2018年09月25日

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水滴


これまで長年霊界について考えてきた結果を総括してみたいと思う。
2018年9月現在に於いてのまとめなので、もしかしたら後に修正が加えられるかもしれない。

※注意※ 今回のブログを読むと、もしかしてあなたの人生がつまらなくなる可能性があります。
人生が充実して毎日が楽しいと感じ、未来に夢を持ちワクワクしている人はこのブログを読まない事をお勧めします。

<本編ここから>(ちょっと長いです)

数多くの霊能者と出会い、自分自身も不思議現象を体験し、ネットが普及した結果本当に多くの体験談に触れることができるようになった。

ネットの情報はどこまで信憑性があるかというのは、話半分位にして読んでいた。

そして自分自身の体験と併せて、「霊」という掴み所のない存在についておおよそ定義づけが出来上がったと思う。

惑星とは?宇宙空間とは?宇宙空間があるならその外側は?とどれだけ考えても空想の領域を出ることができない事柄については触れない。

霊という存在が有るのか無いのか?

ここでの結論としては「ある」と考えている。

「ある」と書いたが、どんなもの?という定義については詳細的には違うかもしれないが、おおよそみなさんの想像通りでしょう。

ではその霊はどこから発生したものなのか?という疑問に関しては宇宙空間の外側は?という疑問と似たような話なので発生源は空想の領域を出る事はできない。

この人間世界はバーチャルでは?という考えを科学の先端を走る学者の方々も真剣に信じている人が増えているようだ。

例えバーチャルだとしても、そのバーチャル世界の構成要素として「霊」という概念が「ある」と言えるだろう。

つまり今回の総括は、人間社会に於ける「霊」とはどういった存在で、どのような振る舞いをしているのだろうという事に焦点を絞ってみた。


輪廻転生についてはどうなのか?

結論として「ある」と考えた方が整合性が取れそうである。

では守護霊とかガイドと呼ばれる存在は?

これも「いる」という方向で考えても良さそうで有る。

そしてこのブログでも散々考えてきた「何のため?」という事に関して。

なぜ魂は輪廻転成を繰り返し、何度も人生を繰り返すのか?

結論として「意味はない」というところに落ち着いた。

地球表面の70%を占める海は1000年に1度「呼吸」をしているという調査結果がある。

海底の藻類とかが人間の脳細胞と同様に神経伝達を行なっており、人間の概念を遥かに超えた規模で何らかの思考をしているのではないだろうか、という説も出てきている。

まだ知らない事だらけだ。

そんな惑星も寿命があり、最後は爆発しチリとなりまた新たに惑星が誕生しと繰り返している。

なぜそんな事を繰り返すのか?

そこに「意味はない」

同様の概念で「霊」というまだ人間には観測されていない何かがあり、これも輪廻転生を繰り返している。

ネコにはネコなりの思考があり、そのツンデレ行動は人間からは推測するしかない。

視点を絞り込んで人間目線で見えてきた「霊」について。

人間のそれぞれの性格等はどうやって決定されているのか?

「霊」の持つ性格がそのまま反映されるのかという点について。

これは感情的な部分を霊の性格が占めており理性的な部分は肉体的特徴(遺伝的要素と学習要素)であろう。

酷い事をされてその復讐を果たした後、「心が痛む」という状態になる事もあるだろうし、魂の性格で「全く心が痛まない」という人もいるだろう。

数々の輪廻転生の体験談を読み進んで、人間界へ転生する時、周囲の魂が「羨ましがる」のもいれば「大変だぞ」と心配するのもいる。

まん丸の魂の状態で安定していたら誰かに人間界へ転生しなさいと命令され、行きたくなかったが仕方なく転生したという体験談もあった。

私の息子は転生の時の事を覚えており、幼い頃に話してくれた。

広い草原で寝転がり空を眺めていたら、知らない爺さんが現れて雲の上から「あの家に生まれなさい」と言われ「わかった」と息子は了承すると、くるくる回りながら母親の体内へ飛び込んだと。

その前の人生でどのように過ごし、どうして死んだのかもはっきり覚えており話してくれた。

もう成人した息子にその事を聞いてもすっかり忘れている。

私自身も実は前回の人生がどのようにして終わったのかおぼろげながら覚えているのだ。

ネコの思考はわからないが、人間同士の思考はある程度理解できる。

なぜ霊は輪廻転生するのか?

