スピリチュアル3

2016年09月03日

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禁断の果実

運が良くて人生が好転、神社へお礼のお参り。

これから大一番の勝負、何が何でも勝ちたい、最後は神頼み。

もうダメかと思ったが奇跡が起きた、神様ありがとう。

スピリチュアルと人生は非常に縁が深い。

勝に拘ったりと「自分の意向」を何としても思い通りにしたいと思う時、人は人知を超えた「何か」でも使えるものは使いたいと思ったりする。

勝負師やスポーツ選手で有名なのが「ジンクス」である。

必ず靴は左足から履くとか、ルーティーンと呼ばれる同じ動作もこの一種だろう。

こうした人たちは、明確に目的がありそこを見ているからそれでいいのだろう。

私自身もそんなジンクスを気にしていた時期も有ったが、それよりもスピリチュアルの不思議の方に意識が向いていた為に、「どうしてそうなるのか?」と深堀をしていた。

自分自身はスピリチュアルとは?という問いに自分を納得させるに十分な所まで辿り着けた。完全解明では無いが。。。

その結果、人生における苦悩という事から解放された。

精神的に非常に穏やかであり、怒りという感情にとらわれなくなった。

とてもいい気分である。

しかし、これがまた面白いと言うか弊害とでも言えるのか感情が沸き上がる事が極端に減ってしまった。

自分の人生も含め、全て他人事になってしまったのである。

まるでテレビドラマを見ている時のような、しかも何か別の事をしながら時々画面を見る程度、音声も聞き流しといった感じなのだ。

そう、例えるなら、まるで僧侶?

これを悟りの境地とでも言うのだろうか?

そうは言ってもまだ美味しいものは食べてみたい、とか「欲」と言われる部分は完全には消えていない。

この欲も完全に消えたら、多分「仙人」のように山中へ消えて行ってしまっているのかもしれないがw

人間でいる事の醍醐味は「人生を楽しむ事」

この「楽しむ」という言葉には色々な事が含まれる。

「歓喜」の楽しみもあればストイックに「何かを極める」という楽しみもあれば、「苦悩」を味わう事も人生の醍醐味であろう。

「愛」を楽しむ事も、人生で起こる事は全て包括されるのであろう。

私は自分の納得する境地へ辿り着けたおかげで、この「楽しむ」という体験がもう出来ないと思うと同時に、このスピリチュアルの「謎解き」を楽しんできた人生で有ったのかもしれない。

スピリチュアルの世界を深く探求する事はもしかしたら禁断の実を食す事になるのかもしれないが、それを望んでいるとすれば迷う事は無い。

食べて見なければ「味」は分からないからだ。

もしかしたら人によっては「食あたり」を起こしたりするかもしれないが。。。

それでも食べた物は体の一部となる。

スピリチュアルは心の栄養となる。

味見するもよし、口に含んでみるだけで吐き出すもよし、これも自由。

人それぞれ。

禁断の実と思われる果実を食し、咀嚼(そしゃく)し、飲み込んでみた私の実感だ。




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(11:53)

2016年08月28日

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そこにコップが「ある」

という事は、そこに空間という概念が「ある」という事

空間という概念は物理的な思考が基本になっている

存在する、、、と
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人間は生まれた時からこの物理的概念の中にいる

「ない」という概念も「ある」の裏返しであり同じこと

近年VR(バーチャルリアリティ)という仮想現実が進化していて、N高校なる学校も登場した。

例えば、

肉体等が無い頃、世界は魂だけの世界であったとしたら

思考が進化して「物理的世界」を作り出そうとした魂が有ったかもしれない

そして出来上がって来たのが宇宙空間であり地球であり人類であった

そして人類という物理的世界を楽しんでいると、そこからまたVRを作り出して次の刺激を楽しもうとするものが現れる

魂の世界から見ると

「実態の無い思考」→「物理的世界」→「仮想現実」と移り行く

となると、元の魂の世界は?という疑問が出てくる

もしかしたら更にその上の世界があり、その存在達が魂の世界を作り出したのかもしれない、、、と永遠続いてしまう

この現実社会では仮想現実の世界の中にAI(人工知能)の登場人物が出てくるだろう

仮想現実の中に人工知能が登場し、その人工知能は進化し続け

「はて?自分とは一体何者なのだろうか?」

と考え出すかもしれない

その人工知能が存在している世界はコンピューターのプログラムの中だ

果たして人間がそのプログラムを作っているという事まで辿り着けるだろうか?

また、その人間を動かしているのが魂だという所まで辿り着けるだろうか?

仮想現実の中にいる人工知能がプログラムの中から出る事は出来ない

人間が人間のいる現実世界へ物質的な乗り物を用意し、そこへ人工知能を導いてあげればプログラムの中からの脱出が可能かもしれない

我々人間もまだ魂という存在についてよくわかっていない

魂というものが「ある」と思っているが、ここでは「ある」という概念は物理的概念ではない

しかしそれも実は魂と言う概念を作り出した何者かが作り出したプログラムの中かもしれない

永遠に続くこの謎は追いかければ永遠に同じ答えを出し続ける為、終着点という概念は「ない」

仮想現実の中の人工知能も電源を落とされれば、その思考も瞬時に消える

人間が現実世界だと思っている世界ももしかしたら電源を落とされる事があるかもしれない

しかしその世界に入り込んで熱中していたり、楽しんでいればその後電源が落とされると分かっていてもギリギリまで楽しもうとするだろう

私はこの世界の謎を考え続けた結果、この世界に入り込んで楽しむという事が出来なくなってしまった

現実世界のプログラムの中で人間が命を失うと、魂だけになり・・・という概念も正しいと言えば正しいし、電源が落ちればそれでおしまいという概念から、死んだら全て終わりという考えも正しい

この謎を追い続けた結果、楽しいと感じたり、一生懸命になれる事があったり、集中出来る事、またそれらを行うためにリラックスや秘め事に時間を費やしたりするのも全て気兼ねなく思うがままでいい

ドイツでは今、国家が非常食等少なくとも10日分位は確保し、非常事態に備えて欲しいという発表が出ているそう

理由は不明だが、憶測が飛んでいるようだ

何があるのか分からないが、大きなプログラムが発動するのだろう

何十年も先の事を考えて「今」を犠牲にした生き方もいいだろう

もし電源が落ちてしまえば「後悔」という概念も味わう事は無い

「信じる」という事もそれぞれ違う為、このブログの考え方に賛同される方も否定する方も信じない方もいて当然

そうでないとこの物理世界は成り立たなくなるから

お医者さんごっことか物理世界「ごっこ」に楽しさを感じなくなってしまった私もまだこのプログラムの中に存在している

今後何か新たに楽しさを見出すことが出来るのか自分自身も分からない

先日自分自身の人生を年表として作成してみた

明らかに大きな流れがあり、突然切り替わる様子もはっきり見て取れる

ロールプレイングゲームのようにマルチエンディングとして「選択次第」で未来が変化するのか、その選択さえも予定通りなのかは判断する事は出来ない

何故ならその時の選択とは違う選択をした場合の結果を見る事が出来ないから

自分の年表で分かったことは、その時気になった事が7年前後で何かしらの現実になっているという事

その7年前後という期間が重なっている事もある

こうした規則的とも感じられる出来事にはどのような意味が隠されているのか

これには自分自身も興味が有るので今後も注視してみようと思う

またここに書けるような内容であれば書いていこうと思う

何を目的に私はこのブログを書いているのだろう?



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(12:35)

2016年08月01日

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全ての事が想念の中で起こっているだけと言う事に気が付いた。
その後ネットで目につく記事が、同じような事に気が付いた人たちの記事であった。

表現は違うが根本的に同じ事を書いている。

そして、、、

この世界は全て架空の世界であると気が付くと同時にその意味も分かって来た。
VR

私はこのブログを書き始めてから徐々に人との関りが減ってきて、最近ではほとんど接触が無い。
毎日人との会話も無ければ用事もない。

人との接触が皆無の毎日を過ごしつつ、心境の変化が見えてきた。
元々なんでもやってみたいと思っていた私は、趣味に仕事にと多方面に手を出してきた。

とにかく「やってみたい」のだ。

そしてその事により様々な人と交流してきた。
とにかく時間が足りなくて、お金も足りなくて、大忙しであった。

今は真逆の生活を送り、何もしていない。
朝起きて、食事をとり、夜になると寝る。

あれだけ多趣味でなんでもやりたがっていた自分が、今は全く何も手つかずになっている。

何かをやるという事は、結果に必ず他の人が関わってくる。

関わる人がいて反応してくれるのだ。

反応してくれる人がいない場合、砂漠の真ん中で独り芝居しているのと同じ事である。

これまでこのブログでも考えてきた事、どうして悲惨な事や詐欺師がいたりと悲惨な世界を作るのか?と。

必ずバランスを取っているので、幸せな事や嬉しい事があれば、その反対の事も必ず起こると思っていたが、そうでは無いという事に気が付いた。

我々は「意識」というものを知っている。

想念の世界で全てが起こっているとしてもその中で意識を持っている。

もしかしてこの想念も何らかの意識を持っているのかもしれない。

そうした場合、反応が無ければ何も起こらない。

反応する存在を用意し、自分の意思が何かを発信するとそれに対して反応するという世界を作っているようだ。

そしてその仕組みは舞台裏なので隠されている。

知らないからその上で楽しめているという見方も出来る。

他の人は今の私の環境に置かれた場合、もしかして「寂しい」という感情が湧き出てくるかもしれない。

今の私に寂しさは無い。

毎日静かに一人で過ごしていても寂しさは無く、ただ静かにこの世界を感じていた。

そして先ほどはたと気が付いた。

この世界は反応してくれる人を沢山用意し、ありとあらゆる反応が発生するようになっているのだと。

テロを行う連中も人を騙す人も、凶悪犯罪をする人も、普通と思っている感覚では無くなればいいと思える様な出来事等も含めて全てが何らかの反応なのだ。

嫌だと思える様な事も含めてその嫌な事を起こしている人もいる。

そうした一般的に犯罪者だと言われる人が極悪な事例を作り出しているから、日常のちょっとした事が気にならなくなる。

もしこの世界にそんな極悪非道な事をする人たちが全くいなければ、日常会話の中で「バカ!」と怒りの言葉を発したら、「とんでもない事だ」と逮捕され、死刑になるなんて世界になってしまうかもしれない。

そんな事になるわけがない、と思えるであろうがそれは今現在の社会で生まれ育ったからこの世界の常識としてそう思えるだけである。

もし自分の生まれた時代が惑星間戦争が行われており、敵に捕まると食べられてしまうのが日常的な世界にいたとしたら?

また常識という感覚も違うものになるであろう。

そんな想念という意識が作り出した世界で、我々は個々の意識という認識で毎日を暮らしている。

この想念の世界がどうなっているのか、気にしたことの無い人が毎日やりたいと熱意を傾けられる事に熱中していたら?

「もしもし?それは虚空の世界ですから、何をそんなに熱くなってるの?」

とか覚めるような冷めるような事を言う事は無いですよね。

熱意を燃やし、それに反応する人もいて楽しんでいるのだからそのまま楽しませておいてあげればいいですよね。

私も若いころは楽しんでいました。そして反応してくれる人々もいて充実した時間を過ごすという体験をする事が出来ました。

知らなければ、それはそれで楽しいであろうし、自分が知っていても反応してくれる人々が知らなければその反応も楽しめる。

想念の世界の中でのバーチャルな出来事であると気が付いている人はまだ少ないと思う。

薄々気が付いていても、現実的に夏は暑いしそんな中ビールは旨いし、と感覚的に感じている状態ではバーチャルであると完全に気が付く所まではいけないのであろう。

知らなければ知らないでいいのかもしれない。

しかし、最愛の人を失ってしまったり、自分自身が絶望の底へ沈んでしまい、抜け道が見つからないと言うより抜け道の事すら考える事が出来なくなってしまった人が、実はこの世界はバーチャルであると気が付く事によりまた楽しめる世界に戻れたりすればそれはそれでいいのかもしれない。

それでもバーチャルであると気が付くことが出来ず、自ら人生を終えてしまえば、この世界での非常にヘビーな出来事としてこの世界を構成する要素になるのかもしれない。

人生にストーリーはあるのか?

この事をとても深く考えてきたのだが、ここはまだ答えが見つからない。
有りそうだし、なさそうだし、ある人もいそうだし、無い人もいそう。

しかしここ数年の自分自身の周囲の環境を見渡してみると、このブログを想念まで書き、そしてその意味を見つけ出す為に自由で孤独な環境が用意されたと思えて仕方がないのだ。

「人生に起こる出来事は、全てがベストのタイミングで起こる」

こう言われている。

もしかしてこれもストーリーが描かれており、それに沿って全ての出来事が予定通りベストなタイミングで発生し続けているのでは?とも思える。

自分自身が人生のストーリーを描いているのか、分からないが自我として持っている自分の意識とは価値観と言うか思考が違うように感じる。

人間としての意識の価値観では災害や事件事故等で命を落としたりする事は「不幸」であると思うが、人生のストーリーを描いた存在からするとまるで不幸とは思っていないかもしれない。

では殺人事件の家族にそんな事を言えるのか?という事がこうした話ではよく登場するが、言う必要は無いし、そんなストーリーを描いた人の計画が何かしら有るかもしれない。

「人生は出来レース」である(笑)

しかしそれを分かったうえで本気で楽しむ事が出来れば、また味わいも違ったものになるかもしれない。

どんな世界でも出来レースという真実を知らない人の方が多いのである。

だから知っている人は知らない人、信じようとしない人を説得する必要もないし、教える必要も無い。

一緒に楽しめばいいのだ。

人々はストーリーにどんな出来事を予定しているのだろうか?

それとも個々の世界は独立してその意識だけの世界で、その他は共有したりしているのかもしれない。

そんな視点で現実世界と思っている世界を見るという人が少数いても楽しいのであろう。

やはり人生と感じているこの時間と世界に無駄な事等無い。

そうは言っても・・・と悲観する人がいたら、その感情もその人にとって必要な感情なのであろう。

過去に起きた事を忘れていても、それは何らかの理由があり心に何かしらの形で残っていたり、相手が覚えていたりして消えたりするものでは無い。

無駄な事は何も無い。

VR(バーチャルリアリティ)という技術が発達し、その世界の中に没頭してその世界観を楽しむことが出来る時代になってきた。
VRだから、とバカにしていたら楽しむことは出来ないのだ。

社会に無用な人もいない。

そんな緻密に構築されたこの世界で、VRを楽しむ事が出来ている我々はその肌感覚から危険までを体験し、もしかしたら疑似体験かもしれないが感動してみたり出来るのだ。

登場人物(役者)が真剣だからVRも真剣に楽しむことが出来るのだ。

VRだという事を忘れてしまう人の方が多いのだろうが、せっかくその世界を楽しんで体験しているのだ。

人の楽しみは邪魔しないほうがいいいであろう。

以前もこのブログに書いたが、80才を過ぎてから「もっとチャレンジしておけばよかった」と後悔しないように果敢に楽しむことに挑戦していきましょう。



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(22:54)

2016年07月17日

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長文です、お時間のある時くつろいでご覧ください。

長年霊界の事を考え続けてきて、また一つの大きな答えに到達したのかもしれない。

文字を使い文章として書き表すのは、テレビの画面に映っている一つ一つの光の点(画素)の状態を書き表しているかのようだ。
1枚の絵を文字を繋げて文章で書き表し、それを読んでいる人は画素の情報を頭の中でつなぎ合わせ、1枚の絵をイメージする。

しかしそれはほんの一瞬の出来事であり、その絵は次々と姿を変える。
それを文章として書く方は、出来上がった全体の動画をイメージしながら書くが、時として画素の情報を書き漏らしたり、順番が前後したりしているかもしれない。

読むほうも、根気よく読み続け、そこにどの様な絵が、動画が浮かび上がるのかイメージ力を要求される。
だからすれ違いや勘違いが発生する。

そんな不安定な文字情報としてしか書くことが出来ないもどかしさを十分理解したうえで読んでいただければ幸いである。
動画として表そうにも現実社会に存在しない状態なので、絵に出来ないという限界もある。

それでは。。。

この世界はファンタジーである、と言った霊能者がいた。
その一行の文章の中にどれだけの思いが詰まっていただろうか?
それは実感した人でないと同じ思いを共有するのは無理であろう。

私は私自身の経験と思考、他の人の体験などを総合的に考え続け辿り着いた一つの答えだ。

全ての出来事、全ての世界は、全て「想念」の中にだけ存在する。
想念
 
極端な考えという感じ方は、どこかに「極端でない」という基準を持っているため、そこから外れたら極端だと思う。
それは各個人それぞれの基準で有る為、判断材料にならない。

そうした既成概念を取り払い、思うがままに書いてみる。

宇宙空間や惑星、地球、人類等々「物質」として存在していると思っているこの世界も実は後に詳しく書く「想念」の中だけに存在するのではないだろうか?

宇宙空間があり、そこは無限に広がっているという定義があり、そういう物だとなんとなく思っているだけ。

こうした考えに至るには過去の膨大な経験や知識、経験談等を総合して辿り着いた。

その一例として、「死者は自分が死んだことに気が付いていない」という話がある。とある会社の事務所で私は、そこにいるはずの無い女性の気配を感じていた。薄いブルーの事務服を着ているミドルヘアーの普通の雰囲気の女性だ。

仕事をしながら「後ろにいるな」と感じていたところ、隣に座っていた同僚が「後ろにいるね」と言ってきた。私は「どんな人?」と聞いてみた所「薄いブルーの事務服を着た普通の感じの女のひと」と言った。

同僚は同じ姿を感じているのだ。
私の思い込みや気のせいでない事がそこではっきりした。

その女性は普通に何やら仕事をしている感じなのだ。
向こうは我々に気が付いていない様子で普通にふるまっている。
我々の世界と違う世界にいる事に気が付いていないのか。


一般的に人間は夢を見る。
夢の世界での出来事を目覚めた後覚えている人もいると思う。
その夢の中での出来事で、夢の中にいるという事を自覚できる人は少ないのではないだろうか?

また夢の中での出来事で、目覚めた後「あんな状況はありえないな」と夢から覚めた時に不自然さに気が付く場合もあるだろう。

夢の中にいる時はどれだけ不自然でもその時は不自然だと思わないのだ。

もしかしたら、夢から覚めていると思っている自分自身が不自然に思わない現在の状況もどこか違う世界から見たら不自然極まりないのかもしれない。

でもこの世界が当然だと思っている。

その時は気が付かない状況、なぜそうした意識になるのかは分からない。

我々はこの現実社会に「生まれてきた」と思っている。
2時間位の映画やドラマ等での登場人物も人間であり、様々な展開が起こりその世界で各登場人物の人生が展開されていく。

そうした劇の世界も現実世界も基本的に地面があり、重力があり空には星が輝いていたり太陽が昇ったりしている。

まあ現実社会を模写しているので当然ではあるが。

そうした現実だと思っているこの世界はもしかしたら全て「想念」というプログラムの中で実行されている劇なのではないだろうか。

現実社会と霊界があり神がいて・・・こうした構成は基本フォーマットとしてあり、そこへ生まれてくるというストーリーを自分自身で描き出して体験している。

これは過去にも同じような事を書いてきたのだが、この基本フォーマットを用いて、オプションとして時代背景を載せていく。

だから生まれる時代は自分で選択する事が出来、意識としての自分が現実社会から見た感覚としては現代にも過去にも未来にも生まれてくる事は可能と言う事になる。

そして全てデータという考え方なので、意思が複数あればその世界も複数あるという事になる。ここに物理的な概念を持ち込もうとすると物理の法則的に破綻する事になる。

つまり「意識」としての自分がいれば自分を中心に基本フォーマットを用いて世界を構成し、そこで人生を経験し楽しむことが出来る。

意識が複数いればその分だけ個別の世界はあるという言い方が適切かどうかは深く考えずに。

これはパラレルワールドと呼ばれている世界観である。

自分を中心とした世界を基本フォーマットから起こしてオプションを追加し、自分が経験してみたい世界を時系列ごとに並べて展開して行く。
なので、その世界で自動生成されたエキストラは、自分の体験したい世界をプログラム通りに展開してくれる。

つまり安心安全で平和な世界で生きてみたいと思えば、その環境が構築され、テロ等に巻き込まれたりしない。

自分がもしニュース等でそうした悲惨な出来事を見ていたとしたら、自分が描いたストーリーの中にそうしたオプション的な思想があり、それを自動生成プログラムがエキストラを動かして見せているだけに過ぎない。

自分がその世界で死なない限り、その世界は次々展開されていく。
そして自分がその劇の中で死亡すれば、その時点でそのフォーマット上の世界は終了し、全てのプログラムは終了する。

意思の中に「記憶」だけを残して。

この考え方には少し第二案とでも言うか、いくつかのオプション扱いなのか、表現が難しいが可能性があるように思う。

自分が描いたストーリーを体験する為に、仲間の意思が同じ基本フォーマットの中に登場するかもしれないという可能性だ。

全てが自分一人という考えと、誰かを中心とした劇団での演出の可能性も考えられる。

この場合、劇の終了は中心人物の死亡により終わるのか、最期の一人まで続くのかは定かでない。


文頭で書いた「想念」についてであるが、この想念そいう考え方は言い換えると、何度か登場している「意思」とも言えるが、この意思の集合体とでも言うか、大きな意思が分離して多数の意思が出来ているという表現が適切か断言できないが、最終的に大元となる意思とでも考えて頂けるとありがたい。

この想念がそういった姿形をしているのか、この辺りを適切に表現できる言葉も単語も見当たらない。

宇宙空間という概念すらこの想念の中でのみ存在するように見えるデータであるとすると、全く別の考え方となる。

人間は波長として伝わる周波数のほんのごく一部のみを認識出来て、それで「視る」と思っている。

無線で用いられている電波等は見えない。

そんな人間の想像できる範囲の外に存在?ある?どう表現していいか分からないが、想像外の存在という映像でも文章でも表現できない世界だ。

それが「想念」であると考える。

そんな想念の中に多数の「意思」が存在?しており、それぞれがその意思の中に基本フォーマットを用いて世界を作り出し、その世界を体験したりしているのだ。

大きな想念の中に存在する意思はひしめき合っているかどうか不明だが、接触も有るかもしれない。そうするとその接触によってありえない出来事が発生したりして、パラレルワールドがあるのでは?と基本フォーマットの世界の中の人に思わせているのではないだろうか。

もしかしたらそうした出来事も基本フォーマットの中に組み込まれたプログラムかもしれない。

おちゃめな意思が面白がってそんなイタズラを仕掛けているのかもしれない。

そんな意思の作り出し、時系列に沿って発生する出来事や登場人物も全て自分自身で描いたストーリーで有る為、そこで「自分」と感じている意思は主人公でもある。

その主人公がストーリーの中で基本フォーマットの中にあるプログラムに触れた時、「引き寄せの法則」ってホントか?と思えば実験してみようという事になり、劇中の自分自身がその役柄の中でイメージをしてみるという事はストーリーを書いている自分自身(脚本家)にリクエストをしている状況となり、それがストーリー上邪魔にならない限り、実現したりするのではないだろうか。

だから同じ世界に登場するエキストラは引寄せに成功できるのも出来ないのもいるし、バカにしたり否定するものもいる。

全ては自分自身のストーリー(人生)の為であり、誰の為でもない。

生まれてすぐ亡くなってしまうといった状況はその時点でその劇は終了し、もしかしてそれは自分自身が脚本の失敗や基本フォーマットのエラーである可能性もある。

他の人の子供が生まれてすぐ死亡してしまった状況を見ている人は基本フォーマットのプログラム通りなので自身の人生はまだ続くのだ。

自分が死なない限り自分の世界は続き、災害やテロ、戦争等で他の人が死亡していくのはエキストラの演出であり自身が死なない限り劇は続く。

一体自分自身はどのようなストーリーを体験したくてどういった展開をこの先用意しているのか?これを知りたくて占い師に聞いてみたりすると、占い師はその用意されている脚本を薄ら見る事が出来て一部だけ教えてもらえるかもしれない。

もっとしっかり見る事が出来る霊能者もいたりして、未来を教えてもらえたら、それは脚本の一部かもしれない。

だからここでこうした文章を書いていること自体、自分に向けて書いているだけで、読んでいる人はエキストラという可能性も考えられる。
また、もしかしたら劇団の仲間かもしれない。

基本フォーマット、この中の構造は現実社会と霊的社会に分かれていて、神や悪霊、浮遊霊に地縛霊と様々な登場エキストラが用意されており、死後の世界は霊になると思い込んでいるだけかもしれない。

死後の世界も実は存在しなく、霊的世界の階層といった概念も全て基本フォーマットの中に構築された幻想の世界であろう。

魂と呼ばれる存在はもしかしたらこの文章の中に登場する「意思」かもしれない。しかしそこに魂としての階層、カルマ等はあらず、単純に意思があるだけかもしれない。

想念という概念の中にある意思等、これらは存在という表現が正しいかどうかも分からない。

こうして全てをファンタジーだと考える私自身の人生とは一体何を目的としているのだろうか?

私の元となる意思は今回は「探検」がテーマなのかもしれない。

この世界の謎解きを行う事を楽しみ、もしくは最終目的としているのか。

だから若いころの不自然な事故の数々でもかすり傷程度で生きながらえ、不思議な縁で繋がる人々から仕事も不思議な展開を見せ、一般的な人はあまり経験した事の無いような人生を経験してきた。

全てはこの為に有ったのだろうか?

それともまだこの先に新たな展開を用意してあるのだろうか?

これも全く不明である。

これを読んでいる方々は私の劇団の仲間で、あなた自身の人生を考えるきっかけにこのブログを読んでいるのだろうか?

それとも私の人生の終了と同時に全て消えてしまうのか。

それぞれ別の基本フォーマットの中で生きているが、こうした情報等は共有できる仕組みがあったりするのかもしれない。

今日はスマホの環境でうまく動作してくれなくて1時間位久しぶりにイライラしてしまった。その結果直後に重体に巻き込まれ、ここ数年でそんな渋滞などしたことの無い場所であったため、これはイライラを引き寄せたな、と感じ、心を静かに収めてみた。その後もしばらくは、このタイミングかよ、という信号のひっかかりから、道を間違えたら迷路に迷い込み、結局元の場所に戻ってきたりとイライラする状況が続いてしまった。

早めに気が付いて心を静めた為に、それ以上イライラに襲われる事は無かったwww

この世界で出会う人、縁の繋がる人、こうした人達は同じ基本フォーマット上にいて同じ時間軸を体験しているのだろうか。

それぞれ別のフォーマット上にいながら、時折出会ったり縁が繋がったりとそれぞれのプログラムが交錯したりするのか。

この「全て」がという全ての意味を自分自身でこれまで勝手に範囲決めしてきた為に、矛盾が発生し、迷宮の館から出る事が出来なかった。

全てが想念の中にある、とするとこれまで悩んできた矛盾は全て無くなり不思議であると思っていた事も当然の事になる。

一番の問題点であった「何の為」という答えもここにある。

人工知能のプログラムをどれだけ高度に人間が作り上げても、人間の事を表面上しか理解できない人口知能と同じで、プログラム上の自分自身も元となる「意思」を理解する事は出来ないであろう。

想念の世界をイメージするにはその元となるデータが無い。

概念を持っていないので予想すら出来ないのだ。

もしかしたら基本フォーマットと言っているこの仕組みはそれぞれの意思が使い個別の世界を作り出してはいるものの、共通で利用している部分もあるかもしれない。

その共用部分がネットであったりして、他の世界にいる意思の主役もこのブログを必要な場合読んでいるかもしれない。

そう考えると、自分一人では無いという感覚が出てきて少し楽しくなる。

ここまで書いてきた考えも、人間の現実社会的に実証する事は不可能である。

しかし私自身がこれまで体験したり聞いたりしてきた事の総決算である事は間違いない事なので、私の答えとしてはこれで正しいのだ。

他のフォーマット上にいる人にとっては違うかもしれない。

似てはいるが違うかもしれないし、その人の意思が描いたストーリー上邪魔であればこのブログには出会う事は無いであろうが、必要であれば多少違っても参考程度に読まれるかもしれない。

ここまでの道のりは大変長かった。

探し求めてきた答えが見つかったという安堵感。

勿論これを読まれている方で、違和感を感じている人はいると思う。
その人なりの正解があるはずなので、気になればそれを探して頂きたい。

今後このブログを更新するかどうかはまだ決めてはいない。

過去にも答えに辿り着いたと思い、一度は更新を終了した事も有る為、今後またという事が無いとも言い切れないというのが正直な所。

当面はこの辿り着いた答えをベースに視点を決めて社会を見て実感して楽しんでみようと思う。

これにて第二部の終了

長い事皆さまお付き合いいただきありがとうございました。

しばらくは他愛のない事でも書くかもしれませんが、また遊んでください。

では(^^)/

四季




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(00:13)

2016年07月16日

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アメリカ大統領選に注目が集まったりしているが、ヒラリーとトランプ両氏は「TPP」に否定的だと言う。
ヒラリートランプ

TPPって何?
議論されている内容の詳細は公開されていない為不明だ。
概要だけがチラリと出され、議論が白熱している。

日本にとって、良い所と好ましくない所があるようだ。
否定論者は大反対している、危険だ!と。

また怖い内容だとリークがあったようで、その内容も公開されている。
興味のある方はこの記事最下部にリンクを載せておくのでご覧ください。

意識の視点が人間界もしくは人間界に近い所にある場合、こうした人間社会の事は気になったりする。

また霊界視点で全てを考える人のお話も人間界視点で考える人にはぶっ飛びの思想に思えたりもする。

意思は固有の価値観を持っているので、どのような交流もその価値観の違いで驚くことが多いものだ。

どれだけ霊的思想に傾こうとも、人間の体を意識している限りお腹は空く。お風呂には入りたいw、今感じている自由という環境は壊されたくない、等当たり前に思ったりもするだろう。

TPPで著作権が大変な事になる、という今回のリンク記事であるが、著作権に関わる生き方をしている方々は直接の影響なので大変であろう。

しかし関係ない人には本当に他人事である。

逆に何かメリットになる人たちもいるかもしれない。

大きな支配の流れが自分に襲い掛かってきたらどう対処する?

スピリチュアルの世界ではよく「執着心」を悪者扱いする事が多い。

ではあっさり諦める?

どこまで諦める?

この線引きも人の価値観によって違う。

諦める範囲を自分の命まで含めれば、「あ、終わりだな」と思った瞬間生き残る事を諦めるだろう。

以前霊能者の方が、ヨーロッパでの船が沈没する時の被害に遭われたご婦人の話だったと思うが、沈みゆく船の中で人生の終わりを悟ったご婦人は、その瞬間自分の人生を振り返り良い友人に恵まれ、自分の人生は幸せであった、そう思い、あがいて生き残ろうとせずそのまま笑顔で沈んで行ったという事をブログに書いて、自分の命にさえも執着心を持たなかったと褒めていた。

亡くなっていく方の思考を後からどう捉えたのか?

この辺りがスピリチュアルの世界が眉唾と言われてしまう所であろう。

遺書でも書き残してあってというならまだわかるが。。。

前世を思い出した人の話では、水死した時の事を思い出し「ガボッ」となった瞬間楽になったとか、刃物で刺され内臓が・・・と不快な感覚が蘇って気分が悪くなったり、僧侶が即身成仏になろうとして死ぬほど後悔したという笑えない話とか、信じる事も疑う事もとりあえず置いておいてこうした話が溢れている。

また、霊は生前の明確な記憶を無くしているという話もある。

霊として彷徨っている状態では、自分な何故死んだのか、どうして命を落とすことになったのか、自分は誰だったのか?忘れているという。

少し前に「お迎えです」というドラマがあったが、この中でも忘れている霊としっかり覚えている霊が登場して、都合よくストーリーが組み立てられていた。

話が大幅にずれたので、軌道修正。。。

霊的視点←−−−→人間的視点

左右どちらの視点で見えている世界を判断するのか?

霊的視点という知識を持っていれば、一つの基準点としてそこに置いて考える事が出来るだろうが、自分自身が幼いころ、霊的視点等という考え方や知識を全く持っていなかった頃から、大人が行う様々な行いを冷めた目線で見ていた事をはっきり覚えている。

その冷めた目線は今でも変わらない。
そこへ霊的視点という知識が加わって、表現の仕方が変わっただけである。

人間社会も矛盾や理不尽が蔓延しており、その隙間に落ちてしまったときは酷い経験をする事になる。

「嫌な思い」を経験するのだ。

その状況が続くと、打開策を考える。
そして考え続けた先には法律の未整備であったり理不尽がまかり通る権力であったりと個人では太刀打ちできない状況であったりするとそこに幻滅と脱力が生まれる。

こうした幻滅や脱力といった思考から脱却したいという思考も人間は持っており、その方法として「執着心を捨てる」がある。

勿論「立ち向かう」というのもあるが、それは熱い人にお任せしよう。

また、「なんだか分からないが、脱出できた」という不思議体験もある。

こんな時に神様や守護霊様といった存在の登場だ。

それも今回は置いておいて、、、

執着心を捨て、流れるまま流されてみる。
これを選択できる状況まで追い詰められた時は「諦め」から執着できなくなるといった方が正解になる場合もあるだろう。

お腹が空いている時、本当においしいものを食べた時
「うまい!!」
と感じる感覚。

猛暑日に冷房の効いた部屋に入った瞬間等肉体的な感覚の場合は少々話が違う。

右か左か選択できる状況で、片方を選択すると名誉であったり財産であったり大切な人であったりを「失う事になる」といった状況だろう。

そうした大切だと思えるものや人等を「失いたくない」といった思いからその地位や環境や物に執着するといった状況だ。

何を基準に判断するかは人それぞれであろうが、その時の判断を後に後悔する事もある。

判断が間違えていたと後に判明するか、執着が残っていてという事も。

先ほども書いた自分自身が幼少期から執着心が無いと自分では思っている状況は一体何だろうか?

肉体的な特性だよ、と言われればそうであろう。
霊的な特性かも、と言われても反論できない。
輪廻転生の回数が多いから、もう飽きてるのかもねw
他の惑星からやって来たから地球の価値観が分からないんだよww

執着心一つとってもこれだけ広範囲な言い方が出来てしまう。

本当にスピリチュアルの世界は解明できるのだろうか。。。

とスピリチュアル世界の解明に私は執着しているのだろうかw

本日も最後までお付き合いいただきありがとう。 


先ほどのTPP関連のリンク
「TPPの資料がまた流出、アメリカが著作権に関する戦慄の提案を推し進めていることが明らかに」


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(12:31)

2016年07月12日

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全世界的に見ても「神」という何かしらの見えない存在を崇めたりする人々は多い。
救いを求めたりお願い事をしたり、良い事があると感謝したり。

我々は神に支配されているのか?

神と人間の関係とは一体どういった形なのか?

昔の話では、神を侮辱すると祟りが。。。とか。

神と人間の価値観の違いはどの程度あるのか?

神は人々を見守っている?

見てるだけ?

何か手助けを?

霊能者のブログでは、神が災害の被害を少しでも食い止めようと動いているとか。

素敵なパートナーとの出会いは神様の贈り物♪と感謝したり。

プロ野球開幕前には必勝祈願に出向いたり。

家には神棚が置いてあり、お供え物を毎日置いてみたり。

神が何かしてくれている、守ってくれていると思いたい。

思いたいので、心のよりどころにしているのか。

もし神が人間の思いに何か反応したり、危険な時助けてくれたりといった干渉があるのであればその効果は感謝として返るかもしれない。

しかし、神の名前の元にテロを起こし、人を殺し続けるテロリストを神はどう見るのか?

もしかしてその神はテロの神?
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とある霊能者の言葉では神の世界も多数の種類が有り、勢力争いを行っているとか。

するとテロの神もいるという事?

神どうしは戦わない?

もしかして戦っていて、人間には見えないだけなのか。

とある霊能者のブログでは彷徨っている霊に引っ張られて自殺してしまう人もいるとか。

守護霊や神が手助けして守ってくれる時も有り、守られている人もいて、そんな助けが無い人は彷徨う霊に出くわすと引っ張られてしまう事もあるという。

人間社会での大人と学生の関係、神と人間の関係、似たような感じである程度管理されているという位の関係だろうか?

人間社会では教育環境の管理がずさんだと学校が荒れる。

私自身の肌感覚なのだが、ここ40年位の社会の変化を見てると悪さをする人間の行動は巧妙になり悪質化しているように思う。
また、詐欺等も組織化して悪質化しており、人の良心は無いのか?と思えるほどだ。

これだけ社会が荒れているのは神界の怠慢か?

それとも神界での争いが忙しくて人間社会どころでは無い?

あくまで神界があるとしての考えである。

そんなものは無い、と言う人であれば神棚も神社もお寺も関係なく生きているであろう。

しかし、そうでは無いという人も多数いるので蔑ろに出来ないというジレンマもある。

神界があり人間社会を管理しているとして、その場合どういった方向へ導きたいのだろうか?

魂の向上だとかカルマの解消だとか色々言われているが、どれも矛盾をはらんでおりスッキリ説明出来ない。

もしかしたら、長い年月でなんとなく出来上がって来た仕組みなのかもしれない。

そうするとそこに大きな目的なども無く、なんとなくいいなと思う方向へ流れているだけかもしれない。

では、「神が守ってくれる事もある」として、どうすれば?と考える人もいるだろう。

人間の欲求、「事故や災害でも命は」とか「素敵なパートナーを」とか「仕事の成功に」とか
「大切な人の病気が治りますように」とかとかとか。。。

神様の価値観で「それはいくらなんでも・・・」という願いもあるのだろうか?

