の命を奪った死刑囚。

死刑執行され、その魂があるとすれば霊界へ戻りどうなるのだろうか?

人間界が魂の修行の場であるとするならば、、、

死刑囚達は何を学んだのだろうか

それとも、多くの学びのために敢えて悪役として振舞ったとでも言うか?

敢えて悪役を人間界で行ったのであれば、霊界へ戻り何らかのご褒美を貰ったり?

視点を変えると正反対な結末になってしまう

では死刑囚本人達の意思で残虐行為を行なったとするのであれば

霊界スタッフ、守護霊、サポート、色々呼び名はあるが人間界に降りて来た魂をサポートすると言われている存在は一体何をしていたのか?

霊界についてこれまで言われて来ている事にはまるで整合性がない。

矛盾だらけであり、納得などできるレベルではとてもない。

今現在このブログを読んでいる方も、他のことをしている方も、何か考えている。

その考えに応じて行動したり、判断したりしている。

その考えは人間の脳から発生しているのか、それとも魂の思考なのか?

魂がヒントを出して人間の脳が判断しているのか。

仕組みは未だ不明である。

魂の思考で人間が行動を起こしているとするならば、そんな残虐な魂がどうやって生まれて来たのか?

前世などでひどい目にあった経験から恨みでも積み重なった結果の残虐行為、つまり復習的な意味合いになるのか?

カルマとか言われる前世絡みの経験を持ち出すのであれば、残虐行為で殺された被害者は前世でよほど酷いことをして来たと言う話にもなる。前世を知る人からすれば殺されて当然だと。

前世での恨みを果たしたら今度は国家に殺される。

恨みと報復は連鎖し増大していく事になりそうだ。

この世界を神が作ったと言うのであれば、これはどう考えるべき?

想定外?それとも欠陥?

予定通りなのか。

しかし仕組み上前世のことは忘れているので、現在生きている人の記憶だけで判断するならば被害者は気の毒な事であり、遺族も気の毒だ。そして加害者の親兄弟、親戚などで不愉快な思いをした人たちも数多くいるだろう。

死刑囚の魂はどうなったのだろうか?

遺族や被害者からすれば死刑囚の魂は地獄へ落ちろと思うだろう。

霊界スタッフ、守護霊とかと言われている存在に関しても、死刑囚の奴らなど見限って誰もついていないとか見てただけ、だとか悪魔に取り憑かれて霊界スタッフが負けただとか何でもいいので教えていただきたい。

いつも霊界のことを自信満々で仕組みを説明される方々に意見を聞いてみたい。

どうやらこのブログを書いている私に対して何かしら術をかけ、攻撃している輩がいると指摘された。

前世で私がその輩に何かしたのだろうか?w

対処法も教えていただいたので実行している。今の所はっきりした実感は無いが、気のせいかほんの少し効果かもしれないと思える感覚もあったりする。

この感覚がなんなのかもう少し観察を続けてみようと思う。




ちょっと気分を変えて、もう少し気楽にブログを書いてみます。
こちらにも更新していますのでよろしければどうぞ!


こんなスピリチュアル的な小説も書いて見たりしています。
「前世の記憶と約束」


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(14:43)

2018年06月17日

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ねこねこねこ

沢山の、本当に沢山の体験談を読み漁ってみた。

日本だけでなく世界の体験談も、研究者と言われる人の研究結果とかひたすら読んでみた。

人間の思考という同じような肉体で、脳があり心臓があり感情があり好みの違いがある。

しかし肌の色が違っても国や風習、文化が違っても皆似たようなことを言っている。

これらが真実なのか、フェイクなのかはそれを書いた本人しかわからない。

何かを勘違いして真実だと思い込んでいる可能性もある。

しかし、なんとなくなのだが、読んでいるとその展開からなんとなくだがフェイクの香りがしてくる文章もあった。

自分が実際に体験した事と照らし合わせて、同じような体験をしている人も見られた。

世間一般に常識とされている事では説明できないが、自分の体験と同種の香りがするものもあった。

そんな膨大な体験談を読み、膨大な時間その事について考え続けていた。

そんな時間を過ごすうちに、ある共通点が見えて来る。

まだ分からない、判断できない部分ももちろんあるが、ここで少しまとめて見たいと思う。

魂について

本当に言われているような魂という存在はあるのだろうか?

太古の昔の微生物で生まれては死にを無機質に繰り返し続けていた頃からの記憶を持つという人がいる。

その人の体験という表現が適切なのかわからないが、記憶として持っており、霊界に戻った時の記憶もあるという。

その魂が現実世界(今我々が生きていると思っている世界)に生まれて来て、その人生をサポートする霊界のスタッフ(守護霊)も多数いるとのこと。

霊能者が一人二人霊が見えるとか言っている話は本当ではあろうが、それでは不十分だという。

実際一人の人間に対して、多い時は霊界スタッフは100名近くいる人も多いという。

人間一人の背後に100名、そんな人間が普通に多数いるのに、一人二人の霊が見えたとか、、、それがどうしたというレベルなのだとか。

そして、やはりこれも多くの体験談に共通しているのだが、自分の人生は自分でテーマを決めて来るという話。

これはテーマを決めて来る人もいればノープランの人もいるというのがどうやら正解らしい。

見分ける方法がなんとなくあるようだ。

霊とか死後の世界とかそういったオカルト的な事を全く信用しない人。

そんな人はノープランで転生して来ていると言う。

そしてそんなノープランの人はサポートの霊界スタッフも少なく、特徴の一つとして引き寄せの法則も全く使えない。

逆に霊的な事に関心があり、九死に一生を得たとか劇的な出会いがあり「神様ありがとう」みたいな感情を持つ人。

そんな人たちは霊界からのサポートもあり、人生のテーマがあるようだ。

そんな人たちが引き寄せの法則を知ると、実際に引き寄せが成功してしまうようである。

しかし、やはり人生のテーマがある人で、引き寄せたいと言った願望が人生のテーマとぶつかるとテーマが優先されてしまうようだ。

引き寄せが成功したり、なかなか成功しない時があるのはそういう原理なのかもしれない。

ではこのブログの長年のテーマである「なぜ?」という部分について。

なぜ魂は輪廻転生を繰り返しているのか?

現在のところここに関してははっきりと分からない。

太古の昔の微生物の頃からの記憶があると言う人の話からすると、輪廻転生に理由は無いとのこと。

ただ単純にそういった大自然の仕組みがあり、生まれては死ぬ、この繰り返しなのだそうだ。

するとよく言われている「魂を磨く」という考え方についてはどうだろうか?

ここでは魂は大自然の法則で淡々と輪廻転生を繰り返していると言う前提で考えてみる。

地球上の生物は基本的に弱肉強食である。

自分が生き残るために相手を殺して食べる。

野生の動物にしてみれば当然のことである。

そんな大自然の進化?により人間っぽい類人猿から人間に進化し、人間は本能の他に理性も持つようになり感情もある。

野生の動物は本能と感情だけで生きていると思われる。

地球上の生物、植物等すべて「成長」するという仕組みだ。

こうした周囲の環境が成長していく中にいて人間も肉体が同じように成長する。

すると多くの経験をする事により心も成長したと感じられるようになる。

こんな環境の中にいて、魂の存在を信じる人たちは自分の心の成長を感じると「魂も成長する」と思って当然であろう。

そこへ輪廻転生という仕組みを考えた時、なぜ?と疑問を持てば「魂が成長するため何度も転生してくる」と考える方向になんとなく流れていくのが自然であろうと思われる。

魂が成長する、そんな事を考えて現実の人間社会で苦境に襲われると「魂を磨く為」の試練であると捉えるのが苦境に置かれた時、自分の心を納得させるのには一番都合がいいのであろうと考えるのが楽である。

しかし、何のために魂を磨いて何のために転生を繰り返すのか?と疑問を持っている時は、そんな疑問を忘れるまで転生しない魂もいるのだとか。

霊界には時間という概念が無い。

この話を聞いた時、私は何か自分の中で夢や希望といった感覚がガラガラと崩れていくのを感じていた。

何の目的もなくただ淡々と生まれては死ぬ。

では人間界で苦しくなったり大変な状況になった時は?と考えると、律儀に法律を守り、礼儀を重んじ、人の為にと動いたりしている理由も何もなくなる。

暴動、略奪、殺人、詐欺、何でもありではないか。。。

しかし、大自然の法則はよく出来ていて「強い光のある所には深い闇が必ずある」という。

個々の魂には記憶という仕組みがあり、人間が思う記憶の仕組みとはちょっと概念が違うようではあるが、感情とかを覚えているようだ。

単純な比喩で書いてみる。

つまり他の魂に攻撃をするとその事により自分の魂が変形する。

変形した魂は元に戻ろうとする。

攻撃をされた魂も変形しており、互いに今度は逆のことをして互いに元に戻ろうとする。

魂レベルでの変形の戻し方なので、輪廻転生のタイミングなど関係無く、何度か人間に生まれ変わって来た時に霊界スタッフのサポートも借りて結果、仕返しが起こるというのだ。

これはよく言われているカルマという名称だ。

ビリヤードのように玉突きになることもあるので、直接とまではいかず転生を挟んでの場合もあるとか。。。

気の遠くなる話であり、もう訳がわからない。

そして、自分の魂の変形させられた部分を別な修復の方法もあるという。

宝くじに当たったり、幸運が続く人生になったりと魂それぞれなのだという。

これはあくまで微生物の頃からの転生の記憶のある人が霊界と人間界を何度も往復した記憶からの話だ。

運のいい人、悪い人、引き寄せのできる人、出来ない人。

これまで散々考え、調べ続けても合理的な説明ができなかったが、何と無く辻褄が合って来た感じだ。

実際はここに書いた内容を理解するために遥かに膨大な話があるが、ここでは書ききれないからまとめてみたのだ。

そして人間の世界で人間社会が進化し続ける事により、個々の魂へ蓄積された記憶も膨大で複雑になり人間社会も複雑になる。

魂を磨く為というテーマで考えると、不都合と言うか矛盾に感じられることが結構有ったりする。

私も前に考えていた事だが、生まれてすぐに死んでしまう子供、途上国等で食料や衛生環境の事情が悪く生まれても苦しい生活の中数年で死んでしまう子供とか、いくらでも書き出すことがあるのだが、後付けで理屈を当てはめるとそれらしい理由になってしまったりもする。

そうした後付けの理由の集大成とでも言えばいいのか、宗教という考え方がこれらに答えを提供している。

過去に宗教団体に猛烈に誘われて何度も徹夜しながら話を聞き、または聞かされ、何ヶ月も何年も家に訪問され続け、その団体のとても偉い人という方も私の家に訪問して来た。

それも一つの団体だけで無く複数の団体の為、それぞれ内容が違ったりしたのだが、どうも納得できなかった。

納得できない部分を順番に質問すると、それらしい答えがしっかり用意されているw

そんな事を繰り返すうちにその用意されている答えに矛盾が起こり始めるのだ。

その矛盾を質問すると、更に答えが用意されており、その答えも別の答えと矛盾するw

こんな事を繰り返し続けて、私の勧誘を諦めてもう来なくなった団体も複数いた。

とても大きな団体は最後まで頑張ったが、最後には「世界中にこれだけ信者がいるのになぜあなたは信じられないのか?」と数の暴力で押して来たw

あぁ、ネタ切れなのか、、、とw

それ以降もう勧誘されることはなくなった。

二十代前半はこんな事の繰り返しで有った。

結局、後付けの理由では説明できないという事は感覚として持っている。

そこから30年以上考え続け、調べ続け、今このブログにまとめている。

この世界に転生してくる方法に関してもいくつかの説がある。

テーマがある人は、そのテーマに沿った親を選んだり、経験が少ない魂は経験豊富なサポートに指示されてみたり。

人間界で何かのアクシデントで死んでしまった魂は、生き急いで転生することが多く、そんな霊界での準備期間が無いためにノープランで飛び込んでくる。

その為、テーマも無く霊界からのサポートも無いという。

こうして考えていると、霊界のサポート???となってくる。

何のためにサポートするのか?

霊界のサポート役の魂と転生してくる魂は役割が違うらしく、サポート組は転生組に入れないらしい。

人間的な感覚で考えるので、どうしても考えてしまうのが、転生する魂をサポートする理由は?となる。

どんなメリットがあるのだろうか?と。

個々の魂にそれぞれ意思があると思われるのだが、そうした意思は何を思い、何を感じて転生組の魂のサポートをするのか?

転生してくる魂は大自然の法則で淡々と生まれては死にを繰り返すという事で一応よしとして、それをサポートするのは???

一つの考え方で、自分自身が寝ている時夢を見る、その夢の中で起きた事、朝になり起きてから思い返すと不自然だったり夢から覚めた後ではどうして夢の中では変だと思えなかったのか?と考えたことがある人もいるのではないだろうか。

私自身も夢の中では不自然だとは思わないが、という経験は何度もある。

霊界スタッフとして俗に守護霊として動いている魂はもしかしてあの夢の中にいる時と同じような感覚で何か使命感を感じたりして、でも不自然だとは思わない状況でいるのかもしれない。

そう考えると、そうかもw と思えたりもするが、実際のところまだ不明だ。

これも霊界の話としてよく言われているのが、魂は霊界にいても成長できず、人間に転生する事により成長できるという話。

確かに人間が寝ている時、夢の中での自分の、あのあやふやな意識の状態よりは肉体である人間に入り、物理的な現象の中で過ごす方がより具体的な経験を積むことができそうという考えもなんとなく腑に落ちたりもする。

物理的な人間界が進歩し、それに伴い霊界の魂も進化し、もう転生しなくなった魂は数えきれないほどの人間人生を体験している。

しかし人間界はまだ進化し続けているという見方をすれば霊界でもう転生して来なくなった魂の感覚は人間界ではかなり昔の人。

そんな過去の文化の価値観で若い魂に指導したりしていると考えると、そのギャップは大きいだろう。

しかし、微生物から現代までの数えきれない転生の記憶を持つという人の経験からすると、霊界は人間界より江戸時代では数百年、現代ではその差がだいぶ縮んで数十年進んでいるという。

その人の霊界での記憶の中での話、現在の人間社会の中に昭和の時代に幽霊はいるのかいないのか?という論争をテレビ番組でやっており、そんなのは無い!と霊界否定の急先鋒として有名で有った大槻教授、霊界にいるときも「霊界など無い!」と言っていたそうだ。自分が霊界にいるにも関わらずwww

つまり、霊界にいてもあまりにリアルな世界が展開されているので自分が幽霊になっている事に気がつかない人も多いという。

人間が死んでからはやはり、お迎えが来るようで、霊界へ帰ると少し時代が進んだ未来へ赤ちゃんとして誕生するという。

霊界へ帰らず、人間界を徘徊している事も可能で、年の差カップルが次に転生して来るときのために時間調整として待っている事もあるのだとか。

霊界では出産という現象は無く、いきなり赤ちゃんになるというのだが、この辺りの詳細な事はまだ分からない。

霊界では食事も取るのだが、味わいはあるが飲み込むと空気を飲み込んだような感触だという。

そして食事を取らずにいると魂が弱って死んでしまうとも。

また欠陥がひどい魂は宇宙に放出され晒されると消滅(初期化)されて、魂の原材料になるとも。

もうこの辺りの話は、自分で見て来た話では無く、そんな体験を忘れず記憶し続けて転生して来たという人の話なので信じるか信じないか、あなた次第ですwとなる。

ノープランで転生して来た人は、まず信じないだろう。

霊的な事に興味があり、何かしら人間として経験している人は、その経験の度合いによって信じるレベルが違うだろう。

30年以上研究して来た私としては、「へぇ〜」っと言った感じで、特に信じる信じないという観点では無く、有力な仮説の一つと捉えている。

そしてもう一つ問題になるのが、どうして今、人間界にこうして霊界の情報を流すのか?

どうやら人類の寿命としてはまだ1000年以上あるのだという事だが、そもそも魂の出発点という問題がある。

地球という惑星だけに特有の霊界があり、地球の生物の進化とともに成長して来た霊界という考え方と、地球以外にも生物が生息できる世界があり、地球より先に進化した惑星から魂がやって来たという説もある。

また過去生の膨大な記憶のある人の記憶では、銀河という惑星の元となる玉のような物が沢山あり、次々と新たな銀河が誕生しているという。

それぞれ誕生のスタートが違うが、全て似たような惑星が複数ある為に似たような文明が同時に存在するのだという。

霊界から転生して来るとき、どの惑星を選択するかによって時代の進み具合が違い、今我々がいる地球より遅れて誕生した銀河の中にある地球では江戸時代であったりとするので、感覚的に過去へ転生するような感覚も味わえると言うのだ。

こうした考え方や、別の考え方も含め色々言われているので、信じる信じないの話になって来てしまう。

もちろんもっと詳しく聞いて見ないと分からないが、現段階ではツッコミどころ満載とも言えるw

そして、魂が生まれて来る現場をお手伝いしていたと言う記憶を持つ人の話もある。

そして、とある魂がうまく成長できずこのままでは消滅になる、そんな魂を助けたいという事から、魂が生まれて来る現場の仕事をやめて人間に転生したと言う話だ。

転生するにあたり、そのスタッフはこれまで貯めた功徳ポイントは全て剥奪と言われ、他のスタッフの反対を押し切り転生したと。

フィクションとしてはちょっと考えにくい内容であったので、一応参考として私の記憶に留めてある話だ。

人間として生きていると言う状態でどこまで考えても調べても推測の域を出ない話なので、信じる信じないという視点では無くこれを読んでいる方々のそれぞれの感覚で心に響く、印象に残ると言う事であればそれでいいし、こんなの読んで損したと感じた方にはごめんなさいと言っておく。

どちらにしても人間としての命が終われば、事実として自分自身で体験できる事なので、その時までのお楽しみという感じだ。

それではどうしてこういうブログを書くのか?という事なのだが、人は人生で経験を積む事により失敗をしなくなっていく。

自分自身もそうなのだが、霊界のことも胡散臭いと敬遠するだけで無く、知識として持っているだけで高額な壺を買わされたり、騙されたりする事も防げる可能性もある。

そして不可解な現象に出くわしてしまっても、必要以上に怖がる必要もないし、もしかしたら霊界から何かしら素敵なメッセージをメッセージだと認識して受け取る事も可能かもしれない。

まだまだ謎だらけではあるが、まだ探求は続きそうである。

 





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2017年12月31日

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2015/03/12 12:53 【153】人は誰かを叩くのが好き

2015/03/05 15:06 【152】社会は変化してるのか崩壊してるのか

2015/02/21 13:54 【151】私は水

2015/02/19 12:19 【150】理不尽から何を学べというのだろうか?

2015/02/14 13:50 【149】学びの場として本当に進化しているか?

2015/02/06 01:39 【148】なぜ働かなくてはならないのか?

2015/02/03 01:06 【147】テロリストと神は無関係

2015/01/31 12:06 【146】老いと病気と医療と神

2015/01/30 09:53 【145】30年後は魂の経験もプログラムの中で

2015/01/29 11:30 【144】霊界の影響力は弱い

2015/01/28 12:20 【143】リズムに乗って人生を歩んで行く

2015/01/25 22:36 【142】カルマをそんなに恐れる事は無い

2015/01/21 10:44 【141】霊界って実はブラック?

2015/01/20 00:34 【140】豊さとは貧乏という比較対象があるから

2015/01/15 13:17 【139】宗教や神等を便利に使われていないか?

2015/01/11 16:50 【138】浮気とカルマ

2014/12/28 11:38 【137】魂が成長とはどういう事か?

2014/12/20 10:43 【136】同性婚と輪廻転生を考えてみる

2014/12/13 09:55 【135】警告や預言は何の意味を持つのか?

2014/12/05 11:35 【134】未来予知とは?

2014/12/03 11:40 【133】霊界から人間界への影響はどの程度?

2014/12/02 02:19 【132】何故今、霊界のネタばらしが増えているのか?

2014/11/29 16:24 【131】映画の見方が変わってくる。単なる娯楽の域ではないだろう。

2014/11/28 14:11 【130】脳神経外科医が見た死後の世界

2014/11/21 16:04 【129】数十億年前からの微生物の活動は神の意思?

2014/11/15 13:54 【128】人生の意味と前世の記憶

2014/11/10 11:14 【127】人生の意味を霊界の仕組みから考える

2014/10/29 11:34 【126】時代劇を見なくなった若者と輪廻転生

2014/10/23 15:35 【125】引き寄せの法則と擬態

2014/10/14 17:34 【124】スピリチュアルと反スピリチュアルの対立

2014/10/06 18:02 【123】出雲大社の奇跡?

2014/09/28 13:23 【122】人生は自分でコントロールしているようで実は。。。

2014/09/20 20:34 【121】エンジェルナンバー?

2014/09/06 23:21 【120】定規をなが〜くして人類を考えてみる

2014/08/15 14:43 【119】幽霊等は本当に「いる」というのか?

2014/08/12 12:30 【118】実は人間の考えている様な「神」などいないのではないか?

2014/08/05 23:47 【117】魂と会話のできる方

2014/07/31 14:30 【116】3歳の天才ドラマー、輪廻転生を思わせる

2014/07/22 00:16 【115】飛び込んできたイメージ

2014/07/14 16:00 【114】新たに大きな疑問に行き当たる

2014/06/27 22:09 【113】神の意志

2014/06/12 19:17 【112】あとで、あーそういう事かと思える事

2014/05/28 22:16 【111】全てが操られている感

2014/05/23 15:22 【110】まずは人間社会を楽しもう

2014/05/19 12:04 【109】引き寄せなのか、不思議な現象

2014/05/16 23:29 【108】何人は悩むのか?

2014/05/12 00:03 【107】全てが循環している

2014/05/04 23:57 【106】「悟る」事は本当に必要なのか?

2014/04/23 17:49 【105】人生に意味はあるのか?

2014/04/21 11:13 【104】罪と罰とは

2014/04/13 23:28 【103】人生の不思議な導き

2014/04/02 12:37 【102】引き寄せる人、引き寄せられる人

2014/03/06 19:54 【101】人生の役割って本当はある?

2014/02/25 22:03 【100】詐欺が横行するようになってしまった日本社会

2014/02/06 11:44 【99】人間に生まれてくる理由2

2014/01/20 16:38 【98】人間に生まれてくる理由

2014/01/13 16:19 【97】スピリチュアルを探求すると世界がつまらなくなる?

2014/01/05 16:07 【96】もしかしたら見落としていたのかもしれない

2014/01/05 03:06 【95】新年あけましておめでとうございます

2013/12/30 17:03 【94】スピリチュアルの時代に変革していく予兆が

2013/12/22 03:52 【93】自分は一体何をしたいのか?

2013/12/12 22:37 【92】人生一回きり

2013/11/19 16:09 【91】日本の社会も詐欺だらけ

2013/10/30 01:31 【90】永遠の幸せ、愛はありえない

2013/10/12 00:34 【89】運命の出会いと引き寄せ

2013/09/24 23:48 【88】何故「未来」を見通せる?

2013/09/23 00:35 【87】スピリチュアルでは無い、人間の性質について_2

2013/09/21 03:32 【86】スピリチュアルでは無い、人間の性質について

2013/09/12 10:43 【85】【この世の法則あの世の法則2】

2013/09/08 23:36 【84】【この世の法則あの世の法則】

2013/08/23 00:46 【83】強引な社会情勢の変化の目的は?

2013/08/11 11:38 【82】霊界の仕組みをばらす展開になってきた?

2013/07/28 02:15 【81】霊と人間世界はどうして出来たのか?_2

2013/06/05 13:40 【80】霊と人間世界はどうして出来たのか?

2013/05/16 11:27 【79】因果応報は違うと思う

2013/03/05 14:42 【78】魂という存在があるとしたら

2013/03/03 00:00 【77】少しでも悟りを感じたらどうなる?

2013/02/20 05:22 【76】気の流れと引き寄せ、年齢増加による思考の変化

2013/02/16 17:14 【75】「悟り」と「霊界の目的」「輪廻転生」〜仮説

2013/02/15 01:30 【74】チャネリングメッセージ、日本神界から?

2013/02/12 14:31 【73】「こだわり」 と 「悟り」

2013/02/11 15:19 【72】チャネリングメッセージ、「みょうじい」さんから

2013/02/09 15:49 【71】陰と陽のバランスについて

2013/02/08 16:18 【70】日本を挑発する近隣諸国も霊界の仕業?

2013/02/08 02:40 【69】窓から何者かが侵入してくるイメージ

2013/02/06 23:31 【68】「神」の存在について

2013/02/06 03:34 【67】疑問の原点に戻る。「自我」とは?

2013/02/05 01:35 【66】飛び込んでくるイメージ

2013/02/04 10:00 【65】ふと思った事。書かされている?

2013/02/02 22:48 【64】人と霊界の距離感、影響力について

2013/02/02 02:16 【63】天才少年は生まれ変わりなのか?

2013/02/01 02:42 【62】チャネリングからの重要なメッセージ

2013/01/31 00:15 【61】スピリチュアルに「真正面」から挑んでみる。

2013/01/30 01:29 【60】【公開質問】チャネリングで質問をお願いしてみる_1 > 回答頂きました(続編1)

2013/01/28 22:23 【59】【公開質問】チャネリングで質問をお願いしてみる_1 > 回答頂きました

2013/01/27 17:44 【58】【公開質問】チャネリングで質問をお願いしてみる_1

2013/01/27 12:13 【57】万年さんへチャネリングのお願い

2013/01/26 17:10 【56】人は全体意識に管理されているのか?3(混在の場合+引き寄せの法則)

2013/01/25 12:37 【55】人は全体意識に管理されているのか?2

2013/01/23 16:16 【54】人は全体意識に管理されているのか?

2013/01/22 01:59 【53】全体意識と人類の関わり

2013/01/20 15:54 【52】全体の意識と個の意識の捉え方

2013/01/17 22:50 【51】チャネリングについて考えてみる

2013/01/16 13:48 【50】宗教とスピリチュアルって何が違う?

2013/01/15 15:15 【49】チベット仏教とその苦難

2013/01/15 02:02 【48】アセンションの効果は?

2013/01/14 04:36 【47】生命ってどういう事?2

2013/01/13 00:48 【46】偽物の霊能者をどうしたら見抜ける?

2013/01/12 17:10 【45】チャネリングでの回答内容の興味深い所を探る!_2(更新)

2013/01/11 02:29 【44】チャネリングでの回答内容の興味深い所を探る!

2013/01/09 23:20 【43】実は「ヒトラー」も預言者だった

2013/01/08 02:30 【42】スピリチュアルで言う「解釈」について考える

2013/01/07 01:36 【41】生命ってどういう事?1

2013/01/06 02:08 【40】この世とあの世の仕組みについての仮説

2013/01/05 00:40 【39】霊はなぜ怖い?

2013/01/03 04:18 【38】トーンダウンするアセンション

2013/01/01 00:00 【37】新年明けましておめでとうございます

2012/12/31 02:30 【36】仮死状態とアカシックレコード。。。そして仮説を思いつく

2012/12/30 03:07 【35】人との出会いの意味とは?

2012/12/29 02:39 【34】スピリチュアルを物凄く信頼すればするほど矛盾に悩まされる

2012/12/28 04:40 【33】脳の不思議

2012/12/26 20:09 【32】アセンションがこの年末に起こるって?

2012/12/26 01:56 【31】天皇陛下と祈り

2012/12/23 23:04 【30】出会うと縁が続く事の不思議

2012/12/23 03:14 【29】オリオンとシリウスと地球、意識生命体がいるのはここだけ?

2012/12/22 02:59 【28】神の啓示と多重人格

2012/12/21 15:51 【27】マヤ歴の区切りとアセンション

2012/12/21 01:35 【26】スピリチュアルの言う事がバラバラなのは?

