スピリチュアル

2013年03月05日

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映画を見ていて久しぶりに大きく感動した。

映画を見るという事は、人の人生を見るという事。

人類は映画が好きである。

小説、漫画、とにかく人の人生を見る。

そして一緒に感動したり、感情移入したりする。

もしかして。。。

ふと思った事。

映画はリアリティがあればあるほど引き込まれてしまう。

しかしストーリーは出来上がっている。

制作の段階では、CGを使ったり、どんなことでも映画の中で実現できる。

が、出来上がってからではストーリーは変えられない。

同じ映画を何度も見ているとストーリーが分かっていても見てしまう。

例え次のシーンで登場人物が死ぬと分かっていても「見ている」。

魂という存在があるとしたら。

人間界というこの世界は、究極の人生経験ワールドではないか?

スピリチュアルの世界でも散々言われている事ではあるのだが。

ストーリーが決まっていない、臨機応変に変化できる「究極のアトラクション」。

映画で他人の人生を見るだけという形から究極に進化したというのが正しいか分からないが、人の人生を見るだけにとどまらず、「なりきって体験できる」世界。

こうしたアトラクションを楽しんでいる「魂」は物理的に制限のある人間界で「魂自身」が楽しんでいるように映画を楽しむ。

とにかく人の人生を見るのが好きであり、なりきって体験するのも大好きという特性を持つのが「魂」という存在なのではないだろうか?

だから、時にドラマティックな奇跡が起きたり、不思議な事が起きて様々な体験を楽しめる。

この種明かしをしてしまうとなりきっている自分が白けてしまうから、分からないような仕組みになっている。

分からないと知ると更に好奇心が旺盛になるが、決してそれは分かる事は無い。

悲劇のヒロインが登場する悲しい映画でも、人は好きで見ている、そして一緒に涙を流す。

感動することが好きなのではなかろうか?

初めて経験する事は緊張と感動がある。

あらかじめ知っていてはつまらない。

だからどんな人生でも構わないのだろう。

悲惨な目にあっても、幸せになっても、大成功しても、平凡でもなんでもいいのだ。

とにかくこの世界を体験したい。

修行などと思いこんで、修行の道に専念するのもなんでもいいのだ。

様々な回り道をしてきたが、やはりこう考えるのが無理が無い。

こうした理由が分からない人がいて、悩んでいてもそれでもいいのだ。

人の人生を見るのが好き、体験するのがもっと楽しくて好き。

これが「魂」の正体だろう。

霊能者がいても惑わされても、適当な事を言っていてもいいのだ。

このアトラクションは時間制限があって、その時間内にどれだけ楽しめるのかは各自自由だ。

また、体験用の乗り物である人体も時には故障したりして、アトラクションが中止になる事もある。

どんな楽しみ方をしてもかまわない。

多分このアトラクションを管理している部署があり、他の魂の楽しみを妨害してしまうような行為に対してはストップがかかるようになっているのだろう。

これまでブログで書いてきた、「殺されてしまった人やその親類」に対してこんな事を言えるのか?

という疑問もあったのだが、それもアトラクションの登場人物になりきって楽しんでいるので、それを邪魔してはいけないのだ。

何のために記憶を消して生まれてくるのか?

生れる前の事を覚えていたり、前世を覚えていたり、生まれた後に予定していた事を知っていては楽しめないからだ。

人間として映画を見ていると、悲惨な映画でも好きな人は好きであり、ホラー映画も凶暴な映画も見るのが好きなのだ。

そして映画の中に自分が入り込んで、その好きな世界で好きな事が出来れば最高であろう。

自分以外の「魂」のアトラクションを邪魔さえしなければ自分という「魂」はどのような楽しみ方をしてもOKだろう。

今、人間として生きているという感覚を持っている人生が全てだと思える、そんな究極のシチュエーションが人生ゲームを楽しみめる条件であろう。

これまで様々な角度から、探ってみたが、どれも正解とか不正解とかではなく全部あり。

これは究極の人生ゲームであり、アトラクションである。

その瞬間瞬間を感じる事。

楽しい事、悲しい事、幸せな事、悲惨な事、理不尽な事、嬉しい事、心が感じる事が全ての目的。

自分がどんな人生を過ごすことになるのか、おおよその計画はあるだろうが、それは現地(人間界)で臨機応変に変化出来る。

多少の変化はあるだろうが、それも自由に選択できるのがこのアトラクションの素晴らしい所。

映画を見るだけではなく、その世界に入り込んで自分がその世界で自由にその世界を楽しめる。

だから、色々な映画を見てみたいという欲望と同様に色々な人生を体験して見たくて、何度も輪廻転生してくるのだ。

過去の経験を覚えていては新しい人生を楽しむことは出来ない。

映画を見たくて、が人生を経験したくてになっている。

だから全てありなのだ。

何をどう思おうが、解釈しようが、なんでもありなのだ。

深く考えても、さらりと流しても、意識しなくても楽しめる。

スピリチュアルの世界で、人体に障害を持って生まれてくる魂は「格が高い」とか言われていたが、それも格とかの話では無く、体験してみたいという思いからであろう。

このブログの意見に反対意見を持つ人もOK。

反論してくるのも、賛同するのも、プチッと消すのもなんでもOK。

人生に疑問を持って、そこに絡まってしまった人はこのブログが役に立つかもしれません。

アトラクションの登場人物は全てフィクションであり、実在の「魂」とは何の関わりもありません。

こうしたテロップが最後に流れている事でしょう。

私なりの考えが終着地点にたどり着いてしまったようなので、多分今後このブログが更新されることは無いと思われます。

コメントを頂いた場合は拝見させていただきますのでご心配なく。

それでは皆さん、それぞれの人生を思い切り楽しんでください!!



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(14:42)

2013年03月03日

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「悟りの境地」?

何事にも動じない「無」の境地?

自分とは一体何?

自分とは?

頭だけ取り外してもそれは自分の一部。

腕だけでも胴体だけでも自分の一部。

全てを合わせた総称が自分。

無の境地とは、全てが無となる感覚。

そこには何もない。

「ない」という分類は何かが「ある」から「ない」と言える。

「ある」事を知っている時、「ない」という分類をすることが出来る。

分類すら「ない」、「ある」という事を捉える感覚も「ない」。

こんな境地まで生きた人間の状態で達する事は果たしてどういう事なのだろうか?

では、なぜ人間には「感情」があり、生存「本能」があり「食欲」「性欲」等があるのだろうか?

仮説その1

「霊界」が存在し、そこから魂が人間に降りてきて「人間としての感覚を楽しむ」という目的があった場合。

五感で刺激を感じ、そこから発生する感覚を楽しむ。

辛い事を経験しているからこそ、幸せを「感じる事が出来る」

まずいものを食べ続けているからこそ、たまに食べる「おいしい食事」に感激することが出来る。

苦しい試練を乗り越えたからこそ、競技等の「優勝」した事に感激出来る。

こうした「感情」を体験したくて人間に入って生まれてくるのだろうか。


仮説その2

「霊界」等無くて、魂等という存在も実は無く、動物として進化した感情がそこにあるだけ。

五感の刺激も「嬉しい」と思えるもの、「嫌悪感」を感じるもの、大まかこの2種類に分類できる。

動物の本能として「食欲」「性欲」等があり、それが発達して「支配欲」「名誉欲」等様々な「欲」が出てくる。

動物の世界は食物連鎖の輪の中にいるので「弱肉強食」の世界で、食うか食われるかである。

食われたくないという「欲」から、防衛本能が発達し、その発展形が「セキュリティ」。

「支配欲」の原型は「強い腕力」等の肉体的強者であり、肉体的にかなわないが頭脳で勝てるための方法を考案。

「お金」という方式を生み出し、全てをお金で置き換える事が出来るようにする。

そこには肉体的に強くても「お金」が無ければ食事が出来ない。

「頭脳」で「お金」をコントロールすることにより「食物連鎖」から抜け出し、肉体的強者もねじ伏せる。

こうして支配された「後から生まれた人」も既に支配体系の下に位置する事になる。

生かさず殺さずの状態で管理されると、「生きる」という「欲」を満たす為に「労働」をする。

こうした管理体系の中で「生きがい」という「欲」を満たすため、協会を作り、スポーツ、文学、芸能、などなど沢山の世界が出来る。

その中で「活躍」すると「脚光」を浴びるし、応援する人は脚光を浴びた人と一緒に感動する。

この生まれながらに管理下に置かれる人生という仕組みに立ち向かう人、対応できない人、無視する人等様々な人がいる。

この仕組みに苦しめられ、逃れられない状況で「悟り」という感覚で「現実」を軽視してストレスをかわすという事か?


仮説その3

「霊界」は実は存在し、そこから「魂」が「修行」の為に人間社会へ降りてくる。

「修行」が目的なので、厳しい状況は当然であり、常に考えさせられたり、考える時間すら無かったりと振り回される。

「修行」という目的すら忘れて生まれてくるので、厳しい状況に「理由」を探す。

「修行」が目的である為、人間社会の仕組みは厳しく管理され、生半可な状態ではクリアできないようになっている。

「修行という目的」を忘れているので、誘惑として用意されたものの効果は絶大である。

「引き寄せの法則」という法則があり、これを活用すると人生を大きく素敵な方向へ変化させることが出来ると。

その信憑性を上げるために実際に「引き寄せの法則」を活用して「大成功」している人を作らなければならない。

「運」がいい人という状況を作れば「天にお願いする」という仕組みが出来、神社等の対象が必要となる。

そして何度も「輪廻転生」を繰り返して「魂」を磨くというプランが「霊能者」と呼ばれる人から説明される。



今の人間社会ではこれら3パターンの事が主に言われているように思う。

そして時代と共に言われている内容が変化したり、つじつまが合うように説明や表現が充実してきている。

他にもパラレルワールドや自分だけのイメージの世界等という「説」も多数存在する。

どれも説明する人は「自分の説」が正しいと主張している。

そして現実的な社会の中に「常識では理解できない事象」も確認されている。


結局探れば探るほど、どれも信憑性があり、どれも正しいように見えてしまうが、それぞれの説は真っ向からぶつかる事が多々ある。

それぞれの人がそれぞれに正しいと思う事を「信じる」というしか言いようがないのが2013年お現時点ではないだろうか。


しばらく忙しくて更新が全く手つかずであった時期も探索の思考はずっと働いていていた。

ようやく手がすいたので、更新してみたが探索の状況はまったく更新出来ていない。


こうした世界の探索の目的は人間として生きている時、判断に迷ったからである。

重大な判断をしなければならないときには、判断の為の材料を探す。

その材料の中に「霊界」の事や「魂」の事、「生き方」等のテーマが絡んできたのだ。

結局これらは人間として生きている状態での判断の材料にならないと言う事が今の段階では言える。

こうした目に見えない世界の事を考えずに生きるのか、完全に信用し「神棚」に手を合わせる、仏壇に花を添える生き方をするのか。

形式として過去からの「慣習」を行うのか。

「慣習」も「心」を入れて行うのか。

現実の状況として実際に身の回りで起きてくる事が、総合的に「何かを意図している」ように見えてしまう。

何かの「意思」なのか「流れ」でそう感じてしまうのか、非常にややこしい。

現実社会に存在する「霊能者」として商売をしている方々に問いたい。

「何がしたいのか?」

「一体どうなっているのか?」

言葉だけでなく、明快に現象として見せて頂けると非常にありがたい。

これまでお金を沢山支払っても、だれも明快に答えてくれた人はいなかった。

私のパソコンのモニターにメルアドレスを書いたタックシールを張り付けておいた。

このシールに書いてあるアドレスを読める人、ぜひメールを頂きたい。

そしてもう一枚シールが貼ってあるので、その内容をタイトルへ書いて送ってくれる人がいたら何かわかるかもしれない。




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(00:00)

2013年02月20日

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年齢を重ねていくと、様々な経験をすることになる。

体力が満ち溢れていた若者世代から、仕事に集中してきた中年世代。

ある程度一通り経験してくると見える景色に変化が現れる事に気が付いた。

学生の頃は世の中の仕組みが良く分かっておらず、感覚だけで生きていた。

人が経験したことの無い事故や怪我は非常に多く、何故だろう?といつも考えていた。

我が家の子供も不思議ちゃんである。

何となく思う事が実現されていくという息子。

時折知らない人が見える娘。

他にも数多く不思議な事での驚きを見せてくれる。

私自身は、仕事等に関して何故か淡泊であり、常に何とかなると思うと何とかなってきた。

50年近く人間をやってきて、最近感じる事。

年齢の上昇に合わせて、興味の範囲がどんどん減ってくる。

若いころは多趣味で、時間が足りなくて困ったものだ。

逆に今は一通りやりつくした充実感でおおわれており、趣味と呼べるものが全くなくなっている。

仕事に関しても、金銭的にも欲望が無い。

「名誉欲」「出世欲」等は若いころから無かったのだが、スーパースターには憧れた。

気がついてみると、現在社会で活躍しているスーパースターは皆年下である。

今現在は時間があり溢れている。

何かしようと思えば何でも出来る時間はあるのだが、意欲が無い。

生活に必要なお金は営業活動等しなくても依頼してくれる人がいる。

睡眠不足で満員電車に詰め込まれず、ゆったりコーヒーを飲んで過ごしている。

おかげで体調は非常によく、病気や体調不良になる事等のつらい感覚はもう忘れている。

こうした生活スタイルは、何故訪れたのか?

過去にイメージしたのは確かな事である。

しかしイメージしたのは私だけでは無いであろう。

もっと沢山の人が、あの満員電車に乗りたくないと日々思っているであろう。

何故実現したのか?

引き寄せの法則等様々なハウツーがwebや書籍で語られ、実行している人も多いであろう。

一言で説明できない環境や状況の積み重ねであると思われるのだが、何かこれを読まれている方に伝われば幸いであると思っている。

こうした下地があり、ゆったりした時間とくつろぎの中で若いころからずっと不思議に感じていた霊界についてブログを書いてきた。

しかし、まだ状況証拠のようなものしか無く、仮説も方向性の違う物ばかりで解明にはほど遠い。

探求は続けつつも、それぞれの人がイメージした事が実現できる事により喜びを感じる時間が増えれば何故かそれが楽しいと感じられる。

そこで、引き寄せの法則について力を入れながら掘ってみたいと思う。

ここで書かれている事は全て私自信が体験した事であり、これが全ての人に同様な事をもたらすとは考えにくい。

それでも成功例というのは参考になるので、そのヒントにしてもらえればいいと思う。

年代が違うと、その時の感情も違うので、同年代の感覚で感じてもらいながら読んで頂ければよりリアルになるのではないだろうか?

(50才前後の感覚)

現在の私は、「何かを成し遂げてやろう!」という野心はゼロである。

気が抜けて「やる気が無い」という感覚とも違う。

「とにかくお金が欲しい」という感情も無い。(もちろん有ればうれしいが)

所有している車がもう限界で、車検の費用と見合わない状況になった。

さて、燃費は良く故障も無いがサビがひどく、もうご苦労さんかな。。。

と思ったら、車の購入費用を頂けることになった。(買い替えようと思った翌日である)

あまり詳細な状況は、知る人が見ればわかってしまうのでご容赦頂きたい。

全く予期もしておらず、せびったわけでもない。

この時何がこういう状況を引き寄せたのだろうか。

これは数日前から感じていた事であるのだが、自分が発する「空気感?」「気?」「雰囲気?」何を発しているのか分からないが、心の持ち方に「我」が無いというか、「皆が楽しい、幸せな状況をイメージ」していた。

自分はもう「何かしよう」では無く、皆が喜んでくれる状況を見ているのが嬉しいと感じていた。

ここ数日の出来事では車の費用であるが、ここ数年「引き寄せ」を意識し始めてから「あぁ、これは引き寄せたな」と実感できた事の積み重ねである。

「俺が!俺が!」と突き進んでいる時は、ちっともいいことが無かった。

仕事でも「がっぽり儲けてやろう」と画策した事はことごとく外した。

こうした自分の感情のあり方については、やはり引き寄せの法則のハウツーに書かれている通りである。

しかし、それを実行してもうまくいかない事が多いのはなぜであろうか?

そのツボは、やはり頭で思っていても本人も気が付かない心の底で別の事を思っているからであろうと思われる。

そしてハウツーにどんどんはまっていく事になる。

ホ・オホノポノとか、瞑想とか、心のクリーニングであるとか、数限りない。

これらの手法と、それを実行する人の本人も知らない心の底にある何かの相性が合えば効果につながるのでは?と思うのだが、これも見えない事なので断言できない。

万年さんのブログ(我が強まる:笑)でもちょうど書かれていた「我」が強くなるといい事は無い、とう内容に非常に共感する。

この「我」が強まると引き寄せがうまくいかないという事も矛盾しているように見える。

この世に生きていて、欲望が出る。

欲望と書くと、いやな印象を受けるがそうでも無い。

欲があるから文明が発達してきた、言い尽くされてきた言葉である。

そこで生きていれば「欲」が発生する、その「欲」を満たしたい。

だから「引き寄せの法則」を使ってみたい。

しかし「引き寄せる」には「欲」を捨てたほうがうまくいく。

欲が無ければ引き寄せをする必要も無いのでは・・・無限ループに陥る。


こうした表現が誤解を発生させ、ハウツーだけに巻き込まれ、結果空しさだけが残るという結果に繋がるのではないだろうか。

「欲」を捨てるというのはハウツーである。

単なる方法であり、人の心の特性を利用しているだけであると思われる。

本人も気が付かない「深層心理」の中に思っている事が非常に重要だという事だ。

この深層心理の事もハウツー本にたくさん書かれている。

それぞれの方に合った方法で深層心理をいい方向へ導く事が出来ればそれはそれでOKであろう。

このブログでは、実際の私の体験から書いているので、違和感を感じる人は他の方法で引き寄せを行えばいいであろう。


結果から言うと、今の自分自身の深層心理の状況は「非常に穏やか」である。

年齢を積み重ねたことによる幾多の経験により、「我欲」が無い状況。

それでも、今後生きていくのに「欲」はある。

しかし「無くてもいい」。

非常に表現が難しい。

今必要に迫られているわけではないが、なぜかそういった流れになり「会社」を作っている。

他の人達に利用されているという事も無い。

流れに逆らって「俺が!」と突き進む事でも無い。

かといって「流されてる」という自覚も無い。

「流れに乗っている」というか、気持ちよく乗っている。

心地よいと感じている。

こういった心境である。

なので、企業資金を集めるために金融機関を駆けずり回ったり、徹夜で書類を整備したりといった「無理」が全くない。

が、ちょっと「ワクワク」した感覚はある。

「なんか楽しいな」と。

これまでの、このブログの趣旨であった霊界探求の流れから言うと、こうした状況が「運命」のように感じてしまったり、「霊界」からの何かの後押しであったりと思えてしまう事であろう。

しかし、今現在はそうした状況を深く考えず、この自分自身のドラマの展開を「へぇ〜そうくるんだ」と楽しんでいる。

こうした心境は、マネしようと思ってもそう簡単ではない。

そこでハウツーで、瞑想を推奨したりという事になってくる。

私の場合、一通りの事をやりつくした充実感があるから自然にこうした状況に繋がっているのである。

自分の深層心理がどう思っているのか?

ここが非常に重要だと思われる。

あとはこの深層心理の特性を理解していけばいいだろう。

よく、深層心理のIQは30程度と言われている。

あまり深く考える事は出来ない。

頭で思う事を深層心理はよく見ている。

いつも見ている。

そしてそれが蓄積されていく。

蓄積された事を深層心理は実現に向けて動き出す。

この深層心理が動き出すと「何かが外部へ発信される」のだろうと思われる。

そして思った事を実現させるために必要な人へ同調して、結果深層心理が思った事が実現される。

こうした実感を元に思う事は、成長期の子供に「暴力的な漫画」等を見せ続けていると、深層心理にそれが蓄積されていく。

暴力や争いは「我」を強固に固める方向へ突き進み、増幅していく。

結果、引き寄せ的な事を考えると、「幸せ」なイメージが湧いてこないのだ。

これでは、人々の気持ちが「幸福感」で満たされる方向に向かいにくい。

引き寄せのハウツーでも皆言っている事は「楽しさ、幸福感をイメージしてください」である。

見たことも無い町はイメージ出来ない。

過去に見たことがあるからイメージ出来るのであり、変な漫画で暴力シーンばかり見ていてはそうしたイメージしか湧いてこない。

深層心理については難しい書籍も沢山出ているが、実は単純なので、特性を理解していけば書籍を読破しても得られない実体験を得られるであろう。



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(05:22)

2013年02月16日

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様々な苦難に溢れる人間社会で、生きていく為に皆苦労している。

身に降りかかった苦難を乗り越える為の一つとして「解釈」があるだろう。

「解釈」はどのような効果があるのか?

「何故自分だけがこんな目に・・・」という状況になってしまった場合など、その事に「何かしらの意味」を求め、自分を納得させる。

この「納得」出来る事が心を落ち着かせるには必要であろう。

事件や事故、災害等で激しいノイズが発生しても、時と主にノイズは減衰し消えていく。

爪痕やトラウマ等を残すかもしれないが、それでも激しいノイズは減衰していく。

自分にとってこのノイズの出来事が「実は自分の為」に起きたことと「解釈」することが出来ると人は前向きになって元気を取り戻すことが出来る。

輪廻転生という言葉について様々な解釈はあると思うが、ふと思った事。

それは、「最短の輪廻転生」は「一晩眠る事」。

睡眠時間はなぜあるのか?

ひどいショックを受けても一晩眠ると、少しは落ち着く。

ショックの記憶はあるが、起きた直後にはショックは消えている。

ほんの少し時間が経過して「覚醒」してくるとショックを思い出す。

すると昨日の事が鮮明に思い出されて、感情が昨日の状態へ戻ってしまう。

そう、過去の出来事を思い出すのだ。

思い出して、感情もその状態へ戻っていく。


剣道という武道において、「達人」と呼ばれる有段者は、何故達人なのか?

剣道は、試合前も試合後も正座して心を落ち着かせている。

特に、試合が終わった後の正座の時間は本当に凄い。

ここで、先ほどの試合を頭の中で思い出している。

達人になればなるほど、この思い出している状況で正座しながら「心拍数」「発汗」等が試合の時と同じ状況になり、正確に再現できる。


「拷問」という昔行われていた行為でも、同様な事が記録されている。

散々拷問され続けて、目の前で「火鉢」に鉄の棒を入れ、真っ赤になった鉄の棒を拷問されている人の目の前に近づける。

すると「熱さ」が空気を伝わって顔に感じる事が出来る。

これを「押し付けるぞ!」と言葉で脅し、背後に回り背中へ「木の棒」を押し付ける。

勿論木の棒なので熱くもなんともないのだが、拷問されている人にはイメージで「熱い鉄の棒」なのだ。

「ぎゃぁぁ〜〜〜」という悲鳴を上げ、気の棒を押し付けられた背中には「水ぶくれ」が出来たという。


人の体は心が支配しているので、騙されても素直に反応するのだ。

単なる小麦粉が、環境と説明で物凄く治療効果を発してしまうという有名な話もある。

人は「心次第」なのだ。

思い出せば、その時の感情が蘇る、何度も何度も思い出していると脳の中でその記憶の回路が増強されて、より思い出しやすい状況を生み出してしまう。

「気を紛らわす」という言葉があるように、ショックな事は忘れるに限る。

忘れるにしてもショックな事の詳細は情報として残れば、次回同様なショックは回避できる可能性が高い。

だから、忘れるのは「感情」の部分だけでいいのだ。

一晩眠る。

翌日には別の心になっていればいい。

人生を終える、転生してきたら別の人になっている。

ショックな事は忘れていればいいのだ。

過去世で何があったのか、思い出すことが出来た場合でも「その時の感情」だけは忘れていれば「今、動揺しない」で済む。

これまで言われてきた輪廻転生が、真実だとしても過去世での出来事でショックな事は「感情」を置いてくる。

こうすれば、言われている「カルマ」という表現のような事も、無くなるのではないだろうか?

一晩寝た「輪廻転生」でも「トラウマ」として残らないように出来るではないか?


輪廻転生してくる目的がまだはっきりわかっていない。

仮に「人生での経験をするため」としたら、刺激となる出来事が必要であろう。

刺激を受けるためには、その内容を「知らない」ほうがいい。

初めての出来事だから「感情」が動かされ、喜怒哀楽が生まれてくる。

では「悟り」という感覚はどう捉える事が出来るのか?

「落ち着いている」「動揺しない」「さらりと流せる」等、心が乱れない状態になっているという表現がいいのだろうか。

子供の状態で「悟った」ような状態ではびっくりしてしまうだろう。

人間として人生を経験したいという目的であれば「悟り」は必要ないという考え方も出来る。


興味津々な子供が徐々に大人に成長していくにつれ、ひどい事の経験もし始める。

それでも生命力の後押しと好奇心が旺盛で、様々な事にチャレンジしていくだろう。

何度も壁に当たり、他人に邪魔され、心を痛めながらも挑戦は続く。

挑戦する人生を選択しなくても、大人になると「恋愛感情」が生まれたり、「結婚」という「挑戦」をしていく。

こうした中で、年齢を重ねるうちに生命力も弱くなり「耐性」が落ちてくる。

すると、それまでは乗り越えてきた障害や、忘れられないショック等を心の中で整理する為に(心を落ち着かせ鵜)は、「解釈」が必要になってくる。

「生命力」が落ちた分、心は平穏になり、様々な経験により大方の事には知識と耐性を持てる。

すると、落ち着いたまま事態を解釈し、心を動揺させることが無いように持っていけるようになる。


こうした見方をしてみると、スピリチュアル的な解釈ではなく人間の特性が積み上げてきた経験の流れを表現しているだけのようにも見えてくる。


以前も書いたが、人は何らかのネットワークで情報を伝え合っていると考える事が出来る。

人間が技術的に解明して利用できている「電波」等とは違う、まだ未知な伝達方法もあると思われる。

この未知な伝達方法がスピリチュアル的に言われているだけであり、もしかしたら「霊界」などという存在は無く、この人間のネットワークという中に、何か全ての情報が蓄積されているのではないだろうか?

過去の人生も、過去に生きていた時の人々に情報は伝わっており、それが現在にも伝わって生きている。

そうした知識の集合体が「全体意識」として言われているのではないだろうか?

これまでは「魂」という存在が媒体として全体意識と交流してきたイメージで言われているが、魂とかの存在は人のイメージの中だけに存在するものであり、実は生体ネットワークが存在しているのではないだろうか?

こう考えると、輪廻転生等という現象は全く無いと考える事が出来る。


大胆な仮説を書いてみる。

意思を持って動く者をなんとなく「生命」と定義付けてきたが、地球も動いており、地殻変動もありマグマの流動と共に大地を動かしている。

ここに人間のような「意識」があるように見えたりもするが、法則に乗っ取り動いているだけのようにも見える。

大地に転がる「石」もマグマに飲み込まれたりすると、溶けてその形状を変化させる。

惑星も寿命を迎えると爆発したり縮小したり、太陽のような強大なエネルギーの惑星に飲み込まれたりと変化する。

法則に乗っ取り変化している。

この変化する状態は、人間も動物も同じように法則に乗っ取り「生れ」「成長し」「衰退し」「寿命を迎える」。

このある一定のエリアで変化する動物や植物の特性は、月の周回軌道の引力で海の水に満ち引きが発生し、かき回された結果の反応から生まれていると考えられている。

この変化から発生した生物の特性として持っている伝達手段がまだ解明されていないのだが、これを「テレパシー」と呼んでみる。

地震の発生が近いとき、大地からのテレパシーを読み取り、野生動物たちは落ち着かなくなり、避難を始めたりする。

このテレパシーという現象は減衰しないでその場に留まる事も出来る。(仮説です)

人が悲惨な最期を遂げた場所にそのテレパシーが残留すると、その場は「いや〜な空気感が残る場所」になる。

また、人々の思った事がテレパシーとして発信され続けているので、その情報が何かの法則に乗っ取り「集まってくる」(集合意識?)

集まった気持ちや経験、感情などが、例えばそのエリアの上空に集まっていると考えると、地球の表面には見えない「知識の層」があると考える事も出来る。

この知識の層は、人の思い等が伝わってきているものなので、人へもこのエネルギーが伝わる。

そうして人々は様々な情報をテレパシーと全体意識を通して伝達し合っているのではないか?

これは、人や動物だけでなく、物体にも届くと考えられる。

大切に使っている物、無くしてしまってもなぜか手元に戻ってくるという現象はよくある。

探し物、必死に探している時には見つからず、あきらめたころに「あっ」と発見する。

引き寄せの法則、言われているように心を落ち着けるのが必要、忘れたころに叶う。

これらは「霊界」の霊が動いて何かを「してくれる」のではなく、互いに伝え合っている者どうしで反響しあい、その要望を満たす為に間に入っている人や動物等を経由して運ばれたり、出会ったりという現象として現れる。


この仮説の内容は、別の人が同様の事を言っているが、違うところは「霊界」を媒体としない所である。

人間社会の発達と共にこの集合意識も発達しており、それらの「総意」が全体の流れを生み出しているように思える。

「霊界」から管理されているのではなく人間の気持ちの総意が各種現象を起こしているのではないだろうか?

未熟な文明では「争い」の結果どうなるのか分からないで「感情」に走る事が過去の歴史を見ればよくわかる。

戦争を経験した国では「回避する努力」が最優先で行われている。

これもバランスなのだが、バランスが崩れると崩れたほうへなだれ込む。

報復合戦が止まらなくなるのはバランスが崩れた結果である。

文明が発達した国の総意では、未熟な文明が戦いを挑んできても回避する知恵を持つ。

国という単位で考えているが、個人で見ても同様であろう。


ここまで書いてきて、ふと疑問が浮かんだ。

生れながらにして持っている「個性」とはどこから来るのか?

DNAである程度の人間としての設計図を持っているので、人間のような容姿になるのだが、2人のDNAが混ざり合い、人間としての条件と見た目の情報は引き継がれる。

しかし、兄弟姉妹でもまるで違う個性を発現する。

こうした現象が、「霊界」から情報と個性もった「魂」がやってくるという説を生み出したのだろう。

ネコでも犬でも個性がある。

小鳥でさえも個性があり、これらの個性も「魂」がやってきて個性を発現させたのか?

どうもこの個性を発現させる元となるのは、何かの法則が関わっているのではないだろうかと思える。

こうした法則の動きに人間の感覚として「何らかの意思」のようなイメージから「擬人化」のような錯覚から「霊界」という発想が生まれたようにも思える。

「霊界」から人間界が管理されている?

何故?

その目的は?

チャネリングメッセージ等で伝わってくる情報が、あたかも「神のお告げ」のように思い、「管理されている」と錯覚することから、こういった事を思うようになるのではないだろうか?

あくまでも仮説であるが、誰かがそう思った事の数が多いがために、伝わってくる情報が「お告げ」のように聞こえ、それを信じる、また総合意識に伝えるという循環が現状を作り出しているようにも思える。

結果、「霊界」の目的がはっきりしない理由に様々な説が考えられ、その情報が総合意識に蓄積され、その情報へアクセスする人によって引き出す内容が違ってくる結果、スピリチュアルで言われている矛盾が発生してくるのではなかろうか?

あくまでも私は「霊界」という存在があったらいいと思い、そしてその目的を知りたいという気持ちから、反対意見もとことん追求していくので、アンチスピリチュアルな人ではないという事をここに書き添えておく。






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(17:14)

2013年02月15日

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いつもお世話になっている万年さんのブログに気になるチャネリングメッセージがあったので、掘ってみたい。

「万年素人なチャネリング日記」日本神界より?

万年さん、メッセージ引用させていただきます。

〜〜〜ここから〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

人間がエネルギーの循環を生み出す。
負のエネルギーをろ過。
日本神界主導。
闇による、日本潰し激しくなる。
一部の者、大和魂を持て。
その他、平和の心を持て。

〜〜〜ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

日本国民全般に呼びかけているらしい。

私には聞こえてこなかった、が、こうしてブログを通じて呼びかけられたという事だろうか?

「負のエネルギーをろ過」何となく言いたいことは分かる。

日本神界の主導で「ろ過」とは、具体的に何を意味するのかは不明。

一番気になったのは、この「闇の勢力」について。

「日本潰しが激しくなる」

ここ最近のニュースを見ていて、「不安」という言葉が心のどこかに漂うような内容が非常に増えている。

こういった現実社会の様相を「闇の勢力」という言い方で表せる。

「大和魂」とは一体どこを指して言うのだろうか?

過去の戦時中には「玉砕」という行動にもあてはめられた言葉であろう。

「負けない心」「立ち向かう気持ち」こういった根性論とでも言うのが適切かもしれないがこれもいまいち。

一部の者がこの心を持って、その他の人は「平和の心」を持つという事。

今、すぐに思い浮かぶ日本への脅威。

・中国(戦争を仕掛けてきそう)
・北朝鮮(核武装完成間近)
・海外での日本人標的
・政府機関、金融機関へのサイバー攻撃
・日本が南方で緊張すると、ロシアが戦闘機を飛ばして来る

ニュースなどで、最近言われている。

また、他のチャネリングメッセージを掲載しているブログでは2年後位に日本は未曽有の金融危機と国難に見舞われるとも言われている。

これは、日本国債が限界に近付いており、日本の景気が良くなっても悪くなっても価値が下がり、金利の上昇による日本国債暴落、ハイパーインフレ等が予想されている。
安倍総理のアベノミクスで行われている事は世界でも前例が無い大実験と海外では報道されている。

まだまだあるが、こういった近い将来に考えられる危険が非常に具体的になってきており、危うい状況である。

金融的な事、軍事的な事、日本人という価値で人質としてのターゲットにされる事。

こういった状態が、「闇の勢力」によって演出されて、日本への脅威となっているというのだろうか?

または、一部については「闇の勢力」で、「闇の勢力」が関係ない危機もあるというのだろうか?

こういった内容がもう少し具体的に分かると、「闇の勢力」の意味も見えてくるのかもしれない。


一部の者が「大和魂」、その他大勢は「平和の心」、この意味するところは?

政府及び軍関係者に「大和魂」をお願いし、一般国民は「平和を祈る」という構成になるのか?


「闇の勢力」が「負のエネルギー」を増幅し、日本人以外の人々を動かして、日本を潰しに?

何故日本を潰しに来る?

「日本神界」?

神々の間でも何か「戦い」があるのだろうか?

それなら、そちらの世界だけでやってくれてもいいような気がするが。

何故人間を動かして戦うのか?

あれ?

このブログを書きながら、今、一瞬飛び込んできたイメージ。

人間がいないと神々は何にも出来ない?

「霊界」はイメージだけのバーチャルの世界なので、思いは思いとしてあっても具現化できない。

そこで現実社会があって初めて具現化出来て、実感として感じる事が出来る。

今まで「神からのお告げ」とかという「上からの管理」を想像させられてきていたが、いや実はそうではないのかもしれないぞ。

「上の世界から管理している」神々しい輝きを持って崇拝するべき存在として思っていたのだが、実はそうでは無くて、そう言わないと人間が「言う事を聞いてくれないから」という見方も出来る。

以前万年さんのチャネリングで「上の世界の大人の事情」とはこういう事なのではないだろうか?

これはもしかして、間違えていた認識であれば「神を冒涜」という発言でもある。

はたまた、私自身が「闇の勢力」に利用されているともいえる。

こういった「解釈」一つで、正反対な考え方が出て来てしまう事が返って混乱の元になるのだが。


今の人間社会で言われている事。

人に意思を伝えたとき、相手が勘違いしたら、勘違いした人が悪いのではなく「伝え方」が悪いのだ。

こういわれている。

まさに今のチャネリングメッセージも含め、スピリチュアルの世界でも言葉で伝わって来ている内容はこうした正反対な「解釈」が可能な内容なのだ。

「混乱させる事が目的なの?」と言いたくもなってしまう。


人間の感覚として「判断」しながら生きているのだが、何かの分岐点で判断が必要になる時がある。

自分の人生を進むときの「判断」は自らが進むから分岐点へさしかかるのだが、事件や事故、問題が発生した場合は、自分が進んでいるからというより、「外的要因」である事が多い。

自分は真っ直ぐの道を歩いていても、何かが落ちてきたり、問題に巻き込まれたりという事がある。

この自分の意思で進んでいる時の分岐点はどちらを選択しても、原因と結果は自分が起点である。

しかし、外的要因では、原因は他にあり、なぜその問題に巻き込まれたのか?

という「解釈」が必要となったりする。


「解釈」するにも原因が自分以外にあるので、「なぜ?」と様々な事が考えられるのだが、ここにスピリチュアル的な要素を加えると、とたんに判断する方向が変わってくる場合がある。

その時にはひどい目に会っても、時間が経過した後自分が幸せと思える環境にいたならば、問題に巻き込まれたことも「あの時、あの事件があったから」という展開になるであろう。

しかし、どれだけ時間が経過してもひどい目に会った事が「憂き目を見ない」という事もある。

実際にはこちらのタイプの人の方が多いのではないだろうか?


また、何かイメージが飛び込んできたのか、湧いてきたのか、、、

沢山の石っころの中に「キラキラ輝く石」が「宝石」として大切にされる。

まずいもの、とまでは行かなくてもそこそこの食事をしていたある日、「物凄く美味しい」と思える高価な食事をすると「いい思い出」となる。

数多くの失恋を繰り返した人は、やっと出会った運命の人に謙虚になり大切にする。

今度は個人の視点から一気に上昇して、地球全体を一望してみる。

数多くの悲惨な世界の中に、ほんの少しだけ見る事が出来る「幸せ」という思い。

地球全体がほとんど悲惨だから、価値がある「幸せ」という感覚。

これを実感したくて悲惨な世界を作り出した神々。。。

ほんとか!?


実は大人の事情で神々は人類にこの「幸せ」の感覚を味あわせてもらいたいから、何となくイメージを人々に送り込んで誘導している?