テロリストの神では価値観がまるで違うだろうし、日本神界の神々でもお願いする神様によって価値観が違ったり、得手不得手があったりするのか?

では「引き寄せの法則」というのは神の助け無しで自力で効果を出すのだろうか?

様々な神様を人間の価値観で擬人化して考えてみたが、しっくりこないのではないか?

元々人間が「意識」を持っていると言われているこの意識とは?という大前提があやふやで有る為、擬人化した神々も、テロリストの神も仮説にすぎない。

しかし現実の人間社会を見ていると、何やら目に見えない不思議な力が働いたとしか思えないような出来事もある事は事実だと認識している。

何かありそう・・・

この多くの人に共通認識されている「何か」、これを使えないだろうか?

そう考えたくもなる。

自分自身の経験として、この「何か」は引き寄せの法則という表現で使えそうだと思い、これまで実践してきた。

結果として驚くこともあり、何の反応も示さない事もある。

まだ、いまいち要領を得ない。

自分自身の「意識」という正体不明のものの使い方をマスターすると引寄せも成功率が上がるように思えるのだが。。。

こうした実社会に近い部分での不思議活用等と対照的に「パラレルワールド」や「異次元世界」等根本的にこれまでの考えを覆してしまう考え方もある。

量子という微小な世界の理論等を活用して言われている事が多いが、量子論の世界から実社会への関連性と言うか、実社会で生きる(と思っている自意識)人間としては現実に活用という観点からは繋げることが出来ない。

解明できるまであと数百年かかるかもしれない。それでは現在の社会にいる「意識」としては肉体が持ちこたえる事は出来ない。それでは今現在の「欲」に応える事が出来ない。

では、即役立てるにはどうしようか?

「自意識をマスターし、引き寄せの法則を使いこなす」

現実的な考えとしてはこうだろう。

そして並行して、異次元の世界や不明な世界の探求という当たり前の考えだ。。。

書いていて自分自身でツッコミを入れたくなった。。。

申し訳ない。。。

自意識をもっと探求し、マスターしていく事がもしかしたら何かの発見に繋がるかもしれない。

神は自分の中にいる、自分自身が神の分身である、という表現もある。

思考が偏らないように考えるのは拠り所が無い為、結構しんどい。

この探求したいという欲求はどこから沸き上がるのか?

最近ブログでこうして言葉で表現するのが本当に難しく感じる。

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう。




(14:15)

2016年06月16日

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人間社会とは本当に多種多様で面白い事を考え出す者がいる。
そんな一般的な社会の中で、アメリカのCIAが公開した資料がある。
CIAの資料の目的は、敵国を衰退させる為の方法だw

cia

その一部抜粋が以下11項目

1.「注意深さ」を促す。スピーディーに物事を進めると先々問題が発生するので賢明な判断をすべき、と「道理をわきまえた人」の振りをする

2.可能な限り案件は委員会で検討。委員会はなるべく大きくすることとする。最低でも5人以上

3.何事も指揮命令系統を厳格に守る。意思決定を早めるための「抜け道」を決して許さない

4.会社内での組織的位置付けにこだわる。これからしようとすることが、本当にその組織の権限内なのか、より上層部の決断を仰がなくてよいのか、といった疑問点を常に指摘する

5.前回の会議で決まったことを蒸し返して再討議を促す

6.文書は細かな言葉尻にこだわる

7.重要でないものの完璧な仕上がりにこだわる

8.重要な業務があっても会議を実施する

9.なるべくペーパーワークを増やす

10.業務の承認手続きをなるべく複雑にする。一人で承認できる事項でも3人の承認を必須にする

11.全ての規則を厳格に適用する

以上

本文最後にこのレポートを紹介しておられるサイトへのリンクを張っておきます。

これを読むと、皆さんはふといつもの会社の中の様子が目に浮かぶ人が多いのでは?
役所関係に絡む事があると、この11項目の徹底ぶりがうっとおしい事も多いw

「正論」だ。

正論であるがゆえに人は逆らいにくい。
最近の世の中を見ていると、この11項目を厳格に守る風潮が強いと感じるし、更には「責任」を追及するというこれもまた「正論」を振りかざし、目くじらを立てている人が激増しているように感じる。

こう書くと、今度はまた極端な人がいて、「それではルールを全て無視してもいいのか?」「やりたい放題やってもOK?」と言い出す。

そういう事をこのレポートは言っているのではない。
全ての規則を厳格に適用するという11番目の項目の為に、責任論が正論として吹き荒れていては誰も挑戦をしなくなるし、通常の手順を変えたり変則的な事をすると混乱が生じる恐れがある。

そんな変化を人は嫌い、そのモヤモヤや怒りの矛先を正論として変則プレーヤーに向けるのだ。

新しい事を始めようとする側からすると、とにかく面倒くさい邪魔者という認識だ。

すると、無茶な事をしようとする人間を止めてあげる事も必要、とか言いだす。

しかし成功者と呼ばれる人の言葉に多いのは、失敗を「経験したから」という言葉も多い。

つまりどれがいいとは言い難い状況で、人々は押しくらまんじゅうをしている。

そんな社会へ正論を振りかざし、反論が難しい環境を作り上げていくとその社会は生産性が下がり、衰退していくというのだ。

そんな衰退をCIAが仕組むという戦略レポート。

そんな事信じがたい。。。と思っても、CIAという組織が実際に使用していた理論であるというが、そんな公開された情報では裏があるのでは?敢えて公開する事により他の策略が・・・と無限ループから抜けられなくなる。

今の日本社会を見てみよう。
全ての原因がこのレポート通りで衰退しているとまでは言わないが、快く思っていない人は多いのではないだろうか?

さて、前置きが長くなったが、霊界の話もこれに重なる事が多いように感じたため今回のテーマに選んでみた。

霊界での人々の魂の扱いについて
「魂を磨くため」とか「向上心」だとか「修行」だとか何かしらの進化進歩を望んでいるように言われている事が多い。

そして「徳を積む」だとか「善行」だとか「人の為」といった「善意」を期待している。

これはまさに「正論」であろう。

正論をぶち上げると人は表立って逆らいにくい。
本心でそうは思っていなくとも、渋々従ったふりをしてみたりもする。

正論は人を支配するには格好の手段だ。
だから遠い昔から宗教は「正論」として心の救済を押し出しつつ、「だからこうした方が良い」という導きをしてきた宗教はまだいい。

「こうしなくてはならない」といった義務を押し付けてくる宗教もある。
これが支配であり、エスカレートしていく。

今現在でこのブログでも長年探求してきたものの、魂の存在や霊界は「ありそう」「あるかもしれない」と言った所にいる。

ありそう、ある、としてもその目的等はまだ明確ではない。
確信を持って、断言しておられる霊能者もいるが、私自身はまだ断言できない所である。

今現在わかっている生物の歴史では、人間も遠い昔は単細胞な単純生物から環境に適応し、対応してきた為に種族として生き残っている。

寒ければ皮下脂肪を付け、食べ物を得るために知恵を働かせ、道具を作り効率を求めた。

野生動物を見てみると、腕力を付けたり、俊敏さを会得したり、牙を発達させたり、翼を得て飛んだりと進化してきたと言われている。

これらは環境に適合する為にDNAを進化させ、己の肉体を適応させてきた。

今現在の人間は、更なる便利さ快適さを求め、コンピューターを発達させ、文字を書かなくなり、移動は乗り物が進化し、求める快適を獲得している。

その代わり、肉体が楽をしている為に体力は落ち、暑さに弱くなりと退化しているとも思える状況もある。

更には最近はAI(人工知能)の急速な発達で、人々の仕事さえも無くなりつつある。

更にAIが進化すれば、どのような社会になるのかは様々な妄想が膨らんでいる。

これまでの人間に必要とされて来た「記憶力」とか正確な仕事であるとかは機械にとって代わる為、人間にとってそれほど必要とされなくなってくる可能性は非常に高い。

色々な予測はあるだろうが、自分自身を私と認識しているこの意識は今後どう変化していくのか、とても興味がある。

もし霊界側の目的の一つに「体験」という事があるとしたら?

ネコとして人間に愛される体験。

人間として苦難を乗り越える体験。

ここでは書ききれないほど体験というテーマには種類があるので、この位にして先へ進むと、機械を使って人間が楽をする社会になればなるほど、体験できる事は減るのか増えるのか?

VR(疑似体験)も急速に進歩しているが、霊界から人間社会を体験するという事をしながら更にVRで別の世界を体験する、新たな体験テーマは増えていくのだろう。

以前も書いたのだが、もしかしてAIでロボットが発達したら、そのロボットへ魂が宿る事もあるのかもしれない。

我々は時間という軸の上に存在しているので必ず期限という制限が付いて回る。
CIAの会社をダメにする11の行動様式という理論ももしかしたら人類にとっては賞味期限切れなのかもしれない。

霊界から人間界を見て、今の社会でしか体験できない事もあるという人間目線の考え方もある。

パラレルワールドが存在し、あらゆる体験が可能だから気にする必要が無いと言えばそれもあるか。

時間という概念が実はあるように勘違いしているだけで実はそんなものは無く、ベッドの中で見る夢のように時間は関係無い世界があり、我々が未来だと思っている世界もパラレルで全てあり(「あり」という表現も解釈がとても多岐にわたるので難しいが、最近私がなんとなく感じている世界観での文字起こしであるとご理解いただきたい)実際に起こっていると思っているだけなのかもしれない。

本日も最後までお付き合いいただきありがとう。

過去記事:

会社をダメにする11の行動様式










(11:49)

2016年05月31日

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kamisama


何か悪い事と思われる事態が発生すると。。。

「神の祟りじゃぁ〜」

霊能者も「○○神が怒ってる」

こんな話は結構多い

そして、祠があってそこに悪霊がいて・・・とか、何かしら悪い出来事の場合原因となる神とか悪霊とかがピンポイントで指摘される事は多い。

しかし、何かしら良い事、嬉しい事、ミラクルな事が起こった場合、ピンポイントで「この神様に助けてもらった」とか特定される事が少ないように思うのだが。

神棚にお供え物を毎日置いて手を合わせている人、神棚すら家に無い人、色々だろう。

では神棚すら家に無い人にはミラクルは起こらない?

いやその場合おじいちゃんの家に神棚が、とか、ご先祖様が、とか、考えを巡らせ思い当たりそうな事を探ったりする。

それでも思い当たらないと、「あ、守護霊だ!」とか、「人生計画通りだ!」とか色々探すだろう。

そして「とにかくよかった」という所で落ち着いていく。

このブログでも何度も深堀してきた「人生は決まっているのか?」というテーマに、今の所「決まってない」もし決まっていても「予定があるだけ」という位の所である。

つまりは未来は自分次第という事になり、危険な事にも遭遇する。

そしてやばい時、何かしら手助けされて事なきを得る場合もある。

しかし、神社でイタズラをしたりして「祟りだ」とか「バチが当たった」とかいう場合、その特定の神社や神様が特定されやすいように思う。

以前も書いたが、人間は何か事が起こるとその事の「意味」を知りたいという特性を持つ。

苦難が訪れると、これはきっと神の試練だとか、運が悪いだとか、もう少し霊界上級者になると、「これは何かの布石に違いない、この先この事件に関連した事がきっとある」とか思ったり。

苦難の原因を知りたいのだ。

苦難に出会っても理由が判明すると人は安心する。

つまり安心したいから理由を求める、お金があると安心する、旦那や奥さん等パートナーがいると安心する、正社員だと安心する、なんでも安心したいから保険を掛けたり色々するのだ。

その安心材料に神様も加わっているようにも思える。

もしも、人間が生命の危機に出くわしたとき神様が何らかの方法で助けてくれたとしたら?

そんな物理界の人間世界に何かしらの接触というか操作が出来るのであれば、

「わしじゃ!」

とか教えてくれてもよさそうに思うのだがw

苦難の時も「わしじゃ!」と一声かけてくれたら「よし、立ち向かってやろう」という気力が湧いてくるかもしれない。

信心とか祈りとかという人間の心は何かしらの念を出したり、神様へのエネルギーになったりするのか?

そんな気持ちが神様は欲しいといった話も聞こえてきたりする。

廃れた神社には神様はいないという話も聞いたりする。

「わしじゃ!」の一言で人の心の念はもっと爆発的に増えると思うが、そうするとそれほど欲してもいないのでは?とも思えたりする。

熊本の地震では神様が神社を離れ、危険な状況になった人たちを助けに行ったので留守の神社が倒壊してしまったという話もあったりする。

かなりの方が災害で命を落としたが、全てを救えなかったという事が本当であるとするならば、神様にも物理的限界があるのか?という疑問が湧いてくる。

この場合、人生予定通りだとかという話は横へ置いておく。

以前も紹介したヒゲさんサイトの神様の紹介の中にあった話。

「最近神社へお参りにくる人間がチャラいのが多くてね。ふざけた願いをしてくる奴らには試練を与えておいてやったよ。」

どんな試練なのかわからないが、神様の価値観判断基準でチャライと判断されると、せっかくお参りに行ったのに試練を与えられてしまう事もあると言うのだ。

お参りした人の願い、もしかしたらこれまでの常識からは大きく外れていたかもしれない。しかしそんな突拍子もない発想が人間社会でイノベーションを起こすかもしれない。

そんな突飛な発想をチャライと判断されてしまったら。。。

それでいてヒゲさんの紹介する神様は「人間界でまだ発見されてない元素があるけど、そろそろかな?」とか、不思議な発言も書かれている。

他にもまだまだ理解を超えた話が満載で、矛盾とも思えるが思考の限界と思われる所を超えている部分もあり納得感は得られない。

そんな正体不明な神様だが、「わしじゃ!」の一言位言ってほしい所である。

そんな感謝の念を送ってもらえないような状態でも何かしら手助けしてくれているのだろうか?

少しでも主張してくれたら、もう少し社会も良くなるような気がするのだが。

先日ふと「あ、神様ってワインも飲むのかな?」とか思い、神棚に上げてみた。

そして数日そのまま置いておいたある日の深夜、熟睡中に胃から消化中のものが上がってきて気管に入ってしまい、強烈な胃酸の臭いと気管へ入ってしまった苦しみとで飛び起き、洗面台で冷や汗をかきながらせき込み、苦悶した。

こんな苦しい思いをしたのは人生初であり、もしかしてこのまま人生が終わるかと思ったほどの苦しみであった。

そして翌日ふと神棚のワインが目に留まり、降ろして匂いを嗅いでみた。

「スッパッ!」

強烈な酸の臭いで驚いた。

この時、神様に怒られたのかと思ったりした。

それ以来ワインはやめ、日本酒を置くようにした。

関連はあるのか、単なる出来事か、わからない。。。

「わしじゃ!」と一言言ってくれw

どのような立ち位置で人間界に関わっているのか、まだまだ霊界の事はわからないことだらけだ。

色々な霊能者も捉え方が違っていたりもする、それぞれの霊能者にコンタクトをしてくる神様の種類が違うという事なのか、その辺りもまだ不明だ。


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(22:50)

2016年05月01日

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WS002383

輪廻の輪の中で前世の記憶を消して何度も生まれ変わっている。

どうしてこの様なシステムが出来上がっているのか?

輪廻転生、魂や霊界等は無い!という考え方もある。

そんな事は無いとも言い切れないような事例もある。

どちらでもよいのだが、80才を超えた人たちにアンケートをとった結果がある。

その中の項目の一つで、70%以上の老人たちが同じことを後悔していると言う。

それは「もっとチャレンジすればよかった」と。

他人の目を気にしすぎて自分の欲求を抑え、他人の価値観に合わせて穏便に生きてきてしまった事。

輪廻転生や霊界が有り、何度も生まれ変わっているとしてもそんな事は無いとしても今人間として自分を感じ、生きていると実感しているとしても、「先人に学べ」という事は気にしても良いのではないだろうか?

「Youは何しにこの世界へ?」

自分で人生を計画したにしても、誰かに指図されたにしても、何か課題があってそれを解消しなくてはならないにしても、それ自体覚えていないのだ。

このブログで何度も探求してきた「未来は決まっているか?」というテーマについても、今の時点ではどうも「決まっていない」という所にいる。

「人生の台本はある」が、アドリブも可能、更には書き換えも可能であろう。

そして霊界とコンタクト出来る人たちからの情報では、寿命の延長は数回可能だという話もある。

人生のシナリオで寿命を決めていてもアドリブや筋書の書き換えにより寿命が足りなくなったりしたら書き換えられたりする事もあるという事であろう。

逆に地震や災害等の環境的な事でそのシナリオが打ち切られる事もあるかもしれない。

熊本の地震では津波も予定されていたのだが、熊本に集結している神々がそれを阻止するために活躍したという話もある。そのために拠点である神社を離れていた為に神社が倒壊したりしてしまった所もあるのだと。

するとぼんやりなのだが、見えない世界を含めて、ある構図が見えてくる。

【世界を統括する何か】>【神々】>【守護霊&指導霊】>【人間界】

災害も予定されているが、それを神々ががんばって阻止し人間を守っていると言う。

人間の価値観で人間の生命は尊い、そして生存欲がある、その価値観を見えない世界の神々が守っている。

古くから言われている通りの話になってしまった。。。

ここも先人に学べという事になって行くのか。。。

それにしても80才を超える人達の70%以上が後悔している人生というのは、聞き流すにしてはちょっともったいないとは思わないか?

人間が思う事、やりたい事、その行動に不満を覚える人がいるかもしれない。

だから他人の目を気にして、穏便に?

「Youは何しにこの世界へ?」

他人への迷惑、共存共栄、時には自分が病んで助けられることもある。

そんな様々な状況の中で考え、動くのか、自制するのか、人生の最終時期で後悔するのか。

様々な判断が要求される。

輪廻転生や霊界が「ある」と思っている人でも、今の肉体や両親、親戚、友人関係は今世だけ。

輪廻転生や霊界等「ない」と思っている人は、更に今回だけの人生という事になる。

霊界の仕組みを霊界側から考え続けてきたが、人間目線で考えてみるとこの場所に落ち着いてしまう。

「やっちゃえ人生!」




(12:07)

2016年04月20日

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これまでのブログで考えてきたこと、どうしても腑に落ちないことが解決できない。

何かが違う気がしてきた。

人間の感覚で物理的な制約の中で解決しようとしている事自体が間違えている事はずっと思っていたのだが、現在自分自身が人間である以上その制約を超える事がどうしても難しい。

時々ビジョンが見えたりもするのだが、それが一体何を表しているのかの解釈でまた悩む。

これは想像なのだが、なぜ人間が存在しているのかという永遠とも思える謎。

神様の世界があるとして、霊体でも魂でも呼び名は色々あるがどうでもよい、その非物理的世界事態も何故存在しているのか理由が分かっていないのではないだろうか?

つまり、神様も魂も霊自身も自分がなぜ存在しているのかわからないのではないだろうか?

しかし気が付くと「意識」があり自分を認識する。

認識した自分が肉体を持った人間であったり、非物理的な意識だけの存在であったり。

そして周りを見渡すと、人間界や霊界、そして神界が有ったりする。

輪廻の輪の中で人間であったり意識だけの存在であったりを繰り返したりしている。

神様と呼ばれる存在も自分が何故神様だと呼ばれる位置にいるのか、その意識がなぜ自分を感じるのかなど、皆その起源を知らないのではないだろうか?

電気は便利に活用できる、電子を動かしてやると電流が発生するが、どうして原子核の周辺を電子が周回しているのかその起源は知らない。

輪廻の輪を人間になったり霊になったり繰り返しているが、なぜそうしているのか?なんとなくそんな環境が自分と言う意思に気が付いたときから存在する。

だから、これまでの慣習通り自分が神という立場になればそれらしく振舞い、人間になればまた教育を受け、法律と倫理観等に従いそれらしく振舞うのではないだろうか。

魂だけの状態でも人間の状態でも「こうすべき」とか「こうあるべき」といった一般的な常識とでも言えばいいのか、当たり前だと思っている事を当たり前に実行するといった事も、結局全て「慣習」なのであろう。

昔の人が魂が考えた事、それを引き継いでいるだけなのではないだろうか。

そして時代時代で新しい発明や発見があったり、面白い出来事から新たな慣習が生まれたり変化したりしながら、脈々と受け継がれていく。

魂の世界や神の世界にも慣習があり、それぞれの思惑もあり、その為に霊界から人間界へ介入があったり情報がリークされたりするのではないだろうか。

つまり神様の世界にも「最終目標」があるわけでもなく、人間界の政治の世界と同じでパワーゲームが展開されているだけではないだろうか。

霊能者と呼ばれるような人間界の存在は、霊界の思惑が何かあり、その為に利用されていたりするだけではないだろうか。

何故なら霊能者に相談して問題が解決した事が無いから。
実際に何か見えている事もあるのであろうが、私の場合その情報が全く役に立っていないのだ。
霊能者として「商売」をしている人の存在価値が未だ理解できない。

WS002311

「霊的な事で人生が大変になった」
というヒゲさんのサイト、何度も見直してみたのだが、フィクションとして書いているようには見えない。そして彼は熊本在住なので、現在震災被害に遭い大変な事になっているようだ。

このサイトの中で、2013年頃から何か良からぬものが九州へゆっくり集まっているという記事がある。
今回の地震災害と関係があるのかどうかは不明だが、まずは復興と無事を祈るだけである。

興味のある方は下記にリンクを載せておくので読んでみてはいかがだろうか。
一度読んだだけでは理解できない内容もあるだろうが、何度も読み進めるうちに理解が深まると思う。

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(00:16)

2016年04月11日

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WS002384

歌手の岩崎宏美さんの妹よしみさんが心配でという宏美姉さん。
ある日よく当たると紹介された占い師に見てもらうと、「7年後に結婚しますよ」との事。
「7年後〜?よしみが50歳じゃん」と驚いたと。

それから7年後、本当によしみさんは結婚し、とても幸せな毎日を過ごしている。
そして姉の宏美さんは、すっかり忘れていたあの7年前の占いの事を思い出して「当たってる」と驚いたとコメントしている。

他にもスポーツの世界にいた人が数年後結婚して旅館の女将になるという占い。
これもその通りになっているという。

こんな話が数多く言われている事から占いは当たるのでは?という話に発展するのもうなずける。

では占いでも霊視でもなんでもいいので、未来が当たるとして考えてみよう。

未来が当たるという事は、未来の事は決まっていると受け取れる。

何度もこのブログでも探っているが、どの程度決まっているのか?という事が最終的には問題になる。
今回はそこを追及しないで、未来が「なんだかよくわからないが決まった事があるようだ」という曖昧な状況を前提にしてみようと思う。

ある事例で4年後に結婚するビジョンが見えたという話、しかしその背後にいる守護霊が「その結婚はおすすめ出来ない」というメッセージを霊能者経由で伝えてきたそうな。

霊的なメッセージ等の話は、どれも検証がほぼ不可能な為、深追いは出来ない。

そんな思いをを根底に持ちながら。

守護霊って何する人?

とある霊能者は守護霊について、本人の魂の向上の為敢えて試練を用意したり、危険を回避したりと主目的は魂の向上にあり、その為に必要な手配を行ったりするとも言っている。

また他にも定義として様々な事が言われている為正確にはわからないことが多い。

未来がある程度決まっているという方向性で考えると、守護霊の手配とは?
どこまで決まっているかによるが、決まっているなら手配など不要であろうし、イベントの日時が決まっているだけであとは現地手配というなら守護霊の活躍の場も有ろう。

更に本人の選択や行動も関わってくる。

結婚というイベントの予定だけが決まっており、その時期になると精神的に結婚したくなる、その時期に合わせて経済状況や結婚後の展開のストーリーに合わせて環境が整って来るとか、その頃に予定された相手と結婚したくなる雰囲気になるという流れなのだろうか?

そんな流れに対して守護霊が「気乗りしない」「おすすめでは無い」という意見、これをどう捉えたらいいのか?

まあ、何度も書いているがそもそも何故魂が人間に入り込んでいるのか目的が不明なのでここでも答えには程遠い。

白蛇の話でも登場したのだが、この先事故が発生するという状況を事前に知らせてきたり、その知らせを受けて準備した人が助かり、準備していなかった人が亡くなっていたり。

事前に教えてもらい助かった人は、そこで助かる予定だった?
それならば、白蛇を助けた事も予定通りと思えてくる。

全ての人間が同じ条件でといいう事は無く、予定通り亡くなる人もいれば「回避する事が出来る」人もいるという混在状態という事になってくると、本当に複雑な話に展開して行く。

これも仮説としての考え方なのだが、もしも精神だけの存在という何かがあり、人間はそれを魂だとか霊だとか神とか色々分類し命名している状況だとすると。。。

気の遠くなるような長い年月をかけて精神だけの存在が何かをイメージしたとする。

そのイメージが何億年もの歳月をかけて惑星や生物的なものになり、やがて人間のような生物も誕生し、それは精神だけの存在がイメージした世界なので、やがてイメージ通りの物理的世界に一部同化した精神だけの存在が魂とかと呼ばれているとしたら。

そこには目的も何も無く、精神だけの存在がイメージした空想の世界が出来ただけ。

だから一見目的があるように見えたりもするが、実はそんなものは無く精神だけの存在が思い描いた世界が展開されるだけ。

人間が小説を書くようにある程度のストーリーは思い描いて、文章化していく。

だからストーリーの段階ではまだ詳細は無く、文章化して行くときが現実化していく時、つまり現在我々人間が「今」と思っている段階。

著者の気分が途中で変わり、文章化する時に「やっぱりこいつはここで生かしておこう」とか考えれば奇跡の生還劇が書きこまれたりしていくのではないだろうか。

これも全て仮説なのだが、小説の中の登場人物は著者の考えが100%反映されるが、現実の人間の世界ではもしかして著者の考えが全て反映されず、登場人物自身の考えも反映されるのではないだろうか?

だから、引き寄せの法則などで願いをイメージすると、それを著者が見て全体のストーリーに影響を及ぼさない限り願いを叶えてくれたりする事もあるのではないだろうか。

人間の場合、著者が小説を書いた場合、他の人間がそれを読んでその世界を楽しむ。

では精神だけの存在が書いた人間社会はどんな目的?と考えると、書いたことすら忘れて人間に同化して体験して楽しんでいるのでは?という考えにどうしても戻ってしまう。

それならばと人間社会のルールを無視して行動を起こしたりした場合はどうなるか?
精神だけの著者がストーリーに手を加えて最終的に失脚したり逮捕されたりして収まるのではないだろうか(笑)

やはり自分自身の考え、思考は肉体にある機能を用いており、精神だけの存在はそこから感じ取る感情等を感じて楽しんでいると考えられるのではないだろうか。

だからストーリーとしての未来は決まっているように見えるし、特に変更が無ければ予定通りの展開になる。

そして人間として悲惨な目に遭ってしまったり、追いつめられたりという状況はその登場人物のストーリー通りであり人間の意識としてはとても嫌な状況なのだが著者が決めている事なので逆らえない、となる。

では何者かが決めた自分の人生で起こる事、その理由が分かってしまえばそんなに悲観する事もないのでは?と考えると、小説の登場人物のリアリティが下がり、荒い人生ストーリーになってしまいかねないかもしれない。

人間目線で現代社会を見た時、ネットを通じて様々な情報が入手でき、こうしてスピリチュアルの世界の事も考え方が広まり、だんだんネタバレ状態になって行った場合、今後どう変化していくのだろうか?

私自身の人生もあと何年かで終了する、するとここまで探求した人間が社会から消える、このブログが残ったとしてもこれを読んだ人が「そうだそうだ、その通りだ」と思う人がどのくらいいるだろうか?

結局もしかして私自身もまたどこかへ輪廻転生して記憶をリセットし、新たに矛盾した世界での常識を教育され、そこで不思議な出来事に悩むのかもしれない。

そんな繰り返しの無限ループの世界を生きている。

その間も人間は様々なウイルスに感染したり、異種配合としてハーフの子供が増えたりしてDNAが変化して新たな人種が誕生していくのかもしれない。

敢えてここでDNAが「変化」と書いたのは「進化」という表現がしっくりこなかったというだけの理由だ。

環境の変化に対応した新人類が新たな世界を展開して行く。
今現在の人類が最終形では無いと言う事だけは確かであろうが、結構忘れている人が多いように思う。

最近は「清潔好き」な人が増えて、菌を嫌い、除菌やら殺菌やらと他の菌を悪魔のように捉えている事が多い。

過去の人類のDNAの変化を見ていくと、ウイルスの感染からDNAを一部受け継いで新たな機能を獲得してきたという調査結果がある。

こうして環境に適合し、人類は変化し続けている。

無限に続くように見えるこの世界、精神だけの存在の遊び場として娯楽施設として実験場としてこれほど楽しい世界は無いのではないだろうか。

大きな精神の塊から分離されているように感じている自分の魂は、自殺したらペナルティのように暗黒の世界で独りぼっちの苦悩が待ち受けているとかという設定も著者がそんな定義付けをしただけではないのか?

今現在の社会の環境でこのような事を書くと自殺を助長していると批判される事が目に見える。
しかし自殺という設定が無ければ、人生に追いつめられたりして逃げ場が無くなった時どうすればいいか?

追いつめられないような設定に?すると競争原理という概念も消える、様々な社会の概念が成り立たなくなってしまうのだ。

全ては著者のイメージ通り、つまり全ては神のおぼしめしという言われ方をしてきた。

宗教的な言葉で同じような意味合いの表現が随分昔からあるが、よくよく考えてみると結局昔からこの事はわかっていたという事になるのではないか。

宗教だからというより、社会の支配の為とか色々な思惑が入り込んでいるから分かりにくくなっているが、結局は同じことを言っている。

人間に入り込んでいる状況としては完全に信じる事も確認する事も出来ないので、どうしても疑問が残ってしまい、人間としての感情が優先されてしまう。

だから人間社会には事件が起こって欲しいので著者はそんなストーリーを描くのではないか。

「マトリックス」という映画があるが、この映画の中でさりげなく面白い事を言っていた。

「人間社会は5回滅亡している。何のストレスも無く平和な社会を作ったら人間が皆自殺してしまった」と(笑)

この人間社会を維持するための各種設定として「魂の向上」という事があり、疑心暗鬼に陥りながらも各個人個人が何かしら漠然とした向上意識を持ちながら自立している。

私自身の星占いでは現在の年齢でスピリチュアルの世界を探求するという星の配置になっていると教えて頂いた。

まさにその通りの年齢でスピリチュアルの探求が始まっている。

この探求ももう大詰めではないか?と感じている。

すると次は何をすればいいのだろうか?

目的がまるでない。

もしかして今回の人生もこれで終了か?

そんな事も思いながら書いているのだが、今後突然更新が止まったら「お役目終了」とでも思ってください。

そんな気配は全く無い状況なのだが。。。笑



(17:46)

2016年04月05日

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ネット上には様々な体験談が掲載されている。
その中で気になったお話を考えてみる。
もしかしてこれも創作かもしれないが、それはあまり関係ない事である。 

その体験談から。

子供の頃近所の神社で遊んでいると、他の子供たちが白蛇を棒で叩いて騒いでいた。
それを見た自分は割って入り白蛇を助けた。
その後の夏休み、神社で遊んでいると同年代位の女の子が一緒に遊ぼうとニコニコしながら声をかけてきたので仲良く夏休み中毎日遊んだ。

白蛇

夏休みが終え、それから会う事も無かった。
その後その女の子は時々夢の中に出てきたそうな。
そして夢の中で「早く引っ越して」と。
そして1年後引っ越しが決まり、それから9か月後位にその家を含めて24棟すべてが燃える大火事。

それから高校を卒業し専門学校へ通う仲間と休みの日に海へ向かう途中、車の後部座席に座りながら、二日酔いのせいで居眠りをしてた時、また女の子が夢に出てきたと。
乗っている車が大事故を起こすシーンを何度も見せる為、居眠りから覚めた時安全運転を〜と運転手に伝え、念のためシートベルトをして頭の所へクッションを置いてそのまま寝てしまった。

ガッシャーンという大きな音と衝撃を受けて次に気が付いたのは10時間後の病院のベッド。
警察の人にシートベルトをしていた事を褒められたそうな。
同乗者は亡くなってしまった友人もおり、他も重体、自分だけは足の骨折程度で済んだと言う。

それから数年が経過し、電車通勤の為いつもの駅へ向かうと、知り合いの駅員さんが自分のスーツの肩の辺りに鳥のフンが付いていると教えてくれた。
いつもの電車をやり過ごし近くのコンビニへ行き、鳥のフンを綺麗にしてもう一度駅へ向かうと大混雑。

尼崎のあの電車脱線の大事故であったという。
もし鳥のフンをとコンビニへ寄ったりしていなければ、あの電車のいつもの3両目に乗車してあの事故に巻き込まれたという。

簡単にまとめてみたので、もしもっと詳細に読んでみたい人は一番下に書いたリンクを辿ってみてください。

大まかな流れからすると、子供の頃に助けた白蛇がその後様々な危険を夢で教えてくれたり、鳥のフンでタイミングをずらしてくれたりと守っているように見える。

霊感が強く色々見える知り合いには、その人の体に白蛇が巻き付いているがそれは悪いものでは無いから大丈夫と言われてもいるようだ。

しかしその人は女性に縁が無く、せっかくいい感じになっても結局色々な事情で疎遠になり、30歳を過ぎた今も独身であるとの事。

車の事故や電車の事故で亡くなってしまう人が多くいる中でこの例のようにちょっとしたことでその大難を逃れたり小難にする事が出来る人もいる。

キーワードは守ってくれる人?魂?守護霊?白蛇?何か?

その守護が無い人は事故などに巻き込まれて命を失う事になる。

私の知り合いでも実際に似たような事で難を逃れた人がいる。
御巣鷹山に墜落したJAL123便に、寝坊して乗り遅れた人。
空港にいたのだが、時間を勘違いして乗り遅れた親子。
その結果キャンセル待ちでその飛行機へ乗った人もいるだろう。
こうした巡り会わせは、何か意味があるのか単なる偶然か。。。
説明も検証も不可能である。

逆に命を落とすまで行かないが、何度も何度も事故などに遭ってしまうという事もある。
私自身もそうなのだが、通常なら死んでいてもおかしくないという事故に何度も遭っている。
そして霊能者で有名な方も似たような事を言っていた。

その方も何度も何度も事故等に遭い大変な思いをしたのだそうだ。
そしてその方が言うには「これでもか!まだわからんか!」と霊的な何かに言われたと言う。

こうした話から、ひどい事故等で奇跡的に助かった人は何か意味がありそうに思えてくる。
そうなると、自分自身もあれだけの事故に何度も遭いながら今は障害も残らず普通に生活している事に何か意味があるのか?と考えてしまう。

が、今の所そんな何かがあるようにも思えないのだが。。。

他にも多数の不思議な事例があり、総合的に考えてもこの白蛇の話もあながちフィクションとは思いずらい。

しかしもっと冷めた考え方をすれば、実生活の中でいつもの電車に乗る予定の人が何かの出来事で事故から逃れたり、飛行機に乗り遅れたりする人たちの数は常に一定数あり、本当にたまに起こる事故の時はそうした一定数の人が奇跡的な体験という事でクローズアップされるとも考えられる。

身も蓋も無くなるが。。。w

これは私自身の体験なのだが、居眠り運転の車が突っ込んでくる、そして自分の乗っている車が大破して廃車になるほどの事故が3回も有り、大した怪我も無く済んでいる、そんな経験をしている人は少ないのではないだろうか?

以前とある霊能者が私を見てこんな事を言っていた。

あなたは前世で侍であり、多くの敵兵を切り殺してきた。
今世ではその切り殺された兵が反撃として災いを私に向けているのだと。
この霊能者には私の事故の事含め、何も情報は伝えていない。

こう言われると自分の経験等を照らし合わせて「そうかも」と思ってしまっても不思議では無い。

しかし命までは奪えていない。
では、事故や災害等で命を落としてしまった人達はどう考えたらつじつまがあうのだろう?

この部分だけを考えて書き始めてもきりがない位沢山考え方が出てくる。

命を保つ、落とすといった事の価値観の何か根本的な考え方の違いがあるのかもしれない。

命を落とさないことの方が良かったという考え方が違うとしたら?
人間として生きている方がきついとか、苦しむとか、ダメージが大きいかもしれない。

肉体を持ち命を保った状態から来る価値観での考え方からでは想像がつかない別の世界観が有るのかもしれない。

もっと想像を膨らませて、狭い価値観に入り込まないでこの白蛇の話を考えてみると、何か違うものが見えてくるかもしれない。

もしフィクションだとしても、こうしたストーリーが浮かんできたという時点で人間が生きているこの世界を生きている結果感じる事なので、事実であろうが創作であろうが結果似たようなもんだという事ではないだろうか?