2012/12/20 11:17 【25】輪廻転生とパラレルワールド

2012/12/19 02:12 【24】神様の力はどこまで及ぶのか?

2012/12/18 01:52 【23】人の人生が見えてしまう霊能者

2012/12/16 23:49 【22】運気と引き寄せの法則は関連性があるのか?

2012/12/16 02:25 【21】輪廻転生と守護霊

2012/12/15 01:40 【20】魂は磨かれるべき?

2012/12/14 01:21 【19】霊が見えるってどういう状態?

2012/12/13 00:05 【18】硫黄島の不思議

2012/12/12 02:00 【17】記事を消された。。。

2012/12/11 00:13 【16】あの世の仕組みをばらすのはなぜ?

2012/12/10 03:15 【15】未来は決まっているのか?

2012/11/26 23:17 【14】引き寄せの法則を自分なりに検証する_3

2012/12/08 04:32 【13】なぜ悟る事が必要?_2

2012/12/07 02:12 【12】なぜ悟る事が必要?

2012/12/06 00:45 【11】覚醒と睡眠の中間の感覚

2012/12/05 03:08 【10】四十九日の間魂はどうなる?

2012/12/04 00:33 【9】生れる前の計画について2

2012/12/03 00:19 【8】人は皆前人未到の地、開拓冒険が大好き?

2012/12/02 04:22 【7】引き寄せの法則を自分なりに検証する_2

2012/12/01 23:38 【6】輪廻転生と前世の記憶って?

2012/11/29 19:36 【5】霊体験?それとも・・・?

2012/11/29 00:33 【4】アセンションってなに?

2012/11/27 02:05 【3】生れる前の計画とは?

2012/11/26 23:17 【2】引き寄せの法則を自分なりに検証する

2012/11/25 16:16 【1】スピリチュアルで有料で鑑定を行う人



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2015年07月25日

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これまで霊界の事や不思議な現象などこのブログでも探索してきた。

ネットが普及してからの情報量は凄まじい、全てを見るのは不可能に近いだろう。

更に創作もあれば勘違いも多数ある。


そして、今思う事。

「実は守護霊も神も無力」

確かに霊魂のようなイメージの存在はあると思われる。
それがこれまで言われてきた形態かどうかはわからない。

神と言われてきた存在も同様だ。

人間として感じる輪廻転生のような現象も、魂の存在という概念から実際に起こっていると思われる。
プレアデス星人とか異星人の話も多数あるが、似たようなものであろう。

今日本人として暮らしている我々では当然の事として見過ごしている事。
文明という構成から便利な社会で、快適に生活している。
そんな時、快適でない出来事が起こる。
事件が起きたりする。

すると人は理由を考える。

あの時、一言声をかけておけば。。。

あの時、あと5分早く出かけていれば。。。

あの時、あんな決断をしなければ。。。

あの時、あんな事言わなければ。。。

いくらでもあるだろう。

そして時間が経過、「もしかしてあの時、ぎりぎり危険を回避できたのは守護霊のおかげ?」

そう考えて守護霊という存在に感謝し、落ち着きを取り戻すのであればそれはそれでいいだろう。

逆のことが起こり、いつまでも後悔を引きずる状況では?

「あの苦難は何のために起こってしまったのだろう・・・」

「これは神様に試されているのだろうか?」

「前世のカルマの解消の為であろうか?」

どこかに原因を見つけ、自分を納得させたいのだ。

自分には見えない世界があり、そこに何かしらの「意思」があり、それに動かされているからと考えれば諦めがつくかもしれない。

テレビなどで脚光を浴びている人、若いころはとんでもない苦労をしてきた話。

そんなギャップがあると人は好感を持つ。

それは脚光を浴びることなく埋もれていった人達が99%いるからこそ成り立つ。

今、この猛暑の中高校球児たちが甲子園への切符を目指して激戦を繰り広げている。

このブログで過去にも何度も掘り下げてきたが、「あの1球!」生涯忘れられない1球の思い出を持つ選手も少なくない。

それどころか、野球部だけでなく学校を中退した生徒もいたであろう。

まあ、この辺りまでは一般的にイメージしやすい内容だ。

先日ニュースで話題となっている事。

高齢者が生活保護を受けながら、役所へ医療の相談に行くと、あるクリニックを紹介される。

そしてクリニックへ行くと、生活保護のカードを取り上げられ、どこかの古い貸事務所を板で区切った狭い部屋に押し込められ、お金もなく外出もできない状況に追い込まれる。

ボランティア団体や弁護士の働きで救出されたが、そのクリニックや貸事務所のオーナーは年間27億円というお金を役所から吸い取っていた。

ここで救出された人はまだいいが、いまだ救出されず劣悪な環境に隔離された老人も数多い。

この老人は何を体験したくてこの世に転生してきた?

この老人の守護霊は何をしている?

未来に夢を膨らませている若い女性。

お酒に麻薬を混入され、知らずに中毒になる。

その後AVに出演させられ、風俗店で仕事をさせられる。麻薬中毒になりガリガリにやせ細り、人知れず山中に埋められる。

この未来に夢を膨らませていた女性の守護霊は何をしていた?

こうした悲惨な出来事を見るたびに守護霊は何を?と思ってしまう。

しかし「幸せな気分」を味わうためには、その事が幸せであると思える事が必要だ。

その為に悲惨な状況や危険な事が周辺に無くては幸せとは思えない。

ケニアの子供たちにとって、自宅で水道水をゴクゴク飲める日本の状況は幸せと感じるだろう。

果たして日本人でどれだけ幸せを実感しながら水を飲む人がいるだろうか?

では悲惨な状況や危険な状況が全て身の回りから無くなったら?

家にカギ等不要となり、仕事に追われて満員電車という状況も無く、何でも快適、お店で売っているものは全て最高級、まがい品等ない。

危機意識が完全に無くなると人は心が緩む。

心が緩むとどうなるのか?

昼寝ねこ


生物としての危機がなくなると、それ以上に進化しなくなる。

これまでの人類は、遺伝子レベルで危機を取り込みそれに対応すべく変化し生き残ってきた。

今現在で判明している事、人が言葉を会得できたのは数億年に1回だけ起きた遺伝子情報の書き換えという。

古代のインフルエンザのようなウイルスに人類の祖先は絶滅寸前までやられた。

しかしそのウイルスの遺伝情報の一部を取り込むことにより、卵を産んでいたそれまでの人類の祖先は、お母さんがおなかの中で赤ちゃんを育てる事が可能になるという進化というのか変化した。

人類と似たような姿の存在もあったが、言葉を話すことは出来ず、天変地異で絶滅したと言われている。

こうした気の遠くなるような長い時間をかけてという壮大な物語を見て「神の仕業」という人もいるだろう。

そう言えば話は簡単である。

宇宙の話や物質の極小単位の世界の話も全て含めて、人間の理解を超えた部分はいくらでもある。

では、これだけ壮大な世界を気の遠くなるような時間を使い作り出した神、何がしたいのか?

この辺りはスピリチュアルや宗教の世界もあまり変わらない。

魂の成長やカルマの解消だとか、物質界で様々な経験をしたい?

他には?

その経験をしたいという欲望を持ちながら、人間に自分の一部を魂として送り込み、色々経験をアトラクションとして楽しんでいる?

では色々な経験をしたいのだから、劇的な事や愛溢れる事等色々な事が起こってくれた方が楽しめるであろう。

その出来事で喜ぶ人、悲しむ人、騙されて怒る人、殺される人、阻害される人、いじめられる人、自殺する人、人を殺す人、もっともっと書ききれない。

そんな状況に置かれている我々人間だとすると、事件や事故に巻き込まれそうになった時、それを回避してはせっかくの経験が出来ないではないか?

それでもたまには回避されることがあるからこそ、喜びや安堵感、更には次の出来事の為の展開があったりする。

だから、そんな状況が蠢く世界を経験したいと神が思っているとすれば、人の願い等聞いても仕方ないし関係ない。

当事者である人間としては騙されたりいじめられたり殺されたりしたくないという願いはある。

しかし現実の今の世界を見てみると、やはりその願いは通じていない。

先祖や神、守護霊等という存在はあるかもしれない。

しかしこれまで人々が「神様」「守護霊様」と敬っていた関係はこれもまた作り出された関係性であり、こうした状況も含めアトラクションの世界ではないかと思う。

以前、万年さんというチャネリングで霊界と会話する方のブログにも書かれていた事。

「神という存在が偉大であると思わせておかないと、人間に敬ってもらえないではないか」

また、こんな内容もあった。

「お主も依然、神という役をやったことがあるじゃろ」。。。

結局、守護霊とか神とか言ってはいるものの、これは人間が期待しているような存在ではないと考える方がつじつまが合ってしまう。

困った時の神頼み?

いやいや、そうではなく人間が強烈に思う事、その時脳から出る何かしらの波動のようなもの、これが周囲に影響を与え、リズムに乗れば思ったような展開になる「事がある」というレベルであろう。

これが引き寄せの法則にも共通する概念ではないだろうか。

勝負は時の運?

そうではなく、思いの強さとリズムに乗れた方の勝ちではないだろうか。

だから平気で人は死ぬし、大逆転もある。

思い通り成功しても、リズムに乗り続けるのは難しく誘惑も多い。

結果成功できたものの、足元をすくわれたり判断ミスで没落していく事もある。

これらは生まれる前に自分で計画したことでもなく、人間がその環境で思う事がその時の環境と同期出来て、リズムに乗ったとき奇跡と思えるような事が起こるのではないか。

建造物も自然を排除し、そこへコンクリや鉄、木材等を加工して作り上げる。

しかし手入れをしなければ、風化し、サビて、朽ちていく。

そして自然に覆いつくされていく。

人間でも物質でも何かしらのエネルギーを持って活動すると、ある点を中心とした反勢力が沸き起こる。すると互いに打ち消しあい中点に戻ろうとする。

戦争の雰囲気が大きくなれば反戦運動も盛んになる。

どちらが先かはわからない。何かしらの意思を持ち、その意思でエネルギーを動かせばその反対勢力も増大し動き出す。

必ず動きは中点に帰ろうとする。

これは自然の法則という事だろうか。

なぜ遺伝子DNAはRNAと分離し、細胞分裂を起こして増殖していくのか?

その動きは自然の法則から沸き起こった事なのか?

今現在、判明している科学的な事では説明のつかない事の方が多いだろう。

人が心の中で思った事が聞こえてしまうという人も実際にいる。

今度実際にお会いしてみようと計画中だ。

未来を予知できる人がいると言うが、実際はたまに見える事が実際に起こったこと似ているという事が多い。

未来予知に関してはまだその活かし方を人間が知らないだけかもしれないが、仕組みや現象はまだあやふやな点が多すぎる。

一般的な主婦がやってみたら、スプーンの根元が水あめのように曲がりぐるぐると円を描き3周くらい回っってしまったというのを実際に手に取って見たこともある。

熱であぶり加工してもあんな曲がり方はしないし、金属表面の色も変色していない。

説明がつかない。。。

まだまだ知らないことだらけではあるが、現在の世の中の状況を見る限り、困った時の神頼み?

違うだろう。

自分の意思をどう持ち、その思念のエネルギーを「いつ」「どう向ける」かという事の方が重要であろう。

どれだけ願っても大切な人は死ぬ。

神や守護霊は助けてくれない。

守護霊からのメッセージ?

何のためにそのメッセージを送る?

しかも自分自身では聞こえず、霊能者と言われる人経由でないと聞くことは出来ない。

守護霊はじっと沈黙して見守るという話もあれば、霊能者を介すると話し続けるこの矛盾、どう説明する?

社会という世界を作り出した人類は、ある程度支配されると心地よい。

支配が過ぎると不満が出始める。

その為にある程度の自由が許される。

管理するために最も有用なツールがお金である。

自由に流通させつつ、時々蛇口を締めて「危機を作り出す」そして危機を過ぎると安心して楽しむ。

金銭社会の支配構図を維持するために人々の考え方はとても重要であるため、思想コントロールが行われる。

お金は大切。信用が一番。約束を守るのは当然のこと。期限を過ぎたら厳しい取り立てがある。

こうして資本社会は管理され、多く資本を持つものが支配者という位置関係につく。

紙に数字を印刷しただけのものなのだが。。。

株式、会社の利益を受け取れる権利をお金を出して購入する、会社が倒産すると株券は紙切れ。

ややこしい仕組みがどんどん進み、紙に数字を印刷しただけのものに命を吹き込むかのような人々の扱い。

その結果、人が騙され、人が殺され、戦争を仕組まれ、放射能に汚染され、家や財産を奪われたり破壊されたりする。

そしてそれらの出来事には神の意志でもあるかのような雰囲気を作り出し、それに逆らう考えを持つと非難されたりもする。

まるで太平洋戦争当時の日本で、戦争に異議を唱えたりすると「非国民!」と言われ、同じ日本人から石を投げつけられるという、人々が互いに監視しあい、支配者の意思を維持しようかとするような雰囲気に飲み込まれていく人。

洗脳状態と似たような状況の為、立場によっても思考が違ったりする。

全体の支配という仕組みが無ければ紙に数字を印刷しただけのもの等、なんだそりゃ?と言われ相手にされない。

米が欲しいと思えば、ジャガイモと交換とか家を建てるのを手伝えば食事をもらえるとか原始的とも思えるような世界になるかもしれない。

その昔、幕府とかが支配していることは金本位制なので、金銀がお金として流通していた。

支配体制の中で生まれた人間は支配されるのが当然として成長し、その支配されたルールを勉強させられ、その世界が当然として生きていくことになる。

これも一種の洗脳であろう。

当たり前に水道水を飲める生活が当然でも、ケニアの子供から見れば夢の世界だ。

資源の乏しい日本は今「観光」で稼ごうとしている。

その為に「日本すごいデスネ!」とか「日本は安全だ!犯罪が極端に少ない!」とかメディアやネットでは溢れている。

他の国と比べて「日本はこんなにいい!」という比較で日本人のアイデンティティを確立し、犯罪を減らし、法律を守らせという「だれかの意思」が確実に動いている。

江戸時代からは進歩しており、人々の暮らしは快適になったと思うが、心は貧困になっている。

自然の法則の中で、ある意思により何かを動かせば反勢力が動き出すという基本原理の上で人間社会も変化し続けている。

変化の状況として、今現在の社会構造が最適か?というと不満もあるだろう。

自分の周辺全てが光り輝いていたら、そこには何も見えない。

影があるから物質の陰影を見て何かがあると認識できる。

必ず何かが存在するとその時には影が出来、その陰に隠れているものは不満に思う。

そこには何の意味もなく、そこにいる人の意思が意味を持たせる。

自分が陰から出ようと目の前のものを動かせば周辺にいる人も光を浴び、喜ぶかもしれない。

しかしいままで光が当たっていた人の前に物を置かれたら。。。

ではそうならないために、物を破壊したら?物の上に人がいれば今度はそこに不満が生じる。

理不尽のように思える事も全て自然の法則で中心点を境に互いに反発しあっている。

人間も物質も思考も思念も全ては何らかのエネルギーであると言えるだろう。

物理の世界で計算式を使い、説明できるものだけがエネルギーでは無い。

まだ計算式以前に存在さえ知られていないエネルギーもあるだろう。

人はエネルギーの塊なのだ。

自分の思い、思念で思念波を出し、互いに影響しあいながら生命が維持されていると「思っている」

神のご意思で・・・ではなく、自分自身の意思で思った事を周辺に思念波として放出し同期した相手と友達となり、同期した場所に居住し、同期した会社で時間を過ごしている。

ここまで本当に勝手に私が思った事を書き続けてきた。

しかしこれでもこの世界を捉えた考え方としてはごく一部であろう。

まだまだ説明のつかない事、現象、人、考え方も多数あり、視点を変えるとまるで違う世界として説明できると思う。

自分のこうした思考はどこから発生したものであろうか?

過去の経験や人からの影響、更には前世で体験した事等無数にある。

自然の法則上で安定しているような不安定なような状況を解説しようとする事自体最初から不可能な事なのかもしれないし、常にエネルギー体として変化している為、時間の経過という事を考えに組み込むと、エネルギー体の変化の仕方に法則など無いため、様々な経験話等にも矛盾が発生してしまうのかもしれない。

逆に考えると、実はなんでもあり!という考え方もできる可能性がある。

人の心の声を聴いたり、スプーンをぐにゃぐにゃにしたり、未来に起こりそうなことを感じたり、物理世界で新たな発見があったり、なんでも考え方次第で可能という考えも成り立つかもしれない。

物理世界は思考エネルギーを人間的な現実感覚にするまで時間がかかりそうと思われる為、根気よく取り組むという事が重要かもしれない。

でも人生は短い、、、と思うかもしれない。

お腹がすいたときに食事を食べられなければ、満足感は少ない。

思考した事が現実化するのに時間がかかりすぎては、もういいよ、となるかもしれない。

今頃かよ!・・・

こんな事を頭の片隅に置いて実社会を生きていると、もしかしたら「あっ!」と思う事に遭遇するかもしれない。

人の考え、これはとても重要だろう。

重要と定義づける事も皆さんの勝手だが(笑)

あまりこれまでの洗脳社会の事に振り回されず、自分の意思をもう少ししっかり持っていかれてはいかがであろうか?

と少々提案を入れつつ本日はこれにて終了とします。

長い事お付き合いいただきありがとうございました。


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(17:49)

2015年04月20日

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さて、このブログを読んでくださっている方に質問です。

「あなたはなぜ精神世界に興味があるのですか?」




何か悩みがあるから?


話題だから?


何だかわからない世界だから?


不思議な体験から理由を知りたくなったから?


まだ他にもあるかもしれないが、私は不思議体験からどうしてそういう現象が起こるのか?という事に疑問を持った事から始まっています。

疑問を持つと、その疑問に対するヒントのような物に出会う事が多くなります。

人は興味を持つと、関連する事に目が留まりやすくなるようです。

新しく車を購入すると、自分の購入した車種と同じ車種をよく見かけるようになるのと同じですね。

実はその前にも沢山その車種の車は走っていたのですが、目に留まらなかっただけと言う現象はもうおなじみの現象です。

しかし、疑問を持ったり思い悩んだりしている時、ネットでキーワードを入れて検索してみると、その時にとても最適なヒントが出てくる事が時々あります。

数日後、お気に入りに入れておくのを忘れて前回の検索のときと同じキーワードを入れても前回見たサイトに辿り着けない事が有ります。

では、そのキーワードで出て来たサイトをいくつか見てみても、そこにはピンとくる内容は無かったりする事が多いです。

先ほどの自分のと同じ車種が目につくという現象とは少し違い、探しても見つからないという現象が起こる事、これはどういう理由からなのか?

まあ、webサイトは常に新しいサイトが登場するのでキーワードが同じでも同じサイトが出にくくなるという裏側のシステム的な理由は分かります。

しかし問題は、自分にとって最適なヒントとなるサイトが丁度いいタイミングでその時にどうして現れるのか?


子供に食事を作ってあげようと準備をしている時、子供が「パパ〜今日の夕飯は何?」と聞かれたので「パスタだよ」とだけ答えておきました。

そして作ったパスタは「明太子パスタ」他にもいつもは子供が大好きなミートソースとか種類は沢山あるのですが、今回は明太子。

出来上がって子供を呼ぶ。
出来た明太子パスタを見て子供が一言。
「うわっ!明太子だ!さっきからパスタなら明太子がいいな〜って思っていた」
「凄い!何か伝わった??」

と子供は興奮気味(笑

こうした現象はちょくちょくあります。
子供が気を使って大人が喜びそうな事を言っているという事も考えられますが、まあそれならそれで私は喜んで置けばいいか(笑


懐かしい友人の事を思い出していると、その人から電話が来る。

色々面白いシンクロとでも言うかこうした現象はよく起きる。

パスタの時は私は頭の中で「今日は明太子にしよう」と思っていた事、これが子供に伝わっていた?と考えたりもする。

懐かしい友人は電話してくる前に、私に何か用事が出来、私の事を考えていたはず、その時の何かが私に伝わり友人の顔が頭に浮かぶ?

以心伝心、古くから言われて来たこの言葉のようにこうした現象は人が昔から感じていた事。

何か有りそうだと思ってしまう。
どうしてこうした事が起こるのか?
そんな現象の理由を知りたいと思う事の積み重ねがこのブログ。

不思議な事もあるもんだ。
こんな考えが底辺にあるので、人間関係や様々な事で悩みが発生すると、この問題が今起きているという何か理由があるのでは?

こう考え始めると、そこに解決の糸口が有るかも。

すると登場するのが占い、霊能者、そして出てくる内容が先祖の霊であったり動物霊のいたずら、家に置いてある置物とかそれまで考えた事も無かった事に関連付けられる。

しかしそれは確かめる方法は無い。
言われたように置物を処分してみたりカーテンの色を変えてみたり。。。

その後問題は解決したのか?
別の理由で解決していたとしても、カーテンを変えたタイミング等で解決していれば「やっぱりカーテンの色だったのか」と思ってしまっても仕方がない。

30年前では引き寄せの法則の話は無かった。(知らなかっただけかもしれないが)引き寄せという現象そのものは有ったのだろうが、法則というような表現で認識されていなかっただけだと思う。

今では、人間関係の悩みが発生した時部屋の置物が、とか先祖霊が、とか言われる事はあまり聞かない。

自分自身がその現象を引き寄せているという考え方がとても多い。

更には、生まれる前に自分自身でそうしたストーリーを決めて来たのだとまで言われるため、それでは解決策は明確に分からない。

そんな迷宮の世界が精神世界の現状。

しかしそれらも併せて考えてみると、矛盾が発生しつじつまが合わなくなってくる。

精神世界に興味のある人はどんな人?

今現在の生活が充実し、未来も明るい、楽しくて仕方がない。

こんな人は精神世界を気にするだろうか?

ヨガや瞑想といった世界から更に自分を高めようとしている人は興味を持つかもしれないがやはり多いのは何かしらの悩みを持つ人ではないだろうか?

引き寄せの法則からすれば、悩めば悩むほどまた悩まなければならない状況を引き寄せてくる。

悪循環だ。

そう考えていても突然何かしらの災難が来ることはある。
ではこれも引き寄せたのか?

原因不明である。

よく職場に相性の悪い人がいて、とう現状から何とかしたいと思った人が相性の悪い相手が職場に存在しないイメージを持ち続けると、その人が他の部署へ移動になったり急に退職したりしたという事がブログにあちこちで見られる。

本当にそんな事があるのか?

もしお互いに引き寄せの事を知っていて同じタイミングでお互いが存在しないイメージを持ったなら?

現状変わらず?それともお互いに移動になったり退職したりになる?精神世界での対決になってイメージ力の強い方の勝となる?

何か「力」が有りそうな現象が発生するという雰囲気で引き寄せが使われているという「引き寄せ使い」?「魔法使い」のような感じで捉えられている。

人をどうにかしたい。

ここがテーマになっている。

職場での相性が、、、というレベルではそれほどでもないが、これが発展したとでも言うか、恨みというもっと怖い話に発展している場合もある。

殺人事件にまで発展してしまう恨みとは相当強い感情であろう。

では人間社会でのルール、法律に抵触しないように恨みを晴らそうとした場合に考えられる方法としては「わら人形」、昔から言われている方法であるが、こうしてわら人形等を使って呪いをかけるという方法を取る時には「人を呪わば穴二つ」と言われるように、自分の分も墓穴が必要と言われて来た。

人の命を奪うほどの恨みを晴らす場合は、自分の命も捨てる覚悟が必要。

では職場の嫌いな人をどこかへ移動させるレベルの小さな恨みでは自分はどうなる?

共通している事は、不満を相手にぶつける事で自分がすっきりしようとしている事だ。

引き寄せの法則を利用して嫌なやつをその職場から追い出そう。

嫌な奴と思われている人はその職場がとても気に入っていた場合、そこを追い出されるとなったら精神的ダメージは大きいと思われる。

こうした互いの心のエネルギーの動きはどう流れるのか?

引き寄せの法則を使ってイメージで自分が快適な環境を作ろう、という文章は一見クリーンで綺麗に感じてしまうが、根本的にはわら人形で人を呪うという行為と似たような事ではないだろうか?

もしかしたら引き寄せの法則という表現とその影響範囲などまだ分かっていない事が有りそうだと思える。

今言われている引き寄せの法則という内容は確かに実感として有りそうだ。
しかし万能では無い。

万能では無いと思われる原因は、出来たり出来なかったりとはっきり明確に分からないからであろう。

今現在言われていたりする事が、完成形では無いと思われるのでこの辺りはまだ注意が必要であろう。

 

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!

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(11:25)

2015年04月18日

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よく精神世界で登場する事があるこのアカシックレコード。

人が人生で経験した事を全て記録しいる総合図書館のような存在。

ここに過去世として自分の記録が残されていると言う。

過去に経験した事の記録。

未来に起こる事は記録されていないと解釈している人も多いと思う。

先日4月12日に日本列島大地震が起こると予言して話題になった人がいる。

ゲリーボーネル氏、彼はアカシックレコードにアクセスする事が出来るとの事。

アカシックレコードに未来の地震の予定日が4月12日であると書かれていたそうな。

しかし直前になってその日にちが消えてしまい、4月12日には地震は来ないかもしれないと発言し、日本を離れていった。

このゲリー氏の予言をどうこう言うつもりは無いのだが、アカシックレコードへアクセスして未来の出来事を予言する???

人が過去世で体験した記憶だけのデータセンターでは無く、未来の事もデータとして保存されている?

こうした発言がまた矛盾を引き起こしてしまう。

アカシックレコードに未来の事も記録されていると言うのであれば、未来は何かしら決まっている、予定があるという解釈になる。

大きなイベント(地震とか)だけがおおよそ決まっているのか?

それとも、詳細に決まっているのか?
例えば、人がだれかと出会う人、その出会いがきっかけで人生が大きく飛躍したり、何かしらの事件に巻き込まれたりといった具体的な事までか?

更に、会話する言葉も一字一句全て決まっているのか?
(これは決まっていると断言する霊能者もいる)

どこまで決まっているのかによって、今までアカシックレコードと言われて来た事の解釈が変わってくる。

未来のイベントはおおよそだけ決まっている可能性があるという事であれば、個人が経験した事を記録しておく場所で良いと思う。

所が詳細に一字一句決まっているとなると、経験した事を記録しておくという見方は不自然になる。

むしろその場合は「台本」をしまってある場所という事になる。

そして、今の人間としての人生が「いつ」「どういった形で」終わるのかも決まっている、そして次の人生として生まれて来る日時やその時の両親までも全て決まっていると考えないとスッキリしない。

異星人と遭遇したという人の話をブログで拝見したが、異星人と出会うというストーリーも決まっていたとなると、その影響範囲は全宇宙まで広がる?

まるで違う考え方、視点で見てみる。

多次元世界という事もよく精神世界で出てくる。

自分が体験しているように感じている世界は自分だけの世界であり、周辺の登場人物等全て自分の世界だけの為に存在すると。

そして、その次元は無限に存在し、その次元間を行き来したと思われる体験をしたという話まである。

それは本当の話で真実と言えるのか?という考えが浮かぶが、「本当の事」「真実」とは一体どういった事をさしているのか?

霊が見えるという人の感覚は目の前に「霊がいる」事が事実であり、見えていない人には霊はそこにいないのが事実だと「認識できている事」だけだ。

無限に広がる次元空間の中に自分は存在すると認識し見えている世界での事がその人にとっての真実であると考えると、一人一人という数え方が正しいかどうかは別として、個々の人それぞれの真実の世界が人の分だけ無限にあるという考え方もある。

広大な宇宙空間に「ぽつん」と存在した「意識」が有ったとして、この意識はつまらないと思ったかもしれない。

そこで、自分の分身を沢山作りだし、作り出した分身の数だけ多次元に世界を作り出して人生ゲームを体験し楽しんでいる?