結論として「意味はない」

つまり「魂を磨くため」とか「カルマが」とかそういった理由は無いという事。

ではなぜそのような事があるのでは?と考えてしまったのかという理由は、そう考えないとやってられない、という状況になってしまった時の自分の心を治める手段として有効であったという事。その昔人々を支配するためにも有効な手段であった事。

どうやら魂そのものは出来事を記憶しており、その記憶により感情と考えられる魂の核の部分が分かりやすく書くと「変形」すると思われる。

そして自然の法則で変形したものは元に戻ろうとする力学的な概念で肉体に宿るとその変形を戻せる為、転生できる事を羨んだり心配したりする魂がいたりするのだろう。

これは推測なのだが、元々魂の原料となる何かは惑星の構成成分と同様存在しており、地球上の生命と共に魂の原料も進化したと思われる。

そんな魂が多数存在すると思われている「霊界」だが、その上に更に規模の大きな神の世界がとか色々言われているが、それは肯定も否定もできない。

霊能者が神の世界を見たり感じたりといった話も多数あるが、霊界から空想で作られた世界を見せられている可能性もある。

神社へお参りに行き、ご利益があった!という話もあるが、思い通りになった人以外にどれだけの人が祈っただろうか?

そしてどれだけご利益があったのか?

ご利益があった人は宝くじに当たるような確率では無いだろうか?

通りすがりで一晩の宿として神社の軒先を使わせてもらったお礼として神社を掃除したら貧乏神に取り憑かれたという体験談もあるw

その証拠となる物を見せてもらったことは無いのでまあ、この話も半分としておくしかないのだがw

このブログを読まれている方、ご自分の周囲にあなたと関わりのある人々を思い浮かべて見てほしい。

たくさんの知り合いの顔が浮かんだと思う。

それぞれその人たちは、それぞれの価値観を持ち、性格も外見もすべて違うでしょう。

一卵性双生児のそっくり双子ちゃんでも親は見分けることができるという違いがある。

ジェネレーションギャップという世代間の価値観の違いも感じたことがある人が多いと思う。

そんな価値観の違う人たちが肉体の寿命が尽きたのち、魂だけの状態(正確にはエーテル体に包まれているらしいが)になり霊界へ戻った状態を考えてみると、そこにはそれぞれ個性豊かな魂がいる。

その魂たちもそれぞれの価値観を持っており、当たり前と思う事も判断基準も違う。

そしてどういった経緯で何のためなのかという理由も不明で転生してきた人には「守護霊」とか「ガイド」とか呼ばれる霊がいたりする。

歪んだ魂を戻そうと転生してくる時、どういった事でその歪みを解消するのかという計画を立てる。

それが俗に言われている「生まれる前に自分の人生の計画を立てる」という意味合いなのであろう。

だから人生には意味があるとか、出来事にはすべて理由があるという話になっていくのであろうと推測される。

そういった視点で範囲を狭めると、輪廻転生や人生、苦難も喜びも全て「意味がある」という話になってくる。

しかし視点を引いてもう少し広い範囲で俯瞰すると、自然の法則の中で淡々と惑星が出来上がり寿命が尽きて爆発したりというサイクルの中で更に小さい規模で魂が肉体に入り込み歪みを矯正して、というミクロからマクロまで同じ概念が繰り返されているだけという意味のない話になる。

「村の掟が〜」とか「しきたりだから、こうせにゃいかん!」とか拘る事に意味はない。

私は絵画に全く興味がない。しかし絵画に価値を感じる人は億単位のお金を出しても手にれたいと思っていたりする。

これが霊界と人間界であるとしたら?

神「人間よ、祈りを捧げよ〜」

人間「宝くじより確率が低そうで結果が明確に分かりにくいのに。。。」

神「そんな不届き者には祟りじゃ〜」

人間「神社へお祈りに行かない人の方が多いよね。だから社会が不穏なの?」

人間「神って何様よ、、、」

神「祈りを・・・」

人間「魂の歪みを修正しに来ているのに、邪魔しないでくれるかな、、、」

神「・・・」

ちょっと2chちっくな展開になってしまったw

人間も子供の頃は宝物に思えた物も大人になったら無価値になる。

自分に好意を寄せてくれる人には優しい気持ちになる。好意とは?