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(13:15)

2016年04月02日

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葬儀

先日父の葬儀があり色々と考えた。

長い人生いろいろな出来事があり、沢山の人との交流も有り葬儀に参列してくれた方々の面々が歴史を物語る。

以前親戚のおじさんの葬儀の時、そのおじさんが参列者に一人一人挨拶している様子が見えたりという事もあったので、今回父もそんな姿が見えるか?と思っていたが、今回は何も無かった。

子供の頃「宝物」と思っていたおもちゃも大人になれば単なるおもちゃ。

学生の頃、勉強の成績や部活の勝負の勝ち負け等は一番重要な関心ごと。

社会人になれば、毎月の売り上げやプロジェクトの成功等が第一次の関心ごとであったりと、その時々で関心ごと、重要な事は変化していく。

スピリチュアルの世界を探索し続けて思う事。

大人になれば子供の頃に宝物と思ったおもちゃの事は単なる思い出となるように、スピリチュアルの世界を知っていくと、人間としての現実社会での事は「幻想である」となる。

現実世界に人間として存在したまま心境だけがスピリチュアルの世界へ行ってしまうと、人間社会の事が全てどうでもよくなるという感覚は、捉え方も様々あるだろうが大人になってから子供の頃のおもちゃを見るような感覚なのかもしれない。

父の葬儀の時、自然に思った事は「お疲れ様」という言葉。

どういった目的で人間界へ来たのか、元々目的など無かったのか、生まれた家で生涯を過ごし、近所の病院で眠ったまま生涯を閉じた。

夜になり庭に出て父の気配を探してみたが、爽快感だけが残り何の未練も感じられないといった感覚であった。

葬儀の参列者に色々話を聞いてみると、やはり亡くなる直前には準備行動を行っている事が判明した。

親類を集めた久しぶりの会合や直前の散髪、荷物の整頓等の身辺整理、まだ他にもあるのだが本人にはそのつもりは無く何気なく行っていたと思う動きが、結果準備行動になっていたのだ。

それまでは元気でいて何の前触れも無く突然テレビの電源を切るようにぱたりと逝ってしまった。

徐々に具合が悪くなっていったのであれば準備行動もなんとなく理解できるが、今回は脳内出血であったので突然の出来事だ。それなのに準備行動がどんぴしゃのタイミングで行われている事に何かを思わせる。

良くわからないスピリチュアルの世界に入り込みすぎると、現実社会の人間としての生き方に価値観を見いだせなくなるというこの感覚は、現実社会で言われている「スピリチュアル廃人」という言葉に繋がるように思えてくる。

学生の頃、大人びた思考を持ち同級生の行動に冷めた目線を送る感覚と同じような感覚かもしれない。

その思考が良いとも悪いとも言えるものではないだろう。

その時その時の現象に一喜一憂出来る感覚も楽しむ経験として味わえる。

散々経験をした後、感動するような事にも慣れてしまったらそこから新たな発見があるかもしれない。

つまらない平穏な時に何か事が起こると、そこに驚きや感動等が生まれる。

いつもびっくりするような所に居続けてもびっくりも慣れてしまう。

暇なとき、平穏な時、退屈な状態は次の感動や驚きなどの準備期間であろう。

葬儀の後、霊的な不思議現象もあったのだがここでは書けない内容なので伏せておくが、やはり人の意識は肉体が無くなってから数十年経過しても何かしら存在するという事を実感した。

スピリチュアルの世界はまだまだ奥が深いし、理解を超えた所が多い。



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(14:30)

2016年03月11日

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なんとなく辿り着いて拝見したこのブログに書かれている体験、的を得ているというのか想像しただけで恐ろしい。

 

あらすじとしては、お隣の国へ旅行へ行ったとき偶然目撃した不思議で恐ろしい光景が、日本に帰国した後自分自身に影響が出てしまったという流れだ。

 

霊界関連では無いこのブログの他の記事を拝見すると、政治的な事も多く書かれており単なる体験談といった感じだ。

 

フィクションなのだろうか?

 

だとしてもあまりにも納得できてしまう完成度の高さに唸ってしまう。



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興味のある方は下記リンクからご覧ください。
 

住職からの渡航警告!



(11:27)

2016年03月07日

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最近よく拝見させていただいている霊感の強い方々のブログで、変化が起きているようだ。

感覚が変になって肉体的にとてもつらいとか、様々な苦労をされているようだ。

何が起きているのだろう?

私自身は強い霊感など無いと思っているからか何の変化も無いが。

霊界に何か変化が起こっているのか?

人間界に意識を置いて生活している人には何ら関りは無い。

一過性のものなのか不明だが落ち着いを取り戻して来たら色々わかるかもしれない。



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(14:54)

2016年02月22日

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WS002385

にゃんにゃんにゃん 
2月22日ネコの日に起こった
ネコに関する出来事。

まあ、これは大した事では無いのだが
なんとなく。

普段夜に散歩など出歩かないのだが、
ふとソワソワして散歩してみたくなった。
そして近所を20分ほどテクテクと散歩。

家も近くなってきた頃道路に何か落ちてる。。。

寄ってみると暗闇の道路にペシャンコの猫が。。。

何もネコの日に事故に遭わなくても。。。
と思い近くの茂みに移動してあげようと
持ち上げたところ

まだ温かい。。。

毛もまだふさふさしていて
事故にあったばかりだった。

近くの茂みの木の下にそっと置いて、
スコップとか無いので大きな葉っぱを
幾重にも重ねて覆い隠して置いてきた。

この日そわそわして散歩に行きたくなった
のは近所で私だけしかいなかったから
呼ばれたのか?

そんな事を考えながら帰宅したのであった。

ネコの声が聞こえたりとか不思議な事は
無かったがどうして散歩に急に行きたく
なったのかがとても不思議な夜であった。 



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(22:22)

2016年02月14日

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猫後姿

スピリチュアルの世界は本当に幅が広く歴史も長い。全てを網羅して知る事はなかなか難しいのであろうし言われている事が真実なのかどうかも判断が難しい。更に真実とは?という定義にもスピリチュアルの世界は疑問を投げかけている。

こんなスピリチュアルの世界は人間が生きている社会には直接関係ないと思えば関係ない。
間接的に関係があると思えばあるのかもしれない。

偶然とは思えないようなドラマティックな展開に「神様のおかげ」と思えばそうかもしれない。また最悪な展開が次々と連なり、悲劇な状態になってしまうのも「神様の試練」と思えば試練かもしれない。

しかし後にその試練があったから事今の幸せに辿り着けたという展開に「神様に感謝」という180度方向転換が有るかもしれない。

インターネットや情報網が今ほど進化していない頃は人々の話題はご近所のお話が中心であり、テレビが普及して流れてくるニュースも遠い世界の話で、庶民の生活には直接大きくかかわる事も無かったからどこか他人事であった。

今は地球が狭くなったと言われるように、遠く離れた国でイランとサウジが対立するとホルムズ海峡を日本のタンカーが通れなくなると国家存立の危機となり、自衛隊が集団的自衛権を行使する事態になるとか。。。

戦争がとても身近になってきている。

神様の世界があるとして、人間の生活に関わってきてるとして、何の為かという理由は未だまるで皆目見当がつかないが、そんな神様の人間社会への介入があるとして考えてみよう。

事故が起きて人が命を落とす。または奇跡的に助かる。この分かれ道は果たして神様の采配か?

いや、人間は生まれる前に自分で自分の寿命も決めてくる。こうした話もある。ではもし寿命を決めてきたというのであれば、救命救急で救われる事も寿命のスケジュールに組み込んで考えているのか?

こうなると他人を自分の寿命のスケジュールに組み込んだ事により他人の人生とも予定がガッチリかみ合う必要が出てくる。するとそこからは様々な人間の人生ドラマ全てが連動しているという考え方も出てくる。果たしてそうなのか?

では他人のスケジュールとは連動しない、とした場合はどうか?寿命は自分自身で決めてきたというのであれば救命救急はあまり意味のない事になるのでは?決まった寿命に対して何とかしようと他人が手を出しても大きなお世話ではないだろうか。

おおざっぱに寿命を決めてきて、予定外の事故や病気になった時救命ドクターが助けてくれる、それでも予定通り寿命が決まっていればドクターでも及ばないといったところか。

ケースバイケースの様々な状況でそれぞれの心を落ち着かせるために都合よく解釈しているに過ぎないという見方も出来るであろう。

自分の心に素直に生きる事が出来る。こう書くと素晴らしいように見えてしまう。その心に「略奪」や「暴力」「悪意」とかを持っている人間もいるという事は社会を見ればすぐわかるように、性善説で考えては本質が見えてこない。

動物世界では弱肉強食で自分が他の動物の栄養源として食べられてしまうという危険と常に隣り合わせであるが、言語で知識を継承するという事を動物の世界では行われていないと思われている。しかし本能的に危険を察知し逃げるという行動を取り、多様な種が食物連鎖の輪を形成している。

人間の社会では知識を勉強し貯えておかないと平気で騙されるし殺される。情報通信が発達したおかげで社会は更に複雑化し、国家が自国民さえ騙すという状況になってきた。

人間同士が殺しあう状況が戦争、これはビックビジネス。金儲けである。判明している人類の過去の歴史を見ても、常にどこかで戦いが起きており、常に人は殺しあってきた。今ではその殺し合いの状況を金儲けの手段にしている。

自分は殺されたくないと思いつつ他人を殺さないと金儲けが出来ない。なんとも不愉快な社会ではないだろうか。そして社会を見てみると、老人からお金をだまし取る連中がうじゃうじゃいたりもする。

悪い状況は書ききれないほどあるが、スピリチュアルマスター達はこんな状況は「学び」の場として絶好な場であるとか言っていたりする。

こんなひどい社会でも他人の事を考え、人の為になる事をとか、そうして魂を磨くと言うのだ。

磨くという事は削る事、研磨という作業でも荒削りから順番に目が細かくなり最終仕上げでもコンパウンドで削るのだ。これが磨くという事であり、魂を磨くには悲惨な状況というコンパウンドが必要と言いたいようである。

磨く目的は?

どうしてもここに行ってしまうのだが、何のために自分の魂を磨く?自己満足の為?
自分の魂が磨かれて素晴らしくなったので、他の磨かれていない魂と差をつけたい?

ではコンパウンド役として汚れ仕事をしている魂は最終的にはゴミ?

強化合宿所(人間社会)の鬼教官が敢えて厳しくしているのがコンパウンド役という事か?

すると、人間社会で非人道的な行為や詐欺、とかひどい事をしている人たちの魂は本当は光り輝いているという事?

魂を磨く為という言葉も色あせる。

昨日よりも今日、そして今日よりも明日はより良くしたいと誰もが思い仕事をしたりしている。
太平洋戦争でひどい状況になった日本で道端の草を食べていた時代からは良くなったとは思うが、それも一時的で、今では頑張って学校を卒業したり資格を取得しても仕事が無くアルバイトで食いつなぐ中年も数多い状況。お金を稼ぐことが難しくなってしまい日本だけで見ても貧困と言う言葉が飛び交う状況だ。

状況は悪くなっているように見える。
そしてその貧困を解消するためにビックビジネス(戦争)に歩を進めようとする政府。そしてお金を得るために人を殺す事をしなくてはならない、または兵器を作ったりしてその手伝いをしてお金を得る。

やはり歴史は繰り返している。
技術的には進歩しても人間としての本質に変化はない。

自分が今生活している環境だけを見て判断基準を持つこともいいだろう。
職場だけの人間関係、生活水準、家族の環境等で見える範囲だけの事を見て生きる。
人によって見える範囲、見たい範囲は違うだろうが、そこへスピリチュアルの思考が入り込むと見えている範囲だけでも相当な混乱が生じる事は確かである。

今まで当たり前であると思っていた事、それが実は神様の仕業だと思い始めたら見えていた事と思っていた景色がまるで違う世界に見えてくるだろう。

社会の混乱も神様の仕業、殺人で家族を奪われた事も神様の仕業、津波にさらわれた、詐欺で全財産を奪われた、会社をクビになった、彼女に振られた、妻が寝たきりになった、親の介護で追いつめられた、いくらでもある。

では自分で決めてきた人生の出来事だと考えたら?
子供が誘拐され殺された、生涯かけて築き上げてきた会社を乗っ取られて追い出された、自分の子供だと思って何十年も育ててきたが実は不倫相手の子供だった、事故で車いす生活になってしまった、悲惨な状況は無数にある。その結果素晴らしいと称賛される展開になって脚光を浴びる人もいるが、それはほんのわずかな人だけで大多数は悲惨なまま人生を終えていく。

そんな人生をどうして自分で計画した?
何が目的でそんな人生にしようと思ったのか?
そんなに悲しい事を体験したかった?
魂とはそんなに悲惨な経験を望むのか?

そんな悲惨な社会の中でほんの一握りの人間たちは人生を謳歌している。

これらは各種魂が持ち回りで「今回俺は悲惨な人生な」とか「やった〜今回はセレブ!」だとかやっているのか。神様世界も勢力争いで忙しいと言う話もある。神界で勢力争いをやっているのであれば人間界だけが持ち回りで役をやっているというのも変な話だ。

多分違うだろう。

人間社会も勢力争いで、勝ち組負け組と別れているのだろう。
そんな中で魂を磨くとか愛だとか光の世界だとかというのは単に「そうであって欲しい」という願望だけなのではないだろうか。

では負け組は何か逆転する手段は無いのだろうか?
「ザ・シークレット」とか引き寄せの法則が強力な武器になる事は出来るのだろうか?
物理的な世界で物理的に劣勢状態が続いたが、精神世界の法則、パワーを活用して形勢逆転が出来ないであろうか?

そう考える人もブログを見ていると数多くいるように思うし、結果を出している人も結構いるように見えるが、実際ブログ記事だけでは確認のしようがないため、文脈や前後のブログ等から判断するしかないのが現状だ。

私自身もそう考え、精神世界を活用できるかと考えている。
勿論、宗教団体のような変な事を始めるつもりはない。

高額なセミナーとか講習会とかあるが、何か違うと感じている。
これも新しい世界への移行期間なのだから仕方がないのかもしれない。

それにしても今の社会の現状では行き詰まり、閉塞感の充満が物凄いのでいよいよ何かの変化が始まるのであろうと日々感じている。

その変化も神様主導ではなく人類の想念がそうした流れを作り出していると考える。
ここ最近本当に思う事は、スピリチュアルの話に振り回されすぎてはつまらないだろうと。

分からない世界、不思議な世界に興味は湧くが、まだ事実として確認されたわけでもなく証明された世界でもない。主軸を霊界に持っていかずに人間としての自分自身に主軸を置くことをお勧めする。

本日も長い事読んでいただきありがとう。
お疲れ様でした(^^)


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(18:04)

2016年02月08日

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霊界の状況が人間社会へ反映されているのでは?という考えも最近強いのだが、まずは人間社会を見てみる。
WS002309

人間は仕事をしたりしている時「今よりもより良く」という精神に基づいて行動している。
効率が悪ければ「改善提案」、精神的負担が大きければ「心のケア」、もっと売り上げを伸ばして成長をとなれば「マーケティングの見直し」などなど、現状より「向上」する事を目的としている。

さて、ニュースでも盛んに報道されるようになってきた「貧困○○」とか「派遣○○」とか「ブラック〜」、「ワーキングプア」いくらでも出てくる暗いワードの数々。

生活が豊かになったとか幸福度が増したと言う実感を持っている人たちと、そうでない人たちの比率はどの位なのか様々な統計データがあり信ぴょう性で考えると正確に把握するのは難しそうだ。

それぞれの会社が「もっと」と向上する事を目指しているが、人間の生活的には低下しているように感じられる事が非常に多い。

人間の体を構成する細胞が個人という見方をし、筋肉や臓器等の役割を持つ部位を会社等と見立てて考えてみると、人間が生まれて成長する間は活気がある。筋肉も臓器も活発に動き、それらを支える細胞(個人)への栄養の供給も活発なため元気だ。もしかしたら幸福感を味わっているという状態かもしれない。

それでも人間の体は年老いてくる、すると各機能が低下してきて頑張っても栄養の供給が不十分であったり、他の部位が故障してその影響があちこちに出始める。すると各部位の細胞(個人)は新陳代謝して生まれ変わっても栄養が不十分であったり臓器や筋肉(会社)が老害で埋め尽くされていたりして思うように活躍できない。

当然不満も蓄積するだろう。その全体を指揮管理する頭脳(政治)もボケが入ったりガンコになったりして酒ばかり飲んでしまうという行動になるかもしれない。こうして肉体内部の各部位(会社)は内部に抱える死滅した細胞(老害)を大量に抱え、機能不全を起こし始める。

最終的にはどこかの部位が機能停止(倒産)その影響を受けて他の機能も停止(連鎖倒産)、最終的に肉体は機能しなくなり死亡、となる。

人間社会は人体に例えて考えてみても非常に構成が似ているように思える。体内で起こっている状況が人間社会とそっくりであり、日本社会も老年期に入っているように感じられる。

人間の細胞(個人)→臓器(会社)→一人の人間(国)→その人間の集まり(国際社会)→霊界

霊界も含めこの世界は全てが同じ構造で出来上がっており、それぞれサイクルは違うが誕生から成長、そして老衰、死亡と循環しているように見える。

現在の人間社会の寿命があとどのくらいあるのか不明だが、2012年頃盛んに言われていたアセンションとかという現象が近いうちに現実社会へ現れるとかも最近言われていたりする。

つまり何を言いたいかというと、ピラミッドの頂点にいる神がその意思で人間社会をどうにかするという考え方はどう考えてもどこかで破綻するのではないかと感じるのだ。
大きな大自然の法則に従い、誕生→成長→衰退→死亡→誕生、これを繰り返している。
ピラミッド構造の頂点からの意思で変化しているのではないという事だろう。

人間社会も不満が充満し、土台の地球も最近地震や噴火を繰り返しいよいよ最終段階(臨終のとき)が近づいているように思う。

そして社会は崩壊し、秩序も法律も機能しなくなり新たな世界観が生まれたり新秩序で整っていったりと新世界の誕生という事になって行くのではないだろうか。

細胞も社会も新陳代謝を繰り返している。

自分の体は自分が支配している、メンテナンスしたり食事をしたり、自分で動かしていると思っているだろう。

政治家は自分たちが社会を管理運営していると思っているであろう。

神は自分たちが人間社会を管理していると思っているであろう。

更にその上の世界もあるかもしれない。アリの目線ではスカイツリーの全体像を把握できないであろう。

どの段階で循環しているのかは人間の感知できるエリアでは見えないのでは?と思われる。

大きな輪の途中にいる人類、その中にいる自分、隣にいる友人、嫌な上司、様々「意味づけ」するのは人間の自由であるが、誰かの作為的な現象では無い、川を流れる水の分子同士がぶつかり合い絡み合い、川の形状に合わせて流れていくのみである。

平常心で無感情のまま冷静に周囲を見渡した時、そこに「義務」等何もない事に気付くかもしれない。

「お腹が空いた」「寂しい」といった「欲求」が沸き上がった時、それを満たそうと行動したりする。自分の欲求を満たすとき、それを義務と思う人はいないだろう。

磁石はNとSという相反する性質を同じ物質内に持っている。NとN、SとS極は近づけてみると反発する。ただそれだけの事。自分と同じ性質を持つ人間が近づいて来れば自然と反発する。そんな相手を「何とかしよう」と考えても同じ性質の極同士なのだから無理な話であろう。

中にはアルミニウムのように磁石に全く反応しない性質の人もいるであろうし、鉄のようにNS関係なくくっついてしまう人もいるだろう。

無限にある性質の種類の人間たちが大きな流れの中で循環しているという事を実感できれば、ストレスも軽減されてくるのでは?と思う。

当たり前の自然現象の理由を把握していれば、自分自身も自然の一部であると実感できるであろう。

今回は非常にぼやけた感覚の内容であったと思うが、なんとなくこんな事を書いておきたいと思っただけなので、深い意図や目的は無いと思っていただければよろしいかと(^^;




(19:27)

2016年02月02日

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ニュースでひときわ盛り上がる「不倫」バッシング。
芸能人の不倫がばれるとそれはもう大騒ぎ。
特に女性からのバッシングが凄いとニュースに毎日溢れている。

そうかと思えばアンケート結果で「あなたは不倫した事がありますか?」という内容に女性の回答が半数を超えて「不倫経験あり」という結果もある。

興味のない人は何も言わないだろうが、潔癖症というか「断じて不倫は許さん!」という意識の人はクレームを入れる。そのクレームの数がとんでもないという。
選挙と同じで投票率が半数ちょっとで、更に自民党が25%位で与党、つまり有権者の1/4位の人の意見で世の中は動いているという見方も出来るだろう。クレームはもっと少ないが。。。
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15世紀頃、フランス、ドイツ、イギリス等で「妖術」を使ったりする女性を魔女として裁判もろくにしないで火あぶりにした歴史がある。
これはキリスト教文化を守る為とも言われていたようだ。

16〜17世紀頃には更に世の中が盛り上がり、魔女狩りが盛んに行われ、人々は熱狂したとも記録されている。怪しくもなんともないが「気に入らない女性」がいると「あいつは魔女だ!」と火あぶりに追い込んだと言う事もあったようだ。

この頃の状況は「集団ヒステリー」とも言われている。

正論とでも言うか、正しいとされる事に反する不倫について、「不倫はダメ!」と声をあげてもそれは真っ当な意見で有る為、表立って擁護する人は少ない。
かつてインタビューのコメントを意図的に組み合わせ「不倫は文化だ」と悪意をもって芸能人を陥れた雑誌もあった。

芸能人はテレビに出演し、美貌であったり特技であったり何かしら光るものを持って、多額の収入を得ているという事から、何かスキあらばと攻撃の機会を伺っている人もいたりするし、ひとたび攻撃が始まると便乗する人も出てきたりする。まあ、こういったスキャンダルが発生すれば新聞や雑誌の売り上げに直結する為、日々狙われているのだが。

現代のこのクレームの嵐でCM降板&違約金とか、番組降板とかに追い込む状況は集団ヒステリーと同じような状況ではないだろうか?

今社会はスピリチュアルがブームという状況なのか、精神世界に関するネットの情報は本当に多い。そして霊界や神界の説明も具体的であり、書き方も自信に満ち溢れていたりする。
真実であると。。。
それを商売のネタにしている所は特にその傾向が強いように見える。

霊能者が見た事知ったことを発言すれば、キリスト教での教えと違う事を言う事があったのだろうと推測される。だから迫害されたのだろう。

このブログはそれほど話題になっていないため、反論やクレームが殺到するような状況になっていない。しかしひとたび話題になると、細かいところまで突っ込まれ、批判やクレームでコメント欄が埋め尽くされる可能性もある。まだ迫害されてない(笑)

不倫などと違って精神世界の話は明確な証拠を提示する事が出来ない。
多くの人の体験談等から推測するしかない。

魔女狩りのように集団ヒステリーになると、もしかして精神世界も何かしら裏の隠れた意図によりコントロールされる可能性もあるだろう。そうした状況になるのはとてもつまらない。
多くの人が言っているから、多分そうなのだろう、そうに違いない、いやきっとそうだ、その通りだ、と伝言ゲームに似た状態で話が伝搬してしまう。

そんな流れに納得がいかなければ平気で逆らうこのブログ、魔女狩りの時代ではとても無理だっただろうな、、、と変な安堵感を持ってみたりした(笑)



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(00:41)

2016年01月25日

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「神」という呼び方と一般的な神の概念にずれがあるのでは?と前回は書いてみた。
人間界とは別の世界(非物質世界)があるとして、そこに意思を持った何かの事を霊界と呼んでいるのが一般的だと思う。

その霊界の中で神とそれ以外の霊がいるというイメージなのだろう。
先日拝見させていただいたサイトにも神の世界も結構忙しいという書かれ方をしていた。
また別のサイトでは神聖な存在、神々しいと言った崇める存在という表現も多い。

日本神界という言葉も普通にあちこちで書かれているように、神の世界も国境がありそれぞれ性格が違っているという表現も多い。そして神の世界でも勢力争いがあり、混乱も多くあるような表現も結構見かける。

実態を持たない霊界の住人達は、人間が発する感情エネルギーを食べているという表現もある。これは卵とニワトリの話に行き着いてしまうのでデリケートな話だ。

「食べる」という行為について、地球上では食物連鎖があり、循環している。その始まりも地上の有機成分であったり空気中の酸素であったり。太古の昔は地上に酸素は無く、途中から出現した成分の為に酸素は毒という生命も有ったようだが、今では酸素を必要とする生物も多い。

つまり地上の成分が集まって生命体を構成し、それらが他の生命体を「食べる」事により必要な養分を取得、そして生命を繋ぎ「食物連鎖」が起こっている。

実態を持たないとされる霊が人間の感情エネルギーを「食べる」という事は、地上の酸素と同様に途中から食べるようになったと解釈すればよいのか?霊界も最初は食物連鎖的な事は無かったのか?

人間が科学的に知らない未知のエネルギーの様な集合体が霊では?と考えられているが、それらが何かしらの社会とでも言うか集合体とでも言うか難しいが集まりになり、物理的な生命体が発生したらそこから得られる「感情エネルギー」がうまかったのか(笑)

霊の世界、神様の世界も色々な特性や思考パターンの違いから争いのような事が起こっていてそれぞれが希望する方向へ動いた結果、人間社会へも似たような勢力争いの構図が表現されている、といった表現が多いように感じる。

そして肝心なのがここからだ。
そんな勢力争いをしながら時には人間の魂や感情エネルギーを食べる存在達は、なぜ人間に「守護霊」としてつくのか?

「守護」と言う表現はなぜついたのだろうか?なぜ人間を守るといった表現になったのだろう。過去にそう思われるような事が数多くあったからそう思ったのか、昔の支配者が人々を支配しやすいよう宗教を利用したという話もよく聞かれるが、支配しやすいようにそう思わせたのか?

とある霊能者は「守護霊は厳しい」とも言う。これは人間が成長する為に必要な試練を与える事が守護霊の使命だからとか自分で決めた人生の予定実現を助けるために敢えて事故に巻き込まれるよう仕組んだり病気にさせたりすると。

人間社会は神の世界の反映という人もいる。そう考えると我々人間社会は神様ごっこをやっているようなイメージなのだろうか。崇高な精神と潔白な行いで神々しい神を表現する人間もいれば、破壊神の反映で社会的には問題だと言われる行動を起こすテロリストとか。

極端な例ではなくとも身近にいる「人の嫌がる事が好き」な人や、「隙を見ては人の物を盗む輩」はたまた「性的欲求を貪る輩」どこぞの掲示板を見ると「困った」という書き込みの何と多い事か。

そんな困った人達にもほぼもれなく守護霊がついていると言う。「他人を困らせるのが好き」な守護霊?「他人の物を盗むのが好き」な守護霊?本人が困った欲求を持っているのを更生させようと試練ばかり与える守護霊?ただ単に人間が困ったり喜んだりした時に発生する感情エネルギーを食べたくて人間のそばにいるだけ?

神の世界が統一見解で動いていないとして、その反映が人間社会だとしたら、神の能力とはどの程度人間社会に影響を及ぼすのか?神と守護霊の関係は?人間本人の意思もあるだろう。人間本人の意思より守護霊の力の方が強いか、それ以上に神の影響力の方が強いのか?

そもそもなぜ霊が輪廻転生で人間社会へ何度も転生してくるのだろう。そのサイクルに守護霊がついて回り、神のお告げで振り回されるのか?人間とは一体何のために存在するのか?と疑問が疑問につながり矛盾と混乱は激しくなるばかりである。

「○○の為」という目的がはっきりしない。多くの人は平和を望むが争いは無くならない。

こう疑問と矛盾が混迷してくると、そもそも「意思」とは?という究極の疑問に到達してしまう。

宗教も霊能者もチャネラーも何もかも言っている事は、一部正解なのかもしれない。

それが全てという統一見解にもなる事は今の所出来ない。

それでは原点に戻ってみよう。

自分自身はどう考えるか?

見えない世界、ややこしい世界の事はわからない。では個人的に幸福感を得る事が出来ればひとまずそれで良いのではなかろうか?

その為に、特定の宗教や霊能者、チャネラーの言葉に振り回されるのではなく、自分の直感とでも言うか感性で感じるように生きればよいのだろう。

何も霊界の知識を持たずに自分の直感で決めると言うのはまず出来ない。
だからとりあえず世の中には色々な「説」があるというある程度の知識は必要であろう。

特定の考え方だけに絞り込んでそれを信じ込んでしまうというのがよろしくない。

なんでかんで神様だから。。。という必要も無いだろう。
何せ一般的にはコンタクト出来ない相手なのだから。
医者と同じでセカンドオピニオンも必要という事だ。

こうしてブログで神についての威厳を落とすような記事を書いて一般に広げた場合、神罰が下るというのであれば見てみたい。一般社会の政治の世界でもどこか特定の党を批判すると、あらゆる方法を使って反撃してくる事もある。しかし反対に、その批判のおかげで脚光を浴びる党もあったりするが、その場合ご褒美をもらえるような事も無い。

神の世界も様々な勢力が存在して、批判されたからと言って攻撃してくるような存在であるならば、大勢に影響のない神なのであろう、と推測も出来る。どれだけ国民が反対しても増税はするわ戦争できる法案を作るわと国民の意に反する事をやり続ける政治家は神の世界の反映という事だとしたら、ブログで神の威厳を落とす記事程度ではスルーされるのが落ち程度だ。

何せコンタクトが取れない相手という事で、反応が無いから全くわからないのだから(笑

神とコンタクトを取って情報を事前に受け取れる人が増えていると言う。そして自然災害も神の計画だと言う話もある。それなら、そろそろ神とコンタクトが取れる人に正確な情報を一斉に伝えて、その通り自然災害を発生させ、神の存在をアピールして頂きたい。

人間社会の混乱は神の世界の混乱の反映だとすればの話だが。。。


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(13:54)

2016年01月23日

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なぜこのブログを書くのか?

幼いころから不思議と思われる体験をし、なぜこのタイミングで?と思われるような大きな事故に何度も遭遇。
一般的には死んでいてもおかしくは無いほどの事故でもなぜか生きている。

そんな体験から、目に見えているこの世界とは他に何かあるのか?
そして身の回りには数多くの宗教もありネットの普及と共に世界中の不思議現象も数多く書かれている。
一体この世界はどうなっているのか?と疑問を持っていた。

若いころには本当に多くの宗教団体が何度も何度も私を勧誘に訪れてきた。
お店へ買い物に出かければ宗教の関係者とばったり出会い、教えを聞かされる。自転車に乗った外国人も多くの人の中から私を選んで話しかけてくる。
まあ、全てお断りさせて頂いたが。。。

何年も勧誘され続け、話を聞いているうちに色々な教えに矛盾を数多く感じるようになる。結局私にとって宗教はしっくりこなかった為に団体へ属する事は無かった。

凄い霊能者がいる、という情報が伝わってきて興味をもった私は会いに行ってみた。すると思いもよらなかった先祖の事や前世の話を聞かされて半信半疑のままでいた。中には将来を予言する霊能者もいたのだが、今思い返してみても当たっていない。

困った事態が発生した時も霊能者に伺ってみたりもしたが、結局それが問題解決に繋がったか?と言うと、そんな事は一度も無かった。霊能者という存在にもなぜこういった人たちがいるのだろうか?と不思議に思っている。

その後も不思議な事は続き、精神世界と呼ばれていた言葉がスピリチュアルと名称が変化していく。ネットの普及でスピリチュアル世界の情報量は一気に膨れ上がった。

ネットの情報もどうやら偽物がかなり混ざっているという事も残念ながらあると思われる。発信している本人は本当にそう思っている、そう体験したと思っていたりする事もあるので、検証の方法は無い。明らかに金儲けの為にという人もいるので、関わらないようにはしているが。

それでも不思議な現象に関して、現在判明している科学的な説明ではどうしても無理があるような事は数知れない。かといって宗教の教えでは矛盾だらけ。(一つの宗教の中だけでなく他の宗教との矛盾が多数)

こう書くと宗教関係者は反論してくるかもしれない。中には宗教論戦等という戦いの場を設け、そこで論戦を繰り広げ、負けた方が勝った宗教団体へ吸収されるといった方式を取り勢力を広げようとする団体もあったりした。

そんな過激な団体の支部長とかという偉い方と何度も朝まで討論したりして話を聞いたこともあるが、やはり矛盾を解決する方法はあの世の中に持っていく為、エンドレスの会話となってしまう。
 
こうした経験からそれぞれが信じている「教え」や宗教観といった根源になる部分を否定しても不思議解明には繋がらない事を理解した。

自分自身には見えない世界、コンタクトの取れない世界の事ではあるが、そこに何かありそうと感じている事は事実である。

その「何かありそう」と思える世界を自分自身が納得できるよう推測してみたい、その為にこれまで感じてきたこと、疑問に思った事をブログに書くことにより整理し、記録として残してみようと思ったのがこのブログの始まりである。

自分自身が納得するという事は、それ以降続く人生の生き方にも大きく関係してくる事であり、知識と確信を持っていれば悪意を持った何かに騙されたりする事の防御にもなるであろう。

自分自身が確信を持って納得できる処まで進む。その結果こうして公開しているブログを読まれた方も、もやもやが晴れたり納得できれば明日への活力に繋がるかもしれない。

自分の生き方の為に始めたブログではあるが結果として人の訳に立つのであればそれもまた嬉しく思える。

こんな事を思いながらこのブログを読んでいただけると幸いかと思います。

管理人:四季





(14:42)

2016年01月20日

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「神」という呼び名について皆さんはどういう印象を持たれるのだろうか?
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古くから言い伝え、宗教などで崇められ万物創造の主だとか色々言われ続けてきた。一般社会でも「並外れた」とか「凄い」時、「神」という言葉を用いたりしている。

そして人間とは違う次元と言えばいいのか異なる世界にいる存在に「神」と言う言葉を用いていたりする。

「日本神界」や「〜の神」日本だけでも様々な神がいて八百万とも言われている。そしてこれら神が人間界を「支配」と言えばいいのか「導く」と考えればいいのかわからないがイメージ的に支配下に置かれているようになんとなく思っていたりするのではないだろうか。

全く確証というか証拠という人間万人に示す事の出来ない現象等から人間界以外に「何かいる」と薄々感じていたりする世界。

「霊界」という呼び名が一般的なのだろう。
その霊界の頂点に君臨するのが神であり、その配下に様々な神々がいて・・・という印象が強のではないだろうか。

そんな一般的な印象を「神」という言葉に感じているから「神」=「ひれ伏す」といった感覚があるかもしれない。

今回のテーマは、本当に我々が思っている「印象」=「神」なのだろうか?
と考えてみた。

やはり霊能者の方々で神とコンタクトを取っているという方もいたりする。
それは私には確認のしようもない。

そうした言葉を信頼して考えてみる。
人間の歴史より神々の歴史の方がはるかに長いのかもしれない。
そして神々にも様々な考えを持つ神がいて、それぞれ勢力争いを行っていたりという話もある。

神自身から分離した魂が輪廻転生という流れで人間に乗り生まれてくる。
そして人間界で経験した事を持ち帰り、経験値を増やしているという言われ方もある。

それならばと、見方として「自分自身」=「神」という言い方をしている方もいる。

このブログでもメインの探求テーマだが「何のために?」という部分はまだ解明できていない為、ここでは深く探るのは見送ろう。

肉体に魂があり、それが抜けると肉体は動かなくなる。
霊界に魂がいて、何か考えるとそれは即座に実現される、そんなノーストレスの世界で長い事過ごしていると「飽きてくる」なんでも思い通りになるし、食事も不要、病気ってなんだっけ?という世界だから困る事が無い。

そこで制限だらけの不自由な物理的社会へ不自由を楽しみに来ると言う説もある。

「神」の一部が分離して人間として人生を楽しんでいるとすると、人を殺す、戦争を行う、略奪、詐欺、人間的感覚で考えると不快な事が必要なのかどうかは置いておいて理不尽と思える現象も有った方が不自由を楽しめるという事になるかもしれない。

日本だけで八百万の神がいて、それぞれの神から分離した魂で人間社会が構成されているという説で考えると、ここ最近の社会は情勢が非常に不安定で、戦争を連想させるような法案が強行採決されたり、一般社会では人間同士の信頼とか尊敬、慈愛等薄れてきているように感じられる。

たった70年前には究極の理不尽とも言える戦争で特攻を強要されたりして人間的感覚では最悪な社会であった。

20代30代位の若者では感じられないかもしれないが40代以上の人は「最近社会が変な方向へ向かっているのでは?」となんとなく感じたりしているのではないだろうか?

ニュースを見ているだけで気分が悪くなる事が多い昨今、人を騙すと言うような事に何も感じない人間が増えているように思う。振り込め詐欺等で老人から金銭をだまし取る連中などはとても人間だとは思えない。

八百万の神には破壊神もいたりと良い神様ばかりでは無いと言う。
すると現在の社会の悪化は人間に不幸をもたらすような歓迎できない神の化身が多数転生しているのでは?とも考えられる。

愛に満ち溢れた神々は現在劣勢に立たされていると言う事だろうか。

こうした状況から考えると、「神」≠「崇める存在」という見方も出来る。

もしかしたら、神という言葉で言い表していた存在は単なる「霊体」であり、崇めたりひれ伏したりする存在とは違うのではないだろうかと最近感じている。

地上の全てを創造した絶対的存在が神といった印象が強かったが、霊界の状況を人間界が表しているのであれば、ちょっと違うぞと。

人間界へ分身を送り込んで人間界の理不尽や不自由を味わっているだけだから、どんな悲惨な社会でも関係ないのか?

それなら神社へ願掛けにいったり、神棚を置いてお酒やお供え物を置き、家内安全、商売繁盛、学業成就だとかお願いをするのも意味が違うのでは?

事故や災害で人が命を落とし、商売は倒産しホームレスになったり受験に失敗しバイトでかろうじて生活したりする現状は予定通りとも言えるのではないだろうか?