ん〜〜〜〜こんな単純な構成では無い気がする。

人に重なっている魂とされる存在すら、未確認でありまだ憶測の域を出ない。

人の「意識」や「自我」さえも、位置づけがまだあやふやであり、「霊界」との関係と構成も見えてこない。

これまで言われて続けてきた、スピリチュアルの世界も宗教の世界も、疑問は疑問のままでありその時代に応じた言葉で言われてきたが、真実はまだ変わらない。

「霊界」が確実に存在するのであれば、こういったグレーゾーン的な存在をこのままにしておき続ける意味も「解釈」と「憶測」の域を出ていない状態で、理解に苦しむ。

結局万年さんの所にきているチャネリングメッセージも、人間サイドがこのような現状なので、受け取る事も難しい状況だ。


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(01:30)

2013年02月12日

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ここ数日プライベートで様々な出来事が発生していた。

家庭の事、仕事の事、そして今日一つの答えに到達した。

ある一定の法則に従ってこの世も霊界も全て繋がって動いているのだと。

感覚的に感じたことなので言葉として書き残すと、読む方のその時の感情や背景によって解釈が変わってしまう可能性も考えられる。

その事を考慮したうえで、言葉の意味だけにとらわれずに読んで頂ければよろしいかと思う。

人は人との繋がりの中で、様々な事を伝え合う。

それは、時に「言葉」であったり「一瞬の表情」であったり「態度」であったり、「後からじわじわ思う事」であったりと情報というひとくくりにするのは難しいかもしれないが、何かしら伝わる。

随分前であるが、悪いタイミングが重なり友人が本当にお金に困ってしまった。

大した金額ではなかったのだが、私もそうたいして持っていた時期ではなかった、とりあえず直近をしのぐために1万円だけ渡した。

返す必要はないという事で、その時私に出来る精一杯の事であった。

そしてその日の夜、別の人が「今まで立て替えてくれたりした分返すね」と言って1万円渡された。

 !?

これは一体どういう流れなのだろう?

何の催促もしたこともないし、返してほしいとも思っていなかったので、非常に驚いた。

その人からは初めての事である。

どういう事?

以前「雲黒斎」さんのサイトで「極楽飯店」(あの世に聞いたこの世の話)というWEB小説を読んだことを思いだした。

黒斎さんは今日本全国を講演してまわり、書籍も出版されている。

この極楽飯店の言っている事は、自分より人、人にしてあげた事が自分に帰ってくる。という内容。

読まれてない方で、興味ある方の為に詳細は書かないでおくことにする。

この極楽飯店で言われている事が、現実の現象として自分に発生した事に非常に驚いたのだ。

それから数か月後、そのお金に困った友人はまだ状況が改善されておらず、月半ばなのに財布には数千円しか入っていなかった。

自分の財布には数万円が入っていたので、また1万円をその場で彼に渡した。

この時自分の心境はどうだったのか?

本当に困った友人に手を貸してあげたい、という思いと同時にこんなことは考えては良くないと思いつつ「前回面白い事に、彼にお金を渡したその日に同額が別の所から帰ってきた。また試してみたい」と、こんな事も思ってしまった。

もうこの時点で、「彼の為に」という気持ちから「試してみたい」という気持ちに変化してしまっていたのだ。

結果はもう書かなくても分かると思うが、その後何も不思議に思えるような事は起こらなかった。

そして、私の知らない所で私の悪口を言っている人がいて、私が悪者にされている事が発覚した。

自分としてはどうでもよかったので放置していたのだが、私の悪口を信じた人から話をしたいのでと言う事で、会う事になった。

そして、話の流れで「実はこうなんですよ」と真実を私が勘違いしている人に伝えた。

その裏付けとなる数々の証拠も提示して、淡々と話は進んだ。

「えぇ1?話が全然違うじゃないか!」

勘違いしていた人は非常に混乱し、両方の話を聞くという事で3者で会うことになった。

結果、私の悪口を言っていた人が全て嘘だという事が判明し、その場の流れで私もうかつにも「怒ってしまった」

「怒り」を飛ばしてしまったのだ。

本当に久しぶりである。

そうしたら、即その反動が別の所から跳ね返ってきたのだ。

予定していた仕事が、行き違いであっけなく流れてしまった。

こんな事も珍しいのだ。

過去にも記憶に無い位の流れ方であった。


こういった現象を考え込むのではなく、何が起きたのだろう?と感じてみることにした。

そして浮かんできたのが、人々は見えないが何かで常に繋がっており、その繋がりに変化を伝えるとそれが伝達し、反動が戻ってくる。

「暖かい気持ち」を送れば、それが様々な温かい気持ちとして周囲に広がる。

帰ってくるという認識を持つと、そこに「期待」が発生し、「期待している、待っている」という振動が周囲に広がる事になる。

「優しい気持ち」は文字通り「優しい信号」なのだ。

「怒り」の振動はそのまま「激しいノイズ」となる。

激しいノイズは「優しい、儚い振動」をあっさりと消し去り、ノイズが強烈に広がる。

人にとって「ノイズ」は嫌な物であり不愉快な気持ちになる。

別の事で不愉快であった人へ別の人の「ノイズ」が伝わると、合わせて増幅されてしまう。

いがみ合い、憎しみ合いの連鎖である。


ではどうすれば良いか?

スピリチュアルの世界でも精神世界でもよく言われる事が「悟り」というキーワードだろう。

しかし、私の感覚からするとこの「悟り」という言葉の意味はまだ様々な解釈があり、この言葉一つではしっかりと意味が伝わらないように思える。

ここまで書いてきた実体験で、まだ他にも書ききれないほどあるのだが、それも含めて「悟り」という言葉の一側面を感じる事が出来たように思う。


今回の事が何故起こってしまったのか?

何故私は「怒り」の信号を発信してしまったのか?

その理由には「譲れないこだわり」がどこかにあったのだろう。

その前までは気にせず放置していたのに、ぬれぎぬを晴らすチャンスが巡ってきてしまったが為に、ついその流れを自分が作り出してしまったのだ。


気にしなければ気にしなくても済んでいたのに、やはり何処かに「気にしない」と思いつつ「気にしていた」自分がいたのだろう。

見方によってはこれが「闇の勢力」等と表現されるかもしれない。

結果的には「自分の不徳の致すところ」であろう。

気にしなければよかったのだ。

その前に気にならない精神状態になっていれば、その様な事も考える事すらなかったと思う。

この気にならない精神状態になっている状態こそ「悟り」の状態と言えるのではないだろか?


これは人は人と見えない何かで繋がっているという事を実感して、初めて解ってくる事であろう。

いくら知識として持っていても、「意識」を押さえつけるような考え方ではそこに「ストレス」という信号を発信してしまう事になる。

これまで何百年もの間、僧侶の方々が言ってこられた言葉に通じるものがる。

こういった繋がりや、現象は「霊界」の誰かの「意思」をもった何かが、意図的に行っているという事は無い。

単純に「法則」なのだ。

そこに意図は無い。

何かの信号を発信すれば、それが自動的に伝わっていくのだ。

その信号を受け取った人が、増幅したり、変化させたりして更に周囲へ広がる。

そのうち、最初に自分が出した信号に様々な信号が付加されたのもが自分の所にも伝わってくる。

強い「ノイズ」を出しては人を不愉快に、不幸に導き、自分にも及ぶ。

強いノイズも伝わってきても、受信しなければそのうち減衰していく。

優しい信号だけにチューニングし、その信号だけを受信し、それを増幅して周囲へまた伝えていく。

自分の周りは素晴らしい信号で満たされることになる。


長い間宗教からスピリチュアルと色々な話を聞き、体験として実感したものが全て積み上がり、今回の心境を「得る事が出来た」

やはりこれは、知識ではなく体験である。


今回書いたことは悟りという心境の「一つの側面」として感じたことであり、これ以外にもまだあるはずであろう。

このブログで探求している「霊界の謎」に関しては、まだ不明な事だらけであり、「意味」や「目的」よくわかっていない。

その環境の中で「人が人間として生きる」という上で、知らないより「悟り」の感覚は知っていた方がいいであろう。

また、知っていればいつかそんな現象に出くわしたとき「あ、これがもしかして」と思う事が出来ればこのブログからの信号も役に立つのではないだろうか。

「悟り」という言葉の持つ他の意味もまだ多数あると思われる事も、ぜひ実感してみたいものである。


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(14:31)

2013年02月11日

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みょうじいさん、チャネリングメッセージありがとうございます。

このブログを読んでくださる方々には、チャネリングでメッセージを受け取る事が出来る人が多数いるようで、メッセージを頂きました。

メッセージが長いので、インラインという書き方で、メッセージの途中に私の解釈を入れてみたいと思います。

基本的に否定も肯定も偏らないで見るというのが私の心情なので、疑問点は単純に「何故?」と疑問を入れてみたいと思います。


〜〜〜〜ここからメッセージ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

陰陽は2元ですので、そのままでは発展がありません
なので、始まりの根源と3柱で螺旋を描き悠久の流れを作ります

偶数は分けることができます、だから停滞を生み進展を望みにくい
奇数は分けることができないので、無理やりにでも進展を生み出せる
保守を望む面では革新は嫌われ
革新を望む面では保守は疎まれる

(四季コメント)*************************
確かに陰陽は2つの言葉での表現ですが、次元と言う言葉の解釈の違いかもしれませんが、2次元というと「平面」という捉え方では無く何かの「きっかけ」(水面に何かが落ちて波紋を生み出す)から、その反動が広がり、各方面に影響を及ぼすまでのタイムラグも含めて私は捉えています。

更に現実社会も霊界も立体の空間の中で繰り広げられているドラマなので、次元という表現で言えば「四次元」という感覚になるのではないかとも考えられます。

みょうじいさんにメッセージを送ってこられた方が、どのような存在の方なのか分からないのですが、「螺旋を描く」というイメージはなるほど!と思いました。

私はホーキング博士の言った「ビッグバン」(ある一点から何かが発生し、そこを中心とした波紋が四方八方へ広がるといったイメージでいました。

この全ての起源となるスタートの理由は「解釈」の領域を抜けられない物だと捉えているので、ここへの言及は棚上げ状態です。

そして、偶数と奇数について、これはまさにその通りですね。これは一つ一つの存在の質量と言うか、体積というかがほぼ同一の場合で成り立ちますね。

人間社会の歴史から変化を感じる一面として、戦争の歴史があります。「国vs国」の戦い。
最近では様々な要因があり、情報の共有化も進み、おいそれと国として戦争を仕掛けるのが難しい状態となっている。

「何かの意思を通したい」という欲望(領土を広げたい、海益を得たい、宗教の考え方を曲げたくない、他)から衝突が起きています。

この意思を通すために戦争という手段が用いられてきたが、最近では「情報戦」「ゲリラ戦」「騙し」「陥れる」「色仕掛けで権威を落とす」等様々な手法で「意思を通そう」と変化してきました。

大きな塊の「国家」の圧力に負けない為に「テロ」という手段に出てこられると、「1国家」vs「多数の個人」という「対立の単位」が変化しています。

解釈の仕方が本当に難しくなっているという今の印象です。

******************************************(四季コメントここまで)


水を形作るのは器です
器に収まる水の量では、水は停滞し澱み死に絶える
器を越える水の量で、水は対流を生み出し、悠久の流れを作り出す
器からあふれた水を再び注げば、それは永遠の流れと新しい生命が循環する

心の臓の本質は、筋肉の帯である事をしれば、地球の核を覆うマントルも似たようなものであると言える
地球は自転、公転だけでなく、マントルの運動こそが地球の気脈と言える
表層を走る地球の気脈は、器より零れた水に等しい

人の存在意義の本質は地球の一部分であり、運営管理の要の一つである
人の気が澱めば、地球の気も澱む
その役目を担っていたのは、太古は大気であり、水である
そこから進展されて大地が生まれ、生命でが担う
更に進展されていき、植物になり、更に進んだ生命達であった
そして、今は人である
しかし、地球の進展は止まらない
いずれは人に代わる存在が生まれるでしょう
まだまだ、地球は若いのだから

人は魂の器といわれるが、ならば何故に自我があり、意識があるのでしょう?
魂だけでは進めず、自我と意識だけでは互いを引っ張り合い停滞する
魂、自我、意識の三柱がそろって人は動けるのです
魂の集う場所はどこか?
その場所を言い表せる表現と概念を生み出せていないとしか言えない

依存する魂と自立する魂の違いを区分けできるようになるといい

善悪の二元論はつたないが、積み上げる基礎としてみれば重要
だけど、それだけは収まらないのが理

〜〜〜〜メッセージここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

途中コメントを入れさせていただきました。
後半を読んで起こった事。

人の成り立ち、地球との関わり等大局的な概念は伝わりました。

「自我」と「意識」と「魂」が3つ揃って人が動けるという概念なのですね。

その「目的」がどこにあるのでしょう?ここが何時も私の原点なのです。

私が疑問として探求している部分、「魂」は何の目的で人と融合して活動しているのか?
スピリチュアルの世界で言われている「自我から解放される」というニュアンスにも見えるように邪魔者扱いされている「自我」の存在目的は、人が活動する為?

「自我」と「意識」を分けて表現しているのですが、この境目について今の私では表現しきれないと思う。

このチャネリングメッセージは、非常に深い意味合いを文章全体の裏側に秘めているように感じます。

その感じた事を文字として表現する事は、非常に難しい。
難しいながらも、「表現する」という事に挑んでみようと思う。

まず、このメッセージを最初に読んだ時の印象。

この「みょうじい」さんという方、プロの霊能者ではないか?

最初の直感で思いました。(プロの霊能者の方を軽視しているという事はありませんので誤解をなさらないで頂きたい)

次に感じたことは、私の疑問として提示している事に対して、何というか「規模が違うんだぞ」という印象と表現したらいいのだろうか、「霊界」は人間の知識で想像しているレベルとは桁違いなほどに高度で大きな存在であるという印象。

そこには「威圧的な感覚」は全く無く、人間の持っている時間の感覚とはかけ離れた時間の目線で見ているといった印象がありました。

そして最後に、これは正直に書いてみますが「もやもやとした印象が心に残りました」。

私のレベルでは全て受け入れていく事が出来ない内容なのか、何か見過ごしていて本質を理解できていないのか、自分自身の心の解釈が出来ない状態でいるのです。

これに引き続き、このメッセージの続編を頂けることが出来ればもう少し解釈が進むのかもしれません。

ご希望に応えられるほどの解釈が出来ず申し訳ないなと思いながら、

みょうじいさん、メッセージありがとうございました。




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(15:19)

2013年02月09日

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陰と陽のバランスで成り立っている。

スピリチュアルの世界でもよく言われているこの現象の解釈にについて。

古くからは「バタフライ効果」とかと言われていた。

蝶が羽ばたくと、その反動が地球の裏側に発生したりする等。

これまでの科学的な発展の中を見ても「バランス」という見方は数多くある。

崩れたバランスは、元に戻ろうとする力が働いて、反動を繰り返しながら減衰していく。

そう、最終的には何も起こらなくなる。

何も起こらない、エネルギーが何かしら働いていない状態からどうやってエネルギーを働かせて波を作る、バランスを崩すのか?

何も起こらない状態、静かな水面のような状態にどうやって波紋を作り出すのか?

誰かが、何かが水面に何かしらの力を与える事が必要。

そお力が大きければ大きいほど波紋の波は大きくなる。

また、小さな波でも伝わった先の地形等の形状によって波は増幅されることもある。

地球上でどうして生物が発生できたのか?という疑問に月や引力、惑星の周回軌道等の影響で、地表の海がかき回された事により、海中で様々な反応が起こったのでは?と言われている。

そう、何も起こっていない状態という状態を我々は見たことが無いのである。

それは、何故宇宙が出来たのか?という問いにつながる。

無神論者として有名なアルバートアインシュタイン博士もこの謎に挑み、とうとう最後までたどり着けなかった。

そして死期が近づいたベッドの上で、「宇宙の始まりは、神の一撃!」と言ったという。

始まってしまった宇宙で、惑星があり太陽があり周回軌道があり引力に引っ張られて様々な動きがある。

これらが常に何かしらのエネルギーを発生し続けている。

この影響を人間も必ず受けている。

女性の月経も月の周期から命名されている。

老衰で生涯を終える人は「引き潮」と共に去っていく等と言われていたりする。

時間という概念は惑星の周回軌道を基準に作られている。

地球はこの球体が一回転する時間を24時間という単位で計算しているのだが、人間の中にある「体内時計」はどうやら25時間周期で動いている。

この意味はまだ解明されていないが。。。

狼男は満月の夜に、、、これは映画の話か。

こうした常に人類に見えない力としてエネルギーを与え続けている自然現象があるから、その影響はまた耐える事もないであろうと推測できる。

そのエネルギーに支えられていると思われる人類もエネルギーの塊であろう。

これらエネルギー同士が日々接触を繰り返し、意思の交流、衝突を繰り返せばその反動が別の所に及ぶと思われる。

そこへ、新たな生命体が誕生し、強烈なエネルギーを発し、また人間としての寿命を果たし、対人間への影響が無くなっていくだろうと思われていた。

しかし、肉体を持った人間の意思は、肉体が無くなってもまだ存在し続け、人間の意思に影響を与え続けているというスピリチュアルの考え方。

更に、その意識体だけとなったそのものは、源のような最終的には大きな意識体に集約されているという。

惑星が周回軌道を回り続ける限り、エネルギーの供給は止まる事は無く降り注がれ、意識体も人間もその影響下で活動を続けている。

この起源についての謎は、この自分の肉体の寿命の時間内には解決できないのでは?と感じている。

ハイヤーセルフと呼ばれる自分の大元の存在はこの答えを知っているのであろうか?

もしハイヤーセルフがこれらの答えを知っていて、人間に転生し、これまでの記憶を忘れた状態でいるとすれば、今私は新しいゲームを楽しんでいるという事になるのだろう。

見たことの無い映画を始めてみるときは「感情」がわくわくしながら次の展開を楽しみに時間を過ごすことが出来る。

見たことのある映画、結末を知っていてはつまらないのでもう見ないであろう。

また、見たことのある映画でも「映像が美しい」「役者に魅力がある」「音楽が気持ちいい」等、ストーリー展開より別な楽しみがあったりする場合も、また見てみようという行動に出る事もある。

こうした例えを霊界から人間界へ転生してくる意味としてよく使われている。

これらの事が真実であると仮定して話を進めていくと、何が起きてもそれは全てイベント(企画された催し)なので、楽しみであろう。

目的をもった楽しみなイベントであれば、発生する現象は目的があると考えてもいいであろう。


しかし、惑星の周回軌道から送られてくるエネルギーにより活動する人間の起こした行動により発生した反動現象には、単なるエネルギーバランスの崩れを戻そうとする動きなので、そこに意味も何もない。

ただ、その意味の無い反動現象に魅了され人間に転生してきたいという希望が発生しての、今の社会というのであればこれまた過去の探索やスピリチュアルで言われている内容は根底からひっくり返る事も出てくるであろう。


自然現象から発生するエネルギーによる現象の反動を自然のままに放置して、なるようになっているだけの状態から、そこへ意識体が手を加え、エネルギーの流れを制御しているとしたら?

人間社会でも「電気エネルギー」を制御して便利に使っている。

安全か危険かという事は考慮せず、核エネルギーも制御して利用できている。

安全にという概念の範囲をどこで区切るかによって「制御出来ている」という意味を使わない人もいるため、ここでは脱線につながるから「考慮しない」で考えている。

存在するエネルギーと便宜上表現しているが、何かしらのエネルギーと思われる動きがあるとはなんとなく感じている方は多いのではないだろうか?


すると、霊界は「どこまでこのエネルギーを制御出来ているのか」という事に考えが発展していく。

完全に全てをコントロール出来ている状態と考えると、宇宙が出来る前から全体意識と言われる存在が宇宙を作り出したのでは?と考えられる。

中途半端に制御出来ているだけだとすると、全体意識も惑星の周回軌道等のエネルギーを受けて活動しているとも考えられる。

また、全体意識が惑星等からエネルギーを受けていながら、完全にその制御が可能なほど進化したか。


その管理下に置かれるとされている地球上で肉体の生命を受けて活動している人間は、どういった影響をどの程度受けるのか?

そして、人間が活動することにより発せられるエネルギーはどこまで影響範囲があり、どうすればその波をかわすのか、打ち消すのか、乗るのかという事になる。

実験室の水槽の中の波のように単発で作り出された波ですら、行きついた先で壁に当たり、戻るとき自身の波と衝突し、消滅する波としぶきとなって空中に飛ぶもの、水中をかき回す方にエネルギーも使い、波の発生源へ向かっていく波もある。

この考えを自然界全ての現象にバランスというエネルギーの動きを当てはめて考えてみると、計算どころでは無い難解複雑な現象となる事は想像できる。

この波をある程度制御し、もしくは完全に制御し、余分な波は影響が出ないように、必要な波は受けるように人に対して行う事が出来るのでは?それが「全能なる神」の力、と考えたくなるのもうなずける。

もしくは、神(全体意識)とはそういうものであって欲しいという願望もどこかにあるのではなかろうか?

そう願望を持つことにより、自分の感情を落ち着かせる為の口実としてスピリチュアルが利用されてきたという考え方も出来る。

スピリチュアルの世界では有名な「バシャール」という人がいるが、まだ彼の全ての書物を読んだわけではないので断言は出来ないが、彼は人生は「完全な自由」であると伝えている。

決められたことも無く、「すべき」という義務等もちろん無く、人生は「楽しむ」ものであると。

この「楽しむ」という意味の捉え方が、もしかして今の人間の解釈の間違えの始まりでは?という疑いも私は持っている。

楽しみというと「娯楽」のように「息抜き」「気分転換」「笑い」等を連想する。

そうでは無く、例えば野球というゲームを楽しむためには、厳しいなんて生易しい言葉では表現できないほどの鍛錬を乗り越えて、勝負する。

この醍醐味がたまらないのだ。私もこのくちだったので、そう思う。

厳しい練習、地道な鍛錬、深い思慮、プレッシャーとの戦い等およそ「気分転換」とか「娯楽」のレベルでは無い所に「野球をやる楽しみ」があるのである。

草野球では面白く無いのだ。

しかし、草野球でも多数の友人たちが「見て」「応援」してくれている環境ではまた話は違ってくる。

別の楽しみ方があるのだ。

こうした考えうる全ての事を総称して「楽しみ」と解釈すると、バシャールの言う「自由な楽しみ」があるとも考えられる。

ここでも「解釈」が問題となってしまうのだ。

非常に捉え方と言うか解釈の仕方により「解釈」の意味合いも変化してしまう。

という状態に毎度集約されてしまう。

これはやはり人間のレベルで、真実だと確信が持てる状態にスピリチュアルが達していない事を意味する。

別の見方をすればこれが全ての答えという事も考えられる。

「全てはイメージの中で思った、感じたこと」

全体意識も宇宙も自分もスピリチュアルも、思った事が人間の言葉で言う「真実」となる。

こう締めくくってしまうと、無限ループにはまったままそこから脱出できないドリフターズ(難民)になってしまう(笑)

という事で、まだ探求はつづく。。。


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(15:49)

2013年02月08日

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中国海軍からのレーダーロックオン事件、ロシアの領空侵犯と直接日本を挑発してくる近隣諸国。

これはあくまで私個人の実感なのだが、日本は平和だと思う。

有名な観光地くらいしか世界のちこちへ旅行に行ったことはないが、それでも治安は日本より悪かった。

やはり日本に帰ってくると、どこか安心したものであったのだが最近はそうでも無いように感じ始めている。

中国と国交正常化となり、まだ40年しか経過していないが既に断絶状態になりつつある。

習近平は戦争の準備を進め、開戦したら必ず勝利するようにと軍隊へ直接指示している。

ロシアという国は全く分からない。北方領土の海域では漁師が射殺されているがその後どう展開したのか続報が聞こえてこない。

韓国は既に竹島を実効支配しており、盛んに日本へ意味不明な恫喝を続けている。

日本人は「脳天気」なのか?

他にも潜水艦の侵入、日本人をターゲットにした人質事件他きりがない位の事が起きている。

こういった周辺国からの脅威にさらされているが、「全て起こる事が決まっているとして黙認しているのか?」

肉体という乗り物で物質世界を体験する為に人間へ転生してきたという事でスピリチュアルの世界は話が進んでいるが、実際の所本当にそれだけでいいのか?と思ってしまった。

人間として生きている時に様々な事件が発生したりして、それを経験したいから今生きているという事にも疑問が出てきた。

中国の今後、軍事専門家たちは「挑発はエスカレートしてくる」「日本が挑発に乗って何かすれば、それを反撃の口実としてくる」と今言われている。

では、挑発に乗らずに我慢し、耐えているだけで解決に向かうのだろうか?

中国は尖閣諸島を占領し、沖縄も狙っているという。

もしかしたら、日本の軍艦が尖閣海域を航行しているすぐそばに中国の戦闘機を墜落させて、日本軍に撃ち落されたとか言い始めるかもしれない。

そういった言いがかりを付けて、軍隊出動。

この準備を着々と進めている。

もし戦争とまでいかないにしても、すぐ隣の大陸からミサイルが飛んで来れば日本の本州へ着弾するかもしれない。

着弾した地域は地獄絵図となるだろうと予想される。

「これも決まった事?」

「ミサイルというエネルギーを解消するために魂のレベルで同意した人たちが犠牲になる?」

西日本周辺で中国軍と小規模な衝突が起こり、戦争回避に大忙しとなってきたら、早速ロシアが戦闘機を飛ばしてくるだろう。

北と西から同時に責められて、日本が大混乱になるのは避けられないと思う。

こうすると経済どころではなくなるので、為替や株は大暴落していくし、円が世界中で売られ、日本国債はヘッジファンドを筆頭に一気に叩き売られ、金利が大上昇。

日本国内はハイパーインプレに襲われ、牛乳1パック購入するのに10万円とか、ガソリン1リットル18万円、満タンで500万円なんて訳の分からない世界になってしまう。

当然食料の供給がおかしくなるため、食料の奪い合いから始まり、ミサイル着弾地のサポート等手が回らず生活どころではなくなるだろう。

これも「決まっていた事?」「予定通り?」と言える?

「自我」を完全に消し去り「霊的な感覚だけ」になり、何の興味もわかず眺めていれば、既存の世界が壊れ、新しい世界が誕生する?

こうして既存の世界をハードランディングという形で終えて、新しく世界を作る事が「霊界の目的?」人々の「願い?」


ちょっと興奮気味に書いてしまったが、「その通りだよ」と言われると、何も言葉は出てこない。

その歴史の変貌する時代に人間として居合わせたくて人間に転生してきた人もいるよ、とか言われてしまうとまた返事が出来ない。

「霊界の目的」として「予定通り」進んでいるとしたら、「これを完全に信じた」ならば、黙って事の成り行きを見る事しか出来ないだろう。

これだけの世界が激変して大勢の人々が命を落とす状況を、「霊界の目的」と何の疑いも持たずに言い切れる自信があるだろうか?


役者はその役柄とストーリーを全て知ったうえで、観客に見せるのが仕事であるため、悲惨な結果になる事も「お芝居」と分かってなりきっている。

人間が役者であり観客も人間であるとすると、この先起きるかもしれない悲惨な状況に対して冷静に観客で居続ける事が可能だろうか?


見ず知らずの遠くにいる多くの人が命を落とすより、自分の大切な人、妻や恋人、子供等が命を落とす場合のの方が衝撃は遥かに大きいだろう。


海外のインターネットの動画サイトには、日本では到底考えもしないような事が平気で行われ、それを映像としてアップしてあったりする。

かなりの衝撃的な内容なので、ここに文章で表現する事すら出来ない。

日本と海外では「人々の常識」のレベルがあまりにも違うのだ。


身近な人が命を落としてしまった時、生きている人間が「納得できるような事が必要である」その場しのぎのスピリチュアルな話では、到底通用しないし、これだけ人々にスピリチュアルが浸透してきているのだから、生半可な事を言っては無責任でもあると考える。

そういった意味も含めて、もっと確信を持てるスピリチュアルの真実を探ってみたい。

報道を見ていたらいきなりこの事が書きたくなってしまったので、思いつくまま書き連ねてみた。

これって「自我」に偏りすぎた考え?



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(16:18)
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昨日から何か変な感じがしていた。

結局昨日のブログはまとまりが無く、不本意な内容となってしまっていた。

そして本日、日中から何かどこかに疲労感があるようなという感じであった。

そんな中、先ほど皆さんからのコメントへ返信した後、窓を開けてみた。

そして窓を閉めて、と思った瞬間に何者かが窓から侵入しようと手を掛けたイメージが湧いてきて、背中から頭の上に「妖怪レーダー」ならぬ「霊界レーダー」が反応した感じで「ぞくぞくぞく・・・」状態であった。

そして風呂の中でふと思った事。

何か心が疲れている、本日はブログの更新をやめた方がいいという言葉が浮かんできた。

そして、窓からの侵入者の事を思いだし「これはもしかして」と思った事をそのまま書いてみる。

「霊界」についての事を毎日書いている自分は、自分でも気が付かないうちに「トランス状態」のようになっている可能性がある。

そして、この状態の私を利用すれば霊界の「よからぬ存在」が自由に混乱を招くことを発信できる。

心が疲れている状態なら「隙が出来ている」可能性があるから簡単に入り込めるのでは?


と、このような事を思ったのだが、まてよ!

もし私が何かしら無意識にこのブログを書かされているのだとしたら、そこにはサポートしてくれている存在がいるのでは?

その場合、サポートしてこのブログを書かせている存在の意図しない事態になり邪魔されることになる。

そんな事はさせないのでは?

と人間の視点で考えた、結果今こうして書いているのだが。


その他に、どうしても書いておきたい事が出てきたという事もある。

これがもし自分の「隙」に入り込まれた存在からの内容であれば、読んでくれている方々の方が気が付くであろうと勝手に依存してしまっている自分もいたりと、揺れている事には変わりがない。

という事で、今日は短めに。

皆様から頂いたコメントの内容で「マルチエンディング」という人生の終わり方についての事がテーマになっていた。

様々な人生の事件や転機等、状況に応じて「解釈」がされているが、マルチエンディングという事で、どのような展開もエンディングも全て「ある」という表現は、スピリチュアルの世界では普通に言われているのだが、これは単純に考えると「結局何でもあり」という事だ。

2つの分かれ道のどちらに行こうかという2択の場合、右へ行けばハッピー、左へ行けば事故、どちらも用意されているという表現が混乱に繋がるのでは?と思ったのだ。

「どちらへも行かない」という選択肢もある。

また「時間をずらして左へ行くと、先に行った他の人が事故に会う」という選択肢もある。

そうすると、「事故」は必ず誰かが遭遇するという考えで行くと、コメントで頂いた内容で「誰かがエネルギーを解消しなければ」という話につながる。

すると、「Aさん」と「Bさん」がいて、「Aさん」が必ず事故に会う「運命」であったという話は成立しない。

もしかしたら事故に会うのが「Bさん」かもしれない。

そもそも何故誰かが事故に会わなければいけないのか?という疑問も増えてしまう。

「Aさん」が左へ行き「必ず事故に会う」が、「Bさん」なら事故はぎりぎり回避できるのか?

例えば交通事故で「出会いがしらの事故」の場合、必ず相手が必要で、出会うタイミングがずれた場合事故は発生しない。

「事故に会う人」はその特定の個人でなければならないのか?

これまで様々な「解釈」が行われてきて、例えばの出会いがしらの事故の後「心を整理する為」に「解釈」が行われてきた。

その解釈も「あの時もう少し速度を落として確認していれば・・・」等現実的な落ち度を反省する場合もあるだろう。

しかし大事故で入院してしまった人の事を霊能者が「決まっていた事だから」という、これは「解釈?」それとも何か根拠がある?

事故に会うのは「誰でもいいのか?」「特定の個人でないといけないのか?」

事故と言うエネルギーを誰かが解消しなければならなくて「魂のレベルで引き受けた勇気ある魂の話なのか?」

人間への転生の目的と霊界の目的がはっきり分からない状態では、このような疑問も増え続ける。

この事を書いておきたかったので、頑張ってみた。

「良からぬ誰かに操作されてる?」




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(02:40)

2013年02月06日

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数年前とある霊能者の方と話をしている時に伺った内容。

「神」の存在についてどう認識しているのか?と。

その霊能者(本職の方)が言うのに、「神も大昔は人間だった」という。

そして気の遠くなる回数人間に転生してきたという経験者ではあるが、もう人間界を離れて時間がかなり経過しているので細かい人間界の感覚は忘れているという。

この時私は「大災害」について質問してみた。

大災害で多くの人がいっぺんに亡くなるという現象はどう考えればいいのか?。

偶然が重なったような状態で助かる人と、命を落とす人の違いは何なのか?

すると帰ってきた回答は、「神の中にも破壊神という神がいる」これだけである。

破壊神と聞くと、無差別に人の命を奪うというイメージなのだが先ほどの命を拾う人と落とす人の違いは?

と聞くと、「特に違いは無い」と言う。

では、何かしらの目的を持って人間に転生しては来たものの、偶然破壊神の攻撃で「目的を果たすことなく」亡くなられた方もいるという事でしょうか?と。

答えは「その通りです」と。

「目的を果たせなかった方は、再度人間に転生してきて目的を果たそうとする」のだそうです。


この時、「各人の目的はどこから来るのか?何のために目的を持っているのか?」という疑問を持ち合わせていたなかったので質問していない。

今考えると残念無念な状態だ。

別の霊能者の方は、未来に起こる事は「全て決まっている。寸分の狂いもなく」と言う。

この発言に物凄い自信を持っているし、そういった事例も数多くあると言うのだ。


では、この二人の霊能者の方が言っている内容はどう考えればいいのか?

もし両方の内容が正しいとすると、決まった未来に乗って進んでいる時、破壊神の攻撃で命を落としたり、けがをしたりして未来に予定されていた事に参加できない場合も考えられる。

では、破壊神の攻撃も予定の中に含まれる?

腑に落ちない。。。


スピリチュアルの世界では、一人ひとりの人間は全てが「神」であるという話が非常に多い。

まあ、解釈によってそう呼べる場合もあるのであろう。

確かに「源」から分離してきたのだから「源と同じ」存在=「神」というのも分かる。

しかし人間が持っている「神」としてのイメージは違うように思える。

「絶対的な存在」「全てを作った万能な存在」

そう言いつつ、人間界で起こる様々な事を「体験」「経験」したいという欲望を持っているようなニュアンスでも語られる。

「神」「霊界」「人間」「人の意識」「魂」等これらの立ち位置がまだ不明瞭だ。

霊能者の方はよく「高次の存在」という言葉を使う。

「高次」とは?高次元という意味らしいのだが、そこから「お告げ」をもらうという。

万年さんにチャネリングで質問してもらった時も「霊界が人間界を管理している」というメッセージがあった。

高次元の存在から人間界は管理されている。

「神」の世界も階層が沢山あり、それぞれに役割を持って、担当エリアを管理しているという。

別の所では「高次」のエリアは光が強すぎて、はるか最下層にいる人間から見れば、どの階層なのか明るさの見分けなどつかない。

という霊能者もいた。

だから、「高次の存在」といっても人間の霊感の強い人から見れば「霊」は全て光としか見えないので、どの階層のどの位の階級の霊なのか判断できないという。

それは物凄く当然のように思える話であり、高次の存在という表現でお告げを語る人は非常に怪しく思えてくるのだ。

「騙されてない?本当に高次の存在?」という思いがする。

そのお告げも辻褄の合わないちぐはぐであやふやな内容であったため、信用はしてないが。。。

こうした情報が人間界を混乱に導くのだと思われる。


このブログで私が仮説として書いた過去記事でもあるように、過去の話を伝えるとき人はその内容を美化する、という習性がある。

また伝言ゲームな為に、信ぴょう性を高めて「自分の話は本当だよ!」と言いたいがために、尾びれ背びれフカヒレまで付いてしまうのが言い伝えだ。

言い伝えで伝わった話は例え忘れても深層心理に残っていたりする。

これらの一例として、国によって死の淵に行った時見える景色が違うというのもうなずける。

日本では「三途の川」であり、西洋人は「古くて大きな門」をくぐる、など国によって違いがあるのは文化の違いであろう。

文化の違いなら記憶の違いという事で、現場があるわけでなく記憶でイメージを作り出したとも考えられる。

これらは臨死体験した人達のコメントなので、これも統計的にそうであろうというレベルだ。

西洋人が日本で臨死体験をしたら、やはり古くて大きな門をくぐるのか、それとも日本エリアだから三途の川の手前まで行くのか興味深い所である。


つい江戸時代まで人間の寿命は50年前後であったと言われている。

ギリシャ神話での川の話の頃からもう2000年以上が経過している、言い伝え等が変化していっても不思議はない。


では、神は何をしているのか?

私の背後にサポートしてくれている霊がいるというが、それは過去世の自分であるという。

輪廻転生の必要が無くなったのか、理由は不明であるが自分自身。

では人間に転生している私は何なのだ?


万年さんのチャネリングで言われていた「人類を管理している」という「管理」はだれが管理している?

無限ループにはまってきた。


今日は書きたい内容がまとまらない。

支離滅裂な文章を読んで頂いてくださった方に申し訳ないという思いが充満している。




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(23:31)
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昨夜またもイメージが飛び込んできた。

この飛び込んできたのは今回は他人ではなく「自分自身」のイメージであった。

それは、はっきりと自覚できたのが「自分は過去に何度も人生を経験している」という事。

なぜ昨夜このようなイメージが来たのか?どのような目的があるのかは今の所不明であるが、時間の経過と主に理由が判明するかもしれない。

まるで図書館のようにズラリと棚にずらりと並んだ自分の人生の記録、一つひとつの中を見る事は出来なかったが何故かそれは自分の過去世であると確信がもてたのだが、根拠は無い。

その本棚の前に腕組みをして不敵に笑みを浮かべていた女性は誰なんだろう?


これまで万年さんの協力でチャネリングという手法を用いて私の「疑問」に回答を頂いてきた。

それが途中で万年さんのこれまでの感覚と違う動きがあり、注視していたところ、思わぬ方向から回答が組みあがったという表現が今回は適切かもしれないと思える形で出てきた。

「万年素人なチャネリング日記」v2 地球は悟るためにあった

こちらを参照していただきたい。

表現が非常に難しいのだが、私が疑問に思う内容に関して、その回答を探す前に回答が準備されているような、ステップバイステップで質疑応答の様な流れとはまるで違う、用意周到と言うにはあまりに次元が違うと思わせられるような答えの導き出し方に驚いた。

その中で、「ますから」さんへの返信という部分、「苦難の多い人は、そろそろ仕上げの段階に入っている」という内容が目について気になって仕方がないのだ。

以前私は「催眠過去世探求」という催眠術で深い状態に入り過去世を思い出してみるという事に挑戦して見たことがある。

この内容に関しては、今後機会があれば書いてみたいが、その催眠中に自分自身が言った言葉がある。

催眠術の先生が、今の自分に対してコメントはありますか?という質問を私の深層心理に対して問いかけた。

そして自分自身の深層心理が答えた内容は、「もう生まれ変わらなくてもいい、大丈夫だ」と答えている。

これは、そのまま受け取れば「転生は卒業」という解釈なのだが、別の見方をすれば「もうこんな苦難の多い転生はうんざり」という心理が言わせたとも解釈が出来る。

こういった正反対な「解釈」が出来てしまう現状をもう少し整理してみたいという思いがある。


更に前回の私のブログのコメント欄へ「みょうじい」さんから頂いたコメント。

情報に関する「自我」の対応というか、動きと霊界から来る情報の関わり等の表現が適格で、感激しました。

これらの最近集まってきた情報を総合して、おぼろげながら見えてきた事としては、「闇」と表現されいる存在、「光」の意義、「理不尽の理由」「輪廻転生の理由」等が繋がってきた。

そしてこれらの意味するところは「地球で生きるという事は魂の修行である」と言いたいのだな、と収束してくる。

しかし、これまで登場してきた様々な表現に筋が通る感じで「腑に落ちる」という状況だったので、私の疑問は始まったのである。

その「起源」は何?