敵意を向けてくる人間には警戒する。

敵意も好意も人間には見ることが出来ないが、感度のいい人は感じ取ることができる。

私は人が沢山集まる所が苦手である。満員で無くとも電車が苦手だ。知らない人との距離が近く、イライラしている人がいるとその雰囲気が見ていなくても伝わってくる事が多く、こちらのテンションもだだ下がりになる。

そういった多数の魂や個性が入り乱れて複雑な環境の中へ輪廻転生してきて、自分の魂の歪みを修正するのに最適な状況を守護霊が転生前の計画通り手配して、試練に遭ったりしてそれを解決することにより歪みを修正する。その為の試練を神頼みで厄除けしていたら?その時はうまく厄除け出来ても似たような状況がまた現れ結局試練にぶちあたる。今回の人生をうまく厄除けして乗り切れたら?次の人生でまた試練が現れる。

しかし複雑になりすぎた環境で、魂の別の箇所が歪んでしまったり、何らかの混乱や災害とかに巻き込まれてという事も起こるのだろう。

太陽の周回軌道を地球が回り続け、太陽系は銀河系を周回しと、周辺環境が動き続けている限り魂の修正を行うつもりでいても完全球体のように歪みのない状態に成ることは出来ない。

水が表面張力でまん丸になろうとしても様々な障害に遭い形が崩れてしまう。丸くなれたとしても直ぐに新たな力が加えられ変形、時には猛烈な力により分子運動が激しくなり熱を帯びてしまうかも、更にはその熱で蒸発してしまう事もあるだろう。

しかしまた熱が冷め、同じ分子同士が引き寄せあい、集まると結露して水滴になる。

意味はない。

自然の営みである。

多分ではあるが、魂だけの状態になっても霊自身、何のために自分という意思があり、自分を認識し、歪みを治したいと思ったりするのかわかっていないと思う。

また魂自身、人間の肉体にいる時に受けた理不尽などの記憶が衝撃的すぎて、魂の歪みとかそんな事も考えられないほど怨念の塊になっているかもしれない。

どの状態が正解でどの状態が不正解という考えも立場と視点が変わればその数だけ正解不正解が存在してしまう。

どうやら霊界にいた時の記憶を鮮明に持つ人々もいるようで、その一つが、霊界にいても人間界にいても見える景色はさほど変わらないという。

ただ霊界にいると、肉体を維持する為の食事が不要なので義務という概念が無い。

したくないと思うことは人間の時間的概念からすると永遠にしなくても良い。

だから魂自身の歪みがあっても永遠に解決できないという。

しかし歪んだままでいると自然の法則の影響か確信は持てないが、歪みを治したいという欲望が湧き上がるのだろう。

そして肉体の中に飛び込むことはチャレンジであって、生命維持という強迫観念を持ち、その追われる環境で魂の歪みを修正できるのだろう。

その代わり、新たな刺激もあり楽しめる事も併せ持つ。その楽しさと試練の割合は魂の歪み具合で変わるという事だろう。

ここまでこの総括を読まれた方は、それでは人間界より霊界の方が主であるとして人間界の拘りなど無意味ではないか、

と思われるだろう。

しかし肉体に飛び込むと、肉体の脳細胞の成長と共に霊界の記憶も夢のように消えていき、肉体を持った価値観が生まれる。

そして肉体的なDNAによりその肉体らしい性格が環境の影響で構築されていく。

つまり霊界が主というわけでも無く、人間界がとかでもない。

2種類の世界を感じることができる意思を持っているということである。

人間界にいる時に、人間界に未練を残し人間にいたずらしたりするような霊は鬱陶しいだけなので、相手にしない。

強烈な力を持つ怨念怨霊なら霊能者という役割の人に説得してもらうか、払いのけてもらえばいいい。

人間にガイドとしてサポートしている霊は自分の分身という話が多いが、これはわからない。

しかしガイドは魂の歪みを修正に来ている魂の環境を整えるという事をやってくれているようだ。

だから、怨霊などがちゃちゃを入れて来ても防衛能力が無く、管轄外かもしれない。

元々の魂がある程度強ければガイドも自分の分身として怨霊など寄せ付けないかもしれない。

人間としての人生を思い通りに充実して楽しく過ごしたいというのは誰もが思う事であろう。

そんな楽しさ幸せ感が人間界にはある。

もしかして魂に気になる程の歪みは無いが、この楽しさ幸せを味わいたくてやってくるだけの魂もいるだろう。

でも何らかの障害に出くわし心を痛め魂が歪むかもしれない。

短期間だけ体験でやってくる魂もいるかもしれない。

肉体の持つDNAの波動と魂の波動が合えば転生できると考えた方が筋が通る。

野生的な本能だけで自分の命をつなぐ為、他の動物を殺して食べて来た経歴の魂は人間社会へ出て来たらどうなるか?