現在ではISとかというテロリストも爆撃で命を落としたり、それに巻き込まれて命を落とすシリアの住民も理不尽を味わう為に転生してきたのだから神の望み通りという事になってしまう。

コメントで頂いた「シルバーバーチ」は人間社会へ真実を伝える為に神界から人間へ転生してきたと本人が言っている。しかしそれは他の話と大きく矛盾してしまう。

日中眠くて眠くて仕方がない時は、自分の魂は霊界へ打ち合わせに戻っている事が多く、その為睡魔との戦いになるという話もある。霊界で打ち合わせしているのはその後の人生で起こるイベントの詳細を打ち合わせているのだとか。
人生のチャート図を実現させるための詳細を確認したり、登場人物の狂いを補正したり?

居眠り運転で命を落とす方は予定通り?アクシデント?

真剣に神の世界の事を書かれているサイトも数多くあり、それぞれ信念をもって書かれていたりする。
しかしここまで正反対の情報が乱立している状況を見続けると、皆何か間違えているのでは?と思ってしまったりもするのだ。

人間の状態で感知できる、コンタクトを取れるレベルの神と呼ばれたり守護霊であったりというのは全てが同じことを言っておらず、もしかしたら人間の状態ではコンタクトを取れない、感知できない世界がまだあるのでは?とも思えたりする。

もしそうだという事になれば、人間の感知できるレベルに真実は無い、、、となる。

厳しい状況でも頑張る人には神の応援がある、、、人もいる。
しかし命を落とす人もいる。

自分で人生のチャート図を描いた通りだからそれでOK?

前世のカルマが邪魔をして今の人生がうまく行かない?
自分でチャート図を描いていない?それとも描いたが邪魔されてる?

それでは自分の人生のチャート図を描いても途中で変更する事も可能?

チャート図は描いたが途中で神の啓示があり、予定変更もあり?

チャート図なんてはなから無くて、運命だとかと思い込んでいるだけ?

結局書き始めたら矛盾だらけで書ききれない。

こうした矛盾を解決できた人、書物は今の所出会ったことが無い。

霊能者を紹介するサイトでは「本物の・・・」と紹介されていたりする。
つまり偽物が混じっていると公表しているのだ。

当初は霊能力もあったが途中から消えてしまったもののそのまま霊能者だと言い続ける人もいると言う。

最初から騙す目的でという人もいる。

食品偽装の事件もまだまだ出てくるし、こうした状況に「もう性善説」は通用しないとコメントもされている。

私自身も過去数々の霊能者と出会ったが、結局問題は何一つ解決に至らなかった。
縁が無かっただけなのか。自分自身が人を騙す空気を発信していたので、偽物の霊能者を引き寄せた?(笑)

話がそれてしまったが、結局「神」という言葉の認識は違うのではないか、というのが今回のまとめだ。

それは一般的になんとなく思っている印象の神では無く、単なる霊体でありその上に君臨するといった人間社会のピラミッド的発想で「もしかして、あるかも」という位ではないだろうか?

「神のお告げ」という表現は怪しさ満載という事になりそうだ。

霊界と人間界がどのような関係なのか不明だが、人間界が支配されているといった発想はずいぶんずれているように感じる。

もしかしたら人間界に霊界が支配していると「思わせておく」と過去にも書いたが、そうしたい理由が何かあるのかもしれない。

だから霊界から人間へコンタクト出来る時、「神が支配している」という印象操作かもしれない。

時々、ブログでもまずい内容をアップしようとするとパソコンがフリーズしたりデータが消えてしまったりという現象があるような書き込みを見かけるが、今回の内容が霊界にとってまずい内容であるならば、これはアップ出来ない可能性もある。

無事に皆さんが読めているという事は、邪魔が入らなかったとご理解いただきたい。

これまでの一般常識を片っ端から疑って考え続けてみようと思う。

本日も最後までお付き合いいただきありがとう。


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(19:15)

2016年01月16日

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まず、未来に起こる事全てが事細かに決まっていると言う話。
時代はとても早く進化し、インターネットで情報が瞬時に伝わってくる。
その情報は正しいのか虚偽なのか?
そこはまず信頼して読んでみるしか方法は無い。

明らかに作り物で空想の話というのはある程度分かるが、何かを勘違いして思い込んでいる人が情報を発信した場合、真実であると本人は確信しているため判断に困る。

また自分が体験したと思っている事、これも錯覚や見間違い記憶違いという可能性もあるが、その体験と他の人が発信した情報が似ている場合、自分も同じような体験がある、と思うだろう。その話は独り歩きを始める。
テレビ番組でもUFOの話題は尽きる事無くネットでも多数の情報がある。
UFOの動画は現在CG技術を学んでいる学生達がいかに本物っぽく見せるかを競い合う為に作っているという情報もあった。

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私自身も見たことがあるが、上空で光る物体が上下左右にと移動する姿を十数人の仲間と一緒に見ていた。それが何であるのかは確認のしようもない。
こんな事から、UFO(未確認飛行物体)は存在する、他の惑星からの訪問者という考え方も広く浸透している。
では最初に書いた「未来は全て決まっている」というテーマに戻るが、もし他の惑星からも生命体がやってきたりするという事であるとしたら、それも決まっていた事という考えになるのか?

異星人と遭遇する人間も生まれる前から異星人と遭遇するという予定を立てていたのか?
一般的な宇宙の知識としてこれだけ広大な宇宙に無数の惑星があれば生命体がいてもおかしくは無いだろうと考える人も多いだろう。

プレアデスという惑星から地球へ転生してきた魂がいるという話もあるが、未来は全て決まっているという定義で考えると、それは地球上だけの事に限らず、全宇宙で起こる事全てが予定通り決まっているという話に発展していく。

そこへきて「実は時間という概念は錯覚」とかという話も飛び込んできて収拾がつかない。
それは全て同時に起こっているとかもう言葉遊びとしか言いようがない。
起こるとは時間の経過で何もない所から何かが発生するという時間経過で表している言葉だ。
人間の感覚は時間を感じている、と思ってるだけ。

思う?

言葉の定義がそれぞれ勝手に変えられて会話しているため文章としてまるで成立しない。

小雪という女優が生まれた時、小雪と命名し印鑑を作ったと言う話があった。
その時「この子は将来名前だけで仕事をするから苗字はいらない」と予言めいた事を言ったと言う話を聞いた。現在を見てみればその通り小雪という名前だけで芸能活動をしている。こう聞くと未来は何かしら決まっている・・・?と考えが流れていきそうになる。

占い師はそこを商売としているし、実際に言い当てているという話もある。
私自身も過去に霊能者の方々に予言された事もあるが、皆外れている。

自信のある占い師の方は是非ご連絡いただきたい。
そして是非占っていただきたい。

外れた場合の言い訳的な言葉はいらないし、もし未来を見通す事が出来るという事が分かればこのサイトでもご紹介させていただきたい。

霊能者の方でも歓迎します。

ネットの情報だけではもう考察に限界がある。
是非実証実験を行ってみたいと思われる方からのご連絡をお待ちしています。



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(16:06)

2016年01月07日

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あけましておめでとうございます

今年第一弾、忘れていたのだが今朝の夢でもう一度出てきて思い出したのでそれをキーワードに。

何気ない毎日の中での人との出会い、縁がある人無い人様々。
出会いワン

昨年の事、夕方にふと携帯電話が鳴った。
出てみると何も聞こえない。
あれ?

今度はその番号へ折り返してみる。
プルプルプルプル・・・

出ない。。。

仕方ないので電話を切る。

すると直後にまた呼び出しが!
急いで出てみると切れてしまった。。。

こちらから折り返してみる。
プルプルプルプル・・・

出ない。。。

ちょっとイライラしてきた。
そして電話を切る。

もういいや、と思ったらまた同じ人から呼び出しが!
急いで出てみると切れてしまっている。

相手はイタズラするような人では無い
しかしイライラした私の感情が怒りへと切り替わり
「もう出ない!」
そして電源を切ってしまった。

翌日その相手の人と会った時、昨日の電話の話になった。

「なぜでなかったのか?」と質問されたが
こちらの様子も伝えた。
そしてあまりにもイライラしてしまった為電話の電源を切ったのだと伝えた。

そして、そこで電話の要件を聞いたのだが、私に会わせたい人が丁度いてそれで急いで電話したと言う事であった。

しかしその後判明したのだが、その会わせたいと言った人は危険人物であった。
結果「会わなくて正解だった」のだ。

この現象を今朝、夢の中で再度見て思い出し「何か意味があるのか?」と考えていた。

ここまであからさまに人との出会いを妨害されるような現象はなかなか無い。

普段の生活で何気なく出会う人
・通行人やその場面での登場人物(エキストラ)としての登場
・その後の人生に大きな影響を及ぼす重要人物

今回の私の現象のように「あからさまに妨害された」ような事は、何を意味するのだろうか。

これまでも「運命」という言葉の意味を考えたりと、人生の中での様々な現象を考えてきたが、またここにきてもう一度、思い出させられたと言う感じだ。

出会ってはいけない人、そんな二人を引き合わせようとする人がいる事。

そしてその出会いを繋ぐ携帯電話がその時だけイライラする現象が発生し、結果その出会いは実現しなくなる。

全体的に見てみると、何かしら登場人物以外に「意思」が存在するようにも思える。
大昔からこうして何かしらの「見えない意思」の存在を感じていた人がいるという事だろう。

人との出会いも、縁がある場合出会いのきっかけとなる場面になる前に既にニアミスしている場合も結構あったりする。

電車の中で妊婦さんに席を譲ったあと会社の面接に行ったら面接官がその妊婦さんだったり。
ところが、会いたいと思っていてもタイミングが悪かったり、アポを取った当日に先方に急用が発生しキャンセルになったり、縁が無い場合徹底的に出会えないのだ。

こうなってくると、その「意思」は何を思っての意思?という事になってくる。

やはりここでも基準点となる部分が無いために、ありとあらゆる可能性が出てきてしまう。

自分自身にとって望ましくない人と出会えないように「意思」がガードしてくれる。

人生全般のストーリーで不要な登場人物の為出会えない。

まあ都合よく考えるとこうなるのだが、実際の現状は違っていたりもする。

縁があって知り合いになり、恋人〜結婚と話が進んだのに結婚後、暴力夫に豹変してしまったり。
通り魔殺人を実行しようと物陰に隠れている危険人物がいる時、その道を歩く、、、
あからさまに殺人鬼なので他の道へ「意思」が誘導してくれてもよさそうなのだが、、、
結果、被害に遭い命を落とすこともある。

何かしらの「意思」がありそうに思えるが、それは人間的な目線で見て必ずしも人間を守るとか導くとか「善意」だけでは無いと思えるのだ。

ここまで来ると、これまでこのブログでも書いてきた内容と同じような展開となり堂々巡り、無限ループとなってしまうので書かないが、こうした現象をまた記録として保存し、地道に検証をしながら積み上げていけば、何かの発見に繋がるかもしれない。

また不思議な現象に遭遇したという体験談でも連絡を頂けたら参考にさせていただきたい。

そんな感じで、今年もよろしくお願いします。




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(11:56)

2015年12月30日

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宇宙


もしも魂が地球とは違う惑星からやってきたとしたら?

スピリチュアルの世界では当たり前のように言われている事。

他の惑星でなくともどこかの宇宙空間でもなんでもいいのだが、魂が地球とは違うエリアからやってきたという話がとても多いので気になっていた。

そして今地球に人間として生きている我々、何か目的があるのか?

この理由を探し続けていたのだが、ふと大きな疑問に当たってしまったので今回は底を掘ってみる。

人間界で言われている事。

魂は何度も生まれ変わる。>輪廻転生
過去世を癒して今世を幸せに生きる>カルマの解消
魂は他の惑星からやってきた>オリオン?プロメテウス?

では、他の惑星から魂がやってきたと仮定してみよう。

何の為かという目的は不明である。

そして地球へやってきて肉体へ同化し、人間として地球上で生きている。

そして肉体が滅びると、また他の人間へ同化し以前の記憶を忘れて人生を過ごす。

こんな輪廻転生というサイクルを何千年も行ってきたという。

遠い惑星からはるばる?やってきた魂は、数千年前の地球の人類の生活に「何」を求めていたのか?

洞窟でたき火をして狩りで食事を調達していた頃の人類に何を期待していたのか?

その時の魂の経験値はどの程度だったのか?

他の惑星でのまるで違う文明の中で何度も何度も輪廻転生し、様々な経験をしたのか?
それとも生まれたばかり?集合意識から分離したばかり?の経験値の少ない魂か?

日本神界という言葉もスピリチュアルの世界で当たり前のように使われているが、この「神」と呼べるレベルの魂は大昔から人間を数えきれないほど輪廻転生で体験した大御所だと言われている。

そう、太古の昔文明など無い人類の魂が何度も転生し、人間を体験し続け、そして神になったと。

他の惑星では神にならなかったのだろうか。。。

まあ、それは良いとして、はるばる地球へやってきた、それも文明も無い野生動物と紙一重の頃かもっと昔かは不明だが。

その頃に持っていた「目的」は現代社会を人間として生きる我々では理解は遠く及ばない。
そして地球が気に入ったのだろうか、何度も人間に転生し今に続いている。

そんな我々人間としての価値観で考えたら、今の人生は「何の為?」などと言う疑問はまるで見当違いとう事になるのではないだろうか。

はるか昔、地球へやってきた頃の目的などとうの昔に忘れて地球の人間の何か面白さを見つけてしまい「はまってる」のか?

もしかしたら、つい最近地球へやってきたばかりの魂もいるかもしれない。そして集合意識から分離したばかりの新しい魂もいるかもしれない。

他の惑星から魂が「やって来た」とするならばの話である。

何千年も前に地球へやってきて、地球で何度も何度も人間に転生しているとしたら、「はまってしまう」何かがあるのだろうか?それとも魂にそこまでの意思は無く、自然の何かの法則で川を流れる葉っぱのように理由など何もないのかもしれない。

数千年の長い年月で考えてみると、今現在人間として生きている状態で、今世の目的は?と考えたところで本当にそれが真実だと思えるのだろうか?

何世代か前の人生で心残りだったり、もっと興味を持った事の一部を今世でやろうと思っていたとしたら、一部の中にいる状態で全体を理解するのは到底不可能に思える。

例えばミュージシャンを一貫して何世代にも渡って音楽をやり続けたいと思っていたというのならわかりやすいかもしれないが、それほど特徴的な事の無い人生では目的を探り当てるのは至難の業であろう。

長い長い時間の全体を眺めて考えて、魂に何か目的が?と考える事自体もしかしたら無駄な事かもしれないと思えてくる。

若いころだけ出来る事をやりたいと思い人間に転生してきたとしたならば、大人になってからの予定ややりたい事等はノープランという事になるから、大人になってから自分は何をやりたいのだろう?と考えても相当難しいという事になる可能性もある。

魂発祥の地は「地球」か「他の惑星」か?

地球なら、人類と共に成長してきているとして大昔の魂が大御所になり日本神界を作っているという話もつじつまが合うように思える。

他の惑星から来たとなると、目的は?何度も転生している理由は?と疑問点が後を絶たない。

では地球発祥の魂と、他の惑星からの来訪者の混合?

そうなるともう現段階では、個々の魂の歴史や目的等、魂時代の記憶を忘れている状態の人間では探り当てるのは無理であろう。

つまり、人生の目的が明確になるのはごく一部の人だけという可能性が一番高いように思える。

肉体が死んでしまい魂だけになった時でさえ、人間界へ執着しすぎると幽体のまま人間界を徘徊することになると言われている位だから、死んでも目的を思い出せない可能性もある。

一般的に言われる「成仏」した状態になってから目的等という事があれば思い出せるのであろう。

こうした状況に自分自身の考えが集約してきた為、あとは無限ループになりそうな予感なのだ。

どの可能性を考えても、過去に深堀した内容に合流してしまう。

こういう状態を煮詰まったというのかもしれない。

煮詰まったという言葉も何か違和感がある感じで、自分自身では絡まったスパゲティを完食した感じでさっぱりしている。

魂はどうなるのだろう?とかこれまで考えてきた事も気にならなくなりつつある。

執着が取れたという感じであろうか。

2年ほど前にも一度似たような感じで、一度納得しブログを書くことも止まった事があったが再開していた。

今後は興味のあるテーマに出くわしたらまた書いてみよう。

今年一年ありがとうございました。
それでは皆様よいお年をお迎えください!
夕日



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(23:24)

2015年12月26日

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オーストリアの800年前の地層から携帯電話が発掘されたと言うニュースが出てきた。
800年前携帯電話

調査の結果これは本物であり800年前に存在していたという事らしい。

やはり今現在の人類の歴史だけが地球上での唯一の知的生命体では無いという事を再確認したほうがいいのだろう。

過去に人類は何度も滅びては再起を繰り返していたというオーパーツの出土品の話も含めて無視できない状況であろう。

この写真を見ても分かるように、数字は現在の文明では使用されていない文字のようである。

しかしその形状は数年前のガラケーと似たような形状である。

まだこれから分解したりと更に調査を進めるようであるが、その調査結果も興味深い。

800年前のオーストリアはどのような時代であったのだろうか?

日本では鎌倉時代位であろうか、オーストリア辺りではローマ帝国の時代だ。

ローマ帝国で携帯電話を使用していたとは考えにくい。

では他の惑星から飛来した地球外生命体が携帯電話、ガラケーを持っていたのを落とした?

地球外生命体の科学力でガラケー?

ん〜〜これも何か色々なひっかかりがある。。。

それにしてもボタンの配置をじっくり見ると、20年位前に主流であったガラケーのタイプとそっくりだ。

使い勝手を考えると自然とこの配置になって行く、と考えるのは人間的な視点過ぎるような気もするが。

単なるお騒がせのトリック記事という可能性も残して、今後の調査結果続報を楽しみにしておく位がよさそうかも。

参考リンク
http://www.disclose.tv/news/outoftime_800yearold_mobile_cell_phone_found_in_austria/125882 
 

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(01:52)

2015年12月23日

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さて、自分自身で自分の人生をあらかじめ予定して、その事を転生するとすっかり忘れて味わう事が出来るとうのがこれまでの仮説だ。

刺激的なイベントを多くの魂と企画して楽しもうとしてる人たちはこのブログを読む事も無いだろうし、読んでも信じないだろう。
 ガントチャート3

困った、解決策が見当たらない、どうして自分だけこんな目に遭ってしまうのか。。。
そう考えて占いに行ってみたり霊能者に相談してみたり、、、

最終的には自分自身で何かしらの解決策とまで行かなくとも、落としどころを見つけて落ち着くものだろう。

実は自分自身でそんな予定を立てていたかもしれないが、そうばかりでは無く想定外の問題に出くわしてしまい、困った状況になるような事は無いのだろうか?

池川産婦人科医が長年研究してきた調査結果の中にこんな証言がある。

生まれながらに病気な体で生まれた子供の声。
「だってそのほうが楽しいじゃん。治す楽しみがある」
というのだ。

更に池川ドクターの調査結果から。
生まれる家庭、お母さんを自分で選んでいる。
その決め手は?
「やさしそうだから」

そのような根拠で選ばれた母親の所へ生まれてくる子供が、「治す楽しみがある」という事を考えていたとしたらどうだろうか?五体満足に健康で生まれてきた方が母親としては嬉しいだろう。

ではその母親とそこへ生まれる子供は母親が生まれる前段階で約束していたのだろうか。子供が「ぼく病気持ちで生まれてくるからよろしくね」とか。もしそうした約束が有ったなら、子供が病気で生まれてきても予定通りなのだから母親は「よ〜し来たね〜」と気合を入れる事になるのかもしれない。実際は人間に転生してしまうとそのような約束は忘れているので驚くのだろうけど。

母親と子供双方が生まれる前からそうした約束をしていたとするならば、「お空の上からどのお母さんがいいか選んでいた」という話と矛盾してしまう。事前約束は無かった事になる。そうした状況で子供が「病気を治す楽しみ」と考えて生まれてきたならば、母親は「想定外の悩み」を抱える事になる。

私の息子の生まれる前の記憶が真実かどうかは検証しようもないが、証言の一つとして考えてみると前回生きていた頃は7歳位で霊界へ戻ってきて人生計画等も何もせず、突然現れた謎の爺さんに転生先を指示されてそれを了承し転生してきたというのだ。

現在の人間社会も「永遠の支配者」がいるわけでなく、入れ替わりながら権力を争い変化しながら今の社会が出来上がっている。

そこに明確な方針は無く、支配者の意向と人々の欲が基本で成り立っている。

もしかして、地球上で生命が発生した時にその構成要素である魂のような、未確認だが存在するのでは?と思われている「意思」も肉体を離れ、霊界というエリアに自然と集まり、そこに周波数とか波動とかの違いから派閥のような類友集団が出来、霊界独特の序列のようなものが構成され、霊界社会が出来上がり、独特の価値観社会が出来上がっていったのかもしれない。

だから人間的な価値観で考えると矛盾と感じられるような事も魂レベルではどうでもいい事になりその価値観の違いから人間にとって理解しがたい状況を生み出していると考えることも出来る。

多くの霊能者が言っているように、霊界も多様であり神同士が戦っていたりするとも聞く。さながら人間社会の中での仮想空間、インターネットの中でサイバー戦争が繰り広げられているように実体のない電気にパルスという特性とルールを持たせ、各種プログラムに基づいて仮想社会が構成されている状態と似たようなイメージとも考えられるのではないだろうか。

ハリソンフォード主演の「ブレードランナー」という映画で出てくる人工的に作り出された人間のようなロボット、ロボットと書くと機械的なイメージだがヒューマノイドとでも言うのだろうか、肉体は有機体で構成され、人間と同じように過去の幼少期からの記憶をインプットされている。

そのヒューマノイドは、自分は人間だと思い込んでいる。しかし数々の身の回りの状況から「もしかして自分はヒューマノイドか?」と疑問を持ち始めるという場面がある。

自分とは何か?と自分自身に疑問を持っても「信じる」という考え方を持っているのでその疑問を解決するのは相当難しいだろう。いくら「あなたは人工的に作られたヒューマノイドです」と言われても、見た目、考え方、行動からして人間としか思えない。。。となれば堂々巡りになる。

どれだけ様々な説明をして「あなたは魂からの転生ですよ」と言っても「信じられない」となる。
だから多くの証言や現象を確認し、「もしかして、そうかも」と思える状況をどれだけ集めても証拠にはならず、総合的に「もしかして、そうかもね」位の感じであろう。

人間の現実社会を見てもわかるように、とてもいい人だと思っていたら実は犯罪者の逃亡犯であったり、街頭宣伝車に乗り「国民の為に!!」と声を張り上げた人が、結局自分の「権力」の為に動いていたり、「地球温暖化は実はウソ」という本がとても売れたのでそれを信じる人が増えているが、実際の所自分の信じる事が真実だと「思っている」だけに過ぎない。

ちょっと話が変な方へ流れたので、戻ろう。

とても仲良しの魂同士は、時に夫婦であったり親子であったり双子だったりと一緒に転生していると言う事も聞く。

私も複数の霊能者に聞いてみたところ、私の娘は前世では私の父親で有ったり、今の祖父は前世では父であったそうな。まだまだ縁がある話は多いのだが、こうして仲間の魂と一緒に転生しては人間界で一緒に過ごしているという事なのだそうだ。

各種イベントの予定を計画して転生してくる魂もあれば、とにかく転生してきた魂、そして誰かわからない魂に指示されて転生してきた魂と様々な行動様式で転生が行われていると考えると、想定外の悩みも当然その中には生まれてくるだろうし、驚くこともあるだろう。

ならば、想定外に事故で予定より早く霊界へ帰ってしまう魂もあろう。
そうするとそれは運命でもなんでも無く悲しい出来事なのだから茶番劇でなく本気で悲しくなるのだろう。

魂のレベルから見たら「あれほど転生したい」という思いから人間に生まれたのに「自殺するほど追いつめられてしまったのか」という事もあるかもしれない。

よく追いつめられたりした時「神様は越えられるハードルしか用意しない」とかと悩んでいる人を励ます言葉があるが、違う可能性も十分考えられる。

・自分でハードルを用意した
・他の魂のイベントの要因としてハードルを越えられない役
・結果的にハードルが出現

どのパターンなのか、また違う種類のハードルなのかわからないが、個々の人全てに起こる障害が全て「自分自身で計画した事」とは限らないと考える方が無理が無い。

だから順番待ちをしてまでも転生を望んだのに自ら人生を途中放棄して帰ってきてしまう魂がいると考えられる。

そんな人たちを救う為に霊能者はいるのかもしれない。
私の知っている霊能者だけの話ではあるが、皆子供の頃から不思議な現象に悩まされ苦悩し、たどり着いた答えが霊能者であったという事だ。そういう事を言う霊能者のブログも数多く見たがやはり最初から詐欺師が霊能者として金儲けしようと参入してくる事は難しいのではないだろうか。

もっとも最初は崇高な精神から霊能者になっても途中から勘違いしたり金儲けに比重を置きすぎたりと外れていく人がいるのも人間社会の特徴であろう。それも魂の時の計画か?そうは考えたくないが。。。

人生の苦難にぶち当たった時、もしかしてこれは自分で立てた予定か?それとも。。。とか考え出すと動けなくなってしまうかもしれない。そんな時は頭を抱え込まないで、リラックスしてにっこり笑うのがいいのかもしれない。

自分で計画した困難ならどんと来い!
誰かの役に立つための苦難ならやってやる!
本当に偶然で越えられない苦難なら、当たったら砕けてしまうのでハラリとかわそう!

ある程度時間が経過した時、その苦難はどこから来たのかなんとなく輪郭が見えてくるだろう。

そんな苦難の最中、どこかに何か計画があれば必ず、助けてくれたり助言をしてくれる人や本やブログ等が現れてくるだろう。

そうして苦難の本質をある程度見極める事が出来れば、その後の対策も立てやすくなるだろうし、自分自身の心も荒れたり混乱したりもしないで平常心を保てる。

やはり「やぁばい!!」という場面に出くわしたとき「にぃ〜」と笑顔を作ると言うのは、この人間と言う肉体の取り扱い説明書に書かれていないが、コツとして多用されてきた事だ。

ま、とりあえず(^^)笑え。




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(11:45)

2015年12月21日

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人生にはもしかしてあらかじめ決めてきたチャート図があるのでは?と思える事が多い。
今回は結婚という男女の関りについて考えてみる。
ガントチャート2

最近では同姓の結婚というテーマが時折ニュースに出てくる。
古い年代の人間には「鳩が豆鉄砲くらった状態」だ(笑

霊能者の話でよく聞くのが、子供が生まれる前「男の子にする?女の子にする?」という選択肢があり、その目的に応じたり、好みだったりして男女を選択してくると言われている。

退行催眠という状態になって過去の人生を思い出すという体験をしてみた事がある。
この時、自分でも思いもよらない他国の事を思い出した感じで次々とその時の様子が映像として浮かんできた。

瞬間的に自分自身が考え出したストーリーなのか、自分では判断できない。
その時は女性であった。

霊能者の方で過去世を見る事が出来る人達、この人達複数人が見たとう私の過去世では皆同じ事を言う。戦国時代の武将であったと。これはもしかして現在の私の外観から連想出来るイメージを皆が言ったという可能性も考えられる。しかし過去世が色濃く現在の雰囲気ににじみ出るという事はあると言うのだ。こうなると、ん〜〜〜両方とも判断しかねる。。。

そこで電話セッションが出来るという霊能者の登場、この霊能者は外観を見る事は出来ない電話だけである。そして出てきた答えが、戦国武将である。。。こう言われてしまうとね。。。

まあ他の過去世もあり、それらも色々教えて頂いた。色々見て頂いたそれぞれの霊能者の方々から聞いた内容では男性も女性も色々であった。

これらの事から考えるとやはり男性であったり女性であったりと様々なパターンがあるという事になる。

すると、やはり池川ドクターの調査結果でも言われているように、生まれる前に男性と女性を選択して生まれてきていると考える方が自然に思えたりするのだろう。

戦国時代は政治の駒として女性本人の意見など関係なく、当主の政治的政略で結婚相手を決められた。庶民の間では自由であったりしたが士農工商という身分制度の為に同じ人間でも身分の違いで結婚できないという障壁もあった。今はその障壁もかなり低くなり同性同士でも結婚?という時代になってきている。。。

そして昔から言われている「赤い糸」、どうしてこういう事が言われたのか?なぜ人々はこう感じたのか?
結婚している人の話を聞くと、自分の好きなタイプとか関係なく「出会った瞬間」に「あぁこの人と結婚するな」と「直感」したという話がよく聞かれる。

この直感したという感覚が「赤い糸」で結ばれていたのだと連想させるのかもしれない。

ではなぜ結婚相手を初対面で直感がそう伝えるのだろうか?

あらかじめ「何か」が決まっていた、と考える事が出来る。

さて、何が決まっていたのだろう。

結婚する「相手」?
その人と結婚するという「予定」?
「未来」が決まっていた?

人生のチャート図を作成する時点で仲間の魂と「ここで出会って結婚しよう!」と計画を立てていたか?

それともチャート図を作成する時点で「結婚」というイベントは人間的な感性で「いいな」と互いに思えた相手が見つかり、互いにそう思えたら結婚するという予定だけで、出会えなければ結婚しなくてもいいや、という事もあるかもしれない。

また、結婚は「しない」というチャート図の計画を立てている場合もあるかもしれない。

何度も書くことになるのだが、こうした予定を立てているのでは?と思える根拠は、一般的では考えられないほどの偶然が重なって物事が展開して行ったり、十分実力のある人がどれだけ頑張っても裏目裏目に出てしまい、「神様の嫌がらせか!」と思える様な現象もある、こうした実際に起きた現象を長年総合的に考えた末の結論である。これはあくまで仮説であるという事をご承知おき頂きたい。

ほとんどの人が綿密な人生のチャート図を描いているとは限らない。

魂が人間に再度転生してくるのに、魂は順番待ちをしているという話も多く聞かれる。海外の霊能者も同様な事を言っている人が多い、という事で「魂の順番待ち」という考えを取り入れてみる。

転生の順番を待つ魂が綿密な人生チャート図を書かずに転生してきた場合、計画が無いのだから劇的なイベントは無い。そして一般的な庶民の生活となって行くのでは?と考えられる。
するとその庶民が結婚した場合、そこに転生するチャンスが生まれる。

順番待ちしていた魂たちが色めき立ち、その家庭の転生条件に合致する魂が転生の切符を手にするのかもしれない。

また結婚と言う人間社会の手続きを経ていなくとも、男女が愛し合う、そこには魂の転生チャンス!

順番待ちをしている魂はワクワクしながら待っている。
もしかしたらその母親となる女性の生活環境が悪くても、なんでも関係ない、とにかく人間に転生したいと思う魂が「今か今か!」と待ち構えている。

愛し合っていなくともレ○プでもチャンスがあれば人間へ転生したい、アフリカの原生林の中でもなんでも気にしない、人間の肉体で感じられる感覚を味わいたい、そう思っている魂もあるかもしれない。

魂の価値観からしたら、もしかして人間社会の法律やルール等どうでもいい事かもしれない。

魂を磨くための修行という考え方が遠い昔から言われてきたが、修行の為と思う魂もいてもおかしくは無いだろう。全ての魂の共通目的が全て修行という考え方はどうも腑に落ちない。

また他の惑星で誕生した生命体から発生した魂が地球にやってきたとしても不思議では無い。

それぞれ皆自由なのだろう。

「あ、この人と結婚するんだ」と「直感」が働いた人はあらかじめ予定を立てており、相手とも約束が有ったのであろう。そんな直感が働いたら、どれだけ逃げようとも他の人と強引に結婚しても最終的に結ばれるという流れになる現象、これを「運命」という表現で表してきたのだろう。

誰かに決められたのではなく自ら決めてきた予定通りの展開になる、これが運命。

ではなぜ逃げても逃げきれない状態になるのか?守護霊とう自分自身がサポートし、自分のイベントを成功させる為に流れを作り出す。運命だと勘違いして別れる結果になった時、とても悲しい思いを体験する、これは守護霊がその魂の成長を促すために敢えて厳しい環境に落とし込むとか言われているが、これもすっきりしない。

よく、「人生に無駄は無い」と言われる。

何かしらつじつまが合うという感覚、魂の成長の為に敢えて辛い思いを?いやいや、そうでなく何かしらの予定の為ではないだろうか。

すぐ手に入るものは当然当たり前の感覚になる、しかしプレミアだとか限定だとか骨董品だとかなかなか手に入らないものは価値が高いという感覚になる。

人間社会で魂が味わいたいもの、それは「感情」であろう。お金は死んだらあの世へは持っていけないとよく言われる。感情を味わうにはどうすれば?それを手に入れる為に苦労する事。
高価な品物、頑張って働いて貯金してようやく手に入れた時の「喜び」、基礎練習から積み上げて食事に気を配り長年トレーニングし続けてプロサッカー選手になって活躍できる喜び。町内会のソフトボール大会でヒットを打った、プロ野球の優勝をかけた最終戦、ここでのヒットは値千金、どちらもヒットなのだが環境が違う。

そこで打席に簡単に立つことが出来るソフトボール大会とプロ野球の打席、同じヒットでも感じる事の出来る「感情」の差はとてつもなく大きい。

もしかしたら結婚のイベントを難しい状況で予定しているかもしれない。苦難を乗り越えて、それでも邪魔が入り、「そんなタイミングで!」と怒りを覚えるほど理不尽な事も襲い掛かり、それでもあきらめずにようやく結婚できた、となると喜びも大きいのではないだろうか。

そんな計画を仲間の魂たちと立てて、邪魔をする役の魂も友人魂の結婚の引き立て役として頑張って悪役をやってくれたかもしれない。

後から考えると「あの時、あいつが、あんなことしやがったから大変な目に遭った」とか。
しかしその大変な事が結果役に立ち、今の自分の喜びの元になっている、こんな事がある人もいるのではないだろうか。

自分に関りのある人は実は魂の段階で打ち合わせ済みの仲間かもしれない。
また悪役を引き受ける為に参加した魂かもしれない。
そんな事から縁が繋がり、次回の転生の時の仲間になって行くのかもしれない。

こうした魂の段階で行われる予定の事を検証し、この考えが真実だとしたら、人間の人生で起こる様々な劇的な事は全て出来レースと思うと、冷めてしまわないか?

もしかしてこのブログでこうした考えを提示していく事はイベントを企画して盛り上がろうとしている他の魂の思いに「冷水」を浴びせる事にはならないだろうか?