精神世界の説明で使われている事もある。

自分が体験していると思い込んでいるこの世界も実は全てバーチャルの世界であり、ゲームだから思い通りにいかない障害も多いとか、この辺りの考えはこのブログでも過去に書いた内容だ。

この人間界で過去に起きた大災害をゲリー氏はことごとく当てて来たという。
だから今回も騒がれたのだが、過去に的中させてきたという人が話題になり預言をした時に「当たったためしがない」。

本当に事前に予言をして、それが当たるという現実を「これは本当に預言だ」と体験出来た場合(科学的では在りえないとか)未来は決まっているという考え方が真実として捉えられていくだろう。

しかし預言は外れまくっている。

これでは決まっているとは言えない。

私がこのブログを書いて、それを知らない人が読んでコメントを入れてくれたりしたという出来事、読んでくれたりコメントをくれた人も全て私だけの世界のバーチャルな反応というか?

それとも、皆一人一人同じ現実の人間社会にいて、バーチャルという存在では無くそれぞれが個々に人生を体験しているのか?

この辺りは意見が分かれているし、証明も出来ない。

MIB(メンインブラック)という映画があるが、異星人と何度も遭遇した人のブログで、こうした映画には現実に異星人から見せてもらったテクノロジーがパロディっぽく描かれているという。

見てはいけないものを見てしまった人に向かってエージェントが「ピカッ」と光を当て見た人の記憶を消す道具、これを異星人に見せてもらった事があり、MIBの映画の中で使われていたので、物凄く驚いたという話も合った。

こうした他の人、異星人等自分以外の登場人物が全て自分だけの体験の為に存在するバーチャル世界であるとしたら、今こうしてブログを書いたり疑問をもったり、矛盾に頭を悩ませたりしている事は一体何の意味がある?

もし本当に自分だけの世界で、スイッチを切ったら周囲には何も無いとしたらこんなに虚しい事は無いだろう。

しかし精神世界を語る人達は、この辺りを感じ取り、なんとなくなのか確信を持っているのかまでは分からないが、根底では似たようなことを感じている可能性は十分にある。

そうは思いつつもこの世界はあまりにもリアリティが有り過ぎる。

以前も「人は映画が好き」「人の人生を見るのが好き」という事を書いたが、バーチャル世界へ入り込んでの体験世界としてはこれは完成度が究極であろう。

突然の事故等で自分が死んだことに気が付かず、浮遊霊となってさまよう魂。

通常霊は肉体が死ぬと魂だけになり、徐々に以前の記憶を取り戻していくと言われている。

自分が死んだことに気が付かないでいると、過去の記憶を取り戻す事は出来ないのだろうか?

この仕掛けも実はこのバーチャル世界のリアリティを高めるための道具に過ぎないのか?

ゲームが好きな人は、そのゲームを攻略する為に様々な事を試したり、裏ワザを探し出して攻略したりする。

人間社会での人生ゲームを行っているとしたら、私はこのゲームの仕組みに興味を持ち、どういう仕掛けなのかを探っている状態という事なのだろうか?

しかし、この人生ゲームに参加するとき、本当はこのゲームの仕組みを知っていたのにゲーム参加条件として記憶を消しているという事を忘れている(笑)

非常に無意味な行動とも考えられる。

だから、単純にこの人間世界のルールがあればそれに従うもよし、反逆児としてやりたい事にまい進するもよし、何をやってもこのゲームを盛り上げる事に繋がるので、実はルール自体も無いという可能性もある。

しかしスタート時点で忘れている(笑

何をしてもいいのか?何かしらの最低限のルールとかあったりするのか?

実は体験の中から「何かを学ぶ」事を目的としているのか?

ここもこのブログで何度も行きついてぐるぐる回っている状態だ。

こうしたベースに自然の法則が絡み、他の人の意思が絡み、肉体的に維持していかなくてはならないという制限も加わり、それでも何か行動を起こすと「心の声」で「それは違う」とかという声が聞こえてきたり。

何か目的が有りそうに見える、と感じるだけで実は目的など無く、そんな世界で悩むという行為自体を楽しんでいる?

文字として書いていると、どうしても全体的な表現が出来ず、葉の話を順番に行い、枝を説明し、幹の部分から土地の話、そして森という全体像かと思いきや、森がある地域の話からその地域の国の話、地球、宇宙と切が無い。

やはり迷っている、迷宮に完全に入り込んで「単純に人生を楽しむ」という事が難しくなっている可能性は大だ。

よく、「好きな事」をやる事が重要という話が多い。

私自身はこうして悩んで、その悩みをブログに書いて整理している事は非常に「好きな事」である。

しかしこれでは仕事にならないし、自己満足だけの世界だ。

やはり今回も、踊り場まで辿り着けず泳いだまま終わる事になった。

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!

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(01:41)

2015年04月16日

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先日日テレでやっていた番組、人類の進化の700万年を早送りで再現した。
 
その時代生きていた生き物はあらゆる形に「変化した」
 
そしてその時代の環境に適応出来た形の動物だけが生き残った。
 
適応出来なかった動物は滅んでいった。
 
適応出来たから生き残った形を「進化」と言う。
 
2足歩行した動物が石器を使い始めるまで300万年そのまま。
 
食べ物を探して1日が過ぎる
 
石器を使う事により、他の肉食獣が食べ残した動物の骨を砕いてみる
 
骨髄を食べてみたらおいしい!
 
保存のきく骨髄を食べる事を覚えた人類の祖先は高カロリーな食べ物を手に入れる事により脳が発達した
 
脳が発達し、更に石器を進化させヤリにしたり、火を使い調理したりと加速する
 
言語も使いだし、その進化は加速する
 
行動範囲が広くなったため、体温調節する為体から体毛が無くなる
 
服を作り、言語を使い、仲間と認識すると顔にペイントをして認識しやすくしたり(これが化粧の始まりだそう)
 
それでもその環境に対応できない個体は淘汰されて行った
 
そして現代まで「変化」を続けて来た事を「進化」と言っている。
 
700万年と言ってもピンときにくい。
 
700万年は0.7千万年
 
0.7千万年は0.07億年
 
恐竜の時代は2億年と言われている
 
人類は0.07億年でここまで進化してきたのに恐竜の時代にはそれほど進化していないのでは?
 
元々「牙」や「爪」を持っていた動物はそれで事足りたので頭を使わなかったので脳が進化しなかったと言われている
 
人類の祖先は弱かったので、知恵を働かせ、道具を作りそして使い脳を進化させてきた
 
その結果ここまで文明と言われる構造を作りだすまでになったと言われている
 
そうして進化してきたと思われている人類なのだが、実は異星人がDNA操作で作り出したとも言われたりすると、・・・?
 
700万年試行錯誤したかどうか分からないが、様々に変化してみて合理的に生き残った種が今に繋がっている人類の肉体だ。
 
こうして出来上がってきた肉体に「魂」が乗っかり、様々な事を経験する為に生まれて来たと言われても、スッキリ腑に落ちない。
 
ましてや何か不幸な事が起きたりすると、それはあらかじめ自分が計画したストーリーで、楽しい事ばかりでは人生楽しめないからという話もスッキリ出来ない。
 
人間の性質上、そこに何か意味があると思った方が納得できる、このブログでも何度も書いてきたが、理由が欲しいのが人情ではないだろうか。
 
実は意味など何もない。
 
現代の人間の肉体も見た目はさほど変わらないが、様々な変化を繰り返していると思う。
 
強靭な体力、病気になりにくい、頭脳明晰、俊敏な動き、美しい容姿、今の価値観で「すごい」と思える部分を持つ肉体は数多い。
 
オリンピックに出場するまでの体を持ち、鍛え上げた人でも病気で早くに亡くなったりもしている。
 
大したことなく平凡だと思える人でも子孫を残し、100年近く生きた人もいる。
 
どういった個性を持っていたにしても、現代の環境に適応し、子孫を残した人間の個性はDNAとして受け継がれて行く。
 
勝ち負けで無く環境に適合出来たかどうか
 
天災や事故、病気等のアクシデントに合わず、回避したり偶然回避出来たりしても生き残ればそれは後に「進化」と思われるのではないだろうか
 
現代の自分は「気力」を失った
 
この時点で現代の環境に適合できていないと思われる
 
しかし、子孫は残している
 
環境に適合出来ない性質のDNAを残された子孫は気の毒なのか?
 
しかし、妻のDNAも入っており、ミックスされ、子供たちの環境もまた自分の頃とまた違う為、適合するのかどうかは時間が経過した結果わかる事。
 
この人類の「変化?」「進化?」の流れも実はバーチャルで作り出されたゲームの世界という精神世界もある。
 
実は、真実は、この広い宇宙空間にある「ただ一つの意識体」これを神と呼んだりしている
 
それが、あらゆる惑星に様々進化して生きている動物の体を借り、その惑星特有の環境を体験しているという
 
体験しているだけ
 
借りている動物が環境に適合できず命を落としてしまったらそこでゲームオーバー?
 
新たに生まれる動物に入り込み、また最初から楽しむ?
 
もしそうだとしたら、自分で人生のストーリーを決めて、という生き方は難しいのではないだろうか?
 
出会う人は全て「ソウルフレンド」で縁のある人、これはなんとなくわかる気がする
 
何度も輪廻転生してきている仲間たち
 
しかし、自分で人生のストーリーを決めて生まれてきたとしても、確実にそれが実現できるかどうかは分からないと考える方が筋が通りそうだ
 
「2020年東京オリンピックで金メダルを取る!」こういう人生を生きようと決めて生まれて来た、がしかし同じような事を考えてストーリー設定した人がもっと数多くいるかもしれない
 
そうした人達のぎりぎりの競争がオリンピックで、実は金メダルを取れる人は決まっていなかったのでは?
 
オリンピックで、と決めて生まれてきても「借りた肉体の性能」が思ったほど高性能で無く、出場すら出来なかったり、県大会では優勝出来てもそこまでであったりするかもしれない
 
悲しい出来事、思わぬ事故、出くわしてしまうのは運命や自分で決めたストーリーでは無く、単なる出来事でありそこに意味は無いと考える方がすっきり腑に落ちる
 
肉体の持つ個性、この中に「波動」「波長」という振動があり、この振動の影響で同調出来る人、不愉快な人、苦手な人、更に心地よい場所、息苦しい場所、そして好きな食べ物も振動が「合う、合わない」で決まってくるのではないだろうか?
 
この振動により、寿命が決まってきたり、病気になったり、という現象もあるのではないだろうか
 
地磁気と呼ばれる地球の磁力も関係していると言われている
 
磁気の乱れた場所に立つ建物に住むと病気になりやすいとか
 
誰かの「思い」にもエネルギーがあると以前もこのブログで書いたが、このエネルギーと思われるものもこの振動ではないだろうか
 
様々なタイミングの重なりで理不尽に命を落としたりした人の振動(思い)がそこで発せられて、その場に残る(残留思念とかとも言われている)
 
その振動をキャッチできる人(似たような振動を持つ人)が似たような経験をしたりしてまた現代にその振動を残す
 
その影響で気分が悪くなり注意散漫になる
 
一瞬の不注意で交通事故が起きてしまったり
 
そして複雑になった残留思念が更に似たような振動を持つ人と共振し、事故の多発する「魔の交差点」になったり
 
肉体の持つ振動、人が意識しなくても自動的に心臓は脈打ち、消化器官は栄養を取りだし、免疫機構は侵入してくる外敵を退治したりと無意識に行われている部分
 
これを「潜在意識」とか言っている
 
この潜在意識はIQが30程度と言われている
 
この潜在意識が持つ特有の振動は無意識なのでそう簡単に変えるのは出来ない
 
そこへ「意識」「顕在意識」等で、自分の希望する振動があるとそちらへ向けようとする
 
引き寄せの法則とかもこうした潜在意識の振動の事を別の言葉で説明している
 
だから引き寄せも簡単に出来る人出来ない人、簡単に引き寄せられるもの、引き寄せられないもの、引き寄せにくいものがある
 
では、どうやってこの個体特有の振動が出来上がるのか?
 
両親から引き継いだDNAもあるだろう
 
そして成長する段階で食べたもの、出会った人、経験、こうした事によりその個体特有の振動が出来上がるのだろう。
 
動物の最大のテーマ「子孫繁栄」
 
この為に肉体は成長していく
 
子孫を残せる段階まで成長すれば、ホルモン活動は盛んになり異性を引き付けようとする
 
無意識に子孫繁栄のスイッチが入り、潜在意識から意識へ向かって「異性」「異性」と本能の呼びかけが行われる
 
人間社会の文化という概念から人間には「理性」というものが発達している
 
こうなると理性と本能の戦いだ
 
人類学の教授たちは太古の人類は「浮気」をして脳を発達させてきたと言う
 
だからこれからの人類も当分浮気は無くならないだろうと(笑)
 
そんなオートマチックに自動的に動く肉体に乗り、出会う出来事を経験して楽しんでいるのが「魂」なのだろう
 
精神世界という考え方は、過去の人類で「人を支配する道具」としても活用されてきており、現代でも「洗脳の道具」に使用したりしてどこに真実があるのか分からない状況になっている
 
テレビを否定するつもりは毛頭ないが、ニュース番組で「殺人事件がどうして起きたか?」とか朝からそんな番組が非常に多い
 
見てしまうと、その振動を自分の中に取り入れてしまう事になるのではないだろうか
 
悲しい、可哀想、不愉快、犯人を許せない、正義感、防犯対策、どうしたら犯罪に巻き込まれないか、その為に情報収集・・・
 
事件に巻き込まれないように・・・注意を払って・・・外出時は周囲の危険察知を怠らず・・・きょろきょろ。。。
 
これは意識が「自分は事件に巻き込まれないように」と事件に巻き込まれてしまう自分を想像し、事件の事ばかり考えているという「振動」が生まれる
 
結果、悪巧みをしている振動の者と同期してしまいやすくなる、結果事件に巻き込まれるという現象が起きてしまうのではないだろうか?
 
これも、引き寄せの法則と言われる一因では?
 
こう言われると、では防犯対策もせず無警戒で能天気に、、、という正反対の過ごし方
 
動物が空腹になっていて、獲物を狙うとき無警戒で襲いやすい相手を狙う
 
結局、どちらも同じ結果ではないか・・・
 
こうした考えが底辺にあると、そこへ「実は自分でそのストーリーを決めて来たのだから」という精神世界の話が登場する事になる
 
どうやら最近自分自身も分かってきたのだが、この振動、どうしたらその振動が起こりやすくなるのか?
 
やはり「感情」がキーワードでありそうだ
 
自分が事件に巻き込まれて恐ろしい目に遭う姿を想像し、頭の中で想像しただけなのに鳥肌が立ち涙を流し心がぎゅーっと絞めつけられたり。
 
この感情を伴うイメージが振動を作り出す
 
だからニュース等を見ても「情報」は受け取り「被害者の感情」等は受け取らない。
 
知識は蓄積し、夜道を歩くときには知識を用いて用心する
 
それでも事件に巻き込まれてしまったときは仕方がない
 
だれが責任をという事でも無く、街を歩いていたら風で飛んできたビニールが顔にくっつき、よろけた結果段差でつまずき転んで頭がい骨骨折で入院とかどうにもできないのだ
 
「後悔」し続けると、その事を考え続ける事になり後悔することになった原因の振動を作り続け、似たような事に遭遇しやすくなると思われる
 
詐欺にあった人は続けて詐欺られやすいというのもこうした現象ではないだろうか
 
人類の歴史という長さで見ても現代はほんの1瞬であり、絶えず環境も人間の個体も変化をし続けている
 
人間の個体ごとの振動が違う為、引き寄せの法則等も本を読んだ通りにメソッドを展開しても、出来る人出来ない人様々である
 
本の情報が間違えているわけでなく、自分の振動と合ってないだけでなないだろうか



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(14:14)

2015年04月15日

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意のままにならないこの世界
 
全ての物が何かとバランスを取っている
 
リンゴにもし「意思」が有ったなら
 
引力が有るから地面に落ちてしまう
 
落ちたくない
 
しかし、引力が無かったら地球も無い
 
リンゴも存在しない
 
引力があるから空気が有る
 
引力があるから空気に圧力があり個が存在出来る
 
空気圧があるから人間の体は形を保つことが出来ている
 
個人の力は小さい
 
組織として動けば力が強い
 
個人商店より大型店舗
 
個人商店は特殊な何かを持っていれば営業を続けられる
 
特徴を持たない店舗は淘汰される
 
ここ最近「個」に焦点を当てる流れが結構ある
 
伝統文化とか
 
これまでの社会構造はかなり変化している
 
過去の常識は通用しなくなってきている
 
ハイビジョンの重いカメラを搭載したドローン
 
映画の撮影が低コストでこれまで以上の映像が撮れる
 
ヘルメットにスポーツカムを乗せて高高度のヘリから飛び降りる
 
江戸時代から昭和までの変革と現代の技術革新は速度が違う
 
加速しているように感じる
 
組織に属して期限を決められ目標に向けてと忙しい
 
仕事を組織で分担すれば個人でやるより遥かに凄い事が出来る
 
組織力、良い事ばかりでは無い
 
組織を支配する者は大きく利益を得られる
 
組織に属する者は今や使い捨て
 
更にその中で「人」という生きものには「相性」がある
 
合う人合わない人
 
軋轢が生まれ、組織内でのポディションによって権力も生まれる
 
職場と言う組織は目的が「仕事」である
 
仕事の効率を考え、配慮ある組織は人も考える
 
厳しい社会情勢では人の事など構ってられないという組織が多い
 
使い捨て
 
更に今、日本という組織は「残業代ゼロ」とか言い始めている
 
組織を束ねる権力の座にいる者はとにかく人を使いたい
 
利益を上げる為
 
競争に打ち勝つ為
 
効率を上げ、他の組織より売り上げを上げる為
 
組織に属する人間の生活や人としての尊厳などどうでも良い
 
こうした風潮の中、「個」を主張する人が増えている
 
しかしそう簡単に強大な組織は「個」の活躍を許さない
 
インターネット
 
ネットの普及で個の意思疎通が強く大きくなってきた
 
人の尊厳などどうでもいいと考える組織には属さなければいい
 
そんな個ならいらない、他にいくらでもいるからという流れ
 
これも最近ネットの力で変化しつつある
 
労働力を提供してくれる個がネットの情報で集まらなくなり、店舗閉鎖になっている組織もある
 
キャリア
 
同じ組織で専門分野に特化したキャリアを持てば組織を移動しても歓迎される
 
人の尊厳を顧みない組織だからと別の組織へ移動するとキャリアアップとみなされず、他の組織は迎え入れてくれにくい
 
こうした風潮は、組織が人を支配する為に行っているだけ
 
平等な社会、男女平等、色々言われているがそんなことは無い
 
この支配体制から「個」として活動しようとするにはハードルが高い
 
資本主義という基盤の上にいる限り、資本を沢山所有しているものが強いのだ
 
個として個性を売りに出す
 
最初は売れるかもしれない
 
が、すぐに似たような物が売り出される
 
結局混沌としてきて多数のまがい品の中に埋もれてしまう
 
自然の法則なのだろうか
 
埋もれた中に本物を見分ける事が出来る人がいる
 
そんな中でいい物が長く生き残る
 
そして伝統文化となりどれだけ資本を持っていても飲み込めなくなる
 
組織を好む人もいれば個を好む人もいる
 
そしてどこかで絶妙なバランスを取りながら個と組織が存在している
 
一見、人の意思で構築された組織のように見える世界
 
実は自然の法則がベースにある
 
「自分は違う、自由意志で生きていく」
 
こう思う意思が出来るのは、組織と言う支配があるからである
 
支配と言う力が無ければ自由という発想も無い
 
人が「生きている」という実感を持てるのは「死ぬ」から
 
生きて死ぬというサイクルに意思は無い
 
同じ世界を見て、同じ環境を体験しても人により見える事感じることは違う
 
英語を理解できる人は英語圏の映画を見て笑ったり感動したりできる
 
英語が分からない人は字幕がなければ楽しみは半減以下であろう
 
背の低い人と高い人
 
同じ町を歩いても見える世界はまるで違う
 
背の高い人は遠くを見ることが出来、危険を早く察知出来たかもしれない
 
背の低い人は危険を察知するのが遅れ、巻き込まれて命を落とすかもしれない
 
逆もある
 
そこに何らかの意思は無い
 
引力や自然のうねりが生み出した流れがあるだけ
 
仕事が、家系が、彼氏が、キャリアが、出世が、株価が、家のローンが
 
誰かの意思が作り出した世界
 
誰かが作り出したお米や食品を食べて私も生きている
 
誰かがゴミを回収してくれる
 
誰かが学問を研究し、新たな設計や製品が出てくる
 
そして私は誰かが作り出したパソコンでこの文章を書いている
 
誰かが作り、管理しているネットにこのデータが流れている
 
大きな自然の中に完全に組み込まれてうねりの中にいる
 
何かを肯定するという考えは何かを否定しているから
 
何かを否定するならどこかに理想がある?
 
個としてどこを見て、何を感じるか
 
美しいと言われる人は更に美しくなる
 
自分が美しいと実感しているから、更にそれを高め維持しようとする
 
そう思う私は美しくない人がいると感じているから
 
美しくなくても面白い人がいる
 
面白くなくても組織をまとめる事が出来る人もいる
 
否定も肯定も同じこと
 
不愉快な人がいてくれる
 
そんな人がいてくれるおかげで、感じのいい人が肯定される
 
敢て聖人君子ぶるつもりはない
 
私にとって不愉快な人でも誰かの親であったり子であったりする
 
その人の周辺では良い人であったりもする
 
この世界は振り子の法則があるので、どちらかに偏れば反動もまた大きくなる
 
平和を強烈に推進すれば、その反動もまたどこかで大きくなる
 
とにかく今は心が疲れる社会である
 
この反動がどこへどのような形で現れるのか
 
庭も手入れをしてあげなければ雑草で覆いつくされる
 
手入れをし過ぎると、ネコが侵入しただけでほうきを持って追い回す精神状態になる
 
ほどほどがいいと言いうのだがこれもまた・・・
 
生きているという感覚を持ちすぎるから霊界にこだわり過ぎてしまう
 
そんな生きているというこだわりに執着が無くなった今、霊界もどうでもよくなってきた
 
何かしら意思を持つと、必ず反意思の力がどこかで湧き上がる
 
こうした自然の法則を理解していれば幻滅する事も減るかもしれない
 
何かしら意思を持つことが出来る、何かしらのエネルギーを持っている
 
自然の法則の中で太陽が燃え続けているように何かしらのエネルギーがある
 
人の意思もまた凄い
 
意のままにならないから意のままにしたいという欲望の中、全てが意のままになってしまうと飽きてしまう
 
なんとわがままな生き物だろうか
 
この心こそ矛盾の一番の原点ではないだろうか
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(12:12)

2015年04月14日

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精神世界の事をずっと探求してきて、常に第三者の中立的な視点で見てきたのだが、もう究極の所まで辿り着いてしまった感がある。

何故究極かと言うと、考え尽くして残るは「証拠だけ」といった感じなのだ。

もしかしたら証拠という概念も人間特有の考えかもしれない。

人間という視点で物を考える限り真実へ辿り着く事は出来ないという感じだ。

そんな所へ考えが及んだ結果、気が付いたら「気力」が無い。。。

何をするでもなく、好きな事をすればとか言うが、それも無い。

もう無条件反射のように「引き寄せの法則」の考え方になっていたりするので、ちょっとした事はすぐ引き寄せられるという感じ。

もしかしたらこれも単なる思い込みなのかもしれない。

ちょくちょく少額のお金は、「おーそんな所から!」という意外な感じでやってきたりもするが、まとまった大金は来ない。

まだどこかで大金に関しては抵抗している潜在意識があるのか?

仕事も全然気力が湧かない為に、全くやってない。

ただ毎日何でもなく過ぎて行く。。。

「何かしなければ!」という脅迫観念も無い。

そんな平穏な毎日なのだが、

今日は日中突然、左胸が急激に痛くなり「うわ!」という感じと、思わず左胸を右手で「ドンドンドン!」と叩いた。

1分位で収まったのだが、もしかしたら狭心症?
肺気腫とか色々考えられる。

そんな激痛の中で思っていた事。

「あ〜もしかして、これで人生終わりかな?」

と、冷静に思っていた。

「まあ、終わりなら終わりでいいか」

そして痛みが収まった後は、また平穏な空気に戻り、入れてあったコーヒーを飲み、静かに椅子に座っていた。

家には誰もいないので、先ほどのように突然来られると、多分だれも気が付かないであろう。

そんな事を思っていたのだが、「感情が何も反応しない」。

人生に執着も無いし、やり残したと思える事も無い。

だから、「死にたくない!」とか「救急車!」とか全く思い浮かばなかった。

とにかく感情が何も反応しないのだ。

スピリチュアルの世界でとにかく重要視されるのが感情であり、これが様々なキーワードになっている。

心が「カラッカラ」に乾いているという感じだと自分では思っていた。

ところが映画等を見たりして「感動のシーン」等を見た時、ふと込み上げてくる感情があったりするので、完全に乾いているだけでもないか、とも思える。

が、しかし、もしかして人間の体の特性で、熱湯に触れると「熱い!」と感じる条件反射のような物で「感動するシーンを見ると、自動的に感動する」という体の作りになっているのではないか?とも考えられる。

まあ、魂という概念の何かは存在という概念で存在するのであろう。

その魂が何かを体験したいという意図で人間の肉体を利用しているという考えは、否定のしようがない。

生まれるときにはほとんどの人が以前の記憶を忘れている。
だから様々な体験は初体験という感じでワクワク出来るのだ。

時々、「生まれて来る子供は母親を選んで・・・」という話があり、母親の胎内へ飛び込む頃には「既に子供のような」感覚で語られている事がある。

80〜90才まで人間やっていて、輪廻転生してくるとしてその間100年だと考えてみよう。

よく人は亡くなると、その最後の姿のままでいたりして、その後怪我や手足が不自由でもそれは無くなり、健康の感じで若返るという。

逆にどんどん若返り、子供まで若返ると輪廻転生か?

人間界で散々経験した事、幸も不幸も全て消化し、魂が綺麗になっていく。
そして、純粋になり子供のようになって輪廻転生でまた人間界へ様々な事を経験しに行こうという事だろうか?

以前霊能者の方に見てもらった時の内容からすると私の寿命はあと30年。

しかし別の霊能者の方は、今のままタバコを吸い続ければあと3年で寿命だと私の守護霊が訴えていると言う。

私の守護霊は「私が生き続ける事」に一生懸命のようだと聞かされた。

しかし、当の本人が「もう飽きた」と思ってる。

タバコを止める気配も無い(笑

そんな時、左胸の激痛。

やはり兆候が出ていると思っておけばいいのか。

まあ、肉体も自動車と同じでちゃんとメンテナンスしてあげないと壊れてしまう。だからしっかり手入れをして使えばあと30年もつのだろうが、今の使い方ではあと3年といった感じだろう。

今の段階でこんなに飽きているのに、あと30年も何する?

よく、「やりたい事を見つける事が重要」というが、「やりたい」と思うと言う事は「湧き上がってくる」ので、わざわざ見つける必要は無いのである。

ここを勘違いしている書籍やブログは結構見かける。

若い頃、音楽に明け暮れていて、車を運転していても、食事中でも、風呂の中でも何をしていても頭の中から音楽が抜けなかった時期がある。

ギターを持てる時は、ひたすら弾きまくり、ギターを持てない時は聞く。

リズムを取る。繰り返し好きな音楽を聞き続ける。

傍から見たら多分「キチガイ」のように見えたかもしれないが、本人は何とも思っておらず、とにかく「やりたい事をやっていた」のだ。

こうした状況になる事が「やりたい」と思える事だと知っているので、わざわざ何かを探してという思いはどこにもない。

命への「執着?」・・・無い。

こうなると、仕事だお金だ名声だ何だといっても、それが?・・・だ。

ここまで様々な事を「手放した」。

さて、これからどうなるのであろうか?

