中間世記憶
2014年12月02日
霊界の事についても魂の事、人類の始まりの事等長年あやふやだった世界のネタばらしが増えている。
これは一体どのような目的を持って行われているのだろうか?
これまでに判明した事をまとめて考えてみる。
人類の始まり。
この宇宙空間に8000億種もあると言われている生命体の一つが地球の鉱物を採取する為に、労働力としてDNA操作を行い、猿や爬虫類等を進化させた。
爬虫類から進化させ、労働力を管理する為の目の青い人種。
実際の動労力として猿から進化させた目の黒い人種。
しかし寿命を長くすると、反乱するという性質が有る為に40年位という寿命にし、繁殖させ続けるという仕組み。
こうして労働力は鉱物を採取する目的の為活用され、異星人は目的を果たしたため人類はそのまま地球へ放置された。
これは実際に異星人から教えてもらったと言う人の言葉である。
宇宙空間も膨張し続けているのだが、風船の弱い所が一部膨れてそこから餅を焼いた時のように更なる膨張が始まった。
これがビックバンという我々がいる宇宙空間だという。
ここまでかなり飛躍しすぎた位の内容なのだが、否定するには無理があり過ぎるほど他の事例や化石の矛盾等で完全否定出来ないのが現状だ。
こうして出来上がった肉体を持つ人類。
では魂と言う存在はどうなのか?
広大な宇宙空間には8000億種もの様々な生命があるという。
その中の一つ、人間の視覚では認識できない波長を持つ意識体もあるという。
その意識体は何かしら向上心とでも言う表現が一番近いかもしれないが、これを目的としているという。
その意識体は意識だけなので、あらゆる惑星にいる生命体の肉体を借り、物理的な体験の中から向上心を磨いているという。
物凄くシンプルに書いているが、ここまで書くまでの間に様々な試行錯誤、調査、体験等を含めているという事を前提としているという事をご理解いただきたい。
人類も野生動物も微生物も全ての地球上の生命体は「何かを食べる」。
これが基本原理だ。
植物のように光合成ではない。
食べる、他の生命を食べる事で自らの生命を維持する、それが次々大きくなり食物連鎖を形成している。
その為、争いはこの地球上の生命体では当然の事である。
人類の仕組みも同様で、食べる為、生命を維持する為、お金を稼ぐ。
その為に労働したり、他の人を出し抜いて常に「競争」している。
騙す者、強引に奪うもの、また労働力として自らの生命のエネルギーを差し出して稼ぐ者、様々である。
人類が生命を維持したいと思い続ける間、食べる事が付いて回る間は争いは絶えることは無い。
結局は弱肉強食という言葉が当てはまってしまう。
まあ、それはそれでこの人類の特色としていいとしよう。
その特性を持った人類の肉体を借りているのか乗り移っているのか分からないが、魂という意識体が活動している事は間違いなさそうである。
常に争い競争を繰り返す弱肉強食の特性を持つ人類の肉体で魂は何を体験しようと考えているのだろうか?
ここ最近本当に霊界をテーマにしたドラマや映画が増えている。
こんな一般人の私でさえもここまで理解を深められるだけの情報がある。
今年封切された映画で「かみさまとのやくそく」という子供が生まれる前の記憶を集めた映画が紹介されていた。
万年さんのブログで紹介されているのを見て、宣伝用のビデオを見てみたのだが、やはり霊界の仕組みをかなり鮮明に紹介している。
「食べる」事を必要としない意識体では、全てがイメージだけであり、実体験は出来ない。
食欲が無いため、食べる為に無理やり仕事をしなくてもいい。
するとここでひとつ争いのポイントは無くなる。
人類は「支配欲」を持っているように思う。
これはもしかして爬虫類からDNA操作され、人類誕生の頃異星人から目の黒い人種の管理を任されてきた名残ではなかろうか?
いや、しかし日本も戦国時代等争いを続けて殺し合いを行ってきた。
黒い眼というだけではもう分別出来ないのか?
しかし、現在の人類は第3文明だと言われている。
第2文明は進化し続けたのだが、核戦争で滅んだとも言われている。
南極にも海底にも遺跡が残っていると言われているがこれは定かではない。
前回このブログでも書いたのだが、イタリアとオーストリア国境で発見された「アイスマン」彼が身に着けていた物は放射性炭素年代測定で調べても、その当時存在していた人類の文明よりずっと進んでいたと言う事で、第2文明の生き残りでは?とも言われている。
こうしてみると、人類も同じような事を繰り返して争い続けており、あまり精神的に進歩しているようには思いづらい。
まてまて、人類の意識は本当に人類の意識か?