いや、イベントで盛り上がろうとしている人間はこのブログにはたどり着けないかもしれない。

人生のチャート図に劇的な企画が無く、平凡に過ごそうと思っていたが想定外の悩みの沼にはまってしまった人がこのブログに縁が繋がるかもしれない。その為に私はこのブログを書き続けているのだろうか。

想定外の悩みについて次回書いてみたいと思う。

新しい生命が誕生、魂が転生してくる、そこに想定外の悩みが!。。。




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(13:07)

2015年12月20日

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人の一生にはチャート図のようなシナリオが有るのかもしれない
なぜそう感じるのか、自分自身の人生を振り返ってみてもそう感じる事が多かった。
しかしこれまでもブログで書いてきたように、矛盾の解消が出来なかった。
毎日そんな事を考え続けた所、昨夜ふと頭の中に浮かんできた。
これを今回は書いてみよう。

おおきく3つの枠組みで人生は構成されていると考える

・イベント期
・チャレンジ期
・自由時間

そして各種属性
 
ガントチャート
 

年代別に見る人々の属性の偏りがあると実感したのは学生の頃、自分の同級生には地元の会社の経営者の息子が集まっていた。年代が一つ上でも下でも経営者はいなかった。これがいい悪いの話でなく、どうして田舎の小さな町で同じ年代に商工会議所の経営者の息子が揃うのかと不思議に思ったのだ。

そして少年野球のコーチをやっていた時感じた事、年代ごとに上手い子供が集まっている時期とまるでメンバーが揃わない時期という波がある事。諸説あるだろうが、こうした現象を実際に見て感じた事だ。

霊界や魂の事を色々書いているが、これらは全て何も人間社会的に何も証明されていない事なので、全て仮説である。

こうした事を再確認し、仮説を深めてみよう。

池川先生の産婦人科医として子供を見続けてきた結果、子供たちは自分がどこへ生まれようか自分自身で決めてきたとう話がとても多いが全てでは無いという事を踏まえて考えてみる。

魂という存在は実態が無い、肉体という物質的なものに同化すると感触を味わえるという事から、転生し人間を体験してみたいと希望している魂が一定数いる。

私は魂がどこから来たのか?という問いに仮説ではあるがこう考えている。
それは、地球上に出来た生命はその構成する成分の中にエーテル体と呼ばれる成分もあり、それが生命の進化と共に一緒に知能も進化したと考えている。

何故かという理由は、これまで様々な霊能者から聞いた話、ブログ等で霊能者が書いている内容それらを総合的に見続け聞き続け、そうではないだろうかと総合的に思えるからである。

だから数千年前には人間として暮らしていた魂が今の現代ではもう転生することなく神のような存在としていたり、たまにメッセンジャーとして転生してきては人間界の歴史に名を残すような僧侶であったりするのではないかと。

まあこの考えを基本としている位で考えて頂ければいいかと思う。

個々の魂は完全に「個」を確立しているか?と言うと、そうでは無く、分離、同化しある程度の集合体として個性を保っているのではと考える。

だから今新しい生命(人間)が誕生した時、同時に新しいエーテル体も生まれるが、そこへ既に魂として存在していたものが同化し、新しい個性となるのではないだろうか。

人口の増加が激しい現代では転生してくる魂の数より新たに生まれる魂の方が多いため、人間界では初心者の魂が多く、価値観のずれから混乱が多く発生しているのではないだろうか。

過去に人間を長い事何度も繰り返した魂の価値観とあまりにも乖離している初心者の魂がいた場合、自分の価値観に合わなければ教育したいと思う魂もいるかもしれない。
すると「やんちゃな魂」は呼び出されて、「過酷な人生を経験してこい」と促され、転生させられる。

そんな魂は人間に転生しても苦しい事ばかりで、たまに嬉しい事があっても「9:1」位の割合位で苦しい事が多かったりするのではないだろうか。
逆に物凄く恵まれていて、人々に愛され充実感のうちに人生を終えるという体験もあるかもしれない。そんな様々な体験を何度も転生を繰り返してベテラン魂になっていく?笑

また、他の魂たちが何か大きなイベントを企画していて、その企画に必要な要員を募集しており、そこに応募した時オーディションに合格すれば長い転生待ちの順番を飛び越える事が出来るとか。

どちらにしても転生し人間という感覚を味わいたいという欲望があると考えられる。

さて、人生チャート図の話へ戻る事にしよう。

そのような様々な考えから人間へ転生してくる事になった場合、まずはどのような人生になるのか、するのか決める必要が出てくる。

ここで決定する事はあくまでも予定であり、現地ではアクシデントもあり予定が実行不可能な場合も出てくるだろう。事故や病気、災害等でイベントに参加出来ない事もありそうだ。

さて、転生してくる魂が予定する人生、ガントチャートというビジネス界ではよく使われるチャート図なのだが、こうして人生で起こるイベントを当てはめていき、一緒に転生していく仲間もいる場合、合同で関わるイベントなら、それに合わせて転生する地域、年代も詳細に打ち合わせる事が重要でしっかりしたガントチャートを作ればイベントを達成できるのだろう。

しかしあまりにも人生イベントだらけでは疲れてしまう。そこでイベントとイベントの間は休養の時期も入れておく。

個々の魂にはそれぞれ目的が有る為、その目的の為に既に人間界で実行されているイベントを利用する場合もある。会社という多くの魂が毎日集まるイベントに途中から参加させてもらったり。

先輩の魂たちが人間界で上場企業を作り、長くそこに君臨していてもその会社が不祥事などで傾くというイベントが計画されていた場合、これから転生する魂がそれを救う計画を立てるかもしれない。
また傾いた会社に新たなイベント企画を考える魂がいなかった場合、その会社は他の会社に吸収されたり倒産したりして消えていくかもしれない。

個々の魂のそれぞれの目的には、「希望するイベント」と「しなくてはならないイベント」があるのではと思う。魂の向上の為の義務という考え方はどうもしっくりこない、なのでここでの「しなくてはならない」と言うのは、仲間の魂のイベントの手助けという事になると思う。

仲間の魂がどうしてもやりたい事、それには強敵、ライバルが必要。しかしそのライバルは極悪非道でいやなやつ、こんないやなやつをやっつけてヒーローになりたいという魂を手助けするには悪者が必要だ。

そんな手助けの為、極悪非道な役を引き受けるのに必要な条件のそろった家庭に生まれる必要も出てくる。この役はもしかしたら初心者魂がオーディションで選ばれたかもしれない。

人生の全てがこうした出来レースばかりでは、刺激が少ないかもしれない。そこで「チャレンジ期」という時期もあり、勝敗も何も決まっておらず、そのイベントに参加希望者が集まり、転生時に選択した肉体の属性も含め、転生後の努力などしてイカサマ無しで勝負するというイベントもあるかもしれない。

そんな人生のイベントの一つとして「結婚」という事もある。転生前にあらかじめ約束している場合、出会いの場所、時期等あらかじめ予定している事もあるだろう。
また結婚というイベントを転生前の予定に組み込んで無い場合も考えられる。

しかし人生のイベントとイベントの間の休養の時期等に、転生前「結婚」等考えてもいなかった二人が出会い結婚に至る事もあるかもしれない。
ここで結婚した二人の人生チャートのその後のイベントに結婚していては不都合な場合、離婚になるかもしれない。

この辺り、やはりもっと詳細に決まっていると考えたいが、あまりにも詳細に決まっていると考えていくと矛盾に繋がってしまう為、こうした自由体験時間もあると考える方が自然であろう。

このシリーズは長くなりそうなので、本日はここまで。



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(11:45)

2015年12月16日

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WS002386

運がいい時期、悪い時期、占いを見てみると当たってる。。。

思いがけず良い事と思える事が続いたかと思えば、何をやっても裏目に出てしまう。

こんな事から易学という分野が確立されたのだろう。

私自身も過去に霊能者の方から運勢サイクルを書いた周期表を頂いた事がある。
もうかれこれ20年以上前の事なのだが、先日その紙が出てきて眺めていると、年単位で自分の良いと思われる時期と、停滞していたな〜と思える時期が一致している事に気が付いた。

これは誕生日を元に算出した周期表なのだが、同じ誕生日の人など友人でも何人もいるし、種類的には365種類しか無いという事になる。

詳しく見れば生まれた時間、場所等も関係してくるようなのでそう簡単な事では無いのだろうが、それにしてもおおよその流れは当たっているように見えてしまう。

個人個人の中に何らかの波長と言うか、波動とか色々「波」のような動きの事が言われているが、こうした波と地球の波、月の周期の波、季節、温度、湿度、生活リズム仕事の内容とか関係なしに基準となるような「波」がそれぞれ影響しあって、運勢の周期のような現象になるのだろうか?

考え方としてはとても面白い。

現象として「その通りだな」と思えてしまう結果が面白い。

事前に「未来はこうなりますよ」と言われてしまうと、その言葉に誘導され「今は運勢が悪い時期だから」という思いがその結果を引き寄せてしまうという事も考えられる。

しかし自分の事で考えてみると20年以上前に頂いた周期表等すっかり忘れており、時期的な事も計算しないといつが運気が上昇するとかわからないのだが、20年以上経過してその周期表を参照してみたら、結果その通りだ、というこの現実は一体どうしてなのだろう?

周期表で最悪の時期「停滞」と書かれているこの時、事故に遭っていたり仕事が無かったり、どれだけもがいても好転しなかったのが、その時期を過ぎ「財成」とか「安定」と書かれていた時期にはその通りになっていた。

家相とかも興味深い。

鬼門の方角に水回りがあったりとか、良くないとされる家を建てた家主が、完成直後事故死したり、完成後半年で病死したりと知り合いの事象として見てきた。

家と関連付けて考えるから家相とかが気になってしまうのであって、そんな事は関係ないとう話にも反論は出来ない。

海外の家はそんな家相等関係なく建てられており、関連した事象の事など言われていない。

大工の友人が言っていた事では、「家相は日本の風土に合わせて、鬼門と言われる方角に水回りがあったりすると別の場所に湿気が溜まったりと実用的な経験から出来たのだろう。霊的にとか気にしすぎると快適な家は建てられない」と。

ま、その通りだと思う。が、しかし家相というものも気になってしまう。
方角、玄関の位置、更には引っ越すには良い日にちを選んで、一度家具を東の方角へ運び、そこで一晩寝かせてから南へ行くとよいとか、ものすごく難しくなる。

易学を物凄く勉強し、運勢周期を見極め、移動する方角を割出して宝くじを何度も高額当選したりしている人も話題になっていたりする。

これらもはっきりと証明する事がとても難しく、その通りになる事もあればならない事もある。

周期的に「停滞」の時期に物凄く運が良く事がどんどんいい方向と思われる状態になって行ったように見えたが、それがどん底への落とし穴のきっかけであった、とか一見外れたように見えて、結果その通りになっているという現象もある。

ここにも個人の「解釈」という考え方が大きく影響してくるので、ハッキリできない。

ん〜〜〜〜

この運勢周期表だが、この中に私の寿命も書かれていた。

このブログがその頃まで残っていれば検証の一つになるのかもしれないが、ブログが閉鎖されないという期待を込めて書いておこう。

「77歳」

あと25年だ。

おっと、今こんなおっさんの年齢を逆算した人、面白くないので忘れるがよろし(笑)

2040年以降まだ生きていれば、この周期表の予言は外れたという事だ。

解釈でどうにでもなる世界なだけに、どうにも方向性を決められない。

またこの運勢を気にしすぎると、人生全てにおいて自分で判断が出来なくなる。

自分にとって好ましくない事が起きてしまったときに運勢表を見て「あ〜今は運が悪い時期なんだ」とあきらめる材料にするもいいだろう。

運勢が最悪と言われる時期に、頑張って結果をだした時「最悪の時期でもここまでできた。良い時期にはもっとよくなるだろう」と楽天的に考えるのもいいだろう。

気にしすぎて自分でその運勢に言われた通りの事を引き寄せて、自分から当たりに行ってしまうという事は避けた方がいいだろう。

それにしてもこれだけ曖昧な現象をまとめて学問にまでまとめあげた先人たちには敬意を表したい。

不思議だし面白い。



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(15:24)

2015年12月13日

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前回のブログで疑問に思っていた事の回答。

霊能者等の霊が見える方々の数々のお話の中で、人間として生きているとき病気やケガなどで手足が無くなってしまったり苦しい思いをした人たちは、魂の存在だけになると肉体で感じていた苦しみや不自由は無くなると言われている事が多い。

やけど
 

また霊能者の話の中で、自殺とかで命を終えてしまった人の魂の事も色々言われている。
例えば、
高い所から飛び降りたり、電車に飛び込んだり。

バラバラになったりしてしまったその魂は、どうなるのか?

バラバラのままその激痛の中で永遠に過ごすのだと言う。

誰かの助けが無い限り、肉体が死んでも魂はその激痛を感じ続け、生きている時より悲惨なのだと。

では交通事故等で無くなってしまった場合は?

肉体が悲惨な状況になる直前、守護霊が肉体から魂を助け出す為魂の損傷は無いのだと。
自殺の時は助けてくれないのだろうか?
自らの行動なので見捨てるという事?

しかし守護霊は実は自分だという話もある。
自分が自分を見捨てる?

一時が全てと言うわけでは無いが、霊界の話はかならずこうした矛盾と思える話がついて回る。
自殺すると魂のレベルが下がってしまって守護霊と周波数が乖離してしまうため助ける事が出来なくなる?

という現実社会的な論理で考えてしまうが、何か別な理論的な法則のようなものがあるのだろうか。

しかし、こうした事を言う霊能者は多い。
単に想像で言っているのではなく、そうした姿、悲惨な叫びを聞いてしまったから言っていると言う。

霊能者の人たちも幼いころから自分は霊能者と分かっていたわけでは無く、様々な意味不明の体験をし、その苦悩の中から「そういう事か」と理解していったという事なのだ。

その体験とは一体どのような物か、それは単なるその人の妄想や思い込みでは?という疑問もついて回る事は仕方がない。なにせ証明等出来にくいし、見せる事も難しい事だから。

現実社会での客観的な事実から霊能者の体験談等を組み立てていき、結果「そうなのではないだろか」という結論に至る事位しかできない。

そしてこうした数多くの霊能者の証言等から言える事は、魂は人間になりたくて転生してきている。

自殺すると、魂だけの状態になって初めて魂だけの永遠の苦しみになるという事実を体感しそこで悔やみ続けるのだと言う。

だから人間は何があっても自殺はダメだと止めるのは本能的かどうかわからないが、どこかで知っているからかもしれない。

何故人間になりたくて、という欲求があるのか?

魂の状態での感覚と人間としての感覚では「価値観の違い」は確実にあり、人間としての感覚ではとうてい理解できない世界観が有るのかもしれない。

この理由についてはこのブログでも私はずっと探求しているが未だ不明だ。

お盆などでご先祖様が返ってくるという事で、仏壇にお供え物をしたりした時、お盆が終わってお供え物を下げて、それを食べてたら「味が無い」という事もよく言われている。

ご先祖様等の好きな食べ物をお供えすると、それをご先祖様は食べるのだそうだ。
そうするとその食べ物からは味が無くなってしまうのだと。

「味が無くなる」「魂だけで永遠に激痛に苦しむ」。。。

魂だけの状態でも五感はあると言わんばかりの話が多い。

恨みを残して魂だけの状態になった場合、恨みだけが常に強くその事ばかりが強調され他の事は忘れてしまう。その結果なぜ恨みを持ったのかという事も忘れて恨みの念だけの塊となって残る、これが同じような周波数の魂だけが集まり増大して怨霊となり、人間にとっては恐ろしい悪霊だと言われる。

こういう仕組みがあるのだそうだ。

心霊スポットと呼ばれる所はそうした怨霊が集まった場所なので、肝試しとか面白半分で探検しては絶対にダメなのだと。

人間の現実社会でもヤ○ザの組事務所等の恐ろしい場所を面白半分で近づき、接触を持ってしまえば恐ろしい目に遭ってしまう、、、ちっと例えが違うか。。。

話がそれてしまったので五感に戻そう。

おぼろげながら見えてきた事は、やはり昔から言われている事、言い伝え、お坊さんの話、どれも単なる話では無く、何かしらの体験をその時代の解釈で出てきた事が数多くあるのであろうと思われる。

勿論その中には勘違いからの事もあるのであろうが、一番難しいのは数多くの真実の中に勘違い等が含まれた場合の解釈は本当に難しい。

魂にも人間の価値観とは違う欲求があり、香りに引き寄せられ、声を聴き、味わい、喜び、悲しむ。
また痛みも感じ、人間として生きていた頃と感覚的には何ら変わらないのではないだろうか。

現段階では書くことは難しいのだが、人間社会の構図から霊界の存在意味、なんとなく全体像が感じられるというか、おぼろげながらなのだが見えてきた気がする程度なので、今後また変化していくかもしれないが、それでも輪郭がチラリと見えてきた気がする。




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(17:34)

2015年12月07日

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人間死んだらどうなるのか?
霊界はあるのか、それとも無になるのか?

こうした疑問は長年議論されてきて、まだ答えに到達できていない。

霊感があり霊が見えたり会話出来たりする人もいる。
そんな人たちは自身が「見えた」「会話出来た」という確かな
「実感」から確信しているので「霊界はある」「死後の世界はある」と断言している。

一方霊的な経験のない人、個人の考え方にもよるであろうが「そんなものは無い」と断言する人もいる。

科学的にとか量子論で説明したり、人間界の基準で判断しようとしたりと議論は尽きない。

霊能者の様々な話や様子を伺うと、確かに霊界というものはあるかもしれないと思わせる現象も数多くある。

そうした現象が世界中で数多く報告されており、その現象と霊能者が実感した感覚から、霊界の姿や様子を推測していたり、霊から霊界の様子を教えてもらったりしている為に、人間界では霊界の話がとても広く伝わっている。

霊界なんて本当は無い、こう考えてみるとどうか?

人は死んだら終わり、だから生存本能も強く持ち、救急の病院もドクターも一刻を争って命の危険にある人を助けようとする。

やりたい事があり夢を追いかけて必死に頑張る人が何かのきっかけで失敗したり、病気や事故に遭ってしまうと本当に無念の思いは強くなる。だから細心の注意を払いながら事故や病気にならないように気を付ける。

こうした事は人間界では当然の常識であり、これを否定する人はまずいないだろう。

しかしこの人間界の人々の常識に疑問符をつけるような出来事が発生している。

医学的にも死亡。葬儀も終わり火葬していると数百分の一位の確率で、火葬場のバーナーで焼かれている最中に悲鳴を上げて生き返る人がいると言う。火葬場の係りの人はまるこげになった状態で生き返っても助からない為、苦しい心を抑えながら焼き続けるのだという話があった。

アメリカなど土葬で埋葬する習慣のある国で、かなりの数の棺桶を掘り返し、遺体の状態を調査するという事が行われた結果、やはり数百分の一位の確率で、もがいたり棺桶の蓋をかきむしったりして埋葬後に生き返ったとしか考えられないような痕跡が認められたとある。

医学的に死亡。この定義は100%正しいと言えない人体の不思議現象であろう。

人間界の科学技術はまだ完全では無い。
もし完全であれば毎年新しい発見でノーベル賞受賞といった事は無い。

まだ発見されていない現象、発見されてない元素、新しい組み合わせによる新しい物質等発見の旅の途中なのだ。

最近よく言われる「ゾーンに入った」という言葉がある。
何かの試合やコンサート等通常の実力以上の事が本番で出来てしまう状態の事を言っているのだが、私もこのゾーンに入った感覚と言うものを実感した経験があるため、よくわかる。

こうした現象も科学的にはまだ解明されておらず、身近に起こっている事でさえ理由が分からないのだ。

さて、霊的な世界の話ではどうか?

この世界の話は本当にたくさんあり、不思議な事を体験した人が物凄く多い。
臨死体験などは医学界でも様々言われており、ドクター自身が体験した臨死体験から現実世界の事を考えたとき、どうしてもつじつまが合わない、臨死体験中に体験した事、その時見たものが事実であるとしか思えないといった話が数えきれないほどある。

臨死体験をしたドクターはそれまで死後の世界は無である、何もない、臨死体験等で見たと思っている事は脳内の夢と同じで意味はないと言っていた。所が自身が臨死体験で事実としか思えない体験をしてから考えが変わり、本も出版するなど完全肯定派になっている。

全部作り話だ、、、と言われてはみもふたもないので真実であろうとしておこう。

このブログでも再三言っているのが、その目的である。

もし霊界がこれまで言われてきたように存在するとし、人間界での死後、魂となって霊界へ帰るという事だとしたら、それは一体何が目的であろうか?

人間界の常識を完全に覆すだろうし、人間界の常識、生命倫理、生き方、様々な物を否定する事に繋がる。

最近本当に死後の世界の事を考える人が増えている。

人間界は修行の場であり魂を磨くためという説が真実だとしたら、霊界の存在等人間界へ知らせる必要も無いだろうし、霊界から見たら人間界は刑務所のような更生施設という位置づけのように思えてしまう。

前回も書いたが人間界は魂のワンダーランドだと考えた場合、様々な人間としての体験をする事が目的となり、悲惨な事も壮大な事も何でも体験なのであり、と考えられるが唯一このワンダーランド説が真実だとした場合、「それならやなやつは殺してもいいじゃないか」という考えが広まっても嫌だなと思う。

そして最後に単なる生命の仕組みで霊的な物もあり肉体の生命体もあり、大自然の法則的に展開しているだけなので理由も目的も無いという考え方も出来る。

根本的には「意思」とは?という疑問点に集約されるため、この問題が明確になって来ないと、様々な説が入り乱れ混乱したままの状態が続く事になるだろう。

それは宇宙の始まりはなぜ起きた?という事に近い考えの為、現段階ではどうにもならない。

死後の世界にとらわれすぎて、今生きている人間の生き方を左右するというのはいかがなものか?とも考えられる。

霊能者の言葉で、生き方を誤ってダークな世界に行ってしまうと「死んでからが大変だ」という言い方をしている人がいるのだが、これを否定も肯定もしない。霊能者が言っているからと言ってもその霊能者も人間として生きており、死んだ世界を体験した記憶が無いのである。

悪い事をすると死んでから大変、地獄へ行くことになるというのは混乱した無秩序な時代に人々を戒め、犯罪を自主的に抑える事を目的としていた名残であろうと思われる。

別の霊能者は、現生で苦手な人がいるのだが前世を思い出したらその苦手と思える人に前世で殺されていたという。だから現生でもなんとなく苦手意識があるのだと。こうした話とカルマという話が混在し、前世の行いが今の不運につながるとかややこしい話になってくる。

そして現生はカルマを解消しなくては、と因果応報の話へつながるのだが、この辺りは過去にもこのブログで書いてきた通りつじつまが合わない。

「先祖の因縁が」という話もよく聞くが、自分の先祖をちょっと遡って計算してみよう。
自分(1)→両親(2)→その両親(4)→その両親(8)→と10代遡っただけで1023人の祖先がいる事になる。

昔の人は20歳頃には出産しており、もっと若いころの出産も有っただろう。
平均20歳の出産としても10代遡った時で200年ほどしか経過していない。
1000年遡ったら一体どれだけの祖先がいたのか数えきれない。
それだけいたら、何かしらやらかしてしまった祖先がいてもおかしくはないだろうし、悲惨な目にあって悲惨な亡くなり方をしたり、怪我や病気で子供に面倒を見てもらっていたかもしれない。

どの世代のどの因縁が今生きている人間に影響を及ぼすのだろうか?
円満な家庭ばかりでは無かったはずだ。

もしそうした先祖の因縁というものがあるように霊能者に見えた場合、もしかしたら解釈の違いの可能性も十分考えられる。

霊界からのメッセージだとか色々言われる事は「あやふや」な内容の事が多く、解釈に困る事、まるで正反対にも解釈できるようなあやふやな事が本当に多いのも現状だ。

だから霊能者は人間としての精神を高めるために修行をして、と品格を高めた人、そして相談者の事を親身になって考える事が出来る人が良いとされたりもしている。

私も出会った事のある霊能者で「神からのメッセージ」だと言って自らが神のごとく振舞う勘違いした者もいる事は確かだ。だからと言ってその者に見えた事がいい加減かと言うと、そうでは無く解釈の仕方により意味合いが変化してくるので伝え方の問題なのだ。

現段階で死後の世界はという定義そのものが正しいのかさえも不明だ。

よく幽霊として目撃される霊は「自分が死んだことに気が付いていない」という言い方をされることがある。自分は生きていると思っているのだ。生きていると思っている者に見える世界、感じられる世界とは一体どのような世界なのだろうか?

そう考えると、ここでこのブログを書いている自分自身も生きていると思っているだけなのかと疑問も湧いてくる。もしかしてこのブログも私の想念だけの世界で、読んでメッセージを送ってくれる人も全て私が実は死んでいるという事に気が付かせるための協力者の魂であったり(笑)

パッセンジャーズという映画の影響が強すぎるのかもしれないが。。。
パッセンジャーズ

信じ込んでしまうともしかして真実を見失う可能性もあるので、現段階では自身の判断がとても重要だと思われる。誰かの話を聞いても違和感が無いと思えば信じればいいし、しばらくして違和感が出れば他の話を聞いたりして納得できるところで自身の気持ちの安定を図るのが最善であろう。

自身の体験から得た情報が絶対だという思いが強すぎると宗教戦争のように信念の争いになってしまい、だれもその争いを治める事が出来なくなってしまう。とても危険な状態になるので注意が必要である。




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(23:22)

2015年12月01日

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ある方の体験から、肉体と魂がしっかり結合出来ていないというお話を教えて頂いた。
歩いていても地面に足がしっかり着地している感触が無かったり、物を触っても触れているという感覚が薄い。

それが、何かの拍子に突然肉体と魂が結合する時があるのだそうだ。
その時感じる事。

クリアな空気感、接触感、肉体の実感、どれも素晴らしいのだと。

一般的に人は母親の胎内にいる時に肉体と魂がしっかり結合されている為、その感覚が当然の感覚として有る為、感動や驚きは無い。

しかし肉体を持って数十年肉体との結合があやふやな状態で過ごしていて、突然しっかり結合されるとそのあまりの素晴らしさに感動するという。

「人間が人間をやめられない理由なのでは」

霊界の話をいくつも拝見していると、人間に転生してくるのに順番待ちをしているといった話が多くある。

この理由が分からなかった。
そしてその理由として「魂の向上」や「修行」「カルマの解消」等様々な説が唱えられていながらもどれもすっきり来なく、腑に落ちない。

魂の世界ではもしかしてこうした感覚的な事はぼやけているのかもしれない。
それが肉体と結合することにより霧が晴れるがごとくクリアになる感覚は目の覚める思いであろうし、その体験がたまらないのではなかろうか?

こんな事を思うと、もしかしたら人間界とは霊界から見たら「夢のワンダーランド」かもしれない。

以前もこの結論に達したこともあったが、まだスッキリ出来ない状況であった。

この肉体と魂の結合による感覚を体験したいという「欲望」が魂に有ったとしたら?
という事で仮説を考えてみた。

「夢のワンダーランド」
「人生なりきりゲーム」

霊界、魂の世界がどうなっているのかはわからない、がしかし様々な体験談等からして魂の世界というのはありそうであると考えられる。

霊界の仕組みまではわからないが、魂の世界があり人間界へ転生してくるその理由が「感動的な体験」だとして考えてみると、人間界で皆が「ディズニーランド」へ遊びに行こう!といった感覚に近いのではないだろうか?

ディズニーランドへ仲の良い仲間と遊びに行って、ミッキーの耳が付いたヘアバンドを頭に乗せる。
ディズニーの世界のキャラクターの服を着て、ディズニーの世界に浸る。
その世界が大好きな仲間と大好きな世界に浸り、同じ時間を一緒に過ごして楽しい時間を過ごす。

大好きな人にとってはたまらないひと時であろう。

魂の世界からしてみたら、人間界は「夢のワンダーランド」そこへ遊びに行って、その世界のキャラクター(人間)になりきる。そして仲のいい友達と一緒にその世界を楽しむ。

そんな楽しい世界だからこそ、魂が行列を作って転生の順番待ちをしているのでは?

様々な霊界の話を聞いていると、魂にもそれぞれ個性があるような話がとても多い。

個別の魂にそれぞれの個性があるとしたら、ディズニーの世界へ遊びに行ってもその世界で遊ぶ為のルールを守らなければ他の参加者に迷惑がかかるかもしれない。

そんなルールを知らない魂に、ディズニーのキャストは「楽しく素敵にルールを教える」。

それでもあまりにもひどい事をする参加者にはガードマンの厳しい指導が有るかもしれない。
指導も役に立たない場合は、退場もあるかもしれない。

夢の世界へ遊びに来るのに、仲良し同志だけとも限らない。
まだ生まれて間もない魂には親のようなサポートをしてくれる魂もあるかもしれない。

とてつもなく広い人間界で迷子になってしまったら、キャストが「優しくサポート」してくれるかもしれない。

人間界には人間界の独自ルールがあり、その世界を体験する為には結構守らなくてはならないルールがあったり、思考が幼い魂もあるかもしれない。

ルールを知らなかったり幼かったりする魂は、いきなり人間界へデビューできずに体験コースだけでちょっとの期間だけの体験もあるかもしれない。

「人間として生まれる体験」だけで「すぐ霊界へ戻るコース」とか。

人間界にデビューしたが、なかなかうまく肉体を操れず困っている仲間を助けるために子供としてサポートに行ってみたり。

人間界には人間界の世界観が広がっている。
そう簡単に人間界プログラムは変えられない。

人間界への転生のコースには様々なコースがあり、それを魂のレベルに応じて希望を含め選択できる。

「体験コース」「主婦コース」「社長コース」「政治家コース」「芸術家コース」e.t.c

そしてヘビーメタルの世界もあって「軍人コース」「テロリストコース」「自爆コース」「変質者コース」「殺人者コース」等、怖い世界もあったり。。。

人は結構怖いものが好きだったりする。
恐怖の館、おばけ屋敷があったり、ホラー映画がヒットしたりと怖いけど見たいとか。

そしてそのリアルな人間界を十二分に堪能する為には、「完全になりきる事」が必要とされる。

人の記憶という仕組みもよくわかっていないが、昔の事など思い出せなくても何かのきっかけがあると思い出すことが出来たりする。

まるでミルフィーユのケーキのように階層となって記憶は積み重なっているのかもしれない。
ミルフィーユ

人間界へ転生してくる魂は、人間に転生した時、肉体の記憶が新たに書き重ねられ、その前までの記憶は思い出せないのであろう。

だから退行催眠等で前世を思い出すことが出来たりするのかもしれない。
何かその魂の記憶にきっかけを与える事により、ふいに思い出したりするのだろう。

そうして記憶を肉体が生まれた時をスタートとして新たに体験が新鮮なものをなる。

先日、証券会社の悪習慣?という事で印鑑を押すときは上司の印鑑の方へ斜めに、自分の陰影が上司にお辞儀をしているように押す事が暗黙のルールとしてあったとニュースになっていた。

そんな習慣はその世界にいた事のある人にしかわからない。
しかしその世界の中では受け継がれた習慣であり、守らないと怒られたそうな。。。

人間界も延々と続いている世界なので、魂の世界から転生してきたら、教育とう事で言語から習慣、しつけ、マナー、先輩後輩だとか様々な事を教えられ、新しい記憶ではそれが常識となって行く。

そうして新たに人間として過去を忘れ、一人の人間として「なりきり」、人生を体験していく。

「夢のワンダーランド」の体験なので、魂は明確な義務があるとは考えられない。

義務等では無く「やりたい事」があるのでは?と考える方が自然であろう。

仲の良い魂同士が人間界で「結婚してみよう」という目的をもって転生してきているかもしれない。

人間界の多くの人たちを見渡して感じる事は、十人十色であり、趣味嗜好考え方も全て違う。
それぞれが「やりたい事」「体験したい事」を持って、魂の順番待ちを待って自分の目的を果たせる場所へ転生しているのではないだろうか?

「恋人同士が結ばれない、悲しい愛の物語」を本や映画等で見て、涙を流す事が好きな人もいる。
本や映画で無く、人間界で実体験してみたいと思う魂がいるかもしれない。

霊界がどういった仕組みになっているのか分からないが、もしかして魂にそれぞれ個性があるとしたら、その個性の中で人の人生を見て「自分も!」と新しいコースに申し込んでくるかもしれない。

もしかしたら霊界で「人間界で戦争が予定されたので歩兵としてあっさり殺される役」を募集したりしているかもしれない(笑)

ワンダーランドの舞台となる地球というステージも時には地震等で舞台が壊れる事もあるかもしれない。そんな事故で犠牲者になってしまった魂は、順番待ちの魂より優先的に転生出来るとか。

前回の人生で金メダリストを目指したが、達成できなかったのでもう一度転生してチャレンジする魂もいるかも。

アインシュタインやニコラステラといった歴史に名を残した科学者たちは、夢の中でこの発見につながるヒントを得たと言う。

人間界へ転生するコースの中には、もしかしたら人間界を引率する役目もあるかもしれない。

この可能性の話は書き始めたらいくらでも出てくるため、この辺りで止めておいて、この仮説に反すると思われる可能性も考えてみる。

霊能者と呼ばれる存在が一般人には感知できない何かをキャッチし、人間界へ教えてくれるという位置づけなのだが、インターネットが普及した現代、霊界に関する謎の部分がかなり判明してきたと感じる。

今回の仮説がもし、その通りだったとしたら?

人間界はディスニーランドと同じ体験の世界、これまで人間界のルールを叩き込まれ、厳しい世界で耐え忍んできたのだが、「なぁんだ、そうじゃなかったのか!」と思う人が増えていったらどうなるのであろうか?

人間の体験なのだから、人間界のルールにそんなに縛られる必要も無いではないか!と無茶をする人が増える可能性は当然ある。

今現在は「もしかして」という段階なので、まだ人間界のルール法律等が優先されている。

しかしスピリチュアルブームもそうであるし、海外ではニューエイジだとか様々な霊界を完全肯定する思考が広がっている。

宗教等で聖書だとか仏典とかあるが、これらは「戒め」という部分が結構あり、「人間の生き方」を説いた内容が多いように感じる。

人間界は霊界の「夢のワンダーランド」、今この考え方が広がって行ったら「ネタばらし」となるため、「完全になりきり」で体験をしている魂にとって面白味が無くなるとも考えられないだろうか。

それとも「ネタばらし」はここまでで、これ以上は人間の感覚では解明できない仕組みになっていていつまでも霊界は「怪しい世界」という位置づけのままなのか。

演劇や映画等を見ても「役者」が真剣に「演技」していなければ、そのお芝居はしらける。

夢のワンダーランドでなりきりの人生を人間として体験しているから面白いのか。

人間界の仕組みが想像を超えるような、今からではまるで想像できないような世界に変化していくのだろうか。

やはりどう考えても魂に「修行」や「試練」が必要だとは考えにくい。

「やりたい事」をやっている限り、その時起こる出来事で傍から見ると悲惨に見える過酷な事でも「やりたい」と思って取り組んでいる人には何でもない事なのかもしれない。

その程度が人により価値観の違いや経験の違いから発生する感覚なのであろう。

人生シナリオ説も色々考えたが、「やりたい事」をやりに来ているという状態で、それをサポートする守護霊が環境を整える、だから目的としている事に対しては「神がかり的」に不思議な現象も時折発生するのではないだろうか。

価値観の違いだからこれは私の価値観ではわからない現象、テロリストや殺人者、独裁者や策略家、私の価値観では「やりたい事」としてこうした怖い事をやりたいとは思わない。

しかし現実に実行する人はいる。

自分の価値観と合わないから、このワンダーランド説は間違えであると考えるのはこれも霊界の妙、非常にうまい作りになっていると感心させられる。

個々の魂がそれぞれ「やりたい事」を持って、それに適した環境へ生まれてくる。
親の「やりたい事」とは当然違うし、根本的な個性も違う。

伝統工芸を継承する家庭へ自分もこの仕事をやりたいと思える魂が生まれてくれば、それは継承され技術の移転もスムースであろう。

人間界の価値観で親の考え方を子供に押し付ければ、そこに魂の目的のギャップがある限り衝突は免れない。

何せ人間に「なりきる」のであるから、魂本来の目的を完全に忘れてしまう魂がいても不思議ではないだろう。

もしかしたら単に人間界を体験したいだけで転生してきた魂ならさしたる目的も無く人間界の価値観に完全になりきっているかもしれない。

何度もディズニーランドに行った事のあるベテランは、その楽しみ方をよく知っている。
前世で乗ったことの無かったアトラクションも興味が湧くかもしれない。

人間界へ何度も転生してきている魂は、なりきって人生を体験するという事をよく理解しているので、他の魂もそうである事をわかっている。
そんな魂が宿った人間はもしかしたら「他人を尊重し、助け合い、共に楽しむ」という事をやっているのかもしれない。

他人に対する配慮が足りない人や無頼漢等はもしかして人間界「初心者」かもしれない。

初心者だとしたらベテラン魂が配慮してあげてサポートしてあげてもいいであろう。

「もしかしてこの人間社会は霊界の夢のワンダーランド」とどこかで思っていると、人にやさしくなれるかもしれない。

こうした事に気付いた人は、もっと知りたくなるだろう。

そして知れば知るほど、優しくなるのではないだろうか。

最近物騒でギスギスした社会環境が広がっているが、これもワンダーランドのアトラクションの一つだと思いたい。

もう少し確証が得られる何かを見つけたいという思いはまだつづく。。。




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(17:41)

2015年11月24日

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前回「自然の法則」の最後に2極化に関して書くつもりで考えていた結果タイトルが上記のようになった。

霊能者のコラムを読んでいて色々目につくことがある。

「前世で水の事故に遭っている場合、現生でも水に恐怖を感じたりする事がある」

「現生で刃物に恐怖を感じるのは、前世で刃物に関係した亡くなり方をしたからだ」

こうして前世の事を魂が覚えているといった論調での説明が多い。

これが正しいのか思い込みなのかの証明は出来ない。

上記例に限らず、自分の意思とは無関係なのに「なぜか嫌い、怖い」といった感情は「前世」に何かトラウマが隠されていると言われることが多い。

だから前世を知り、前世の自分を癒し、許してあげる事によりその恐怖を解消するのだ、と。


「今、理由も無く○○が怖い」

理由が無いため、なぜかわからない。

「前世の記憶」

これも、覚えていないし証拠も見つける事が出来ない。

結果、だから全て空想のお話と結論付けるにも、現象として現実世界にある不思議な出来事もある。

なので、やはり中立な視点で両方を探索していく。


そして守護霊
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これに関しても様々な事が言われている。

「人生は修行」

修行と定義して考えている守護霊像は、人間として生きている事が修行なので、その人間の魂の向上の為、敢えて「試練」を与えるべく守護霊が人間の環境を手配する事もある。

カルマの解消の為という考え方の場合もこれが当てはまると思われる。

この考え方では守護霊の「守護」という表現に違和感を覚える。
守護では無く「監督」のほうがしっくりきそうだ。


では「人生を体験する」

この場合、義務が無い。
カルマを解消「しなくては」、とか「頑張らなくては」、とかの義務が無いため守護霊は何のためにいる?という事になりそう。

人生というアトラクションを楽しむための「ガイド」という表現もある。
人間に危険が迫った時には「それとなく助ける」といった現象があると言われ、守られていると表現されることも多い。

これなら「守護」霊という表現も違和感は無さそうだ。

人生のシナリオを生まれる前に決めて、それを楽しむために人間に生まれてくる、そしてそれをガイドする為に自分自身が守護霊として存在するといった話もある。


違和感という感覚は人間ならだれでもあるだろう。
普段と違う事をしたりすると「違和感を感じる」しかし普段通りの事をしていると違和感はない。

人間として生まれてくる前、お母さんのお腹の中にいる時に魂は入ると言われている。
そして10か月ちょっとして人間界へ誕生して以来、ほとんどの人がそのままだろう。

幽体離脱したり臨死体験等をした人は極わずかであり、肉体に魂が重なっていると表現すればいいのか入り込んでいると言えばいいのか、どれが適切か決めかねるが肉体と魂が離れたという体験をする人はほとんどいない。

しかし、中にはなんとなく肉体と重なってはいるが、その「接着」というか「連結」と言うか、自分の足のサイズよりずっと大きな靴を履いて、しっかり歩けないといった違和感を感じている人もいる。

それが何かの拍子にぴったり肉体に繋がった時に感じた事、今まで無菌室の隔離された部屋の窓からしか外を見た事が無かったのに、初めて外へ出て「草原」に「はだし」で立って、「風」を全身で感じたりと感動するような体験のように「肉体」と「魂」がガッチリ連結出来ると何とも言えない喜びを感じると言うのだ。

今まで当然のように肉体と魂はガッチリ連結し、違和感無く過ごしてきた人たちには理解できない感覚だ。

こうした体験から、もしかして魂は人間の肉体と連結した時のあのクリアな感覚を味わいたいという欲望があるのでは?とも考えられる。

守護霊が、と言葉で表現し、魂はと違う名称で呼んでいる事により、なんとなく物理的に2つの別々の存在と自然と勝手に感じているという可能性もある。

もしかしたら、そんな分離的捉え方では無く、どこかに「いる」という感覚でも無く、言い方を変えればパソコンの中にある「データ」とでも言えばいいか、形と言うイメージを表現できないものという見方も出来る。

データがどうやって保存されているのかはまだ不明だ。
しかし、樹木でも石でもなんでもデータが保存されているとう可能性もある。
中古品に以前の持ち主のデータが保存されており、それを手にするとその思いが伝わるといった事を言う人もいる。

心臓移植すると心臓のドナーの性格が提供を受けた人に現れたりといった事例もある。
中には提供者の名前までも分かってしまった人もいると言う。


ある霊能者のコラムでは守護霊が危険を教えてくれると話している。
病気が見えたという事で検査を受けると「ほんの小さな初期のガン」を発見したりとか。

守護霊が色々話しかけてくると言うのだ。

また先祖代々その家系を守り続けている守護神もいると言う。

守護神と守護霊

また別の存在が出てきた。

別々に存在する独立したデータなのか、大きなデータベースの中にある属性の違うカテゴリーのキャラクターなのか不明だが、こうした存在を複数の人間で観察しているという霊能者もいる。

3名の霊能者が同じ「霊」を別々の場所で感じ、現実世界で連絡を取り合う、といった事があると言う。これを自分自身で見たり体験したわけではないので、実感はわかないが、もし真実だとしたらこれは完全に「霊」という存在の立証に繋がるだろうと思われる。

また、既に亡くなった方から電話が来たり、亡くなった人が手書きのメモを残したりと不思議な現象も報告されている。


現実的に今の社会の状況に関して考えてみる。

30年位前の社会は、人々に余裕があったと言う表現がいいかわからないが、穏やかであったと私は感じている。

それが2015年の今、社会は非常にギスギスしており、不満が充満という感じだ。

人類と言うものは自然とこうした流れになって行ってしまう生物なのか、ごく一部の人間がこうした流れに誘導しているのか(陰謀論?)、それとも霊界の誘導でこうした流れになるのか?