投げやりという感じでも無く、淡々と冷静に自分を見てる。

どうなるのだろう?

どうなるのか分からなければ、分からないでもま、いっか。

このブログが続いていれば、とりあえず私の体も「命」がある状態。

更新が止まったら、、、察してくださいな(^^)

今後は極力更新をまめにやってみよう、、、かな(笑

このブログ、流れが変わってきた。

路線が変わるかもしれないが、当分まだ続けるつもりです。




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(02:55)

2015年04月01日

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スピリチュアル、精神世界と言われる世界は文字通り心の中の話。
 
ネット上にはスピリチュアルに関して様々な見解や正反対の指南等数え切れない。
正反対の見解が数多くあるという事は、まだ真相を分かっている人はいないとも考える事が出来る。
 
自信たっぷりでスピの世界はこうである、と言い切っているサイトも多い。
 
この現実世界は「魂の修行の場」だから試練があるのは当然。
 
また、
 
もう既にあなたは完全な存在で有るのに、あと何を習得する必要があるのか?
 
はたまた、
 
修行であると思えば修行の場であり、完全であると思えば完全である。とも。。。
 
 
修行の場であるのであれば、「何の為?」高次の世界へいく為?「なぜ?」誰も見た事のない所の話であり、実際に見て来たという話もあるが、その人の心の中の事で有る為、確かめようがない。
 
完全な存在であるのであれば、現実界での嫌な事、悲惨な事、殺し合い、嫌がらせ、餓死、暗殺、テロ、「なぜ起こる?」
 
現実界の人間が映画を見て楽しむように、霊界から人間界という世界を使って現実として楽しんでいる?
 
一時期は映画を楽しむようにという考えで納得した事もあった。
しかし、人には守護霊がついていて、人間の自由意思を尊重しつつも生命の危険が迫った時、あまりにも悲惨な命の落とし方をすると「魂に傷がつく」事もある為、直前に魂の緒を切る事もある(魂を守る為)という話もある。
 
引き寄せの法則という有名な話の中でも、自分が発する波動と現実が同期する為、既に実現したようにイメージするという事がある。
 
霊界から人間界へ出てくる時、どのような人生にするのか計画を立てて生まれて来るという話もある。
 
自分で決める場合もあり、相談役の霊と相談しながら決める場合、いくつかの選択肢を見せられ選択を迫られるという話もあれば、人間に生まれる為の順番を行列を作り待っているという話もある。
 
輪廻転生してくるまでには数百年経過してからという話もあれば、数年で生まれ変わり、しかも当時の記憶を覚えているという話もある。
 
生まれる前に自分の人生を決める、ではホームレスの人生を歩んでみようと決めたのであれば、例え引き寄せの法則を知り、実行しても結果はホームレスなのか?
 
それとも引き寄せなど知る事も無くホームレスになっていくのか?
 
人生を決めて生まれるという話に、更に出会う人、話す会話、全て決まっていて寸分の狂いなくあたかも自分が思考して行動しているかのような錯覚になりながら決まった通りに動いているという話もある。
 
引き寄せの体験者の話で、どれだけ自分の周辺に物事が起ころうが、それを拒否し続けても「ドアをぶち破って幸せが押し寄せてきた」という表現で体験したという人もいる。
 
「まるで導かれるように」
 
こういう言葉は何かを達成した人が結構言う言葉である。
 
自分の人生で「迷ったとき」「悩んだとき」「打ちひしがれたとき」人は何か指針があれば立ち直るきっかけになったりする。
 
非常に安直な言い方をすると、精神世界はやはり精神世界であり心の中だけの世界で、単なる「考え方だけ」という言い方も出来てしまう。
 
「神」とか「守護霊」とか自分より何かしら立場が上とでも言うか先輩と言うかそうした存在など幻想であり、昔からの人を管理する為に考え出されたマインドコントロールであるという見方も出来る。
 
この「幻想」という見解は現在でも多くの人が思っている事で、「霊感」や「霊能力」がある、何かしら人では無い存在が見える、会話が出来るという人は「幻想では無い」という。
 
幻想であっても無くてもどちらもその存在を証明する事は今の所出来ていない。
 
神に助けを求め神社へお百度参りしても、子供の病気は治らなかったりする。
 
ところが、末期のガンだと宣告されながらスピの考え方だけでガンを消し去ったと言う体験談もある。
 
iPhoneで有名なアップル社のスティーブジョブス氏もガンであった。
彼は東洋の精神修行でガンを治すという決断をし、瞑想を行ったりと色々やっていたが、帰らぬ人となった。
 
誰かがこの方法でガンを克服したとしても、それは全てに当てはまらない。
 
何をやっても死なない人もいれば、あっけなく、、、という人もいる。
 
引き寄せも出来たり出来なかったり。
 
パソコンのプログラムでさえも、同時並行処理を行う為に、実行するたびに違った動きをする。突然見た事も無い画面が出たり消えたり(笑)
 
地球の赤道上を人が歩くと、真っ直ぐ歩けないという不思議な現象もある。
 
水のたまった容器から排水すると、赤道の北側では左に渦を巻くが赤道の南側では右回りで渦が出来る。ほんの数メートル位置がずれただけなのに赤道をまたぐと渦の向きが逆になるのだ。
 
まだよくわからない何かしらの影響を人間は受けている。
 
それが地球からの重力や磁力、月の位置も影響したり太陽風で電磁波が変化したりといくらでも何かしらの影響が刻々と変化している。
 
人の思考回路も刻々と変化している為、1日に360回は考えが変化するとも言われている。
 
こうした全てが不安定な状況にいながら、法則のように一定に決まっている事もあれば、変化の仕方に法則がある場合もある。
 
仮に守護霊がいたとして、何かしら考えているとしたら?守っている人間が生まれてから寿命まで生きたとして、その間ずっと同じ考えでいるのだろうか?
 
霊界が何かしら組織的なものが有ったとして、その状況が全く変化しないと言えるのだろうか?
 
精神世界を信じてみる事も人によっては重要かもしれないし、エスカレートしてしまい妄信してしまい現実社会で生活できなくなってしまう人もいるかもしれない。
 
精神世界を幻想と信じる人は、妄信している人を精神世界から現実世界へ引き戻そうとするだろう。しかし妄信してしまうと自分が、精神世界が正しいと思っている為、現実社会の人を逆に精神世界へ引き込もうとするかもしれない。
 
お互い自分が信じている世界が正しいと思っている為、戦争に発展している人たちもいる。本気で自分の崇拝する宗教以外は邪教だとしてそれを信じる人を滅ぼす事が聖戦であり正しい事だと信じ込んでいる人もいる。
 
こうなると、先ほどの正反対の考え方「修行であると思えば修行の場であり、完全であると思えば完全である」という人は、他の宗教信者を滅ぼす事も肯定するという事になる。
 
また全世界をこの宗教にしたいと願っている人もいるが、自分自身が滅ぼされてもそれはそれでOKという事になるのだろうか?また、その宗教を強要してくるつもりでいるそうである。その宗教に入信するのか?いやなら戦うのか?
 
このブログで何度も書いているが、自信が殺されてもそれは神の意思であるから問題ないという。殺す方も生まれる前の約束通りだからお互い恨みというものも無いそうな。
 
人は肉体が死ぬと、魂が抜けだし人間として生きていいた時に「忘れていた事」霊界での事や前世の事などを思い出すと言う。だが、この人間社会に「執着」が強すぎると「地縛霊」や「浮遊霊」となり成仏出来ない、?
 
執着が強いと肉体を離れても霊界の事を思い出せないという事か。。。
 
廃墟にさまよう怨念を抱いた地縛霊、殺された恨み?騙された恨み?
全て予定通り約束通りであるならば、守護霊がその事を思い出させてあげて早いとこ解放してあげても良さそうなのだが、守護霊ではそこまで出来る力が無いのか?
 
既に完全な存在であるのであれば、自己完結出来ても良さそうにおもえるのだが、それは人間の思考回路だからそう思えるだけで実際は時間軸が数千年、数万年と長いスパンで考えないとつじつまが合わないのか?
 
人間として生きている時に出くわす困難、その事に対して数ある考え方の一つの精神世界、その話がその人にすんなり受け入れられたなら、困難を乗り越えるエネルギーになるだろうから、それはそれでいいのかもしれない。
 
そうした数ある考え方をこのブログのように多数調べて、総合的に考えるとどうしても矛盾だらけとなり、新しい展開に入っていけない。
 
今の段階では、精神世界も現実世界もどちらも話半分にしておかないと、自分が振り回されてしまうという事だけははっきりわかる事実である。

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(01:40)

2015年03月12日

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社会にはルールがある。

それは皆が守れば皆が快適になるし、事件や事故にも巻き込まれにくくなる。

だからルールを。。。

 

人には欲がある。

その欲を満たすために日々生活している。

野生の動物達も食欲を満たすために相手を食べる。

自分が食べられたくないから擬態の技を進化させたり逃げる、隠れる技が磨かれる。

 

人間社会のルールはその欲を抑える為のルールが多い。

 

ルールを作り変更していく政治家。

どこを目指してルールを作り変えているのか?

 

ルールが完璧なら不満は出ない。

ところが社会は不満だらけ。

一部の人には都合がいいが、都合の悪い人もいる。

 

ちょうど頃合いの良い所でバランスを保ち、皆が納得するポイントでいればいいのだが、実際はどうやら違う。

 

今の日本、ルールを厳格に守るという雰囲気が行き過ぎているように感じてしまう。

これはあくまで私の主観であるが。。。

 

毎日日本で暮らしていれば気が付かない事。

最近はテレビでそんなポイントにクローズアップして

「日本ってすごい!」という番組が多すぎで気持ち悪い。

 

ニュースで誰かが路上でキスしていた。

「不倫はいかん!」とヒステリックだ。

 

もしも、因果応報で人に不快感を与える行為に返ってくる物があるのならば、人が何をしても自己責任なので、他人が攻撃する必要は無いのではないか?

 

スクープを狙う人は、lこうした話題になる人のルール違反を徹底的に探っている。

ニュースのネタになる、お金になるからだ。

 

スピリチュアル霊能者の中にはこんなことを言う人もいる。

「不倫なんて別に構わない」「人間社会はバーチャル空間」

人を殺しても「予定通り」殺される方も「約束通り」と。

 

これがもし真実であるならば、社会でルールを守る事に何の意味も無い。

 

しかし、自分が、子供が、恋人が、親が、大切な人が殺されるのはいやだろう。

だからルールを作り、皆で守ろうという事になっている。

 

人それぞれ感覚が違うので、自分の大切な人が被害を受けないのなら気にしないとう人もいれば、誰でも構わずルールを守らない人がいやだという人もいる。

 

人には正義感という感覚があり、自分の主義主張を人に押し付ける人もいる。

 

100年以上続くサーカスで目玉の出し物であった「ゾウ」の演技。

多くの人がお金を出して見に行っていたから長く続いてきたのだが、動物愛護団体という主義主張を持つ人達が「ゾウへの虐待である」と声を上げた為、このサーカスはゾウの演技を取りやめた。

 

もしかしたらゾウも楽しんで人間に付き合っていたかもしれないが、ゾウの意見は分からない。

 

人が生きている事が出来るのは他に人がいるから。

 

生まれた後にジャングルで動物に育てられたという事例もあるようだが、これは例外。

人間として生きて来た人が、他の人から相手にされない、無視される、これは生きる気力を失うのでたいがいの人は心が折れるだろう。

 

またこうした例外があり、ロシアの数学者のように誰とも会わず、会話せずで部屋にこもり数式を解き続けていたと没頭できる事があると別だったりする。

 

人は人がいるから社会で生活できる。

 

他の人が他の人の価値観で判断し、言葉を発するので自分の価値観と比べ自分の位置を再確認できる。自分がいるという事を実感出来たりする。

 

人間はこうした感覚を持つので、正義感と併せて人がルールを破ると「攻撃」したりする。

 

スピリチュアルの世界だけの話でなく、今の日本では3組に1組は離婚している。

結婚したが様々な理由で離婚に至る。

その後再婚したりするが、この再婚が大成功で本当に幸せを実感している人もいる。

 

離婚の大きな理由の一つが不倫だ。

これは人の持つ倫理観に反するからいけないという事になっている。

海外では「姦通罪」という法律もあり、死刑になる国もある。

 

学生の頃はチェーン店の牛丼が美味しくて、大盛りを食べるのが至福の時で足しげく通ったりしたのに、大人になり高級牛肉の味を知ってしまったらもう牛丼店に行きたいとは以前ほど思わなくなり魅力が薄れたという事もあるだろう。

 

初めて結婚した相手との共同生活で価値観の違いから面食らう事も数多い。

そこは互いに吸収し合いながら衝突しないように生活しているも、ある日知り合った人に心惹かれる事もあるだろう。

 

そして不倫へ発展する事もある。

中には2重生活をしている人もいたりするが、後から知り合った人の方がなぜか魅力的に見えたりする。(高級牛肉店のように)

 

そして決意し、離婚したりする。

最初の結婚である程度価値観の違いという事に免疫が出来ている為、2度目は価値観のズレのかわし方も上手になっていたりすると、2度目はいい雰囲気を維持することが出来る。

すると大きな幸福感を得られる。

 

スピリチュアル的に不倫はまるで問題ないとしたら、倫理観はどこかへ吹き飛ぶだろう。

やりたい放題となり、結婚と言う制度ルールも意味がなくなる。

だからルールを守るという事に目を三角にしている人もいるのか?

 

やりたい放題になれば本当の両親は誰が誰だか分からなくなる。

野生の動物とたいして変わらなくなる。

 

では原始時代の生活のように自由に生きるのがいいのか?

いや自分の大切な人や自分が病気になったら困る。

医者がいてくれると助かる。

薬があると楽になれる。

 

では誰が薬を作るのか?

と延々に続き、結局「社会」を構築したくなるというループだ。

 

そんな流動的に変化し続ける社会とルールの中で人間も年齢を重ねながら変化し続けている。

そして寿命を終え、あの世へ帰り、しばらくしてまた人間界へ戻ってくる?

これが輪廻転生と言われている流れではあるが、あの世がどうなっているのか解明できていないので断言はできないが、今の所はこうした考えがある。

 

行き過ぎては戻り過ぎ、を繰り返している流れの中で、様々な価値観があり、人間社会のルールを守らない人を「許せない」と思ってしまう人。

自分が安全地帯にいる為、ネットでは人を叩きやすい。

 

弱い人ほど虚勢を張るという。

自分が弱いと悟られたくないから強気で威嚇するのだ。

動物社会では弱いと食べられてしまうから。

威嚇する「シャー!!

 

隣の一般人の旦那さんが不倫している?

ニュースに登場するか?

誰も興味が無い為、ニュースにもならない。

 

話題の人だからニュースにも登場するので、自分の意見を発信できるネットでは自分の価値観に正義感も合わさり「不倫はいかん!!」と強弁したりする。

それに「そうだそうだ!」と賛同する人が現れると鬼に金棒、もう止まらない。

ここで集団心理というものが働いて社会が動く。

 

ここまでネット社会が発展してない頃は、一般人の価値観からの意見は民衆に埋もれていたので友人同士の会話で終わっており、近所のうわさで収まっていた。

 

今の社会がいいのか悪いのか?それも人の価値観で変化する。

何かで成功したり、幸せをつかんでいる人にはいい社会だし、失敗したり不幸を感じている人には悪い社会だ。

 

物凄く批判の嵐を乗り越え晩年でもそれが成功すればサクセスストーリーと称賛される。

 

これは予定されていた事なのか?

晩年に成功するという予定を立てて生まれて来たからか?

その予定を実行する為に必要な社会環境がある時代を狙って生まれてきたのか?

 

オリンピックで金メダルを取れるまで頑張った人が、テレビ番組の為にヘリコプター事故で人生を終える、これも予定通り?

予定通りという考えであれば、その展開をあらかじめ考えた何かがあったと言う事。

 

そんなドラマティックな展開を考えだした思考回路、しかも地球規模。

私個人の価値観でそんな地球規模でドラマを考え続けるのは不可能と発言はしない。

 

宇宙空間という私の理解力を遥かに超えた世界へ技術を使いロケットを飛ばす事が出来る人がいるという現実を知っている為、自分の価値判断などは物差しにはならない。

 

こうした方面を私の意識は見ている為かどうか分からないが、誰かが不倫した?とかニュースで見ても、ご自由に。

 

という感覚だ。

 

自分の妻が不倫していたとしても知らなければ問題だとか、知らなければ許すとかそもそも知らないのだから何も考える事は無い。

 

しかし正義感で切り込んでくれる人がいるから、カビの生えた食材を使い海外へ輸出していたという事が発覚し、食の安全を確保できたという事例もある。

勿論そんな事をしていた理由は「儲かるから」である。

 

正義感で切り込んでくれる人がいるから「騙されたり」する事が減り、安全が増える。

 

「マディソン郡の橋」というアメリカの不倫をテーマにした映画があるが、妻が不倫をしてその後も心はずっと不倫相手に向いていても、旦那は知らずに幸福感を持ったまま生涯を終える。

 

「女の心は海より深いのよ」映画「タイタニック」でヒロインの「ローズ」の言葉。

 

単純なのは男性だ(笑)

 

とある霊能者のブログで書かれていた事。

大切なパートナーの女性が若くしてこの世を去り、自分の心に大きな穴が開いてしまった。

その女性の事を思い続けていたために実はその女性の魂を縛り続ける事になり結果悪い事をしてしまったという後悔があった。その為、次の人生でもその女性とは出会わないという計画を立て、そんな人生を三回も過ごしてきたという話があった。

その魂を開放する為に。

 

人の心が複雑である事は十分実感できる。

この記憶を魂に持ち、何回も人生を繰り返し記憶を深めていく。

それはそれは難解な精神構造になっていくであろう。

 

しかし実は人類は2回滅亡していて今は3回目だという説もある。

 

発掘現場からその年代にはあるはずの無い技術が使われた物「オーパーツ」と呼ばれているものが出土している。

 

興味の湧いた方は下記リンクからどうぞ。

http://matome.naver.jp/odai/2129523386244286201 

 crystal-skull-close-up

過去の文明も現代のように進化し、戦争で滅亡したと言われているが、もしそうだとしたら今現代も同じことを繰り返している可能性がある。

 

過去の魂の経験の蓄積はどうなった?

 

過去の文明で「核爆発」が起きたとしか考えられないという場所があるようだ。

勿論人類の過去の歴史でそんな記録は無い。

 

が、現代も核兵器はあり、日本に落とされ、今もだれか気の狂った人間がボタンを押すかも、と思われている。

 

過去の失敗は活かされてはいないようだ。

 

もしかしたら、失敗などという考え方では無い?

 

予定通り?

 

こうして知識を深めてしまい霊界の事もばれてきたのでそろそろこの世界もおしまい?

 

そして何万年か後にまた原生動物から人類のような生命体が出来てきて魂は人生を経験し、喜怒哀楽の中を過ごしていくのか?

 

魂の世界から見た人間界は、実は人間界が「バーチャル空間」で実は「どんな事でもやって構わない」世界なのかもしれない。

 

スピリチュアルの世界も様々な意見が乱立し対立し変化融合しているので、やはり本当の所は不明のままである。

 

「何かに導かれるように」という言葉が当てはまる出来事も有る為、「偶然」という言葉では言い切る事が出来ない現象もある。

 

「興味」という不思議な気持ちもある。

これが自分自身のガイドラインとなり人生が開ける事も多々ある。

 

自分の存在も何なのか分からず、そんな自分がいる世界も何なのかよくわからないが、自然と湧いてくる「興味」や「欲」、こうした心が「訴えてくる」事に耳を傾けていると悩みは減るのかもしれない。



 

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!

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(12:53)

2015年03月05日

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自分に起こる事象は全て神の計画通り。

 

こんな言葉が広く伝わっている。

本当にそうなのだろうか?

そう思いながら探索を続けている。

 

江戸時代は265年間続いたと記録には残っている。

様々なドラマになるように明治維新の時代は大混乱であっただろう。

 

平成と言われる今の時代とは貨幣の仕組みも社会の仕組みもまるで違っていた。

身分の高い家に生まれれば能力など関係なしに高給が約束され、格下の家に生まれたものはそれに従わざるを得なかった。

 

現代の我々の社会の仕組みは明治以降に確立されて来た。

今は資本を沢山持っている者に従い、資本を持つものが決めたルール、法律に従わざるを得ない。

 

時代が変化しても、何かしらの「支配」という仕組みは変わらない。

昭和初期までは人の命は非常に軽かった。

 

それから70年程経過した今は、怪我一つで大騒ぎとなり人命第一。

そんな仕組みへと変化していると同時に他の地域では戦争が行われており人命は軽い。

 

しかしそんな現代、日本に焦点を当ててみると社会の仕組みがどんどん崩壊している。

数百年数千年という長いスパンで考えれば「変化している」という事であろう。

 

どのような仕組みに変化しようが、価値観がどう変化しようが、「支配」したいという人種は必ず現れ、支配構造を作り上げていく。

 

人を支配して自分は楽をしたいのだ。

 

会社という仕組みも、国家という仕組みも変わらない。

 

物の見方、スパンの取り方で「見え方」は変化してくる。

 

これまでの長い年月であまり変化してこなかったのが、霊に対する感じ方だろう。

 

人それぞれ感じ方に違いはあれど似たような感覚を持つ人は多い。

 

だから、そうした共通の概念が「霊」という概念として捉えられてきた。

 

時の権力者はその概念を巧みに利用し、社会を支配する道具として活用してきた。

 

だからといって「霊」という感覚が全て嘘の世界とも言い切れない。

 

このあいまいな感覚があるから未だに謎の多いというより謎だらけの世界であろう。

 

社会の変化崩壊は神の仕業か?

 

そう考えている時点で、既に過去の権力者が作り出した概念に取り込まれているのではないだろうか?

 

自分に起こる事象も全て必要であるから起こるのか?

 

人間社会はとても密接に繋がりながら機能している。

 

ある霊能者は、交通事故も自分が予定していた事だと言う。

 

車同士の事故の場合、相手がいるからこそ事故が成り立つ。

 

被害者は自分の計画という事であれば問題ないが、加害者は予定していた事故なのか?

 

加害者になるという予定だけはあったもののとう事であれば、その事故から発生する様々に連鎖していく事象も計画があるのか?

 

事故の加害者になってしまった人に奥さんがいて、加害者も大きな怪我をして入院生活となり、その介護をしながら子供の世話をして疲労が蓄積していく。

その結果精神的にイライラして、奥さんが行く職場で対人関係が悪化。

その相談にのってくれた上司と不倫の中となり、事故で入院してきた旦那が退院する頃には離婚の話へ発展していたり。

 

そうした環境で育った子供は、その様子を見ていて母親と距離を置く。

そんな子供を不倫相手の男が暴力で攻撃する。

そんな少年時代を過ごしたが、大人になりそんなことは忘れていたが気が付いたら自分も自分の子供に暴力をふるっていた。

 

暴力の連鎖という事は言われているが、多分そうであろうという領域は出る事が出来ない。

 

こんな人生を過ごしていた奥さんは、不倫相手が自分の子供に暴力を振るうとき、どうにもならなくて霊能者に相談すると「神の計画通り」または「自分が生まれる前に決めて来た事」と言われてしまう。

 

文章では読む側も各側もひとつの事しか書くことが出来ないので、非常に単純な内容になってしまうが、実際はもっと多様な事が複雑に絡んで様々な事象として現れている。

 

これらに関わる人達も同様に同じ時間経過という概念の中で様々な事象と出くわしている。

 

寸分の狂いなく計画通り行われているのか?

 

とある霊能者は、ある程度の事は決めてきているが大枠だけで、仕様変更はいくらでもあるという。

 

何の為に?

 

実は神の計画や自分自身の計画等というものはまるで存在しないと考えてみては?

 

動物や植物等にも意識があるという事は知られている。

サボテンに電極を付け、枝を折っやろうかと脅すと波形が乱れると言う。

 

キルリアン写真というのをご存じだろうか?

 

ある特定の条件で葉の写真を撮影すると、葉が切られて無くなっている部分も、あたかもそこに葉があるかのように写真に写る現象である。

 キルリアン写真

人間でも腕を切断してしまったりしても、その先に「気のフィールド」があるように本人は感じており、痛いとされる場所(切断されて無くなっている部分)に温熱治療等を行うと痛みが改善されたりするという現象もある。
 
このフィールドエリアが実は霊魂と言われているものと同一では?とも考えられる。

まだ科学で解明されてないこのフィールドという存在、ここにもしかしたら肉体が感じた事等がここへ記憶として保存されたりするのでは?と考えると魂という概念が少し変わるかもしれない。
 
現代はネットの普及が進み情報の共有が多くなったので、霊界に対する考え方もこうした不思議な現象を含め、他の考え方も容易に統合比較が出来るようになった。
 
その結果、これまでは違和感を感じなかった霊的な説明も矛盾が感じられるようになり、謎の解明が少しは進むかもしれない。
 
視点を高い上空から、我々人間がいる高さへ下げてみてみると、様々に発生する現象は実は人間が発している何かしらの「気」とでも言おうか、「波動」でも「エネルギー」でも何でもいい、こうした何かしらのものの影響で「運がいい」時はリズムに乗りとんとん拍子に進み、悪い事を感じる事が起こる時はガタガタなリズムで次々同じような現象を引き寄せてしまう。
 
だから主体は「人間」であり、その感覚を感じて気のフィールドへ記憶を残した魂と呼ばれる存在になった意識が、人間時代に記憶した「神」とか「守護霊」とかという記憶から、それらしい振る舞いをし、年月の経過と共に積み重なってきた「気のフィールド」の総合対もそのような振る舞いを起こしているのではないだろうか?
 
だから、なんとなく感じる「神」?とか、メッセージを送ってきたり、守護霊という存在として人間の近くにいたりして応援したりしているのでは?
 
まとめると、言葉としての表現は古いかもしれないが
 
「魂」は存在する
 
「神」という感覚をもった魂の集合体もいる
 
人間の人生で起こる事は「神や自分の計画でもなんでもない」
 
時の権力者が作り上げた神という存在では無く、元々は人間であった気のフィールドが多数集まり、気のフィールドの世界を作り上げ、「神界」としている。
 
「守護霊」という存在は、過去人間であった時の価値観や考え方を持ち、その意識を人間へメッセージとして送り出している。
 
人間が災害や危機に陥った時、物理的に助ける事は出来ない。
「なんとなくいやな気がする」といったメッセージを送り、危険な場所へ近寄らないようにさせる事くらいしか出来ない。
 
きっちり判明したわけでは無いが、こういった雰囲気で霊界を捉えて人間も生きていけばもう少し霊界への印象も変化するだろうし、支配を目的とした宗教等に惑わされる事も無くなるのではないだろうか?
 