意識体という生命体、つまり魂と我々が呼んでいる意識が今現在の自分自身の意識として認識しているものなのだろうか?
食べる為に争う性質を持つ意識と、向上を目的とした意識、どちらが優勢なのか?
これまで顕在意識として普段色々思考しているこの意識は肉体のものであり、潜在意識として心の奥底にあるものが魂の意識では?と思われても来た。
この辺りははっきり言い切る事が出来ないのでまだ今後の調査対象として保留しておくことにしよう。
違う地域で生まれてきた子供たちが生まれる前の事で同じ内容の事を話すのはやはり肉体の脳の特性では説明がつかないだろう。
私の息子でさえも同じことを小さい頃言っていたのだから。
ではこの厳しい地球の生命体、人類という肉体で霊界の事は「あるかもしれないが。。。」とあやふやなままここまで来たのに、ここほんの数年で一気に情報が溢れてきている。
私も霊界の事を30年異常調べているのだが、本当にここ数年である。
霊界にいる子供はテレビのような画面に映し出される母親の顔を見て、「このお母さんにする!」と決めるという。
そしてお父さんも誰にするのか決める事が出来るという。
そして出会いを促し、無事結婚するとそこへ滑り台に乗ってお母さんのお腹の中へ入っていくのだそうだ。
お腹の中にいるとき夫婦喧嘩が始まると、子供はお母さんのお腹を蹴ったりする、すると「あ!今蹴った!」というきっかけで夫婦げんかが収まると一人の子供が言うと、「そうそう!そうなんだよね〜」という子供の会話。
生まれて来る子供の第一の目的は「お母さんの役に立ちたい」「お母さんを幸せにした」という事だと子供たちが話す。
もしも、もしこれが本当に真実であれば生まれて来る子供への愛情は格段に増える事だろう。
今回のブログのテーマである「ネタばらしは何故?」という疑問。
最近子供への愛情が不足しているというより、愕然とするようなニュースをよく見る。
こうした状況を憂いて「ネタばらし」という雰囲気で人類に伝えているのでは?という斜め上からの見方をしてしまう私は相当なへそ曲がりなのであろうか。
このネタは真実なのだろうか?
真実を一部ばらして人類の精神レベルの向上を目指しているのか?
アフリカの1才までも生きられない子供に魂は宿るのか?それはどのような目的で滑り台に乗るのか?と考えると、これも様々な考え方が出来る為、言い切る事も難しい。
こうした悲惨な環境も地球上に用意しなければ幸せな環境の対比にならないという考え方もできる。
何か物質があれば、その表面の面積が大きければ大きいほど比例して裏側の面積も広くなる。
悲惨な環境が大きければ大きいほど幸せな環境も大きくなる。
常に高級料理を朝昼晩と食べているとそれが当然で「美味しい!」という感動は無い。
試合に負けるから勝った時の感動が得られる。
こうした環境づくりの為、霊界のネタをばらし、「幸せな環境」を大きくしようとしているのだろうか?
そうすることによりどこかで悲惨な環境が拡大していくのか?
経済の世界も円安、円高という為替の上下でそれに連動して各種経済もバランスを取っている。
ネタがばらされてきて、「そういう事なら」と盲目的に幸せ感を追い求め、現実世界を蔑ろにすると今度は肉体と生命の維持という面で大変になる。
お金を稼ぐ事に力を注ぎすぎると「幸福感」が遠のく。
これはこれまでの経験で皆が分かっている事。
個人個人の感覚で肉体の維持と幸福感のバランスを追い求めた結果世界の状況が変化していくというのであれば自然の成り行きだろう。
しかし、ネタをばらす事により人為的というか意図的に幸福感を求める方向へ誘導するという事はあるのだろうか?
その結果あおりを受けたどこかの地域、民族が大変な目に遭うと言う事は考えられないだろうか?
人類の「食べる」という根源が無くならない限りこの争いは無くならないだろう。
もしかしたら悲惨な環境と幸福な環境は直接バランスを取る関係に無いかもしれない。
バランスというと 1:1 という関係を思い浮かべるが、もしかしたら 1:多 の可能性もあるのか。
それなら、個人が幸福感を追い求めてもどこかの不幸な環境へは影響を与えないのかもしれない。
グルグル思考が回り続けてしまう。
ネタばらしは何かの警告なのか?
第2文明が滅びた時と似たような道をたどっているので、その回避の為の施策なのだろうか?
それにしても今回の子供が生まれて来るまでの仕組みに関しては、疑う事が難しいほどである為、真実であると思われる。
まだまだ腑に落ちない事も多数あるので、この探求は続くであろうと思う。
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!
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