想像通りだと思う。

しかしそれでも他の優しい魂との接触により他の生物を食い殺す獰猛さが突き出て歪んだ魂はショックを受けるかもしれない。

何億年もかけて転生を繰り返し、それぞれ歪んだ魂同士が影響を与え合い、自然の法則通りに平均に近付こうとしているのかも。

そうして全体意識という平均的な感覚が個々の魂の手本のようになり、でも新たな災害や理不尽により歪み、と繰り返し続けるのであろう。

まとめとして、この人間世界には人が言うような「義務」など実は無い。

生命維持という強迫観念から、互いが安全に過ごせるよう決まりを作り快適さを追求して来た。

そんな中に、支配欲を持つ魂が歪んだ状態でその本能のまま活動するために、互いの肉体が安全安心の為に決めたルールが支配のためのルールに置き換えられているに過ぎない。

それが古い時代の「村の掟」であり、人間の生命の為のルールがいつの間にか人柱を立てて災難を逃れたいといったおかしな方へ発展したり。

支配欲を持つ人間の変な解釈による不幸であろう。

例えばゴルフ、「マナー」という言葉がある。後からプレーする人たちも快適にプレーできるように気をつけて、互いに気持ちよく楽しみましょう。という趣旨のはずであったのに、いつの間にかマナーが悪いと言って人を攻撃する材料に使う人間が出現した。

もしかしたら攻撃するほうもされる方も魂の歪みを修正する為にガイドが仕組んだ出来事かもしれない。

身の回りの出来事に意味を見出すとすれば、どこまでの範囲で考えるのかによってその意味合いも変化する。

私自身はこうした考察を続けて来て、社会の出来事にほとんど無関心となってしまった。

もし自分自身が魂に歪みを持ち、それを修正したいと人生の計画を立て、その環境をガイドが準備しているとすればなんらかの変化が起こるであろう。

そして現在、私は毎日ほとんど人と会わず、外出せず静かに過ごしている。現代風に言えば引きこもりだw

親のスネをかじっているわけでは無いのでニートとも違う。

総合的に見ると、どのような試練が起こるか本人はわからないし、なぜ試練になるのかという理由もわからない。

だからそこに魂の歪みを修正する何かが働くのだろう。

こうしてブログを書いていて、常に思っていた事。

魂の歪みを修正する為に理由も分からず試練に晒されるのが標準仕様だとしたら、こうして舞台裏、マジックショーのネタバラシを行ってしまうことは魂の修正を行いたい魂にとって試練を無意味化してしまうのでは無いだろうか?

ネタバラシはしない方が、、、と考えてしまうのだが、どうも全体意識としての方向性がネタバラシのほうへ動いているように感じる。

目標到達地点が明確にあるのであれば、ネタバラシは良く無いという考えになるかもしれないが、自然の法則の中での変化の一部だと考えたらネタバラシしても全体意識がそちらへ変化しても目的地が不明瞭な状態では関係ないという事になるだろう。

つまり大枠で考えると、「人生に意味はない」という所にたどり着く。

試練に見舞われて押しつぶされそうになった時、「どうでもいいじゃん、逃げちゃえば?」という考えもいいだろう。

試練を撃破する気力があり、立ち向かいたいと思うのならそれもOK。

そんな好き勝手を皆んながやり始めたら社会の秩序が、、、とか反論もありそうだが、

私は思う「だから?」

このブログの冒頭でも書いたが、今現在人生が充実して楽しく過ごしているのであればここまで読んだ事など「アホか」と忘れてくれて構わない。

それぞれの心が反応する事に意識を向けていればそれでいいだろう。

この世界に「義務」など何もない。

あの世と呼ばれる世界にも「義務」などない。

正体不明の自分を感じている自分の意思、心が反応する事に意識を向けていればいいのだろう。

疲れたら一休み。










(15:24)