「なぜ?」修行が必要?

「なぜ成長が必要?」

「人間の意思と魂との関係は?」

この辺りなのだ。

以前も書いたのだが、宇宙がなぜ出来たのか?なぜ存在するのか?という疑問に関しては、多分永遠に答えは出ないであろうと思われる。

「何らかの法則」に従ってそこにある物に「解釈」等を外した回答を得ようとしても意味が感じられない。

しかし、「何らかの意思」が働いているであろう「霊界」「人の魂」等は「意思があり目的がある」ように見える。

「意思」が働くためには「目的」が必要と思う事自体人間としての「固定概念」で意味のない事なのであろうか?


「自我」という言葉で表されている「意思」はスピリチュアルの世界でも人間界でもあまりいい印象は無いように思える。

「霊界」が先に存在し、地球上に生命を発見し、地球上の生命のひとつ「霊長類」に「自我」を与え、「魂」の修行環境として利用しているのか?

「霊界」が地球上に「自我」を持つ生命を作り出し「魂」の修行の場として管理しているのか?

「霊界」が地球上に「自我」を持つ生命を作り出したが、「自我」の暴走を管理しきれていないのか?


万年さんのチャネリングでは地球は「当初の目的から外れている」という内容があった。

そしてその軌道修正の為にプロ中のプロを繰り込んでいるともあった。

この情報を全面的に信用するかどうかという問題は置いといて、集まった情報は先入観無く検証してみたい。

あた、他の方のブログで「この環境全てはコンピューターのプログラムの様だと考えると違和感が少ない」という内容があった。

映画「マトリックス」のように、全てがプログラムとして仕組まれており、ストーリーも全て用意されているが、どのような展開になるのかは(どのプログラムが起動するのか)はその時に初めて判明するのだと。

スーパーマリオがクリボーやノコノコを倒しながらステージを進んでいくときマリオがふと思った
「だれかに操作されてねぇ?」

今まさにこのスーパーマリオの心境なのだが、「人生はなりきりゲーム」という考え方、ゲームならプレイヤーはだれ?

というこの考え方も人間の固定概念なのだろうか?

果たして「自我」とは、肉体が持つ「魂」を目覚めさせるためのプログラムなのか、それとも「未熟な魂」の状態なのか?

何故か本日は、原点回帰の記事を書きたくて、思いつくままに書いてしまったのでまとまりが無い感じなのだが、まとまりが無いのはいつもの事か。。。

脱線したまま帰ってこない事もしばしば。。。

テーマの範囲が膨大に広いので、仕方のない事ではあるのだが、「悪」という事に関しての捉え方には答えに近づいたように思える。




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(03:34)

2013年02月05日

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自分でははっきりと自覚して自我がある状態としてこのブログを書いているのだが、どうやらチャネリング状態になっている可能性があるかも、というコメントが寄せられた。

そういえば、という事で自分自身過去に似たような現象がいくつかあったのを思い出した。

日常の状態で、生活している時「ふいに人の感情が飛び込んでくる」こうした経験を書いてみる。

友人たちと朝からゴルフへ行くという事で、友人宅へ7名ほどで合宿状態の時があった。

女性は2Fの寝室で、男性は1Fの居間に布団でごろ寝、学生の合宿状態であった。

その朝、2Fから一人の女性が降りてきて私の隣を抜けて洗面所へ行ったのだが、この時「ぱぁ〜」っとその女性の「悲しい感覚」が飛び込んできたように感じて、私は顔を上げて女性の表情を見た。

泣きそうな顔をしていたのが印象的であった。

そしてゴルフも終わり、その女性は遠方へ帰っていったのだが、後にその女性はゴルフ合宿の直前「外科手術」が必要な病気が発覚していたという報告を聞いた。

とても綺麗な女性であったのだが、体にメスを入れるという事態に心を痛めていたのをひた隠しにしていたという。

後で考えると、あの飛び込んできた悲しみのイメージはそういう事か、と納得してしまった。


あの何の前触れもなくいきなり飛び込んでくるイメージは、本当にびっくりする。

しかし私の場合、イメージを飛ばしているのは「生きた人間」であり「目の前にいる」のである。

誰のでもイメージが見える訳では無く、「何か通常と違う場合だけ」飛び込んでくるのである。

だから飛ばしてくる人はすぐに見つけることが出来る。

たまに遠隔地から来る時もあるが、そういう時は即メールを飛ばして「元気かな?」と確認してみる。

結構、なんでこのタイミングでメールくれたの?と驚かれるが「なんとなくね」位しか言いようがないのである。

こういった現象で、「霊界」からメッセージが送られてきたのも受信できて、それを判別出来る人が霊能力のある人と言われているのであろう。

それはなんとなく分かる気がする。

まだ他にも自分自身の事例は沢山あるのだが、この辺りにしておこう。


万年さんのブログ「万年素人なチャネリング日記」光と闇の戦い?

上記ブログの中でチャネリングメッセージの中に出てきた言葉「大人の事情」これがずっと気になっており、ようやく今回文章に出来る。

管理している「あちら側」の事情があり、管理されている「人類」が知らない方がいいという事情。

これが腑に落ちない。

人間社会に置き換えてみよう。

小学生を管理教育指導している先生方、人類を管理しているあちら側、同じような状況と考えてみると、、、

小学生でも「ませた子供」はいる。

能力のとびぬけて高い子もいる。

しかし「年齢」という一律のくくりで管理する為に各自の能力差があっても平均にそろえるという形式に不満が出る。

「発育が遅い子供」には難しい。

「発育が早い子供」には退屈。

霊的な浸透度合いを見てみれば、まるで気にせず生きている人もいれば様々である。

人類にもこれだけ真摯に霊的世界を探求して解明したいと思っている人もいる。

こういった人にも「まだ早い」というのか?

それとも「人類にはとてもじゃないけど言えない大人の事情」があるのか?

もし、とてもじゃないけど言えない事情があるとしたら、チャネリングや霊的現象等完全に封鎖し、霊界の存在そのものを完全に隠匿すればいいと思うのだが。

逆に、霊界の大人の事情を伝えてもいいという人間がいるというのであれば、「情報」は伝えてもいいのでは?とも思う。

情報とは人間社会でも取り扱いが難しいと思われている存在であるのだが、難しいと思っているのは「情報発信側」なのである。

この情報を流してしまったら・・・と考え過ぎなのである。

大津のいじめ問題で亡くなった生徒の死因を「家族にも問題があるのでは?」と虚構を作り出して、事実を隠匿した教育委員会は今袋叩き状態にあっている。

第三者委員会で「死因はいじめである」と報告書が提出されてようやく真実が明るみに出た。

これは単なるサンプルに過ぎず、人間社会にも「事実を隠匿」するという傾向は非常に強い。

「軍事機密」「国家最高機密」「社内機密」「製造機密」などなど・・・何かを守ろうとしている時、人は情報を隠すのだ。

事件や事故など原因がはっきり判明した方がいい場合は、完全公開が望ましいと思う。もちろん当事者の名前等は不要なので匿名で問題ないと思う。

では「霊界」はどういった存在なのか?

「霊界」の何か、もしくは「霊界」そのものを「守る?」為に情報隠匿が必要なのか?

それとも人間が生きる上で「何かを経験で学ぶ為、知らない方がいい」のか、しかし仮にもしそうであったとしても、その情報を「信じる人」「信じない人」が当然出てくるのだ。(今の現状では、目的すらあやふやなので、学ぶ?経験?も本当?といった状態である)

さらに「霊界」からどこまで人間の感情を操作できるのか不明であるが、「完全に霊界情報から切り離した方がいい人」はそう仕向ければいいのでは?とも思う。

もしかしたら、私だけがそう思っており「もっと霊界の事を知っておいた方がいい人」には知らせているのかもしれない。

この、中途半端とも思える「飛び込んでくるイメージ」な何のためにあるのか?

単なる「感度がいい」だけなのか?

それとも、そう思い込んでいるだけか?

いや、思い込みの現象では無い事が多すぎる。

野次馬根性で首を突っ込んでくるな!と怒られる日も近いのか?



(01:35)

2013年02月04日

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過去記事を自分で読み返していて、「書かされていると思った事はありませんか?」というコメントを思いだし、気になった事。

スピリチュアルに「真正面」から挑むという記事で書いた小説。

この時小説を書いて表現しようとは思っていなかったのであるが、なぜか書きながら小説風に書いてみようと思い、書き始めた。

この小説を書いている時の心境。

「あまりにもリアルに情景がイメージ出来た」
「書きながら、あたかも自分が当事者であるかのような心境になった」
「小説の父の心境に感情移入したのか、涙があふれてきた事」

今思い返してみると、これはもしかして「誰かの記憶が飛び込んできた?」とも思える状態。

誰かが実際に経験してしまった事の記憶が伝わってきたのでは?

などと思えてしまった。

万年さんがチャネリングで質問攻撃を繰り返してくれているようで、その感想も次回書いてみようと思う。

今回は、ふと思った事を残しておく。




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(10:00)

2013年02月02日

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万年さんが私の疑問としてフォーカスしている部分に合わせてチャネリングを行ってくれるので、非常に面白い展開になっています。
ありがとうございます。

「万年素人なチャネリング日記」光と闇の戦い2

今回はまた【公開質問】を、と思っていたのですが、その前に万年さんのチャネリングで受け取ったメッセージで非常に気になる部分があるので、そこを掘ってみたいと思います。


全体的なイメージとして、「光と闇」の勢力の戦いといったイメージがメッセージで送られてきている。

そして、人類を発展させてきた「あちら側」の「目的」、この当初の目的から大きく逸脱してきているのが今の人間社会であるという。

その軌道修正を行うためにプロ中のプロを送り込んできているという。

「あちら側」から出来る事は「チャネリングでメッセージを送る事」だけだともいう。

人間が全体性とシンクロ出来れば「宇宙のパワー」を使う事が出来るようになり「現実を変える事が出来る」ともいう。

また、地球は本来の目的から逸脱し闇の勢力に支配されようとしており、このままの状態では「地球を起点」に宇宙が闇に覆われるとある。

メッセージの内容の気になった部分をピックアップしてみたのだが、この内容だけでも不思議に思える部分がいくつかある。

これらの内容は全て「現在進行形」の出来事の一コマである事。

私が疑問に思ったテーマのの中心は「なぜ人間社会が存在するのか」「どのような目的であちら側が人類を管理しているのか」といった「起源」と「大局の目的」についてである。

その現在進行形の問題は解決方法という考え方では「手法」なので複数な手段は考えられる。

今回は、この進行形の出来事に対して出て来ている手法について掘ってみたい。


ここからは私の勝手な想像で、「そんな事が出来るのであればシリーズ」とでも題して書いてみたい。

人類を管理している立場であれば、闇の勢力と言えども例えば「日本の総理はじめ政治家」にプロ中のプロを送り込めば、経済関連の対策は可能なのでは?

官僚に関しても同様な事が言えるのだが、プロ中のプロも数に限りがあると言われてしまえば話にならないが。

全体性とシンクロ出来れば「宇宙のパワーを使って現実を変える事が出来る」という強力なパワーがあるのであればそうした人類を増やせば、何の問題も無いと思える。

「あちら側」が「管理」しているというこの「管理」とは、どの程度の影響力なのだろうか?

ここがいつも不明瞭なので、様々な事柄が皆あやふやになってしまう事が多い。

今現在の人間社会での考えを「あちら側」に当てはめるのもどうかと思うが、一応書いてみたい。

もし組織が不祥事を起こしたり、事件事故等の問題が発覚した場合、多くが「管理責任」を追及される。

もしくは更にその上「任命責任」が追及される。

こうした考えで見てみると、「管理出来てないではないか」という見方も出来る。

その程度の「管理?」とも思えてしまう。

また、人間に転生してくる「魂」に関して前回も書いたのだが、この転生に関して管理しているのはどこ?

「あちら側」の「光の勢力」も「闇の勢力」も我々人間からは見えないし見分けが出来ない。

唯一のチャネリングのメッセージでも情報を送ってくれる存在が「光」なのか「闇」なのかも判別がつきにくい。


スピリチュアルで言われている「源」という存在に関して。

「源」は全ての元でありここには「善も悪もない」「光だけ」と言われている。

今はこれまで言われてきた事を書いているだけなので、私がそう信じて書いているのでは無いという事を書き添えておきたい。

そして光の当たる所の裏側には「闇が出来る」、これが大きな「解釈」として言われている。

物理的にも現象として我々は当然の知識として分かっている。

ここにはその「光」と「闇」に意識体が「無い」と認識している。

この単純な現象が発展してきて今現在の「光と闇」の争いというイメージで人間社会が闇に覆われようとしているという。

これらに「意識」としての「意思」はあるのだろうか?

「何かの目的に向かって」という「意思」の存在自体に疑問も出る。

対象となる物体に一方向からだけ光を当てれば反対側に「闇」が出来る。

しかし反対側からも光を当てれば「闇」の領域は消える事になる。

「光と闇」という捉え方自体の「解釈」がどこか間違えているという事なのだろうか?


話を少し戻して「宇宙のパワー」について。

どういったパワーなのかまだ未知な部分なのだが、一つ言われているのが「現実を自由に動かせる」という事。

これは「引き寄せの法則」という事で言われている事と同一と思われる。

「イメージした事」を「現実に変えていく」。

今の人類は全体性とシンクロ出来なくなっているので、このパワーが使えないという事か?

パワーという概念は人類が持っている概念として様々な種類がある。

子供の遊びで「相手がいやがる」「水鉄砲」で「ぴゅ〜」と水を掛ける。

当然反撃する「水鉄砲」を持っていない子供は「きゃぁ〜」という事になる。

小さなパワーだ。

鉛玉が火薬で飛び出す鉄砲では人命に関わる事件となる強大なパワーであろう。

そのパワー合戦を行っていた戦争時代は、更に強大な「大砲」を生み出し、「マシンガン」も作り出した。

パワー競争の果て、核兵器まで行ったら、目立たない「細菌兵器」「情報操作」と種類も目的も様々なパワーがある。

果たして「宇宙のパワー」と呼ばれるものは、どういった目的に対してどこまでの力を発揮できるのか?

全体性とシンクロした人でないと使えないとされるこのパワー、これからか考えると「光」の側イコール全体性とシンクロした人なので「闇」の勢力では使えないと推測することが出来る。


一体いつ頃から人類は「闇」の勢力に浸食されてきたのか?

歴史として刻まれている中で「悲惨」な状態や「理不尽」な状態というものが無い時代は無かったと思われる。

こういう歴史を見てみると過去の人々も「全体性とシンクロ出来ず、宇宙のパワーを使えていなかった」という見方が出来る。


次回の万年さんへお願いするテーマがここでも出てきた。

いつ頃から人類の道がずれだしたのか?

本来今はどのような状態になっていてほしかったのか?

宇宙のパワーについての具体的な内容。


これは私がいつも思っている事なのだが、「悪」を撲滅したいという感情。

この「悪」というイメージの中には様々な状態があると思う。

その中でも平均的に思われる部分だけ取り出してみる。

「人に危害を加える人」「人の心を潰す人」「人の大切にしている物、心を盗む人」

といった事では大方の人が賛成していただけると思う。

では、これを上から順番に並べてみる。

[菩薩のような人]
[一般的な人]
[悪人]

この序列は例えなので、物の見方としてとらえて頂きたい。

世の中を良くしようという考えで[悪人]を減らそう、無くそうというのは対極として悪と思える存在があっての考えである。

ではこの[悪人]が根絶されたとしたら?

[悪人]の存在を知っていた人たちは安堵するだろう。

しかし人は環境に慣れる生き物、今まで眉をひそめてきた存在が無くなると、次には「今まで気にならなかった事」が気になるようになる。

「話し声が大きい」「マナーが」「口が臭い」「服装のセンスが悪い」まだまだ人によっては気にらない事もあるだろう。

世の中の最悪の事が、こういった今の社会では「些細な事」と見過ごされてきた事であるが「重要な事」に格上げされるのだ。

今まで議論の焦点が[悪人]に行っていたのが、重要な議題としてこれらの事を討論するようになる。

近所の公園を思い出してほしい。

数十年前には公園でキャッチボールをする子供、サッカーをしたり犬と散歩したりとほのぼのした空間であった。

今の公園には様々な「〇〇禁止」の立て看板で何も出来ない。

「キャッチボール禁止」「サッカー禁止」「ペットの散歩禁止」子供たちはキャッチボールすらやる場所が無い。

東京の小学校のグランドも遊具は学校が準備したもの以外は使用禁止で、常に監視員が見ている。

少年野球チームの子供は限られた時間だけ、使用許可をもらっている小学校のグランドでしかキャッチボールが出来ないのだ。

今の社会では先日の大阪の高校での体罰事件に端を発して、全国で体罰に関する「つるし上げ」のような状況が展開されていて、何でもかんでも教師が吊し上げられ、校長が謝罪会見を行っている。

これらの問題の根は深い。効果的な対策が無く、教育委員会はひた隠しに隠し、ことなかれ主義で逃げ惑う。

体罰を受けた生徒は教師の指示にまるで従わず、嘲笑い、バカにする。

団体行動が出来なく統率が取れない教師は困っているが、手は出せない、口では言う事を聞かない。

こうして社会が腐敗していく。

こういった現象は全て「闇の勢力」の仕業という事になるのだろうか?

つい社会批判が長くなってしまったが、スピリチュアル的に見ると成長してくる子供たちが既に荒れている状態を作れば、やがて大人になった彼らはどのような社会にしていくのか?

昔から「荒くれ」の子供がいたのは承知しているが、こういった「一般的な人」という人たちの目に「悪人」と映るような人たちは無くならない。

これらを根絶することもまた不可能であろう。

「光の勢力」「あちら側」「全体意識」と様々な言い方があるが、これら「人類を管理」しているとされる存在は今後どのような対策を講じて予定の軌道から逸脱した状態を「軌道修正」するのだろう。

もし本当にそのような事を考え、実行しているのであれば是非その「手法と方向性」を教えて頂きたいものだ。

そうすればこの人間社会に送り込まれてきた「プロ中のプロ」の存在を明らかにしてその人たちを応援も出来るのだろう。

しかし、それでは「あちら側」の存在が明らかになってしまうから「出来ない」と言われるのは見えているのだが。

現状一般人の我々にはどうする事も出来ない状況である。

実際に「光と闇」の勢力争いが行われていて、人類の闇の勢力を払拭し「本来の軌道」へ戻すという考えが真実であるとすれば今の社会よりはましになるのでは?と思ってしまう自分もいる。

是非「光と闇」の件は真実であってほしいと「願ってしまう」祈りの心境でもあったりする。

全面的にすがりつくという考えは現時点では無いので、出来る事は自力で行うが、「あちら側」にも頑張ってほしいものだ。



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(22:48)
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人間の体の特性なのか、「魂」が記憶として持っている特性なのか?

人の体はどこか故障すると、その機能を他の機能で補完しようとする。

脳の中で内出血や血栓等の影響で一部壊死などが起こり、機能が損なわれると周辺の脳がその部分をカバーするように発達する。

私も学生時代に事故にて両目が1か月ほど見えなくなっていた時期があった。

これは小説では無く、自分の実体験である。

当時中学生であった私は、事故の前まで当たり前に見えていた物が全て見えなくなった。

朝起きた時「明るい」といった光の状態はなんとなく分かるが、それ以外は全く分からない。

手探りで布団から出ると、さて「トイレに行きたい」。

自分のいる位置を探るために部屋のドアまで行き、位置を確認すると方角がわかり「多分こっち」といった具合で壁伝いに歩き出す。

足元に何か転がっていても分からない為に、すり足で歩く。

当然段差等に指が当たり「痛い思い」をすると、頭の中の地図に段差が記録される。

見えない代わりに、「足の裏の感触」「指先に触れる物の感触」「肌に当たる風の感触」「耳で聞こえる音」「伝わってくる振動」とこういった情報に全神経が注がれる。

それまで見えていた事で判断できた情報を、これらの感触で代用するために脳内で変換して自分の状態を確認しているのだ。

特に困ったのが食事である。

家族のサポートがあったから何とか食べることが出来た。

こうした不自由な状態で1か月程経過した頃には、「慣れたもの」であり、様々な事がかなりスムースに出来るようになっていた。

特に私の場合特徴的というか印象に残っているのが「耳」の発達であった。

事故以前には気にも留めていなかったと思われる「音」が見えてくるという感覚。

まあ1か月前までは普通に見ていた両親の顔であるが、見えなくなってからは「声」の様子で表情が想像できる感じであった。

その後、視力が回復してきて見えるようになったのだが視力の無い時期に「敏感」になったその他の器官は引き続き敏感なままであった。

視力は2.0まで回復したので、友人と会話していてもその「声」の調子から伝わる感覚にプラスして視力から入ってくる情報も併せると、「脳がとても疲れた」のだ。

それからは自宅にいるときや、特に「見る」必要が感じられなかった時などは「敢えて見ない」といった事で「脳の疲労」を抑えていた記憶が残っている。

あれから数十年が経過した今、突然ブレーカー等が落ちてしまい家中真っ暗になったりしても、その瞬間に中学生当時の目が見えなかった頃の感覚が蘇り、自分の中でスイッチが切り替わるのが分かる。

私の経験〜ここまで

レイ・チャールズというミュージシャンも子供のころ事故で視力を失った。


やはり視力を失うと、「音」に敏感になるといった話は多い。

こうした、どこか機能を損なった為に、他の器官が発達し「天才的」な事が出来るようになる事例は数多く報告されている。

しかし、生れてきてそう時間が経過してない幼い子供が既に天才的な事をやってのけるという事も多い。

例えば、5歳の子供とは到底思えないピアニスト。


他にも数多くある。

何の先入観も持たずにこの子供を見ていると、生れてから5年間にどれだけ教え込んでも出来る事では無いと思える事をやっている。

私の小学校高学年の子供もピアノを習い、練習しているがとてもかなわない。

自分自身もピアノに取り組んだ事があるので、その感覚から比較して見ても、比較する事自体無意味に思えてくるほど、こういった天才少年少女は凄い事をやっている。

テレビなどでも紹介されているが、コメンテーターが「こういう子供を見ていると、やはり生まれ変わりってあるのかな?とか思っちゃうよね」等と発言しているのもうなずける。

前世でピアニストであって、その音楽の記憶を持って生まれてきたと思いたくなるのである。

あまりにも一般的とされる子供とかけ離れているからであろう。

10年位前であったか、1歳未満の幼児から「天才教育」という事で、凄まじい速さでパネルを見せて何かを話しかける等の教室がありテレビで紹介されていた。

この時幼児は、その凄まじい速さでめくられていくパネルを集中して目で次々追いかけていた。

人の体は電気の反応で動く。

神経の中は「イオン」が駆け巡っているのだ。

その動きはトレーニングでかなり鍛えることが可能であり、それは若ければ若いほど効果も高い。

しかし、天才ピアニスト少年はその「単なる反射神経」だけでない「感情」による「抑揚」までも表現している。

これは、教えられて出来る事というより人生経験から意味を感じて出来るようになると思われているから不思議である。

これらの事を経験的に知っている大人が見るから「生まれ変わり?」と思えてしまうのだ。

長年続けているから達人と言われるような事が出来るのとは意味合いがまるで違う。


生れた当時の記憶を持っている人はほとんどいない。

稀に覚えている人もいる。

その事例として、生れた瞬間の記憶「ぶはっ!」(母親の体から出た瞬間)「寒!」

そして、「あれ?なんだ?うまくしゃべれない」「あ〜〜体が自由に動かない」

「お〜〜〜い!なんなんだこれ〜〜〜!」「うわ〜〜〜助けてくれ〜〜〜」

と本人は言っていたつもりだが、周囲には「ほんぎゃぁ〜」としか聞こえてない。

この事を鮮明に記憶している人がいる。

私の子供は母親の胎内にいたときの様子を鮮明に覚えており、「とても暖かくて赤くて安心だった」と言っている。

また、母親の胎内へ入る前の様子も記憶しており、自分の家を上から見ていたという。

こういった人々の記憶している内容というのは、全て想像の産物であると言い切れるものではないと思われる。

こうした事例の数々を総合的に見ると、「魂」が転生してきたという話を疑えなくなってくるのである。


これまでの探求でここまでは、あるであろうという事に疑う余地は少ないと言える。

今私の探求のテーマは、では人間は「完全に管理されているのか?」「どこまで自由度があるのか?」「現実社会の概念と霊界の概念が正反対を向いている理由」等が中心となっている。

この図にある「謎の世界」の構造と影響力である。

大前提は「霊界」のようなものは存在するとしている。

万年さんがチャネリングで、私の探索している方向性についてチャネリング等で霊界の方と通信してくれている。

この内容も「まずは全て受け入れてみる」といった姿勢で受け取らせていただいている。

そこからまた見えてくる何かが絶対あると信じているからである。

この不思議な世界の影響が人間社会にどの程度あり、どういった意味が隠されているのかが判明してくると「人としての生き方」の強力なサポートとなると思われるからである。

 


スーパー・ベスト~オリジナル・サウンドトラック:レイ
レイ・チャールズ
ワーナーミュージック・ジャパン

 

 

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(02:16)

2013年02月01日

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以前このブログで【公開質問】という形でチャネリングをお願いした万年さんのブログ。

ここに、非常に興味深い内容が書かれていたので、この内容を掘ってみたい。

「万年素人なチャネリング日記」

このブログ記事を読ませていただいて、私が非常に興味を持った内容について書き出してみる。

【その1】「あちら側」から人類は管理されているという以前のメッセージ内容であったが、今回は管理の度合いが非常に薄く影響力の形が違うように感じられた。

【その2】何かの大きな目的が「あちら側」にあるというのだが、その目標に向けての進み方に重要性が感じられない

【その3】「霊or魂」と「人間」との関係が1:1では無く、もしかしたら多:1の可能性も考えられるのでは?


今回はこの3点について掘ってみる。

【その1】について

つい昨日まで「チャネリング」という通信手段は人間にとって必要なメッセージを受け取れるというイメージが広く浸透しているように思える。

しかし、その一方低級霊や動物霊という名称で呼ばれている「悪意」がありそうな良からぬ意識体からも「騙し」のメッセージの可能性も指摘されていた。

今回のメッセージでは、人間が知らぬ間にメッセージで操られ「洗脳」される可能性も書かれていた。

そして、この「悪意を持った意識体」に操られないようにする為には、人間に活力があり充実している事が重要とされている。

これにより「悪意の意識体」は近づけないという。

こういった性質があるという事を知識として持っており、理解していれば対処できよう。

知らずとも経験則で、心に「隙」があるときは「魔がさす」という格言もある。

過去に、東京とニューヨークで行った意識調査の結果(もう随分古い調査だが)「正直者はバカを見るか?」という質問。

ニューヨークでは70数%が「報われる」と答えていた。

東京ではその逆で同じくらいの割合で「バカを見る」と答えていたという。

その頃からさらに不況は進み、ひどい経済状況で「バカを見る」と思う人は減っていないと思われる。

それは今現役の日本の総理大臣が「正直者がバカを見ない社会作りを目指す」と言っているのだから。

このアンケート結果から10年以上経過しているが、まだ解決されていない。

こういった生活環境で、充実して生々と暮らしている人の数は果たしてどのくらいいるのだろうか?

心が疲弊している人々が多い人間社会、「面白がって」いる「悪意の意識体」が操れる人の数はまさに「石を投げれば〜〜に当たる」という状態ではないか。

こういった状況では「霊界」から素晴らしいメッセージを送っても届かない。

「悪意の意識体」に洗脳されコントロールされているので「人生の運行サポート」も及ばないとなると、打開するには大変な事だと思われる。

人間社会は「霊界」に管理されているという事であったが、「管理」という意味が本来の管理とまで言えないのではなかろうか?

別な見方をすれば「人間社会が暴走している」という事も考えられる。

このような状況を是正するために何か方策を考えて対処しているのであろうと推測はしてみるが、そこは「大人の事情」で「管理運行」しているので人間サイドでは分からないといった所か。

これからの成り行きを観察する位しかないか。


【その2】について

これも【その1】の内容に重なる部分が大きいので、目的に対しては「あちら側」は苦労されているんだな、といった所だろう。


【その3】について

これまで、「霊界」とひとくくりで考えていたが、霊界からも周波数か何かが違うため認識できない「意識体」がいるという。

その認識できない意識体は人間に転生してくることはあるのだろうか?

人間を霊界から管理しているというエリアの「霊達」にも見えない存在がある、そしてそれらは「悪意」を持っているとすれば、人間に転生の可能性も「あるかも」といったレベルでも考慮しておいた方がいいかとも思われる。

これも「解釈」の結果なのだが、人間界に転生してくる「魂」にはそれぞれ目的と役割があり、前回のブログでも書いたように「悲惨な事件の犯人役」と「被害者役」と言った役割で人間界が運用されていると考えると、人間界から見る「悪人」「罪人」も役割であると見る事が出来る。

しかし、人間界を「あちら側」から管理している「霊界」からも見えない「悪意」のある「意識体」から人間へ転生してきた場合、「悪人の役」では無く「悪人そのもの」「被害者は予定外の理不尽」という事態に発展していくとも考えられる。

これは非常に重要な事であり、今後も検証していくテーマに加えておかなければならないだろう。


前回のスピリチュアルに「真正面」から挑むという記事で「岡ぴよ」さんから頂いたコメントに非常に興味深い内容があった。

彼のお子さんが4歳で亡くなるという事、それを知っており、その役割も知って、尚且つその後生れる子供の名前、誕生日、性別までも「岡ぴよ」さんと出会う前に予言していたという。

コメントで頂いた概略の内容なので、相当簡略化されており、私の認識がもしかしてずれているかもしれないが、そこはご容赦願いたい。

今回頂いたコメントは、まさに前回私がテーマにした事への回答であり、事実として起きたことと認識した。

こういった事象があるから、益々探索したくなるのである。

岡ぴよさん、本当に貴重な実体験を教えて頂き、ありがとう!

小説が出版されるのを期待しています。



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(02:42)

2013年01月31日

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ここの所スピリチュアル的な内容に対して、ストレートに受け入れてみる形で検証してきた。

今度は真っ向から疑ってみるという視線で検証してみたい。

不愉快に感じる部分もあるかもしれないが、検証という性質をご理解いただきたい。


精神世界←→現実世界

この両方の世界は対極の関係にあるように思える。

コメントでも頂いたように入り込み過ぎては現実の生活が崩壊の危険性ありという内容。

自分自身も一時期スピリチュアルの世界に入りすぎて、現実社会が色あせて見えてしまった事がある。

現実社会での問題の解決の糸口が見つからず、考え方がまとまらない状態が続き「その理由」を探る。

探っているうちにスピリチュアルにたどり着く。

すると、そこにはまるで違う「解釈」から「真実であると思えるような回答」が出てくる。

全く別の視点から、「その問題には理由があり、学びがある」と、こう来るのだ。

解決不可能であった大問題は実は「学ぶ為」に「霊界」から仕組まれた事であると。

さて、これで悩んでいた人は大きな岐路に立たされることになる。

「霊界」を信じて、「学びの為」という道を選択し、「理不尽を受け入れる」。

または、許せない事は自分の気持ちが収まるように「厳しく断罪する」。


極端な例として架空の話を展開してみる(事実ではないが、似たような事実は存在する内容)。

小説のノリで書いてみよう。

著者:四季

作山家 父:和夫 母:幸子 娘:美智子

とても平和に暮らしていた親子3人、大学を卒業した娘:美智子は父親:和夫から見て控えめに言っても嫁に出すなんてとても考えられないほど妻に似ていて美しい。

性格は明るく、慎ましく小ぶりな家だが、心の底から幸せに暮らしていた。

就職先も決まり順風満帆に社会人生活をスタートしてもうじき1年になろうとしている。

父:和夫も定年まであと少しだが、元気で働いている。

時々帰宅途中の駅で娘:美智子と一緒になり、妻:幸子に内緒でこっそり娘と喫茶店で甘いものを食べに寄り道したりしていた。

こうした時間が和夫にはたまらないのだ。

ある日、和夫が会社を出るとき娘にメールを入れてみた。

「美智子 今日は帰りにおしるこ食べていかないか?」

すると美智子からすぐ返事が帰ってきた。

「おとうさん、もう私駅に着いちゃったから先に帰ってるね(^^)/~」

ほんの5分ほどの差であった、和夫はちょっとしょんぼりして帰る事にした。

そのまま帰るのがちょっと惜しくなった和夫はいつもの喫茶店へ一人で行ってみることにした。

実は和夫にはもう一つ密かな楽しみがあった。

時々娘と訪れる喫茶店、そこで働く女性が実は好みのタイプなのだ。

まあ、お店に寄った時、オーダーを入れるときに交わすちょっとした会話程度で内心ドキドキしながら、しかしそれで十分満足しているというかわいいものであった。

この程度ならだれにでも心当たりのある事である。

「カラ〜ン♪、いらっしゃいませ〜♪」和夫のお気に入りの店員の軽やかな声に出迎えられ、少し元気を取り戻した和夫であった。

メニューをパラパラめくりながら和夫は時々店員の女性をチラリと見たりしては、またメニューをパラパラめくっていた。

今どき学生でもそんな事はしないだろう。

結局おしるこを注文し、一人でゆっくり食べていた。

そして満足した和夫は店を出て家に向かって歩き出した。

すると家まであと50m位の所にある公園に警察やら救急車やらが集まり大騒ぎになっている。

一体何事だ?

和夫は人ごみを分けて覗きに行ってみた。

周囲にいる人が「かわいそうにね〜」と口々に言っている声を耳にした和夫は隣の人に聞いてみた。

「一体何があったのですか?」

すると隣のおばさんが「えぇ、娘さんがね〜なんでも通り魔みたいなのに刺されたんですって〜」

「ぶっそうねぇ〜〜」「ほ〜〜んと」

救急車の方を見てみると、まだ中で処置をしている最中であった。

あまり中を覗くのも失礼と思った和夫はそのまま後ろに下がり家路につくことにした。

そして50mほど歩いて帰宅。

「ただいま〜」「あら、おかえりなさ〜い」明るい声で妻:幸子が迎えてくれた。

和夫は「おい幸子、すぐそこの公園でさっき誰かが通り魔に刺されたらしいぞ」「警察と救急車が来て大騒ぎになっているよ」

幸子「あらいやだわ〜、美智子大丈夫かしら〜」

和夫「え?まだ美智子帰ってないのか?」

幸子「えぇ、まだよ」

和夫「会社を出るとき美智子にメール入れたらもう駅に着いたって返事が来たぞ」

「もしや!?」

和夫は青くなり、そのまま家を出て公園まで走っていった。

まだ救急車がいたので慌てながら「すみません!すみません!」と人ごみをかき分けて救急車へ近づくと。。。

そこで処置をされていた女性は、なんとあろう事かわが娘、美智子ではないか!

和夫は頭の中でつい先ほどまでの事を思い返していた。

もし、あそこで邪な事を考えておしるこなんぞ食べておらず、まっすぐ帰っていたら。

もしかしたら、美智子に追いつき、助けることが出来たのではないか?