そうすると、霊とのコミュニケーションが取れる方は、霊との付き合い方が分かってくるのではないだろうか。
 
闇雲に「霊は怖い」という感覚では無く、怒りを持った人は霊でも人間でも怖いのだ。
 
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(15:06)

2015年02月19日

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現代に生きる我々は様々な形で「生命」を守られている。

仕事でも安全第一、娯楽施設でも事故防止、食品でも衛生管理、移動でも交通安全、とにかく安全が全てにおいて優先されている。

 

それはここ数十年の日本での事。

40年位前の日本では「職人は怪我をして一人前」と言われている時代もあった。

 

更にそこから30年前、自らの命を捨てて任務を遂行する戦争。

 

戦争などの場合、何も反撃しないと相手が攻めてきて占領されてやりたい放題やられてしまうという脅威があったので、「守る」といいう観点からふんばった。

それでも相手の勢力が強いと、「玉砕」という最終手段。

 

占領されやりたい放題にやられるくらいなら玉砕してでも。。。

 

更に数百年前の日本、占領した土地を更に広げるために領地争いの戦闘が繰り広げられていた。

この場合、占領されるとその土地の「主」は打ち首等で命を奪われた。

 

だから皆負けないように必死、まさに命がけという戦い。

 

どの場合も相手の何かを奪いたいという「欲望」が発端である。

 

歴史の資料として残っているデータから見て織田信長は「戦の無い世を作る」という事を表題として戦っていた。

 

その後「天下を取る」という秀吉、ようやく戦の無い国になったと思ったら今度は朝鮮半島を「欲しい」と言いだす始末。

 

権力者の「欲」、権力を欲する、この欲から全ての争いが生まれる。

 

そして権力者に支配された若者が戦場へ送り出され、命を落とす。

 

ロシアの映画「スターリングラード」という戦争映画(実際起きた事を再現したもの)でも、無謀な戦場へ「進め!」という掛け声で若者が突撃するが、皆撃たれて悲惨な状態、これでは勝ち目がないと退却してくる若者へ「逃げる者は撃ち殺す」と味方の陣から撃たれて死ぬ。

 

現代人は命を可能な限り守られている。

守られた状況の中で思考し行動する。

 

たった70年前の時代の事だが、命を守られ安全な生活を送りながら当時の状況を考えてみても実感は湧きにくいだろう。

 

戦国時代、戦争の時代、この頃の人間として生きて「何を学ぶ事があるのか?」

 

戦艦に戦闘機で体当たりする事にどのような「学び」があるというのか?

 

現代の命を守られた環境で「理不尽」な事を想像しても理解はできない。

 

スピリチュアルの世界ではこうした理不尽な出来事にも何かしら理由を付けて解説している。

 

ほんとうにそうか?

 

ある霊能者の解説では、あまりにひどい亡くなり方をするような場合、体験する直前に魂の緒を切るという。あまりにひどい場合、魂に傷がついてしまい魂そのものの存続が難しくなるからだという。

 

この内容からすると、霊界は人間への関与は出来ていないと解釈できる。

ゼロ戦で特攻する時、敵戦艦へ爆弾を抱いたまま体当たりする等のひどい場合、体当たりする直前に魂の緒を切り、悲惨な体験をさせないように配慮するという事であろうか。

 

以前も紹介したアメリカの戦闘機に乗っていたパイロットが撃墜され燃える機体と共に墜落したという記憶を持つ子供の映像があったが、炎に焼かれていた記憶はあるという。墜落する直前で魂の緒を切られ、墜落の衝撃は回避されたのか?

 

霊界は人間界をコントロールできるのか?という疑問を以前も掘り下げた事があったが、どうも直接のコントロールは出来ないという方が正解に近いという感じなのだが、精神的に人間をコントロールする事なら出来るという話も多い。

 

しかし、精神的にコントロールできるのであれば、戦争等という発想に突き進むまえに方向転換させればいいだけの話であり、魂の修行に戦争が必要なのか?とおおいなる疑問は残る。

 

つまり霊界は人間界への影響力はほとんど持たないという見方が強くなるのではないだろうか?

 

では、何か物事始めようとすると必ず邪魔がはいったり障害が立ちふさがる状態や、様々な不思議なめぐり合わせ等の現象はどう考えるか?

 

人間の感知できる範囲は非常に狭い。

 

それゆえに気が付く事の出来ない範囲で起こる事を解明しにくい。

不思議なめぐり合わせやタイミング、運等という現象と、霊界の現象と言われる事は、実は別物で関連が無いのかもしれない。

 

人間には感知できない世界で起こっている事なので、事を始めた時起こる障害等と、不思議なめぐり合わせで事がうまく運ぶような現象をまとめて霊界が助けてくれたことと思い込んでいる可能性は無いだろうか?

 

静かな湯船にゆっくり浸かっている、至福の時だ。

さて、そろそろ温まったから出ようかと思う。

立ち上がると波が立つ。

波は湯船のふちまで行くと、跳ね返って自分のほうへ帰ってくる。

 

自然の法則だ。

 

そして湯船の中を歩こうとすれば、次々と自分の起こした波が足元を揺らし、歩きにくい。

 

勢いよく立ち上がれば立ち上がるほど波は強い。

 

大きな湯船で他の人も浸かっていれば、その大きな波に不快感を示す人もいるだろう。

 

神のしわざか?

 

湯船で他の人が起こした波を受けて顔に湯がかかった時、「これは神の試練だ」と思うか?

 

そこで湯船に浸かりながら「この試練から自分は何を学ぶべきか?」と考えるか?

 

自然の法則で起こった波はたんなる波であり、神の試練でもなければ啓示でもない。ここを結び付けて色々考えてしまうからおかしな理論が登場したり、一見筋が通っているように見えて他と矛盾を起こしてしまう。

 

戦争等のどうにも逃げ場が無い理不尽な状況は「誰かの欲」から発生した波であり、巻き込まれてしまったのである。

 

ここに魂の学びや神の意思は無い。

 

この世で起こる事は全て意味がある。

 

確かに意味はあるだろうが、神の意思で起こるという意味ではないだろう。

 

逆に、全宇宙も何もかも全てが大自然の法則で動くこの動きこそ全てが「神」だと言うのであれば、そのほうが腑に落ちる。

 

あたかも誰かの「意思」があり、その意思に沿って「義務」が生まれるという考え方では腑に落ちない事が多くなる。

 

「個」としての特定の「意思」を持つものとして「神」を考えるとその神の「価値観」や「考え方」といった人間が持つ同類の思考との比較から、矛盾や理不尽といった感情が湧いてきてしまう。

 

人間の感知できる範囲は非常に狭い。

 

見えないが「ある」とされる事はいくつか発見され定義されている。

電波や放射線、ニュートリノや紫外線赤外線、まだ発見すらされていない何かもあるだろう。

 

誰かの欲の為に自らの命を懸けて戦う等という事はとても虚しい。

 

東日本大震災で未だ多くの人が苦労している。

東電はその被害に対して補償しなければならない。

だから復興の為として電気代が値上がりした。

しかし決算発表をみれば黒字と儲かっている。

何の為の値上げか?

 

しかし一般人は発電の会社を選択できない。

東電を利用し、電気代を払わなければならない。

その事がそんなに不愉快なら引っ越せばいいのでは?と間抜けな事をいう人もいるが、それは見当違いの議論となる。

 

こうした理不尽と権力者の欲、これらと和解することは難しいだろう。

結局どこかで戦わなくてはならない。

 

結局、人間が生きるという為には必要となる物が有る為、欲が生まれる。

 

欲の大小の違いだけで、常に小競り合いがある。

 

ここへあたかも何かしらの「意思」をもった「神」という存在の関与があるかのような話をまことしやかに展開しては、勘違いが勘違いを生み、伝言ゲームで尾びれ背びれフカヒレがついて混とんとした状態になってしまうのだろう。

 

視点をしっかり分けて、これは自然の法則、これは霊界のメッセージ、等と分けて観察していけば、混乱は少しは減るのではないだろうか?


 


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(12:19)

2015年02月14日

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人間界は魂の学びの場とよく言われている。

人間の感情として環境が悪ければもっと学びを進化させ、良い環境にしてあげたいと思う心は自然ではないだろうか。

 

年々夏の気温が高くなっている事は観測記録で分かっている。

学校にエアコンが設置され、騒音がひどい所は防音二重サッシで静かになっている。

どうすれば子供たちの学習環境が良くなるのかを皆で考えて対策を講じている。

 

学習の中身も試行錯誤を繰り返しながら行っているが、今の状況が過去に比べてよりよく進化している、というより今の発展した社会に合わせた学習は行われている。

 

では、人間界はどうだろうか。

 

魂が何かを学ぶためと言われているこの世界、生まれる前の記憶を持つ人達がほんの一部では無く世界的に数がかなりあるという事は、単なる妄想で片付ける事は難しいだろう。

 

万年さん(http://ameblo.jp/mannen-shiroto-v2/が紹介してくれた「かずなりさん」のブログの中で彼も生まれる前の記憶を紹介している。

 

〜 一部抜粋 〜

 

白い霧がかかった真っ白な世界です。私自身は白い球体でした。

本当に表現出来ないほど、幸せを感じていました。

 

ですが、ある時、そろそろ人間として生まれなければなりませんでした。

そろそろ行かなければならない、という事が解りました。

神、大いなる存在に呼ばれていました。

 

私は今すごく幸せであったので、

苦しい思いをしたくない為にぎりぎりまで行くのを躊躇っていました。

ですが、近しい仲間達はどんどん生まれて行きます。

もういよいよ行かなければならない状況になったので、仕方なくある場所へ向かいました。

 

私に二つの選択肢が与えられました。

一番目は全てにとって本当に重要な意味を持つ人生でした。

二番目は、もう過去に学んだ事がある、あまり成長を望めない人生でした。

 

どっちが良い悪いという意味ではありません。

目の前がスクリーンになり、それぞれ、大体の人生の内容を見せられました。

 

でも、どう考えても一番目をやらなければならない事は解りました。

今までに私の前に旅だった多くの存在も重要な方を選んでいました。裏切るような事は出来ない。

しかし、こんな事はとてもじゃないが自分にはできないよ、何てことだと思いました。

選択肢もこれがある意味で最後だった為か、ほとんど一つしかなかったのです。

それだけ、やり残していました。

 

私は決心し、一番目をやります、と言いました。

そして、その後の事は覚えていません。

 

〜 抜粋ここまで 〜

 

かずなりさんのブログ

http://ameblo.jp/koukoujidai827/entry-10709102293.html

 

 

流れを見ても今の社会と構図は変わりません。

しなくてはならない事をいやでも選択を迫られ、大変な世界へ突入していくのです。

自ら選択したというより選択させられたという方が正解だが、微妙な感覚です。

 

人間界へ生まれた子供は選択の余地なく学校へ行くことになります。

 

人間社会へ生まれてきた魂は、何を学ぶのでしょうか?

 

何の為に?

 

人間社会は衣食住の環境は発展していると思われます。

しかし、心はどうでしょうか?

 

どんな「心の状態」がいいと思うのでしょうか?

 

様々な過酷な状態を経験し、それを包括した上で「平穏」な状態を保つ?

 

「綺麗な心」を皆素晴らしいと思うのではないでしょうか?

 

「優しくて思いやりのある心」を尊いと思えるのではないですか?

 

競争環境に置かれてしまってはゆとりが無くなり、自分の事だけで精一杯になりやすい。

 

その中で「自分を犠牲にしても思いやり」?

 

世界一幸せな国と言われているブータン、国民調査で97%の人が「幸せ」と言っているという事で話題になりました。

 

その調査方法、「とても幸せ」「幸せ」「あまり幸せでない」この三択。

 

「ふつう」だと思う人は「幸せ」を選択するしかないという誘導では?

 

デンマークは消費税が25%もあるが、非常に安定していて幸福度が高いと言われていたが、ドイツの安い食品を国民が購入するようになり、崩れてきているとか。。。

 

今、日本はテレビなどで盛んに、本当に気持ちが悪い位日本の文化と日本人の気質を褒めちぎる番組があり、今まではそんな事触れもしなかった番組まで番組中で取り上げるようになり本当に違和感違和感不快感。

 

確かに素敵な日本人や日本文化はある。

あるのだが、どのチャンネルを回してもこんな番組ばかりでは気味が悪い。

 

東京オリンピックに向けて外人旅行者が増えている為、日本人が忘れていた文化や気質を思い出してほしいという意図も理解はできる。

 

大義名分はあるだろうが、アベノミクスで日本の経済を復活させる?

 

三本目の矢が放たれ、現在着々と効果が出ている?

 

そう思っているのはほんの一部の人だけだと思うのだが。。。

 

テレビやメディア、国民に影響力のある情報発信側は

 

「日本経済は復活している」

「日本人の心は素晴らしい」

「日本の文化はおもてなしの心」

「日本は素晴らしい」

 

これは<大本営発表>となんら変わらないのでは?

 

「大本営発表、沖縄にて神風特攻隊 ”戦果大なり!”」

 

「日本国民は戦場で命を懸けて日本を守る兵隊さんの為に鉄や労働力を差し出しなさい」

 

「大日本帝国の方針に異を唱える者は”非国民”である」

 

・・・

 

戦国時代も同じように思える。

 

今の日本でも構図はあまり変わっていないように思えるのだが。。。

 

エアコンの無い時代は「うちわ」、鉄砲の無い時代は「刀」、使う道具が変化しているだけで社会は複雑怪奇に変化している。進化とは思いたくないのは私だけであろうか。

 

しかし人は「清らかな心」「思いやりの心」等の美談は大好きである。

 

田園風景が広がる田舎でゆっくりと暮らしている人もいる。

 

心は穏やかで優しい人も多い。

 

しかしそこへTPPという競争の環境を持ち込んで、穏やかな農家の人たちも巻き込まれて行く。

 

こうした社会の現状を今人間として見て実感して感じる事は、こうした環境の中で魂は何を学べと言っているのだろうか?と大きく疑問を感じている。

 

一人一人の環境で人生で起こる事に対して「運命」とか「予定されていた事」だとか「試練」だとか言うのはとても簡単だ。

 

しかし人間界で起こりうる大半の事に共通する事は「何の為?」ではないだろうか?

 

ここを明確に説明できる人に出会った事は無い。

 

かずなりさんもブログの中で言っているのは「とても幸せであったが、生まれ変わらなければならないと感じた」という義務感だ。

 

幸せを感じていた魂が、もうその環境が普通の状態になってしまい「飽きた」ので、何か刺激を求めて人間へ転生、という流れならまだなんとなく理解できないでもない。

 

私自身もそうではないだろうかと思っていた。

 

しかし違う人がいるのだ。

 

これが真実かどうかというと真実とは?という定義の問題から話が展開していってしまうので「こう感じた人がいる」というレベルで思っていてほしい。

 

今も日本は「大本営発表」の中にいるのでは?

 

と日々疑問はつづく。。。



 

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(13:50)

2015年02月06日

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働く、労働、色々な人にインタビューしてみたら「働くのが大好き」と答える人はどの位いるのか?

不満の方が多いのではなかろうか?


はるか昔は「王と民」という分類で資産保留率も2極化なんてレベルを遥かに超えた位差があったと記録されている。


そこから産業革命等で文明が発達し労働者が強くなってきた。

民主化という社会構造になってからも資本家と労働者は格差が大きい。


こうした問題は様々な視点から数え切れないほどの議論が行われ、書籍も生涯かかっても読破しきれないであろう。


なぜ働く?


働かなきゃ食べられないから。


こうした答えがとても多い。


働いてお金を儲けるのが楽しくて仕方がない。


こんな人もいる。


とある霊能者のブログでは、霊界は人間社会の事へはほとんど干渉せず、魂の成長の為に必要な出会いやトラブルを用意したりしているという。


もしこれが真実の霊界の姿だとしたら、人間界全ての人が同じように認識していたら?


寝る間も惜しんで医療の新薬の為に研究を続ける意味はある?


事故に遭い怪我をした人を1秒を争って救急医慮センターへ運び、命を助けるという行動に意味はある?


人間は生まれてくる前に魂のレベルで、自分がいつ頃どのような事故に出会うか決めて来るというのだ。


これは霊界のネタをばらしてしまっては医療関係者は茶番劇であろう。


霊界の事を知らないから成り立つ話なのだが、今ではブログであちらこちらにこうしたネタばらしが普通に書かれており、読んだことがある人は多いと思う。


後は信用するかしないかという個人の判断になっている。


もしも自分自身が怪我をしたり事故や災害で命を終わらせるという予定を立てていたという事が事実であるならば、その事を知らないで頑張っている医療関係者がいるという事を前提に事故に遭うという予定を立てていることになる。


こうした霊能者のブログの内容が広く社会に浸透していった場合、それなら24時間わざわざ待機しなくてもいいのでは?


新薬の開発も必要ないのでは?


田畑を耕して自分たちが食べる食事の分だけ出来れば問題ないのでは?


嵐や天候不良で不作、食料が無ければ餓死してもそこで餓死するという予定通りなら問題無いではないか?


という極端に時間を端折った書き方をしたが、最終的に野生動物と同じように自然のサイクルの中で自然に生きていくという展開もありではないだろうか。


すると情報という事が広く伝わらなくなり、記録も残らない、完全に昔の状態になると、霊界の仕組みを知らない人達は、もっと沢山食べたい、もっと暖かい家を作りたい、もっともっと・・・


そして「もっと」を広げるために人を支配して働かせれば自分は楽が出来て「もっと」の欲求を満たす事が出来る。


以下この繰り返しだ。


こうした無限サイクルの中で支配側にいる人は、いかに効率よく人を働かせることが出来るか?を考える。


「君たちが頑張ってくれたから我が社はこんなに業績を上げる事が出来た」

「素晴らしい!」

「人は宝だ!」

コッソリ(だからもっと頑張って働いてね。。。)

この構図の中で働いている人たちには、実は霊界という所があって魂と言う存在があるのですよ、でこれが何度も人間に輪廻転生という形で「愛」を学ぶために生まれ変わるのですよ。


だから人間関係で嫌な事があったりしてもそこにはちゃんと意味があるのだから、受け止めましょう、とくる。


人に嫌がらせをしたりされても反撃してはいけません、攻撃されても反撃しなければその分相手の「運」を頂けるのです。人を攻撃すると損してしまいますよ。


幾多の困難を乗り越えて仕事を頑張り人生を生き抜くと、魂のレベルが上がりより高次な世界へいく事が出来るのです。


「愛」の無い人は何度も人生をやり直して、そのたびに苦難を浴びせられるのです。勿論転生すると前世の記憶は消えているので、なぜそんな苦難があるのか本人には理由は分かりません。


だから苦しくとも、大変でも文句を言わず人を攻撃せずひたすら死ぬまで働いてください。


なぜ働くのですか?

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(01:39)

2015年02月03日

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イスラム国と呼ばれている国のテロ行為と人質事件は神の計画か?

 

チャネリングと呼ばれる方法で霊界からメッセージを受け取りブログに書いている人のメッセージを読んでみると、回答は非常に難しいとの事。

 

理由は、テロリストもこれまで権力で虐げられてきた過去から体制を覆そうと反抗しているという大義名分がある。

 

体制を覆されたくない権力者は更に強硬に石油であったり経済であったりを駆使して不満分子を抑え込む。

 

そしてそれに対抗して更なる強行に及ぶ。

 

この繰り返しは歴史上同様な事が繰り返されて来た「富の奪い合い」である。

 

今回のテロ人質事件は最悪の結末を迎えてしまった。

しかしここ10年位の間で、12名がテロリストに捉えられ殺害されている。

それだけでなく、現地へ取材に行き交通事故で亡くなってしまった人もいる。

 

こうした歴史の繰り返しをチャネリングでメッセージを送る霊界からは、

「安易にどちらが正しいとも言えない。見守るしかない。」

と言っている。

 

「見守る」

「〜しかない」

 

この表現はこれまで世界中で起こる事件等は全て「神の計画」と言っていた件について非常に違和感を覚える。

 

こういった計画だからこちら(霊界)に聞かれてもこうとしか言いようがない。

チャネリングでメッセージを送るレベルでは上層階の神の計画はよくわからない。とでも解釈が出来る。

 

丸めた紙に火をつけると燃え始める。

 

その熱で更に燃え広がる。

 

勢いよく燃え広がる。

 

紙が全て燃え尽きると炎は小さくなり消える。

 

根本原理と同様な事が社会でも起こっているのではないか?

 

 

生物が誕生する。(生物が生きる事が可能な環境が整い始める)

 

爆発的に生物が増えていく。

 

生物が世代を繋いで新陳代謝を繰り返し成熟していく。

 

社会が発展し、エネルギーが更に大きくなる。

 

地球上の土地面積、地下資源等限りある資源(富)を奪い合う。

 

争いも激しくなり、互いに消耗し生物の生息できる環境が減る。

 

生物も減る。

 

資源も使い果たし静かになる。

 

 

チャネリングに回答する霊界の方は、これからはもっと慈悲の心を必要とされる時代となる、と言ったりしている。

 

そう、争う者たちのエネルギー(気迫でも財力でも)があるうちは、激しくぶつかり合う。

 

均衡が崩れ、勝者と敗者が出るうちは次の争いが始まる為永遠に終わらない。

 

強かった者もやがて老いて世代交代が行われ、戦いの戦略は磨かれ、戦いは高度に激しさを増す。

 

そうして戦いは限界に向かう。

 

スポーツなら「ルール」がありゴールがある。

 

戦争ではルール等無いし、生きていた者は命が無くなる。

 

富の奪い合いでは際限なく欲は深い為、どれだけ富を集めてもまだ欲する。

 

日本の富の95%は人口の1%の人間が持っている。

 

アメリカでは富の98%を1%の人間が持っているという。

 

この1%の人たちが、更にかき集めようと欲をかく。

 

こうした数字には様々な見方が有る為、それは間違っているという指摘がいつもあり、結局論点がずれてしまうため参考程度にして頂きたい。

 

生物が誕生。

 

爆発的に増える。

 

資源を使い果たし減少する。

 

いなくなる。

 

だから、火星に移住計画を立て、現在宇宙開発を進めていたりもする。

 

先ほどの1%の人達は、地球で資源を占有し、労働力を使い技術を発展させ、次には別の星(火星)へ富裕層だけのユートピアを作ろうとしている。

 

イナゴの大発生と構図は同じであろう。

 

大量にイナゴが発生したので、我先に食事をしないと他のイナゴに食べられてしまう、だからその場の食糧が次に目を出して再生する為の・・・という事など考えている余裕が無い。

 

ガツガツ食べる。

 

その場の食糧が無くなると次の場所へ移動。

 

先に移動するイナゴがいる為、そちらには食料があると思いついて行く。

 

そして食料を見つけると我先に食べ始める。

 

後の事など知ったこっちゃない。

 

 

発展した国がある。

 

途上国を見つけると、我先に乗り込んで工場を作り安い労働力を使い高く売る。

 

その国の労働力の単価が高くなると一斉に引き揚げ、次の途上国へ大移動。

 

単価の高くなった途上国は発展成長する為、途上国へ乗り込む仲間となり更に競争が激しくなる。

 

先に発展した国が自分たちに有利なルールを作り、後から発展した国に富みを奪われないよう防御する。

 

それでも負けそうなときは軍事力が出てくる。

 

そうして争いは激しく過激にエスカレートしていく。

 

こうした生物の持つ本質的な行動により資源も精神も枯渇疲弊してくると、次に誕生してくる生命は、過去の歴史を見てバカバカしくなり争わなくなる。

 

それでも奪う事に一生懸命な者達もまだいるので凶行はつづく。

 

人間の体内でがん細胞が増殖し、体が生命を維持することが難しくなると生命の循環が行われなくなり、生命は命を失う。

 

過去の激しい争いを体験している者達は平和を「尊い」として思える為、争いを回避しようとする。

 

その平和な中で新たに生まれた人間は、争いを記録の中でしか知らない為平和の尊さも知らない。

 

皆、同じ構図だ。

 

戦国時代「天下統一」争いの無い社会をと戦い、国がまとまると他の国と国単位で争っている。

 

「世界政府」をと地球レベルでまとまると、今度は異星人との宇宙戦争?

 

グレイという寿命が900年もあるという1940年代から知られている異星人。

ロズウェル事件というUFO墜落の話から、様々な情報で溢れている。

 

このグレイという種族の科学力は物凄くて、これに戦いを挑んだ種族は一瞬で滅ぼされたという話もある。

 

エボラ出血熱の騒動でWHOという機関の人たちがアフリカへ行くと、知識のない人達は「神の怒り」と言っていたり、WHOの人たちが病原菌を送り込んだのだろうと疑ったりと大混乱であったようだ。

 

知らないと、それは未知の領域だから正確な対処が出来ない。

 

今現在地球各地で起こっている事件や様々な事、

 

「神の計画?」

 

どう考えても理解を超えている、理由が分からない、しかし不思議な一致が有ったりと神秘的。

 

だからこれは「神の仕業?」

 

大自然の法則と考える方が自然ではないだろうか?

 

フィボナッチ数列も神の仕業?


フィボナッチ1








フィボナッチ4














フィボナッチ2 








 
自然の法則はうまく活用し、富をかき集めるのではなくスムースに循環させる社会になれば今現在生きている人は素晴らしいと思うだろうが、人は物を食べ欲を持つ為次の世代にはまた混乱が起き、これを繰り返していくのであろうか。

 

資源や土地等の奪い合いが財力と言う階級社会を作りだしてきた。

 

価値観が変化し、物や土地等ではなく精神世界が広がる?

 

次は霊力等で差をつけて階級社会でも作られるのか?

 

霊力の強いものほど階級が高くなるとか?

 

そして指導者(支配者)が生まれて新たな戦いが始まる?

 

アホか。。。




 

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(01:06)

2015年01月31日

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iPS細胞を使った医療の革新が続いている。

これまで別々に考えていた病気も実は根本は同じ原因だと言う事も分かってきた。

 

高血圧や糖尿病、動脈硬化に癌、まだまだあるがこれら皆「T細胞」と呼ばれる免疫機構の司令塔となる重要な細胞が暴走した事により発生している。

 

世界中でiPS細胞を使った様々な研究が行われていて物凄い。

 

例えばマウスを使った「老い」に関する実験だ。

人間に換算して90才位のマウスと10才位のマウス、この二匹を手術で体をくっつけてしまい、血管をつないで循環させた実験。

 

年老いたマウスの体に筋肉が再生され、若い体にたった2週間で復活してきた。

 

脊髄を損傷して下半身がマヒしたマウスも神経のiPS細胞を使い歩き始めた。

 

まだまだ多数あるのだが、こうした医療革新を後押ししたのがノーベル賞を受賞した山中教授、様々なインタビューを受けて発言した教授の言葉の中に気になる事があった。

 

本来細胞は一度分裂変化したものは元には戻らない。しかしその本人の皮膚の細胞からiPS細胞を作り出して、病気の治療に使うのは素晴らしい、しかしどこまで再生していいものか?

 

調べれば調べるほど細胞は素晴らしい。

こんな凄い仕組みは「神」でなければ作れない。

 

神の作った生命にどこまで手を入れてもいいのか?

 

と。

 

再生医療の世界では必ずと言っていいほどこの「神の領域」という事がテーマとなる。

 

太古の昔海で泳いでいた魚がある日思いついた。

 

「おい、水からでてみたらどんな感じかな?」

 

「よせよせ、乾いて死んじゃうぞ」

 

「そうか〜?」

 

「おれがやってみる!」

 

こんな会話は無かったとは思うが、こうしたチャレンジャーがいた事は事実だろう。

 

思い切って水から飛び出して乾いちゃったやつ。

恐る恐る顔だけ出して様子をみていたやつ。

 

それからどの位時間が経過したかは分からないが、水の外で呼吸が出来るようになったやつがいた。

 

水の中を泳いでいた連中が

 

「おい、本来俺たちは水の中で生きている生命体だぞ」

「水から上がってしまったら体が変化てしまうではないか」

「それは神への冒涜だぞ!」

 

もちろん魚がそんな事を言ったりすることはないのだが。。。

 

地上へ上がった生物たちも様々変化していった。

 

藻や草を食べていたが、食料があまり無く腹が減りすぎて仲間をガブリ!

