人生台無し
2015年08月14日
本当に沢山あるので全てを見るのは相当な時間がかかりそうだし、次から次へと更新されていくので読破は無理。
その数え切れないスピ系ブログを拝見していて、気になる事。
人の寿命が生まれる前から決まっているという話。
多数拝見していると、確かにそう思えてくるような内容がとても多い。
沢山書いてあるから真実とは限らない。
自分もこのスピ系のブログを書く前から気になっていたこの人間の寿命について。
高校生で亡くなってしまった方の葬儀に向かった人の中に霊能者と呼ばれる人もいた。
その霊能者は葬儀場に入るなり「自分で決めてきたんだ」という声を聞いたという。
亡くなった高校生の母親に葬儀へ参列した霊能者が寿命は自分で決めてきたのだと本人が言っていた事を伝えた結果、母親は救われたという。
私も身近な人のご子息(高校生)が事故で亡くなられた時、葬儀へ参列した。
声は聞こえなかったが葬儀が始まると、曇り空だった天気がゲリラ豪雨に変わり、連続して落雷がなり続き、葬儀の参列者は凍りついていた。
その場の雰囲気はまるで亡くなってしまった本人の嘆き悲しむ心の叫びのようでもあった。
葬儀が終了すると雨は止み、晴れ間が出ていて葬儀の参列者は濡れないで帰宅することができた。
この事故で亡くなった高校生は自分で決めた寿命ではなかったのだろうか?
真相は誰もわからない。
では、寿命をある程度自分で決めることができたとして、どのような基準で決めるのか?
どのような人生になるのかあらかじめわかっていて、その流れの中で決めるのだろうか?
それとも、人生の流れは完全に詳細な所まで決まっており、どのような展開になるかも全て分かっていてそのドラマに出演するようなイメージで生まれてくるのか?
それとも要所要所のイベントスケジュールはあるが期日までは決まっていない感じ?
はたまた、やりたいこと一覧を作り自分の人生でそれを実行し、やりたいことの中の最後に事故死とか病死とか行方不明とか自然災害に巻き込まれるとか決めるのか?
人生がカッチリ決まっているとしたら、現在人間として生きている人たちにとって大事件だ。
結婚相手から離婚する人、生まれる子供、行くことができる学校、オリンピックのメダルの色まで全て決まっているという事になり、自分が自由意志で選択していると思っているだけでそれすらも台本通りという事になる。
ある程度イベントは決まっている、もしくはそのイベントに登場してくる人物などのキャスティングは決まっているが、台本のないぶっつけ本番出たとこ勝負といった展開なのか。
そのイベントの最後に事故や病気、殺人事件の被害者、行方不明、冤罪による死刑など入れ込んでくるのか。
都合よく解釈しようとすると、寿命等を自分のイベントの最後に入れる人もいれば自然に任せるという人もいるといったところか。
例えばビルから飛び降りた場合、地面にぶつかる直前魂は抜けるという話もある。
あまりにひどい衝撃を肉体と共に受けてしまうと魂が傷ついたり壊れたりすることもあるという説もある。
そしてその魂は何度も同じ場所から飛び降り続けているとも。
しかし肉体から抜けた魂は忘れていた全てを思い出し、どこかへ帰っていくという説もある。
しかし自殺等をした場合、やってはいけない事をしたという事で罰を受ける的な話もある。
平成の今の時代の感覚とは違う戦国時代の人々の意識を想像してみる。
仕える主君の為に自分が命を落とすこと等何の疑問もなく、それどころか主君の為に死ぬことができて嬉しいとさえ思っていたという記録がある。
その当時の魂は社会環境が戦国時代の為、平成の今とは命の価値観がまるで違う。
主君の為に腹を切る。
自殺である。
この切腹を武士の誇りとして思っていた時代、もし自分の寿命を決めてきたのだとしたらこの切腹というイベントを人生最後に組み込んできたという事になる。
切腹後、その魂はその場で切腹をし続けるのか?
それとも何か罰を受けているのか?
予定通りの死亡なので晴れ晴れとした気分でどこかへ帰っていくのか?
こうした考えは、魂は存在し輪廻転生しているという事を大前提としている。
人生の先を見通してどのタイミングでどういった形で人生を終わらせるのか?
自然災害を選択したとしたら、その時その場所にいて自然災害の被害に巻き込まれる。
ということは自然災害も場所と発生日時はしっかり確定しているという考え方が成立する。
では交通事故を選択した場合、数十年後の交通事故があらかじめ決められていたという事か?
馬車しかなかった時代に生まれ、その後自動車が開発され、その自動車事故でという事は未来に発明される物もあらかじめ分かっていたという考え方も成立する。
では、研究者等が様々な実験を行った時、失敗だと思われた結果が実は他の事での大発明につながるという事もある話だが、「実験の失敗から偶然発見された」と人間社会では言われる事も、魂の世界から見ていたら、予定通りという事。
この人間社会は魂の世界から見たら、全て出来上がったストーリーでありほんの些細な変更もアドリブも無い完成された世界だという考え方も成立してくるだろう。
魂の世界に視点を移して考えてみる。
このブログでも何度か紹介しているが、チャネリングで聞こえてきたという内容。
「こうとでも言っておかねば人間は我々を崇拝してくれないから」
魂の世界があるという大前提で、人間界へ影響力を持ちたい、神として崇拝されたいという欲求があるように感じられる数々のチャネリングでのコメント。
かなりの数のチャネラーがいて、その会話を記載したブログも数多く存在する。
それらを見ていると、ほとんどが「啓示」や「アドバイス」「霊界の仕組み」「役割」などを人間界へ伝えている事が非常に多い。
人間界からはまだ確実に霊界とかを認識できている状態ではない。
霊能者と言われる人も一つの現象を見て同じことを発言するというような現場も実験も無い。
それは霊能者という人間のフィルターを通してしまうため、翻訳の仕方が変わってしまうという。
本当に魂の世界に人間社会は完全管理されているというのか?
管理されているよ、と言われているだけで実はそんなことは全然無いという考えもある。
完全管理されていて生まれる家も寿命が尽きるときも全て自分で決めて、喜びも苦労も感激も悲しみもあらゆる感情を体験する為に作り出された世界で、自ら人間社会へ来たことも忘れ日々の事に喜んだり心を痛めたりしているだけなのだろうか?
完全管理された世界だとしても、実は全く管理されてない世界だとしてもまだ矛盾が残る。
現在ネット上に数多くあるブログには「光」とか「愛」というキーワードが無数にある。
人間目線で人間社会を考えて神の世界が存在し、神様に守られながら生きているという基本的な考えも当然矛盾だらけだ。
しかし、こうした矛盾を根本的にかなり解決できるかもしれないというヒントがある。
現在まだ詳細を教えていただいている所なのでブログでも紹介できないが、状況が整い次第まとめてアップしてみたいと考えている。
今現在言われている事が本当にその通りなのかは、結論を出すのが非常に難しいし完全管理された世界に人間として生きているとしたら、このブログも台本通りということになるであろう。
引き寄せの法則も大事故での奇跡の生還も全て台本通り?
それだとちょっと気力が失せてしまいそう。。。
台本通りに人間界が運行されているとしたら、どうしてその謎解きにつながるような霊能者やチャネラーが存在するのか?という疑問にもつながる。
まだまだ矛盾の真っ只中である。
本日も最後までおつき合いいただきありがとう。
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