食物連鎖、弱肉強食、弱いものは食われてしまう。侵略と略奪の歴史の中生きた人々もいた。
その悲惨な時代を経験した人の魂に「悲惨な記憶」が刻み込まれ、「集合意識」という大元のデータベースへ記録されていくのか?

過去に悲惨な経験をして人生を終えた魂はその記憶を持ち、また同じように悲惨な状況を引き寄せてしまうのか?

それとも悲惨な経験がデータベース上で多くなりすぎて、悲惨な状況が平均となりそれが普通の状況になりつつあるから、現代社会も悲惨な状況に向かっている?

報復は憎しみの連鎖を生み出し増幅する。

自然の動物社会では起きないが、人間社会では連鎖が起こる。

「恨みを持つ」という思考を人類が会得した事により、報復という動きに発展し、それが連鎖、増幅と繋がっていくという単なる生命の自然現象なのか?

単なる生命の自然現象だが魂もその記憶を持ち、霊界の集合意識へそれを蓄積し増幅?

どういった仕組みになっているのか想像でしか考える事が出来ず、非常にもどかしい。

魂に記憶が残っており、それが原因で今人間として支障があるとしても、それを霊能者に教えてもらったり催眠術で思い出したりして癒すことに成功し、人生に支障が無くなればそれもいいだろう。

人生シナリオ通りと思い「満足」して終えるのであれば、それもいいだろう。

向上心という心から「人生修行だ」とひたすら修行に励む、こうして集中出来る目的を持っているという方もある意味充実していてそれもいいだろう。

金縛りにあって毎晩霊に脅かされて意味が分からない、、、とか、変な霊に憑りつかれて人生滅茶苦茶という目に会ってしまっている、何とかしたいと思っている人に霊能者が役に立つのであればそれもいいだろう。

霊能者のコラムで「守護霊は入れ替わる事もある」という話がある。

入れ替わった守護霊が「怠惰な方へ引っ張る」という事もあるそうな。

あるひ突然やる気をなくし、部屋は荒れ放題、生活もダラダラといきなり変化する場合もあるとの事。

こうなると「守護」では無いな。

「ガイド?」地獄の世界へガイドする守護霊もいるという事だろうか。

「あんな事、するつもりは無かったのに体が勝手に動いて。。。」と後悔する人もいる。

体が勝手に動いて???

自分の意思では無かったと言う事だろうが、どうしてこういう現象が起こるのであろうか?
人間の体を動かすには数えきれない神経細胞をコントロールして、数億の筋肉の連携を取りながら的確に動かす必要がある。

意識の下にあると言われている「潜在意識」意識できない領域なのでここでどんな事が行われているのかわからない。そこに何者かが侵入し?勝手に体を乗っ取る事により自分の意思では考えていない行動を起こしてしまったというややこしい話だ。

そして守護霊とは自分自身だ、という霊能者の話もよく聞く。

守護霊が自分の体を勝手に動かす?

という事は、守護霊は自分であり自分が自分の体を動かすなら自分の意識が認識できていないだけで自分で動かしているという事だろう。

だが、守護霊が入れ替わる事がある???

自分の一部が入れ替わるのか?

と言うより、自分という中に色々な思考があり、それが表面化している状態がその守護霊という事にも考えられる、だから自分の中にある考え方のどこが今アクティブになっているのか、というスイッチの入っている思考が守護霊と考える事も出来ないだろうか?

個別の魂と集合意識という考え方も経験の記憶という事でまだ矛盾がありよくわからない。

しかし今現在、各自それぞれ個別の意思を持ち個別に肉体をコントロールして生きていると実感している状態で人生を体験している。

これがシナリオ通りでもぶっつけ本番でもどちらでも、次に自分の人生に何が起こるのか、何も起きないのか、わからない。

次の展開がどうなるのか、楽しみとしてワクワクしておこう。



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(13:35)

2015年11月17日

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地球

現実世界で現象として見られる事は全て自然の法則通りに展開していると考えるのだが、そこにもまだ矛盾と疑問が残る。

スピリチュアルの世界等も同時に話を進めると、更なる混乱が起こる為、まずは人間が現実として捉えている世界から考えてみる事にしよう。

「物は下へ落ちる」
今では地球は丸い、引力という現象を知っているから丸い地球の裏側へ行っても足元の方へ落ちるという現象に疑問は持たないだろう。

人間は何十万年前から生き続けている。
子供が生まれ、育て、また子供を産んでと延々と続いている。
何の脈絡も無く突然出現した人間などどこにもおらず、親がいる。

その親という立場にいる人は何か義務感を持っていただろうか?
太古の昔洞窟で野生動物を捕まえてきて食べていた原人は何か義務感を??
「子供を作って子孫を残さねば!」

タモリ「んなぁこたぁない」

海の底1万メートルの海底でもまだ知られていない生物が子孫を繁殖させ、生命を繋いでいる。

「本能」ってなに?
どこから来る?

人間の言葉で表現すると「自然と沸き上がる感情」から行動した結果子孫が繋がれていく。

子供が生まれると「愛おしい」という感情が何故か自然と沸き上がってきて大切にし、食事を与え成長を助ける。

最近の科学の発見で、脳の中にある酵素が放出されると人は「愛おしい」という感情が沸き上がる事が分かっている。

そういう仕組みになっているという事なのだが、どうしてそういう仕組みが出来上がったのか?

人間は何か「目的」があるとそれを「達成」しようとして知恵を働かせる。
そして「何らかの仕組み」を作ってみたりして目的に近づけるようにする。

自然界にこうした「何らかの目的」があるのだろうか?
あるとしたらその目的を作り出したのは「誰?」「何者?」という考えに繋がる。

人は何かしら自分の理解を超えたものに対して「尊敬」したり「崇拝」したりするという感情が仕組みとして備わっているように思える。
そしてその仕組みから、わからないが崇高な対象物に「神」という名前を付けて疑問を安定させた。

その結果、この世界は「神」が作り出したという宗教に発展しているのだろう。

そしてここからスピリチュアルの世界にステージを変えてみる。

現実の世界では認識できないが人間の仕組み上「神」というイメージを感じられるような?会話の出来る?姿が見える?という人間が出現している。

そして人間界と霊界という2つの世界が存在すると言われている。

目に見えて「現象」として確認できる事は「事実」とし、自分自身が確認できない事に関しては事実でないとして受け入れない人もいる。

そしてこれまで多数の「霊界」が関与しているのではないか?と思わせるような「現象」が起きている事もまた事実であろう。

「意思」とは?
永遠のテーマになりそうなと言うより、解明は無理だろう。。。

人間の意思、実はこれは「魂」とも言われ、輪廻転生で何度も人間に生まれてきているとスピの世界では言われている。

こうしたベースがあると人間界で不幸な事や理不尽な事等が起こると人は理由を知りたくなる。
そして「修行」とか「カルマ」とか「悪霊に憑りつかれて」という展開になって行く。

この辺りはこのブログでも何度も取り上げて深堀し、疑問符が付いたままだ。

そんな魂の世界(霊界)も本当にあるのでは?と思わせるような事例も確かにある。

自然の法則としてもっと大局で見たとき、こうした「意思」を持った魂等はどこからやってきたのか?どうやって発生したのか?という疑問は尽きない。

人間は「快」と感じる事を求め(これも自然に沸き上がる)社会という仕組みを作り上げ「大きな矛盾の中で窮屈に生きている」。
人間社会を動かす起点となるのが「快」という「目的」だろう。

そうした考え方を生まれたときから教えられ、大人になると子供に社員にサークルの後輩に「教える」、更に身をもって教え込まれる。

だから人間は必ず「目的」を必要とし、「現象」に対しては「原因」を求める。

すると、あるとされている霊界にも目的を求め、人間社会でも原因を求める。

そして霊界とは「こんな感じであろう」という「推測」を何千年も積み重ねてきた。

「必ず何か目的があるはずだ」と。

こうした考え方は、今ある環境が存在し続けるという想定の上に成り立っている。

しかし今後数十億年後か不明だが、太陽は寿命を迎え爆発すると予測されている。
その爆発に伴い、地球も巻き込まれて爆発するのか、太陽からの引力圏から離脱して宇宙空間を彷徨う星になるのかわからない。

そうなると当然人間などは生存不可能だろうし、人類はそこを寿命と表現するのがいいのだろうか。

またブラックホールという存在も発見されており、とてつもない重力があると言われている。この重力がどういう過程を経ていくのかわからないが、ある一点の重力圏に宇宙空間のチリや惑星等が引き寄せられ、大きな塊となり、太陽のように光り輝き熱を発散するかもしれない。

そしてその引力に引き寄せられ周回軌道を回る惑星に生命が誕生し、人間とはまた違う生物が繁栄するかもしれない。

そうしたらそこへどこからともなく霊界の魂たちがやってきて、その生命体に乗り移り?〜以降永遠のループ。。。

そんなループの中にいる我々人間、「快」を求めて生きている。

「生きている」という感覚も、これもどうか怪しい感覚なのだ。

実は今朝、起きたときとても不思議な感覚になっていた。

「あれ?自分は今生きていると思っているが、実は思っているだけでは?」と。

よく、亡くなってしまった人は自分が死んだことに気が付いていないという表現がある。

だから葬儀を行い、経をあげ「あなたは亡くなりましたよ」と教えているのだと。

別の世界で実は自分は病院のベッドの上で意識不明か?
それとももう葬儀も終わり、遺骨が墓石の中に納められている?

今自分が見えている景色や生きているという感覚は単なる思い込み?

沢山の魂や人間が周囲にいるという感覚も自分の思い込みで勝手にイメージして、いると思っているだけなのか?

だれも私が実は死んでいると教えてくれない。
何だかよくわからない状況になっていたりするが、恐怖心や寂しさとか乱れるような感情は沸き上がって来ない。

大自然の野原に花が咲いて種が出来、それが落ちて芽吹いて、、、

せっかく花を咲かせたら牛に食べられたり(笑

大きく循環する世界の中に自分が「いる」のか、それとも自分のイメージの中に自然が「ある」のか。。。

心の中でも宇宙空間でも何か「エネルギー的」なものがあって、その運動から様々な現象が生まれるのか、ではそのエネルギーはどこから?・・・とこれも永遠のループ。

人が何かを思うと、なんとなく「何かしらエネルギー的」なものがあるのでは?と感じる。

そしてその思いのエネルギーが体を動かし、何かしらの現象を発生させる。

携帯電話の「電波」等は目に見えないが、「法則」を解明できた事により測定器を作り出して制御した結果「便利な電話」として江戸時代の人には魔法のような遠隔地との「会話が出来る」という「現実」を生み出している。

人間の生命もエネルギーを用いて維持されている。
心臓はカルシウムイオンの放出というタイミングで一斉に収縮が行われ、血液が送り出されと、それを支える酵素が活躍してと連鎖があり、「お腹がすいた〜」という感覚から「食べ物」を探す。

人間の心、意思も実はこうし自然の摂理とでも言うのが適切かわからないが、影響を受けて知らないうちに思っていたりする。

2極化が進むエネルギーの不思議と、それを「快」と感じ、「比較対象」の「不快」が存在し、そのエネルギーがどうして増大するのか?

そしてそこにも大きな矛盾の上に成り立つどうにもし難い事もあるが、それはまた次回書いてみよう。








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(12:32)

2015年11月09日

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太古の昔から人は世界各地で「神」を感じ、「祀り」、その教えを大切にするという事をしてきた。

世界各地の地域ごとにその教えは様々であり、純粋であるがゆえに悪意を持った連中に利用されることもしばしば。

そして挙句に教えの違いから対立し、宗教戦争にまで発展している。

人はなぜ「神」を感じるのだろうか?

崇高な雰囲気、静まり返った心、そんな雰囲気に何かしらを感じている。

何かしら感じていたものを「神」という対象物を作り出したのか、他に何か理由があったのかは不明だが、全世界でこうした考え方を「神」といったとらえ方で崇拝してきた。

現代日本では「教え」等を広げるという団体は敬遠されている事が多い。

数多くの宗教団体からも誘いを受け、沢山の時間をかけて教義を聞かされてきた。

しかし聞けば聞くほど自分には納得できない事が多過ぎて宗教団体には属すことは無かった。

20年以上前から「バリ島」が大好きで、何度も訪れた。
bariダンサー

バリ島へ到着すると、飛行機のドアが開いた瞬間から独特の雰囲気と香りにバリを感じる。

そして人々が合掌しながら笑顔で挨拶をしてくる雰囲気と町の至る所に神々を奉る石碑等がありお線香が煙をくゆらせる。

そんな雰囲気の中に入ると、なぜか不思議と自分も心が「信心深い」雰囲気と言うか、穏やかになる。

ヤクザ映画を見た人たちが映画館から出てくる時には雰囲気が映画の雰囲気と似ていたりしてと昔からよく言われてきた。

環境の雰囲気の影響を受けるという事は確かにある。

人間はなぜ「神」という風に感じるのだろうか?

バリ島でジェゴクという竹を使った50名で2チームに分かれての独特な打楽器演奏がある。

バリ島周辺で昔戦争があり、バリ島周辺の島国から逃げた人々がバリ島へ集まった事により、周辺の様々な宗教が混ざり合って今のバリ島は「神々の島」と呼ばれているそうな。

そしてジェゴクという竹の打楽器演奏を圧政で封印されてしまったのを「スワントラさん」が復活させたという。

スワントラさんの奥さんは日本人だそうで、スワントラさんは日本語もかなり話す。

25年前スワントラさんの知り合いの紹介で自宅を訪れ、ジェゴクの練習をいつも行っているという場所でジェゴクを聞かせてもらってきた事がある。

録音されたジェゴクの音では決して聞こえない重低音があり、25名対25名のジェゴクの真ん中に立つと、そこは3mの竹から出る重低音が渦巻いており、立っているだけで意識が遠のく。

そしてトランス状態とでも言うのか、不思議な感覚になっていく。

これはクセになる(笑)

ケチャックダンスという祈りもあるが、これはケチャをやっている人がトランス状態になりながらやっているそうな。

このトランス状態というのが神を感じる為の共通のキーワードかもしれない。

しかし太古の昔世界各地で人々の交流が出来なかった時代でも同じように「神」を祀るといった事が行われてきた。

101匹目の猿という現象で言われるように交流のない地域の猿も同時多発的に同じような行動を取ると言われている。

不思議な現象であり、人間にも共通の現象であろう。

こうした現象から「共通意識」とかという考えに発展していると思われる。

神を感じる崇高な心を持ちながら、教義の違いから残虐な心が沸き上がったり、人間の心は様々な側面を持っていたりする。

神はいるのか、いないのか?という論争は何かずれているように感じるのは、人の心が「何か」を感じており、その何かを「神」といった表現にしたためしっくりきていると言った方がいいのかもしれない。

人の心の特徴、感じ方の表現として「神」、だから神がいるのかいないのかというのでは無いのでは?

そしてその後「神とは」という定義付けが進み、その存在が何かをしてくれたり、大災害を神の怒りと感じたりと言った「擬人化」という感じで進んだためにいるのかいないのか?という論争に発展したのだろう。

人間の心の特性なのだから、誰かが定義づけした時点で定義づけが正しいのか間違いなのか、という話だ。

毎日祈りをささげ、寛大な心で人々に尽くして生きていた人も戦争等で無残な結果になった人もいるだろう。

悲惨な目に会い「神も仏もあるものか!」と怒った人もいただろう。

様々な定義付けと解釈で現代はとても複雑になっている。

解釈も様々であり、人生は決まっている派と決まっていない派、また中間的な解釈等数えきれない。

何かを感じる人の心が不思議であり、解明できないからまた面白い。

人生が決まっていたとしても未来は知らないのだから決まっていないと解釈するもよし。

日本とは違う文明に直接触れて感じるという体験はとても視野を広げる事に繋がるので楽しい。

違う文明、違う考え方、違う生き方、それぞれを尊重し理解するよう心掛けるととてもいい交流が出来る。

日本の中だけでも自分以外の人は違う、この違いを尊重し理解しようと心がけるとまたいい交流が出来る。

違うから「排他」「排除」と言った思考が減っていくことを願いたい。





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(16:41)

2015年10月22日

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人間の世界は「強制」という仕組みがある。

やりたくなくても「命令」や「状況」からやらざるを得ない状況になり、いやでも実行させられる。

命令する側、強制する側とされる側。

やりたくない事でも「仕事だから」「生活の為だから」「上官の命令だから」。

そうして社会がなんとなく成り立っているように見える。

現在人間としている人の中に、生まれる前の記憶を持っている人が結構いる。

その記憶を聞いてみると、2つの人生があり選択しなくてはならない。
一つは平凡な普通の人生、もう一つは波乱万丈で選びたくない人生。
しかし状況的に波乱万丈の人生を選択せざるを得ない状況なので仕方なく選んだと。

また、他の人の話では、生まれる前はとても満足していて幸せを満喫していた。
しかし呼び出されて転生するよう言われた。
いやでいやで仕方なかったが、渋々人間へ転生してきたのだと。

こうして自分の意思でなく、「指令」のように言われて仕方なくという人もいる。

勿論自分の意思で転生先も選んでという人もいるが。

「渋々」とか「いやいや」とか思いながら厳しい人生を選択「させられた」魂もそうでない魂もその事も忘れ、人間として生きている。

人間界の一般的な考えは「自殺はだめ」である。
それでも強行してしまう人もいるが。。。

渋々でも波乱万丈な人生をやらされて、途中リタイアは許されない。

これって拷問?

考え方であるが「修行」という人もいるだろう。

何の為?

ここが不明なため困惑したままだ。

「命令」や「指令」等、「出す側」と「される側」がある。

霊界でも同じように「出す側」「出される側」がいるのでは?と思えるのが転生前の記憶を持つ人々の証言だ。

すると、霊界でも「支配者層」と「支配される側」が存在するという事だろうか?

では、人間界に失望し自殺してしまった人も魂の世界へ戻ったとしてもまた「支配される側」という事か?

今現在の人間社会を見ても、過去の時代を見ても必ず「お代官様」と「農民」といったように別れる。

昭和初期まで日本では「天皇陛下」に国民は尊敬の念を抱いていた人が多かっただろう。

現代は「平等」といった意識が台頭してきている為、天皇陛下の為に命を投げ出す人はいない。

そんな意識の変化から「神様」に対する尊敬の念も薄れてきたのではないだろうか?

とある霊能者の話によると「神様」としてまつられている存在は人間の「念」をエネルギーとして存在している。
だから、存在を忘れ去られると神様は存在できないのだと。

まあ、これは一つの説なのでどうかは不明だが。

最近の社会を見ていると「支配者層」がやりたい放題なのでは?と思われる事がとても多い。

そして支配者層にも階層があり指令を出している一握りの存在があるとも言われている。
陰謀論者の説という事になっているが。。。

こうしてひどい社会に「渋々」選択させられて転生した人間は、途中リタイアも出来ず苦しんだりしている。

何の為かわからずに、ただ苦しんでいる。

そして刑期?を終えて霊界へ帰っても、人間界と似たような支配構造があり、何かしらの「指令」を言い渡されたりしているのではないだろうか?

という事は、ようやく人間界の生活が終わっても魂だけの状態でまた支配される?

どうして支配する側とされる側という区分けが出来たのだろうか?

人間界でも悪事をする側と被害者側となる。

断れない状況で渋々人間界へ転生してくる。

意味も分からなく、ただ単に苦しいだけの人の何と多い事か。

そんな時霊能者へお金を払って相談しても結局解決に繋がらない。

自分自身も過去に相談したこと、アドバイスを受けたこともあるが何の役にも立たなかった。

人生の展開は既に決まっていて、予定されたイベントは変更不可と思われる。

何のためにそのようなイベントが予定されている?

そのイベントで湧き出る感情を体験する為とか言われているが、何のために?

外人が日本へやってきて平気で7人も8人も人を殺すといったニュースが有ったが、そこで何を体験する為に人間を苦労してやってきたのか?

家族や親せきが何かを体験したり、遺族として残された人が苦しむ体験をしたいのか?

何のために?

霊界で魂として安定している時、突然呼び出されて「はい、あなたはここへ生まれなさい。」と指令を受けて転生。

予定されたイベントは悲惨な事件に巻き込まれて終える人生。

津波にのまれて終わる。交通事故、病気、医療事故、間違い殺人の被害者、、、、、、

悲惨な事件や事故等で人生を終える人があまりにも多いし、はるか昔からこの状況は変わらない。

ドイツでは「望まない妊娠をしてしまった人をサポートする団体」がある。

本人が望まなくても霊界の指令で呼び出された魂が渋々転生。

霊界の指令を出す支配層はそんなに「悲惨な体験」をしてみたいのか?

そんな体験を下位の魂にさせて、その感情だけを集めてる?

自分で行けば?

いやいや、魂は元々一つで自我を持って分裂しているように思っているだけだ。という話もある。

という事は霊界でも人間界でも支配者層も支配される側も同じ?

自分だと思っている自我が他人だと思っている自我を苦しめている?

あほか。。。

よっぽどの暇人なんだな。。。

あ、霊界は時間という概念が無いから永遠だし、やれる事やりつくして暇なんだ。

ここまで来ると、一回り回って結局自分が他人という概念を作り出して遊んでいるだけという事になってしまう。

しかしそれでも人間として生きている状況では、「不快な事」は避けたい。

しかし不快な事は「心地よい事」という比較対象があるから「不快」と思える。

不快と思える事を次々消去していくと、「心地よい」とも思えなくなる。

日本で毎日「水が飲みたい」と思えばいつでも飲める「当然の環境」があるが、アフリカ等水道設備の無い場所にいては「飲める水道水」はオアシスだ。

しかし当然の環境と思っている日本人では「当たり前」だ。

不快な環境、厳しい社会、これらがあるから「幸せ」や「感謝」の気持ちも感じる事が出来るとでも言いたいのか?

人間やってても霊界に帰っても同じように「何かを感じたい」という「欲求」があると、比較対象の為に両極端が存在する事になるのか。

こうして両方の世界を一通り巡ると、何が疑問なのか?という事すら分からなくなってきた。

ただただしっくりこないと言うか、もやもやが残るというか、すっきりしない。

個別に自我を持っていると思っている人達は、それでもやはり個々の「幸せ」や「達成感」「充実感」「満足」を味わいたいと思っているだろう。

その感覚を味わうためには「不幸な人」「勝負に負ける人」とかが必要になってくる。

今人間として生きているあなたは「どんな指令」を受けているのだろうか?

誰かの幸せの為に「不幸な目に会う」指令を受けているのだろうか?

もしも、もしそんな仕組みであるとすれば霊能者のアドバイス等全くの無意味。

自分は「勝負に勝ちたい」と思って努力している人も「勝つ人」の「喜び」の為に肥しになる「指令」を受けているかもしれない。

人生のシナリオが決まっているのであれば、その指令通り展開するよう「守護霊」も動いているかもしれない。

ネットでも最近多く見かける「人生のシナリオを書き換える」というセミナー。

ホントカ?

シナリオがあるのか無いのかも判断が付かない状況で書き換える?

「不幸だ」と思っている状況も時間が経過し新たな展開になった時「あの不幸があったからこそ」という話もとても多い。

だから今「不幸」だと思っている人、もう少し時間が経過するともしかしたらそれは「幸せのきっかけ」かもしれない。

それがシナリオなら。

そんなシナリオを作り出した霊界でも指令を出されて渋々従った結果、何か「幸せ」と思える事に繋がるかもしれない。

霊界でも自我を持ち「個別の魂」という分離が行われているように思える体験談がとても多いが、分離した個々の魂は「波動」という表現で「周波数」の近いから「階層構造」になっているとも言われている。

波動が違えば互いに認識できないのだと。

波動の違う魂が支配層と支配される側に分かれているとしたら、どうやって「指令」を出すために呼び出せるのか?

波動の高い魂は波動の低いほうへ合わせる事が出来るとか?

波動の低い魂を人間界へ転生させて何かしらの「体験?」「修行?」「苦行?」を行って魂レベルを向上させるのが目的?

何のために魂の階層レベルを上昇させる?

目的が分からない。

では、自ら進んで人間界へ転生してくる魂は何を目的としている?

人間に転生すると何かいい事でもあるのか?

人間の社会の中で自ら進んで刑務所へ行きたいという人、数は少ないがホームレスよりはご飯が食べられるし仲間がいるからという特殊事例位だろう。

そうすると霊界から率先して人間界へ行きたいという魂には何かまだ別の目的や楽しみがありそうだ。

今人間界ではマイナンバー制度が始まって反発が起きている。

「管理されるのが嫌」なのだ。

人間界は霊界に「管理」されている?

何をがんばってもどうにもならない状況に追い込まれている人を見たりすると、何か「見えない力」が働いているように思えてしまう事もある。

管理されてる?

誘導されてる?

私が霊界の事を探求する一つの目的として、「管理されるのは嫌」という思いがある。

もし管理されているのだとしたら、何としても徹底的にその管理シナリオに逆らいたい(笑)。

一見「自由意思」のように思えているが、それも仕組まれたシナリオだとしたら。。。

最初から理由が分かっているのであれば、不幸なシナリオも「役者」としてなりきる事が出来るだろう。

しかし目的を明かされず誘導されているとしたら、それは「騙し」であり不愉快極まりない。

この謎を解き明かす事が出来る日は来るのだろうか?








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(23:25)

2015年10月21日

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昨日の深夜2時ころ、考え事をしていたら天井付近から

「パキッ」
rap

ちょっと背中にぞくぞくっと来るものがあり気にしているとまた

「パキッ」

同じ場所から何度も鳴る

「誰かいるのですか?」と質問してみる

「パキッ」

結構いいタイミングで鳴ってくるのだ。

そんなやり取りをしていて疑いの気持ちが出てきたので

「しばらく静かにしていてもらえますか?」と質問してみた。

そして先ほど会話のようにタイミングよく鳴っていた音がぴたりと止んだ。

「やっぱり誰かいるのですね?」と聞くと

「パキッ」

背中のぞくぞくが止まらない。。。

質問の流れが「○○ですか?」「パキッ」という流れなので今度は「いいえ」という回答を求めようと

「質問の答えがいいえならパキッパキッと2回鳴らしてください」と聞くと

しばらくたってから「パキッ」

ん〜〜〜会話にならない。。。

諦めました

そして本日、この記事を書き始めたらまた昨夜と同じ場所から

「パキッ」

鳴りだしました。

これは一体何?

窓は開けっ放しで、温度変化も何も無い状況で建物の材料が温度湿度の変化から膨張してという現象では無さそうだ。

なぜ天井の同じ位置から定期的では無いが音がするのだろうか?

夕方西日が当たった時、西側の壁付近で「パッキパキ」と鳴るのはわかる。

午前1時だが、この時間に多い時では1分間に2回位鳴る

鳴らなくなると5分以上間が空いたりすることもあるがまた鳴ったりする

スピリチュアルの最初の現象として話題になったフォックス家のラップ音の霊からのメッセージで遺体が発見されたことから有名になったラップ音だが、温度湿度の変化から膨張した建材が音を出す「家鳴り」と「ラップ音」は違いを判別できない。

会話が成立しない。

霊が壁等を通り抜ける際、たまに通り抜けられなくて壁に当たったりしたときラップ音がするという説もある。

霊界と現実界が重なってその部分からとか、エクトプラムズがとか色々言われているが何か伝えたい事でもあるのだろか?

それともそんな下層界をさまよう霊等無視したほうがいいのか。。。

以前住んでいたマンションで深夜にベランダへ出たとき、上の階のベランダから身を乗り出してこちらを見ていた人?がいた。

しかしそれは真っ黒な影というか、そこに人の形の影だけがあり顔も何も見えない、しかしこちらを見ているという視線は感じた。

この時は過去に経験したことも無いほどヤバイ空気を感じ、全身に鳥肌が立ったのを覚えている。

「目を合わせてはいけない」こう思い、無視して部屋に戻ったのだ。

ずっと前に住んでいたマンションでは寝入りばなの意識が遠のいていく感じの時に「ガヤガヤ・・・・」何やら雑踏の中にいるような色々な会話が聞こえてきた。

「!・・・?」最初は驚いて「ハッ」と起きるとそんな声は聞こえない。

しかしまた寝始めると声が聞こえてくる。「ガヤガヤガヤ・・・」毎晩の事なのでだんだん慣れてきて、無視して寝ていたが、何を話していたのかまでは聞き取れなかった。

しかしその部屋では時々うなされて夜中に汗びっしょり状態でガバッっと起き上がった事は多かった。

引っ越してからはそんな事は一度も無かった。

そして次に引っ越したマンションが黒い影の人に見られた部屋だったのだ。

もっと色々あるのだが、こうした見たり聞いたりした経験は「錯覚?」「自分の脳内だけの事?」「それとも何か別の世界が?」

こうした不思議な経験をするたびにその理由を考えてみたり調べたり聞いたりしながら数十年が経過した。

黒い影の人のマンションから次のマンションへ引っ越した今、ここでもラップ音。

前のマンションは「霊道」が通っているのだろうなと思える現象がいくつもあったが、今度は何もない。

以前のマンションもラップ音は酷かった。今のマンションはラップ音は少ないがやはりまだある。

いったいこれは何なんだ?

この記事を書き始めた30分前によく鳴っていた「パキッ」は今は一切無い。

3LDKなのだが、他の部屋からは一切聞こえてこない。

しかし寝室へ移動すると今度は寝室の天井から「パキッ」と鳴り始めたりする。

霊能者は自信満々で霊の仕業だと言い切るが、その理由は様々だったりする。

理由も思い当たる節は無く、無作為に鳴ったりタイミングよく会話に合わせてくる事もあり、遊ばれてる?笑

リモートビューイング等で私の部屋を見る事が出来る人でもいたら見て欲しいものだ。

こうして身の回りで不思議現象が起き続ける限り、この霊界探索ブログも続くのだろう。。。





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(01:27)

2015年10月14日

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身辺整理と検索すると「自殺の前兆」だとか「死期を悟った人の行動」だとかなんとなく不吉な事が多く書かれている。

一方断捨離で検索すると「気分一新」だとか「断捨離のすすめ」といった内容が多い。

どちらも自分の持ち物で不要と思われる物を捨てたりしてすっきりさせるという意味合いだ。

行動は同じでもそれを実行する人間の心理が違う。

ここ半年位なんとなく思っていた「不用品を捨てる」という思い。
自分の場合、とにかく物が多い。

パソコン関連から電動工具、書類に楽器と引っ越しの時はいつも大荷物だ。
しかしその荷物も数十年経過している物も多く古めかしいものもある。

必要な時には役に立つものの、そんな事態はめったにない。
しかし使える(笑)

こうして荷物は増えていく。

昨日の事、なんとなく棚の不要書類をシュレッダーに入れ始めた。
止まらない。。。

棚の上から段ボールを降ろして中をのぞく。
まあ、もういらないだろうと思えるものを出し始める。

大きなゴミ用のビニール袋を用意し始めたら止まらない(笑)

不用品を整理したいとずっと思っていたのだが、昨日から大がかりに整理を始めた。

人が何の前触れも無く突然身辺整理を始めたときは。。。という流れを見て、それは不吉な。。。と感じる人もいるだろう。

自分自身は気分一新というつもりで始めている。

昔からよく言われているのが、突然懐かしい人が遊びに来たり次々と親戚や兄弟に会いに行ったりという行動は「最期のご挨拶」とも言われている。

その本人はそんなつもりは無く、なんとなく懐かしくて会いに行っただけ。
しかし一通り挨拶が済むと、突然死したり事故死したりという事例が語り継がれている。

私自身の体験でも過去に一度あった。

私が事務所で深夜まで友人と会話していた時、午前2時ころ本当に久しぶりに弟が事務所へ現れた。しかも深夜。どうしたのか聞いてみたところ前を通りかかったら電気がついていたので寄ってみたと。

そして30分ほど笑いながら話をして、その後「これから○○へ行く」と言って出かけて行った。
その2時間半後、午前4時30分、深夜に電話が鳴った。

父からであった。
弟が高速道路で大事故に遭い脳外科の病院へ救急搬送されたと。

血の気が引いた・・・

その時思った事
「あいつ最期の挨拶に来たのか。。。」

急いで着替えて病院へ行った。
病院へ向かう途中、病院の中の様子を想像していた。包帯でぐるぐる巻きになって点滴やら何やらのチューブに繋がれて、と。

心の準備をしながらの車中は誰も会話をしない無言の重い空気だった。

そして病院へ到着してみると。。。

薄暗い深夜の待合室の長椅子に弟が座っていて警察官と談笑している。。。

この時ばかりは頭が混乱した。

そして事故の様子を聞いてみると、エアバッグ等安全装置がうまく作動して助かったが、頭を強く揺らされ意味不明な事を言っていたので脳外科へ搬送したと。

脅かすのは今回までにしてほしいと心底思ったが、その帰り高速隊の駐車場へ事故車両を見に行って息をのんだ。

転がったのか車の形が原型をとどめていないほど壊れていた。

よく助かったな。。。

と体験はここまでだが、これは最期のご挨拶の疑似体験だった。

今でも弟は元気に生きている。

実際に最期のご挨拶となった親戚もいる。

普段と違う不自然な行動をとると、何かあるのか?と勘ぐってしまう。

そんな経験をしているからか、自分自身が突然身辺を片づけ始めている事に「あれ?」と思ったり、しかし自分の心を冷静に観察すると「心機一転」と明るい気分。

これはやはり次のステップへ向けての断捨離なのだろうと解釈してみた。

この後どう展開していくのか自分自身でも楽しみであり人体実験のような感じか。

どうしてその行動を始めるのか?

どうしてそう思ったのか?

その思いの根源は何だろう?

意味があるのか無いのかは人間が後から付けるものなので関係ないが、宇宙の始まりはどうして起こった?と似たような感覚でその思いの始まりは?と気になる。

最近、これがチャネリングという事になるのだろうか?と思いながら試してみたり、他にも色々変化が出てきているので、また気が付いたこと感じたことでもおいおい書いていこうと思う。






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(11:54)

2015年10月07日

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人生は自分で書いたシナリオ通りに進む。
こんな説も数多くあり、何か確信を持って持論を展開している人もいる。
霊能者でも未来は全て決まっていると断言する人もいる。

なぜそんなシナリオ説が多くあるのか?

自分でも信じられないような事が立て続けに起こり、幸運が連続し何かを成し得た経験があるとき、後から考えると全ての事柄が繋がっており、「あの時の失敗があったから・・・」というストーリーが完成したりする。

そして必要な時に必要な人と偶然のように出会っていたり、実際に起こったことを過去に脳内ビジョンとして見ていたりする事から「もしかして未来は決まっていた?」と思ってみたりもするのだろう。

これは非常に実証が困難である。

なぜなら全て決まっていたとするなら、努力や苦悩を乗り越えるという事の意味が無くなる事になる。更に、決まっているなら何をしていてもシナリオ通りになると言う流れと、別な何かを目指して時間を過ごすという事を同時に行う事は人間としてのこの世界では出来ないからだ。

また、シナリオ通りならプロ野球選手になろうと日々努力し続けたが夢叶わず焼き鳥屋を経営することになったという展開を考えた場合、本人の意識的には「夢叶わず」という思いが残るであろう。

地球上で日本という国を見たところ、他の国々に比べて比較的安全な地であると思う。

この日本に住む我々は、その日本という環境にいる事を基本として考える。
すると、安全な地にいるためにどうしても平和な発想になりやすいように思われる。

他の国では、人知れず子供が行方不明になり臓器として売買されたり、年頃の娘が拉致され船の上で性奴隷にされ最後は海へ捨てられたり、まだまだ悲惨な事件は山ほどある。

こうした悲惨な人生のシナリオを描いて何をしたいのか?