「ん?こいつ結構うまいじゃないか!」

 

肉食の生き物がこうして出来ていったかは定かではないが(笑

 

地上に飽き足らず、空を飛び始めたやつらも出てきて、もう何が何だか。。。

 

人類という種族がどうして出てきたのかは分からないが、こうした変化の過程で出てきたというのが現在の説ではあるが、宇宙人がDNAを操作して作り出したという話もある。

 

その人類は先ほどの魚達とは違い、意思を持ち考え、自らの体の中へ手を入れて病気を治したりしている。

 

その人類の体の特徴が生まれてから思春期までに次の子孫を残すための体の準備を整える。そしてその後は衰えていくという流れなのだが、この衰えを起こす原因が先ほど書いた「T細胞」によると言う。

 

勿論DNAにも分裂を起こす事の出来る回数に制限を付けたカウンターもあるので、永遠に分裂できず細胞も死んでいくが。

 

こうした仕組みの素晴らしさはやはり見れば見るほど感動してしまう。

 

こんな仕組みを誰かの意思が「作り出した」とすればその意思の持ち主は物凄いと尊敬してしまう。これを神と呼んだりもしている。

 

私自身も長年霊界の事を探索しているが、神という存在がどういったものなのか掴みきれない。神とはこうだ!としっかり定義づけている方もおられるが、それは人により違う為、100%信じる事はまだ出来ない状況でもある。

 

人間の特性として「分からないものに興味を持つ」、なんだか分からないから興味津々なのだ。

そしてちょっとでもそれが何なのかという片鱗でも見つけると、更に興味が湧いてくる。

 

全て判明すると「なぁ〜んだ、そうだったのか」と安心する。

 

女性も男性もミステリアスな人はもてたりする。

しかし結婚とかして全貌が判明してくると、熱も冷めてくる(笑

 

外見は普通だが、何か謎がありそうなミステリアスな異性は「素敵」に見えたりする。どんなささいなしぐさでもかっこよく見えたり魅力的に見えたりするのだ。

 

神の場合はスケールが大きすぎる位様々な領域を含んだ謎の存在と思われている。

 

だから、ミステリアスなので興味津々なのだ。

 

生命の神秘等を見せられると「流石、神は凄い」

 

到底無理だと思われていた事が、奇跡的に成功すると「神のご加護」

 

何でもかんでも凄かったり奇跡的だったりすると神なのだ。

 

つまり、まだ神という存在の事はよくわかっていないのである。

 

人間にも様々な考え方を持つ人達がいて、保守的であったり革新的であったりと変化進化していく事を望む人達と、現状のままが安定してよしとする人達。

 

水からあがった生物も素晴らしいと思える考えと、狂気的だという考え。

 

iPS細胞で老化を止めて若返る。

 

神への冒涜?

 

人生楽しくて楽しくてまだまだ沢山楽しみたいと謳歌している人は、老化防止大賛成であろう。

 

反対の人もいるだろうが。。。

 

事故で下半身不随になってしまった若者、スポーツを毎日頑張っていたのにある日を境に車いすが無ければ移動できなくなってしまう。

 

これは、神から試練を与えられた?

 

何かを学ぶために事故に遭わされた?

 

今までは、例えば下半身不随になるともう回復は100%無いという時代であったから、心を納得させるためには神を持ち出すしか方法が無かったのではないだろうか?

 

では、ほんの数十年前、「結核」にかかってしまった人。

 

神からの試練?

 

病床で何かを学ぶため?

 

現代では結核は不治の病ではなくなっている。

 

時代の変化と共に、神と言う存在の使われ方が変化しているのだ。

 

正体が分からない神、これはこれまでの歴史の中でも「凄い」とか「絶対的」な存在として「崇拝」されて来た。

 

だから、現在の時点でどうにもならない事は何かしら「神」と関係づけておけばなんとなく人は納得してきてしまった。

 

だからと言って「神」という存在は全く嘘とも言い切れない状況もあるので

ミステリアスなのだ。

 

魂という存在が絡んできて、文明を持った人間がなんとなく思ってしまう

「人が集まる組織があれば、必ず統治者がいる」という印象から、魂の世界にも統治者がいるのではないか?と自然に思ってしまう。

 

その統治者が神ではなかろうか?と。

 

これまで30年以上霊界の事を探索してきての今現時点での印象なのだが

肉体の人類とその肉体を利用する精神だけの存在、どうやら肉体の方が主な存在なのではないだろうか?

 

という方向へ傾いている。

 

霊界の魂も実は肉体を持つ人間がいないと何もできない、発展もしない、困っても霊界の他の魂は助けてくれない。

 

この事だけを強調すると非常に危険ではある。

 

人間時代に悪い事や人に危害や迷惑を加えたら魂になってから苦労したり、変な輪廻転生をしてきて次の人生で苦労するという話は全部嘘だったのか!

では、人間でいるとき欲望の赴くままやりたい放題でも構わないじゃないか!

 

こういった発想になられても困るのだ。

 

この仕組みも非常によくできていて、人がなんとなく思う事、気分がいい事、嬉しい事、この時に肉体から発せられる何かしらの「信号」のようなものがある。

 

これが快適な状況を更に作りだし、さらに気分よく過ごせる方向に繋がるという事は引き寄せの法則等でもおなじみで、大切な事である。

 

気分的に悪い事を行う、人に嫌がらせをしたり、盗み、強盗、暴行、無視、いじめ等他人がなんとなく嫌だと思う事をしたりされたりすると、そこに嫌な「信号」が発せられる。

 

すると同じような状況が引き寄せられ、新たに発生し益々嫌な環境になる。

 

明確に全ての人が「そうだ!」と分かるようにこの引き寄せの法則の現象化が見えれば全く問題が無いのだが、これがまた人によって分かりにくかったり気が付かなかったりするものだから、忘れてしまったり信用しない人も出てきたりする。その時の心の成長の度合いによっても感じるレベルは違うのだ。

 

魂のレベルになった時困るというような「脅し」に近いような文句で公明正大を言ってもそれは説得力が無かったりする。今の時代特にこうした話を聞かない、知らない、信用しない人も多数いる。

 

こうした法則に気が付いた人は、まずは自分の周囲の環境から快適にしていくという事が良いのだろう。

 

この世界は何度も書くが「陰」と「陽」のバランスがとれており、自分がどちらの世界で過ごしたいかを自分自身で決めていくのだ。

 

当然周囲に「陰」があるが、最近の社会情勢は本当に「陰」の勢力が増してきているように感じたりする。

 

もしかして日本という地域以外の場所で「陽」の世界が広がっているのかもしれない。

 

報道等で意図的に「陰」ばかり取り上げていると思っている人もいるだろうが、人間のレベルで「意図的」に操作しても最終的には自然の法則でバランスを取り戻す。

 

そのバランスが崩れて「陰」の勢力が増大してから「陽」の世界が復活してバランスを取るまでどのくらいの時間がかかるのか見当もつかない。

 

何百年何千年なのか、数年なのか、それにしてもそれまで人間の寿命が間に合わない可能性がとても高い。

 

だから、自分自身がこの生命を持っている時自ら「陰」の世界へ入り込んで生きるのか「陽」の世界で明るく生きるのかを決めていけばいいと思うのだ。

 

こうした考えもまだ発展途上だと実感しているので、まだまだ探索はつづく。

 

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(12:06)

2015年01月30日

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これまで魂は人間の肉体を利用して様々な経験を楽しんでいると考えていた。

だから肉体がもしアクシデントで死んでしまっても新たな肉体に入れば新しい体験が出来る。

 

しかしそれは肉体と完全に同化している為、命という感覚はまさに命がけでの体験であった。

だから様々なチャレンジも考え抜き、慎重にそして真剣に行った。

だからこの上ないリアリティというより真実そのものの体験である。

 

こうした考えが一段下に降りてきた。

人間の肉体にいながら他の人間の人生をコンピューターのバーチャルリアリティにて体験するといったテクノロジーが発達、2015年はその元年だとも言われている。

 

更に過去の人間の人生も「魂の図書館」というデータベースに保存されており、過去の人を選択すると、即過去の人の人生を体験できるようになると言う。

 

今、肉体が死んでしまった人の写真、動画、手紙等を人工知能へインプットし、生きていた当時の価値観、知識、記憶を蘇えらせるという研究がかなり進んでいる。

 

魂が肉体に入りその肉体の人生を体験しながら、バーチャル技術で更に他の人の人生を体験するという非常にややこしい状況になってきた。

 

これがまた進歩すると、今度は映画「マトリックス」のようにプラグを直接脳へ繋ぎ、完全なプログラムの中で体験なのか疑似体験なのか判断できない世界で生きていく事になるのだろうか?

 

そうすると魂はどうなる?

 

マトリックスのようにプラグで接続された体に入り込み、プログラムで体験する人生を楽しむ事になるのか?

 

もしかすると、もう既に今現在我々はプログラムだけの中にいて現実だと思い込んでいるだけなのか?

 

今考えるとマトリックスという映画は物凄く先進的に未来を見通した映画であろうと感動した。

マトリックスの映画の中の人類も、様々な社会環境を試して何度も滅亡を繰り返していたという場面があった。

 

何の問題も無い平和な世界を作り出したら、しばらくして人類が皆次々と自殺してしまい成り立たなくなったとか。

 

ネクストワールドという番組で最新のバーチャルリアリティーを特集していたのでリンクを貼っておく。この番組を見ていたら、本当に仮想現実の中へ人類が向かっていると言う事がよくわかる。










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(09:53)

2015年01月29日

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いつの時代も悪と定義される存在はいる。

 

もしかして神界と呼ばれる存在は地球上に発生した生物を利用して楽園を作ろうとしたという事は本当かもしれない。

しかし予定通りにはいかないのが自然界。

 

成り立ちは明確には分からないので、少し時間を早回しして考えてみる。

 

今でも日本の周辺にある「島」の暮らしは穏やかである。

外出するときにカギはいらない。

ドロボウがいないからだ。

 

2015年現在の人が暮らす街を見てみると、2重ロックのカギ、監視カメラ、セキュリティシステム、防犯パトロール、監視員等人々が「いやだ」と思える存在から何かを「守ろう」としている。

 

どうしてこうなった?

 

今の時代に「悪」と定義づけられた存在がいるからだろう。

 

今では気軽に監視カメラがそこらじゅうを録画し続けている。

何か事件が起こると、なにかしらの映像が残っている。

ドロボウや暴行、誘拐、事故等を監視しているのだ。

 

益々監視社会は厳しくなっている。

ネットの世界も同様でセキュリティの強化は当然であるし、セキュリティソフトも一般人が当たり前のように入れている。

 

一部上場企業クラスの会社が無料ソフトを提供すると、位置情報からどんなアプリをいつ入れていつ削除したのか、アドレス帳もごっそり持っていく。

アプリを無料で提供する代わりに個人情報をごっそり頂きますといった具合だ。

法整備が整っていなければお構いなし、モラルも何も無い社会になってしまった。

 

だから個人でも自分のデータや資産等を防衛しなければならないという状況に追い込まれる。

 

「悪」と定義づけられた存在が増大するから「防衛」を余儀なくされる。

 

「陰」(闇)の世界が大きくなるから「陽」(光)の世界は防衛をしなくてはならない。

 

もし神の世界が人間社会を作り、コントロールしているとしたら、なぜ「陰」の魂を人間社会へ転生させてくるのか?

社会情勢を厳しくし続けて、テロリストに捕まり殺害されるような社会を作りだし、そこから何かを学ばせようとしているのか?

 

そこまでひどい環境へ魂を放り込む?

 

厳戒態勢の「極悪人専用刑務所」へ悪いやつを入れるのと同じ行為だ。

そこまで管理しているとしたら、、、

 

やはり霊界はブラックでは?

 

もしブラックでは無く、自然の法則で「陰」と「陽」の魂が同じだけ転生してくる世界だとしたら、霊界の影響力もさほどでも無いという事だろう。

 

 

ある女性が20年もおかしな霊現象に悩まされ続けていたという。

そしてようやく霊能者に助けを求めてみた所、先祖の霊が困っていてそれを孫に訴え続けていたのが原因だと判明、2日で解決している。

 

先祖が子孫を20年も困らせ続けていた。

 

困っていた先祖は霊界にいる先祖に助けてもらえなかったのか?

どうして人間社会の霊能者が助ける事が出来て、霊界からは助けてもらえない?

 

結局、霊も人間を頼らなければならない状況にあるという事ではないか?

 

テレビや動画サイトでも「怪奇現象」関連のものが多数あるが、皆「人間の霊能者」が霊からの訴えを聞いてあげて成仏させるという展開である。

 

肉体を失って霊界へ行くという考えは否定しないが、肉体を持たなくなると逆に制限が多くなり何もできなくなるのではないか?

 

だから、霊としては自分たちの言う事を人間に聞いてほしいから「神」とか「偉大」とかという概念を人間に太古の昔から刷り込んで崇められるように仕向けてきたとも考えられる。

 

憑依(ひょうい)とか言って人間に憑りつく事は出来ても、結局人間に「除霊」されてしまう。

 

強大なエネルギーを発しているのは肉体を持つ人間であり、そこから発生する想念が何かしらの記憶のように残り霊界を作り出したのではないだろうか?

 

よく、子供は母親を選んで生まれて来るという話がある。

理由としては、そこに「学び」があるからだと言う。

では、何のための「学び」なのか?

 

虐待されたり放置されたり、酷ければ床に落とされ死んでしまう。

1才や2才で床に落とされ死んでしまう事にどのような「学び」があるのか?

 

泣き止まないからと言ってゆっさゆさ揺すられ、脳に障害を残し生涯訳が分からずヨダレを垂らしながら生きていく事にどういった「学び」があるのか?

 

学びの目的は何か?

 

魂昇段試験があり、厳しい人間社会の現実をクリアできると一つ上の世界へ上がる事が出来る?

そして上の世界へ上がると何がある?

 

大自然の法則で「美しい」と思えるような光景はほぼ全てが「フィボナッチ数列」で表す事が出来る。これ以上無いというほどの絶妙な並びになっていて感動する。

自然界はこうした自然の法則で成り立っている。

 

人間界と霊界の関係、輪廻転生、様々な事を総合的に考えると「とても良く出来ている」と感心することが多い。

様々な出来事が非常にうまく繋がり展開されており、よくできてるな〜〜と感心してしまう。

 

感覚的な事なのだが、自然界を離れた「霊界」の「誰か」が考え出した世界ではこうはうまく成り立たないように感じる。

それがとてもうまく成り立っているのは「誰かの意思」では無く「自然界の法則」だからではないだろうか?

 

自然界の中に「個」という感覚を持った人間は自然界を離れた「意思」を展開することが出来る。自然環境を破壊する事も行っているが、もしかしたらもっと大きな目で見るとこうした人間の動きも自然の法則の一部とも考えられる。

 

ライオン等肉食動物は他の動物を殺して肉を食べる。

食物連鎖だ。そこに罪悪感は無い、、、だろう。

 

人間もブタや牛を殺して肉を食べる。(一部宗教的に食べない人もいるが)

食べる人達は「おいしい!」と思いながら食べているだろう。

そこに罪悪感はあるか?

 

動物の種類によっては、子熊がいるとオス熊は食べてしまう。

だからオス熊が来るとメス熊は追い払い、子熊は木に登って逃げる。

 

人間は他の人間を殺すと「殺人犯」として「悪」とされ「投獄」される。

社会というものを作りだし、文化という感覚を育ててきた。

 

どこまでを自然の法則として見るかの視点の違いで、人間社会は自然の法則から外れているとも自然の法則通りとも言う事が出来る。

 

自然の法則に沿って人間社会を作り、文化を育て、同時に様々な経験の記憶を「魂」という保存方式で蓄積し、巨大なデータベースを作り出しているという考え方も出来る。

 

しかしそれでは時々人間界から出現し新しい何かを作り出す天才等、「神がかっている」と言われるような存在が「ハイヤーセルフ」とか言われる経験のデータベースから降りてきたデータでは考えにくい。

 

万年さんのチャネリングで爺さんが応えてくれる内容に、霊体は考える事は出来ず反応するだけという回答があるように、新しい何かを生み出す力は無いと考えるのがしっくりくる。

 

すると新しい何かを生み出すのは何か?

人間の脳ではないだろうか。

 

しかしここに最近は、人類は過去何度も文明が崩壊し、我々の文明は第一世代では無いという何ともややこしい説が出てきている。

遺跡から電子機器のような物が出土されたり、オーパーツと言って、その時代に合わない技術で作成された物の遺跡が発掘されたりしているというのだ。

 

まだ学術的にしっかり調査されていない状況のようなので、SF的な扱いではあるが。。。

 

もしも、もし今現在より進んだ文明が存在した事があるとしたら、その時の経験等を記録したデータベースには情報が残っているという考え方になり、現代の人が新しい事を閃いて革新を起こす事は以前栄えた文明時代の情報を取得していたという事になるのか。

 

こうなると時代スケールが伸びすぎて、確かな情報が少なすぎる状況になりこれまで構築してきた考えが根底から崩れ去る可能性もある。

 

それにしても、人間が過去に滅びた事があるとしたら、人間と言う肉体を神が管理していたとしたら、滅びてしまったら何にもならないではないか!

 

それこそ管理能力を疑う事態だ。

 

神界として管理できなくなり収拾がつかなくなったので人類をリセットしてもう一度やり直した?

 

それでは何度も滅びるまで暴走してきた魂は全然成長してないではないか?

 

結局、霊界からの影響力に付く疑問符の数が増えたというだけになった。

 

こうなってくると考えられるのが、目的を持った学び等というものは無く、ただただひたすら人生を経験し続けたいというだけではないか?

 

肉体を持たない魂に時間の概念は無く、地球上の人類が何百万年の間「繁栄」「滅亡」を繰り返しても、その繁栄を助け、人生を経験し楽しむ。この繰り返し?

 

今、社会はモラルが崩壊しつつあり、大企業でも法律の隙を突いて詐欺ぎりぎりのような事を行ったり、契約でがんじがらめに縛り人々から強制的にお金を集めたり、税金もどこへ行ってしまったのか足りないしと「そろそろまずいな」と肌感覚で伝わってくる。

 

皆がこうした感覚を持つから、そうした方向を引き寄せてしまうのかもしれない。

 

悪いやつがいなければセキュリティも必要ないのだ。

 

しかし必ず悪いやつは出てきて、人々に害をなす。

 

だから防御しなくてはならず、息苦しい社会となる。

 

それでも利益を上げようと巨大な企業は強引に動く。

 

法の隙をついて人を奴隷のように使い倒す。

 

働く人は自らを守らなければという考えを持つが、結局はパワーゲームなのでかなわない。

 

では、どうすればいいのか?

 

自らの意思「想念」で快適な環境を引き寄せる事は出来ないだろうか?

 

悪いやつという定義は人それぞれ違うだろうが、それぞれが「嫌悪感」を持つような相手や企業へはエネルギー(お金や思想)を与えない。

 

「いやだいやだ」と文句を言っていると、その状況を引き寄せてしまう。

 

その事を考える事自体、嫌な存在にエネルギーを与え、同調し、自分にその状況を引き寄せてしまう事になる。

 

拒否では無く無視、放置がいいのではないか?

 

私も教祖では無いので、具体的な方策は書けないが各個人の持つ感覚で「快適」と思えばいいし、「嫌悪感」を持てば近寄らない。

 

嫌悪感の中に自分を高めるヒントが、、、という話もあるが、何のために高めるのか?と言う自分なりのテーマが定まれば自然と見えてくるのではないだろうか。

 

非常にスケールの大きな、そして抽象的な内容になってしまったが、霊界や人類という世界はとてつもなく大きい。

簡単に「これが答えですよ」と言えない世界である。

 

くれぐれも安易な答えに執着しないで頂ければ幸いである。
 

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(11:30)

2015年01月28日

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「うまくいく時はとんとん拍子だ」という事を聞いたことがあると思う。

音楽のようにはっきり分かるリズムでなくとも、いいタイミングで素敵な事が起こり、これ以上ないというタイミングで嬉しい方向へ人生が進むことはある。

 

逆の事も当然起こっている。

 

音楽の好きな仲間とセッションやライブ等を行っていると、ギターソロの時自分の気持ちがノリノリである時など特に信じられないほどいいフレーズを弾く事がある。

 

後で録音を聞いて、あの時どうやって弾いていたのだろう?と思いながら自分の弾いたフレーズをコピーしてみたり(笑

 

仕事でも、客先へ電話したタイミングがよく、ポンポン話が進み、即決まる、そんな仕事の時は後にクレームに繋がる事はほとんど無い。

 

無理やりねじ込んだ仕事等は後でトラブルが頻発しクレームが続く。

 

リズムだ。

 

乗っていれば、途中で気を抜かなければ最後まで決まる。

 

こうした現象は体験している人も多いと思う。

なぜこうした展開になるのだろうか?

 

運がよかったから?

 

霊界からのコントロールで成功まで仕組まれていたから?

 

リズムに乗るという感覚は言葉では説明不可能である。

実際に体感した人だけに分かる感覚である。

 

はっきりした理由は誰も分からないが、こうした現象が起こる事があるという事は体験した人には間違いなく知っている。

 

プロゴルファーも上手い人と一緒の組でプレーすると自分もいいスコアが出せると言う。

ミックスアップといって互いが高め合う現象だ。

 

ゴルフも同じ組の人がミスショットした時舌打ちしたり文句を言ったりすると気持ちが濁る。

気分よくプレーが出来なくなるために、集中しているようで実は自分のプレーに集中できていなかったりする。

 

最初に打つ人が池にポチャ!とやると、次々池にダイブ!という連鎖もあったりする(笑

 

リズムというのは、自分一人だけで作り出せるものでなく、何かを一緒にやる人達との連携で発生するのだ。

 

昔から使われて来た戦略で、何か重要な決定をする会議の前に、協力者を準備しておく。

議事進行する人が「この案でいかがでしょうか?」と問うと、待機していた協力者が真っ先に「賛成です!」「是非やりましょう!」と声を出す。

すると周りの人もつられてその案に乗ってくる。

 

次々賛同者が現れると、だんだん場が盛り上がってくる。

心理作戦だ。

 

これは意図的に行われた場合なのだが、ゴルフや音楽等自然発生的に互いを高め合うと皆も引っ張られて集中力が増して来る。

 

自然発生的でも意図的でも気持ちが盛り上がり、皆の意識が集中すると事がうまく運んだりする。

 

こうした現象を見て「運」が良かったとは言えないだろう。

 

霊界からのコントロールで皆が動かされた?

これも違和感を覚えるがまだ今の段階では断言できない。

 

 

「よりによってこんな時に。。。」

 

と悪い事は続いたりする。

実は良い事も続いているのだが、良い事が続くと怖くなることがある。

 

「こんなに良い事ばかり続くわけがない・・・」

 

そう思ったら良い事はそこで終わるのだろう。

 

思った通りである。

 

しかし分からないのが、幸せだと物凄く実感している直後にどん底へ突き落される場合である。

こうした劇的な変化を体験してしまうと人はその理由を求める。

 

「なぜこんな事が起こるのか?」と

 

あまりにも理不尽な出来事に「もしかして呪われてる?」とか。

「前世で何か悪い事でもしでかした報い?」など。

 

霊能者に相談してみると、色々な答えが返ってくるだろう。

それで納得して理不尽な出来事を受け入れ、心が落ち着くならそれも正解だろう。

 

このブログでもずっと輪廻転生を深く探っていたが、やはり魂と言う何かしらの個性をもった意思はありそうだし、それが人間と言う生き物に乗っかり人生を経験しているのであろうと推測している。

 

前世での約束を今世で果たそうという思いもありそうだ。

運命的な出会いをして幸せになっている人も数多い。

 

だがそこに義務は無いと思われる。

 

歩く道に石は転がっており、落とし穴もある、飛び出して来るものもあれば落雷も落ちる。

 

怪しいと思ったとき、危ないと思った場所、近づかない事が重要だろう。

 

守護霊が守ってくれたと思われる事もあれば、神も仏もいないのかと思われる事もある。

ここにカルマが関係しているとしたら、それは考え方であろう。

 

怖い物見たさもあれば、嵐が来ると海を見に生きたくなるという人もいる。

吹き荒れて波が大きくうねる海を見ているとワクワクしてしまうそうだ。

 

一般的には事故に遭遇してしまうだろうと思われるこの「台風の時嵐の海を見に行く」という行動は考え方によって発生する。

 

どれだけ注意していても防げない事もある。

会計事務所の社長はとてもまじめで、規則正しい生活をしていた。

体に悪いと言う事で酒もたばこもやらず、健康的な食事を心がけ模範的な生活をしていた。

しかし41歳の時癌でこの世を去ってしまった。

 

家族を乗せ、安全運転していた車に酒酔いで運転していたトラックが突っ込み、家族は全滅。

 

全滅した家族の魂は何を経験したいと思ってこの世に転生してきたのか?

事故を経験したいと思っていたとでもいうのか?

残された親や親戚は悲しい思いを体験したいと思い転生してきているのか?

 

霊界という言葉から連想される事は、いい印象を持つことが多いと思う。

現象として人間社会に起こっている事を俯瞰(ふかん)して見てみると、そうは思えない事も数多い。

 

霊界は光の世界とよく言われているが、光も暗闇が無ければ光としての存在も無い。

光の世界が愛で明るく、より明るく輝けば輝くほど「闇の世界」もおおきく広がる。

 

心霊スポットと呼ばれる場所があるが、霊界の事を知っている人ほど安易に近寄ってはいけないと言う。これは私も同感である。

 

知らずに行ってしまったりすると、そこは悲しみの念で覆われていて背中、首筋から後頭部にかけて冷たいものがゾクゾクと走り回る。

心霊スポットとは言われていない場所でも途中で歩けなくなってしまった事もある。

気が付くと全身から汗が噴き出しており、背中から頭の天辺まで冷たい何かがゾクゾク走り回っていた。

 

「ここはやばい!帰ろう」と思ったら体が動き、向きをかえ引き返す事が出来た。

そしてしばらくはゾクゾクが消えなかった。帰宅する頃には消えたが、二度と行きたくない場所である。

 

こうした世界からの何かしらの「念」が送られてくる事もあるのではないだろうか?

光の世界から助けられたと思える事もあれば、恐怖を感じる念もある。

 

良い事がとんとん拍子で起こるミックスアップも人間の肉体だけの特性でなく、魂レベルでの響き合いもあり、光の世界からの導きもあるかもしれない。

 

逆に「よりによってこんな時に・・・」の時も闇の世界からの引きずり込もうとする何かしらの念が働いている可能性もある。

 

良い事が立て続けに起こる為には「気を抜いてはいけない」が悪い事が起こる時は「気を抜いている」場合が多いのではないだろうか。(私の経験上実感として思う事だが)

 

悪い事が起こる時もいい事が起こる時も全て霊界に理由があって、みずから経験しようと決めて生まれてきたという説もあるが、生まれる前の状態を鮮明に覚えている私の息子の話からはそのような計画があったという話は無かった。(これが全てでは無いとは思うが)

 

私自身を霊能者が見て言った事は「沢山の事をやろうと計画してきた」という。

何が見えたのかまでは教えてくれなかったが、はずれでは無いように思える(笑

 

計画を持って転生してきた人もいれば、人生を楽しんできなさいと言われて転生してきた人もいる。割合的にどうなのかは見当もつかないが。

 

今の段階で言える事は、気分自身の気持ちを変な方へ向けない事であろう。

怖いもの見たさで意識を向ければ、そちらへ引き寄せられる可能性も十分ある。

 

引き寄せの法則の本でも皆揃って言っているのは「いい気分でいる事」だ。

 

嫌だと思える体験は消し去る事は難しいが、記憶だけ残ってもその時の「感情」は捨て去る事が重要だと思う。あくまで他人事のように第三者の目線で見るようにして過去の嫌な出来事に「執着」しない事だろう。

 

そして「気を抜かいない」事。

 

これまで霊界の事を探索してきたが、自分の気持ちの持ち方が霊界の影響力より強い事とでも言うか、自分の意思を向けた方へ霊界が力を貸してくれるのではないだろうか。

全てが霊界からコントロールされているという考え方は腑に落ちない。

 

怪しい世界へ興味を持たず、危ない所へは近寄らない。

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(12:20)

2015年01月25日

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前世からのカルマのせいで、とか先祖の怨念がとか恐れる事は不要なのではないか?