そんな自責の念に押しつぶされそうになりながら、酸素マスクを口に当てられ止血と搬送先の病院の手配をしている救急隊員に声をかけた。

「す、すみません、その子は、、、わ、わたしの、、、娘です」

救急隊員はテキパキした口調で「あ、おとうさんですか!こちらへどうぞ!」と言って、救急車の中へ案内した。

「娘さんのお名前は何と言いますか?」「作山美智子です」「はい承知しました!」

救急隊員は「美智子さん!美智子さん!分かりますか?美智子さん?」と盛んに声を掛け、美智子の右肩の辺りをぽんぽんと叩く。

和夫は、出血の激しさから意識のない美智子の、血がべっとりついた左手を握りしめ、力ない声で名前を呼ぶ。

和夫の頭の中は、あの時おしるこなんぞ食べてなければ。。。とぐるぐる回っていた。

その時、はっ!と思いだし、急いで携帯電話から妻の幸子へ電話する。

動転している和夫は自宅の電話番号が思い出せず、電話を持つ右手はガタガタふ震えていた。

やっとの事で電話を掛けることが出来、幸子が電話に出る。

幸子「はい、作山でございます」

和夫「・・・」言葉が出てこない。

幸子「もしもし?作山でございます、もしもし?」

和夫「さ、さちこか、、、た、大変な事になった」

幸子は、先ほど青ざめて飛び出していった和夫の姿を思いだし、凍り付いた。

幸子「どうしたの?ねぇ!もしかして?ねぇ!美智子は?ねぇ!なんとか言って!」

和夫「・・・すぐ、公園まで来てくれ、美智子が。。。美智子が。。。」

幸子はこの言葉を聞いて受話器も置かず投げ出して、裸足のまま公園へ走り出した。

救急車へ駆け寄った幸子が目にしたものは、酸素マスクを口にあてがわれ血だらけの服でベッドにぐったり横たわる美智子の姿だった。

次の瞬間、幸子はすーっと意識が遠のき、その場へ崩れるように倒れてしまった。

救急隊員が幸子に気が付き「奥さん!奥さん!大丈夫ですか?」と声を掛けるが返答が無い。

すぐに救急車に運ばれ、美智子のストレッチャーの隣のシートへ寝かせた。

そうこうしているうちに搬送先の病院が見つかり、向かう事になった。

和夫にしてみれば、妻と娘が救急搬送されるといういきなりの展開についていけず半ば呆然としながら美智子の顔を見つめていた。

どの位走ったろうか救急病院へ到着するや否や、病院のERスタッフが駆け寄ってきてストレッチャーを運び出す。

救急隊員から怪我の状態や生体反応等のデータをERスタッフへ伝える。

一気に騒がしくなり、何がどうなっているのか分からない状況で和夫は周りを見渡すと、隣には幸子も横たわっていた。

「おい!幸子!おい!」そう声を掛けられると幸子がうっすらと目を開けた。

「あれ?ここはどこ?あれ?どうなってるの?」

様子が理解できずぼんやりしていたが、救急病院の看板を見てハッ!と思いだした。

「美智子!!」「美智子は??」

うろたえる美智子を見て和夫は逆に冷静さを取り戻した。

「大丈夫だ、美智子はいま救急病院へ運んでもらって、治してもらってる」

「すぐ帰れるから安心しろ!」

と、全く根拠の無い励ましを幸子に言うと、二人で病院の待合室へ入っていった。

大丈夫だとは言ったものの和夫も様子が全く分からず、幸子と二人でベンチに座ったまま長い沈黙が続いた。

救急車へ乗った時間も分からなければ、病院についてからどの位の時間が経過したのかも全く分からず、それでも座り続けた。

幸子は和夫の左手をギュッと握ったまま、その手からは汗がしたたり落ちていた。

一般の人が誰もいない待合室は沈黙が続いた。

和夫は自分がおしること、あの店員の女の子に気を奪われてなどいないでそのまま帰っていれば、、、と誰にも吐露できない気持ちが竜巻のように心の中で暴れていた。

どの位たったろう?そして、遠くから何か聞こえてきた気がした。

ヒタッヒタッヒタッ、、、

足音のようである。

その足音に言いようもない緊張を感じながら和夫は「誰か来た」と思った。

恐る恐る顔を上げてみると、見たことのないドクターのような男性が近づいてきた。

「作山美智子さんのご両親ですか?」

それは、誰もいない待合室に静かに通る声で響いた。

和夫は「はい、そうです」と静かに答えた。

ドクターらしき人は静かで落ち着いた口調で「残念ですが、、、」と言う。

和夫も幸子も意味が分からない。

何も考えられずただ、じっとドクターらしき人の口元を見つめていた。

幸子が和夫の左手を握ったまま「み、美智子は?」と聞くと、ドクターらしき人がもう一度

「残念ですが、、、」

と繰り返した。

全然理解できない和夫と幸子は動かないままどうすることも出来ず、ただじっとしていた。

するとドクターらしき人は「こちらへどうぞ」と言って、半身を引いて右手を向こうへ差し向けた。

立ち上がろうとした和夫と幸子は腰に激痛が走り「うっ」と顔にしわを寄せたが、何とか立ち上がり導かれるままに歩き出した。

処置室まで案内されると、そこには多分美智子であろう人が白いシーツを掛けられ、寝ていた。

顔を覗き込んだ和夫と幸子は、静かに寝ているだけのように見える美智子の顔を見て安堵した。

「あ〜よかった〜静かに寝てるね〜」「よかった〜」「はぁ〜よかった〜」

幸子と顔を見合わせて、ようやく笑顔になった。

先ほどのドクターらしき人がそこで、邪魔にならない程度の声で静かに話し始めた。

「最善を尽くしましたが、残念ながらダメでした」「死亡時刻は午前0時21分です」

和夫と幸子は理解できない。

和夫が「あんた、何を言ってるんだ?美智子は寝てるじゃないか」

今度はその姿を見て冷静になった幸子が、和夫の左腕を掴みユサユサとゆする。

それに気がついて和夫が幸子を見ると幸子の顔はクシャクシャになり、目には涙があふれる寸前になっていた。

その顔を見た瞬間和夫は事の成り行きを理解し始めた。

(美智子はもしかして、寝てるんじゃなくて死んでるのか?)

和夫は「そうなのか?そうなのか?まさか!ほんとうにそうなのか??」と繰り返すと、幸子は美智子のベッドへ駆け寄り、美智子の顔を両手で包み大声で泣き始めた。

その声を聞いて、和夫は全身に鳥肌が立ちガタガタと震えだした。

もうどうなっているのか訳が分からない状態で、幸子の背中に手を置いて

「明日の会議は10時からなんだ、そして夕方から歓迎会があって夜は遅いんだよ。あれ?今度の土曜日の旅行はどこだっけ?あれ?そっか!ん〜?」

意味不明な事を言い始めた姿を隣で見ていた看護婦さんが両手で顔を隠して後ろを向いてしまった。


凄惨な現場である。。。


小説のノリでと書き始めたが、途中から書いている自分自身も鳥肌が収まらない状態になってしまった。

自分で書いていながら涙がこぼれそうになってしまった。


しかし現実には現場で事件が起きている時は、こういった状況になるのである。


こうした状況から和夫と幸子は立ち直れるのであろうか?

この後の事を考えただけでもどうにも出来ない気持ちになってしまう。


こんな悲惨な事件に巻き込まれた一家にどのような罪があるというのだろうか?


事件の様子を後から概略で聞いた人は、リアリティの無い情報だけが伝わる。

この後犯人が捕まらず、誰にやられたのかも分からない状態が何年も続いたとしたら、和夫と幸子はどうやって暮らしていくのだろう?

このような悲惨な事に巻き込まれた一家の出来事に「どのような学び」があるというのか?

「どのような成長のテーマがあると言うのか?」

「どんなカルマが影響したと言えるのだろうか?」

「幸せな環境にいながら喫茶店の女の子にドキドキした事が原因なのか?」

こういう状況で元気づける為の言葉等無い。

この出来事も全て決まった出来事だと言うのか?

生れる前から犯人役となる魂と被害者役となる美智子の魂がこのストーリーを計画していて、美智子の両親が悲惨な事件に巻き込まれるという設定で生まれてきたのか?

この事件をきっかけにして、ストーカー法を成立させるための役割を持って美智子の魂は生まれてきたのか?

これが霊界の大人の都合で行われた事件なのか?

恐らく、和夫と幸子を目の前にして「スピリチュアル的にこういった理由があったのですよ」と言える人はいないであろう。

地に足を付けて考えるという言葉の意味の一つとして、こういったリアリティな感情を交えてみるのもいいのではないだろうか?

この事件は「予定通りです」と平気で言う霊能者もいるので、とても人間的にも信用は出来ない。

これを読まれた方は、どう感じたのでしょうか?

何か一言でもコメントに残していただければ幸いです。




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(00:15)

2013年01月30日

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このブログで知り合いになった万年さんが、前回に引き続き2回目の質問チャネリングを行ってくれました。

内容はこちらをご覧ください。
「万年素人なチャネリング日記」

万年さんありがとうございます。


全体の印象から感じた事、やはり人類は「あちら側から管理」されているといった内容でした。

そして「大人の事情」ともあった。

視野が広がって、比喩した説明が不要な位意思が伝わるようでは人間として生きていないとも。

前回の内容と今回の内容も合わせてみると、「成長」「学び」が必要な段階に人類があるといった所か。

人間社会で考えてみると、この人類が生きている空間は「あちら側」から見れば「学校」のようなイメージに聞こえる。

人間社会の学校では、「目標」があり、「校則、規則」があり、「指導者」がいる。

様々な指針が存在し、その精神を踏襲して成長する。

大阪の問題となっている高校のように人間社会でも「間違えとされる指導者」は存在する。

また、教師単独でなく学校単位や、部活単位等様々なグループごとに「常識」が違っていたりする。

このグループ単位で報道されるような大問題が発生しなければ、その「常識」は「正しい」とされ受け継がれていく。

「あちら側」から見た学校のような存在の人間社会には、指導者はいない。

実はこの人は霊界からの使者で指導者なんだよ、と言われている人は存在している。

しかし、そこに確信が持てないからこうして探っているのだが。

これまでのスピリチュアルの話が正しいと仮定して、「霊的成長」「我を捨てる」とされている。

しかし、人間社会はそれとは全く反対の方向へ向いている。

今の人間ではそうしないと生きていけないからである。

もう既に生涯お金に困らない人はまるで別の生き方をしていたりもするが、えてしてそうした人たちには深刻な悩みは無かったりする。

その昔宗教団体の方が、「そうして溢れるほどお金を持っていると霊的に成長出来ない、だから我々は今お金を持ってはいけないんだ」と言っていた。

そう言って40歳を過ぎて独身でも毎日朝晩と凄い速さでお経を読んで、毎日宗教団体の活動を行っていた。

それはその人の生き方なので、何も問題は無いのだが、そこへ私に入れとしつこく勧誘してくるので困っていたのだ。

結局、「学び」にしても「成長」にしても全て「心の中での事」なので、目に見えない。

進む「べき」方向、あえて「べき」を強調したが、〜「すべき」という概念は霊界には存在しないとされているが、どうであったかな?

「学び」や「成長」についてスピリチュアルで様々言われているが、ここに確証が持てないし目的が分からない。

「学校」という位置づけにしては難しい環境の中に我々は生きている。


「大人の事情」

気になる。。。

人間として生まれてくるには「魂」が転生してくる。

そして「霊界」の記憶を「消して」くる。

その時「魂の中には目的が埋め込まれている」。

実は人間社会は、そういった事情の為何度でも転生してやり直しが出来る、という事実(仮定)を人間に完全に知られてしまうと、人間社会では「自殺者」が一気に増えてしまう可能性が考えられる。

前回の万年さんへお願いした時、「実は私は答えを全て知っている」という返事を頂いている。

そう、知っているのだ。

それを敢えて忘れて転生してきた。

私も学生。

答えを全て知っていては「新たな経験」として「新鮮な気持ち」で経験することが出来ないからなのか?

この辺りのもっと細かく複雑な事情がありそうなのだが、この辺りを指して「大人の事情」といった表現になっているのか。

しかし、全て答えを知っている「魂」がなぜ、何を学ぶ必要があるのだろうか?

「魂」も知識として知っているだけではなく、新たな気持ちで経験する事が必要?


学生時代に私はギターを演奏していた。

ライブ等で、アドリブギターソロの時、自分の感情が盛り上がっているその時、「思いもよらないソロ」を演奏する時があった。

後で録音を聞いてみても、自分でどう弾いたのか分からない。

自分で自分が演奏したソロをコピーしたりするという事もあった。

演奏している瞬間はリズムに乗って、その瞬間に勝手に指が動いているのだ。

ギターを演奏した人たちならこの感覚を分かっていただけると思う。

この時の感覚はもしかして、チャネリングと同様な現象が起こっていたのか?と思う事がある。


チャネリングというテーマからスピリチュアルで言われている事で私に知識として入ってきた事柄を探ってみた。

「あちら側」は物質的にどのような物かは置いておいて、何かしらの存在があるように思えてならない。

こういった感覚ははるか数千年前の人類が既に持ち合わせていた感情である。

未だに解明できない。

万年さんが聞いてくれたチャネリングでのメッセージからは、新しいキーワードがいくつか出てきている。

1.「我がという感覚で世界を支配する時代は終わった」

2.「我を捨てる事が出来れば宇宙のパワーを使える」

3.「チャネリング等は通信手段、誰でも出来るようになる」


1は時代が数十年経過してみて、やはり変化してきたね、という状態になるまで時間の経過が必要

2.3.に関しては、自分自身での実戦で確認することが出来る。

実践してみることにしよう。

宇宙のパワーを使える(現実を自由にあやつれる)というのは「引き寄せの法則」の事を言っているように感じる。

チャネリングは練習してみる。

頭で考え続けても答えは見えてこないと思われるので、出来る事は実践してみる。

「引き寄せ」に関しては、結構出来ているように感じることがあるので、精度を上げてみる事、もっと法則に関しての調査が必要である事に注意して取り組んでみる。

チャネリングは、「瞑想」を行う事によりそこから実践してみる。

これら実戦での変化や気づいたことがあれば、このブログでご紹介したい。

万年さん、ご協力ありがとう。

今後も万年さんの視点で問いかけを続けて頂ければ、それを参考にさせて頂きたいと思います。

また、新たな質問がまとまったらチャネリングお願いします!




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(01:29)

2013年01月28日

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スピリチュアルの様々な矛盾に対して疑問を持ち続けながらも、スピリチュアルを否定したくないという思いもあり探求を続けていました。

このブログで知り合った万年さんのご協力を得て、公開質問という形でチャネリングをお願いしたところ、回答を頂くことが出来ました。

私からの呼びかけに万年さんが丁寧に質問をしてくれ、それにメッセージを回答していただいたので非常に感謝している。

今回は、この回答の内容から探ってみたいと思います。

チャネリングで頂いた回答はこちらをご覧ください。

「万年素人なチャネリング日記」



コメントで頂いたチャネリングの「・・・じゃ」という語調の指摘、本当に多いと私も感じていました。

イメージからすると爺さんといった感じであろうか。


そしてメッセージの内容全体について。

これも数々のチャネリングの内容に共通して言える傾向があった。

質問に対しての回答が、直接ではなく何か別な事を多数付加され、そして質問で返される。

この傾向は、他のチャネラーの方もほぼ同一な回答形式である。

このメッセージ形式で受け取ると、理解できたような、なんとなく煙にまかれたようなといった感じを受けるのだ。

そして常に上から目線で、何かニヤニヤしながら楽しんでおられる様子。

これがいいとか悪いとか、信憑性がとかの話でなく「傾向」がという事でご理解いただきたい。


メッセージの内容について。

万年さんの頂いたメッセージの中で、全体性とシンクロするにはまだ早かったのでチャネリングに「戻した」とあった。

この事から私は、チャネリング能力は「あちらがわ」からの「選択」にて行われているのでは?と思ったのだ。

しかし今回はチャネリングなどは簡単、と書かれており、もしかしたらもう既にメッセージを受け取っていたとしたら驚くか?ともある。

スピリチュアルの話では、全ての記憶は自分の中にあり、思い出せないだけ。という事が言われている。

「全体性へのシンクロからチャネリングに戻された」
「チャネリングは簡単で誰でも出来る」
「自分で情報を引き出せばよい。」

この3つの文から、チャネリングは全体性との「単なるコミュニケーションツール」であり電話やメールのようなイメージ。

「全体性とシンクロ」という事は、何か媒体を介してではなく現地へ行くといったイメージと考えることが出来る。

なので、シンクロから格下げされた場合は、通行許可証が無く、電話やメールでのやりとりのみ可能といった所か。

1998年頃の人間社会では電子メールはまだ一般的では無く、半角カタカナでは文字が化けてしまうなどシステム側にも未発達な部分があった。

2013年の今では電子メールは一般的にだれでも使えるし、環境も、人々の使い方の知識も普及しているから通信手段として確立されている。

チャネリングという手段は、この電子メールのような次世代の通信手段というイメージと考える事は出来ないだろうか?

今はまだ人々が使用方法も分からず、そのような通信手段がある事すら知らない。

人間社会に置き換えると、こういった位置づけで考えることが出来るであろう。

また、「すでにメッセージを受け取っているとしたら驚くか?」の部分であるが、これはスピリチュアルの世界で盛んに言われている。

何気なく心に浮かんだこと、どうにも目についてしまう言葉等はメッセージである可能性が高いと。

しかしこれがどういったものなのか理解しにくいし、自分の思いすごしとどう違うのか等判別できにくいから探求しているのだ。

「こちらがわ」ではこういう不安定な状態なので、何とか確証を得たいと思っている所なのだが、ここで「信用しろ」という言葉では判断を誤ることがあるので慎重に行きたい。


〜〜〜〜抜粋〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

純粋な疑問は全体性からもたらされたものじゃ。
その過程が大切ぞ・・・
体験によって、答えを得る・・・
チャネリングによって答えを得る・・
みな同じじゃ・・・・
そうして、学びを行っておる・・・

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「純粋な疑問」これはスピリチュアルに疑問を抱く人にかなり多いのでは?と推察する。
私も単純に疑問が多く、それが積み重なりブログに書いてみようと思い、頭で考えるだけより文章に起こすことにより明確に整頓してみたいと思っている。

これは「純粋な疑問」なのだろうか?

純粋なのであればこれは「全体意識」から送られてきた考えで、元々答えを知っている私が、忘れているだけであり、何かの目的のために思い出そうとブログに書いているといった流れか?

ここが疑問の焦点なのだ。

「知っているのにわざわざ忘れて転生してきて、思い出す作業が必要となるのか?」

今回のメッセージの内容では、それぞれの人全てに「転生の目的」があり、不自由な肉体から「その気になればすぐ覚醒する」そして「正しきルートに戻す」とある。

これは地球上に生まれた人間としての肉体にある「本能」から発達した「意思」は「全体意識」の一部では無く、全体意識から分離した「魂」が人間の意識へ繋がり、そこで何かを学ぶという読み取り方が出来る。

全体意識は、全てを知っている唯一無二の存在である「源」とも呼ばれている。

一部では「源違い」とかの表現もあるが、これは意味不明であるから除外しておく。

全体意識というものを人間の知識では、まだ正確にとらえることが出来ていないので理解が浅いと思われる。

そうでなければ、全体意識から「分離」した「魂」には全体意識の全てがあるのでは?と思ってしまうからである。

その全体意識の出先機関である「魂」が何を学ぶのか?

人間の持っている「意思」を成長させる手助けをしているというのであればまだ納得は出来るのだが。

また、肉体に宿るのは「魂の隠れた性格をあぶりだす」ともある。

全体意識から「無垢な魂」が生まれてくると考えた場合、人間の意思と共に成長し、輪廻転生を繰り返し「魂」が成長していくという事か?

やはり「全体意識」とそこから分離したと考えられている「魂」という存在について我々人間はまだ知識が足りないのだろう。

この事は次回の質問のテーマにしてみたい。


「我」の無い人が世界を動かしていく。

日本の戦国時代の武将たちは「やぁやぁ我こそは・・・」と名乗りを上げて戦っていた。

そのような時代は終わったとある。


肉体に感謝すれば、それぞれの特徴のある所が進化するともある。

「そうなんだ」としか言いようがない。


そして「我」をなくしていけば「宇宙のパワーを利用できる」という。

思い通りに現実を変化させていけるともいう。

これに関しては実際の現場で私も実感している事なので、非常に納得である。

通常では考えにくい状況も、なんとなく思った方向へ流れていく。

そしてそこには全く無理が無い。がむしゃらな頑張りも不要である。

こういう現象を「引き寄せの法則」というのであろう。

この辺りは納得できる内容である。


「全体意識」「霊界」「あちらがわ」と様々な呼び方をしているが、その全体意識側でも「弱肉強食」の世界が繰り広げられていると書かれている。

肉体が滅んで「霊体」になっても骨董品とも言えないガラクタは廃棄、切除されるという。

そうなのか、肉体でも霊体でも生き残りをかけて必要な事があるという事なのか。


今回、初めての公開質問とう形で試行してみたが、効果はあったように感じる。

メッセージを鵜呑みにしないという前提で中立的に見てきたつもりである。

そしてご協力頂いた万年さん、ありがとう。

連続してチャネリングをお願いしていると収拾がつかなくなりそうなので、ちょっと間を開けてまたお願いしようと思う。

まだ、もう少し掘ってみたい部分があるのでその時にまたご協力をお願いしたい。




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(22:23)

2013年01月27日

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このブログにて知り合いになった「万年さん」というチャネリング能力のある方が、スピリチュアルの世界の疑問探求に協力していただける事になりました。

この万年さんのブログ記事をテーマに探ってみたいと思います。

「万年素人なチャネリング日記」

あまり一気に質問攻撃してもよくないと思うので、少しづつ丁寧に探るために少ない質問で始めてみたいと思います。


まず、このメッセージを読ませていただいて全体的に思った事。

それは、「自我」という意識に関して「全体意識「ハイヤーセルフ)」は、全体意識の管理「外」として話を進めている点が気になりました。

やはり私が仮説したように「2つの意識を同時に併せ持つ」といった感覚なのか、それに近いイメージと思われました。

そして、「刺激を与えるつもりが囚われてしまった」という文面から、前回の私の例えで書いた「猿山」の管理のイメージ。

そういった環境下で、万年さんは「霊的試験不合格」とタイトルを付けられているように、「あちらがわ」から試されている様子。

「アカシックレコードと一体化するにはふさわしくない」という流れからすると、やはり出てくるのは「何かの修行」といったイメージが出てきます。

やはり何処か「目指している所」があるといった感じです。

「自我」という意識に対して、固い殻のような物という表現はもしかしたら、私の考えている「意識」とはずれがあるかもしれません。

以前、アメリカのスピリチュアルで有名な方の発言で「人類はニュータイプが生まれてくる予定であり、そのニュータイプは食事がいらない人間である」といった内容。

私がこのブログで仮説の中で書いた、本能的に肉体を維持するため「食料」が必要であり、それを得るために争いが続くという内容なのだが、このニュータイプの食事がいらない人間が生まれてきた場合、根本的に考えが変わると思われる。

インドに食事を一切取らない「Prahlad Jani」さんという70歳の方がいて、ニュースで話題になった。



今後生まれてくると言われているニュータイプの人間の先駆けだろうか?

こうした人が増えてくると、社会構造が大幅に変化してくるというのは想像に難しくはない。

そして、チャネリング能力も今現在ではまだ一部の人のみである。

万年さんへのメッセージを拝見していて、チャネリング能力や全体意識へのアクセス、情報の引き出しが少しばかり出来るからといって、という所がある。

全体意識としての方向性は「宇宙を元の軌道に戻すこと」と言われていた。

これらの内容を踏まえて今回質問してみたいと思う。



1.元のあるべき姿へ戻そうとする時、霊能力やチャネリング能力といった事はなぜ一部の人だけなのだろうか?
 何か理由があっての「選択」なのか?

2.「学び」が必要という事であったが、やはり全ての人間の「魂」に何かを学ぶ「テーマ」があるのか?

3.「高次元にシンクロ出来なければ、古いタイプのチャネリングのまま」という事から、チャネリングすら出来ない人間は骨董品レベルとうイメージでしょうか?


と、まずは基本的な事について、もし回答を得られれば嬉しい限りです。

そして、万年さんのハイヤーセルフの出来る事、出来ない事、やらない事、等が分かるといいですね。

例えば、このブログを書いている私と万年さんはお互いにコンタクトできる手段が、このブログしか無い事。

ハイヤーセルフが私の連絡先を万年さんに伝える事が出来るのであれば、新たな展開が生れるように思います。

勿論「自我」の欲求では答えてくれないとうスタンスを理解しているので、この連絡先を伝えるという手段が、何かしらの「試験」におけるカンニングのような行為にハイヤーセルフは加担しないと理解しています。

こういった繋がりが出来て万年さんとコンタクトが取れる事も何かしらの「縁」があると思っています。

何らかの理由があっての事だと思うので、この「縁」を大切にしていきたいと思います。

万年さん是非よろしくお願いいたします。




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(17:44)
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このブログを書き始めてコメントを寄せて頂いている万年さんのブログを拝見していて新たな疑問が湧いてきました。

ここでの質問に是非答えて頂ければ、ブログ同士の公開質問という形で新たな展開が出来るのでは?と思いました。

いかがでしょうか?

「万年素人なチャネリング日記」

もしよろしければコメントにお返事を頂けないでしょうか?

 

 

 

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(12:13)

2013年01月26日

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前回、全体意識に人間の未来は全て管理されているという場合について考えてみた。

今回は人の「自我」と「全体意識」が混在しているとして掘ってみる。

人類は人類として「食料」をキーワードとして「自我」を発達させてきたという考え方がある。

地球上の数ある生物の中で、人類という種族が他の動物から抜きんでて文明を発達させてきた。

そのきっかけを「全体意識」が作ってきたと考える仮説をもとにしてみる。

スピリチュアルの世界で言われている内容で、「他の惑星」というキーワードがある。

他の惑星でも知的生命体がおり、その発展には「全体意識」が後押ししているとう。

そして、「魂」と呼ばれる「個」の霊は一人ひとりの生命体に重なり、人生を経験していると考えられている。

万年さんのチャネリングでも、他の惑星の生命体への転生実験という言葉があった。

そう、地球と言う惑星の生命体も他の惑星の生命体も物質的社会の実験という考え方。

この実験という考え方が今回はしっくりくるので、これをテーマの一部に加えてみたい。


日本史でも有名な「豊臣秀吉」であるが、この母はある日「燃え盛る日輪が落ちてきた」のを見たという記録がある。

そして1月1日に秀吉は生れるのであるが、それまでの日本社会は荒れにに荒れた状態が100年も続いてきた。

その社会をまとめる為の役割を持って強烈な魂が降りてきて日本を統一し、戦乱の世を治めていったと考える事も出来る。

全体意識という霊界には時間とう概念が無いと言われている。

人間には時間と言う概念があり、その感覚を自然にカウントしている。

だから100年もの間、という見方が出来るが、霊界からしてみると100年も一瞬も変わらないというか違いが無い。

人類の状況を見て、荒れているから次には統一させてみよう。

という全体意識の目的があった可能性もある。

人間は全体意識から「全て」管理されているという前回のテーマでは不自然な事が沢山あった。

人間社会を全体意識が見るという姿を人間社会に置き換えてみよう。


動物園で暮らしているサルを管理する人間。

動物園という「擬似的に作り出した野生の環境」の中でサルたちが生きている。

ここを管理している人間は、より自然に近い環境でサル達が暮らせるように日々手入れをしている。

勿論サルとは言葉が違うため、人間の言葉を完全にサルは理解できない。

しかし管理人である人間に怒られると「何かまずい事をしたかな?」という「感覚」が伝わる。

管理人はサルが大好きである。

そのサル達に向ける瞳には「愛」が満ち溢れている。

サルにはサルの社会があり、群れを作りボスがいてそれに従う仲間とで秩序が保たれている。

しかし管理人はサルがその猿山内での行い全て「一挙手一投足」全てを管理は出来ていない。

ケンカするサル達も遠目に見ているだけ。

そして個々のサルの「性格」を把握したり、猿山内に新しい遊具を置いてみたりと日々試行錯誤もしている。


この姿、全体意識が管理する人間社会という見方と重なるとは思えないだろうか?

大局的に見ている全体意識は、個別の一人ひとりの思考や行動まで全て管理しているのではなく、大局的な流れは促しているのでは?

秀吉のように大きな目的を持って転生してきた魂には「明確な目的」があるので、それを邪魔する事は極力避けるように全体意識側からサポートされる。

また、社会を形成するのに必要である「一般の人」も当然必要である。


では一般の人はどこまでの「目的」を持っているのか?

この辺りからあいまいな部分が多数出てくるのだ。

全体意識からサポートされる人、一般人としてその他大勢でくくられる人。

言葉に変換して感覚的な事を表現するのは非常に難しいのは、書きながら実感している。

立体的に様々な事が構築され、影響しあっているように感じられる。

このブログで探求しているのは、個々の人、一人ひとりにどこまで霊界からの影響があるのか?という部分なので、この辺りが非常に重要なのである。

映画を制作する時にも「エキストラ」は必要であり、映画制作時には個々のエキストラに細かい指示が出るときもあれば、みなさんこんな感じで動いてくださいといった大まかな指示の時もある。

こういった感覚が全体意識から管理される人間社会にも同様に適用されると考えると、人間一人の人生にも詳細な支持(目的)がある場合と、無い場合が考えられる。

こうなってくると、スピリチュアルという見方で全体を見渡した時疑問の原点に帰ってしまう。


霊界からの管理指示等が「明確にある人」「ある程度ある人」「何もない人」では、どうやって自分の役割を確認するのか?

霊能者に聞いてみるしかないという原点回帰なのだ。


しかし別の見方をすると、「人生にはかなりの自由度がある」という見方もできる。

そして全体意識と繋がる人々はどこかで意思疎通が出来る。(人の認識としては実感できなくても)

すると、霊界や人間界自然界にも「法則」があり、この法則を理解して活用すれば目くらめっぽうに行動するよりは「成果」に繋げる事が出来る可能性が出てくる。

ここで思い出されるのが「引き寄せの法則」である。

私が沢山の疑問の起点となっているひとつがこの引き寄せである。

人生が決まっているのであれば、自分の希望を引き寄せる事は意味のない事であると思えた。

しかし人生にかなりの自由度があり、霊界からの影響も目的が違うとすれば引き寄せという事は非常に意味のある事だと思える。

そして以前仮説として書いた「人は2つの意識を併せ持つ」という考え方。

人間の本能とそこへ追加発達してきた「自我」による人間社会の構築、この目的は「食料」であり「子孫繁栄」であり「住居の確保」でもあった。

この欲を満たし、これにより得られる「幸福感」を追求するために「引き寄せの法則」が「法則」として活用できると考えられる。

また「霊の意識」としての欲とは「全体意識への回帰」であり、これにより得られる「幸福感」であると考えられる。

肉体の生存に興味の薄い「霊体」の意識としては「全体意識」は「故郷」であり人間的に言うと「愛に溢れた母親」でもあると考えられる。

こういった見方をしてみると、これまでスピリチュアルで言われてきた言葉、「愛」という感覚も辻褄があってくる。


どのような理由で人間に転生してきたのか、それぞれ目的も違うだろう。

早く全体意識へ帰りたいと思う「魂」もいれば「明確な目的」を持ち、「使命感に燃える魂」もいるであろう。

これまで人間社会では様々な研究が行われ、法則を見つけ出してきた。

そして見つけ出した法則を活用し、社会が発展してきた。

スポーツ競技でも、「絶対勝つ!」と力んだ状態より「リラックス」した状態の方が肉体的な実力を」発揮できるといった法則を活用し、記録を伸ばしてきた。

「引き寄せの法則」もこれまでの経験から「もしかして?」となんとなく気づいた事をまとめて出来てきたのであろうと思われる。

理論として確立されたものでない状態なので、各個人がそれぞれの経験により感じたことが広く伝えられてている状態だ。


これまでの探求で、個々の人全ては霊界から全てを管理されているのではない。

かなりの自由度があり、その目的も様々。

自分の人生という事で自由に楽しめる範囲が広い。

といった部分に到達しつつある。

「引き寄せの法則」で願っても、もしかしたら自分の転生してきた目的に反するものであれば願いは叶わない。

自分の人生の目的とは関係ない所であれば「自我」の欲する目的には「引き寄せの法則」は作用する。

こう考えると、かなり人と全体意識との関わりについては自然に感じることが出来ると思われる。

不自然であったりどこか腑に落ちないという部分が無いのだ。

私自身もここまで文章として書き残してきて、疑問と思われる部分の整理が進んできた。

しかし疑問の対象としている全体意識の世界はまだ広いので、探求は終わらない。




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(17:10)

2013年01月25日

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前回全体意識に感情はあるのか?という事について考えてみたのだが、ここで、解決できないであろうという部分とそうでない部分を整理してみたい。

<解決できないであろうと思われる事>

・宇宙の始まりと全体意識の始まりについて

・全体意識の構成や目的

<追求できるであろう事>

・人類と全体意識の関わり方

・人間の意思と全体意識の比重

・「霊的意識」と「自我」の主導権


解決できないであろうと思われる事に関しては今すぐの解決は無理でもいつかは解決出来る日が来ると思いたい。

追求できるであろう部分が人間にとってスピリチュアルとの関わりで大切な所であろう。
スピリチュアルの事をよく分からない状態で信じすぎてしまうと簡単に騙されてしまう事になるという事はこのブログを読まれている方々にはご理解いただけてきたと思う。

まるっきり全てを否定される方もいることは確かな事だし、その考えも否定はしない。

私は「霊的意識」のように名前を付けて呼んでいるが、これが絶対存在するとも言い切れない。

こういった目に見えない世界の事を追求している場合、霊能者と呼ばれるような方々の「霊感」によりメッセージを受け取った内容が、全て正しいと信じ込むのもよくない事である。

これは霊能者として職業にされている方も特別な事でなく、ある事なので気を付けて欲しいと助言している。

こういった現状でもやはり「不思議」と思われる現象があるので、この理由を探っているのである。

そして何より人間と全体意識、この関わりとどの位の影響力を持つのか?この部分が今一番必要と思われる情報ではないだろうか。


私には「霊」とのコミュニケーションが直接出来る能力は無い。

「声」も聞こえたと思える事があるという位で、本当に「霊」の声であると確信が持てる訳でもない。

姿も見えない。

しかし、「霊」とう存在があるという事を前提に考えなければ理解できないような事象に出会っている。

そしてスピリチュアルに興味を持って霊能者と呼ばれる方々とお会いして、話を伺うと、まるで人間の存在から人生、将来の出来事等の全てが「霊界」で決めてきた事であり完全に管理されているような説明が多いという事に疑問が尽きないのである。

ある霊能者の方は、将来出会う人は全て決まっており、出会った後に会話する言葉まで全て決まっていると言われる。

また、別の方は要所要所の出来事は決まっているが、それ以外の事はフリーであるとも言う。

またまた別の方は、ストーリーはいくつも選択肢があり、どれを選択するかは自由であり、今世でやりきれなかった内容は次に転生した人生でやるとも言う。

共通している内容は転生して来る前に「自分自身で人生の出来事やストーリーを決める」という事である。

交通事故で重傷を負い入院している人に関して、その人は予定通り事故で負傷したと霊能者は語った。

「予定通り??」

離婚するために結婚したという人もいるとう。

そしてそんな家庭に生まれるという経験を希望した霊がその家に子供として生まれてくるともいう。

こういった説明をはっきりと言葉にして霊能者は説明するのだ。

そしてその後、予定通り交通事故に会って負傷することにどのような目的があるのか聞くことは出来ませんか?

と質問すると、霊能者は「いや、あの説明はそういう意味では無くて・・・」とほぼ必ず意味が違うと釈明をするのである。

ではいったいどのような意味ですか?と質問を重ねると「そんな人の人生の計画を聞いてどうするのか?」と強い口調で言い返される。

単純に疑問であり、そういう内容を説明する霊能者という「能力」を持っている職業の方にお金を支払って質問すると明快に答えてくれない。

回答出来るのは霊能者だけしかいないし、その能力でお金を稼いでいるのにである。

怪しい臭いが漂い始める。

これは私が出会った霊能者の事例であるので、全ての霊能者がこうであるという事では無いであろう。

と思いたい。


こういう不安定な情報をもたらす霊能者が数多く存在して、「人生は霊に左右される」といった内容を広めている状態が今の現状である。

そうすると本当に「人生を左右されるのか?という事が気になる。

そして「どの程度左右されるのか?」という事である。

60億人以上いる人間の数からすると、100%左右される人、ある程度左右される人、ほとんど左右されない人全てが存在すると言われるのが落ちでありそうだ。

それならそれでも構わないのだが、このブログを読まれている方も思うと思うのだが、「では自分はどれ?」であろう。

100%左右される人なのか、そうでないのか?

これが分からなくて、そしてそれを鑑定する事が出来ると看板を上げているのが「霊能者」という事である。

しかし残念な事に未だに霊能者の方々は「同じ私」を鑑定しても違う答えを出すのだ。

そして他の霊能者の方の発言内容を「違う解釈」で説明する。

分かったような煙に巻かれたような。。。である。

これでは霊だけでなく霊能者にも振り回されてしまう。

現時点で総合的に考えて「金銭の絡む鑑定には真実は見えない」という結論に達し、有料鑑定を行う霊能者への訪問はやめたのである。


私の子供は生れる前の記憶があったという事象がある。

生れる前のどのような所にいて、何をしていたのかはっきりと覚えていた。

そして霊能者が言っていたような「自分の人生をどうするか自分で決める」という事は一切無く、別の人の指示によって生れる家を指定され、そこへ生まれてきたという。

また、別の人は霊能者に「あなたの人生は何の目的も無い、ただ単純に人生を謳歌する事だけです」と言われたという。

この人生を謳歌するだけですと言われた人は、人生に困ってもおらず本当に幸せな環境で幸せと思いながら暮らしている時に言われたという。

こういった様々な回答があり、「人生を霊に左右される」という事に関してもそういう人もそうでない人もいるという状態で考えてみると、では私は?となるのは当然であろう。

たいがい霊能者に相談するというのは困っている時であり自分で判断出来ないし、理不尽な状態の理由を知りたいと思っている事がほとんどであろう。

そして困った状況を打開もしくは回避できればそれでいいと言う事でもある。

私の場合、ではどの程度「霊」の世界からの影響力があるのか?という疑問が消えないので未だ探っている状態である。


客観的に見てみると、人生も未来も100%決まっているという状態が全人類である。と考えてみると、これがもし真実だと判明した場合、自分で物事考える事が無くなっていくのではないだろうか?と思う。

そう思う事も全てシナリオ通りか。

アメリカでの昔の実験で、200名の人を100名ずつのグループに分けて実験したという記録がある。

朝起きる時間から寝るまでのタイムスケジュールを全て決められているグループを「Aグループ」とし、何をするのも自由というグループを「Bグループ」としてある特定のエリア内で生活してもらった。

Aグループは規則正しく起きて、食事を取り掃除をして作業を行う、まるで刑務所である。

Bグループはおきたい時間に起きて、空腹になると食事をし、娯楽はやりたい放題。

最初はBグループも盛んにスポーツをやったりチェスやトランプ等で楽しんだ。

時間の経過と主に変化したのはBグループで、娯楽はだんだん飽きてきて、何もしなくなり、最終的にはBグループは「寝ているだけ」の状態になったという。

Aグループはずっと同じ生活を続けており、変化が無かったという。

豊富に食料があったおかげでBグループに争いは起こらなかったが、もし食料が無ければどうなっていたのか?

スポーツや娯楽で勝敗を決めて、食料を分けたり、強い人に食料が集まったりしたのではないかと思われる。

まるで社会主義と資本主義の実験のようである。

また、別の実験で刑務所の「囚人」と「刑務官」の役をやってもらうという実験結果もある。

すると、時間の経過と主に囚人は囚人「らしく」なり、刑務官は刑務官「らしく」なっていった。

囚人は従順となりうつむきかげんになり、刑務官は横暴になっていった。

環境に左右されるのが人であるという実験である。


困った人と霊能者、困った人はすがりつく、霊能者は行き先を指さす「導く者」、よく職業が人を作るという事が言われているがまさにその通りになっていく。

中には「導く者」を勘違いし「自分が神」のごとく振る舞ってしまう痛い人もいる。

今の社会は先ほどの実験「Bグループ」である。

何をしてもよい状態。

しかし違うのは、食料が豊富に無料で提供されないという事である。

そのため仕事をしたり何か人の役に立つことを行い、報酬を得る。そして食料を自分で確保するという状態である。

この社会の動きが全て100%決まっているという話は、どう考えてもすっきりしない。

次回は混在している状況について考えてみる。



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(12:37)

2013年01月23日

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全体意識について考えてみたが、人間との関係がいまいち不明瞭である。

前回の全体意識と人類の関係の仮説では、人類は全体意識からの働きかけで数ある生物の中から進化したように定義してみた。

地球で生まれた生物としての「本能意識」と全体意識からの「霊的意識」によって成り立ち、「本能意識」として持っている部分が「食物連鎖」の中で生き残る為の「激しさ」につながるのでは?