シナリオ説で疑問を持つと今度は、魂の修行説が登場する。

はたまたカルマ説も絡んできてその疑問を解決しようとする。

そしてパラレルワールドも登場し収拾がつかない。
だからこのブログは探求しているのだが、探求が進むにつれ更に混迷の度合いは増すばかりだ。

霊能者が見たという世界から霊界には階層があり、上級霊が支配し、とくれば霊界にも多数のグループがあり、争っていると。。。

そして崇高な意識からの質問には上級霊が答えてくれるが、低俗な質問や要求には低級霊が悪戯しにやってくる、低級霊は騙して混乱させるのが好きだからという。

こうした低級霊と上級霊の話が出てくると、霊界からまたは霊から情報を得ている霊能者も上級でも低級でも「霊」と交信しているという事には変わりなく、その内容が正確か嘘かの違いとなっては一般人には見分ける事は不可能となる。

崇高な意識からの質問に低級霊が悪戯を仕掛けてこないとも限らない。

では守護霊は何をしているのか?

「守護」と名がつくが、意味合いが違うという。
魂が修行するために必要なら事故も起こさせるし悲惨な状況にも追い込むとか。
しかし悲惨な状況に耐えられず自殺してしまう人もいるが、守護霊のやりすぎ?

低級霊にイタズラされるのも魂の修行の為に必要なら守護霊はそのまま放置なのか?

人生のシナリオがあるという情報を入手した人はどうなる?
シナリオでは来年大量の遺産が転がり込むという事を知ってしまったら。。。
その日を楽しみにして仕事も辞め、のんびり待っているかもしれない。

では、のんびり待つのもシナリオ通り?
遺産の事を事前に知るのもシナリオ通り?

そもそも何か大きな事を達成しようと思ったら、それに必要な準備がある。
そんな大きな事を達成するような人には人生のシナリオがあるという事自体知らされないのか?

引寄せの法則で考え方を変化させれば引き寄せられるという現象もシナリオ通り?

では、シナリオはどこまで細かく決まっているのか?

東京の駅前を歩いていたら、飛び降り自殺で落ちてきた人の下敷きになり亡くなられた方がいる。絶妙なタイミングでその落下場所へ行ってしまったのだ。

下敷きで亡くなられた方はその前にどこかのお店に立ち寄っていたかもしれない。
そこで商品を手に取って見ていたかもしれない。
もう一つ気になる商品があれば手に取っていたら1分位時間がずれただろう。
そうすると落下ポイントへ到達する前、つまり歩いている目の前に人が落ちてきたという現場に出くわすことになる。あと数歩早かったら。。。

カップルでも両親でも友人等の会話でこんな経験は無いだろうか?
「あんなこと言うつもりは無かったのに。。。」
「なんであんなこと言ってしまったのだろう。。。」
ふと口をついて発してしまった言葉。

その一言がその後に大きな影響を与え、後悔の日々になってしまった事。

言うつもりは無かったのだがシナリオにそう書かれていて予定通り行ってしまったか?

シナリオ上大切なポイントでは自分の意思は無視されシナリオ通り展開してしまう?

まだまだ色々あるのだが、こうした出来事を総合的に考えての仮説。

※自分という意思がある
※シナリオもある
※シナリオ上重要なポイントは自分の意思は無視される
※シナリオ以外の時は自分の意思が優先される

こんな簡単な定義を仮説として作って考えてみる。
一般的に使われている単語を用いて仮説を書いてみるが、人により単語の定義が違ったりすることもあるので、柔軟に見て頂きたい。

何かしらの大きな意思(集合意識とか神とかハイヤーセルフとか言われるもの)があり、そこから分化された分身のようなもの(魂と定義してみる)

人間の肉体という物質にも肉体的意思があり、この意思が肉体を動かしている。
と思っているが、実は魂が肉体を動かすことも出来、肉体的意思と魂的意思は主導権を切り替えられる。

肉体的意思が体を動かしているときは、魂的意思は見ているだけ。
もしくは背後から「それってやばくね?」とか肉体的意思へ考えを吹き込むことも出来る。

人生のシナリオ上重要なポイントに来た時、無意識に体が動くとか、言うつもりが無かったが言ってしまったとか、後で考えても「どうしてあの時あんな事してしまったんだろう?」と考えてしまうような現象が起きる。

悪い事とはわかっているんだけど体が勝手に。。。
やめられないんだよな〜〜

トレーニングが苦しくて逃げ出したいんだけど、やり続けた。
後で考えるとあんなトレーニングは自殺行為だよな。


昔とある霊能者の方に霊視してもらった時のこと、この人生のシナリオが一瞬で全て見えると言っておられた方がいた。
結局内容を教えてくれないので本当に見えたのかは定かではない。

また別の霊能者でシナリオを見る事が出来る人も、ぼやけた言葉でなんとなく言ったが、対象の人を変えても当てはまりそうな事なのでこれも信ぴょう性は薄い。

仮説として肉体的意思と魂的意思という存在があると考えて、時折魂的意思に主導権を持っていかれるという考え方だと、つじつまは合ってくるように思えたりもするのだが。。。


最初にも書いた、悲惨な目に遭って人知れず消えてしまった人達、シナリオが有ったとしたら一体何を目的としてそのようなストーリーを描いたのか?

また他の人のブログでは、転生してくる時どんな人生にするのか選択したという話がある。
一つはいばらの人生、もう一つは平凡な人生、でもいばらの人生を選択せざるを得ない状況だったので、それを選んだという。

また他のブログでは、性別を「男の子にする?女の子にする?」とか選択したとか、「母親を自分で選んで」とか、転生するのに順番待ちの列に並んだという話もあり、「何の課題も無いから思い切り人生を楽しんでおいで」と遊びにくる感覚で転生してきたという話もある。

こうした本人談は検証も出来ないし、本人がそう言っているだけなのでそれ以上は、そうですかと言うしかない。

そうすると、魂の種類も多種多様で、転生の目的も多種多様なのか。

修行の目的を持ち、いばらの人生を苦難を乗り越えつつ生きている人。
仲間と転生してきて仲間の成功を手助けする人。
その人がいるだけで周囲の雰囲気が明るくなり、幸せを振り撒いている人。

こうしたシナリオがそれぞれにあり、肉体的意思が知らない目的が有ったりすると、引き寄せの法則がうまく行き、成功につながる人と全然引き寄せられない人等様々な結果に分かれるという考えに無理が無い。

肉体的意思では想像がつかないのが「殺人者」「テロリスト」「ヤクザ」他、何を目的として転生してきているのか?

肉体的意思では想像の範囲を超えている他の目的があるのか?

そんな人たちに人生のシナリオがあるんだろうか?

私の息子も転生してくる時、知らない老人に生まれる家を指示されたと言っていた。
前世で自分がどのような生活で、どのように人生を終えたのかも話してくれた。
そして謎の老人に指示されるまでの間、良く言われている「人生の総括」とか「人生のシナリオを選択する」とかといった事は無かったという。覚えてないだけか?

無理なく総括してみると、

1.人生のシナリオを持ち、何かしらの使命を持っている
2.シナリオの主人公をサポートする事を目的とする
3.何のシナリオも無くあるがままに人生を生きる人

こんな人たちが混在しているのが人間社会なのかもしれない

全くシナリオを持たないといいつつも就職する会社、結婚相手、恩師、親友等と出会う為のシナリオはあるのかもしれない。

果たして自分は、あなたはどのタイプなのだろうか?

戦国時代、戦が起これば兵の数で戦った。「名もない一兵卒」は「雑兵」として名前も生い立ちも知られず戦場で命を落とした。こうした一兵卒は大名となるシナリオを持つ人の人生を支える為に用意されたポディションで、そこへ転生する魂はどう選択されたのか?

日本にはスーパーコンピューター「京」がある。
災害時の避難経路の検証等でも使用されており、地図上に登録された建物は一つ一つその建物の築年数や構造、立地条件等細かくデータをインプットされており、そこに人も目的地まで向かうために年齢性別、歩く速度等を入れ、家屋が倒れて道がふさがれていると自分で考えて別のルートを探すという風に現実の世界により近い状態を再現し、あらゆるタイプの地震が起こった時に人はどう動くか、をシミュレートしている。

この動きを見ていると、霊界から人間界を見てる時ってこんな見え方なんだろうか?とか考えてしまうのは私だけか?

肉体的意思と魂的意思が自分と感じる個別感は上空から見ていれば一兵卒。

どれだけ一兵卒が自己主張しても上空からの大きな指示からは逃れられない場合もあるのか。

そして霊能者でも個別の人のシナリオ等を読み取るのは無理なのか。

分からないから面白いという考え方と、困った時にはやはり知りたい、、、なんともしがたいのが肉体的意思なのだろうか。

守護霊は個別の魂的意思が持つシナリオ達成の為の手助けをしているのか。

そして肉体的意思はそんな知らないシナリオが展開されるのを、映画を見るというより映画の中に入り込んで体験しているといった感じになるのか。

そうするとこの探求ブログ第一章という区切りで落ち着いた「人生はアトラクション」という所と同じような場所へやはり落ち着くのか。。。

東京ディズニーランドのスターツアーズというアトラクションがあるが、自分が乗り込んで体験すると本当に宇宙船が動いているような感じを体験できる。
その乗り物を動かしている機械設備がどのような仕組みになっているのかはわからない。
機械に詳しい人ならその乗り物から降りたとき、油圧のパイプ等の組み合わせで動いている事がおおよそわかる。

しかし細部まではわからず、それをコントロールしている場所へは入る事が出来ないので本質的な所は想像するしかない。

何か似ている。。。

自分の人生のシナリオ、もしかしたら油圧シリンダーの故障でスケジュールが変更されることもあるかもしれないが、楽しめるのか苦しめるのか閉園時間で帰るのか全く分からない。

知りたいような知りたくないような。。。

まあしかし人生後半戦なので、そろそろ教えてもらってもいいかもしれない(笑)









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(15:59)

2015年10月04日

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ここ1ヶ月更新していなかったが、心配してくれていた方々へ生存報告だけ入れておきます。

少し前、体調異常?と思える事で、突然更新が止まったら察してくださいと書いたので、心配されてしまいました。

「大丈夫です、生きてますよ〜」

お騒がせしました。

生存報告でした。

現在、このスピリチュアル探求に新たな気づき等ありまして、まだブログに書ける状態になっておりません。
その為、更新できずご心配をおかけしてしまいました。

それではまた!!

 



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(18:02)

2015年09月05日

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精神世界、スピリチュアル、このブログもそうだが本当に多い。

このブログも精神世界を探索している一つだが、どれも矛盾に満ちている。

なぜだろうか?

精神世界の話で最近本当に多いのが「時間」という概念についての考え方だろう。

過去も未来も全て「今」にある、とか全て決まっている、とか一般的に我々が使用している単語「過去」だとか「未来」だとかという言葉を使い、「今」にだけあると言った一般的には誤った使い方だ。

時間という概念からすると「今」より前の時間帯の事を「過去」ととらえている。

それが「今」の中にあるという表現は「過去」という一般的に考えられている「過去」とは違う意味合いを持たせた精神世界独特の表現とう事になるだろう。

こうした表現で説明する方々は、何かしら確信をもっているため私のように疑問を提示すると、「まだわかっていない」という答えが返ってくる。

こうした感じ方というのか表現の仕方が「言葉的」に矛盾を感じさせる一因となっているだろう。

肉体を持った人間としての感覚や知識等で理解しようとすると、人それぞれ尺度が違ったりそれまでの知識、経験等の差、他個性や性格によっても受け止め方が違ってくる。

「一瞬」という瞬間を考えてみると、今の瞬間もどこまでを「瞬間」と定義するか?

1秒? 0.1秒? 0.00001秒? 陸上競技等を行っている人にしてみれば1/1000秒単位で考えるかもしれない。

コンピューターネットワークの世界にいる人は 1/数億秒位で考えるかもしれない。

「今」という定義も人それぞれだろう。

精神世界では時間という概念が存在しないと言っている事がとても多い。

以前もこのブログで書いたが、地球の歴史で見れば数十億年の歴史の最先端の数秒が人類数千年の歴史であるため、惑星レベルの瞬間で見れば人間的に過去の話も地球的には「今」であろう。

精神世界を「量子」の話で説明する人もいる。

量子の世界では「ひとつの量子が同時に別の所に存在できる」という事が「パラレルワールド」の根拠になっていたりもする。

その量子が複数集まり出来上がっている「物質」も別の次元に同時に存在する?

こうした話を突き詰めるのは、量子の世界がまだほとんど解明されていない為無意味であろう。


人はなぜ精神世界に興味を持つのだろうか?

それは、不思議な現象を体験したりするからではないだろうか。

小指に繋がれた「赤い糸」を信じてみたかったり、出会ったその人が「赤い糸」で結ばれているかも!?といった思いからワクワクしてみたり。

道路にボールが転がってきたために車はブレーキを踏んで減速した結果、後ろの車も減速した為にちょっとくしゃみをして目をつぶった瞬間に後ろの車に激突。。。

何とも運の悪い、、、とへこんでいたが入院した病院の同じ部屋に入院していた人へお見舞いに来た人とその後結婚したりw

こうした連鎖した出来事を「運命の輪」と言った表現で使われ続けている。

「運命」とか「宿命」とか「何か決まっている?」と思えるような現象も精神世界に興味を持つきっかけになる人もいるだろう。

詳細は書けないが私自身もこうした不思議な現象、偶然というには無理がありそうに思える事がとても多かったという理由からである。

そんな不思議と思える現象は実は「時間の概念が無い」ので「過去」も「未来」も全て「今」にあってね、と説明されてもかみ合ってない。

それどころか、未来に起こることも全て決まっているという説明もあり、そうするとオイオイ、じゃ会社を興しても倒産することもオリンピックでメダルを取る人も全部決まっているのか?という展開となり、そりゃ極論だよとか、重要なイベントは決まっていて、、、と迷走している。

しかし「あなたはわかっていない」と私に言う人は「そうじゃないんだ」と何か確信を持っている。

一人の人の説明では完結しているように思える精神世界だが、他の確信を持っている人に聞いてみるとそこに矛盾が発生する。

精神世界に興味を持つ人の理解度とでも表現すればいいか難しいが、知りたいところのポイントが皆違う。

困っている人、へこんでいる人が元気を取り戻したり悲しんでいる人の心が少しでも落ち着くための対処としての説明なら一人の確信を持った人の完結した説明でいいのかもしれない。

このブログはそうした複数の確信を持った人達の説明にとても矛盾を感じるため困っているのだ。

地球は平だと人々が思っているときに「実は地球は球形なんだ」と言ったら火あぶりの刑に処せられては進歩がない。

まあ、進歩する事が必要か?とか脱線するポイントは数多くあるが。。。

真実を知りたいという思いは疑問が湧き出れば当然あるだろう。

知らなければよかったと思える事もあるかもしれない。

しかしそれは知ってからの判断だろう。

明日私は大事故に遭い心停止となり、葬儀の準備中に生き返り、猛烈な痛みと戦いながらリハビリを行う、そしてその後その事故がきっかけで精神的に充実した人生を送ることが出来るという事が決まっているとして、今その事を知ってしまったとしたら?

いやいやそんな事故は回避したい、普通に暮らしたいからそんな経験はいらない、と思うかもしれない。

しかし、そんな事を知らなければ事故に遭遇しとんでもない経験をすることになるだろう。
そしてそんな患者も必死に助けようと医療スタッフも懸命に努力してくれるだろうし、家族や知人もお見舞いに来て励ましてくれたりするかもしれない。

全ての人類が自分の未来が決まっているとして、それを知っていたら?

事故や事件が起こることも無いだろうし、株式市場も存在できない。スポーツ競技も全て結果が分かっているとしたらその未来を回避する動きになる為に予定とは違う動きが始まる。

これは精神的にも無限ループになるだろう。

サッカーのPK戦、右へ蹴ろうと思った瞬間キーパーは察知して右へ飛ぶという事が見えると左へ蹴ると考えを変える、するとキーパーも・・・どう考えても全てキーパーにはじかれる。
勝負がつかないという事になる。

一例で書いたこのことに関しても、精神世界にいると思われている「魂」では考えていることが相手に全て筒抜けなので隠し事が出来ないという。

だから、隠し事が出来る人間に入って遊んでいるのだ、と。

この辺りの事も書き始めたらきりがない。

結局全ての精神世界の話は「多分」そうであろうというレベルになってしまう。

精神世界の話をするとき、着地点としてどこを見て話をするのか?

そのポイントが違うと話がずれる。

「全ては同じ」

元々は全て同じというこの表現も見るポイントにより変化する。

ダイエーホークスの松坂大輔が怪我の為戦線離脱、ファンに説明が無いという記事があった、4億円持ち逃げだと。

そのお金は元々ファンが球場に来たりグッズを購入してくれたお金だ、というが元々と言い始めると、お金の始まりはそこか?という展開になってしまう。

そのファンが使ったお金はどこかで仕事をして誰かが使ってくれたお金であり、、、と回っているものを元々と言うのは適切で無いと私には思える。

全てが同じ?確かに全てのものは人間など生物も含め元をたどると「量子」に行き着く。

量子は何で出来ているのか?という所まではまだ分からないが、「精神」は?

この精神、人が思考する精神はどこから来るのか、これも量子にたどり着くのだろうか?

まだ精神という存在を証明できてはいない。

幽体離脱
確かに臨死体験や様々な事を体験した人達の話から共通する事をまとめていくと「精神」や「魂」と呼ばれる存在がありそうに思える。

しかし、その存在を人間的思考で納得できるような証明方法は今の所見当たらない。


特殊な体験をしたと「思っている」人の話や霊能者と呼ばれる人が「感じた」という事、瞑想等で「悟った」人等の話である。

これはそれぞれの人たちが体験したと言っている話を否定しているわけではない。

今の現状では、情報量がこの位しか無いという現状なのだ。

霊能者と呼ばれる人の中にも勘違いしている人や偽物も交じっているため、この情報源もあやふやである。

それでも不思議と思われる現象は無数にあり、日々悩んでいる人もありと私自身も疑問が消えない。

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう。




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(10:57)

2015年09月03日

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人は生まれる前に自分の人生がどうなるのか計画してくるという話がある。
また発言する一言までカッチリ決まっているという人もいる。

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その一方、未来を見る事が出来るという人は未来は変える事が可能だとも言う。

激動の人生を歩んできた人が晩年、自分の納得する生活にたどり着いたら、それまでの苦労はこの為に有ったとも言う。

また、志半ばで若くして惜しまれながら人生を終える人、未来に夢を膨らませていながら意図せず突然人生を終わらせられるという人もいる。

こうした自分の意図とは違う形で人生を強制終了させられた人も生まれる前に事前に決めてあった事、魂の同意があったという人もいる。

個別に話を聞いたり見たりした場合、それでも納得できる話ではあるが、他の事例と総合的に考えると矛盾が多すぎて混乱する。

こうした今の現状からすると、どの説も残された人達を納得させる為というか落ち着かせる為に言っているという見方もできる。


引寄せの法則、この事に関するブログ等は本当に多い。

私自身も引寄せだと言われると、確かにその通りだなと思いたくなるような不思議な出来事がある事は確かである為、否定は出来ない。

その一方、一向に引寄せが出来ない人もいる。

個人差の問題なのか、やり方考え方が適切で無い為効果が出ないのか?

引寄せと思われる効果は私自身30年以上前からなんとなく実感していた。
数年前にようやく引き寄せの法則とう言葉を知り、内容を見て驚いたくらいだ。

もし人生が全て決まっているとしたら、引き寄せの法則で実現する事も全て予定通りという事になるだろう。

また、未来は自分に決定権があり、自由に選択できるのだとしたら引寄せは面白そうである。

生まれる前の人生計画は、おおよそのイベント等の予定はあり、予定通り行けばそのイベントが発生するし、選択を誤るとイベントには到達しないとした場合は?

霊界からのメッセージで、人がなんとなく思う事は実は守護霊等がふっと吹き込むのでその吹き込まれた事で人生の選択が変化したり、守護霊が導く事があるという話もある。

だから守護霊はその人間が選択を誤ったり、ふっと吹き込む事を聞いてくれなかったりした場合、事故や自殺という結果になっても止められないとも言う。

また、事故などは実はあらかじめ予定されていたイベントだとすればそのイベント実行の為守護霊は見ているだけ、、、という事も考えられる。

予定されているイベントの一つとして「離婚」がある。
これがなかなか離婚しない場合、金銭的に双方を追いつめて離婚に追い込むこともあるという。

そんな守護霊の力が働いている状況で、仕事の成功をイメージして引き寄せの法則を働かせようとしても、どちらが強いのか?という事になり、守護霊の力が勝てば引き寄せは達成されない。もしくは離婚後達成されるかもしれない。

こうなると生まれる前の人生計画の邪魔になる引き寄せは成就しないという事になるだろう。
それなら引寄せが出来る人出来ない人がいても、まあ納得。

人間目線で考えた場合、人生全て決まっているとなると「生きる意欲」は無くなるだろう。

今の状況のまま進めば、おおよそ次の展開はこうなるといった流れは有るように感じる。
未来を見てしまう人がいて、人間目線でそれを回避できる場合、回避したいと思う人間だが、生まれる前の人生計画でそのイベントが決まっている場合、どうあがいても回避できなかったり、そもそも未来を見る事の出来る人と出会っていないかもしれない。

霊界の空間の中には人々の動きを組み立てる「計画センター」なるものがあるという話もある。
だれがどこで出会い、その結果予定されたイベントが実行されるのだと。

人間目線での希望より生まれる前の計画が優先されるのか、意図的にやはりイベントは途中回避もしくは中止できるのか?

長年引き寄せの法則を無意識に活用してきて、数年前からは意図的に引寄せを成功させてきたのだが、それでも引き寄せられない事というのはいくつもある。

小物やちょっとしたお金程度は簡単に引寄せられる事が多い。それでも引き寄せられてこないものもあるが。。。

こうした引き寄せ出来ないものと自分の人生計画と絡めて考えても、どこまで影響力があり関連性があるのか?という事は明確に見えてこない。


引寄せの法則の事を実はまだよく知らないのでは?と思う事もしばしば。。。

生まれる前の人生計画でホームレスを予定していた場合、しかし本人はそんな事は忘れている、だから仕事の成功を引き寄せようと奮闘しても最終的にはホームレス?

しかしホームレスでいながら、食事だけは不自由しないとイメージしていた場合、引寄せがうまく作用し食事だけは困らない状況が実現されるのだろうか?

こうした不思議と思われる現象をもっと詳細に研究し、使い方と効果の出方等が分かってくると少しは引き寄せられないと悩む人の助けになるような気がする。

もしかしたら「引き寄せたい」と思う事も、守護霊がふっと頭の中に吹き込んでいるのか?

生まれる前の人生計画に導くために敢えて失敗だと思われるような経験をふっと吹き込まれて実践し、結果失敗と思える体験をしている?

生まれる前の人生計画で自分は事故で下半身不随になり死にたくなるほどの苦労を経験した後、その経験から何か大きな事を成し遂げ、充実した人生を送ることが出来ると計画した人がいた場合、事故後引寄せで「再び歩けるようになる」とイメージし続けても人生計画が優先し引き寄せはかなわないという事?

生まれる前の人生計画に邪魔になる事は引き寄せられないという法則があるのだろうか。
もしそうだとしたら、引寄せが出来ない事は期限を設けて保留にしておくという引き寄せの使い方もあるだろう。

事前に人生計画が分かってしまった場合、事故は回避したくなるのが人の感覚であろうが、その後の計画までわかってしまうと感動は薄れるだろう。

だから生まれる前の自分の人生計画は忘れて生まれてくるという事になるのだろう。

もしくは実は全く計画など無く、人の持っている個性のような違いが様々な波動を出し、その結果無意識にも様々な事を引き寄せており、その結果現在の状況が出来上がっているという考え方もできる。

もし人生計画等というものが無かったとしたら、引寄せで出来る事出来ない事、この違いや引寄せできる人出来ない人の違い等を研究していくともっと有効活用が出来そうにも思える。

縁がある人とは自然に接近し、縁が無くなると自然と離れていく人、こうした不思議な人の世界は単純な話では説明しきれない不思議さがある。

霊界や人生計画等あると断言できないが、それらしき現象があるのは確かだ。
その不思議と思われる現象から傾向を掴んでいくくらいしか今の所方法が無いように思う。

霊能者達は断言している人もいるが、証明は出来ていないのが現状だろう。

全て人間が認識出る範囲の外の世界の話なので、スピリチュアルの世界と現実世界を丹念に観察し、接点と傾向を探るという事でこのブログも視点を増やして探求を続けてみようと思う。



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(10:16)

2015年08月31日

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スピリチュアルの世界も無関心ではいられない事だろう。

人の死は魂の同意があるという人達。

アメリカの「アーミテージリポート」(アメリカから日本への要求)で、日本の集団的自衛権の禁止は日米安保に障害だから解消すべきと書かれ、安倍総理「はいわかりました」と日本は大混乱。

防衛省は2013年頃から、民間企業に入社した新人を「研修」という事で自衛隊へ2年間行く事を「業務命令」として出してはどうか?

その変わり入札では便宜を図る。。。

2年の研修が終了しても予備自衛官として登録されるので、有事の際は招集がかかる。

結局「徴兵制」が復活するのと同じことになりそうだ。

自衛官女子

さて、こうした戦争を画策している連中の権力に逆らえない我々はどうしたら?どう考えたらいいのか?

平和な時代に生きている状況なら、見ず知らずの人が事故や事件で亡くなっても「生まれる前からの魂の同意だから」と平気で言えるだろう。

そんな悠長な事を言っていられない状況になりつつある。

アジア圏がこれだけ緊迫した状況で経済的にも大混乱、「1発の銃弾」から始まった過去の戦争同様今も起こらないと断言できる人はいないだろう。

スピリチュアルの世界では大風呂敷を広げ、宇宙の彼方からの話まで百花繚乱だ。

スピリチュアルの世界等気にしない人たちは、現実的に戦争法案を回避しようとして行動している。デモ行進を行うことに効果があるかどうかとかそういう問題では無い。

一方、スピリチュアルの光の住人達は「全て幻想の世界の出来事」と傍観者だ。

民間企業へ新入社員として入社して、と思ったら過酷な自衛隊研修へ業務命令で行かされて、同期の仲間たちも一緒なので疑問を持ちながらも業務命令に従う若者たち。

数年後にもし紛争が勃発し、研修を終えたはずの自分の子供たちが自衛隊から招集され、マシンガンや手りゅう弾を持たされる。

実際に目の前に爆弾を落とされて、家族や家が吹っ飛び、瓦礫だけが残った姿を見たとき、魂の同意の上での事だから。。。と素直に思えるか?

もしもシリーズは現時点での想像でしか無い為、説得力も何も無い。

しかし、安全だ!大丈夫だ!と言われて来た原発も凄まじい放射能被害を未だに出し続けている。安全で楽しい遊園地のジェットコースター、車輪が外れて亡くなった人。言い出せばきりがないほど数多くある事例を踏まえて、自分の大切な人の死に繋がる戦争も予定通りの事だからと平然と言えるだろうか?

スピリチュアルの世界を探索し続けている自分、そして何かあるとは思っているが確証を持てない今の状況では、家族や子供の戦争参加、しかも本人や親の意思を無視した命令に従わされて死んでいく姿を心穏やかに見る自信は無い。

スピリチュアルの世界では、人や環境等自分以外のものに感謝し、人に愛を与えると自分にもそれが返ってくるという思考体系が多い。

強引にでも奪い取り自分だけ満足すればそれでよいという人種とは異なる。

アメリカなどの支配層にいる白人系は「爬虫類」からの進化系だという話もある。
目の前にエサがあれば普通に食いつくという習性、愛だとか奉仕だとか関係ないのだと。

どの説が正しいのかわからない。

しかし、自分の意見が正しいと情報を発信する人たちは確信を持っている。

こうしたトゲのある内容の場合、反論も多数あるだろうしもしかしたら図星を突かれた人もいるだろう。図星を突かれこうした内容を批判したい人はストレートに反論せず、巧みな戦術を用いることが多い。

結局、言論でも武力でも経済でも自分の意思を通したいという欲の戦いなのだ。

言論で戦い、相手が折れなければ経済的に追い詰める、それでも思い通りにならなければミサイルが飛ぶといったところだ。

日本に普通に生活していると、まず目にする事も無い悲惨な事件や信じられないような事を平然と行う輩も世界には本当に多い。

あまりにも悲惨な世界から日本のような平和な世界まで見渡していると、光の世界のスピリチュアルも蛍の光程度に感じてしまう事も多い。

仕事がいやだとアンケートに答えた人は30%近くもいる。どれだけいやでも生活の為に行かなければならない。猛烈な満員電車、台風の中、猛暑だろうが何だろうが行かなくてはならない。

旦那さんが病気などで亡くなっても、別れても、子供がいたら子供の為にと懸命に働く女性達。そんな女性達に政府も企業も冷たい。大企業でさえも妊娠すると煙たがられる。最終的には女性からいじめられたりする、「女性の最大の敵は女性」と先日ニュースで見かけた。

それでも働かなくてはならない。

強盗が自宅に押し入ってきて家族に暴力を振るおうとしたら、旦那は体を張って家族を守るかもしれない。

どこかの国が日本を植民地にしようと攻め込んでくるかもしれない。
そうなったら、いやだとか言っていられない状況になる。
実際に今自国の領地を広げる事に躍起になって軍隊を派遣している国がある。

戦争などやりたくないが、攻めてこられたら守りたくなるだろう。
家族を殺されたら、怒り狂って突撃していく人もいるかもしれない。

守るために守りの軍隊を増強しなければ食物連鎖と同じで、食われるだろう。

これなら話はまだ分かる。

しかしアーミテージリポートに書かれたアメリカの要求通りに自衛隊をアメリカの二軍に差し出せという話は、ちょっと違うだろう。

スピリチュアルの世界で、引き寄せの法則や思いの力、そんな事はお構いなしに侵略者はやってくる。

爬虫類の指示に従って家族を軍隊へ送り込むのか?

スピリチュアルの世界の中だけで考えていても確証もなく実証も出来ない現状ではこれ以上堂々巡りの状況なので、人々が現実だと思い感じているこの実社会と組み合わせて考えていけば、もしかしたら別の視点や何かが出てくるかもしれない。

現実世界と思っているこの環境を「幻想」だと言葉で言うのは簡単だが、それで本当に納得実感そして、その考えを実践できるのだろうか?



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(13:50)

2015年08月25日

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ロボットの進化が加速している。

AI(人工知能)の進化が人間の仕事を奪う等盛んに報道されている。

10年後に残る仕事はこれだ!とか面白い。

 

今現在我々は人間という形態でいる。

先日ニュースで報道された記事に、自立し自分でロボットを生産し評価、そして出来のいい子ロボットの特性を取り入れて次の生産に活用する実験に成功したというのだ。

 

映画ターミネーターの世界だ。

 
T800












固定概念を外して考えてみる。


魂という精神だけの存在があると仮定し、その魂が人間の肉体に入り込んで人生を経験しているという考え方は一般的にとても多い。

 

今分かっている情報で考えると、地球上にある成分が有機体として進化したと考えられている。DNAを色々変化させ、環境に適合した生物だけが生き残りとふるいにかけるように適合種だけが生き延びている。

 

そして気の遠くなる時間の中でDNAを変化させ、現在の人間社会が出来上がっている。

 

今回のロボットの自立生産ロボットもこのDNAの考え方を取り入れているという。

幾つかのDNAのようなプログラムを用意し、その混合を行い母ロボットが子ロボットを製作する。

出来た子ロボットの性能を母ロボットが評価し、性能の高いロボットのDNAに相当するプログラムを変化させたり、他の型式の性能の高い子ロボットのDNAプログラムと混合させたりと、生物の進化の過程をトレースするように行われている。

 

研究者は新たな仕組みをロボットに考え出させるという事は可能であると。

 

この研究が進み、人体の弱点である病気や怪我、更に動作的な限界(移動速度や記憶、演算処理)等をロボット化する事で克服できる。

 

今の人間としての感覚的にそれでは「面白いとか娯楽が無いだろう」という考えも浮かぶかもしれないが、AIが進化してロボット目線での娯楽や感情のような事も可能ではないかとも思える。

 

こうしたロボット生産技術から自立思考で生産するロボットを進化させる事が続いていけば、まるで別種族のようなロボット型生体ができるかもしれない。

 

 

これまで様々な霊的現象等の事例や話を目にしてきた中で、霊が今のこの物理的世界の「物」を動かすことが出来るといった話は数え切れない。

 

アメリカではポルターガイスト現象と言われ、扉が勝手に開いたり皿や本等色々な物が飛んでくるという。日本でも硫黄島での体験記等を読んでいると、ベッドを蹴られたり、深夜に国旗掲揚の時の音楽が突然流れ出したりと、とても作り話とは思えない体験が多い。

 

私自身も地震でもない静かな室内で、並んでいる花瓶の一つが音もなく落下し「ガチャーン」と粉々に割れる状況を2m位の距離で目撃したこともある。

 

 

これらのようにもし、霊が物質を動かすことが出来るとすればもしかして将来、完成度の高いロボットが出てきた頃に、そこへ魂が宿り自立思考して動くロボットを動かす日が来るかもしれない。

 

大自然の中でレトロウイルスにより絶滅寸前まで追い込まれた人類の祖先が、そのレトロウイルスのDNAを自身に取り込み、卵を産んでいた生態が胎盤を持ち、体内で安全に子孫を守れるようになったという変化が絶滅寸前から大発生し、現在の人類になっているという事はDNAが証明しているという研究発表もある。

 

だから、何も魂が宿る対象は生物だけでなくAIで自立思考ができ、自由に動くことが可能なロボットに宿る時代に変化しても、もしかしたらこれも進化と後に呼ばれるかもしれない。

 

結局人類の進化の過程で、DNAが果たしてきた役割をプログラムとしてロボットに入れ、動かしてみたら実験が成功しているという事で、DNAの進化となんら考え方は変わらないのではないだろうか?


義手

現在、人間の体のパーツが義手や義足等で補われているが、人類はAIを進化させている。

 

義手も変化しており、パワースーツは人体のサポートとして力仕事をする人たちの助けになっている。

 

何が何でも肉体でなくてはならないという事はないのではないか?

 

銀河鉄道999では機械の体を求め旅をする。

 

人間はどこか機械の体を欲しているところもあるのではないだろうか?

 

人間という肉体に宿る魂と、機械の体に宿る魂が主導権を争って戦う日が来るかもしれない。

 

性能や寿命等様々な事で機械の体の方が勝ってくれば、この地球上では生物の定義も変わって、肉体からマシンへ「進化」したと数千年後には歴史に書かれているかもしれない。

 

もし輪廻転生で何度でも人間界の肉体へ生まれてくる事が出来るのであれば、映画ターミネーターの時代や完全にマシンに進化した時代にも生まれてみたいものである。

 

 本日も最後までおつきあいいただきありがとう。
 

 


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(17:53)

2015年08月14日

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最近本当にネット上にスピ系のブログが多くなってきた。

本当に沢山あるので全てを見るのは相当な時間がかかりそうだし、次から次へと更新されていくので読破は無理。

 

その数え切れないスピ系ブログを拝見していて、気になる事。

 

人の寿命が生まれる前から決まっているという話。

 

多数拝見していると、確かにそう思えてくるような内容がとても多い。

沢山書いてあるから真実とは限らない。

 

自分もこのスピ系のブログを書く前から気になっていたこの人間の寿命について。

 

高校生で亡くなってしまった方の葬儀に向かった人の中に霊能者と呼ばれる人もいた。

その霊能者は葬儀場に入るなり「自分で決めてきたんだ」という声を聞いたという。

 

亡くなった高校生の母親に葬儀へ参列した霊能者が寿命は自分で決めてきたのだと本人が言っていた事を伝えた結果、母親は救われたという。

 

私も身近な人のご子息(高校生)が事故で亡くなられた時、葬儀へ参列した。

声は聞こえなかったが葬儀が始まると、曇り空だった天気がゲリラ豪雨に変わり、連続して落雷がなり続き、葬儀の参列者は凍りついていた。

その場の雰囲気はまるで亡くなってしまった本人の嘆き悲しむ心の叫びのようでもあった。

 

葬儀が終了すると雨は止み、晴れ間が出ていて葬儀の参列者は濡れないで帰宅することができた。

 

この事故で亡くなった高校生は自分で決めた寿命ではなかったのだろうか?

真相は誰もわからない。

 

では、寿命をある程度自分で決めることができたとして、どのような基準で決めるのか?

どのような人生になるのかあらかじめわかっていて、その流れの中で決めるのだろうか?

 

それとも、人生の流れは完全に詳細な所まで決まっており、どのような展開になるかも全て分かっていてそのドラマに出演するようなイメージで生まれてくるのか?

 

それとも要所要所のイベントスケジュールはあるが期日までは決まっていない感じ?

 

はたまた、やりたいこと一覧を作り自分の人生でそれを実行し、やりたいことの中の最後に事故死とか病死とか行方不明とか自然災害に巻き込まれるとか決めるのか?