様々な宗教やスピリチュアルの活動をしている方々、霊能者の方等皆「カルマの解消」又は「業」とかの重要性を語っている。

果たして本当にそんな因縁のような物が残っているのだろうか?

以前もこのブログで探索してが、前世等で人間として生きている時にカルマを背負いこんでしまった、だから今そのカルマを解消することが必要だという話の展開だ。

前世でも今世でも人間として生きて生活している事には変わりは無い。
しかし、その生き方考え方が原因でカルマを背負いこんでしまうという現象が起こると言うのであれば、人間を沢山やった魂ほどカルマを背負いこんでしまうリスクが高いのではないだろうか?

輪廻転生で生まれ変わる時、前世でのカルマを背負いこんだ原因や失敗例等をしっかり覚えていて、今世では同じ過ちを犯さないようにしようと気を付けるのであれば、確かにカルマは解消されて行くだろう。

しかし生まれると人間は前世の事を忘れてしまう。
更に失敗した事もその時の考え方も忘れているが、考えの元となる性格は忘れていない可能性がある。
考え方の癖とでも表現するのが正しいか分からないが、基本的に同じような性格では同じような失敗を繰り返す事は可能性として非常に高い。

カルマの本質とは何か?

前世で戦国武将であった魂は戦場で多くの人と戦い命を奪ってきた。
その結果今世では怪我や事故が多いのです、と霊能者が言う。

これはどういうことか?

戦闘の結果「人の命を奪った」という自責の念が残り、それがカルマとなるのか?
それとも「命を奪われた人」の恨みの念が残るのか?

何方にしても「念」である。

戦闘で戦って斬られてしまった人は斬った相手に呪いの念を送るのか?
斬られたその怪我が原因で1年後に亡くなった場合、斬った相手は特定できるのか?
大混乱の戦場で兜をかぶり顔や名前の認識等は非常に困難であると思われる。
それでも魂というレベルになると相手を特定できるのか?

過去に多数あった怖い話、体験談等に出てくる「人を探している幽霊」はどういう事?
車のフロントガラスに無数の顔が出てきて「こいつじゃない〜」とか探し回る浮遊霊はどういう存在なのか?

どういった経緯でカルマと呼ばれる状態になり、それはどのような判断基準なのか?

当時の価値観で「理不尽だ」と思うような事がカルマとなるのか?
それとも霊界の独特の判断基準によりカルマとなるのか?

思い違い、勘違い、こうした状態でもカルマとして残ってしまうとなると、その念をかけられた人はいい迷惑である。

自殺はよくないという事は昔から言われている。
命の無くなる過程が印象として強く残り、その苦しい状態を永遠に繰り返してしまうから、と言われている。

とある霊能者のブログでこういった事が書かれていた。
戦国時代、戦いに敗れた武将は「切腹」をさせられる。
これは形式的には自殺だが、当時の価値観で周囲から迫られてやむなく行った事、これも自殺となるのか?

結果、形式はどうであれ自殺には変わりがないので、その状況を霊となっても永遠に繰り返すと。

また、今生きている人を戒めるのが目的では?と思われるような話もある。

今ホームレスをしている人は、前世で大金持ちで、、、とか。
前世で徳を沢山積んだので、今世では運がいい、だから「陰徳」と言って人に気付かれないように良い行いをするのが良いとか。

まだ多数あるが、こうした話は人間としての目線で考えると非常に納得できるし心が乱されてしまった人が心を落ち着かせるためには聞こえがとても良いと思われる。

しかし価値観が違えばその年代でいい事とされたことも迷惑な事になる可能性もある。

徳を積んだ人は本当に運がいいのか?
運がいいとはどういった状態なのか?

太平洋戦争の頃、1つの部隊が全滅しそうになり一人だけ助かったとう話がある。
その後日本へ帰還すると、当時の価値観では「最後の一人まで戦うのが軍人の務めではないか!」と責められたこともあった。
ヒソヒソ「一人だけ逃げ帰ってきたんだよ」と陰口を言われ、非常につらい思いをしたであろう。
戦場から一人だけ生きて帰ってしまったとう自責の念に押しつぶされて自殺したという話もある。

平成の今の時代では戦争では無くても「よくぞ生きて帰ってきてくれた」と歓迎されるのではないだろうか?

御巣鷹山で墜落した飛行機で奇跡的に生き残った少女は、本来購入した席ではなかった。
機内で他の人に席を変わって欲しいと依頼され、最後尾の席へ移動した事が生還に繋がったと言われている。
今の価値観ではその少女は「運が良かった」と思えるだろう。

戦場から生きて一人だけで帰ってきた人は「運が悪かった」と思ったかもしれない。

その時は「運が悪かった」と思える現象も、しばらくしたら運悪くと思えた出来事が今の成功につながったという事もある。

瞬間だけを見た場合、JAL123便に予約をしていながら乗らなかった人もいた。
著名人は公開されているだけでもこれだけいた。

明石家さんま
舛添要一
稲川淳二
逸見政孝(民法アナ)
逸見晴恵(逸見ファミリー)
逸見太郎(逸見ファミリー)
逸見愛 (逸見ファミリー)

こうした事故を回避出来た人は「運がよかった」と分かりやすい。

こうした「運」という存在も、何の根拠も無く大昔から言われて来たとは思いにくい。
昔の人々も、何かしらの体験から思った事が集まり「運」という表現になったのかもしれない。

では、徳を積むと運がよくなるのか?
これは前世と今世という違う人生を「あの世」を経由して繋げる話なので、信憑性は低くなる。

「あの人は運がいい」きっと前世で「善行」を行ったに違いない。
こう昔の誰かが言った一言が、多くの共感を得て「きっとそうだ、そうに違いない」と広まる事はよくある。

伝言ゲームだ。

今一般的に言われているカルマやその解消の事等も、確実に言える事は少ない。
私は霊能者でも無いし何かしらが見えているわけではない、しかし霊能者と呼ばれる人たちは何かが見え、そして言葉を発する。
これがどうしてカルマでありその解消が必要なのだと見えてるかは分からない。

霊界は「陰と陽」のバランスであり、それがそのまま人間界にも展開されていると思われている。
今人間界で悲惨な事件が多く目につくが、これはもしかして「陽」の世界が広がっているからそのバランスで「陰」の世界も広がっているのではないだろうか?

霊界でも「陽」ののエリアにいる魂達はより陽の世界へ導きたくてメッセージを送り、それに必要なサポートをしているのではないだろうか。

そして同時に「陰」の世界でも同じことが起きており、何とか引きずり込もうとしている勢力も存在する。

人間一人一人の性格も違うし考え方も感じ方も違う、その人間に入っている魂を「陽」の世界へ導くためにそれぞれのメッセージが発せられるから霊能者と呼ばれる人たちが受け取るメッセージも矛盾が起きてしまう結果となる可能性が考えられる。

つまり霊界の見識について矛盾があろうが何であろうが、それらは聞く人個人にとっては全て正解であるとも考えられる。

陽の世界を体験する為には陰の世界も同時に存在しなければバランスが取れない。

しかし誰しも陰の世界は体験したくないと思いつつ、何かの拍子に引きずり込まれてしまう。

結果悲惨な事件に巻き込まれたり事故に遭ったりしてしまう可能性が高いと考える方が腑に落ちる。

人間としての日々の生活で運がいいとか悪いとか前世に問題があってとか考えていると、もしかしたら陰の世界へ足を滑らせるきっかけになるかもしれない。

カルマの正体ははっきりとは分からないが、どちらにしても「念」「想念」「思い」「考え方」「癖」という心の中の事であろう。

だから、そちらに意識を向けるのではなく先人たちが「よし」とした考えを取り入れて「気にしない」というのが一番の対策なのではないだろうか?

それでも誰かの「恨み」のような想念に運を邪魔されるのであれば、それはもうカルマどころの話では無く「呪い」というレベルではないだろうか。

そう感じるのであれば、呪い返しの「護符」を身につけたり、信頼できる霊能者の力を借りて迷っている魂を成仏に導いてあげる事が対策としてよいのではないだろうか。

そこにも「陰側」の霊能者等に引っかからないよう気を付けていく必要があるだろう。

高額な費用を請求したり何か高額な物品の購入を促されたりは気を付けた方がいいと思うがいかがか?

これは霊能者自身が言っていたのだが、霊能力とは自分自身の能力では無く、霊界の協力者としての霊が力を貸してくれるから人間界でも霊とのコミュニケーションが図れるのであり、人間を助けるために選ばれたので出来れば無料で行いたいがそうもいかず少額の報酬を頂いているという話もある。

そう言いながらしばらくしたら高額なセミナーを始めたりしているので、なかなか信頼することが難しい所はあるが。。。

それにしても「カルマ」という言葉に振り回されず、まずは自分自身の精神状態をしっかり保ち、気にしないという事がまずは重要であろう。

最近誰もが言うように「引き寄せの法則」は自然界にいつも存在しており、自分が色々な現象を引き寄せているという。
何か気になる現象が起きた時、それは果たして「カルマ」なのか「自分自身の考え方の癖」から引き寄せてしまった事なのかと考えてみる。

考え方の癖が引き寄せるのであり、その癖がカルマだと思われるとするならば、自ら考え方を変えて行動してみるといった方法がカルマの解消という事に繋がるのではないだろうか。

霊的な何かが自分に蓄積されてそれが今の人生に悪さをしているという事ではなく、考え方の癖が残っていてそれが同じような現象を引き寄せているだけである、要は考え方次第である。

変な現象を引き寄せない為にも気になる現象が起きた時、考え方をおさらいしてみて「もしかして!」と思う事があれば変えていけばいいだろう。


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(22:35)

2015年01月21日

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霊界や神界等ホントか?と疑問を強めると、ネット等で次々とその疑問に「本当ですよ(愛)」のような内容がとても多く目につく。

暖かく包み込む愛もあれば、厳しくあたるのも愛といった内容がある。
そして、悲惨な事故や災害等で意図せず人生を終わってしまった無念の残る人達の事、社会情勢がひどく虐げられている人達等ひっくるめて全て修行であると言う。

「〇〇の為」というテーマ。

人の為、社会の為、自分の為、国の為。
魂の修行の為、カルマ解消の為、高い次元へ昇る為。
生活の為、彼女の為、親の為、子供の為、見栄の為。

全て目的が明確にある。

何故か人間社会は他人を「支配」したがる。
現代社会でもあからさまに企業が人を支配している。

企業は業績を伸ばす為、過酷な業務を指示する。
嫌なら辞めてもらっても結構。
仕事が少ない今、仕事を求めている人はいくらでもいるから。

管理側と労働側のせめぎ合いだ。

だがそれでもブラック企業と烙印を押されると人が集まらない。
閉店に追い込まれた店もかなりある。

そんな社会環境でも自分に自信が無く、特にアピールポイントも無いと思っている人は過酷な仕事でも受け入れてしまう。
また、ようやく難関を乗り越えて入社したりすると、親や周囲の祝福もあり会社の内情が悲惨でも我慢していたりする。

何の為?

人それぞれ理由が違えど何かしらの目的があるから悲惨なハードルも乗り越えようと頑張ったりする。
その仕事は「人の為になるのか?社会の為になるのか?素直に素晴らしいと思ってもらえるのか?」
そうではない理由もあるだろう。

経営側はとにかくコスト(支払分)を減らしたい。
人はとにかく安く無限に働かせたい。
下請け業者はとにかく安く叩きたい。

こうした経営側の思いの元では業務は悲惨になる事は見えている。

スピリチュアルの世界では視点が違う為、こうした悲惨な状況とは考え方が違うという。

自分の心に怒る事が多ければ、更に怒りたくなる事がやってくる。
引き寄せの法則で言われている。

悲惨な事故等で身内を亡くした人も相当数いるが、これにもスピ的に理由が有り、前世のカルマが、、、とかそこが本来の寿命(運命)だとか。
魂となった故人は既に成仏していて、素敵な世界へ過ごしていると。

悲惨な環境も「魂の修行の為」だから。。。

まだまだ多数あるが、これらをまとめると、

魂としてのあるべき姿があり、その特性になるまで様々な厳しい修行を人間界で行う。

ん?ちょっとまった。

誰が魂としてのあるべき姿を決めたのか?

神界の神?

それとも神等本当は存在しなく、自然現象でそういった方向へ向かおうといった法則が働いているだけ?

スピ的な話では常に「神の計画」なるものが言われている。

神という「意思の持ち主」の意向で方向性が決まっており、その方向へ向けられると。

そして人間は霊界の記憶を封印され人間としての意思だけで生き、そこで修行を行っていると。

霊界の記憶を封印されている人間にとっては肉体が命そのものであり、その命を失う事は最大のショックだ。

それなのに、霊界の決める「魂のあるべき姿」になる為に、その肉体の命を失うという経験をさせられている?

また、自らが人間として起こした行動の因果を自分で刈り取る事も必要とされ、知らない先祖や他人のカルマまで背負いこんでしまう事もある経験も「魂のあるべき姿」になる為?

霊界の意思に沿う為に「命を落としたり、子供を奪われたり」といった悲惨な経験もさせられる?

それって、、、神界はブラック?なんてものじゃないのでは?

実は「神は独裁者で自ら作り出した分身をひれ伏せさせ、独裁者の感覚を満喫している」のでは?

本当に霊界が何を目的としているのか、「個」として意識を持つそれぞれの人に何を求めているのか?

悲惨な経験をするからこそ幸せな感覚を知る事が出来る、という考えもある。

その幸せな感覚を味わいたいが為に、人間界に悲惨な状況を作り出して自分の分身である「個」の人々を送り出している?

自分は「個」という意思を持っているという感覚、これも作りだされた幻想?

それならばと思ってしまったら、愛や平和な世界を目指す事が大事という事も肉体の命という感覚を「人質」に取られた支配に過ぎないのでは?

このブログのようにここまで深く疑問を持たない人達は「なんとなく思う」事に惹かれて動くであろう。

何気ない毎日の出来事に幸せを感じたり、ニュースで見る悲惨な出来事に心を痛めたりしながらも家族の為に夕飯を準備してみたり。


しかしこれは肉体の「命」というものを霊界が「利用」して様々な出来事から体験しようとしているのではないか?

肉体の「個」へ「意思」を載せれば確かに様々な体験は「個」として体験できる。

しかしその体験をする為に利用された「肉体の命」としては現実的に物理的にたまったものではない。

肉体に乗っかってくる魂は何度も輪廻転生してきても、その時に存在する肉体は同一ではない。

これらの事を考えていくと、現実的な「個」としての感覚で感じる「矛盾」が徐々にほどけてくる。

神界としては「神が全て」と思ってもらいたい。

神の意思として様々な経験をしたいから肉体を利用してその肉体が死のうが怪我しようがお構いなし。

ある霊能者は「神様は人間の願いなど叶えない」と言い切っている。

想像もつかないような形態の生命体もいると言われている。

魂と言われている生命体もそのうちの一つで、大元の管理者(神)が持つ目的(経験)の為地球と言う惑星に発生した人間という肉体の生命体を利用し好き勝手に様々な事を行っている。

もしこれが真実の姿だとすると、今こうして考えている自分自身も魂という生命体の仲間である事になる。

本当に神と呼ばれる大元の管理者から分離した同一成分だが「個」という感覚を与えられた生命体なのか?


現実的に私自身は、支配下に置かれ命令される事を極端に拒む。

こうした性格からなのか、悲惨な事で命を落としたり悲しい思いをする人達を見て「神の計画」等という言葉を聞くと猛烈に反発心が湧いてくる。

人間と言う生命体を魂と言う生命体が利用して様々な事を行っていると思われる事は、もう少し掘り下げる必要がありそうである。




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(10:44)

2015年01月20日

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スピリチュアルの世界では、「欲を無くす」という言葉がキーワードの一つになっている。

何か欲しい物が有ったら、欲しいと執着すると欲しているその状態が叶う為、手に入ったというイメージを持つことが大切と。

霊能者と呼ばれる人達が皆同じように言っている事は、欲望が無い状態なら霊感が働く。

宝くじの番号もいい当てるという霊能者は宝くじを買わない。
お金を得ようとすると当たらなくなるという事らしい。

無欲になると霊能力が冴える。
欲が出ると霊能力は力を貸してくれない。
欲と霊能力は相反する位置にあるようだ。

これらは皆「我欲を無くすと平和になる」というメッセージのように聞こえる。
そのままストレートに言っている人もいるようだ。

現実の人間社会は「我欲の競争」である。

国という単位で世界を分割し、税金という仕組みで他人の分まで仕事をし、働かなくなると家を追い出される。
否が応でも仕事という競争社会へ出て行って他人と争わなければならない。

大きな会社で一部門の仕事、例えば「研究開発」等を行っている人は、直接的な競争の場にさらされる事は少ない。
しかし、他社の開発に負けないよう競争している事には変わりない。

いかに安く消費者に受け入れてもらえる商品を作り沢山売るか。
買ってくれる人が少なければ外国へ売りに行く。
外国の競争相手に負けないように物価の安い国の人を使って安く製品を作る。
その結果物価の安かった国は仕事が増えて豊かになっていく。
人件費が上がってくるとまた人件費の安い国へ工場を移動してそこで製品を作る。

とにかく競争だ。
奪い合い。
都合が悪くなると戦争を起こしてでも自国に有利な状況を作り出そうと皆必死だ。
この社会は「奪い合い」と「競争」で成り立っている。

この地球に生きている限り、この仕組みが崩壊するまでは生命を維持しようと思ったら競争に参加しなければ生きていけない。

日本と言う国に生きている人は、自分の見える範囲で判断し、自分が豊かであるか、もっと豊かになる為にと考える。
水道すら無い国をネットやテレビ等で見ていても、遠い世界の話なので比較基準は隣近所だ。

同じ会社の社員同士、その奥様方、皆「見栄」を張ったりローンを組んだり大変である。
サラリーマンは給料から税金や保険など無条件で持っていかれるのできっちりルール通り法を守る事になる。
だから政治家などがルールを守らないと、それは怒り心頭である。

結局社会全体に「あそび」が無くなってきたので、息苦しくなっている事は確かだ。
それでも法の隙間をうまいこと抜けている連中もいる。
しかしきっちり法を守る事を強要されている人たちは、それを許さない。

そんな追い詰められた社会の中で、豊かさを求める事は非常に難しい。
精神的にそのような余裕も無くなっている。

そんな中、旦那さんが奥さんが浮気等しようものなら完全IT装備の探偵の出番だ。
生涯を誓い合った二人は敵同士となり裁判で財産を奪い合う。

心身ともに疲れ果てボロボロの状態でスピリチュアルの世界に出会い、今回の騒動は前世でのカルマが原因だと言われ愕然とする。
そして心のリハビリを行いながら時間が傷を癒してくれるのを待ちながらスピリチュアルの本を読みふける事になる。

見栄を張ったり欲を持ちすぎると、執着となりそこからまた逃れられなくなる。
だから欲を捨てる事が肝心だと思い、心穏やかになろうと瞑想したりパワースポットに足を運んだりもしてみる。

最近の若者は「欲が無い」という話がとても多い。
彼女はいらない、車も不要。
スマホがあればそれでいい。
出世も拒否、結婚、マイホームなど考えた事も無い。

草食男子という言葉まで出現してくるほどあっさりしている。
それでも少しは野獣のように激しい若者がいたりもするが、これまでの自分の周辺では少なくなったと言う印象は確かにある。

欲が無ければ「豊かに」という目標も無い。
高級な家も車も時計も服もといった昭和の感覚と言ったら異論が出るかもしれないが適切な表現が見つからないのでこう書いておく。

こうした欲の無い人々は、対極にあると先ほど書いた霊能力を発揮したりする事はあるのだろうか?
これもあまり話は聞かない。

現在霊能者であると言っている方々からすると「いやそういうものでは無い」と言われるであろう。

最近のテレビ番組では「日本は凄い」という内容が非常に多い。
海外の人から見ると日本は実はこんなに凄いんだ、という内容だ。

誰かがその方向へ誘導しているのだろうか?
日本に住んでいる人たちは、毎日の暮らしは当たり前になっている事が多く、凄いとも思っていなかったりする。
電車は秒単位で正確に走る為、5分も遅れるとイライラしている人が目立つようになる。
そんな国は他には無い。

でも日常と違う状況が発生すると密度が高い社会となっている為、影響が即他へ広がってしまう。

そんな海外から見ると凄いを言われる国に生きていて、豊かであると実感しながら毎日生活している人はどの位いるのだろうか。

スピリチュアルの世界で言われている「欲を無くす」という方向性は、どの角度から捉えたら活きてくるのだろうか。

一生懸命、がむしゃら、モーレツ等、目標に向かって突き進むという行為は今の所それほど否定されてはいない。
むしろこんな若者が減ったと嘆いている位だ。

食事にしても40年程前の自分の頃と比べると、食べる量がとにかく少ない。
本当に大丈夫なのだろうか?と心配になる位食べないし、激しい運動部にいながらその同級生も食が細いのだ。

精神的、肉体的にも最近の世代の若者は以前とは種類が違うように感じてしまう。

止まった状態の振り子を動かそうとする時、最初はとても大きな力が必要になる。
動き出すと少ない力で振れはどんどん大きくなる。
しかし時間が経過すると、振れは段々小さくなる。
丁寧に手入れをしても劣化という現象があり、サビが発生したり振り子の糸が切れたりする。

生命の一生も同じ経過を辿り、国という社会も同じように成長し衰退していく。

その途中経過で自分のいる周囲を見渡し、比較し、豊かだ貧乏だ正義だずるいだと思ってしまう。

こうした環境に生きている人間は何を感じ経験する為に輪廻転生してきたのか?
前世で人の命を奪った人はその償いを行う為に転生してきたという霊能者もいる。
自ら命を絶つと、長い間転生も出来ず大変な目に遭うとも言っている。
戦国時代、追い詰められて「切腹」した人も自殺と同様だとも言っていた。
そうすると安楽死も自殺と同様の目に遭ってしまうという事だろうか。

欲を無くして人の為に生き、喜ばれる事を生きがいとすると言った事をスピリチュアルでは推奨しているように感じる。

否が応でも競争社会へ繰り出されて、税金や見栄やローンに追い回されている人たちは人に喜ばれるために欲を無くすという方向転換が出来るのだろうか?

こうした過酷な現実社会を実は魂の修行の為に作り出してあり、霊界は管理しているのか?

人間社会の管理と比較してみると、ちょっと面白い事がある。
大きな組織になればなるほど、管理している上層部は現場の事が肌身で分からなくなるため、とんでも判断をすることがままある。

学校の部活等で監督が学生にきついトレーニングをやらせているが、どれほどのものか自分の現役の頃を忘れているので、熟練監督ほどトレーニングはきつくなる。

ある高校野球の生徒たちの会話で、あまりにキツイのでランニングロードの途中の橋から飛び降り自殺したくなる事がしょっちゅうあるという。
甲子園常連校という強豪高校での話だ。

管理している側は、現実がどれだけ過酷なのか分からなくなっているという事はある。
また現場で修行している人間が限界を超えて失神するとニヤニヤしていたりと少々ずれているのでは?と思いたくもなったりする。

霊界が人間界を修行の場として作り、そこへ若い魂を送り込んで鍛え上げる。
限界を超えて人間の肉体が死んでしまったら、はいもう一回生まれ直し。
限界を超えて肉体から逃げ出したら、懲罰房へ1000年入っていなさいという感じだろうか。

そんな過酷な環境で人の為に生き、喜ばれる事を目指す事が目標?

もしこれが本当の事だとしたら、皆大変な修行を行う同士だ。
もっと目的を共有して、何回も生まれ直しをしないよう協力していこうという流れになるのだろうか。

でも生まれ直すと当初の目的など完全に忘れ去り、現実社会の競争に打ち勝つ方法を子供の頃から叩き込まれる。

で、ボロボロになりながら競争に明け暮れる。
そして何かショッキングな事が自分の身に起きて、霊能者に「実はね・・・」と生まれる前の目的を教えてもらったりするのだろうか。

しかしその霊能者にも偽物というか、動物霊という言い方をするようだが人を惑わし財産を奪おうとする霊能者もいたりして真実に辿り着けなかったりもする。

さらに前回人間だった時に失敗したり間違えた判断でおこなったツケを今世で払わされる?

もしも、もしも本当にこうした世界だとしたらいやはや皆様ご苦労様。

本当に自分も含めてお疲れ様という事になるだろう。

そして今悪事を行ったり、他の人に迷惑をかけているひとは因果応報という事で、来世で苦労してねという事か。

これは真実であると実証することは出来ない。

覚えているのは今生きている時だけの記憶なのだから、前世でひどい目に遭わせた人が今世悲惨な目に遭っている状況を見て「あぁスッキリした」という事にもならない。

だから人からの迷惑を許すという事はとても決断のいる事であり大変だ。

仕組みが分からないからこそ、決断が重くなるのであってそれが成長に繋がるという感覚。

だから霊界の事はわかるような、しかし確信も持てないようなというあいまいな状況となる。

このテーマを追っていると結局ここへ辿り着いてしまうという事か。。。



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(00:34)

2015年01月15日

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今回は少々経済や社会の方面から霊界との関係を考えてみる。

もうすっかりニュースにも出てこないグリーンピア。
厚生年金国民年金等は好き勝手に使われて98%以上無くなってしまっている。
公務員の共済年金は順調に運営されている。

今年厚生&国民年金の運用は50%が株式運用になるそうだ。
この事を総理が海外でスピーチしているおかげで海外投資家が日本株を買い、株式上昇に一役買っている。
(テレ朝、そもそも総研からのデータ)

今年初めの「朝まで生テレビ」でのパソナ会長竹中氏の発言
「派遣社員と正社員、同一労働同一賃金と言うのであれば、正社員を無くせばいい」
本音が漏れてきました。
日本国民総派遣社員、派遣会社のパソナとしては悲願の状態でしょう。

未だに多重派遣、偽装請負等で社会は混とんとしている。
一部上場企業も子会社を作り、そこで働く人を「業務委託」として従業員のように働かせている。

茶太郎さんのブログでも書かれている「情報統制」
アメリカの威厳を保つ為、ウクライナの件でアメリカに反抗したロシアに経済的制裁を加える為、原油価格を下落させる。
結果ロシアは大打撃。同時に石油の利益でイスラム国として今増殖中のテロ国家も打撃を受ける。

ちょっと書いただけでもうんざりするような内容ばかり。
こうした内容は書き始めたら終わりが無いほどいくらでもある。

それでも日本という国はある程度管理され、非常に苦しく未来が見えない状態でもなんとか生きている状態。
他の国をみれば更に悲惨さは目を覆うばかり。


結局弱肉強食の構図は変わってはいない。
戦争という過去の悲惨な出来事は日本人が直接目に触れる事は無いが、周辺の国の不穏な動きは見え隠れしている。
海外では毎日のようにどこかでテロが発生し、人が命を落としている。
日本では目立たないが自殺者は世界第13位とかなりの数である。


こうした社会が我々人間の生きている環境である。

この厳しい環境の中で何かを学ぶために人間に輪廻転生してきているという考え方。
宗教と言う存在も同様である。

何か社会を管理している人間たちにうまいこと利用されているのではないか?

社会が厳しいのは魂の試練の為?