この記事へのコメント

1. Posted by mars   2018年09月28日 23:44
拝見しました、結論は概ね同意ですね。
とはいえ「人間社会」は楽しくなくても日々変化する自然や愚かでも人々が営々と蓄積していった歴史の痕跡と面白いものだらけですよ。
少し見解が異なるのは「転生」ぐらいですね。

まず「前世」が「クレオパトラ」多すぎ。
全ての人間と全ての蟻の質量が同等。
無機物にも魂は宿る。
以上から「一個人が丸ごと人間に転生するのは確率的に不可能」と考えます。
猫一匹、大理石、クレオパトラの小指の爪、白磁のティーカップ、硯、電卓、アゲハ蝶の羽の魂を混ぜて人間一体分作成…。
前世がクレオパトラの才色兼備な女性の出来上がり…でしょうね。ただそれっぽいだけで前世の記憶なんて無くて当たり前です、寧ろ猫としての一個体の記憶の印象が一番残ってます。
「ガイド」…守護霊は何でしょうね。
実際に聞いても「知らん、そもそもお前自身が何者か答えられるか?お前が認識した時に俺の認識は発生した、それ以前は認識可能な答えを用意できない」と言ってました。
もし仮に「高位次元の存在」とか言ったらそいつは嘘吐きでしょう。
偉そうに「わしがかみさまじゃ」とか言う怪しいじじいは木製バット(トネリコ製)でぶん殴った方がいいと思う。
2. Posted by 四季(管理人)   2018年09月29日 13:44
marsさんコメントありがとうございます

転生に関しては私も丸々同じ魂がとは考えていません。
ブログの表現が不足していた感じです。
具体的にこうである!といった表現はまだできませんが、ミックスしているという印象を強く持っています。
それが個人の過去幾多かの転生の重なりなのか、他の魂なのか、分類までは分からない感じです。
ガイドの存在意味と理由はやはり説明根拠が弱いのでここもまだグレーが残ります。
高次元のなんちゃらは「もしもし、視点が合っていませんよ」と空を眺める人に言いたいですw
木製バット、実態が掴めないので空振り三振してしまいそうですがww
3. Posted by ライト   2018年10月02日 15:16
こんにちは。

>具体的にこうである!といった表現はまだできませんが、ミックスしているという印象を強く持っています。
それが個人の過去幾多かの転生の重なりなのか、他の魂なのか、分類までは分からない感じです。

この問題が私も解せなくてぼや〜んとしたままです。
“前世はある”
で今のところ納得してます。
4. Posted by ライト   2018年10月02日 15:21
あら、途中送信してしまった。

で、今のところ前世はあると私は思っていますが、
四季さんの仰る様にミックスとかの説を知り、
本当にそうだったら霊界自体消滅してしまえ、くらいの
ムカつきがこみ上げて来てしまったりして。
なんかもうムチャクチャですやん。な感じ。
5. Posted by 四季(管理人)   2018年10月05日 11:53
ライトさん コメントありがとうございます

ちょっとニュアンスが違うかもしれませんが、心臓等の臓器を移植すると臓器の元の持ち主の性格が移ると言われている不思議な現象、もし臓器にも魂のような感じがあり、移植する事により患者の性格に影響を与えるという現象が、なんとなく近いのではないかな?と思っています。

趣味嗜好が変化したりはするが、元々の性格は保ったままという我々の理解を超えた現象だと思います。

元々魂とか輪廻転生とか、さしたる目的も無く淡々と変化している現象なので、肉体という入れ物から出てしまうと、他の何かと混ざってしまうのかもしれません。
混ざるという表現より、影響を受けるという考え方の方が近いのかもしれないと、あくまでも憶測の領域を出ることができませんが。。。w
6. Posted by ライト   2018年10月09日 17:27
混ざるですか。
ミックス説が有力だとして、その混ざる過程にはなんらかの法則とか方程式みたいなものでもあるんでしょうかね。

まず概ねの死んでのちの説では、死んでとりあえずこれまでの地球界での人生をムービーを観て、反省やらする作業があるらしいです。

ではそれからその魂レベルにあった魂グループに還って混ざるのかなー。

俗にいう低い(波長が重い?)霊格だとそういうグループに混じって、次の転生の段になった際は混ぜられた前世記憶から何の法則でかわからないけど、これが「俺の前世で、俺のカルマー(実は人間だった時の俺の人生では全くなかったりする)」とか決めてるのかな。