 

人生がカッチリ決まっているとしたら、現在人間として生きている人たちにとって大事件だ。

結婚相手から離婚する人、生まれる子供、行くことができる学校、オリンピックのメダルの色まで全て決まっているという事になり、自分が自由意志で選択していると思っているだけでそれすらも台本通りという事になる。

 

ある程度イベントは決まっている、もしくはそのイベントに登場してくる人物などのキャスティングは決まっているが、台本のないぶっつけ本番出たとこ勝負といった展開なのか。

 

そのイベントの最後に事故や病気、殺人事件の被害者、行方不明、冤罪による死刑など入れ込んでくるのか。

 

都合よく解釈しようとすると、寿命等を自分のイベントの最後に入れる人もいれば自然に任せるという人もいるといったところか。

 

例えばビルから飛び降りた場合、地面にぶつかる直前魂は抜けるという話もある。

あまりにひどい衝撃を肉体と共に受けてしまうと魂が傷ついたり壊れたりすることもあるという説もある。

 

そしてその魂は何度も同じ場所から飛び降り続けているとも。

 

しかし肉体から抜けた魂は忘れていた全てを思い出し、どこかへ帰っていくという説もある。

 

しかし自殺等をした場合、やってはいけない事をしたという事で罰を受ける的な話もある。

 

平成の今の時代の感覚とは違う戦国時代の人々の意識を想像してみる。

仕える主君の為に自分が命を落とすこと等何の疑問もなく、それどころか主君の為に死ぬことができて嬉しいとさえ思っていたという記録がある。

 

その当時の魂は社会環境が戦国時代の為、平成の今とは命の価値観がまるで違う。

 

主君の為に腹を切る。

自殺である。

 

この切腹を武士の誇りとして思っていた時代、もし自分の寿命を決めてきたのだとしたらこの切腹というイベントを人生最後に組み込んできたという事になる。

 

切腹後、その魂はその場で切腹をし続けるのか?

それとも何か罰を受けているのか?

予定通りの死亡なので晴れ晴れとした気分でどこかへ帰っていくのか?

 

こうした考えは、魂は存在し輪廻転生しているという事を大前提としている。

 

人生の先を見通してどのタイミングでどういった形で人生を終わらせるのか?

 

自然災害を選択したとしたら、その時その場所にいて自然災害の被害に巻き込まれる。

 

ということは自然災害も場所と発生日時はしっかり確定しているという考え方が成立する。

 

では交通事故を選択した場合、数十年後の交通事故があらかじめ決められていたという事か?

 

馬車しかなかった時代に生まれ、その後自動車が開発され、その自動車事故でという事は未来に発明される物もあらかじめ分かっていたという考え方も成立する。

 

では、研究者等が様々な実験を行った時、失敗だと思われた結果が実は他の事での大発明につながるという事もある話だが、「実験の失敗から偶然発見された」と人間社会では言われる事も、魂の世界から見ていたら、予定通りという事。

 

この人間社会は魂の世界から見たら、全て出来上がったストーリーでありほんの些細な変更もアドリブも無い完成された世界だという考え方も成立してくるだろう。

 

魂の世界に視点を移して考えてみる。

 

このブログでも何度か紹介しているが、チャネリングで聞こえてきたという内容。

 

「こうとでも言っておかねば人間は我々を崇拝してくれないから」

 

魂の世界があるという大前提で、人間界へ影響力を持ちたい、神として崇拝されたいという欲求があるように感じられる数々のチャネリングでのコメント。

 

かなりの数のチャネラーがいて、その会話を記載したブログも数多く存在する。

それらを見ていると、ほとんどが「啓示」や「アドバイス」「霊界の仕組み」「役割」などを人間界へ伝えている事が非常に多い。

 

人間界からはまだ確実に霊界とかを認識できている状態ではない。

霊能者と言われる人も一つの現象を見て同じことを発言するというような現場も実験も無い。

それは霊能者という人間のフィルターを通してしまうため、翻訳の仕方が変わってしまうという。

 

本当に魂の世界に人間社会は完全管理されているというのか?

管理されているよ、と言われているだけで実はそんなことは全然無いという考えもある。

 

完全管理されていて生まれる家も寿命が尽きるときも全て自分で決めて、喜びも苦労も感激も悲しみもあらゆる感情を体験する為に作り出された世界で、自ら人間社会へ来たことも忘れ日々の事に喜んだり心を痛めたりしているだけなのだろうか?

 

完全管理された世界だとしても、実は全く管理されてない世界だとしてもまだ矛盾が残る。

 

現在ネット上に数多くあるブログには「光」とか「愛」というキーワードが無数にある。

人間目線で人間社会を考えて神の世界が存在し、神様に守られながら生きているという基本的な考えも当然矛盾だらけだ。

 

しかし、こうした矛盾を根本的にかなり解決できるかもしれないというヒントがある。

現在まだ詳細を教えていただいている所なのでブログでも紹介できないが、状況が整い次第まとめてアップしてみたいと考えている。

 

今現在言われている事が本当にその通りなのかは、結論を出すのが非常に難しいし完全管理された世界に人間として生きているとしたら、このブログも台本通りということになるであろう。

 

引き寄せの法則も大事故での奇跡の生還も全て台本通り?

それだとちょっと気力が失せてしまいそう。。。

 

台本通りに人間界が運行されているとしたら、どうしてその謎解きにつながるような霊能者やチャネラーが存在するのか?という疑問にもつながる。

 

まだまだ矛盾の真っ只中である。

 

本日も最後までおつき合いいただきありがとう。

 

 


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(22:53)

2015年08月03日

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人は色々なことを記憶している

現在分かっている事、記憶は脳の中のシナプスと呼ばれる結合により残される

 

事故等で強烈なショックを受けると人はその事を忘れてしまう

しかし何かの拍子に思い出したりもする

 

子供の頃の記憶はあいまいになり、忘れていたり記憶が変わっていたりもする

 

日常の生活でどれだけ思い出そうとしても思い出せない事

関連のある何かを見ると「あっ!」と思い出したりもする

 

人間として経験したり見たり聞いたりした事を脳の中でシナプス結合により記憶している?

 

では、人間として生まれる前の記憶を持つ人

 

また、前世の記憶を持っている人

 

現在の肉体の脳が形成される前の出来事を覚えている?

 

記憶とはどこへ記録されるのか?

 

現在の肉体が体験した事をシナプス結合で脳が覚えているというのはわかるが、前世の記憶などはどこへ記録されていて、どうやって現在の肉体の脳の神経回路が記憶として認識出来るようになるのか?

 

魂は肉体と重なるように存在していると一般的には認識されていると思うが、魂の記憶は肉体の脳とどういう連携をしているのだろうか?

 

魂の記憶が脳のシナプス結合を作り出す?

 

それとも魂の記憶は電波のような存在で、脳の神経回路がそれを受信している?

 

よく一般的に言われている「潜在意識」(深層心理とか無意識とも言われている)と

「顕在意識」(自我とか自身で認識できている意識)と言われている2つに分かれている

 

潜在意識とか深層心理はIQという見方をすると30程度と言われている

だから自己判断能力は無いとも思われている

 

そして瞑想やヨガ等を行い、顕在意識(自我)の活動を低下させ、潜在意識に望むことを流し込んだり、潜在意識に眠っている自分の記憶を取り出したりと様々なアプローチが行われている

 

この、顕在意識と潜在意識それに加えて魂の記憶と意思?等があるというのか?

 

魂の記憶や想いは潜在意識と同一といった見方もあるが、IQ的には30程度

すると霊能者が霊魂と会話したり意思の疎通をしているという話はどうなる?

 

IQで考えると一般的な人は90前後が平均と言われており、60の人とでは会話は成り立たないとも言われている。それが更に低い30程度では会話どころでは無い

 

霊との会話はイメージで行われるので言語は関係無いとも言われている

言語を使用せずイメージだけが送られてきて、それを霊能者の持つ知識や経験から判断し言語に変換しているのだろうと言われている

 

チャネリング等も同様にそう思われている

 

だから霊能者はその本人の経験値や人格がとても重要と言われるのもなるほど、と思える所だ

 

潜在意識(無意識)と霊の記憶は同一なのだろうか?

 

それとも潜在意識が霊のイメージを受信することが出来、それを顕在意識(自我)が認識しているのか?

 

肉体が体験して脳の神経回路へ記憶した事は、逆に魂の電波のような存在へ追加記録されていくだろうか?

 

脳が認識した事、それが即座に魂へ記録されていく?

魂の持つ詳細な記憶を霊能者という人間が詳細に聞き取ることが出来るという人もいる。

 

自分の魂の記憶を自分自身でさえ思い出せない状況で、受信感度が高い霊能者は他人の霊の記憶まで読み取ることが可能ということ?

 

以前出会った霊能者は、街で他人とすれ違った瞬間にその人の人生が全て見えてしまうという

全てが見てしまうという事でその人しか知らない事、汚いことや悪事等も全てみえてしまうため外出が億劫になり、そんな人の汚い部分等「見たくない」、という気持ちが強くなった影響で肉体の視力が落ち、失明寸前であった。

 

霊能者の能力というのは、霊的な何か?なのか、肉体的な能力?受信感度?なのか?

 

人生極限まで追い込まれ、自殺未遂で助けられた人がその後、霊能力が出現し霊能者として生活している人もいる

 

何かの肉体的ショックから肉体的受信感度が上がり、以前は受信出来なかった霊的な存在を受信できるようになったのか?よく言われる、霊能力を「授かった」という神の使者という捉え方もある

 

これらを総合的に見てみると、脳の神経回路はどのような役割なのか?

動物が進化していく過程で、途中から受信可能な仕組みになったのか?

 

脳に関してはまだ盛んに研究されている段階で不明な点が多すぎる状態だから解釈も多い

 

受信機としての脳の仕組みがあるとすれば、遺伝的にDNAに書き込まれ、霊能力が子供に受け継がれるという流れも納得であろうし、年齢が進むとその能力も無くなっていくといった話も違和感がなくなってくる

 

スピの世界で言われている「集合意識」という概念、全ての人類の記憶体験が集められているという存在は、一体どいった仕組みなのだろうかと疑問は尽きない

 

前世や人の情報まで読み取れてしまう人は、そんなこと知りたくないと邪魔に思う人も多いが、自分で受信できない人は受信できる人に見てもらいたいという欲もある

 

現在の0と1の組み合わせでのデータの記録という方式は、ありとなしの組み合わせ、霊の記憶や集合意識の記憶の方式などがどのような方式なのか興味津々だ

 

 

 

 

 


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(14:21)

2015年07月25日

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これまで霊界の事や不思議な現象などこのブログでも探索してきた。

ネットが普及してからの情報量は凄まじい、全てを見るのは不可能に近いだろう。

更に創作もあれば勘違いも多数ある。


そして、今思う事。

「実は守護霊も神も無力」

確かに霊魂のようなイメージの存在はあると思われる。
それがこれまで言われてきた形態かどうかはわからない。

神と言われてきた存在も同様だ。

人間として感じる輪廻転生のような現象も、魂の存在という概念から実際に起こっていると思われる。
プレアデス星人とか異星人の話も多数あるが、似たようなものであろう。

今日本人として暮らしている我々では当然の事として見過ごしている事。
文明という構成から便利な社会で、快適に生活している。
そんな時、快適でない出来事が起こる。
事件が起きたりする。

すると人は理由を考える。

あの時、一言声をかけておけば。。。

あの時、あと5分早く出かけていれば。。。

あの時、あんな決断をしなければ。。。

あの時、あんな事言わなければ。。。

いくらでもあるだろう。

そして時間が経過、「もしかしてあの時、ぎりぎり危険を回避できたのは守護霊のおかげ?」

そう考えて守護霊という存在に感謝し、落ち着きを取り戻すのであればそれはそれでいいだろう。

逆のことが起こり、いつまでも後悔を引きずる状況では?

「あの苦難は何のために起こってしまったのだろう・・・」

「これは神様に試されているのだろうか?」

「前世のカルマの解消の為であろうか?」

どこかに原因を見つけ、自分を納得させたいのだ。

自分には見えない世界があり、そこに何かしらの「意思」があり、それに動かされているからと考えれば諦めがつくかもしれない。

テレビなどで脚光を浴びている人、若いころはとんでもない苦労をしてきた話。

そんなギャップがあると人は好感を持つ。

それは脚光を浴びることなく埋もれていった人達が99%いるからこそ成り立つ。

今、この猛暑の中高校球児たちが甲子園への切符を目指して激戦を繰り広げている。

このブログで過去にも何度も掘り下げてきたが、「あの1球!」生涯忘れられない1球の思い出を持つ選手も少なくない。

それどころか、野球部だけでなく学校を中退した生徒もいたであろう。

まあ、この辺りまでは一般的にイメージしやすい内容だ。

先日ニュースで話題となっている事。

高齢者が生活保護を受けながら、役所へ医療の相談に行くと、あるクリニックを紹介される。

そしてクリニックへ行くと、生活保護のカードを取り上げられ、どこかの古い貸事務所を板で区切った狭い部屋に押し込められ、お金もなく外出もできない状況に追い込まれる。

ボランティア団体や弁護士の働きで救出されたが、そのクリニックや貸事務所のオーナーは年間27億円というお金を役所から吸い取っていた。

ここで救出された人はまだいいが、いまだ救出されず劣悪な環境に隔離された老人も数多い。

この老人は何を体験したくてこの世に転生してきた?

この老人の守護霊は何をしている?

未来に夢を膨らませている若い女性。

お酒に麻薬を混入され、知らずに中毒になる。

その後AVに出演させられ、風俗店で仕事をさせられる。麻薬中毒になりガリガリにやせ細り、人知れず山中に埋められる。

この未来に夢を膨らませていた女性の守護霊は何をしていた?

こうした悲惨な出来事を見るたびに守護霊は何を?と思ってしまう。

しかし「幸せな気分」を味わうためには、その事が幸せであると思える事が必要だ。

その為に悲惨な状況や危険な事が周辺に無くては幸せとは思えない。

ケニアの子供たちにとって、自宅で水道水をゴクゴク飲める日本の状況は幸せと感じるだろう。

果たして日本人でどれだけ幸せを実感しながら水を飲む人がいるだろうか?

では悲惨な状況や危険な状況が全て身の回りから無くなったら?

家にカギ等不要となり、仕事に追われて満員電車という状況も無く、何でも快適、お店で売っているものは全て最高級、まがい品等ない。

危機意識が完全に無くなると人は心が緩む。

心が緩むとどうなるのか?

昼寝ねこ


生物としての危機がなくなると、それ以上に進化しなくなる。

これまでの人類は、遺伝子レベルで危機を取り込みそれに対応すべく変化し生き残ってきた。

今現在で判明している事、人が言葉を会得できたのは数億年に1回だけ起きた遺伝子情報の書き換えという。

古代のインフルエンザのようなウイルスに人類の祖先は絶滅寸前までやられた。

しかしそのウイルスの遺伝情報の一部を取り込むことにより、卵を産んでいたそれまでの人類の祖先は、お母さんがおなかの中で赤ちゃんを育てる事が可能になるという進化というのか変化した。

人類と似たような姿の存在もあったが、言葉を話すことは出来ず、天変地異で絶滅したと言われている。

こうした気の遠くなるような長い時間をかけてという壮大な物語を見て「神の仕業」という人もいるだろう。

そう言えば話は簡単である。

宇宙の話や物質の極小単位の世界の話も全て含めて、人間の理解を超えた部分はいくらでもある。

では、これだけ壮大な世界を気の遠くなるような時間を使い作り出した神、何がしたいのか?

この辺りはスピリチュアルや宗教の世界もあまり変わらない。

魂の成長やカルマの解消だとか、物質界で様々な経験をしたい?

他には?

その経験をしたいという欲望を持ちながら、人間に自分の一部を魂として送り込み、色々経験をアトラクションとして楽しんでいる?

では色々な経験をしたいのだから、劇的な事や愛溢れる事等色々な事が起こってくれた方が楽しめるであろう。

その出来事で喜ぶ人、悲しむ人、騙されて怒る人、殺される人、阻害される人、いじめられる人、自殺する人、人を殺す人、もっともっと書ききれない。

そんな状況に置かれている我々人間だとすると、事件や事故に巻き込まれそうになった時、それを回避してはせっかくの経験が出来ないではないか?

それでもたまには回避されることがあるからこそ、喜びや安堵感、更には次の出来事の為の展開があったりする。

だから、そんな状況が蠢く世界を経験したいと神が思っているとすれば、人の願い等聞いても仕方ないし関係ない。

当事者である人間としては騙されたりいじめられたり殺されたりしたくないという願いはある。

しかし現実の今の世界を見てみると、やはりその願いは通じていない。

先祖や神、守護霊等という存在はあるかもしれない。

しかしこれまで人々が「神様」「守護霊様」と敬っていた関係はこれもまた作り出された関係性であり、こうした状況も含めアトラクションの世界ではないかと思う。

以前、万年さんというチャネリングで霊界と会話する方のブログにも書かれていた事。

「神という存在が偉大であると思わせておかないと、人間に敬ってもらえないではないか」

また、こんな内容もあった。

「お主も依然、神という役をやったことがあるじゃろ」。。。

結局、守護霊とか神とか言ってはいるものの、これは人間が期待しているような存在ではないと考える方がつじつまが合ってしまう。

困った時の神頼み?

いやいや、そうではなく人間が強烈に思う事、その時脳から出る何かしらの波動のようなもの、これが周囲に影響を与え、リズムに乗れば思ったような展開になる「事がある」というレベルであろう。

これが引き寄せの法則にも共通する概念ではないだろうか。

勝負は時の運?

そうではなく、思いの強さとリズムに乗れた方の勝ちではないだろうか。

だから平気で人は死ぬし、大逆転もある。

思い通り成功しても、リズムに乗り続けるのは難しく誘惑も多い。

結果成功できたものの、足元をすくわれたり判断ミスで没落していく事もある。

これらは生まれる前に自分で計画したことでもなく、人間がその環境で思う事がその時の環境と同期出来て、リズムに乗ったとき奇跡と思えるような事が起こるのではないか。

建造物も自然を排除し、そこへコンクリや鉄、木材等を加工して作り上げる。

しかし手入れをしなければ、風化し、サビて、朽ちていく。

そして自然に覆いつくされていく。

人間でも物質でも何かしらのエネルギーを持って活動すると、ある点を中心とした反勢力が沸き起こる。すると互いに打ち消しあい中点に戻ろうとする。

戦争の雰囲気が大きくなれば反戦運動も盛んになる。

どちらが先かはわからない。何かしらの意思を持ち、その意思でエネルギーを動かせばその反対勢力も増大し動き出す。

必ず動きは中点に帰ろうとする。

これは自然の法則という事だろうか。

なぜ遺伝子DNAはRNAと分離し、細胞分裂を起こして増殖していくのか?

その動きは自然の法則から沸き起こった事なのか?

今現在、判明している科学的な事では説明のつかない事の方が多いだろう。

人が心の中で思った事が聞こえてしまうという人も実際にいる。

今度実際にお会いしてみようと計画中だ。

未来を予知できる人がいると言うが、実際はたまに見える事が実際に起こったこと似ているという事が多い。

未来予知に関してはまだその活かし方を人間が知らないだけかもしれないが、仕組みや現象はまだあやふやな点が多すぎる。

一般的な主婦がやってみたら、スプーンの根元が水あめのように曲がりぐるぐると円を描き3周くらい回っってしまったというのを実際に手に取って見たこともある。

熱であぶり加工してもあんな曲がり方はしないし、金属表面の色も変色していない。

説明がつかない。。。

まだまだ知らないことだらけではあるが、現在の世の中の状況を見る限り、困った時の神頼み?

違うだろう。

自分の意思をどう持ち、その思念のエネルギーを「いつ」「どう向ける」かという事の方が重要であろう。

どれだけ願っても大切な人は死ぬ。

神や守護霊は助けてくれない。

守護霊からのメッセージ?

何のためにそのメッセージを送る?

しかも自分自身では聞こえず、霊能者と言われる人経由でないと聞くことは出来ない。

守護霊はじっと沈黙して見守るという話もあれば、霊能者を介すると話し続けるこの矛盾、どう説明する?

社会という世界を作り出した人類は、ある程度支配されると心地よい。

支配が過ぎると不満が出始める。

その為にある程度の自由が許される。

管理するために最も有用なツールがお金である。

自由に流通させつつ、時々蛇口を締めて「危機を作り出す」そして危機を過ぎると安心して楽しむ。

金銭社会の支配構図を維持するために人々の考え方はとても重要であるため、思想コントロールが行われる。

お金は大切。信用が一番。約束を守るのは当然のこと。期限を過ぎたら厳しい取り立てがある。

こうして資本社会は管理され、多く資本を持つものが支配者という位置関係につく。

紙に数字を印刷しただけのものなのだが。。。

株式、会社の利益を受け取れる権利をお金を出して購入する、会社が倒産すると株券は紙切れ。

ややこしい仕組みがどんどん進み、紙に数字を印刷しただけのものに命を吹き込むかのような人々の扱い。

その結果、人が騙され、人が殺され、戦争を仕組まれ、放射能に汚染され、家や財産を奪われたり破壊されたりする。

そしてそれらの出来事には神の意志でもあるかのような雰囲気を作り出し、それに逆らう考えを持つと非難されたりもする。

まるで太平洋戦争当時の日本で、戦争に異議を唱えたりすると「非国民!」と言われ、同じ日本人から石を投げつけられるという、人々が互いに監視しあい、支配者の意思を維持しようかとするような雰囲気に飲み込まれていく人。

洗脳状態と似たような状況の為、立場によっても思考が違ったりする。

全体の支配という仕組みが無ければ紙に数字を印刷しただけのもの等、なんだそりゃ?と言われ相手にされない。

米が欲しいと思えば、ジャガイモと交換とか家を建てるのを手伝えば食事をもらえるとか原始的とも思えるような世界になるかもしれない。

その昔、幕府とかが支配していることは金本位制なので、金銀がお金として流通していた。

支配体制の中で生まれた人間は支配されるのが当然として成長し、その支配されたルールを勉強させられ、その世界が当然として生きていくことになる。

これも一種の洗脳であろう。

当たり前に水道水を飲める生活が当然でも、ケニアの子供から見れば夢の世界だ。

資源の乏しい日本は今「観光」で稼ごうとしている。

その為に「日本すごいデスネ!」とか「日本は安全だ!犯罪が極端に少ない!」とかメディアやネットでは溢れている。

他の国と比べて「日本はこんなにいい!」という比較で日本人のアイデンティティを確立し、犯罪を減らし、法律を守らせという「だれかの意思」が確実に動いている。

江戸時代からは進歩しており、人々の暮らしは快適になったと思うが、心は貧困になっている。

自然の法則の中で、ある意思により何かを動かせば反勢力が動き出すという基本原理の上で人間社会も変化し続けている。

変化の状況として、今現在の社会構造が最適か?というと不満もあるだろう。

自分の周辺全てが光り輝いていたら、そこには何も見えない。

影があるから物質の陰影を見て何かがあると認識できる。

必ず何かが存在するとその時には影が出来、その陰に隠れているものは不満に思う。

そこには何の意味もなく、そこにいる人の意思が意味を持たせる。

自分が陰から出ようと目の前のものを動かせば周辺にいる人も光を浴び、喜ぶかもしれない。

しかしいままで光が当たっていた人の前に物を置かれたら。。。

ではそうならないために、物を破壊したら?物の上に人がいれば今度はそこに不満が生じる。

理不尽のように思える事も全て自然の法則で中心点を境に互いに反発しあっている。

人間も物質も思考も思念も全ては何らかのエネルギーであると言えるだろう。

物理の世界で計算式を使い、説明できるものだけがエネルギーでは無い。

まだ計算式以前に存在さえ知られていないエネルギーもあるだろう。

人はエネルギーの塊なのだ。

自分の思い、思念で思念波を出し、互いに影響しあいながら生命が維持されていると「思っている」

神のご意思で・・・ではなく、自分自身の意思で思った事を周辺に思念波として放出し同期した相手と友達となり、同期した場所に居住し、同期した会社で時間を過ごしている。

ここまで本当に勝手に私が思った事を書き続けてきた。

しかしこれでもこの世界を捉えた考え方としてはごく一部であろう。

まだまだ説明のつかない事、現象、人、考え方も多数あり、視点を変えるとまるで違う世界として説明できると思う。

自分のこうした思考はどこから発生したものであろうか?

過去の経験や人からの影響、更には前世で体験した事等無数にある。

自然の法則上で安定しているような不安定なような状況を解説しようとする事自体最初から不可能な事なのかもしれないし、常にエネルギー体として変化している為、時間の経過という事を考えに組み込むと、エネルギー体の変化の仕方に法則など無いため、様々な経験話等にも矛盾が発生してしまうのかもしれない。

逆に考えると、実はなんでもあり!という考え方もできる可能性がある。

人の心の声を聴いたり、スプーンをぐにゃぐにゃにしたり、未来に起こりそうなことを感じたり、物理世界で新たな発見があったり、なんでも考え方次第で可能という考えも成り立つかもしれない。

物理世界は思考エネルギーを人間的な現実感覚にするまで時間がかかりそうと思われる為、根気よく取り組むという事が重要かもしれない。

でも人生は短い、、、と思うかもしれない。

お腹がすいたときに食事を食べられなければ、満足感は少ない。

思考した事が現実化するのに時間がかかりすぎては、もういいよ、となるかもしれない。

今頃かよ!・・・

こんな事を頭の片隅に置いて実社会を生きていると、もしかしたら「あっ!」と思う事に遭遇するかもしれない。

人の考え、これはとても重要だろう。

重要と定義づける事も皆さんの勝手だが(笑)

あまりこれまでの洗脳社会の事に振り回されず、自分の意思をもう少ししっかり持っていかれてはいかがであろうか?

と少々提案を入れつつ本日はこれにて終了とします。

長い事お付き合いいただきありがとうございました。


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(17:49)

2015年07月07日

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この物語はフィクションです

 

第二次大戦後70年の時を経て日本は平和になっていた。

しかしここへきて昨今周辺国の発展、没落、様々な変化があり緊張感も高まってきた。

 

過去の経験から戦争ほど虚しく非生産的なものは無いという思いで過ごしてきた日本人ではあるが、そうした痛い経験をしたことのない周辺国、野心の塊の政治家等70年の時間と共にそうした不逞の輩が蠢き始めている。

 

経済的に疲弊した日本人は所得が低下し、生活水準と将来の見通しが暗くなりつつあり、今の暮らしだけで手いっぱいになっている。

 

そんな状況など知らん顔の政治家たちは次々と消費税を上げ、介護費用をカット、福島で未だ甚大な被害を出している原発すらも、のど元過ぎれば熱さ忘れるといった具合に次々再稼働、新原発の建築を進めている。

 

更に大学へは軍事関連の研究を解禁し、他国と潜水艦の共同開発を行いと不穏な状況が水面下で着々と進められている。

 

憲法を改正して戦争が可能になる為の法律を作るにはハードルが高く、日本の総理はアメリカでの演説を具現化させるため、健保解釈を無理やり変えてまでも集団的自衛権法案を成立させようとしている。

 

更に防衛大臣は集団的自衛権が成立したら「徴兵制」を復活させようと企んでいた。

 

これに合わせて「軍事裁判」も復活させ、徴兵制を拒否した国民を軍事裁判で裁き、強制的に戦地へ送ることが出来るよう軍の権力強化をも企んでいた。

 

そしてある日、国会が延長された後、過半数を持つ与党が強引に集団的自衛権の法案を可決し、ついに70年続いた平和は終わろうとしていた。

 

他国へ攻撃する意思がない憲法という事で日本の周辺国を納得させていたのだが、ついにそのカギを外してしまったため、周辺国がどよめいている。

 

国会もメディアも国民も大混乱状態で情報が正確に伝わらない状態に陥っていた時、その混乱に乗じて早速「徴兵制法案」が提出された。

 

日本が集団的自衛権を使えるようになったという事で周辺国に大きな刺激を与えた結果、周辺国はその対応策として更なる軍事強化を行っていた。

 

周辺国が「対日本」という軍事強化を行い始めたというニュースが日本国中に駆け巡り、その結果日本も軍事力を強化しなくてはならないという悪循環がついに起こり始めた。

 

こうなると自衛隊員だけでは到底数は足りず、大々的な募集が始まった。

そして現自衛隊員が海外に出て行って他国の戦争に加担するのは拒否すると、自衛隊を除隊する隊員が増加し、更なる人材不足に陥っていった。

 

こうした自衛隊員不足の状態が国会へ伝えられ、いよいよ徴兵制法案可決に向けての議論が激しさを増していった。

 

そんな怒号が飛び交う国会の中で、防衛大臣が強引に徴兵制を可決させる方向へ動き出した時の事である。

 

怒号が飛び交っていた国会の大騒音の中に「ザッザッザッ」という足音が響き始めた。

 

怒号が徐々に小さくなり、その異様な足音に政治家たちは動きが止まった。

 

大人数の足音はするのだが、姿が見えない。

 

「ザッザッザッザッザッ」

 

足音が止まった。

 

すると防衛大臣の周辺に20名ほどの日本帝国軍人の軍服を着た人たちが音も無く「す〜」っと現れた。

 

その異様な光景に国会の政治家たちは瞬きもせず見つめていた。

 

す〜っと現れた帝国軍人達の姿がはっきりと見えるようになり、防衛大臣は囲まれた。

 

すると日本刀を持った帝国軍人が声を上げた。

 

「我々帝国軍人と天皇陛下のご意思を愚弄する気か!!」

 

国会に緊張が走った。

 

誰一人声を上げる事も出来ず固まったままだ。

 

その緊迫の様子を見つめていた会場の政治家は、更に驚愕した。

なんと先ほどは20名だけ姿が見えていたのだが、会場の通路全てが軍服を着た軍人たちで埋め尽くされていたのだ。

 

様々な野心を持ち、企んでいた政治家たちは完全に意気消沈し冷や汗が止まらなかった。

 

「天皇陛下へ敬礼!!」

 

そう号令が会場内へ響き渡った。

 

「ザッ!!!」

 

全ての軍人が敬礼を行った。

 

会場内の政治家たちは逃げる事も出来ず、声も出せず、心底震え上がった。

 

全員が敬礼してから数十秒ほどであろうか、一斉にその軍人たちは消えていった。

 

もうこの状態では徴兵制だの軍法会議復活だのといった事は恐ろしくて口に出せない状態になってしまった。

 

冷や汗が止まらない政治家たちは、どうしていいのかわからず茫然としていた。

そんな時、ようやく議長が声を発した。

 

「皆さんご覧になられたと思います。日本を守るために亡くなられた英霊たちは今だ日本を、そして日本人を守る為戦っておられます。」

 

「彼らの意思を尊重し、敬服し、本日の国会は閉会したいと思います。」

 

すると会場のあちらこちらから「賛成!」という声が上がり、国会は終了した。

 

この事件は国会中継のテレビでも軍人たちの姿は捉えられており、日本全国へ放送された。

 

こんな姿を見てしまっては、軍備増強で2分していた国内の意見もすっかり戦争放棄へ流れを戻し、他国への調整も外交ルートで話し合い路線が中心となっていった。

 

過去の戦争で命を落としてまでも日本を守るために戦ってくれた英霊たちは、またも日本の危機を救ってくれたのであった。

 

おわり


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(01:45)

2015年06月29日

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ネットに書かれている前世の記憶や生まれる前の記憶。

数えきれないほど読み続けてみて思うこと。

架空の記事かどうかは別として、皆ほとんどが真実だと思っている。

そしてかなりの共通点がある。

生まれる前、誰かと相談しながら人間に生まれる時期を決めている。

どんな人生にするのか相談しながらも自分でテーマを決めている。

どの家でどの両親にするのかも自身で決めている。

人間としての人生を完了し霊界へ戻ってからは、何の不自由もなく何のストレスもない思い通りの環境でくつろいでいた。

人間界で寿命までしっかり生きてきた霊は霊界で長い間心を癒す時間を取り、人間界の疲れを取る期間がある。

誰かがやってきて、そろそろ人間界へ行く頃だな、と促されて人間に生まれる。

自分の意思で、もう一度人間界へ行きたいと生まれ変わる準備をする。

不慮の事故等で人生が中断して霊界へ戻ってきてしまったら、すぐにでもまた次の人生を計画し人間に生まれてくる。

事故などで霊界に短期間だけ滞在し、すぐ人間界へ戻ってきた人は前世の事等を覚えている場合が多い。

まだまだあるが、霊能を仕事としていない一般の人が覚えていたりしたという体験談からの共通項だ。

これらの事から、魂は霊界へ戻っても「個」を維持しているという事。

何かしらの組織のようなものがあり、何かしらの目的意識があり人間界へ生まれてきたりしている可能性が考えられる。

人間として生まれるためのテーマはそれぞれの為、人生で起こる出来事は大小まちまちである。

不慮の事故で亡くなるような事も人生計画に無かったりしたアクシデントという可能性もあるが、何かの目的を持った予定である可能性もある。

こうした考えというか推察というのは、見方を変えると本当に都合のよい話である。

若くして病気で亡くなってしまった人、これはアクシデントか予定通りか?

真実か?という問いに「真実とは?」という定義があやふやで有る為答えももやもやしてしまう事が多い。

守護霊という存在も多数登場するが、ここにも正反対の回答がある。

守護霊は本当に影で見守るだけで決して本人に干渉することは無い。

例外的に本人のテーマの為に手助けする事もあるが基本、沈黙の存在である。

こういわれているのだが、霊能者という方と対面してみると、次から次へと色々な事を霊能者を通じて情報を伝えてくる。


沈黙の存在ではなかったのか?

霊能者とか体験談だとか情報はとても多く、溢れかえっている。

しかし自分自身で確信が持てるような体験が無い。

もしかしたら、あるのかもしれない。

そうと気が付いていないだけかもしれない。

でも、認識できていなければ確信も得られない。

霊能者の話や体験談では新しい発見がほとんど無くなってしまった。

最近異星人の話がとても増えてきて、新たな謎の世界が広がっているが、人の話はもう飽きてきた。

出来れば自身が体験した事から解読してみたいと思う。

人間というカテゴリーが地球に誕生してから数千万年経過していると思われるが、昔の人は常に空腹であっただろう。

毎日何かしら食糧を探す事に時間を費やしていたと思う。

数千年前位に農耕栽培を始めて食糧の安定確保が出来るまでは、まず食べ物。

そんな人たちが世代を繋いで生まれては死に、その人の一生は食べ物。

野生の動物となんら変わりない。

そうして生命を繋いできた人間の祖先たち。

いつから人生に「目的」を求め始めたのだろうか?

食べることが容易になった現在、時間はある。

つまり暇である。

何かしたいな、から、何かした方がいい?

何かするべき?

きっと人にはそれぞれ役割があるはず?

何かしなくてはならない。

それは文明というものが発達した結果、そう考えるのかもしれない。

ほんの数千年前までは、食べ物を探すだけであった人類。

霊界から生まれてくるとき、全ての人がテーマを決めていたのだろうか?

昔の人類は、ただ生きて、思春期になると発情し子孫を残し、ただ生きた。

文明の発達と共に霊界も発達したのか?

だとしたら霊界の歴史も大したことは無いのかもしれない。

他の惑星から地球に転生してきたという事もあるくらい霊界の歴史が長いとしたら、地球上で人間が考えているレベルでは到底思いつかないような深い意味もあるかもしれない。

地球上の人間のレベルで考える事とは価値観がまるで違う次元での思いもあるかもしれない。

色々な体験談から総合すると、人として生きる上で重要な事が共通している

誰か人の為に何かをする とか

寿命をまっとうする(自殺しない) とか

一般的に宗教っぽいと思うような内容が多い

そして最終的に思うのが、霊界から魂は何の目的で人間に転生してくるのか?

理由が分からない。

しかし霊界には階層があって、自分に一番近い雰囲気の所へ戻る。

霊界の上の階層へ行けばいくほど快適度がアップし素敵だが、霊界にいて自分の階層からもっと快適なエリアへ行こうと思っても至難の業だと。

人間に転生して一生を過ごしてくると霊界での階層が簡単に上がるという。

しかし人間界で極悪非道な事をしたり、自殺したりするとその階層は下がってしまうという。

以前もこのブログで書いたが、これらは人間目線から見た霊界で、人間界での傍若無人を戒めるように考え出されたという見方もできる。

世界中に霊能者が点在しているのも、こうした霊界の仕組みがあるのだから悪行は自戒しなさいと遠まわしに伝えているという見方もできる。

現代社会で厳しくとも何とか普通一般的に生きていけるのであればそれでいいという人も多いのではないだろうか。

だが、社会という仕組みがまた戦争とか不穏な方向へ向かおうとしている。

この理由も様々言われているが、戦国時代の劣悪環境に生きた人たちがもっと普通に安堵感の中で暮らしたいと思った思いがようやく実現しかかっている位だろうか。

しかし、それもまた崩れ去ろうとしている。

そんな社会へ何度も転生してきて何を目指すのだろうか?

他の惑星からも転生してくるほど霊界の歴史が長く、高度に発達した世界だとしたら、そこから人間界のようなアホな世界の体験にどんな意味がある?

常に魂が新しく分離しており、それらに教育するのでなく現場で実習が必要で、時間制限など無いから何万年かかっても何度も人間界へ輪廻転生してくるのか?

不思議な能力を持つとされているブロガーの人の中には前世の記憶を持っており、それはほかの惑星であったという人がいる。

地球の環境は拷問のような環境であり早く元いた惑星へ帰りたいとまで言う人もいた。

人間の世界での「証拠」や「確証」と認識できるレベルでこれらを証明しようとしても現段階では無理であろう。



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(15:17)