いや、人間と言う生き物が豊かに快適に過ごすためには豊かさをサポートする人間が多数必要。
豪華な住宅も建設する作業員、設計者、建築資材を作る会社、高性能な資材を作り出す研究者、純度の高い水を作り出す水道局、照明や便利な機器を動かす発電所、まだまだ書き始めたらいくらでもある。

清潔で快適なプールを庭に作れば、それを毎日清潔に清掃管理する人間が必要。
どうしても豪華な暮らしを求めれば、それを支える豪華でない人達が必要になってくる。

では格差の無い社会主義の世界にすれば、、、過去の事例で分かる通り怠ける人が続出し結局崩壊。

今歴史が判明しているだけでも過去から様々な人間の生き方を実証実験しながら人は暮らしている。

厳しい暮らしをしながら豪華な暮らしを支える人々は、何を思いながら生きているのか?
人には共通して「生きがい」を求める心がある。

要は考え方だ。
つつましくも暮らしながら子供の成長を生きがいとしている人もいるだろう。
趣味を生きがいとしている人もいる。
生きるのに精いっぱいでそんな事考えてる余裕も無い人がかなり多いのではないだろうか?

そうした欲求不満を解消できるのはお金のかからない「考え方」である。

厳しい暮らしも魂の試練。
悲惨な暮らしになってしまったのはカルマのせい。
きっと前世で何か悪い事を。。。

納得がいかない理不尽な事に対して自分を納得させるのに霊界の存在はもってこいではないだろうか。

魂が輪廻転生して何度も生まれ変わっているという事はこれまでの探求でも分かってきたように事実であろう。
しかし、そこに目的があるのか?

本当に転生してくる理由に何か目的があるのだろうか?

単なる自然現象で転生しているだけという事は考えられないだろうか?

これは非常に究極な2局的な考えであろう。

どちらが正しいと考えるかによりその後の行動は劇的に変化する可能性がある。

もしも、輪廻転生は単なる自然現象で修行や何かの目的等人間か勝手にこじつけたものだとすれば?

モラルなど吹き飛んでしまいかねない。
やったもの勝ち、結局「力」の強い物の勝となる。
ネイティブインディアンが古くから住んでいた土地へイギリス人が乗り込み、アメリカ合衆国を作りだした。
相当数のインディアンが命を落とし、土地を奪われているが、勝った方の理屈になる為、新規開拓のアメリカである。

社会では巨大企業がテレビ局へCMとして資金を提供する為、企業の不正はなかなかテレビで切り込まれる事は無い。
ネットの力が強くなっているので、勢力図に変化は出始めているが。

では、本当に輪廻転生してくる理由に魂の修行やカルマの解消等目的がしっかりあるとしたら?

どれだけひどい目に遭わされても、それは原因が自分に有る為受け入れる?
家族の命や財産を奪われても、前世になにか理由があり因果応報とかで納得する?
戦争などが始まってしまい、自分の子供が戦地で命を落とす事になったとしても仕方がない?
レイプされ、望まない子が出来てもにっくきレイプ犯の子供でも何か理由があるから大切な命として育てなければならない?
管理者に奴隷のように働かされても、修行なので厳しくて当たり前?


あまりにも圧制が続き国民の不満が臨界点を超えると何かが変わるという歴史は繰り返している。

修行だと受け入れていれば革命等は無いであろう。
奴隷制度のままの社会だ。

修行でないなら革命を起こして社会を変えていこうという活力になる。

政治コメンテーターの田原総一朗さんが言っていた。
アメリカの共和党と民主党の違い。

共和党政権になると小さな政府として自由経済が活発になるが格差が進む。
つまり超大金持ちとホームレスが増える。

民主党政権になると規制が増えて経済が窮屈になる。富の再分配が増える。
結局、社会構造の格差が大きくなれば民主党が勝ち、経済が弱ると共和党が勝つと。
数十年をかけて綱引きをしている。


さて、これを読んでいる方々はどう捉えるであろうか?

結局霊界の事や宗教、輪廻等様々言われている事に矛盾が多すぎるためにこのブログは探求しているが、答えを出す事は非常に困難であり正解など無いかもしれない。

どちらか一方の思想にはまりすぎると、これまた大変苦労してしまいそうであろう。

理不尽な事に遭遇してしまった時、人はその理由を探し、納得したい。
そして行きつくのがスピリチュアルな世界という事は多いだろう。

しかしそれが絶対正解か??

完全に違うとも言い切れない。

まだまだつづく。。。




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(13:17)

2015年01月11日

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浮気という行ってはならないとされる行為。

江戸時代の日本人は性に対して物凄くおおらかであったと記録されている。
昔の価値観だから、と言われるとその通りであろう。

やってはいけない行為。
しかしネットの相談コーナーには浮気に関する相談が溢れている。
浮気を専門とする探偵業も成り立っているほどその数は多い。

誰も浮気を表立って肯定する人はいない、、、
ん?いや「浮気は文化である」とか言った人もいたか。。。

まあそれはごく一部だとして一般的には肯定されないし法律というルールでも罪とされている。

しかし様々な状況の流れから浮気に発展してしまう事はある。
そして悩む。

悩むのだがやめられないという人もいる。
そしてばれて泥沼に。。。
子供がいれば巻き込まれてと批判しようとするポイントは事欠かない。

しかし、この浮気を肯定する霊能者もいる。
視点を変えてみると、まるで違う考え方が出来てしまう。

では霊界視点で見てみる事にする。

人間社会とは魂が様々な事を経験する為にある。
戦争など悲惨な事を知っているからこそ平和という事が大切だと思える。
幸せを実感する為には不幸な出来事の存在が必要となる。

こうした極論的な考え方からすると人間として経験する為のアトラクションという考え方も出来てしまう。

もっと個人に近づいて考えてみる。

霊界の事を色々調べてみると、輪廻転生で何度も人間に生まれ変わっているとされている。
前世で縁があったが一緒になれなかった男女が生まれ変わって一緒になろうと堅い約束の後、、、というドラマがありそう。

そして生まれ変わると前世の事は忘れているが、何かしらの感覚は覚えている。
だから職業もなんとなく前世と同じような事をしている人が多いとか。

前世で約束した相手に出会えなくても毎日の中で素敵な相手と意気投合する事もある。
そしてそのまま結婚。

年月が流れたある日、もしかして前世で約束した相手に出会う事もあるかもしれない。
その瞬間、理由などなくその相手が頭から離れないという事もあるかもしれない。

そして自然な流れで愛し合う事になる事もあるだろう。
結果、善悪感情としては浮気という「悪い事」になるのかもしれない。
法的にも罪だ。

しかし、男女の感情は法律では消すことは出来ない。
理性では分かっていても感情がそれを上回る事は十分にあるであろう。

互いを愛し合うというこの感情とは一体どういったものであろう。
理屈抜きに感覚としては幸福感である。
この幸福感を得られるためなら何でもする。
人間の感情とはこうした部分も持ち合わせるであろう。

昔の社会では「忍ぶも愛」という言葉もあるように、愛という定義は広い。
それでも忍ばずに「駆け落ち」という行動もあった。

幸福感情を実感したために人間社会的な苦しい生活を強いられたりもした。
逆に人間社会的に周囲を納得させる政略結婚等で虚しい生活を強いられる事もあった。

愛というテーマの為にこうしたあらゆる障害が存在することもあり、こうした障害を乗り越えれば乗り越えるほど絆も深くなるという効果もある。

霊界視点で見た時、なんとも多様で挑戦しがいのあるアトラクションではないだろうか。

こうした霊界的な視点で見た時、浮気という概念はとても重要な経験という考え方も出来る。
などなど考えると、何が何でも浮気はダメよ〜ダメダメと否定も出来ない?

ではやってもいいのか?
いや〜それもいいとは言えない。
でも感情が爆発?

実際の所、浮気相手と結婚して上手く行ったという話は少ないのではないだろうか?
何かしら相性が合わず、離婚した後に出会った人と再婚して「運命の人」と思えるという事もある。

表立って世の中に出てくる話は、結局浮気して再婚しても上手く行かないという流れが話題性としてうけるので多いのでは?とも思える。

浮気後結婚して円満な状態の夫婦からはなかなか話は出てこないと思う。

こうした話は最終的に白黒はっきりと決着がつくと安心できる。
しかし、それぞれ浮気でもその内情が違うので一概に言えないほど幅は広い。

自分自身も過去にお付き合いした女性、実は前世で夫婦であったと思われる事もある。
その時の私の父は、現世では祖父であった。
など、今現在縁のある人は前世でも縁のあった人という可能性は非常に高い。

「縁」があるという事は、縁なのでこれがまた不思議な点でもある。

出会いは衝撃的で運命の人と思い、数十年暮らした後価値観が変化し離婚している夫婦もいる。
美女と野獣という不思議なカップルもいる。

なにかしらの「縁」なのだ。

やはり霊界の事情を重ねて人間社会を見て、起きている現象を説明しようとしても矛盾が基礎となって成り立っているのであとは「解釈」だけなのだ。

解釈のしかたで悪にも善にもなってしまう。

激しい感情に見舞われても時間が経過すると、そのエネルギーは低下して「いい思い出」となる事もある。

浮気と言う人間社会的に認められない行動だが、感情は抑えきれない時、どうすればいいのか?
これまで書いて来たように「正しい回答」は無い。
全ては自分の「解釈と判断」とう事になるであろう。

霊界的にもしかして前世で浮気をされてひどい目にあった経験があり、自分をひどい目に遭わせた相手が現世で自分の浮気相手のパートナーかもしれない。
どうにもややこしい話だが、これでは単なる復讐であり「愛」がテーマの行動とは一味違う。
また、生まれ変わる前にこの浮気相手のパートナーとの打ち合わせで、「今度は私が浮気をされる番よ!よろしくね」という打合せがあったか?

結局魂のレベルで「愛憎劇」を楽しんでいるだけでは?
因果応報とも違い、打合せ済みの行動という事になると、どこかの劇場で上映されている映画のワンシーンという感じだろうか。

では人間社会だけの視点で全てを解釈し判断すればいいではないか、という考えもある。

しかしこう考えるには霊界からの影響として不思議な現象が人間社会に起こりすぎており、今現在の人間も霊界の事への理解が進んでいるという現実もある。

だからこうしたブログもあるわけで、まだどこまで霊界の理解が進んだのかさえ分からない状態では手探りで進むしかない。

結果浮気でも「思い悩む」事があってもその結果人間を放棄し霊界へ帰ってしまうとう選択はつまらないと表現した方がいいのか、まずい事と捉えればいいのか断言できない。

それでも今、霊能者と呼ばれる人たちが多く言っている事は、

「命を終えるときこの世に未練を残すと、その感情のまま魂になる」
「成仏できず、その時の感情のまま永遠にさまよう事になる」
「だから霊界へ帰る時には、天寿を全うし未練を残さない事だ」

と。

今回の内容は、ふと思いついて書き始めた。
きっと誰かこの内容を必要としている人に読んでもらうために私が依頼されたのではないだろうか。

人生を真剣に悩めば悩むほどリアリティが高まり素晴らしい世界になる。
しかし一人で悩み過ぎて、人間社会から離脱しないで天寿を全うしてほしい。

そんなことを思いながら今回はメッセージ色の強い内容になってしまったが
最後までお付き合いいただきありがとう。




本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!


ちょっと気分を変えて、もう少し気楽にブログを書いてみます。
こちらにも更新していますのでよろしければどうぞ!
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こんなスピリチュアル的な小説も書いて見たりしています。
「前世の記憶と約束」
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(16:50)

2014年12月28日

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今生きている人間の感覚として、生まれ→成長→成熟→死という流れは自然の流れとして認識している。
スピリチュアルの世界では「魂」の成長という考え方を取る人も多い。
経験を積み、成長する。

このブログでは常にテーマとして「何の為?」と探求している。
生身の人間としては何か目的があると一生懸命に頑張る事が出来たりもする。
それは「ご褒美」が有るからだろう。

また、その過程での「充実感」だったりもする。
結果はどうであれ頑張ったという充実感を大切にする人もいる。

こうした人間としての感覚が心の中に当然のように有る為、魂という「意識」も「成長」という考えを適用していくのも自然な流れであろう。

魂は輪廻転生していて、何度も人間に生まれ変わり、そして完成形になってくるともう転生してこなくなり、後輩の育成の為にサポート役に徹する。
人間界の肉体的な感覚をそのまま当てはめて考えるとこうなる。

では、何の為?

この考え方の基本ももしかしたら肉体的な人間の考えを当てはめた思考かもしれない。

動物でも人間でも若い頃は何にでも興味津々であったりする。
それが中年以降に一通り経験し、全体が見えてくると「ま〜そんなもんだ」と落ち着きを見せたりもする。
そして後輩のサポートや子供の面倒を見たりして、老年期には笑顔で見守っていたりもする。

この考えを霊界に当てはめ、守護霊としてサポートしてくれるのは。。。
という人間的な感覚で見ていたりする。

自然界の仕組みとして、電子顕微鏡で覗いても見えない世界ほどの極小の世界で、陽子の周りを電子が周回していている。
という何度もこのブログで登場した考え方では大きさの単位の違いだけで、基本的に構造は似ているという見方がある。

動物の肉体を生命として維持する為に血管が張り巡らされ、血液で栄養他必要な成分が運ばれ、不要なものも運ばれという構造。
日本という国の単位でも、道路網が張り巡らされ、車や列車等で必要な物資、廃棄物等が運ばれ経済活動という生命を維持している。

どれも基本構造は似ていて考え方は同じである。

こうした考え方を適用して霊界の構造を考えた時、人間社会の構成は霊界の構成と似ているのでは?という見方が出来る。
そうすると、人間が魂に置き換わっただけなので、成長もあれば成熟もある。

魂は輪廻転生して何度でも人間になる。
人間の肉体も死後、焼失したり土中で朽ち果てたりして地球の資源に還り、再度人間の肉体を構成する成分になる。
違うのは「意識」が「記憶」していないという肉体の特徴だけ。

魂が「生まれた」と考えると、最初の魂とはどういった経緯で生まれたのか?
これは可能性があり過ぎて、ひとまず保留。

今回のテーマである魂の成長という事に絞り込んでみよう。

もし、今も新しい魂が生まれ続けているとしたら?
若い魂と成長した魂、熟成した魂等があるかもしれない。

若い魂は人間界に生まれて来ることが楽しくて仕方がないといった感覚かもしれない。
何を経験しても目新しい事ばかりで、何でも挑戦してみたい。
人間1回の人生だけではとてもじゃないが時間が足りない。

人間の感覚からしてみると、地球は広い。
沢山の国があり、人種があり、男性があり女性もあり、経験してみたい事が多すぎる。
だから何度でも輪廻転生。ひたすら転生。

数百回も転生してくると、1回の人生に使った年月を50年平均して考えても、数千年にもなるかもしれない。
これは、肉体の死後に即転生してきた場合だが、間が空けば更に年数は多くなる。

今現在人間として生きている人々を見てみると、80才を過ぎても精力的に動き回り、挑戦し続ける老人。
ん?もしかしてスピリチュアル的に考えてみると、魂はまだ若いのかも?と思えたりする。
肉体的に20代でもやけに落ち着いていたりすると、魂的にはもう成熟しているのか?

私も人間として今、日本という国にいて経済活動の中にいたりする。
はたまた、経済活動等関係なく、山奥で「仙人」のように暮らしている人もいる。

人間への転生回数がまだ少なくて、人間社会に興味津々な魂は、人間に生まれてきてもその世界を体験するのが面白く活発に活動する。
様々な事や物等に興味がある。

転生してくる理由はどうやら様々魂ごとに異なるようなのでそこは、そうなんだとそっとしておこう。

自分自身の人間での経験から考えてみて、若い頃興味があった趣味等も今では「飽き」が来て、やらない事がある。
若い頃は、食事や寝る時間も忘れて取り組んだこともあったが、あの情熱はどこへ?

表現として人間が丸くなるという言い方がある。
ある程度の事等、多めに見て許してあげたりと「こだわり」も減少しているという表現が適切かは人それぞれだろう。

まとめてみると

人間への転生回数が少ない魂が宿る人間は精力的。
ある程度転生回数が多くなると、落ち着いて見えたりする。
もう転生自体も飽きてきたという魂が人間界へ生まれて来ると、経済活動にも趣味にも異性にも興味が無い。

山中で自然と共に生きていたり、先進国に生まれてきたらホームレスでいたりするかもしれない。

転生回数が多い魂の方が「上」とかそういった順位づけも関係ない。
人間も先祖から脈々と肉体の生命を維持し続けてきているのだから、これは順番だけである。

前にテレビ番組で島田紳助と松本人志のトーク番組で話していた事があるこの転生回数。

紳助「よう列にならんで順番待ちしている時、割り込んでくるやつおるやろ?」
松本「はい」
紳助「あれは転生回数1回目やぁ〜(笑」「人間の事よぉ〜知らん、だから仕方ないんやぁ〜」

とても印象に残っており面白く的確な表現でもあると笑った。

喧嘩や衝突、色々トラブルもあるが、レベルが似ているか同一同士でなければ争いは起こらないと言われている。

幼い子供の行動や発言に本気で怒る大人は少ない。
イヌがワンワン吠えてきても、人間でワン!と吠え返す人はいないだろう(笑
「やかましい!」と一喝するかもしれないが、本気で四つん這いになり喧嘩する人間はいないと思う。

レベルが似ている相手だからこそ争いが起こる。

転生回数の多い魂の乗っている人間は、寛容である。
これは私の勝手な見解である。

こう考えて世の中を見ていると自分の中に怒りが湧いてこない。
穏やかで過ごすことが可能になるのだ。
見下しているという事でも無いので、ここは注意が必要だろう。

他にも穏やかで過ごすための考え方等も多くの書籍が出ていたりセミナー等もあったりする。

以前コメントを頂いた方の内容で、何も悪い感覚の事だけをカルマと言うのではない。
という言葉がとても印象に残っている。
興味のある事、やりたいことという欲望もカルマと言えると。

カルマの解消は義務では無く、欲求を満たす行為であるのではないだろうか。
こう考えると様々な事にすんなり入っていく。

人間が映画という架空の世界をスクリーンに映し出した中に入り込み、楽しむ。
映像や音に加えて最近では、振動や香り、風等も出てきて4Dとか言われているようである。
子供の頃は「ママごと」や「お医者さんごっこ」等でその世界を疑似体験して楽しんでいた。

このブログ第一部の終わりは、魂はこの人間世界を楽しむ為に来たという事で終わっていた。

様々な経験をし尽くした魂はその後どうなるのか?
「神界」を作ったり発展させているかもしれない。
他で言われているように、地球以外の惑星へ転生して新しい世界を体験しているかもしれない。

人間界の経験をし尽くしても、人間界では文明が進歩し、新たな技術等で新しくなってまた転生してみたいと思うかもしれない。
文明の進んでいない国へ転生し、そこの発展の為に活躍するかもしれない。

肉体の寿命を迎えた時、ようやくこれまでの記憶を取り戻すかもしれない。
自分自身が細かい事に拘(こだわ)り過ぎていたり、行き詰ってしまったとしても、もしかしたらこうした転生のからくりがあり、その結果が今の現実かもしれない。

カルマとは欲求の塊であり、飽きるまでやりつくせば解消となる。
拘りも言い換えれば欲求なのだから、飽きるまで拘ればいいだろう。
解消する事が目的では無く、欲求を満たしたいという事が目的なのだろう。

いつでもすぐ美味しい食事が食べられる環境にいれば、ありがたみが薄れる。
欲しい物がすぐなんでも手に入れば、喜びもそれなり。
嫌がらせをされたり、欲求に向かう事を邪魔されたりすれば、それを乗り越えて欲求を達成した時の喜びは更に大きい。

自分一人でゴルフコースを回ってもつまらない、いいスコアを出したりロングパットに反応してくれる人がいると面白味が増す。
いつも自分よりいいスコアで回る人を上回るスコアを出したとき、相手が悔しがる姿が快感になったりもする。
ギャラリーが見ていて、歓声を上げてくれるとプレッシャーが大きくなると同時に感動や楽しさも大きくなる。

人間一人では大した感動や経験は味わえない。
他の人がいるから経験も面白くなる。
今回の人生が上手く行かなかったから、途中でリタイアして転生し、やり直せば?
いやいや、自分一人ではなく皆で面白い世界を作っているという事を忘れてはいけない。

今回の人生を作り出すために、親や兄弟、友人等としていてくれる魂の仲間がいる。
簡単にゲームから抜け出したら、残された人達がつまらない。
自分が欲求を満たして楽しむ為には他の人を楽しませてあげれば、自分も楽しめる。

人間の感覚として霊界の事を考えてみても、全てが明らかになると実は人間社会は成り立たなくなるのではないか?
しかしそれでは霊能者という存在が様々な霊界の事を明らかにする理由は一体どこにあるのか?
人間として生きるのに霊界の能力を活用して仕事を成功させている人もいるとなると、どこまで解明して活用できるのか?と。

未だ霊界の事を全否定する人もいるからこそ、今の状況でも成り立っているのか?


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(11:38)

2014年12月03日

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霊界の仕組みが解明されつつあるのだが、霊界から人間界への干渉はどの程度行われているのだろうか?

霊能者と呼ばれる人が以前話していた現実で起こった事象について考えてみる。

スクーターで移動中の事、対向車線から車がスクーターの方へ突進してきた為、自分は車と正面衝突の形となった。
衝突した瞬間超高速度カメラの映像のように周囲の動きがゆっくりとなり、またゼリーの壁のような物が自分の周辺に出来て体は飛んでいるのだが車には直接当たらず、飛び越える感じで着地し、結局怪我はしなかった。

別の霊能者の体験
車の助手席に乗せてもらい移動中、やはり事故に遭い、物凄い衝撃を受けたのだが全く怪我はしていない、やはりこの時自分の前にゼリーのような壁が出来て何処にもぶつからずに済んだと言う。運転手は半年入院が必要となったほどの大事故であったと。

これは私自身の体験だが、ブラインドカーブ、結構急なカーブで道幅は車同士がようやくすれ違えるほどの狭い道、センターラインも無い所を走行中、なぜかカーブ直前で減速し一旦停止した。ここはいつも使用している道路の為、いつもは止まることなく通過する道だ。交通量もあまり無い。しかしその日はなぜか止まってしまった。その直後、見えないカーブの先から猛スピードで車が出現した。もしあそこで止まっていなかったら完全に正面衝突のタイミングであった。

ちょっと体験談という形で3例ほど書いてみたが、年代も地域も違う所に住んでいる霊能者2名が言った「ゼリーのような壁」という物理的に人体を守ったという例、そして私の「なんとなく」という感じで思考的に信号?を送り守ったという例。

総合的に「守ってもらった」という印象を持つことだろう。

「〜してもらった?」

もしこれが霊界の住人が行った事だとしたら、どういう事なのだろうか?

霊界から人間界へ干渉出来るという事になる。

もし干渉出来るとしたら、人間に霊界の存在をアピールしたいのだろうか?

霊界の存在を隠したい、が事故からは守りたいと考えるのであれば、そっと干渉して事故になるタイミングをずらせば済むことであり「守ってもらった」という印象も持たないであろう。

他にも似たような話は多数あるが、霊界からの干渉は出来ると仮定して話を進めてみよう。

前回も書いたのだが、人間に生まれて来る前にどのような人生にするのかという計画があると言う。

現状人間社会を見渡すと、様々な生活をしている。

華々しい活躍、豪華な生活、超多忙なビジネスマン、サラリーマン、学生等からホームレス、海外を見てみるとマシンガンを持ち殺し合いをしている人たちもいれば食料が無く餓死する子供もいる。

こうした多種多様な世界で様々な事を体験する事により何かを学習するという表現はしっくりこないが体験の中から何かを得るという事を霊界からやってきた魂は行っているという仮説がある。

「かみさまとのやくそく」という映画でも実際の子供たちの証言から、子供は母親を選び、父親も選べる、だから生まれる前に子供が両親を出会わせ、結婚に導いていると言うのだ。

人の出会いから結婚までを生まれる前の魂の状態の子供がプロデュース出来る?人間界に干渉、コントロール出来る?


一般的にマーフィーの法則という人間が経験的に「そうそう」「あるある」と共感できる言葉の中でも言われているが、悪い時には悪い事が重なる。
この言葉に「そんなことは無い!」と言い切れる人は数少ないのではないだろうか?

これは自分自身が発している悪いという雰囲気の波長が更なる悪い波長と同期して引き寄せるとも言われている。

しかし人間に生まれる前に「〇〇才になったらこうした事をやろう!」とか魂自身の精神的に足りない所を体験して成長する為に敢てつらい経験が予定されている事もあると言う。

どこまで干渉してくるのか?

どの様な計画を立てているのか分からないので、その先に何が待ち受けているのか分からない。

例えば「借金取りに追い回されて大変な状況で、予定していた誰かに救われ、何かを感じ取る」といった計画を立てていたとしたら?

どれだけ仕事を頑張ろうとしても職が無かったり、せっかく何とか稼いでもパートナーが使ってしまい結局何も残らない。。。といった状況が、計画通り進行中だとしたら。。。


仕事をしないとまずいと分かっていても、外出する事が出来なくてニートとなってしまっている場合、肉体的な要因でそうなっているのか、何かしらの干渉があり「気力をそぐ」という事をされているのか?とも考えてしまう。

また、ニートの若者がRoto6で数億円を手に入れたと言う事例もある。

だが結局彼は海外の女性に貢ぐ事で数年で使い果たし、元の生活に戻っている。


霊界はどこまで人間界に干渉している?

又は干渉の度合いとかでは無く全てにおいてストーリーがカッチリ決まっている?

ある霊能者は未来は全て決まっていて予定通り進んでいるという発言もある。

また、未来は無限にあり今という瞬間の中で判断されて出来上がっていくという発言もある。

茶太郎さんという数度にわたり異星人と接触してきた中で聞いた情報ではタイムマシンで過去には行けるが干渉したらその時点から別の歴史が始まる為元の世界へ戻っても何の変化も無いという話もある。

臨死体験をした人の話で「まだこちらに来るのは早いから戻りなさい」と追い返されて病院のベッドで目が覚めたという話が多い。

こうした話からすると、未来はある程度の「予定」はあるが、決まっておらずトラブルも発生したりといった状況のようにも思える。


未来が未確定という事であれば人生を体験している魂を守り導く守護霊という存在が活躍しているという考えも成り立ってくる。

ではなぜ、ばれてしまうような干渉をするのか?

守護霊にも色々な性格があり、そんな守護霊もいるという事で考えると、まあそれもそうかという着地だろう。


そうなると実際に生活している人間が今直面している困難はいかにして発生したのか?

こうした困難や不幸な出来事は全て「予定」されていた事か、偶発的な事か?

霊界の仕組み等がネタばれしてくるとこうした事も考えてしまう。

逆にスポーツなどで頑張ってトレーニングした結果勝ち取った勝利等で喜びを感じている状況は「予定通り」とは思いたくないという感情もある。

タナぼたで得た勝利、相手が自滅した結果となった場合は喜びは半減するだろうが「ラッキー」という言葉も出てくる。

どこまで干渉されている?


完全にストーリーが出来上がっていて結果を知らないだけという事であれば、こうした疑問をもっては「面白くない」という事にもなる。

また未来を見る事が出来る霊能者とかに未来を教えてもらうという事も、映画を見ている時その先の展開を聞くようなもの。

またスポーツで自分の子供が頑張っている試合で、その結果を先に教えてもらうようなもの。

決まっているとしたら「努力」という言葉は色あせる。

決まってないから頑張れる。

ではどこまで霊界は干渉してくるのか?


この辺りの境界線が分からないようにあやふやな情報だけをネタばらししているのだろうか?

もしかしたら人類の精神ステージを1段引き上げる為こうした複雑な思考になるような状態を作り出しているのか?

益々混乱の度合いが深くなってきたようにも思えるが。。。


引き寄せの法則という2年程前にブームになった現象に関しても少し今回の考えに影響があると思われるが、これはまた今度考えてみる事にしよう。

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(11:40)