予知
2014年12月05日
預言、占い、これから起こるであろう事を言い当てる。
これまでのスピリチュアルの探索で、どうやら未来は決まっていないのではないかという方向へ傾いている。
それでもこの現実世界には預言に溢れている。
地震予知、これも沢山言われてきた。
確かに結果と照らし合わせてみると、当たっている!と思われるような予言も多数ある事はある。
しかし、同じ人が毎回当てるという事はほとんど無いように思える。
これはどうした事か?
●月〇日に関東で、●●月に東北で、とピンポイントで日付を書いているのもあるが、大まかな時期と大まかなエリア、この2つの組み合わせだ。
細かく書けば365日、東北、関東、日本海側、西日本、大まかなエリアで毎日のように誰かが予言している。
そりゃ誰かの預言が当たったように見えるだろう。
こうした「数撃ちゃ当たる」の考えもある。
一方、預言者とかそんな事を言っていないで偶然見えた不思議な現象は何?というブログもあった。
あるひ突然歩いていた所の足元の地面が透けて見え、そこで何者かが必死に地面を抑え込んでいる。
「もうこれ以上支えきれない!!」と言っていたと言う。
そしてその数日後、阪神淡路大震災が発生している。
地下にいる何かの守り神が大地震を抑え込んでいた、とも読み取れる。
私の友人で毎日一緒に仕事をしていた相棒だが、偏頭痛が、、、と辛そうであった。
日に日にその痛みは増していき一週間ほど経過した頃、ついに「今日はもうだめだ。。。」と限界を超えた様子であったので、早退するよう促し彼は午前中で帰宅した。
その日の午後、東日本大震災が起こってしまった。
その後調べてみると地震が近づくと頭痛がひどくなる人が結構いるし、そんな人たちのコミュニティも存在するようである。
これは野生の勘とでもいうか、何かを感知してそれが頭痛と言う現象を引き起こしているのだろうと思われる。
では、人の人生でこれから起こるであろう事を預言するという事に関してはどうだろうか?
来年こんな感じの人と春ごろ結婚しますよ、とか特定の部位の怪我に気を付けてとか、運気が上昇するので仕事が良くなりますよ等色々ある。
また静岡県でこういった事例もある。
山中に暮らす人が宝くじの当選番号が見えると言い、それを人に教えてあげていた。
そしてその番号が何度も当選する。教えていた人はまるで興味がなかったのだが、ある日興味を持ったのか自分が購入するがそれ以降当選はしなくなったと言うのだ。
この話だけ聞くと、未来が見える?しかも具体的に。しかしそれは回転するルーレットに当たる矢の位置が決まっているという言い方もできる。
そこまで未来は具体的に決まっているという事なのだろうか?
静岡の山中で暮らす人の話は私自身現場を目撃していないので作り話という域を完全に出る事は出来ない。
このブログでも時々登場する未来は完全に決まっていると話す霊能者の方。
様々な話を総合的に俯瞰(ふかん)してみると、まだ矛盾点が出てくるので結論は遠い。
もっと穿った見方をしてみたら、宝くじ等のルーレットに当たる矢の位置等計算で割り出してコントロールすること等不可能とは言えない。
競馬に関しても着順はコントロールされているという話は否定できない。
実際にその根拠の一部を解明し、東京都心に4億円で豪邸を建てて住んでいた人がいる。
この話は友人の知り合いで結構近い所での事だ。
その競馬の着順を見抜く方法を教えてもらい、研究してみた事もある。
その結果、ある程度見抜くことには成功した。この結果から何かしらレースはコントロールされているのだろうという結論には至った。
人為的に仕組まれているのであれば知っている人は活用できる。
未来が見えるという霊能者からすれば決まっている事を見るので見える人もいるだろう。
前回も書いたが、この現実世界で人間が何かしらの目的を持って生きている、もっと言うと魂が目的をもって人間の肉体を動かしている状態で、予定外に肉体がダメージを負い、肉体の生命維持が出来ないというアクシデントもある。
しかしこれはアクシデントなのか予定通りなのかの判断はまだ出来ない。
完全に決まっている未来であればアクシデントという事は存在しない。
アクシデントがあるとすれば未来は完全に決定では無いという事だ。
方向性は決まっていて、所々のイベントがある程度決まっているというのであればストーリーはあるという事だろう。
ストーリーも無く完全に行き当たりばったりで未来が出来ていくとすれば預言予知等完全に無意味であろう。
しかしなぜ占いや預言予知が未だにどこか信じられ、その事を職業にまでしている人がいるのか。
やはりどこかにストーリーがあり、どこまでかは不明だがある程度のイベントは予定されていると考えるのが妥当ではないだろうか。
霊界や人類の発祥等これまでかなりのネタばらしが進んで、かなり仕組みが分かってきた。
しかし手が届かないのが「何の為?」である。
数々の現象や考え方を総合した結果、魂が存在し霊界には集合意識があり輪廻転生しながら様々な経験をしつつ、地球だけでない他の惑星でも経験を積みながら「向上していく」「魂を磨く?」といった所へ辿り着く。
異星人もこの「何の為?」を探しているという話もあったりする。
自分が何者なのか?何のために生まれてきたという感覚を持っているのか?なぜ感情という心の動きがあるのか?なぜ人の為に何かしてあげると嬉しいと思えるのか?様々な「なぜ?」があるが、目的はやはり不明だ。
この答えに辿り着いてしまったら、もしかして辿り着かない方が人間として生きていけるのでは?とか思ってしまったりもする。
それでも不幸な目には遭いたくないという感情があり、楽しい経験、素敵な体験をしてみたいという希望願望欲望もある。
その為にある程度のストーリー、イベントが分かれば事件事故等は回避できるかもしれない。
事件事故等不幸な目に遭う事がストーリーなら正面から立ち向かってみるしかないだろう。
もしかしたら自分自身で計画した事かもしれないのだから。
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