こう考えてみると、スピリチュアルでの「幸せ」の定義と「食物連鎖」の中で生きる人類としての「幸せ」が正反対であるという考えも、つじつまが合うのではないだろうか。

生物としての「本能意識」が「霊的意識」にサポートされて様々な進化発展の中で発達してきた脳の意識、これが「自我」と呼ばれるものではないのか。

この「自我」の欲求を満たすもの、

「豊富な食物」
「子孫繁栄の相手」
「安心して眠れる住居」「安心して子孫を保護できる場所」

これらを手に入れることが出来、所有出来る事、そして奪われない事。

これとは全く別に、「霊的意識」は基本的に肉体の所有者では無く、精神世界だけの意識なので、「自我」の欲求する事柄には全く興味が無い。

だからスピリチュアル的に感じる「幸福感」と人間としての「幸福感」が正反対の事として矛盾の対象になっているのではなかろうか。

これまで「全体意識」というものの存在を様々な人が説明してきているが、どれも納得できる内容ではない。

「全体意識」はどのような「目的」で人類の進化を後押ししてきたのか?

「万年」さんのブログを拝見していて、チャネリングの回答の中に「ただ経験したいだけ」という言葉があった。

「原理原則」の「法則」なのだという言い回しもあった。

この単語の意味することは、人間が考えるような「欲求」から来る「目的」等といったものではなく、淡々と原則に従って「何か」が動いているだけという表現であろう。

人類ではまだ解明できていない物質は数えきれないほどある。

その解明されていない「何か」の影響で人類が進化し、技術的な事柄も原理原則の中に含まれ、それを感じ取った人類が技術として利用している状況と考える事も出来る。

それは原則なので、「感情」は含まれないから、人間の感情から照らしてみれば「非常」と見えるかもしれない。

全体意識というものの捉え方として「原理原則」という考えで、そこに全ての情報が詰まっており、この全体意識と繋がっている人類は様々な情報を引き出すことが出来る。

そして、個別に人類をサポートしている「霊的意識」も同様に全体意識からの情報を引き出す事も出来れば、人類が生きている時に「心から湧き出る感情」が「霊的意識」に伝わり、それが全体意識へ共有される。

人間の感覚で考えると「情報」という考え方で「人間の記憶」が全体意識に蓄積されているとのではないか。

なぜ全体意識に全ての情報が詰まっているのかという事に関しては、どうして宇宙が出来上がったのかという疑問と同じレベルなので、議論のしようがない。


地球上の自然現象を長い年月で観察した現象を見ていると、よく言われるのが「地球は生きている」。

まるで「生物」のように躍動している感覚で見えてくる。

地球表面を見てみると、そこには人類が生活しているが、その様子を見ていると、これもまた生き物のように見えるのは私だけだろうか?

例えば日本の土地の中を縦横無尽に「道路」が張り巡らされ、そこを「車両」が行き来する。

この「車両」には「人」であったり「物資」であったりが運ばれて必要な所へ届けられる。

人間の血管の構造とよく似ていると思う。

交通事故が発生したり、天災等で道路が通れなくなると「物資」が届かないエリアでは困ったことになる。

血管が詰まって「脳梗塞」や「壊死」といった状態によく似ている。

どのような物質でも「電子顕微鏡」のような物で内部を見ていくと、最終的には「陽子」の回りを「電子」が周回軌道を描いて回っている。

宇宙空間と同様の構造である。

こういった似たような構造という物は他にも数えきれないほど存在する。

これらを総合的に眺めていると、「全て同じ原理」で動いているように見えるのだ。

人間として「意思」を持っている状態の我々は「自由意思」という感覚で毎日生きている。

「自由意思」ではあるのだが、周囲の環境もあり自由に動ける範囲は限定される。

水中では呼吸が出来ず肉体を維持することが不可能なので、生存可能なエリアへ戻ることになる。


こういった「原理原則」という考え方で「総合意識」を捉えてみた場合、何かの「目的」があって「どこかへ導かれている」と思えてしまうのは性急な考えで、もっと長い時間で見てみた場合、原則通りになるべくしてなるという捉え方もできる。

人類は言葉というコミュニケーションツールを持っており、そのツールで意思を伝える場合に「時間」という定義をすることにより円滑にコミュニケーションを行ってきた。

人類と地球、宇宙とでは「時間軸」の単位が圧倒的に違うのは今の我々でもわかるだろう。

違う時間軸の相手と会話するのに自分の時間軸での考え方で相手を捉えてしまうと、勘違いが起きてくる。

宇宙の時間軸の流れで考えてみると、それこそ「天文学的」が時間が必要となる。

おおきく回り道をしてきたが、スピリチュアルという考え方(宗教でもニューエイジでも構わない)は、結論を急いでは見誤ると思っていた方がいいように思われる。

いやいや、それでは人類の今の「人生の問題」には間に合わないというのが現実的な所であろう。

私自身もこの部分には相当悩まされているというのが実情なのであるが、それでも自分なりの結論には近づいているように思われる。

その一つが、この「全体意識」は「原理原則」であり、何か「明確な意思」を人類に与えようとしているとは考えにくい。

この表現が誤解を発生させると思うので、もう少し詳細に書いてみる。

原理原則の影響は確実にあるとは思うのだが、人類の時間軸で考えるような性急な影響では無く、それこそ天文学的な時間が経過してその影響を受けると思う。

人間は「滅亡論」等がなぜか好きであり、この心理を突く映画等も多い。

そして太古の昔から人々に伝わってきた「神の救済」という言葉。

絶対的な力を持った神が困った人々を助けてくれるという考え。

人類にとって「神」はいてほしい存在なのである。

そして何かしてほしいのだ。

食物連鎖の中に生きる人間は常に生存競争にさらされており、理不尽な中に叩き込まれ、「心の安らぎ」が少ないから不満が多いのだ。


ここまで書いてきて、では「霊的意識」に「感情」は無いのか?という疑問があるように感じる人が多いのではないかという思いが出てきた。

人類が進化したのは「霊的意識」に後押しされたからで「後押ししよう」という意思と「この動物に進化させよう」という「選択」があったのではないか?という疑問だ。

選択をしたり、応援をしたりという行為は「意思」ではないか?

ここには自由に考えることが出来るのではないか?という思いだ。

これは次回に探ってみたい。




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(16:16)

2013年01月22日

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今回も「万年」さんのブログを拝見していて思った事を書いてみる。

「万年素人なチャネリング日記」

何か大きなヒントを頂いたように感じています。

ありがとうございます。



人類という捉え方についてもう少し具体的に考えてみる。

これまでの生物学等の方々が様々な調査の結果、動物はカンブリア期等に様々な形態を地球上へ出現させ、どのタイプが適合するのか試験をしていた。

目玉が5個もあったり、足が沢山あったり無かったり。

大きかったり小さかったり。

そして、現在動物社会で生き残っている種族たちは、それぞれの環境に適合して「本能」で生きてきた。

類人猿もその仲間で、DNA的にはチンパンジーと人類は98%ほどが同じ配列だという。

そしてこれだけの文明を発展させてきた人類は何が原動力になったのだろうか?

これには諸説あるが、まだはっきりしていない。

生物であるという現実は「食物連鎖」の中にいるという状態。

人間が食べられるという事は今はアクシデントとされているが、空腹のサメや熊から見れば「エサ」である。

こうして弱肉強食の中を生き抜いてきた人類がいる。


ここからは私の想像なのだが、チンパンジーの頃に「霊界」からイメージを受け取って「火」を使い、「道具」を作り意思を伝える等の基本的な事が出来るようになったと考えてみる。


思念の世界というか想念の世界というか「霊界」とも言える「時間の概念が無い世界」の方々から知恵を授かったチンパンジーが進化して、人類へ発展してきたという仮説を考えてみた。

すると、原始的な人類には「火」という事は理解できても「ライター」は説明されても意味不明だ。

やはり文明がもっと進化して、技術を発展させる必要がある。

その過程で、「想念の世界、霊界」の様々な事を「イメージ」で教わる。

そのイメージを本能に近い部分で感じていた人類には動物的な感覚とは違うもうひとつの「なんだか分からない世界」が見える。

そのなんだか分からない世界からは、様々な新しいことを教えてもらえる。

こうなるとこの「なんだか分からない世界」の人はとっても素晴らしい存在となっていく。

全てのチンパンジーが全て同じようにメッセージを受け取れるわけではなかったために、特別な存在として選ばれたチンパンジーだけが代表してメッセージを受け取るようになる。

「なんだか分からない世界」の存在を呼ぶために名前を付ける。


そう、「神」である。


代表者が「神のお告げ」を受け取る、その通りにしていると「とってもいい事」が起こるので、皆で言うとおりにした。

こうして原始的な人類は集団で生活しながら初期の文明社会を作り始める。

長い年月が流れていくうちに、チンパンジーの「本能」以外の「脳」が進化してくる。

その「本能」以外の「脳」の感覚の事を今では「自我」と呼んでいる。

自我が発達してくると、「本能」以外の「欲」が出てくるようになる。

代表して「神のお告げ」を受けていた人に皆がひれ伏す姿をみているうちに「支配欲」「コントロール欲」が出てくる。

その時代の感覚に合わせて「神のお告げ」を都合よく利用し始める事により「支配欲」等で「自我」が暴れだす。

ここでその時代の知恵のレベルで「解釈」が生れる事になる。

この「解釈」が生まれたことにより、その時代の支配欲を満たす為に「都合よく神のお告げ」を「解釈」し始める。

「神のお告げ」を受け取れない他のチンパンジー(もしかしたら北京原人とかの時代かも)は、「自我」の欲求を満たすため様々な策略を考え出すようになる。

今で言う「国民」のような存在の収集がつかなくなってくる状態。

こうなると一般チンパンジーは「規則」で縛る必要が出てくる。

規則を守らせる方法は2つ。

宗教と罰である。

「神のお告げ」として強大な影響力を一般チンパンジーに与え、その戒律を破ると罰が与えられる。

こうして無秩序な一般、もうチンパンジーという表現は合わなくなってきたので一般人としてみよう。

無秩序な一般人を支配するのに都合のよい「教え」を作り出す事になる。

もちろんベースには「神のお告げ」で受け取ったメッセージがあるのだが、2013年現在の人間でも理解できていないのだからこの時代の人には理解など出来るはずもない。

そして作られた「教え」は完成度が低く、人類の支配には不足する部分が多かったであろう。

その不足分を様々な言葉を「解釈」として追加し、現代で言う「法律」の修正を行ってきた。

その結果、万人に対して「神の世界」を説明すると、「解釈」の違いから追加されてきた「教え」に当然「矛盾」が発生することになる。

この「教え」に疑問を持っているうちに「新しい教え」が登場すれば、そちらの方がよく見えるのはありがちである。

人々は「こちらの神」より「あたらしい神」を求めて移動する。

これまで支配してきた人は衰退することになる。

「お布施」という仕組みがいつごろ出来たのか不明だが、こうして「お布施」で生活してきた人にとっては死活問題である。

こうなると自分の収入を減らさないために「自我」が活躍して「教え」を進化させようと「神の偉大さ」を表現しようとする。

こういった時代に現代で言う「チャネラー」が利用され、不思議なショーを演出することになる。

チャネラーは霊界からメッセージを受け取っているので、人間社会での出来事にそれほど興味が無い、執着しないためいいように利用されただろう。

そして有名な宗教が出来上がっていった。


こうした歴史が繰り返されてきた中で「過去は美化される」という人間の持っている本質が過去の不思議なショーを伝言ゲームしながら伝えることにより「真実」となって伝わっていく。

こうなると「神の言葉」はベースかもしれないが人間の「自我」が絡んでいるという事も納得できる。

宗教と人間とのかかわりをこのように仮説として考えてみると、現代の社会と宗教、スピリチュアルの相関関係がおぼろげながら見えてくる。


「万年」さんのチャネリングで様々な方が答えてくれてる内容を拝見させていただいてかなり興味深い内容が沢山あった。

その中からいくつかピックアップしてみる。

「知らない世界」の文化を言葉で説明しても正確に説明できるものではないであろう、という事だ。

ちょうど今「アルジェリア」でテロが、というニュースを毎日テレビで見るが、行った事のない国の様子を伝えるテレビの映像では「砂漠」しか見えない。

また、各局様々なコメンテーターが、独自の切り口でアルジェリアの国の様子や現状を伝えるが、全体は伝わってこない。

また暮らしている人々の意識や若者の87%が失業している状態って想像もできない。

そこに生れて暮らしてみても、我々日本人でさえもテレビで他の都道府県を紹介する番組を「へぇ〜」と言って見ている状態では言葉で伝え聞いただけで明確にわからないのは当然であろう。

チャネリングでメッセージを受け取れる人が知った「霊界」の話もその「言葉」からどのようなイメージをしたのか分からない。

同じ言葉からでも人が違えばイメージも違ってくる。

イメージする時にその人の「知識」が補完したり、繋いだりしてその人の理解できる文章が出来上がる。

すると霊界についてメッセージを受け取り、「解釈」して伝える人たちの内容に「差」が出てきても不思議ではない。

また、「映像」を見せられた場合も同様にそれを言葉にする過程で違いが出てくる。


こういった事を書いている自分が「スピリチュアルの疑問」に自分で回答している状態になってきた。。。


我々人間は本質的な部分に「本能」を持ち、社会を形成してきた「自我」があるが、それを導いてきた「霊界」があり、深層心理の部分から「魂」として人間をサポートしているという捉え方ができるのではないだろうか?

人間として生きてきた記憶は肉体の記憶としてもあるが、「魂」にも刻み込まれていると考えてみる。

肉体が「死」を迎えたとき、「自我」は一緒に消滅するが「魂」は「人生の記憶」と共に残り続けるだろう。

自分自身の「意識」は一つだと思っていたとすれば、ここからもしかしたら間違えているのかもしれない。

肉体の「死」を恐れたり、「防衛本能」であったりと肉体を維持しようとするのは動物的に本来持っている機能である。

この肉体が持っている意識に「本能」「自我」「潜在意識」等があり、そこへ重なると書いた方がいいのか、表現に悩むが一緒に存在し続ける「魂」があると考えるほうが自然のように思える。

今、明確に意思をもって生きている状態は「自我」または「顕在意識」が中心で活動している。

半分寝ている状態や、アルファー波が出ているようなリラックスした状態では「自我」の活動は低下している、こういった時には「魂」の感覚が見えてきて、「自我」は「魂」の活動を感知する事が出来ると考えられる。

我々は「2つの意識」を同時に併せ持つ存在と考えられるのではないだろうか?

「潜在意識」「下意識」とも呼ぶが、この「潜在」していると思われている「意識」と「魂」の区別があいまいで混乱している部分もあるのではないだろうか?

「潜在意識」は人間の体の様々な一連の動きを自然に動かすといった超ハイテクな動作をおこなったり、生命活動をバックグランドで支えてくれている。

この部分に「魂」があると思っている人は多いのではないだろうか?

違うと思うが、これも証明できる話ではないので、これ以上続けても仕方がないので放置。。。


人類の進化をおおざっぱに、そこへ宗教と神のお告げを織り込んで書いてみた。

この「スピリチュアルの疑問」ブログのテーマである疑問の部分が、今回初めて明確になっていなかった事に気が付いた。

やはり、書くことにより自分の中が整頓されるようだ。


はて、今日のこの内容はどっちの意識が中心になって書いたのだろう?


いつもブログを書く前はテーマとなる何か「きっかけ」が目に留まり、書く内容は書き始めてみないと自分でも分からない。

書き始めると、休憩せずに一気に書き上げてしまう。

よくもまあこれだけ書くことがあるな、と自分でも感心しているが、まだまだ書きたいという気持ちがあるのでネタはあるのだろう。



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(01:59)

2013年01月20日

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魂の大元は一つであり、そこには善も悪も上も下も何も無いという。

この世は全てバランスしており、両極が必ずあると認識されている。

魂の源と呼ばれているところが「体験」をしたいという「欲求」から分離し、「個」を放ち「両極の世界」を作り出したとスピリチュアルの世界で言われている。

今まで数多くの宗教団体や、スピリチュアルの方々とお話し、霊感の強い人とも話すことができたという「縁」があった。

そして、これまでの集大成のような形で考えていた部分に疑問と矛盾が溢れていたのでこのブログを書き始めたのだ。

これまでに得た情報を総合すると、「源」から始まる話はなんとなく筋が通るように見える。

精神世界の歴史とまでは言わずとも、これまでの流れを見ていると人間社会の文明の進化とともにその流れにそってスピリチュアルの世界の理論も進化してきたようにも思える。

社会が厳しい時代には「これは試練だ」と。

もっと昔の貧しい時代では「神が救ってくれる」。

他国から侵略されると「○○の神による聖戦だ」。

現代社会においては複雑で「本当の自分探し」や「前世の影響」「超能力的イメージのヒーリング」等まだまだ多岐にわたる。


そして、これらがいいとか悪いとかではない。

善悪の判断はその時代の社会のあり方で変化するからだ。

注目しているのは、いずれも「なにか」が自分の人生に影響しているのではないか?と考えている所だろう。


今から30年ほど前に宗教団体の方から盛んに入信を促され、勧誘を受けた。

そして説明を聞けば聞くほど、矛盾があり納得できない。

最後には世界中の人がこれだけ信じているのはどう思うのか?のような事を言われ、多数決で決める問題ではない。

という事でお帰り頂いた事もあった。


その時の矛盾のつじつま合わせは、全てあの世で合わせるという説明になっているようでなっていなかった。

一つの出来事に対してあの世でつじつまを合わせることは可能であろう。

そして他の事もあの世でつじつまを合わせる。

すると、この2件のあの世までの説明の中でも矛盾があり、結局数の暴力的にみんなが信じているのだから。。。

と言われては説得力も無ければ信頼もない。


このころからは精神世界の理論も進化して、その当時矛盾であったことも「源」を定義する事により説明は違うが筋は通る。

こういった変化を見ていると、推測であの世を考えて、どう考えれば筋が通るか?と理論立てているだけのように見える。

先日このブログを通して教えて頂いた「万年」さんの「万年素人なチャネリング」というサイトを拝見させていただいた。

この方のチャネリングの記録を読ませていただいて、ある事に気が付いた。

それは、霊能者を職業で行われている方々の「メッセージを送ってくれる方」の回答の流れと同じである。

万年さんも疑問を抱きつつ質問しているのだが、肝心な部分で「そんなことを知る必要はない」「聞いてどうする?」とか「無回答」といった具合が多く見られた。

この事から考えると、チャネリング能力というものは本物とか偽物とかの判別を行うものでなく、この能力を職業にするかしないかの違いだけであろうと考えるほうが自然であるように思える。


霊界への疑問は、人間界とは違う次元にもう一つの世界が広がっているであろうという推測からである。

そしてその世界から我々人間の意識はやってきており、人間の意識には無い「別の目的」があるであろう。

もしくは「有ってほしい」という欲求もこの霊界に対する探求心の原動力となっているように思える。

それは人間社会における「理不尽」への対応策としての役割もあるであろう。


「どうしてこんな事になってしまったのだろう?」

これには理由がきっとあると思いたいであろう。

理由もなしにこんな理不尽な目に会う事はやりきれない。


ここから、「解釈」が発達してくる。

そして「運命」「宿命」といった言葉が出来てくるという流れは自然であろう。

では、その目的は?


平安時代には「陰陽師」等の霊能者がおり、「祈祷師」「黒魔術」「いたこ」「霊能者」「ヒーラー」といった歴史もある。

しかし、西暦で2013年という年を迎えてもその答えは定まっていない。

様々な理論があり、宗派と言えるのか、これの違いにより戦争まで起きている。

地球の歴史を学生時代に紙テープで作成した事を思い出した。

7m位の長さで地球の誕生から現在までを作成しても、人類の歴史はそのテープの最期数mmしかないのだ。

氷河期は確か、40cm位あったように覚えているがうろ覚えなので詳細はご勘弁願いたい。

そのような地球誕生からの時間で見ても、今の人類の歴史はまだ「一瞬」だけであり、このような短時間では「霊界」を知る事など無理なのか?

等と思ってしまった事もある。

この「一瞬」の時間の中で繰り広げられる生命の営みは、当事者の我々としては重みがあるが、スピリチュアルで言われている「霊界には時間の概念が無い」という話を織り交ぜて考えても人間の持っている「定規」では測るには無理があるのでは?

「霊界」の時間の概念が無い世界から何百回も人間へ転生しているとされている我々はその1回の人生で、どこまで理解できるのか?

また、その転生を含めた世界を人間がなんとなく思っている「頂点の管理者がいる」といった概念で見てピラミッドのような体系が広がっているようにイメージしているだけなのか?

有料鑑定を行う霊能者の方にお話を伺うと、霊界にも様々な階級があるという。

そして、そこである特定のエリアを管理している霊を「○○の神」と呼んでいる。

この「○○の神」も数千年前は人間であったとも言っていた。

そして、チャネリング等でメッセージを送ってくる「霊」は波動が人間に近いため、その階層で言ったら「最下部」であるとも。

また、上層部の目的や計画はある程度の階級より上の霊でなければ知らないとも言っていた。

ここで、また疑問である。

この話は人間社会の「会社組織運営」と同じではないか。

なぜその最下部の霊から「明確でないメッセージ」を受け取っている人間が、上層部の仕組みを知っているのか?

逆の発想で、「霊界」がこのような仕組みになっているので、人間社会も似たような仕組みに出来ているというのか?

何か事が起こる、現象が発生するには「目的」があると思っているのは人間だけか?


実は大宇宙には「目的」は無く、そこには「法則」があり、その法則通りに動いている姿が人間には「神」と見えてしまう?

太陽はどうして燃えている?惑星はどうして遠心力と重力がバランスして、周回軌道を動いている?

そこには明確な「理由」等無く、自然の法則でそうなっているだけ。

この延長で、精神世界も法則に従って何かの物質なのか、エネルギーなのか不明だが、それらが法則にしたがい活動している。

こういった、ぶっ飛んだ発想にしても途中でつじつまが合わなくなるのだ。


意識の源という考え方は、今現在の文化水準で考えられ、到達した地点でありこれが決して最終到達地点では無いと私は考えている。

この答えに興味を持ち続けている限り私の探求は止まらないしこのブログも更新していくと思う。



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(15:54)

2013年01月17日

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神からの「お告げ」という言われ方をしたりしているチャネリング。

これは一体どういう現象なのだろうか?

人間から見て「神」とは敬う対象として目上の存在という捉え方をされている。

神は万能であり何でも知っているし、人間を作ったのも神だという。

チャネリングとは、その神からメッセージを受け取る行為という事なのだが。

メッセージを受け取る事が出来る人という人はどういう存在なのか?

神からではなく守護霊からもメッセージを受け取っているという人もいる。

受け取る事が出来る人、出来ない人、これは受け取る側の「能力」の問題なのか?

それとも受け取ることを「許された」人間か?

はたまた皆持っている能力を忘れていて、その能力を開花した人だけが受け取れるのか?


では、神からお告げをもらうという霊能者について考えてみる。

ある日突然どこからか声がするようになったという。

そして、そのような人は必ずと言っていいほど、それまでに悲惨な人生を経験している。

順風満帆に楽しく生きている人で、ある日突然という事は聞いたことが無い。

もしかしたらいるかもしれないが、私は知らない。

そしてお告げを受け取るようになった人は、ある種の「使命感」のようなものを持つ事が多い。

そして人の役に立てるようにと困っている人の相談にのったり、そしてお告げを受け取り霊能者としての職業に変更したりしている。

本当にこういった流れは多く聞く。

中には子供のころから不思議な能力はあったが、ある程度の年齢になってからそれが自分だけの特殊な能力であると気がついて、霊能者として職業にする人もいる。

やはりこういった下地と言うか、ストーリーというか根拠があって霊能者の道へ導かれていく人が多いように見受けられる。

そして使命感を持っているので、自分のチャネリング能力とお告げの内容に確信を持ち、信じて疑わない。

これが絶対的な自信につながっているのだと思う。


こういった霊能者の方々に霊界の矛盾や話のつじつまが合わない所を質問すると、とたんに威圧的な態度になるのもなんとなくわかる気がする。

これは霊能者としての本人のみにしか分からない感覚なので、特殊能力のない我々ではどうにも判断できないのだ。

だから教えてほしいと思い、質問するのだが。。。


未だに明快な答えはないというのが現状だ。


そして特殊能力の無いもしくは未開花の人にもメッセージは送られてきているともいう。

何気なく「ふと思った事」、いつもは気にしないのになぜか「目につく」もの。

これは守護霊からのメッセージだというのだ。

そういわれると、そうなんだ、と言うしかない。


大いなる神は「深い愛」で人を見守っているという。

どこまでも見守る。

見るだけ?

でも見捨てない。

見捨てるとはどういう事?

肉体としての生命を無くしてしまう事態に出くわしても見てるだけ?

事故や災害から守られている人もいるようだ。

その差はなに?

魂のレベルで考えて見守る、肉体が死んでも魂として存在し、転生していく循環全てを見守る?

ある霊能者の事、チャネリングの内容に疑問を感じ、霊能者に質問した時に、そのような場合、神が「愛想を尽かした」と言われた。

私としては「えぇぇ〜〜〜!!?」である。

それまで大いなる深い愛で見守ってくれているという壮大なスケールで神を語っていた人が、ちょっとしたことで神が愛想を尽かしたというのだ。

この一言でこの霊能者の信頼は一気に吹き飛んだ。

それまではチャネリングするために長い時間をかけて集中してお告げをもらうという行動であったのだが、疑問を質問した時は即答で答えが着た。

この行動にも???となってしまう。

そんなに簡単にメッセージを受け取れるのであれば、今までのあの長い集中の時間は一体なに??


何かしらの能力はあるのかもしれないが、冷静に見ているとなにやら勘違いされているのでは?と思われても仕方がない。

神という絶対的な存在からメッセージを受け取る人という立ち位置なのだが、あたかも自分自身が神であるがごとくの振舞にドン引きでもあった。

やはり、勘違いしていませんか?と思われても仕方のない人であった。

こういった、ちょっと違いませんか?と思われるような霊能者がなぜか多い。

私がこういった人にしか出会っていないという事なのだろうか?


霊能者として職業で行っていない霊感の強い人と話をしてみると、本当に不思議な体験をしている。

しかし、神からメッセージを受け取ったりしたという話は聞いたことが無い。

夜景を見渡せる丘で夜、町の一か所から光の柱が空に向かって伸びているのを目撃したという話を友人から聞いた事があった。

別の霊感の強いという人も同じことを言っていた。

時間や場所は違うがまるで関連の無い人が同じ現象を目撃しているというのも興味深い内容である。


霊感の強い人は霊との遭遇が不思議体験のほぼ全てだ。

職業として霊能力者と名乗る人は「神」や「相手の守護霊」からメッセージを受け取ったりしている。

紙一重だが、その差は私には判断できない。


自分自身の過去の体験では、寝入りばなに「ガヤガヤ」と複数の人が会話をしている状態を何度も経験した。

引っ越してからはその現象は無い。

ガヤガヤと話し声が聞こえた所では、寝ている時にとんでもなくうなされて、叫びながら汗びっしょりで飛び起きたという事が何度もあった。

これも引っ越し後には無い。

更に引っ越したところでは、ある部屋で寝ていると何か恐怖を感じてうなされて起きるという事がまたあった。

寝る部屋を変えてからは、もうそれは無い。

また、そのうなされた部屋では、寝ている時にふと気が付くと全然知らない人が廊下を歩いて行くのだ。

単なる通行人といった感じで、目が合った事もある。

どうやらその部屋は、霊の通り道となっているのでは?と感じて寝る部屋を変えたのだ。

それ以来平穏に寝ることは出来るようになった。


それでもメッセージらしき言葉は聞いたことが無い。

何か話しかけてきたというイメージが残った事はあったのだが、内容までは分からなかった。

こういった体験はまだ他にも数多くあり、そういった体験からも「何か向こうの世界に誰かいるのでは?」と感じているのだ。


「向こうの世界」という存在が「なんとなくあるのでは」と思える。

この状態で、「お告げ」を受け取る人がいたり、映像を見たり、やってきて様々な事を教えてくれて、質問にも答えてくれる場合もある。

やはりコミュニケーションがしっかりとれている人もいるのだ。

そういった事例から「向こうの世界」は存在するとある程度の確信は持てる。

だが、それは何?

人間とどういった関係にあるのか?

どこまで影響があるのか?

もう少し知りたい。

「神のお告げ」とは一体どのような目的なのだろうか?


最近は「瞑想」がブームのようである。

iPhoneのアプリでも瞑想用のアプリまである。

瞑想する事によりメッセージを受け取れるようになるというのだ。

私も実践してみてはいるが、今の所変化は無いようである。

それより机で仕事をしている時強烈な睡魔に襲われた「ウトウト」した状態の時の方が、何か言葉が聞こえたりする。

しかし何を言っているのか分からない。。。


人間までをも作ったと言われる神という絶対的な存在からメッセージを受け取るために、瞑想という方法を練習しないと受け取れないのか?

これはメッセージを受け取る側の問題?

そんな絶対的な存在のメッセージを送る能力が、人間の練習次第で左右される?

これも何か変な話ではなかろうか?

瞑想という方法を練習すればメッセージを受け取れるって。

これも解釈の仕方が沢山ありそうなので、ここは深く掘らない事にしよう。

よく波動が、とか周波数が違うとか言われるがそれは人間の開発発見した技術的な知識での判断なので、もっと他に理由がありそうだと思う。

この分野もまだ広い範囲で掘れそうなので、また次回掘ってみたい。




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(22:50)

2013年01月16日

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宗教団体と一言で言っても数多くの種類がある。


お墓を置いてくれているお寺も宗教法人として登録されている。


宗教というカテゴリーでスピリチュアルと差があるとすれば、法人であるかどうか。


もちろんスピリチュアル、ヒーリング、セミナー等を主宰している宗教法人もあるだろう。


私がふと思った事は、実質上事務的な違いではなく、その本質的な部分というか考え方というかそこの辺りの違いである。


先ほど自宅に来客があり、インターホンで対応してみると「キリスト教の・・・」と勧誘であった。


スピリチュアルでこれまで出会ってきた人たちやWEBサイトを見た限りでは、スピリチュアルの方々はテーマが自分の中であった。


宗教団体と言われる方々は「偶像崇拝」が非常に多かった。


主教団体→自分以外に何かを求める


スピリチュアル→自分の中に何かを求める


この違いではなかろうか。



先ほどのキリスト教の布教活動を行う様子を見ていて思った事。


駅前でキリスト教の宣伝カーが「人は皆罪人である」「改心してキリストを信じれば救われる」「永遠の命を手に入れることが出来る」と繰り返している。


キリスト教に限らず宗教団体の方々は、「布教活動」を行う。


これが「徳を積む」事になり死後の自分の身分が上がるというようなニュアンスの事をよく言っている。



一方スピリチュアルとしてよく言われている事は、人間社会はバーチャルであり何かを経験したくて転生してきていると言う。


よって天国も地獄も自分次第だし、そのような場所は存在しない、地獄だと思えばそのような世界が目の前に展開されるだけだと。


スピリチュアルの方々は人生相談のような展開で、困った人の相談に霊能力を用いて対応するといった所だ。


宗教団体は崇拝する何かの「教え」により何かを信じることで「救われる」という。



スピリチュアル的に言うと、人生を経験したくて転生してくるこの人間社会。


宗教的に言うと、何故人間として生まれてきたのか理由は分からないが、何かを信じれば救われる。



この辺りから双方を見ると、かなりの違いが見えてくる。


双方とも「霊界」を根拠に人間社会での生き方の相談に乗ると言った所であろう。



こういった長年の宗教での教えの矛盾と最近普及しているスピリチュアルの考え方、アメリカではニューエイジというカテゴリーもあるようだが、それぞれ「霊界」がテーマであるにも関わらず、相いれない部分が目についてしまう。


結局このブログの基本テーマである「なぜ?」の部分が解明されていないという事が根本にあるので、様々な「説」という事になってしまうであろう。



何度も書いてきたが「不思議な現象」は確かにあるし、輪廻転生もありそうだ、という感覚。


そしてこれらのつじつまが合わない部分は「霊界」があり「個別の魂」が存在すると考えると、納得できる部分が多い。


で、「それはなに?」「なぜそうなるの?」という所なのだが。。。



太陽はどうして出来たのか?地球や惑星、宇宙の起源は?宇宙空間が物理的に存在するのであればその外側ってあるのか?等きりがない。


これらの疑問に近いと思える疑問ではないだろうか。



もしかしたらこの答えを見つけ出すには、私の肉体寿命だけでは足りないのかもしれないし、自分が霊だけになって初めて解る、もしかしたら思い出すのかもしれない。


そんな壮大な事も考えつつ、不思議な出来事、不可解な現象等人間の感覚として得られる現象に疑問をぶつけていってみたい。


このブログを書き始めてから、いつも結構いいタイミングで疑問のテーマに関係ありそうな映画に出会ったり、偶然開いたWEBサイトにヒントがあったりとネタに目が留まる。


意識しているからそういったものに目が留まるのだという事もあるが、守護霊が応援して教えてくれているという考え方もある。


後ろから応援してくれている?


では守護霊は何かを知っている?


知っていてヒントだけくれて、オリエンテーリング?


その姿を後ろでは「親が公園で遊ぶわが子を見るように見ている?」。


やはり根本的な所が不明なため、あらゆる考え方が出来てしまう。


人間として生きているうちはこの答えに到達は出来ないのか?



911という悲惨なテロがアメリカであったが、アラーの神は人をテロに走らせたのか?


それとも人の「解釈」が間違えて、暴走しただけなのか?


もっと深い理由もありそうだが、テロの理由に使われたアラーの神はどう感じたのだろう?



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(13:48)

2013年01月15日

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映画「セブンイヤーズインチベット」を見た。

ブラッドピットが主演の映画である。

この映画にダライラマ14世が少年時代の姿が描き出されていた。

そして中国軍の容赦ない軍事攻撃等、あまりにも穏やかなチベットの人々の暮らしを見ていた流れなので、インパクトが大きい。

中国政府にとって都合の悪いシーンがあったのだろう、中国国内では上映を全面禁止され、ブラッドピットは無期限の中国入国禁止となったようだ。

映画「セブンイヤーズインチベット」予告編


そして、中国軍による侵略を簡単にまとめたサイトを見つけたので、興味のある方はご覧ください。

チベットへの侵略と虐殺


この記事と映画を見て、完全に真実なのかの検証は出来ないが、これだけ政治色の強い映画を撮影するからには相当な調査があったと思われる。

大筋この通りなのであろう。

昨日もブログで書いた2013年年初に中国軍が「戦争に備えよ」と号令を出したというニュースに、心の底から中国指導者達に幻滅した。

まあ、また時事内容が色濃くなってきてしまったが、ここからはこのブログの趣旨に入っていきたい。


ダライラマは17世紀からその受け継ぎ方が確立したようだ。

その受け継ぎ方とは、代々ダライラマの魂は生まれ変わるという輪廻転生である。

前世での出来事や様々な記憶を持って生まれてきたという事が確認されてダライラマとなる。

チベット人が定めたルールに合格する輪廻転生の詳細は不明だが、これもまた凄い仕組みだ。

それがもう既に14代も受け継がれているという。

何を持って前世の記憶と認定するのか?これからもう少し調べてみたい。


そして中国軍、チベットが2000年かけて築いてきた寺院や経典などほとんどを破壊しつくして120万人のチベット人を虐殺したという。

日本人も満州戦争時代、目を覆いたくなるような事をやってきたという記録もある。

731部隊は本当にひどい。。。

これが人類の歴史であり目を背けてはいけないと思いながらも心は曇ってしまう。


これまで何かする時、挑戦する時、始めるとき、「神のご加護を」という言葉がある。

先日アメリカで映画「スターウォーズ」に出てくる帝国軍が作成した「デススター」という惑星を実際に作ってほしいという嘆願が政府の定める数以上集まったため、議会で検討したようだ。

その結果85京ドル、、、アメリカ国家予算25万年分の費用がかかるという事で却下された。

この政府の回答の最期に「フォースのご加護を」という映画のシーンで使用された言葉がある。

宇宙に満ち溢れている「フォース」という存在。

映画でこのようなセリフが使われていても、そんなに違和感なく見えてしまったのは、これまでの人類に同じような心境があったからではないだろうか?


はい、来ました。「神は加護してくれるのか?」

チベットの虐殺の記事を読んでいて、チベット人の腕を切り落とし仏陀に返してもらえ、と中国軍兵士に言われた人はどう思ったのだろう?

それ以外にも記事の内容は想像したくないほど悲惨な事が書かれていた。

この当時に比べ今現在はそう簡単に命を落とす事は減ってきている。

そして九死に一生を得たという体験をした人は、度重なる偶然から助かった、運が良かった、神様に助けてもらったと、様々な事を思っている。

この「偶然が重なる」という出来事は一体どういう事なのだろうか?

数十年前の事故ではあるが、これまた中国での列車事故があった時の事、日本の宗教団体の方がその列車に乗っていて事故に遭遇したというのだ。

そして偶然乗り合わせた列車の隣の席の人と仲良くなり、トランプをして楽しんでいたその時事故が起こった。

隣でついさっきまでトランプをしていた人が、次の瞬間シートごといなくなりぐしゃぐしゃに潰れた列車の中に巻き込まれ亡くなったという。

その宗教団体の方は、信心を熱心にしていたから助けてもらったという事で、集会で話題となりよく聞かされた。

だからあなたも入信しなさい、、、と。

私は納得がいかなかったのでもちろんお断りしました。


このブログでよく登場する「解釈」である。

助かった人は「○○が助けてくれた」と解釈し、助からなかった人は「○○だったので仕方がない」等と解釈する。

様々な事例を見ていると、九死に一生を得た人の話では本当に神様が助けてくれた、もしくは守護霊様が助けてくれたと思えてしまう。

社会の中で通常考えにくい状況でも助かった人は、何か神がかり的に見えてしまうような事がある。


では、ぎりぎり助からなかった人は?

どう「解釈」では無くて、どう「考えれば」よいのか?

これは難しい。。。

亡くなった方を「冒涜」する事につながりかねない。


別の見方で考えてみることにする。

以前見かけたチャネリングを行った人が受け取ったというメッセージだ。

転生する前の「人生の計画」とは、「性格」や「人生のおおまかな趣旨」位を決めて、あとは結構自由なのだという。

つまり転生し、人間となった後は結構束縛も無く自由裁量で生きていくという。

もしこのメッセージが全ての人間に当てはまるのであれば、「運命」「宿命」といった言葉はあいまいになってくる。

完全に詳細な事まで決まった人生を歩む人と、自由裁量で生きる人が混在していると考える方が今の所無理が無いように思える。

自由裁量で生きている状態であれば、人間としての寿命も肉体の管理次第で変化するとも考えられる。

そうすると、偶然事故が発生した、災害が発生した場所に居合わせたことが「不運」という事にもなりかねない。

そこで、「神様」や「守護霊様」が助けてくれるという現象があるとしたら、助からなかった人のショックは大きいのではなかろうか?

すると、全ては決まっていたと考える方が、亡くなった人の家族や友人は気持ちの整理がつくのではないか?

九死に一生を得た体験の人は、物凄い偶然で助かったのだから「何かに感謝したい」という気持ちが湧いてくるのもよくわかる。

その感謝の対象を「神様」とするのが今の所自然な流れでは?と思える。


霊感の非常に強い人が友人の車の助手席に乗っていた時、正面衝突という事故にあってしまった。

運転席の友人は重体となり救急搬送され長い事入院していたようであるが、助手席の方は無傷であった。

助手席で事故に遭遇した霊感の強い方はその瞬間「スローモーション」のように全てが見えていて、目の前に透明なバリアのようなものが出てきて自分に向って飛んでくるフロントガラスやその他の物から守られていたという体験をしたという。

この方は職業霊能者ではなく一般の方で単純に霊感が非常に強いのだ。

どうやら祖母が守ってくれたと感じたと言う。

この方の他の出来事や、その不思議な能力は私も実感しており凄いと思っている。

こういった事例からすると、「守ってくれた」という「現象」は「ありうる」と考える事が出来ると思う。


すると、度重なる偶然のような現象で九死に一生を得た人はやはり「何かに守られた」と考えることが出来るのだが。。。

惜しくも亡くなってしまった方はどう考えればよいか、、、何か他の理由があったのか?

もしその理由が分かるのであれば、知りたいと思うのは人の心であろう。

そのような気持ちにもこのブログが通じる事ができれば、本当にうれしいと思うがまだまだである。


以前にもブログに書いたが、両極がありバランスを取っているという考え方からすると、「理不尽」や「悲惨」という両極の片方を担ったという事くらいしか思いつかない。

損得で考えるのは方向性が間違えているかもしれないが、人が「よくない」と思える役割を担った人たちは何か得るものがあるのだろうか?

この辺りもこのブログの趣旨である、「なぜ?」という所にひっかかる。

もっと掘り下げていきたいところだ。

本日のまとめとしては、やはり「何かに守られている」という考え方が正しいように思えるが皆さんはいかがお感じか?




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(15:15)
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2012年、ブログには様々なアセンションの効果が書かれていた。

そのうちの一つに、2013年になると世界の指導者たちの意識に変化が訪れ、強引な事を行う世界が沈静化してくるという事が書かれていた。

そして、本日のニュース。

中国軍最高司令部から「戦争に備えよ」と全軍に号令がかかった。

勿論日本の尖閣諸島も含まれる事でしょう。

ロシアのウラジオストックも元々中国の領地であったと言い始めているようだ。

こうした時事問題とスピリチュアルの世界は、何か見えないような線(ありま線)が引かれていたように思うのだが。。。。失礼m(_ _)m

アセンションで指導者の意識が「戦争に向かって変化した?」まあ、関係ないであろう。

しかし、指導者の強引な政策等が沈静化するという話はどうしたのだろう?

まあ、本日のニュースの見出しだけなのでこれにて判断するのは時期尚早であろうとは思うのだが。

これだけ文明が進んだと思い込んでいる日本人には「戦争?」と平和ボケしている所が多分にあると思う。

それでも日本も終戦後まだ100年も経っていないし、生き証人もまだ存命である。

スピリチュアルで言われている人間への転生は「魂を磨くため」と言われているが、戦争に徴兵されて行った人たちはどう考えればよいのだろう。

敵兵と対峙した時、相手を殺さなければ自分が殺されるという現場に立った人間しか感じえない凄まじい思いがあったと思う。

私個人的には「戦い」という形は、「競技」に置き換えてほしい。

切磋琢磨という言葉があるように、ライバルがいてこそ自分も能力を伸ばすことが出来る。

ぬるま湯に浸かって保護されていては、当然考えも甘くなる。

だが、命を懸けてまで戦うというより「殺しあう」必要がどこにあるのか?

これは明らかに「指導者が未熟」なせいであろう。

国の運営に限界が来て、国民から政府が責められるのを防ぐため「敵対国家」を用意しておく。

中国軍関係者からは石原慎太郎元東京都知事と野田元総理は尖閣諸島の購入の件で中国に大義名分を与えてくれたので感謝しているという。

大義名分さえ出来ればそれでいいのだ。


こういった考えには、必ず反論が出る。

それでいいのだ。

そうして議論をして意識を高めていく、これも精神の競技なのだ。

しかし、このブログの趣旨からは外れてしまう。

なぜ意識を高める必要があるのか?と。。。

そう、そうしてスピリチュアルの世界に深く入っていくことになる。

何故生きるのか?と。

やはり現実の世界の事を考えても、結局はここに戻ってしまうのだからやはりスピリチュアルを中心に考えることにする。


アセンション、元々キリスト教の中にあった次元上昇という意味合いの言葉がどうしてこれだけ世界に広がったのかは分からない。

アセンションについて明言を避ける霊能者もいた。

その霊能者は「アセンションとは膨大な年月を経て人々の意識が変化する事だ」と。。。

なんのこっちゃ?

思わず軽い口調で言ってみたくなるような内容であった。

韓国ではキリスト教の大元は韓国であったという調査結果が見つかったと一部の人が言っているようだが。。。

まあこれは論外。

これだけ長い年月の間、世界中で信仰されているキリスト教に関して、私のような素人が何か言えるほどの知識は無い。

しかし、その一部を取り出してアセンションと世に広めている目的とは?

と考えると、何か思わざるを得ない所もある。

幸い日本では私の見た限りなので、他にもあるかもしれないが、キリスト教とアセンションを関連付けて発信しているブログはほとんど無かった。

何となく文章の中に言葉が登場する事はあったにしても、関連付けての表現は見当たらなかった。

またも日本での普及活動は失敗かと。。。

これも憶測の範囲なのでそう思っているとしておこう。


アセンションは無事2012年末に終わったと発言しているブログもあった。

しかし、終わる前に言われていた「引っ越し?」「次元移動?」「別次元の惑星へ一時的に移動?」

だれか体験した人がいたら、是非その様子を教えてほしい。

このブログは敵意を持って突っ込みを入れるような事はこれまでの記事を読んで頂ければ無いと理解していただけると思う。

不思議体験は大歓迎なので、その様子を是非教えて頂きたい。

そして、正体不明の世界を解明していきたいと思う。


願わくば7月の参議院選挙で自民党が圧勝したりして「憲法第九条」が書き換えられ、日本軍が誕生し中国と戦争となどならない事を祈る。

中国人にも本当にいい人が沢山いるし、素晴らしい識者もいる。

そういった人たちが活躍できる国であって欲しいと願う。

日本も同様に未熟な政治家を魔王にさせないように政治に興味をもって頂きたい。

最後にまた現実の話題に戻ってしまった。。。




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(02:02)

2013年01月14日

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前回、動物の霊は肉体が死んだらどうなるのか、考えてみた。

人間の場合、一般的には古くから肉体が死ぬと「お葬式」を行い、各種宗教の儀式に乗っ取り葬儀を行っている。

お葬式は「生きている人の為に重要」とも言われている。

もし自分が死んだら、、、と考えたとき、皆で集まり故人を忍んで惜しむという葬儀をしてもらえたら例え自分には分からなくとも嬉しいと思えるだろう。

粗雑に扱われては寂しいだろう。


さて、私が親戚の方の葬儀に参列した時に体験した事を書いてみたい。

亡くなった方はまた50代の働き盛りであったが、1か月前までは元気でいたのに体調不良を訴えて入院した時には末期ガンが原因で亡くなってしまった。

家族も親戚もあまりの速さに対応できず戸惑っていた。

そして自宅で通夜と葬儀が行われた。

その時私も親戚として参列し、その方の家の居間に座りお坊さんのお経を聞いていた。

しばらくし、少々睡魔に襲われつつあった時である。

亡くなった親戚の方が、葬儀へ参列している人たち一人一人へ挨拶して回っているではないか!

私を含めて座っている人たちへ順番に回っている姿が見え、その表情はニコニコ笑っている。

まあ、睡魔と闘っている時であったので深くも考えずそのまま時間が経過し、火葬場へ。

荼毘にふされている時間、参列者の方々と話をしていた時、私の弟が「あのおじさんお経をあげている時、みんなの所に挨拶に回っていたね」と言い出した。

これは驚いた!

そこで私は弟に聞いてみた。

「あいさつに回った人の順番って覚えてる?」

弟は「あぁ、覚えてるよ。○○さんから○○さんの所へ行って、、、」と明確に話した。

私が見て覚えている順番と同じなのだ。

これには私もさすがに寝ぼけて夢を見たと片付ける訳にはいかなくなった。

どう説明すればいいのであろう?

同時刻に同じ映像を見ているのだ。

こういった不可解な現象があるから、「霊」という存在を完全に否定出来ない状況となるのだ。

挨拶に回っていたおじさんは笑顔であった。

皆が来てくれた事を喜んでいた様子だったのだ。

どういった感覚であったのだろう。


また、霊感が非常に強く時にはイメージで会話の様な事も出来てしまう方もいた。

その方は、父の葬儀の時、自分が死んだことを認めず否定していたという。

そして1周忌等の時、呼べば来るという。

まるで生きている時と同様に会話をし、意思疎通が出来るという。


こういった能力があると、亡くなった方の遺族が亡くなった方の意思を確認できず相続争いや金庫の暗証番号等役に立つのでは?と思ってしまう。

しかしその方は職業霊能者では無いので、そういった事は行った事が無いという。

警察に協力してみれば迷宮入り事件の解決にもつながるのでは?とも思える。

しかし、理不尽な亡くなり方をされた方とコンタクトを取ると、物凄く体調を崩したり高熱が出たりと大変な目に会うらしい。

だから、そういった方とはコンタクトを取りたくないという。

あまり親しくない方なので、私も深く追求は出来ないがこういった強い霊感で悩みも多いようである。


今回のテーマである「生命」という考え方、人間の肉体が機能しなくなった時「死」という。

「生命が終わる」とも言う。

しかし、これら不可解な現象で感じている「霊」という意識体とでも言おうか、意識があるように思える。

肉体が機能して生きていると感じるのは「意識」であろう。

その意識が存在し、肉体を「意識」し、肉体の「死」を「意識」している。

世界的に大ヒットした「アバター」という映画があるが、ある惑星に生息する生物の肉体を人工的に作り出し、そこへ人間の意識だけを繋いでその惑星の生物と交流するという展開。

この形が、人間の肉体と霊との関係に似ているというか、アバターという表現に変えている映画だ。

こういった形式の映画は結構ある。有名どころでは「マトリックス」もそうだ。


人間の視点では肉体からの視点で見て考える、「霊」としての実感が無いから肉体の視点で考えて肉体の「死」を「終わり」と捉えてしまう。

どれも「前提」が付くようになってきている。

「死」を考えても「肉体の死」という前提が出来る。

「霊」の意識としての感覚を「魂」と呼んでみたりもする。

「魂」に「死」は無いのか?

この事は明確な解答は無い。

スピリチュアルの世界では様々言われており「永遠」とも「消滅する事もある」とも言われており、どちらが正解かは誰にも分からない。


「生命」という定義をどこへ当てはめればよいのか?

「霊」には生命が「無い?」。

これもしっくりこないか、、、

これまでの社会一般では人間の肉体の終わりまでを生命と定義してきた。

時代と主に知識も整頓しながら増加してきて、過去の定義があいまいになってきているようにも感じる。

この定義についてもこれから時代と共に変化していくであろう。


娯楽としてゲーム等をやっている時、ロールプレイングゲームのように画面の中のキャラクターが死なないようにゲームを行うのだが、自分がゲームを行っているという「自覚」が明確にあれば、ゲームとして楽しめるだろう。

もし失敗しても「最初から!」と言ってリセットボタンを押す。

もし、ゲームにのめり込み過ぎて、そのキャラクターに入り込み過ぎてしまったら、また沢山の画面をクリアして最初からやり直すのが大変すぎる状態になってしまったら、物凄く真剣にゲームに取り組むだろう。

一般的に、ゲームではすぐにキャラクターを死なせてしまいうまくいかず面白く無いとか、難しすぎるとか、展開がつまらないとか、どれだけやっても得点が稼げないとか、キャラクターがかわいくないとか不満に思うゲームもあるだろう。

そんな時は、「このゲームや〜めた」となるだろう。


もしも、人間社会はゲームだとして、「霊」と呼ばれるプレーヤーが「キャラクター」として人間を動かしているという「感覚」や「意識」をしっかり持っていたなら?

人間の視点からすると「人生とは苦難の連続」「人生とは修行である」等と思えていたのが「プレイヤー」としての「霊」の視点で見れば「こりゃ難しいゲームだ」という事になるであろう。

そして、つまらなかったり、キャラクターがかわいく無かったり、先が見えず飽きてしまったら「リセット!」と、いつでも出来る事を意識していたら?

人間の視点から見ると「自殺者」が増えたり「行方不明者」が増えることであろう。

スピリチュアルの世界では霊能者の方々は「だから人間に転生してくる時、記憶を消すのだ」と言う。

これはこれで筋は通る。

しかし、ではなぜ霊能者という存在があるのか?

せっかく舞台裏の記憶を消してゲームに参加して、なりきっているのになぜ舞台裏をバラしてしまう?

一部ではこのゲームにおける霊能者の役割はゲームのサポート役だと言っていた。

どうにもゲームが分からなくなった時に、サポートへ連絡するというのだ。

今の現状を見てみよう。

このブログでも書いたように、霊能者にも「偽物」がいると私は思っている。

この偽物はゲームを面白くする「サブキャラクター」なのか?


それにしてもゲームだと舞台裏を暴露するブログが世界中に溢れかえり、「霊界」の知識を持つ人たちの数は増え続けている。

霊界の仕組みについて疑問を持ち、探求している私ももしかしたら舞台裏を暴露する行為に加担しているという見方もある。

ある一定の数の人が「霊界とは」という疑問に答えられるようになった時、何が起こるのか?

このゲームをリセットして、もっと有利な展開でやり直したいと思う人の自殺が一気に増えそうではないだろうか?


この捉え方で「生命」という定義は見直す事が必要なのでは?と思えてしまう私は大丈夫なのだろうか?

スピリチュアルカウンセラーと言う霊能者たちは、人の悩みに対して「ゲームだからそこまで真剣に考える必要は無い」と言う。

それでいて、大地に足を付けた考えも必要と説く。

体験的に薄々「霊」とはこういう物では?と思っている人たちに完全な舞台裏を見破られないようにするために存在しているのが霊能者か?

偽物霊能者も動員して、ほんの少しだけ真実を漏らしながら様々な事を言い、人間界の霊の認識を混乱させる。

もし、この通りだとしたら本当に巧妙に考えられた仕組みだと感心してしまう。


と、ゲームをプレイしながら「ふと思ったり」。




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(04:36)

2013年01月13日

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「霊能者」、かなりの昔から「祈祷師」や「呪術師」「陰陽師」等様々な呼ばれ方をしている人たちがいたことは事実である。

私もこれまで様々な霊能者と呼ばれる人と会ってお話を聞いてきた。

本当に様々で、霊能者として数多くの人と会ってきた経験から「確かに、ごもっとも」「なるほど!」と納得出来てしまう内容がほとんどだ。

しかし私のこれまでの経験では、会うのが2回目まではおおよそ信頼できそうな言葉を並べる。

しかし私もじっくり考え、「まてよ!」と思い始める。

もっともらしい事を言ってはいるのだが、つじつまが合わない。

そして3回目に会ったとき、その矛盾について聞いてみる。

決まって帰ってくる答えが「そんな事聞いてどうする!?」と結構強い口調で威嚇される。

ここで毎回信頼関係が無くなるのだ。

確かに神がかり的な事もあったりする、だからなんとなく「霊能力」がありそうと思えるのだが、やはり全ての答えを返してくれる事を期待しては無理があるようだ。

初めて会うときは、当然「全面的に信頼」してから会う。

この姿勢でいないと、霊能者と言われている人でなくても失礼になるからだ。


霊能者と呼ばれる方々のほとんど(それ以外を知らないが)は、「霊」にも種類があり、低級霊、動物霊、高級霊、守護霊等と名前を付けて呼んでいる。

こういった観点から私が霊能者を見ると、見分けがつかないのは当然である。

そして霊能者の方が言われる事は、低級霊や動物霊に騙されて操られている「偽物の霊能者」がいるから注意したほうがいいとうのだ。

そして、こういった注意報を出してくれる霊能者に力を貸してくれている霊は「どのレベル?」という事である。

親切に偽物がいるから気を付けてね、と言う霊能者は果たしてどうなのか?

見分けることは難しい。

中には見分け方という物まで教えてくれる霊能者がいた。

その見分け方と言うのが、

1.丁寧に謙虚な対応をして、親身に相談に乗ってくれる

2.決して「威圧的」な態度を取らない

3.高額な料金を請求しない

等を教えて頂いた。


どの様な理由でこういった見分け方があるのか、それは霊とコンタクトを取れない私では分からない事なのだろうか?

それでも過去に出会った霊能者で、こんな方がいた。

非常に勉強熱心であり、「歴史上の神々」「心理学」「物理学」「量子力学」等を相当勉強しておられた。

それはそれでいい事だと思うのだが、それらの知識を絡めて「霊界」を説明するのだ。

そして矛盾について質問すると、とたんに威圧的な態度に豹変し、結局最後まで質問には答えてもらえなかった。

「そんな事聞いてどうする?」と怒られたのだ。


なにも怒る事は無いとおもうのだが、、、こちらは不思議な世界の不思議な理論が分からないから質問しているのに。

その後しばらくしてかなりの高額のセミナーを始めている。

背後には相当高いレベルの霊がサポートしてくれているというのだが、どうして高いレベルと分かるのだろう?

低級霊が高いレベルだと思い込ませて遊んでいるかもしれないのに。

結局万単位のお金を支払ったが、私の相談に対する回答は「何もない」、もっともらしい事を色々言われたが、それではつじつまが合わないのだ。

こうなってはもう信用できるレベルでは無い。

高いレベルの霊がサポートしていて、有料でお金を受け取って、自信満々で回答していたが意味不明では「偽物」と言わざるを得ない。

それでも今現在営業を行っており、私から見たらまんまと騙されている人が多数いるという事だ。


これまで出会った霊能者、霊感があるといった方々で、本当にこれはすごい!と言う人は未だかつていない。

これらは全て「霊」が存在するという前提で全て話している。

その霊の存在を証明できない状態では、偽物とも本物とも両方とも判断は出来ないと思われる。

過去の事例で、フォックス家 ハイズビル事件と呼ばれていた現象がある。

ここがスピリチュアルの出発点だと言われている。

フォックス姉妹が霊とラップ音でコンタクトを取り、後に様々な博士と呼ばれる方々が検証し、過去の殺人事件を発見したという。

ここから霊の研究が本格的に始まったのだが、昔の記録を調べていると口等から白い煙のような物を出して、それが人を模ったりして「エクトプラムズ」等と呼ばれていた。

この現象は当時盛んに写真等に記録され、その写真が雑誌に掲載されていた。

今「エクトプラムズ」という言葉や現象を知っている人はどの位いるのだろう?

現代ではほとんどその現象の事を聞かなくなった。

霊の世界も流行があるのか?


こういった不安定な情報の中、人々の想像や小さな現象等が集まって「解釈」され、スピリチュアルという分野が形成されていると思う。

フォックス家の事件が1830年代なので、それからは180年以上の歳月が流れている。

未だ「本物」と「偽物」の霊能者を判別できていないし、霊能者として営業されている方は自らは本物であると発言するし、偽物だと言うはずはない。

そして本物と名乗る霊能者は必ず背後には「高いレベルの霊」がサポートしていると言う。


テレビでは「FBI超能力捜査官」と題して番組の中で公開捜査を行ってきたが、解決した事例はとうとう見たことが無かった。

その後の調べて「FBIに超能力捜査官などいない」という事も言われたが、真実は不明のままである。


こうして様々な事を掘り下げて考えてみたり、霊能者に会ってみたりしても解決したことは何もない。

謎はますます深まるばかりである。

アセンションについても、これだけネットを賑わせていたのに最近ではアセンションに触れる内容はめっきり減っている。


私としては「霊」の存在を全面的に信用したいという願望がある。

そして「計画」なるものはどこまで影響しているのか?

守護霊として背後でサポートしてくれているとされる霊はどのような存在で、何をしてくれるのか?

こういった現実的な事がわかってきて初めて、何故「霊」という物が存在する?

転生してくる意味とは?

人間に転生して何を経験したりすることが望みなのか?

魂を磨くという事は本当に必要なのか?

まだまだいくらでも出てくるが、大まかな感想としてはこのような感じだ。


昨日、他の方の書き込みで「プッ!」と笑ってしまった文章があるので掲載させていただきたい。


スーパーマリオがクリボーやノコノコを倒しながらステージを進んでいくときマリオがふと思った
「だれかに操作されてねぇ?」

その「だれか」が神




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(00:48)

2013年01月12日

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先日頂いたコメントについてのブログ記事をアップしたところ、多数の反響がありました。

もうすこし探求を続けてみたいと思います。

<先日頂いたメッセージ>

《敷かれたレールを走る事ほどつまらぬもなはない、要所要所計画はするが、それとて全て実現することは難しいもの。人が肉体を持って生まれるは【経験】したいが為。そこには運命も偶然も必要なし。心動かす出逢いは運命で、取るに足らぬものは偶然か?その逆やもしれぬぞ。計画は計画である、偶然こそ運命であろう。あらゆる経験を与える出逢いに感謝することだ。それが運命か偶然かなど議論は必要であろうか?…》


この内容の「計画」について、更なるメッセージを頂けました。
Sさんありがとうございます。


前回のブログでは、抜け落ちていた「計画」についての内容、「自ら計画を立てる」という部分について。


スピリチュアルの世界でも言われているように、転生してくる「霊」はその人生をどのようにするのか「自ら決める」と言われてもいます。

私が霊能者の方に見て頂いた時にも、様々な計画を立ててきていると言われました。

その内容は、「生きている今知ってしまうと計画が台無しになる」という事で教えて頂けませんでした。

理由としてはごもっともです。

しかし、「本当ですか?」という疑問も残ります。

この生れる前の計画を自ら立てるという事について、その霊能者の方は「自分だけでなく、他の霊(守護神など)と相談しながら」と言っていました。

そして「前世での自分の生き様と残った思い」を教えて頂きました。

その「残った思い」の事をカルマとも言われていたりする。

そして、残った思いの内容は今の人生に反映されている事が多いという事を聞くと、言われてみれば、、、とも思えてしまうからまた不思議。

計画について、「神の計画」も存在すると言う。

個人の計画も「その個人だけで完結」せず、他の人と協力して「団体戦」を行う事もあり、かなり綿密だと言う事のようだ。


例えば、団体戦について。

仲良しの霊達がチームを組み、必要な時期に転生し、特手の日時に「殺される」。

その殺人者となる役柄、殺される役柄、故人の両親や友人等、これらはあらかじめ決められている事が多いと言う。

役柄を決められている事が「多い」と言う、「ある」とか決定的では無いようなのだ。

仲良し霊グループの中で、誰かが「転生したら思い切り悲しむ体験をしてみたい」と言い出すと、
「よし、それでは子供を殺されるというのはどうだ?」と提案、
「それなら私が変質者の殺人者役をやるよ」、
「よし、私が殺される子供の役をやる」

といった具合に演劇の配役を行い、それに適した転生先を選択し生まれてくるのだと。

個人の計画については個人で完結と思われるが、そうもいかない。

人生とは誰かとの出会いで大きく動く場合もある。

その出会いの流れを後になって振り返ると「運命」的なように思える。

これらが計画されていたとすると、そのネットワークはほぼ全ての人類とで計画が必要となると思われる。

そしてそこまで人生は決まっていると言うスピリチュアルの霊能者もいることは確かである。


もし人生の全てが決まっている、自由裁量は全くないという事になると、この事を聞いて「それなら今まで我慢していた事もやってしまえ!」という人も出てくるだろう。

それも計画の内という事になる。


人間界での技術革新や発展、発明等も全て決まったストーリーで、ノーベル賞もアカデミー賞も受賞する人は決まっている。

数えきれない失敗を繰り返した実験で、ある失敗から「偶然」出てきた現象が後の「大発見」となるストーリーも決まっている。

災害で亡くなる人も殺人で殺される人も事業に失敗し不良者になる人も、全て決まっている、、、のか?

芸能界の近藤真彦ことマッチは、レコード大賞を受賞する事が生れる前から決まっていたという発言もある。


中立になって考えてみる。

その霊能者は「人の思考」にアクセスできるという。

そしてその人の感じている事を読み取れると。

これは物凄い能力なのではないだろうか?

この霊能者について詳細に公表してしまうと、宣伝になってしまうので控えたい。

では、何故これほど信頼できると思える霊能者と出会う事が出来ているにもかかわらずこのような疑問を解決できないのか?

それは、最初はこの霊能者の方を信じて色々聞いていましたが、話が進むにつれて矛盾が出始めてきた事。

そしてその矛盾について更に質問すると「威圧的な返答」が来るようになり、更に矛盾が広がった事。

そして高額なセミナーを始めたこと。

これらの事柄を総合して「怪しい、、、」と思えてしまった。


先日頂いたコメントからのメッセージでは、想像以上に人生は自由であり計画も予定通りいかない事もあるという内容。

こちらの方が自然に思える。


全てが計画の元に展開されているという事は非常に不自然に思えるのだが、これが計画通りなのだろうか?


全てとまで言わなくとも、何か特定の事「賞を受賞」とか「発明」とか一部の特別な出来事と人間が思える事にだけ、受賞等する人が決まっているという考え方もある。

そしてその特定の人に転生する霊は、その事を生れる前から知っている、こういった考えだと少しは納得もできたりする。


最後に、「感謝」について。

この感情は一体どのような意味を持つのだろうか?

自分がしてもらい、又は人以外からの恩恵を受け「嬉しい、ありがたい」と思える心、感謝。

この感情は深く考えるも無く素晴らしい感情だと自然に思える。

この感謝についてスピリチュアルでは非常に強く押してくる。

こういった人間が自然に出てくる「感情」に関して、これをスピリチュアルと関連付けての話等については今の所私の疑問では、どうにも関連付けが出来ない。

今後またこの「感情」について何かわかってきたらブログで取り上げてみたいと思う。



過去記事

生れる前の計画とは?

生れる前の計画について2



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(17:10)

2013年01月11日

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先日頂いたコメントでこのようなチャネリングのメッセージを頂いたという内容がありました。

この内容を掘り下げさせていただきます。

《敷かれたレールを走る事ほどつまらぬもなはない、要所要所計画はするが、それとて全て実現することは難しいもの。人が肉体を持って生まれるは【経験】したいが為。そこには運命も偶然も必要なし。心動かす出逢いは運命で、取るに足らぬものは偶然か?その逆やもしれぬぞ。計画は計画である、偶然こそ運命であろう。あらゆる経験を与える出逢いに感謝することだ。それが運命か偶然かなど議論は必要であろうか?…》

このメッセージを拝見して、なるほど!と思いました。

全てが決まっていては面白くない、「経験」するためには記憶は無い方がいい。

これはこれまでも言われてきたスピリチュアルでの言葉ですね。

気になったのは、「計画」がある、とう部分。

やはり「霊界」という見えない存在があり、そこから人間界が管理されているという前提になっている。

ここが私の疑問のひとつ。

こうした前提があるのか、無いのか?ここがよく分からないのです。

人間界が霊界から管理されているという前提、そして計画があるという事は、「目的は?」と続いていく。

人間に転生する場合、以前の記憶が無い方が新鮮に経験出来るという組み立てで考えると、敢て記憶を消すという作業が行われている以上、人間が追求し解明してはいけないという方向に行くと思う。

そして、偶然と運命について議論は必要ないという結び、せめてそこを知りたいと思う。

人間社会を生きていると「理不尽」という事に出くわす。

「災害で命を落とす」「通りすがりに見知らぬ人に刺されて命を落とす」「子供を預けた先がいいかげんなせいで子供が命を落とす」

「責任」という人間社会の言葉を当てはめて考えると、自分に責任(非が無い)のに嫌な事を受ける。

この理由が分からず苦しんでいる人は数知れない。


もし、計画があるとすると、「理不尽に苦しむ」のも計画なのか?

それとも単なる成り行きで「落とし穴にはまった」のか位知る事が出来れば知りたいと思うのだ。

霊界の計画に「愛する人を理不尽に奪われて苦しむ」というストーリーが用意されているというのであればそれは計画だと知らないほうが霊界の視点から見た場合、望ましいと思われる。

しかし、「そのような計画は無い」という事であれば、人間は最善を尽くして理不尽を避けると思う。


別の見方として、この「世界」(人間界も霊界も)はプラスとマイナスでバランスが取れているともスピリチュアルでは言われている。

いい人がいればその分悪い人もいる。

表があればそれと同じ大きさの裏があり一つの物を形成している。

こういった考え方からすると、「必要悪」という言葉があるが、無くては平和を味わえないとう事も考えられる。

いつも特上の美味しい料理を朝昼晩と生れた時から食べていたら、それが普通の食事となり「うまい!」という感動は味わえない。

ごみごみした都会に生活しているから田舎の空気が新鮮で素晴らしいと感じる。

戦争という悲惨な事があるから平和運動が起きて、平和を実感できる。

こういった両極のバランスの一つが「理不尽」だと考えると、理不尽があれば気を付けようという事になる。

しかし、理不尽に当たる人が必ずいつのだが、「なぜこの人が?」という事例は多い。

生まれつき体が弱く、小学生の頃は歩くことも困難だった少年が、がんばってがんばって体力を付け、病気を克服し、やがて中学生になり自分の足で歩けるようになったという子供がいた。(実話です)

そしてその子供は親孝行で明るくてといい事しか出てこない素晴らしい少年でした。

そして中学2年のある日、駅前の横断歩道で交通事故により無くなってしまったのです。

何故彼が事故にあわなければならないのか?

同級生たちよりあんなにがんばって生きていた少年が、どうしてあのタイミングで事故にあってしまったのか?

大騒ぎでした。

ここに「解釈」が沢山出てきました。

こういう特殊な幼少期を過ごした素晴らしい子供が悲惨な目にあうと周囲へのインパクトが計り知れない。

だから、彼(事故で亡くなった中学生)は敢てここで計画通り寿命を迎えたのだと。。。

全て予定通りだと。。。

親の前ではとても予定通り等という事は出来ない。

スピリチュアルの方はこういった解釈をされていました。


もしかしたら、本当に計画通りかもしれない。

だとしたら、どの様な理由の「計画」なのだろうか?

大きく悲しむという事を経験しているから今生きている事に感謝し、人を大切にしようと思えるようになるから?

いくらでも解釈は可能だ。

まだまだ事例は沢山ある、こういった「なぜ?」に疑問を向けているのがこのブログである。


これに関連して、ストーカー殺人という事が話題となっていた昨年、惜しくも若くして命を落としてしまった女性がいた。

この女性の「霊」がどうなっていったのかは誰にも分からない。

もしこの女性がスピリチュアルで言われているように「この世に未練を残したまま」であったならどうだろう?

浮遊霊としてずっとさ迷い続ける事になるのではないだろうか?

成仏して昇天し、次の転生にという流れに乗れないという事になる。

霊能者の方に教えて頂いた話だと、霊自ら成仏するのを拒んでいる場合が結構あるという。

この浮遊霊、地縛霊と呼ばれる霊達が人間に目撃されたり、自分と同じように事故に人間を誘い込んだりとしているようだ。

この霊達は次の転生での人生で「新たな経験」をすることが出来ない。


人間社会で経験をする事が目的であるならば、迷った霊に対しての救済措置のような仕組みがあってもよさそうなのだが。

霊界もまだ発展途上だよ、と言われてしまうと全ての議論が成り立たなくなってしまうので、それは無しで。

何せ霊界にも階層があり、最上階には「源」と呼ばれる神がいるとされている。

発展途上という言葉は失礼ではないかと思われる。


大きく話がそれているので、「計画」の流れに戻ろう。

話の周辺にある事柄も全て関連があるので、これらを文章で書いていると次から次へと展開してしまい、毎度同じように脱線となってしまう。

だから、行間もあるという事で読んでいただけると幸いだ。


この計画という事、「経験する事」が全てなのか、スピリチュアルの本などを執筆している偉い方の言う「魂を磨く」という事も目的となるのだろうか?

魂を磨くのが目的で、その為の経験、そしてその魂に必要な経験をさせるために計画がある、と書くと一見筋が通っているように思えてしまう。

素朴な疑問

どうして記憶を消してまで何度も経験をしたいの?

どうして魂を磨きたいの?

ここである。

この部分を疑わないと、これ以降のスピリチュアルの話は今言われている事で、おおよそ筋が通ってしまう。

今回コメントで頂いたこのメッセージは、疑問を掘り下げるのに助けになりました。

このメッセージだけで、まだまだ沢山の文章を書けそうと思う。

非常にありがたいコメントです。

Sさん、ありがとうございました。

またよろしくお願いします。




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(02:29)

2013年01月09日

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ナチス・ドイツのヒトラーに関する予言をまとめたサイトに行き当たった。

何も探していたわけではないのだが、何気なくクリックしたリンクに「ヒトラーの預言」と書かれていたので読んでみた。

そこにはヒトラーが当時「あいつ」と呼んでいた「インスピレーション」の形でやってくるメッセージを聞いていたという。

25歳のヒトラーが志願して戦争に行き、一番危険とされていた伝令を引き受けて、数十回戦闘の最前線でも命を落とさなく、不死身の伝令と呼ばれていた等、一般的には知られていない内容が書かれている。

そして、50歳で世界を相手に戦うと「あいつ」から言われていたように第二次世界大戦を始めたとある。

ヒトラーも当時「瞑想」を行い、チャネリングを行っていた事がヒトラーの側近達からの証言や記録で明らかになっているという。


そして、受け取ったメッセージが非常に興味深く、これまで耳にしてきた「予言」等のイメージとは違って、より具体的に調査された語録がある。

イスラエルという国が存在する前から、国民に向かって「イスラエルが」と発言していたり、何もない空を見て「飛行機が飛んでくる、なんだこいつは!プロペラが無い!音も変だ!」と叫んだという。

この時何もない空で見た光景が、第二次世界大戦終了間際に完成されていたジェット戦闘機だったりする。

世界大戦後の世界情勢の変化や人の変化、その他記録の断片から判明した内容を集めて記載されている。

ヒトラーはこのままユダヤ人を放置すると、世界がユダヤに支配される。そうはさせない!という信念にて弾圧を行っていたという。


このヒトラーの語録が誰かのねつ造で無いとするならば、かなり鮮明に未来を見ているという事になる。

詳細はこのブログ最下部のリンクを見て頂ければ詳細を読むことが出来るので、詳細はこれ以上書かない。


ヒトラーの予言を読んで、このヒトラーが見たとする人類の未来を想像してみると、あながちでたらめとは言いにくい内容に思える。

しかし、このヒトラーが「あいつ」と呼んだメッセンジャーは、何を伝えたかったのだろうか?

私としてはここが一番気にかかる部分だ。

ヒトラーは「あいつ」から受け取ったメッセージで命をギリギリ拾ってきた。

そして導かれるように党首となり、総統に登りつめた。

メッセージを受け取り「ポーランド侵攻」を始め、戦闘中も的確な指示を受けている。

そしてヒトラーが自殺する2年前にドイツが負けることを「あいつ」から聞かされており、ヒトラーの死期もほんの10日ほどのずれだけで「あいつ」から聞かされていたという。

現代に生きる我々の感覚で考えてしまうと「神の世界から受け取ったメッセージ」で戦争を起こすという事がどうにも腑に落ちない。

しかし、その当時の感覚では当たり前の時代であったのと同時に「霊界」にも戦争は当たり前であったのだろうか?


日本も太平洋戦争が始まる前の不景気の真っただ中、2012年頃のように閉塞感があふれていた時代、町の人々は「戦争でも始まってくれないかな〜」「そうすれば景気も良くなるのにな〜」と平然と言っていた。

敗戦という事を経験したことのない民族は、戦争がどれほど悲惨かという事を知らないのでお気楽であったのだろう。

今現代の感覚では(私の、としておこう)とても考えられない考えである。


「霊界」の感覚には肉体の生命に関しての価値観が低いのか?と思えてしまう事もある。

霊界に戻り、「あぁ、人間界とはそういう所だったんだな〜」と思い出していたとして、次はいつ転生するかな?等と考えていたとすれば肉体の生命に対する価値観は低くて当然ではないだろうか。

そして、ヒトラーの死亡時期の預言に「10日」のずれがある所だ。

その途中の細かい事柄、その後の社会の在り方等映像として見えていた内容と現在の内容がかなりの一致を見せている所。

もしかして解釈の違いで、ずれでは無く一致かもしれないし、その逆もある。

「未来に起こる事柄は決まっているのか?」

大筋でストーリーが決まっているようなイメージを受ける。


しかし、ここで昔を思い出してみたい。

1999年年末、あの有名な大予言があった。

そう、ノストラダムスである。

ノストラダムスが有名になった理由に、やはり途中までの預言の的中と思われる内容が数多く有ったので、1999年年末が有名になったのだ。

そして人類は何故か「滅亡予言」に弱い。。。

「陰謀論」も大好きだ。

直近では2012年年末に「アセンション」というイベントも騒がれていた。

2013年を迎えて、一大事が起こったと言う事は無い。


東日本大震災の時、誰か数名の方が「メッセージ」を受け取っており、予言を的中させている事で有名になった人もいる。

年間365日、どこかで誰かが毎日「地震予言」をしている。

そう、必ず誰かの預言が的中するのだ。

場所の特定は違っても日にちが合っていれば、的中とされてしまう。

東日本大震災の1週間前から私の友人は頭痛に悩まされており、3月11日当日の朝、仕事には出てきたもののあまりに酷い頭痛の為午前中で早退した。

そして彼は極限の頭痛で寝ている時、東京の高層マンション最上階で地震にあい部屋中転げまわり、柱にしがみついていた。

この日以来、規模の大きい地震が近づくと頭痛がするという法則に確信を持ち、自分を観察していた。

やはり頭痛が1週間続くと最終日どこかで震度5クラスの地震が来ると言う事を発見した。

ナマズのような人だ。

この人の場合は、野生の動物と同等の危機回避能力とでも言おうか、分かる気がする。

「お告げ」では無いのだから。

ヒトラーにしてもノストラダムスにしても、最近では日本のテレビ局も特集した「ジュセリーノ」@ブラジルでも、最初は以前の記録とされる予言的中率が話題となり、注目を集めても結果「あれ?」という事になり、続いた人はあまり聞いたことが無い。

こういった過去の事例がある為に「ヒトラーの預言」もそう簡単に信用できない考え方を持つ自分がいる。

振り回されてはいけない。

「予言」に関しては、解釈の仕方で後から考え直すと「あ、そういう意味だったのか!」となるような予言文が多い。

未来の技術を知らない人が見た、その当時の知識での説明となる為に起こる現象でもある。

ノストラダムスが「顔の半分が豚の人間が空を飛ぶものに乗り、ピカッと光る物を落として戦争が終わる」こんな文を見ると、B−29に乗り高高度を飛ぶ飛行機の中、薄い酸素状態で失神しないための酸素マスクがノストラダムスには「半分豚の人間」に」見えたと解釈できる。

ヒトラーの預言にも似た事例がある。

ミステリーとして楽しむ分にはいいかもしれないが、人類が本当にそうなってしまうと信じ込むのは危険である。

スピリチュアルの世界も完全に信用してしまうと、平気で自ら命を絶つ人間が出てきてもおかしくない事も言われている。

やはり、正体が不明な事を確証が得られない状態で頭から信用し、鵜呑みにすることは危険という事を常に頭の隅に置いておくことは必要なのではないだろうか?

それでは、興味のある人は「ヒトラーの預言」を見てください。(ヒトラーの予言 で検索すると出てきます。このブログ、一部修正してアップしたら、ヒトラーの予言のリンクが不正だといって受け付けてくれなくなってしまいました。原因不明→gooから回答>スパム対策の文字列がある為だそうです。使いにくくなってきた)


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(23:20)

2013年01月08日

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昔話で旅の親子についての解釈の変化について思い出した。

父と息子が馬を引きながら旅をするという話だ。

ある街に到着すると、その町の人は馬に荷物を載せている事に批判が出た。

それを教訓に次の町へ行くまで息子が荷物を持っていると、子供に荷物を持たせて!と批判される。

ではという事で父が荷物を持っていると、親不孝な子供だと批判された。

うろ覚えの話だが、こういった内容であったと思う。

結局どのような事をしても「批判」する人はどこかを探して批判する。

批判に耳を傾けていると永遠に止まらない。

芸能人のブログ等で何か脚光を浴びて絶賛されると、必ず一定の割合で同じことを批判する書き込みが出る。

また、炎上と呼ばれるように批判が殺到すると、ある時点から「いやいや、やっぱり」と肯定派の擁護する書き込みが出る。

すると沈静化していた批判組がその擁護内容について批判し始める。

これまた昔話だが、元気な息子が落馬して骨折してしまった事を近所の人たちは心配した。

「大変な目に会ってしまったね〜」と。

骨折した息子の父親は考えた。本当に不幸な事なのだろうか?

その後しばらくして戦争が始まり、元気な若者は徴兵でかり出され戦死した。

骨折した若者は、歩けない状態であったため戦争へは行けず、骨折が治り歩けるようになった頃には戦争は終結。

命を落とさずに済んだ。

怪我の功名という言葉が適切かと思われるが、アクシデントの直後は「不幸」と思えても時間の経過と共にそのアクシデントは「幸福」をもたらすこともある。

スピリチュアルでヒーリング等を行っている方々は、この時間の経過と未来の展開についてアドバイスをする。

なかなか結婚相手に巡り合えないのだが、どうなのだろう?とか。

仕事が無くなってしまい、将来の不安が消せない、とか。

様々あるだろう。

その現実的な出来事に、現実的な回答をするのだが、単なる知識からのアドバイスでは気休めになる為チャネリングを行い、「お告げ」をもらってのアドバイスとなる。

このお告げが悩んでいる人の解釈を変える事により安心を取り戻す事になる。

お告げで今現在の意味を説明し、未来に起こりそうな事柄を「予言」する。

そしてその予言通りになる為にしなければいけない事を説明する。

この「予言」を行える人が霊能者として、有料で行う人もいれば無料で行う人もいて様々である。


この預言であるが、私も色々な霊能者から「お告げ」をもらった事があるが「あやふやな事」が多い。

そして時間が経過した時「予言」の内容と違う未来がやってくる事が多い。

そしてその違いをお金を払って再度聞くと、最初の予言の時の説明と違う説明をされることがなんと多い事か。

「あの時はそういう意味で言ったのではない」これが毎回聞かれる言葉だ。

そしてやらねばならない事を言われた通りに行っていたのが、それも意味が違い見当違いの事をやっていたと。

これは、説明する人と説明を受ける人の解釈の違いが起こる為に予言通りにならないという理由にされる。

一般的に仕事の中でも上司からの指示通りに仕事を行うと、出来上がりが上司のイメージと違い怒られるというパターン。

現在のビジネスシーンでは、説明を受けた人が勘違いすると「説明の仕方がまずい」という説明する側に責任があるとされる流れが主流だ。

未だに説明を受けた人の勘違いを責めているようでは置いていかれるであろう。

しかしスピリチュアルシーンでは、毎度「予言」があやふやで聞いた人の勘違いを責められる。

聞く側が顧客でお金を払っているにもかかわらずである。


こういった事例が数多くあるために霊能者は「偽物」と「本物」という区別がつけられるようになってきた。

そしてノウハウである。

高額な相談料を取る霊能者は偽物である、威圧的な態度を取る霊能者も偽物だ、など。

本当に解釈だけの違いから来ることなのか判断は永遠につけることは出来ない。

何せ時間が経過してしまっているのだから、環境が変化してしまい、同じシチュエーションにはならないからである。

はたまた、パラレルワールドというスピリチュアルの解釈も存在する為、予言が外れても言い訳の様子はふんだんにある。

未来はいくらでもあり、「予言として見えたことは無数の未来の一つだ」と。

これではどのような未来も全てありうるわけだから、予言でもなんでもない。

このパラレルワールドを説明しながら「お告げ」をもらい、未来を「予言」するという霊能者にも遭遇した。

結局矛盾した説明に納得できなかったために、その矛盾について説明を求めると「急に威圧的な態度に出てきた」のである。

こういった輩が多い世界がスピリチュアルの世界であり、精神世界が胡散臭く見られる原因でもあると思う。


それでも、「霊」という存在はあるように思えてしまう今、他に追求していく手段としては各種事例を集めるしか今の所無いのではないか?

ベストセラーとなった「神との対話」シリーズも「バシャール」を推薦する人たちからすると「偽物」だ「低級霊に遊ばれてる」と言った批判がされている。

今後もし私にチャネリングが出来るようになり、何かメッセージが来たとしても、その相手を信頼する事は難しい。

チャネリングそのものがどういったものなのかの「解釈」が統一されていないのだから。

いくらでも解釈できてしまう現代では、まだあの世の解明にはほど遠いのでは?

と解釈してしまったが、この解釈も何かで反転する可能性もあると思う。

時間の経過を見ながら、様々な解釈をこれからも行ってみたい。




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(02:30)

2013年01月07日

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ずっと精神世界の事を考えながらいたら、ふと動物について疑問が湧いてきた。

スピリチュアルの世界では「動物霊」という呼び方をしていいる対象には、いい印象が無い。

キツネだったり蛇だったりと古くから言われている動物。

私の友人で非常に霊感が強いという方がいる。

その方は、非常にネコが大好きでいつも一緒に住んでいるのだが、以前飼っていたネコの霊が時々部屋に遊びに来ると言う。

生きていたころと同じように無邪気に遊んでいて、知らぬ間に消えているというのだ。

そして現在生きているネコは、その霊が遊びに来ているとその方向を目で追いかけるという。

私も以前ネコを飼っていたことがあるが、ネコはのどかに昼寝していても突然部屋のある一定の場所を見つめる事がある。

別に何も無い所なのだが、そこを見続けてパッパッと視線を動かす事を時折する。

そしてしばらくすると、またむにゃむにゃと昼寝に入るのだ。

よく「ネコには霊が見えている」と言われるのはこういったしぐさからだというのが実感できた。

霊感の強い友人はネコの霊そのものが見えていて、それと同じ場所を生きているネコが目で追うという。

飼われていた犬も肉体が死んでから時々遊びに帰ってくるという。

こういう話を聞いてみると、人間の霊となんら変わらない行動を取っているな、と感じる。

犬やネコ等は、飼い主と心が通じているように思える。

そういった動物の精神は「本能+意思」があると思える。

「意思」があると「飼い主に会いたい」という気持ちが湧く事もあるだろうと推測できる。

この辺りまではなんとなくでも推測できる範囲だが、ではフェレットやハムスター、更にはカメや金魚等の生命はどうなのだろう?

肉体を持っていた時は、生れ→食べ→子孫繁栄本能→食べ→死 というサイクルで動く。

特に肉体に関しては今現在DNAという所まで肉体に関して解析されている範囲では、生れ方、食べたときの消化の仕方、細胞の分裂、増殖の仕組み、どれをとってもそう人間と大きく変わるものでは無い。

チンパンジーと人間のDNAはほんの数%しか違いが無いという。

この神秘な生命とそれを動かす肉体、更にそこへ意思を持たせたありとあらゆる生命体、これらが食物連鎖を気が遠くなるほどの年月をかけて地球上で展開され続けている。

ネコや犬といった身近な動物には「霊」の存在を感じることもあるが、魚や昆虫、爬虫類等はどうなっているのか?

「霊」と定義付けられるものはあるのだろうか?

もう亡くなってしまった方で「霊界からの使者」と呼ばれた丹波哲郎さんがテレビで言っていた事がある。

人間の霊は輪廻転生という形で転生してくる為「個」という意識がしっかりある。

しかし動物は肉体が死ぬとひとつのまとまった霊体に融合してしまうと言う。

このような話をされていた。


肉体を動かしているのは「霊」があるからなのか?

それともDNAを設計図として宇宙の法則の中で動くことが出来るのか?

この方ももう亡くなってしまっているが宜保愛子さんという方がテレビで言っていた事は、「昔魚を飼っていませんでしたか?」「その魚が〜」と魚の霊が何か影響しているといった話をしていたのを不思議な感じで見ていた記憶がある。

宜保さんの霊能力を疑う人もいるので、霊能力を疑っては話は進まない。

霊能力はあるとしてスピリチュアルの疑問に切り込んでいくのだから、そこはご了承頂きたい。


爬虫類の「ヘビ」はどうなのだろう?

スピリチュアルの世界では必ず登場するレギュラーメンバーである。

先日もアナウンサーの方が駐車場で人身事故という状況になってしまったのだが、このアナウンサーにはヘビが巻き付いているとこれまたテレビで言われていたようだ。

ヘビに何か特殊能力があるのか?

龍神様という「龍」を祭った神様がいる。

中国では龍という言葉が非常に重きを得て扱われている。

スピリチュアルの歴史の中で、龍は架空の生き物と言われている。

ヘビの発展形とも言われたりしている。

白いヘビが部屋や自宅敷地内にいるとその家は栄えるとの言い伝えもある。

どの様な根拠があるのだろう?

繁栄と呪いの両方の効果を発揮する「ヘビ」、これは一体「霊」としてはどのような存在で、何が目的なのだろう?

スピリチュアルの方で、ヘビは化身で仮の姿、様々な神や霊がその姿で現れるといった話を聞いたことがある。

では何故人に災いをもたらせる時、ヘビの姿をして首に巻きつくのか?

ある霊能者の方の所を訪問した時、ヒーリングを行ったらその人からヘビはキツネ等の動物霊と呼ばれるものがうじゃうじゃ出てきたという。

そしてヒーリングが終わると、すっきりした様子で重かった肩が軽くなったと言って帰っていく。

これは一体どういう現象なのだろう?

本人がスッキリするのだからそれでいいと思うが、このブログはもう少し突っ込んで考えてみる。

ヒーリングを行う霊能者とそれを横で見ている霊能者、見ている霊能者の方がヘビやらキツネやらが出ていく姿を見ている。

何かの「意識体」が他人に憑りつくとヘビやキツネに見えるのか?

それとも本当にヘビはキツネの霊なのか?

人の霊がヘビに姿を変える理由は?

おぞましい怒りの念は自然とヘビのような姿になると言うのだろうか?

この辺りの説明を明確にしている霊能者と私は出会った事が無い。


稲荷神社はキツネの神様だという。

神社なのだ。お供え物をし、商売繁盛を祈願し、境内を掃除し手入れをする。

キツネが神様?

人に災いをもたらすのもヘビとキツネ。

しかし神様として祭られてもいる。

ある霊能者は稲荷神社は実は「魔」と呼ばれるものが多く集まっているので行かないほうがいいと言っていた。

さてここで登場した「魔」、これはどういう扱いになるのだろう?

魔についてはまた情報が集まったり、考えがまとまった時にブログに書いてみたい。


話を戻そう。

人の意識体が怨念等を持った時、ヘビの姿に変わるという事があるのであればそこには「法則性」が感じられる。

キツネは何か「いたずら」といった感覚が強いように思えるが、これは単なる私の思い込みであろう。

先ほども書いたようにヒーリングでヘビとキツネがうじゃうじゃ出てきて離れていくという現象をどう考えればよいのだろうか?

人が人に怨念を抱く。

生きている人が生きている人へ怨念を抱いた場合知らないうちに「生霊」を飛ばす事があるという。

生霊なので人の姿を保っているが、生霊は生霊と呼ばれておりヘビはヘビなのだ。

では亡くなった方の怨霊の場合どうだろう?

亡くなった方の怨霊が対象の人へ向けられたとき、これがヘビに変化するのか?

では、ヒーリング等ではがされても怨念が消えない限り何度でも戻ってきそうではないだろうか?

ヒーリングでは解決できていないという事になる。

では「除霊」、これも憑りつかれた人の背中を叩いたり、お経をあげ説得する。

この「説得」という事が意味がありそうに思えるが「お経」はどのような効果があるのかまだ判明しない。


ヘビに話を戻してみる。

人の怨念がヘビに変化すると言う法則性があるとすると、除霊で行われる人の霊ではなさそうに思える。

生霊でも怨念で変化した人の霊でもない、とすると一体ヘビの正体は何なんだろうか?

爬虫類のヘビとしての霊がそのまま人に災いをもたらすという考え方は、かなり無理があるように思われる。

ヘビにあるのであればワニであってもよさそうなものだが、ワニに憑りつかれたといった話は聞いたことが無い。

アルマジロでもよさそうだが。。。


やはり見た目のイメージから昔の人が抱いた感情により言い伝えられた事が伝言ゲームとしてまことしやかに語られていると考えるのがかなり現実的なのではないだろうか?

他に理由を知っている方がおられたら、是非教えて頂けるとありがたい。


生命体の神秘の話からヘビに発展していったきり戻れなくなっているので、ここで一度戻りたい。


爬虫類でも昆虫でも神秘的なパワーを持っているように見える生命の世界はまだ解明されていない部分が多すぎる。

その中の人類にしても「根源」が分からない。

そしてスピリチュアルの世界では「発生している事には何の意味も無い、それを解釈しているのが人間である」といった定義が多く聞かれる。

つまり解釈の世界なので、どうとらえてもいいと言うのだ。

それでは、人生の意味を深く考える人にとって根底が揺らぐことになる。

人が理解できる内容で勝手な解釈でなく真実に近づいてみたい。


このテーマはかなり深いので、今後また違う切り口で探ってみたい。



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(01:36)

2013年01月06日

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過去記録や言い伝え等がある頃から、様々言われてきた「幽霊」や「怪奇現象」そして「祈り」や「輪廻転生」等あまりにもそれぞれ矛盾があり、どうしても総合的に考えることが出来なかった。

所が、このブログを書いている時ふと思いついたのが今回第二弾として書いてみる「仮説」である。

まだこの仮説には名前すら付けていないが、掘り下げていくうちに思いつくかもしれない。

仮説についてまとめてみる。

今まで肉体を持った人間が生きる「人間界」と霊だけの世界として「霊界」というカテゴリーに分類して考えている事が基本であった。

その霊界も段階に分けての説明等もあったが、今回の解説では線引きを1本で考えている。

人間界と人間が時折目撃したりする霊がいるとされている「幽界」。

そして「成仏」している、もしくは「昇天」したとされている世界を「霊界」として見る。

ここで「霊界」と分類した世界の中に「幽界」「人間界」が含まれるという考え方だ。

全てを統括していると考える「霊界」の基本方針に沿って「幽界」「人間界」が運営されていると考える。

人間は霊が肉体に重なっていると考えられているので、肉体がある、なしを考えなければ「霊界」「幽界」という事になる。

人間社会の中でも人は生まれてから、家庭で、学校でと様々な場所にて「教育」を受ける。

これは文明が始まってからの考え方であり、その前は動物の本能だけで生きていたと考えられており教育という概念は存在しないと考える。

進化論そのものを否定する方には、この私の仮説に関しても意味の無い話となるので、そこはご理解いただきたい。


「霊界」にて「個別の魂」が生まれるという概念があるのかは不明であるが、「源」から分離して新たに「個」が誕生するというふうに考えてみる。


まだ、「なぜ霊界の個別の魂に教育が必要なのか?」という事に関しては「謎」である。

この部分に関しても最近のスピリチュアルの世界で様々な説明が行われているがこれらも皆バラバラなのでつじつまが合わないのが現状である。

霊界から分離した個別の霊は幽界へ行き、様々な事を経験することが「出来る」のではないだろうか?

この部分に関して「魂を磨く為」とか「様々な経験をする為」とか「楽しむ為」とか色々言われているが、これらは全て正解なのではないだろうかと考えている。

つまり人間の学校のようにレベル別に学校や教室を分けることをしないで、全てのレベルが同一の場所に集まり、社会を形成しながらそこで様々な事を経験、又は学習、修行、遊び等目的に応じて自由に行えるのではなかろうか?

そして人間と言う肉体を使い、物質の感触や時間という概念を経験することが可能となる世界。

肉体が寿命を迎え、動かなくなると人間的には「死亡」という形になるが、「霊」はそこから離れ、新たな肉体へ入る事が可能なのでは?と考えてみる。

霊とは肉体を持たない「概念」または「想念」「意識体」等今我々が持っている言葉で表現できる範囲で表現してみるとこの様な言葉になるのであろうが、この後時間が経過して、もっと適切な表現が出来るかもしれない、今は「概念」「想念」「意識体」等と呼ぶことにする。

この「意識体」が次の肉体を得られるまで順番待ちをしているというスピリチュアルの経験談もある。

また、肉体が死亡した後、想念の世界で人生を振り返る事もあるという。

更に、肉体でいた頃のこの世への未練等が強すぎたりした場合、肉体を離れてもその事を認めないで人間界のエリアに残り続ける意識体もあるかもしれない。

これが、振動数というは波動というか波長というかが人間と近いため人間に「認識」されてしまうと思われる。

霊となると時間の概念が無くなるので、数百年でも数千年でもそこにあり続ける可能性はあるだろう。

どういった状態でその意識が肉体を離れても記憶を保持するのか?仕組みはまったく説明できないが、否定する事は不可能と思われる。

人生は死んだら終わり、あとは何も残らない、という考えもあり、霊等存在しないという方もいる。

しかし、霊というカテゴリーの何かしらの存在が無いと説明できない事象が発生している事も確かである。

そして、そのあると思われる「霊というカテゴリー」の世界がどうなっているのか探求している段階なのである。


人間としての意識の記憶は人間でいる間はせいぜい数十年である、これが前世と呼ばれる記憶を覚えていたりする事があるのはやはり輪廻転生という仕組みがあると考えるのが妥当であると思われる。

結局「幽界」の中で様々な目的「修行」であったり「経験」や「遊び」などの事をしたいと考える霊があつまって「幽界」を形成していると考えられる。

「霊界」という全体のカテゴリーから見てみると、その中にある「幽界」は娯楽施設でもあり、学校でもあり、厳しい修行の場でもあったりするのであろう。

「霊界」全体の中がどうなっているのかは全く不明であり、今この世界を説明している人もいるが、憶測の領域を出ないと私は考える。

そして「幽界」の中で更にカテゴリーが分かれて「娯楽部」「学習部」「修行部」等私が適当に命名しているが、こういった部署の担当者がいて、そこから人間に入る霊、その霊をサポートする霊(守護霊とかがそうだと思われる)、その地域なのか、分からないが
小規模なエリアを統括する霊(地神様がこれに当たるのか)等がいると考えられる。

人間に入る霊の中には何度も転生している霊もあればまだ回数が少ない未熟な霊もいるのであろう。

その中で霊界からのメッセージを受け取る役割を与えられた人間が今この人間社会で「霊能者」と呼ばれているのではないだろうか?


「源」から分離した「個」の魂は、どの様にして「個性」を身に付けるのか?

もしかしたら、人間社会を経験することによりその中で個性が積み上げられて、「個」という概念が強くなっていくとは考えられないだろうか?

今現在の人間社会を見渡しても、本当に「純粋」な人も「曲者」もいる、純粋→曲者→純粋と繰り返して個性が磨かれていくのでは?


「幽界」というアミューズメントパークで霊が様々な経験を積んでいる世界があるとする。

しかし「霊界」がどのような構成になっており、何の目的で「幽界」を作ったのか、自然に出来たのか、経緯と目的はまるで不明のままである。


この私のブログでは、最近流行しているスピリチュアルの世界で言われている事に大いに疑問を持っているため、掘り下げて納得できるところまで行ってみようという所が目的である為「霊界」全体の事に関しては、深く追求しない事にする。


人間として生きていて「結婚したい」「お金持ちになりたい」「子供にいい学校へ入ってもらいたい」「旦那さんに出世してもらいたい」「両親に元気で長生きしてもらいたい」様々な思いがあるであろう。

しかし、怒りから人に呪いの気持ちを向けたり、肉体的に破壊を行ったりとひどい事も行われている。

この件に関しては後にテーマとして取り上げて、深く追求してみるつもりである。

話を戻して、人にそれぞれある「希望や欲」に対して、障害となる事、まだ来ない「運命」に辿り着くには?と方法を求める人、これらの気持にスピリチュアルの世界でヒーリングが行われたり、様々なイベントが行われている。

「幽界」から見渡した時、霊が人間界という遊園地へ遊びに行った時、「占いのゲーム」で「運命の人は現れるでしょう」と書かれていて「きゃぁー」となるようなものではないだろうか?

もちろん人間界で行われる社会は、人として真剣に生きるために「霊としての記憶を消す」という工程を経ているのでまじめだ。

だから相談者も真剣である為、それを占いのゲームだと!といって怒るかたもおられるのではなかろうか?

これは私の仮説である為、その一部だけを取り上げて噛みつかないで頂けるとありがたい。


では、どうしてわざわざ記憶を消すという肯定を経ているのにここで、その仕組みを解読するような事をするのか?

もしこの仮説がまったく見当違いの場合、逆に混乱する人も出るのではないか?

という批判もあるだろう。

しかし、私は既にこれまでの精神世界、スピリチュアルの情報で大変混乱しており、その結果がこのブログなのである。


目的を忘れてさ迷うより、自分の目的を思い出すことが出来れば、もっと人生は楽しくなるのではないか?

そして、この世とあの世の仕組みを少しでも理解しておくと、無用な恐怖や事故に会う事も回避出来たりするのではないか?

やはり正しい知識は必要と思う。

今回は仮説について、思いつくままどんどん書いてしまったので、いつもに増して文章のまとまりが無いと思いつつ、、、でも修正が出来ないという混乱もありながら、というのが今の私の心境でもある。

これがまた徐々にまとまってくる事を自ら楽しみにしてみたい。


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(02:08)

2013年01月05日

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幽霊が出ると「きゃぁぁ〜〜〜〜!」となる。

寝ている時に金縛りに会い、何かしらの霊の気配を感じると怖い。

古い旅館に行くと、なぜか怖い。

誰もいない廃墟となった夜の病院や学校は怖い。

「怖い」とは何か?

なぜ人は霊を怖がるのか?

肉体に霊が重なっているとされている我々も霊である。

なのになぜ他の「霊」が怖い?

日中でも肉体に重なった霊がそこらじゅうにいて、生活し、会話し、歩いている。

これらは怖くなく、霊だけになるとなぜ怖い?

それは子供の頃から教え込まれたからではないのだろうか?

子供が言う事をきかないと、夜に幽霊が来て連れていかれるぞ、とか。。。

幽霊は怖いというイメージの絵本から書籍、恐怖を煽るような映像の乗った本。

江戸時代は「柳の木の下に幽霊」と言われ、恐れられていた。

何故怖いのか?


あるお寺の僧侶の発言でこういった事があった。

お寺を訪れた人が本堂を覗くと、音も無く霊と思われる人がすぅ〜っと現れて、本堂でお祈りをしていた。

その姿を僧侶と共に見ていた人は僧侶に質問した。「あれは幽霊ですか?」と。

すると僧侶は「そうですよ、よく来ますよ」と普通に答えた。

そして付け加えるように「ああいった普通の霊は怖くありません。怨念を持っている霊が怖いのです」と。


よく、この世に恨みを残して亡くなった方の霊は怨霊となってさまようと言う。

この世に未練を残さず旅立った方は、成仏し昇天するのだと。

だから、人間がときおり目にしてしまう「霊」は怨念を持っている事が多く、怖いのだと。

しかし、未練を残してこの世をさまよう霊には怨念は無いのだが、怨念を持った霊の存在で「霊」が怖いと刷り込まれている。

だから、人間は「霊」が怖いのだと。

肉体を持った状態の霊は自分を霊とは自覚しておらず、この肉体の維持保存の為に障害となる事に警戒する。

肉体を壊そうとする他の存在、熊であったりサメであったり、殺意を持った人間であったりとこの肉体の生存を脅かす存在に恐怖は感じる。

これらの存在に恐怖を感じるのと同様に「霊」に対して恐怖を感じる。

しかし、怖さも「生命の恐怖」と「背筋が凍る」という恐怖は種類が違うと思われる。

確かに私自身が目撃したと自分では思っている「霊」に恐怖心は起こらなかった。

本当に普通にしているので、生きている人間と変わらない感覚だったのだ。

これが本当に霊を見たと言えるのか断言できないから、このブログを書いているのだが、それでも今の所「見た」と思っている。


心霊スポットと呼ばれる場所へテレビ番組で霊感の強い芸能人が深夜行かされている番組を何度も見たことがあるが、あれは絶対良くないと私は思う。

霊感が強いと言われている人は、霊の波長と同調しやすい人と言われている。

そんな人が心霊スポットと呼ばれている、「怨念を持った霊」がいる所へ行くことは、「侮辱行為」とみなされるだろう。

怨念を持った霊が怒るのは当然だと思う。

生きている人でも怒るのは当然だ。こんな企画をするプロデューサーは軽蔑に値すると思う。

怒りの中で人間としての生命を落としてしまい、その心が残っている状態をハイテクカメラで現象を撮影し、放送するという行為。

どう考えても正当化できないであろう。


霊能者と呼ばれる人が言う事は、例え霊と遭遇しても声が聞こえたり姿が見えても「相手にしてはだめだ」と。

霊から見て、人間に自分(霊)の存在が認識してもらえると霊が思ったら、ひたすらその人について行ってしまい、何とか未練を伝えたい、又は怒りを分かってもらいたいと思うのだそうだ。

だから、例え見えたり聞こえたりしても相手にしてはいけないという。

我々にはどうにも出来ないのである。


まとめると、面白半分で霊が出ると言われる場所へ行ってみたり、こっくりさん等で呼び出してみたり、からかう行為をしてはいけないという事だ。


今回は単純に「なぜ霊は怖いと思うのだろう?」という疑問を持ったことからこのブログを書き始めたのだが、後半は霊を侮辱するな、みたいな内容に展開していってしまった。

特に深い理由はないのだが、どうしてこの展開になったのか自分でも不明である。

ここは深く追求する事はしないようにする。

自分も「霊」なのだという事を忘れてしまっていると思われる人が多い事から今日はこんな事を書いてみた。

やはり今現在正しいと思われる知識は最低限持った状態でいないと変な宗教団体やスピリチュアルに騙される事につながると思う。

つじつまの合う、腑に落ちる内容として霊の知識は高めておいてもらいたい。



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(00:40)

2013年01月03日

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アセンション、どうなりましたか?

昨年末にという話であちらこちらと盛り上がっていたようでしたが。。。

新年あけて、何か変化のあった方はおられるでしょうか?

私には何の変化もありませんでした。

私は闇の勢力だからでしょうか?

それとも、私の今いる次元には昨年末アセンションで次元上昇すると言っていた方々がいないからでしょうか?

もう既に皆様は上の次元へ上昇されてしまい、私は取り残されたのでしょうか?

人が消えたという情報やニュースも聞こえてきません。

始まったのが昨年末で、まだ継続中という事でしょうか?

やはり昨年までの期間ではアセンションという現象の事を理解できませんでした。

今年は定期的にこのアセンションについて取り上げてみたいと思います。


アセンションになると頭痛と耳鳴りがひどくなるという話もありました。

私は今現在このブログを書きながら「頭痛と耳鳴り」を堪えています。

ひどい頭痛です。

しかしこの頭痛も過去に似たような頭痛があり、それと変わりません。

耳鳴りに関しては、昨年からずっとなり続けています。

これは肉体的な理由が何かありそうなので、病院で調べてもらおうと考えています。


アセンションに関して何か情報がありましたら是非教えて頂きたいと思います。

中立な精神で真剣に検証してみたいと思います。

それでは2013年もよろしくお願いいたします。



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(04:18)

2013年01月01日

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昨年は私の疑問で一杯のブログを沢山の方々に読んでいただけたようで、非常に感謝しております。

ありがとうございました。

今年も真実に近づけるように書き続けたいと思います。

どうか皆様にも幸多い一年でありますようお祈り申し上げます。

それでは今年もまたよろしくお願いいたします。

四季



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(00:00)

2012年12月31日

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事故に会い、意識不明で危篤状態であった人が蘇って意識を取り戻した。

こういった話は結構ある。

そして、中にはその意識不明状態の時に様々な現象を体験してきている人がいる。

車の助手席に乗っていた時、事故に会う直前から自分の目線が車の外に出ていて、事故の状況を上から見ていたという人がいる。

そして、大けが状態の自分を上から見ていて、病院に搬送される時も一緒についていったという。

意識不明の自分の体を救急ドクターが一生懸命治療してくれる姿をずっと見ていて不思議な感覚であったとの事。

それからしばらくして激痛の中で目覚めたのだと言う。


また、別の事例ではやはり事故に会い意識不明になっていた時、両親や祖父母が出迎えてくれて「まだこちらに来てはいけない」と言われ、押し戻されたのだという。

その直後にやはり激痛の中で意識を取り戻したと。


またまた別の事例では、事故で意識不明状態の時、ふと気が付くと図書館の机のような所に座っていた。

そして隣には知らない人が座っており、百科事典のように分厚い本を渡してきた。

その本を開いてみると、文字は書いてなかったのだがいきなり映像が頭の中に流れ込んできたのだと。

その映像とは、自分が生まれてから今日までの事が全て見えたのだと言う。

そして未来に起こる事も見えたのだと。

更には前世でどのような人生を送ってきたのかも全て映像として見えたのだが、あまりにも情報が多すぎて覚えきれない状態で、ふと目覚めたときにはやはり激痛の中、病院のベッドであったと言う。

肉体の意識を取り戻してから、冷静にあの図書館で見た映像の事を思い出そうとするのだが、どうしても思い出せなくて、その時には全て理解したという感覚になり、つじつまは全て合っていたという感覚だけが残っていたのだと。

こういった様々な臨死体験とでも言うのか、極限状態にて意識は別の所に行っていたような記憶が残っているという話が非常に多い。

そして、その図書館で見てきた事で数少ない覚えている事として「人生はかなり自由だ、自分に選択権がかなりある」と言うのだ。

そして、神の怒りに触れ、寿命を縮められたり、生命力を削られたりという事も起きると言う。

この体験を、脳の特殊能力が原因でとか言うのは気が引ける。

かなり多数の方がこういった体験をしている。

このブログを書く前からずっと考えてきて、書き始めてから更に考え、一つの仮説を思いついた。

それは、もしかしたらこの人間社会は、人間社会の中で例えると「小学校」のような存在なのでは?

霊界の中の「未熟な魂の小学校」という位置づけ。

人間社会で人間が学校を卒業し、社会人になると「大人」とう意識で考える時、小学生の世界を見ると子供だという感覚がある。

人間社会の小学校の中でも、子供たちの世界には「夜の教室は怖い」「トイレ伝説」「プールの怪談」等様々な言い伝えや、書籍があり、それを本気で信じて怖がる子供もいる。

そして本気で怪談話を信じて、友人にまことしやかに怪談を教える子供もいる。

小学生の彼らにしてみれば「本気」なのだ。

本気で信じるから真剣に話をするし、本気で信じるから真顔でその話に聞き入る。

そして見えている世界は学校の中と家の周辺だけである。

こう考えてみると、人間社会で自分は大人であると思っている「魂」も実は霊界から見ると小学生のように見えているのでは?

と思えてしまった。

人間社会で見える世界は科学で解明された世界がほとんどであり、中には霊が見える人もいるがほとんどの人は霊は見えない。

そして、体験談と推測の世界で生きている。

この考えとして様々な世界を見てみると、次元が違うと思えてくる。

明らかに人間の大人でも霊界の上級生というか先輩たちから見ると子供であり幼い存在であると考えると、筋の通らないアセンションの言い伝えも「トイレの花子さん」というレベルなのかもしれない。

そして霊界の事を知っているという霊能者も職員室の先生の会話を偶然聞いてしまったから大人の話を少し知っているだけなのでは?

という霊能者の方々には非常に失礼と思えるような事を考えてしまった。

様々な方々に失礼なのは重々承知の上で、これは仮説なのでご容赦願いたいが、仮説として我々は霊界では小学生では?と考えて全てを見直してみるのも面白いかもしれない。

何か新たな発見があるかもしれない。

人間界で転生を繰り返している状態の魂では霊界の先輩たちの考えや感覚はまだとうてい理解できず、何度も繰り返し転生し、ようやく多数の経験から先輩たちの世界に近づけるのではないか?

大きな分類として、|人間界|←→|霊界| という分類は線を引く位置が違い、|人間界&幽界|←→|上級霊界|という分類なのでは?

と考えてみると、かなりこれまで矛盾と思えてきた事が矛盾でなくなる事が多く思い当たる。

これはあくまで私個人のこれまでの経験と知識の結果、無理が少ないかな?と思える状態の「あくまで仮説」だという事をご理解いただいた上で読み進めて頂ければ幸いです。

勿論反対意見もあるでしょう。

その意見も尊重したうえで、私は今現在この線引きの位置を変更した仮説で考えてみる事にする。

人生は修行である、とか人生は楽しむ事が目的だという矛盾もこれなら解決する。

霊能者と呼ばれる方々の説明の矛盾も納得できる。

アセンションという「トイレの花子さん」も問題ない。

今このブログを書きながらこの「仮説」を思いついたので、他に矛盾と思える事が思い出せない。

これはまた時間をおいて考えてみたいと思う。




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(02:30)

2012年12月30日

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「運命の人」という言葉がある。

出会った瞬間にトキメキが走り「もしかしてこの人運命の人?」と思ってしまう事は誰にでもあるだろう。

また、そんな出会いが無く、その出会いを心待ちにしている人もいるだろう。

この出会いに意味づけを行う事も多い事だろう。

守護霊が時機を見て引き合わせてくれると思っている人もいる。

その時の自分の波動と同調した人に出会ったと思っている人もいる。

様々な解釈をしながら、真実は分からないまま、でも出会いは日々繰り返されている。

そして、出会った事を心底喜んでいたが、時間の経過と共に「あれ?」と思い始めている人もいるだろう。

この「出会い」に何かしらの「意図」はあるのだろうか?

人には3つの可能性があると言う。

1.自分が得意と思っている事

2.自分も他人も特技だと認めること

3.自分の想像を超えて「他人が才能を見出す」場合

この3番目の想像もしていなかった事を他人から見いだされた人、このタイプが大成功しているパターンがある。

そして、この3番目のタイプは、人との出会いがきっかけで起こったと言う。

まるで想像もしていなかった事を進められ、自然とその環境が整うように流れていく。

後から考えてみると、まるで全て決まっていたかのように。

こういった流れを回想録として見てみると、まさしく「運命の出会い」があったと思えるのである。

それまでほとんど縁が無かった同級生からの連絡、そして誘われた何かのサークル、そこで結婚相手との出会い。

偶然に思えるような細い糸が繋がり、出会いにつながる。

これは一体何か意味があるのだろうか?

きっと神様が出会わせてくれたのだ、と思ってしまっても無理はない。

もしかしたら本当に「運命の赤い糸」があったのでは?と思えてしまう事だろう。

それとは逆に、出会ってしまったがために「悲惨な人生」になってしまう人もいる。

この出会いとは。。。

何か見えない世界からの「意図」があるのだろうか?

長い間言われ続けてきた事である。

そして解決できないこういった疑問に対して、スピリチュアルの世界では「全て決まっている」という言葉が返ってくる。

以前もこのブログで書いたが「全てが決まっている」という考え方は非常にスピリチュアルの世界では矛盾する。

では、決まっていないとすると、「運命の人」と思える感情はどこから来るのか?

決まっていると「何かしらの意図」があるとすれば理由が知りたくなるのが人の心である。

人はそれぞれ独自の「波動」を持っている。

現在判明しているだけでも人体からは微弱な電波が発せられている。

偶数と奇数のように交わらない波長どうしではお互いに不協和音となり不愉快になる。

ところが、倍音などで割り切れる波長、さらに波長同士で共鳴しあう場合は気持ちが高まる。

居心地がいい場所と座りの悪い場所、これらはその場所の波長と自分の波長の組み合わせと考えることもできる。

人となれば尚更だろう。

人が発した波長と出会ったとき自分の波長が共鳴すれば「トキメキ」が起こるだろう。

しかし人は常に同一の波長を出しているとは限らない。

常に変化しているし、他人の波長に乱されている状態もある。

と、今現時点で人類が知っている科学的な事で説明する事は出来る。

では、この波長、到達範囲はどの位あるのだろう?

それほど広いとは思えない。

しかし、人との出会いは人を介在する。

人から人へ様々な波長が伝搬して、引き合うという現象が起こるという事も考えられる。

こう考えると夢も何も無いつまらない話となってしまう。

この人との出会いの現象について、「見えない存在の意図」と考えると「夢が膨らむ」。

自分以外の「意図」だと考えると、出会わないほうがよかったと思える人と出会ってしまった場合、見えない存在を恨む事につながる。

そして、出会ってよかったと思ったときは「神や守護霊に感謝」し、出会わなかったほうがよかったと思ったときには「そんな人を引き寄せてしまった自分に原因がある」とか言われてしまうと、「そりゃ都合が良すぎないか?」という事になる。

また、「その人と出会う事によって学ばなければならない事があるのだ」とか言われる場合もある。

「カルマ」が原因だと言う場合もあったりする。

こういった矛盾がスピリチュアルには数多く存在する。

で、結局は「自分の解釈だよ」と言われてしまうと、見えない存在の意図など無いという事になる。

自分の解釈という事は「単なる思い込み」と同じことなのだ。

そんな矛盾に満ちた解釈で納得できるのであれば、それはその人にとって問題ない事なのだろう。

私の場合、私の悩みを解決というより、矛盾が気になってしまい、解釈に委ねないで真実に近づいてみたいという所が焦点なのだ。

親と子の関係についても、これも一種の出会いである。

同じ兄弟でも双子でも性格がまるで別人であったり特技や趣味が違っている事は非常に多い。

アメリカのDNAを研究している機関が「完璧な人間などいない」という事がDNAの研究から分かったというニュースがあった。

調べた全てのDNAは必ずどこかに欠陥があったという。

病気のDNAもあるが、一生の間にそのDNAが持っている病気が発病しない事も数多いと言う。

それだけ不完全なDNAなのだが、兄弟でも同じ両親からのDNA情報が同じように受け継がれることはほとんど無いという。

スピリチュアルの世界では、このDNAが持っている情報から性格等が決定し肉体が出来上がるが、そこへ「魂」が重なり、一緒に人生を過ごしていく。

そして「魂」は肉体に入るとき記憶を消されているので、肉体の性格と一緒に成長するという。

こうして人生を生きる中で様々な経験をするのだが、前世で生きた記憶を持っていると肉体が初めて体験する事も感動が無くなる。

だから記憶を消すのだと。

スピリチュアルの考えは常に「魂」が主として理論が展開する。

そして肉体は単なる「魂の乗り物」だと。

ある霊能者は前世で「何度も殺されたし、悲惨な死に方もした」という事を思い出している。

その殺した相手の魂が今入っている肉体の人も分かると言う。

しかし前世の事だからと割り切っている。

こういった考え方が一般的になってしまったら非常に人間社会は恐ろしい世界になってしまうと想像できる。

どんなに悪い事をしても、人を殺しても、自分が死んでもまた人間に転生出来ると思ってしまうだろう。

人生を大切にしようとは思わない人が増えると言うのは容易に想像できる。

また、悲惨な目に会ったりひどい事をしたりした時に背負込む「カルマ」などどうでもいいという話にもなりかねない。

ここでも「カルマ」と「魂」と「転生」そして「修行」等のキーワードが矛盾の海に放り込まれる。

では、「出会い」等にも全く意味は無く、全ては解釈であるという事になってしまう。

また、ある霊能者は「不倫」など罪悪感を持たないでどんんどんやっても構わないとまで言っている。

500年ほど前の日本では自ら「切腹」を行う事を認める社会であり、下級武士の無礼に対して「そこへ直れ、切り捨ててくれる」という名目で座らせて殺す事も正当化されていた。

でもこの時代には「密通」という罪の認識があり、戒律の扱いとなっていた。

その貞操感は下がったとはいう物の、昔も今も「不倫」は人に正当化されない。

芸能人が「不倫は文化だ」と発言すると一斉攻撃を受けた事もあった。

当用漢字の中に「不倫」という漢字熟語は無かったのだが、文化の変化に合わせて追加された言葉だ。

今の時代これだけ一つの命を大切にする文化に変化してきたにもかかわらず「不倫」というのは社会的に認められていない。

密かに行う人は増えたことは事実であろう。

しかし人の観念は違う。

こういった考えは「人はどこへ向かっているのか?」という哲学的な分野へ行ってしまうのでここでは趣旨と外れるので追及はしない。

不倫も実は「出会い」から起こる事である。

子供の保護者会で出会い、入院で出会い、職場で出会い、どんなきっかけでも出会うという事から始まる。

果たしてこの出会い「見えない存在の意図」に導かれている事なのだろうか?

ここにも解釈の仕方は様々ある。

「ソウルメイト」や「運命の人」との出会いなのだが、その出会い方が結果「不倫」であったという事。

お互い独身でそのまま結婚という流れに乗れば「神様の導き」と考える人は多いだろう。

また、今の時代ではあまり無いが「身分の違いで結婚できない出会い」もある。

最近はだんだん市民権を得てきた「男性同士の結婚」という形もあるだろう。

「魂」のレベルで考えると、転生した肉体が「男性」、ソウルメイトも転生した肉体が「男性」こういう解釈もあるだろう。

また、同じ時代に同年代で生まれてきているとも限らない。

人間が死亡し、転生するまでにかかる期間は7〜80年位とスピリチュアルでは言われている。

以前もこのブログで書いたが、生れてすぐ死んだ子供の足の裏に書いた住所と名前が他人の家の子供の足の裏に浮かび上がったという現象で言えば、本当に死んでから転生までの期間は「すぐ」だ。

まあ、生れてすぐ死んでしまった子供の魂は「すぐ生まれ変わるよ」と霊能者が言いそうだが。。。

転生する為にその順番を待つ「行列」を見てきたという人もいる。

肉体が死んだら魂は光に帰っていくという話も聞かれるが、光に帰っても「魂」という塊は「個性」「個別」を保ったままでいるというように聞こえる。

そして転生するが、自分の魂が分離して守護霊に付くとも言われている。

霊界のルールはやはりまだ解明にはほど遠いと考えるのが相当であろう。

よって、出会いに関しても「感謝」の気持ちを持つ事として解釈できていれば今の所いいのではないかと思われる。

人間は「感謝」の気持ちを持っている状態は非常に良い状態と言われている。

自らの解釈、考え方で自らの「心の状態」良い状態に保つと、良い波長を発し、良い人と出会い良い循環が生まれるというのは、経験から実感できる事なので、「見えない存在の意思」という事をあまり意識しすぎない方が、現代ではバランスの取れた状態と言えるのではないだろうか。

考え方をあまり偏らせ過ぎない事が重要であろう。

たまにはのめり込んでみても、戻れる場所を確保している事が大切なのだ。




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(03:07)

2012年12月29日

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私は子供の頃から不思議な現象を見たり、体験していた。

しかしそれがどういった意味なのか全く分からなかった。

そして同級生や先輩後輩などが体験したことの無いような事故や怪我に多数遭遇してしまった。

宗教団体の人にも物凄く縁があるようで、事あるごとに出会い、誘われ、説明を聞かされ、過去の体験について理由を説明されてきた。

更に霊能者と呼ばれる人にも多数縁があり、そのたびにも過去の経験したことの説明をされてきた。

それらどの説明も全て霊界の事なので、知識だけは豊富な状態であった。

そして知識が豊富になってくると、どうしてもあと一歩のつじつまが合わなかったり、説明に矛盾点が見えてきたりとどれも納得できるものでは無かった。

そしてしばらく霊の事等と疎遠になったのか、ぴたりと宗教関連、霊能者の方々等との縁が繋がらなくなっていた。

それが、ここ数年また縁が出来るようになり、ここで初めてスピリチュアルという言葉を知るようになった。

最初の頃は、昔聞いた宗教団体の方々や霊能者の方々の説明を覆す内容であり、自らの波動を上げてといった自己改革の感じで全く新しい概念に衝撃を受けた。

そこからスピリチュアルにのめりこんだ私は、様々なブログを展開している霊能者、ヒーラーと呼ばれる方々と連絡を取り、有料にて見てもらったり、相談をしたりしてきた。

最初はとてもとっつきがよく、何でも話を聞いてくれて、疑問に答えてくれるのだが、質問が確信に近づくにつれ威圧的になったり、そんなことを聞いてどうするのか?等と逆質問をされるようになった。

これは傾向が皆似ていて、結局核心部分「霊界についての疑問」に明快に答えてくれた人はいない。

ちょっとした質問をしてみると、勘違いしていきなり逆上する人もいた。

矛盾があって当然という人もいた。

最初の頃のあの丁寧な「何でも相談してください」といった空気が途中から消えるのだ。

しかしヒーラーの方々のホームページやブログを見ると、自信たっぷりに霊界の事を説明している。

こういった数々の事例から「懐疑心」が湧き上がってくるのだ。


全く別の見方をしてみよう。

実は霊界とはもっともっと複雑で、地上の人間のレベルで霊界を知っている人たちも霊界のほんの一部しか知らないが、全て分かってしまっていると思い違いをしているのではないだろうか?

と、冷静に見て見る。

また、メッセージを受けっとったと勘違いしてしまった人も他のヒーラー達のブログ等で知識を得たことにより、自分が受け取ったと思ったメッセージを自己解釈し、勝手な理論を作り上げている。

こう考えると、真実の周辺に偽物が溢れると言った経済社会でも普通に起こっている事と似たような現象という事で見ることが出来る。

そして最後は、実は霊界等というのは人間が自然の法則から勝手に霊界とか魂があると思い込み理論を作り出しているという考え方。

様々な角度から見ることが出来るが、ヒーラーの方々や霊能者だと言っている方々も皆自分は本物であると思っているので、よけいに真実を見極めるのが困難になっている。


もし仮に私自信がメッセージを受け取る事があった場合、勿論信じてしまう可能性が高いし、自分の体験なので間違いないと思うだろう。

偏見を持たずに冷静に現象を判断し、真実に近づいてみたいという思いと、自分の考えを整理するという目的でこのブログを書き始めてみたので、これを読んでくださる方々にはご理解をいただきたい。


そして直近のイベントでは「アセンション」である。

今年も残りあと3日となった。

アセンションが年内に起こるという話で盛り上がっているブログもある。

そして人類の半分以上が別次元へ移動するという事だが、私にアセンションが起こらなければ取り残された人類という事でこの地球上に大きな変化が起こるであろう事が予測できる。

もし私にアセンションが起これば、これまた人類の半分以上といった移動した人類と取り残された人類が「別次元」に分類されるわけだから、どちらにしても人口は大半場に減ると言った現象が確認されるのでは?と思っていたりする。

何か新しい事が好きな人類はお祭りになっているようだが、どうなるのだろうか?

カウントダウン中。。。残り3日

そして新年になったらどうなるのか?

そしてアセンション!と盛り上がっていたヒーラー達はどう動くのか?

非常に興味津々である。

こういった現状がある状態では、スピリチュアルの真実に近づけるのはまだ遠いのかもしれない。。。

また、わざわざ人間に転生してくる時にはそれまでの記憶を封印してくるというプロセスを踏む事のだから、思い出さないほうが、真実を知らないほうがいいと言う事だとも思える。

しかし、では何故今ヒーラーや霊能者、前世を見て教えてくれたり、前世を思い出すセミナーがあったりするのか?

と疑問を持つと、今の時期からは霊界の仕組みを公表していく時代であると発言する人もいる。

この世は霊界から見たら「お芝居」だから知らないほうが役に没頭できるという話はどうなるのか?

何処に真実があるか、これまた探る楽しみのようになっている自分もいたりして、これもお芝居の一コマか?

人生様々な経験をして「楽しむ事」?

人生は修行の道?

人生は「カルマの解消の為?」

では、なぜカルマ等と呼ばれるものが出来てしまうような人間社会なのか?

まだまだまだまだ沢山ある。。。

先は長いな。




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(02:39)

2012年12月28日

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先日、とある芸能人がダイエットについて話していた。

体重を数十キロ単位で落とすのだと。

そして強い意志を持って最低限の栄養だけ摂取し、ほとんど食事を取らないでいた。

順調に10kg〜20kg〜と体重を落としていくことに成功したのだが、ある日から落ちなくなった。

その芸能人は妻に「おかしい、全く体重が落ちなくなった」とつぶやいた。

すると妻は「あなた、本当にわかってないの?」と。

本人は「どういう事?」と質問を返すと妻が、それじゃ明日の答えを見せてあげると言った。

翌日妻はビデオに収めた芸能人の姿を見せた。

すると深夜、ふらふらと歩いて冷蔵庫を開き、手あたり次第に食べ始める姿が映し出されていた。

「えぇ〜〜〜〜!?」

本人に全く自覚が無いのだ。

夢遊病状態で無意識のうちに食べ物を探し出し、冷蔵庫にある事を知っている脳は体を動かし、食事をしていたのだ。

この映像を見せられた本人は大変ショックを受けたとの事であった。

以前もこのブログで書いたが、脳の中で本人の意識とは違う分野が活動して意思に反した行動を取る事がある。

そして、その無意識の行動は意識へ働きかける場合もあれば、まるで別行動をとっていても気が付かない場合もある。

この無意識の働きが諸々不思議な現象を起こして意識を驚かせるようだ。


人間の「意識」という存在も不思議なら、この「無意識」も更に不思議な存在である。

先日我が家で小鳥が突然死んでしまった。

人になついて、呼べば返事をするし非常にかわいかったのだが、突然死んでしまい、もう動かない。

あの小さな体の更に小さな脳の中に確実に「意識」があるという事は分かる。

動物の場合どちらかというと「無意識」=「本能」という部分がほとんどだと思うが、人になつき、返事をするという行為から少しは「意識」という物があるように見える。


この動物と人間の意識を別物な霊として説明したりしている。

はたまた人の意識が入り込んでいる等という説明もある。

確かに猫や犬等の行動を見ていると、人間らしい意識を持っているのでは?と思いたくなる行動を取る動物もいる事は確かだが。


こういった意識の事を考えていると、「意識」について考える「意識」とそれに意見を発する「無意識」があったりして面白い。

自分自身の意識についてもよく分かっていないのだ。

更に自分自身の無意識がどうなっているのか?等分かりようもない。


そして人の意識の「癖」と言うか「習性」というか、傾向があるのだが、何かが「新しく始まる」という事態に非常に「期待する」という特性を持っているように思う。

「新年」「新学期」「新会計年度」「新規事業」「新製品」「新サービス」まだまだ沢山あるが、こういった言葉、現象に人は期待をする。

そして多くの人が賛同する場合「巨大なブーム」となる。

毎年Appleの新製品として「iPhone」が発売される時、敢て情報を隠し発表当日にサプライズ、というイベントを企画して盛り上げ、人々の注目を集める事で製品の売り上げにつなげる。

こういった手法は人の習性を巧みに利用しているのだ。


今現在のアセンションブームはスピリチュアルという言葉を序曲として「年末に!新しい次元へ!」と誰かが言い始めた事。

それをまた誰かが発表し、本物かどうか分からない霊能者が真剣にアセンションを語り、それを伝える。

この流れがウェ〜ブになっている現状は否めない。

しかもアセンションで起こるとう内容がそれぞれ違っているし期間も違う。

数日〜数週間〜数十年まで幅が広い。

更には次元は移動するが、見える景色は同じなので移動したことに気が付かないとまで言っている人もいる。

アセンションブームに乗っかっている人たちは、何がしたいのか?

どうなりたいのか?

目的と目標がよく見えない。

「神」という存在もよく分かっていない。

人間社会で起こる事を「解釈」してこんな「神」がいるとするならば納得できる、といって「神」が誕生していくのか?

「神」は「守護神」と呼ばれるように「守ってくれる」という意識が人にはあるのだが、大災害が起こると「神も仏も無い物か?」と思い始める。

これは霊能者の方が言っていたのだが、神の中にも「破壊神」という神が存在し、守護神と争いを繰り広げているとか。。。

それぞれの神に計画と都合があり、その意思によって様々な現象が起こっていると。

これも神からのメッセージとして受け取ったと言うのだ。

原子力発電所も閉鎖して脱原発を行っていかなければ近いうちに再度「大災害」を起こすとも言っている。

流石に「神」でも放射能は困ると言っていた。。。

この世は全て神が作った、神の意思に逆らう事は出来ない、と言っているかと思えば、脱原発をしないと、、、と人間の意思に決定権があるかのような発言。

という事は既に人間は神の意思を超えた存在になっているのか?

「神」の説明をしようとした場合、その場で誰かを納得させるための発言は、時間と場所を変えると矛盾だらけとなる。

これらのメッセージを神から受け取ったと言う事は、そのメッセージの送り主である「神」とは一体何者なのか?


「大宇宙の法則」そのものが「神」であるという説明もある。

これまでの様々なスピリチュアル関連の発言は「どこかに明確な意思」が存在し「その意思」によって全てが動いているという方向だ。


宇宙の法則として法則が動いていると同じような傾向がみられる現象には「意図」が感じられたりすることがある。

これを積み重ねた結果「そこに意思がある」と思ってしまっているのだろうか?

誰かがアセンションが起こる!と言い始めた伝言ゲームがブームと成っているだけか?


3年前「民主党ブーム」が一大旋風として日本中を駆け巡り「政権交代」が行われた。

この旋風はどうして起こったのか?

仕掛け人がちゃんといるのである。

そこにメディアが乗っかったのかメディアも仕掛け人の仲間なのかまでは判断できないが、3年経過してブームに乗っかってひどい目に会ってしまったのだ。

テレビのCMで製品を紹介する時、知名度が低い商品やメーカーの場合起用するタレントは必ず「白人」を使うと言う。

これは特に日本人の場合「アメリカ人」に言われると信じてしまうという無意識の何かがあるのだそうだ。

「日本発!」というより「アメリカからやってきた!」と言うと信用度が上がると言う。

アセンションという言葉も「日本発」では無い。


こういった様々な要因が絡み合って、スピリチュアル理論が脳の無意識領域からメッセージを受け取りインターネットの情報拡散の助けを得て確立されてきた。

そこに乗っているのがアセンションである。

この年末までのあと4日間、何が起こるのか本当に楽しみに見ていたいと思う。

そして何も起こらず、マヤ歴やノストラダムスの大予言の時のようになるのか、変化があるのか?

毎日検証して、記録に残してみたい。

こんな懐疑的にアセンションを見ている人間には何も起こらないという事であれば、それを体験した人が教えてほしい。


今日はこんなアセンション全否定の内容を書くつもりは全然なかったのだが、何故ここまで書いてしまったのか自分でも不思議だ。

書いているうちにエスカレートしてしまった感がある。

脳の不思議をテーマにしていたはずなのに、脱線したまま修正が出来なかった。

こんな日もあるという事で本日はご容赦願いたい。



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(04:40)

2012年12月26日

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スピリチュアルブームもこの年末のアセンションに向けて盛り上がっているようです。

もうすぐ始まると。。。

人類の半分以上を違う次元の地球へ移す?

その計画が「闇」と呼ばれる「反対勢力」にばれて、猛反撃をくらっていると。

その反撃とは、心に突然「悪意が芽生えたり」「暴力的になったり」「嫉妬心が湧き上がったり」と様々いやだなと思われる現象が起きていると。

そしてその対処法は、心を穏やかにして飲み込まれないようにする事というようです。


昨日私は都内の店舗で商品を見ていたら、隣に接客中の店員がやってきて「お前邪魔だよ!」といった雰囲気で私の前に割り込んできました。

まあ、不愉快な店員です。

いつもなら気にせずさっさとその店舗を出るのですが、何故か「イラッ!」としてしまいました。

そして店舗を出た後「なぜイラッとしてしまったのだろう?」といつもと違う自分の心境に違和感を覚えたのでした。

そして今日、それがアセンション反対勢力の「闇」の攻撃だ!と書かれていると、妙な一致から「これがそうなのか!」と思ってしまいがちなシチュエーションです。

こういった現象を関連付けて、だから「闇勢力の反撃に会った」と言い始めると、アセンションブームの補助になるのでしょう。

しかし、気分によって「イラッ」となる事もある事とアセンションをそう簡単に結びつけることは出来ません。


そしてこの1週間以内に人類の半分以上が次元移動するというのですから、どういった現象が起こるのか興味津々です。

それは「心の中で起きるのです」とか言われてしまうと興ざめでしょう。


現実社会で起こっている事、見えない世界で起こっているとされること、混同せずに見極めてみたいと思います。

そんなあなたには次元移動はありませんから、何の現象も見えないでしょうとか言われたりして。。。笑

すると私は闇の勢力なのでしょうか?


不思議な事と思えることがある事は体験しているし、全否定しているわけでもない私は、単なるブームに乗っかる事をよしとせず、真実を冷静に見てみたいと思っている人間です。


都内ではキリスト教の人が街角に立ち、スピーカーで「あなたは罪深い人です。神に謝罪し罪を悔いれば神から永遠の命を授かることが出来ます」と繰り返しています。

全ての言葉を覚えているわけではないけど、このスピーカーで流れてくる言葉には疑問符が付きまくっているのです。

過去に宗教団体の教義を散々聞かされ、何とか逃げ切る事が出来ました。

その宗教団体も似たような事を言っていました。

「救われる」と。。。

で、入信するとどうなるのか?

信心に必要なグッズを買わなければならない状況に追い込まれるのです。

そしてお布施。

さらに布教で新たな信者を獲得する事により「徳を積む」、それが来世の利益につながる。。。

ストーリー的には筋を通しているように見えるが、結局はグッズの販売、お布施の集金、新規営業による利益の獲得、こういった流れの大義名分としか取れないような行動をしている。

まあ、これはずっと昔から言われ続けてきた事なので、ここで言ったからと悪意があるわけではない。

中には集金システムを持たない団体もあるようだが、その人たちも焦点の合ってない目で遠くを見ながら雲の上の話をしている人たちだったので、私はさっさと帰らせていただきました。

私の自宅に押しかけてきて、熱心に布教活動をしている人が、どうしても折れない私に対してこんな事を言い放った。

「あなたが今吸っているタバコの煙は地球環境を汚染している」と。。。

もういい加減にして欲しいと思っていた私は「あなたは今日ここへ車で来ましたか?」

と問いかけると「はい、車で来ました」と答えた。

私が、「その車の出す排気ガスはタバコの比ではないと思いますよ」と反論すると、すぅ〜っとしぼんでしまい帰って行かれました。

他には「これだけ世界中で信心されている人がいるのにあなたなこの事実をどう思われるのか?!」と強烈。

私は「それは数の暴力ですね」と反論。

これで数時間に渡る布教活動がようやく終わり、その方も帰られていきました。

それにしても共通していえることは、どの団体の方々も強烈なパワーで勧誘を続けているという事です。

どれだけ沢山の宗教団体の方々が私の所へ勧誘に来たか忘れるほどの数でありました。

しかし、どの団体の言っている内容もどこか矛盾があり、その矛盾点を霊界や来世でつじつまを合わせているというのが現状。

物凄い奇跡の話も多数聞かされたのだが、話だけなら世界中にあふれているので、実際に見せてくださいと言うと、あれやこれやと理由を並べて見せてくれない。

中には「信じている人にだけ見ることが許されます」とか言っている人もいた。

いやはや、何十年たっても同じような事が繰り返されているのが人間社会なのだな、とふと思った。


アセンション、どの様な現象を見せてくれるのか大いに期待しています。

もし、このブログを読まれている方でそのような不思議な現象を見かけたり体験された方は是非教えてください!

よろしくお願いします。



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(20:09)
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日本国 天皇陛下 この名前は知っていても実際何をされているのか知らない人は多いのではないだろうか?

一般的には「公務」と表現されているのだが、私もそれほど詳しいわけではないが本質は聞いている。

それは「祈りをささげる」こと。

世界の歴史の中でも最も長い歴史を持っているとされている。

支配するというより「祈る」、祈るとはどういう事か?

平和を祈る、健康を祈る、健闘を祈る、様々な祈りがあるのだろうか天皇家は全ての人の為に祈りをささげる事。


平成6年2月に「硫黄島」へ行き、英霊たちに「祈りをささげた」。

以前このブログでも硫黄島の不思議について直接体験した人の話を書いたが、この天皇陛下による祈りの後、それまでにあった硫黄島での幽霊騒動は沈静化したという。

当時の兵は「上官の命令は天皇陛下の命令」であった。

その天皇陛下が硫黄島を訪れて、当時の栗林陸軍中将、市丸海軍少将の短歌に返歌をして礼を尽されたという。

この事により、英霊たちは終戦を確信したのか安堵したのか、迷い出る英霊が減ったと言われている。


この人の意思、肉体が無くなっても意思は残り、祈りによって浄化する事が出来ると思われる。

硫黄島は一般の人が観光などで足を踏み入れる事は出来ない場所である。

防衛大学では過去の激戦の場所を訪れて、その歴史を実感するという研修があるようだ。

なので、硫黄島の幽霊騒動に関しては、全て自衛隊の方々の話が主である事は事実だ。

前回私がブログに書いた事は友人の体験談であるが、友人は自衛隊員では無い。

関係者という事で帯同した時の体験談であった。

と、硫黄島で不思議な現象を体験した人はかなりの数にのぼると言う。

そして自衛隊の方々は硫黄島へ赴くときの礼節は欠かさないという。

こうして人々がその昔から体験してきた事の積み重ねで「霊」とう認識を持ち、その存在を認め「祈り」を捧げてきた。

それぞれの人もご先祖様や友人知人等のご霊前で祈りを捧げる事もあると思う。

その祈り、ちゃんと届いていると思える事例が天皇陛下の祈りによる幽霊騒動の沈静化ではないだろうか。


経験則としてこれまで積み上げてきた事は決して無視できないと思う。

最近のスピリチュアルブームについて、ここが一番引っかかる部分なのでもある。

「人の意識の扱い方」だ。

これまでの経験則で積み上げられてきた考え方では、「霊」となった意識も社会を見る視点は人間と同じ視点で見ていたと思う。

が、最近のスピリチュアルは肉体を離れると、光に包まれ全てを思い出すと言う。

何故人間として転生していたのか?何を目的として転生したのか?目的は果たせたのか?

そしてこの世は「演劇」である為、悪役も役者の一人であり、人間界で悪事を行った者は地獄へ落ちるという事は無いと言う。

まあ、閻魔大王がいて地獄行きを宣言され、釜茹でにされ苦痛を味わい続けるとかと言われ続けてきたのは歴史をひも解いてみれば、子供等のしつけの一環として大人が作り出した話と言われているが。

スピリチュアルでは地獄は無く、自らの固執した概念で自らをそこへ縛る事が身動きが取れなく地獄の様だといった表現である事が多い。

確かに硫黄島に残っていた英霊たちは何かしらの概念でその場所へ残り続けていたが、天皇陛下の祈りでその呪縛が解け、浄化することが出来たと考えられもする。

経験則で言われてきた事から見ると、英霊となっても視点は人間と同じ目線で社会を見ていると考えられる。

一方最近のスピリチュアルでは、霊となると即霊界からの視点に切り替わるように思える。

よく、人間界と霊界の中間に「幽界」があると言われてきた。

この幽界に霊がとどまっている間は、人間界に未練を残したり、肉体の死を受け入れなかったり、はたまた自分自身の肉体が死んだことに気が付かない霊もいるという。

この幽界をさまよう霊が人間界に現れるというか周波数が同期した人に映像として見えたりすると考えられている。

肉体が死んで霊だけとなってから、幽界を抜けて霊界へ行くという時間の経過と共に視点が変化していくというのが今の所自然な考え方ではないだろうか。

前回も取り上げたが「言霊」という言葉のパワーだが、これが意思に何らかのパワーが宿ると考えられると思われたが、その意思そのものにもパワーがあると考えられる。

これが「祈りのパワー」ではないだろうか。

何かを祈る、自分の事を祈るも人の事を祈るも何らかのパワーが存在し、現実社会に影響を与えている、更に霊界、幽界へも影響を与えている凄いパワーではないだろうか。

誰かの考えが伝わり、その内容によって誰かの考えが変化するというだけではパワーと言うには少々抵抗があるように思う。

しかし万全でもない。

祈り空しく。。。という事も多々ある。

こういった現象から、霊界という世界は・・・と想像して、数々の事例や現象、体験談等から構築され現在に至っているように思う。

そうした基本知識があり、これらの知識が潜在意識へ沈んでいった後、無意識の世界から「神の啓示」という人格を作り出した脳が「お告げ」をもらう形になり、今までの精神世界では納得がいかなかった部分が編成され、スピリチュアルブームを引き起こしているようにも思える。

霊能者の方に話を聞いてみると、実際そういった本当の霊能者でないヒーラー(という言い方をしていたが)、が存在するのは確かです、と言っていた。

こうした事例から、スピリチュアルブームの中、様々言われている事に矛盾が発生してもなるほど!と納得出来てしまう。

しかし、その中にも本当に霊界から「神の声」を受け取っていると思われる人を見つけ出すのは一般人では不可能だろう。

この事については追々探りながら見ていこうと思う。

そして確信を持てるような霊能者に出会う事が出来れば、そこから本質を追及してみたい。

そして初めて「祈り」という意味も判明してくるのではないだろうか?

時々出てくる天皇不要論もあるが、1500年も続いてきている歴史を大切にすることには私は大賛成である。

そして天皇にしか出来ない事も数多くあるので、1500年の歴史を背景にした「祈り」は純粋に凄いと思う。

目に見えないが、そこに存在すると確信できる事を信ずる、これは人間にしか出来ない事である。

この人間にしか出来ない事がまた不思議な世界も作り出している。

まだまだこの探求は続くであろう。




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(01:56)

2012年12月23日

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私の過去の経験から感じている現象に、人と縁が出来ると連続して出会う事が多い。

あるお店で酔っ払いに絡まれた。

そして最後は握手をして争いには発展しなかったことがあった。

その翌日、まるで関係の無い場所で、昨夜の酔っ払いと出くわしたのだ。

向こうも私の顔を見て「あっ!」と言い、会釈をしてばつが悪そうにそそくさとその場を去って行った。

決して狭い町では無く、人口もそれなりに多い地域で起きたこの現象は何故なのだろう?


別の事例、名古屋市内での出来事だが、車で移動中に狭い路地を私は運転していた。

両サイドに駅へ向かう人で混雑していたので徐行運転中、後ろにいた車の運転手がクラクションをビービー鳴らしながら煽っている。

しかし多数の歩行者がいたので後ろのヤンキーを無視して徐行運転を続けた。

その後広い通りへ出ると、そこは名古屋市だ、片側6車線もあるような広い道路なので後続の車はすぐ追い越せる。

しかし先ほどのヤンキーな兄ちゃんは怒りが収まらなかったのか、私の車に幅寄せしてきたり、窓から靴を投げてきた。

それでも私は無視して運転していたのだが、それが益々ヤンキー兄ちゃんの怒りに火をつけたようだ。

赤信号で止まるとそのヤンキー兄ちゃんは車から降りてきて私の車の窓をゴンゴンと殴り始めた。

ま〜まいった私は車を降りると、ヤンキー兄ちゃんすかさず、物凄い勢いで殴り掛かってきたのだ。

憂さ晴らしの相手に使われるのも後味が悪いので、私も反撃し、結局ケンカになった。

幸い私は殴られることなくかわすことに成功したのだが、相手の兄ちゃんには数発顔面にパンチがヒットしてしまったようで、目の周りがパンダになっていた。

20代前半、私も若かった。。。

そしてタクシーの運転手が仲裁に入ってくれて何とか収まったという事件があった。

そして、やはり翌日、あの広い名古屋市内で昨夜の事件があった場所とは数十キロも離れたお店に友人とランチを食べに入ると、ナントそこに昨夜のヤンキー兄ちゃんが目の周りをパンダにしているのだ。

どうして昨夜いいとは言えない縁が出来た相手と翌日出会うのだろう?

以前のブログでも書いたが、出会う確率が非常に低い弁護士の先生と連続で出会ってしまった事例。


こういった不可解な出来事は、あまりスポットライトを浴びて取り上げられることはないが、事実として発生している。

まだまだ沢山同様な現象は起きている。

この「縁が出来る」とか「縁が繋がる」とう事は一体どのような事なのだろう?

「噂をすれば影」ということわざがあるように、人の噂を」しているとその人物が登場するという事が起きている。

普段見ている町の風景の中に、いままで気が付かなかった事がある事をきっかけに目につくようになる。

これは、自分の意識の問題なので、見ていなかっただけとう事が言えると思う。

しかし人と出会うという事は自分だけでなく、他人の意思も関係し、行動に結びついた結果同じ時間帯に同じ場所へ出向き出会うという現象、これを「偶然」という根拠の無い言葉で片付けるのは無理であろう。

この様になにかしらそこに「法則」のようなものが存在するのでは?

と思わせるような出来事である。

人の「意思」や「思い」「意識」等は、単純に脳の中だけの出来事では無く、現実社会に何かしらの影響を与えるパワーがあるのではないだろうか?と思わされる事である。

「言霊」という言葉はよく真剣な会話の中で使用されることが多い。

言い放った言葉には「魂」が宿っているという。

そこに強い意志があればあるほどその言葉は「重く」なる。

そして影響力も強くなる。

言葉に乗る「霊」もしくは「魂」や「意思」等は、霊、魂、意思と言った皆が知っている言葉を使用して考えていると、霊的な発想方面へ考えが流れていくと思う。

しかし、別の言葉でたとえば「パワー」という言葉を使用しても、理屈は説明できない。

確かに説明している人や霊能者等もいるが、それは私から見て一つの「説」であり真実までたどり着けない状況なのだ。

それは、これまでの私のブログを読まれた方は理解していただけると思うが、一つの現象、事例はその事だけで完結する事は無く、他の現象や事例の根拠等と密接に関係していると思われるからである。

そして、それらの事例がまだ矛盾を抱えている状態なので、理論として確立出来ないのである。



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(23:04)
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「アセンション」「シリウス」「オリオン」この3つのキーワードは結構セットで語られているブログを見かける。

地球の文明を教えてもらうためにシリウスから地球へ転生してきた、とか。

オリオンから転生してきた意識体は「支配」「略奪」を地球で行っている、とか。

で、アセンションとはこれら他の惑星から転生してきた意識体とは違う次元へ地球の意識体を持っていくと言う。

はたまた、地球でのアセンションの方式についてシリウスとオリオンで意見が分かれていてもめているだとか。

惑星間を「光速」で移動しながら〜〜〜となかなか物語としては読んでいて楽しいけれど、事実として書かれているのが気にかかるな。

コメントを頂いた内容にも、太陽系だけでも数えきれない惑星があり、銀河系等で考えたらもうきりがない。

それこそ天文学的な数字になるだろう。

で、その中で「オリオン」と「シリウス」だけ?

ここで、う〜むと腕組みしてしまう。

もっと視野を広げて、銀河系級は他にも数えきれないほどあり、銀河系内だけではオリオンとシリウスだけというくくりなのだろうか?

遥か昔「地球は丸い」と言って変人扱いされたり、「地動説」を唱えた人を擁護して死刑になったりと大変な時代がありました。

今現在が大変ではないかと言うと、全ての事が解明されたわけではない状態で、知りうる限りの情報にて判断しようとしています。

仮説ですが、肉体を構成している分子の周波数から霊と呼ばれる意識体までの周波数帯とは違う種類の周波数帯が存在し、もしかしたら太陽系だけでもその他の存在に気が付かないだけで、多数あるかもしれません。

我々の現在の知識では宇宙空間はどこまで広がっていて、その先には何があるのか?という区切りがある事を前提として考えていると思います。

区切りが無いという前提では我々の知識では想像が出来ないのも事実です。もしかしてホーキング博士はイメージ出来ているかもしれませんが。

電子顕微鏡でどんどん小さなものを見ることが出来るようになり、分子構造から陽子、更にはクォークまで発見し、その周回を電子が周回軌道に乗って回っている事まで発見した。

我々が生きているこの空間も、ほぼ全ての事の根底は似たような構造を持つことが見て取れると思う。

先ほどの陽子の周回軌道に電子が飛ぶ〜から〜太陽の周回軌道に惑星が飛ぶ。

人体の内部構造を見てみると、血液に栄養が乗り、体全体を駆け巡る〜から〜道路上に物資を乗せた車が走り回り経済という生命を維持している。

他にもいくらでもあるが、基本構造が似ている。

最近では自然界にある形状を取り入れて製品を作るという取組が盛んに技術者のあいだで行われている。

これらの事から、宇宙空間が広がり続けているように見えているが、実は宇宙の果てに到達したと思ったら実はそこは分子の中であったとか、この空間の中を循環しているという見方も面白いと思う。

そして、循環している様々な物に共通な基本性能があり、その一つに「意識体」もあり全てはこれを「自然の摂理」という言葉に集約する事も仮説としては出来るのではないだろうか?


話が一気に飛躍しすぎてしまいました。

読まれておられる方々には、なんだこいつ?と思われた方もいると思います。

様々な疑問を同時進行で考えていると、たまに発想が何処かへ飛んでしまう事があります。

その節はご容赦くださいませ。

という大脱線から、戻ってみたいと思います。


生命、意識体、霊というテーマで疑問を持っている場合、派生する事柄が多すぎてしまい脱線が非常に多くなってしまいます。

派生している事柄を深く追求すると、生命の理由や意識体の意味等に戻ってしまうのも事実です。

これを繰り返しているうちに、また閃きと疑問が同時進行しているので止まらない。。。


結局、人間の持ちうる知識だけで解決を図ろうとするにはまだ問題が大きすぎると思われる。

その巨大な問題に対して、まるで回答はこうだ!と言わんばかりに事実としてアセンションを語るのもどうなのだろう??

と思ってしまう。

そんな人間はアセンションでの次元移動時、置いてけぼりを食わされると言うのであれば、置いて行かれてみたい:笑

どの様な現象なのか、自分自身の意識体がどう感じ、どう見えるのか体験してみたい。

ちょっと話が違うが、以前霊能者の方が私を見て、君にはお姉さんがいたねと言った。

私は弟はいるが姉はいない。

その霊能者が言うには姉はいないが生まれてこれなかった姉がいたはずだという。

そんな話は聞いたことが無かった私は、早速母親に聞いてみた。

すると、確かに私が生れる前に一度流産しているという事実を告げられた。

流産なので男女は分からなかったが、確かに霊能者の言う通りだった。

こういった事象の理由が全く分からないのだ。

その霊能者にはどの様にその情報が見えているのだろうか?


ここでちょっとひねくれ者の自分が顔を出す。。。

私の年代の人間が生まれた昭和初期とまでは行かないが、その頃には流産の数は結構あったと言う。

そういった現実があったと言う事から、誰にでも姉がもしくは兄がいたね、と言えば、何人かに一人は「当たる」ともいえる。

もしそんな流産の事実は無かったとした場合、「おかしいな、そう見えるのだが」と言えばそれで話は流されて話題にも登らない。

当たったように思えるからこうしてその事を今ここで書いている。

この情報を読んだ人は、信用するかもしれない。

やはりそんな流産の事を見通す霊能者がいるのだな、と記憶のどこかへ軽く残しておくかもしれない。

その様な積み重ねが、霊能者という存在を今でも認める社会になっているとも考えられる。

霊能者という自覚を持たれている方には失礼だと思うが、真実にたどり着けるか?

という事が私のテーマなのでご容赦願いたい。


結局今日は2012年12月23日になっている。

マヤ歴人類滅亡論はどこへ行ってしまったのだろうか?


本日からアセンションは始まっているという情報もある。

もう少し具体的に教えて頂けると非常にありがたいと思うのだが。。。



本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!

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