んで、低い霊格グループなもんだから、地球時代での生き様も人間目線で言えば、褒められたもんでなかったりして、混ざった前世もカルマもクリアにするには果てしなく遠い道のりで、ヘタしたらさらに低い霊格へ身を落とす可能性もありで。

とかいろいろ想像します。
四季さんの様な考察を持っている方があの世へ行かれたら、どの様にその情報が使われるのかなとか思ったりもします。
7. Posted by 四季(管理人)   2018年10月10日 12:34
ライトさん コメントありがとうございます

ちょっと長いので2分割

<その1>

この辺りの事は確実に宣言できるほどの確証が無いので、言い切れない所が歯がゆいですね。

人生を振り返る反省会の人生上映会という話も聞きますが、私のこれまでの考えと探索の結果として言えば、「意味」という人間の持つ思考は全て後付けであり全ての事に意味はない、と考えています。

しかし「意思」という自分を認識するものが他の意思の存在も認識し、疎通をはかっています。それぞれの意思の「差」からそれを面白い、悲しい、悔しい、、、他、と色分けされ、そこに「意味付」が行われているように感じます。

なので肉体が死んでから魂が人生の上映会を行うという「慣習」を行う「意思」もいるだろうし、意思が自分であると認識している実はもっと大きな自分に戻り、吸収され、そこで他の人生を歩んだ魂の経験記憶と混ざるかもしれません。

自分だと思っていた意思より更に大きな自分の視点で、肉体から帰って来た自分の人生を眺める事もあるかもしれないし、それを人生の反省会というニュアンスで肉体を持つ我々が認識しているかもしれない。
8. Posted by 四季(管理人)   2018年10月10日 12:34
<その2>

この大きな自分から分離した魂が、肉体に入る時、同じ大きな自分から分離した魂のグループが親友であったり親や自分の子供、社会で出会う重要な関係性の人や結婚相手という一族を作り出しているかもしれない。

自分というくくりが範囲を広げた状態で見れば今の自分の感覚は他の魂と混ざるという認識になるかもしれません。しかし実は同じ一族かもしれない。そんな一族が複数いて各地に生きる人たちの傾向を作り出していると私はみています。

多分私の肉体が死んでも大きな自分(ハイヤーセルフとでも言うのが的確かな?)に戻ると人生経験のデータベースの1行として書き加えられるだけだろうと思っています。

そんな結論に達したので、ブログ記事でも冒頭に書いた通り人生に対してやる気が失せるかもしれないのでご注意を!と書いてみましたw
9. Posted by かピ   2018年10月11日 14:39
>人生に対してやる気が失せるかも

意味が無かった方が気が楽になりますね
じゃあ深く考えずに進めるって訳だし

3週間前に突然無くなった義父の持ち物を整理していると、
生前に拘っていたものがいかに多かったかを知りました、
それのせいでなんか気忙しく、毎日バタバタと生きていましたが、
ある日 何の前触れも感じさせず
あの世に行ってしまいました。

色々な事に執着が無ければもっと軽く生きれたのか?
やはりあれだけの事をしたから回りから惜しまれたのか?

人の人生のアルバムを見ながら
考えさせられますね

私は後半の人生をどう生きるか
いや 生き延びるかかな
10. Posted by 四季(管理人)   2018年10月12日 13:34
カピさん コメントありがとうございます

義父、ご冥福をお祈りします
ご冥福ってなんだろう?
変なところにも疑問を抱いてしまう変な癖です、すみません。

執着は面白いと言うか、不思議ですよね。
執着すればするほど入り込み、手放すとほかの事まで全て手放したくなったり。

自然の法則のように、尖るとそこへ力が集中し、丸くなると分散する。
執着心もこの法則に近い何かを持ち合わせているようです。

自分自身の心でコントロールが非常に難しい「感情」これが人それぞれ特徴があって似てはいても同一は無い。そんな感情が「嬉しい」「快適」「充実」「感動」と思えるような人生を過ごすことができればこれまでの人生が活かされている感じでしょうね。

失敗、嫌なこと等の経験が多い人ほど感動が大きかったりw

生き延びる事に喜びを感じるのであればそこへ執着するのも充実に繋がったりして喜びになるかもしれませんね。

子供のために元気で長生きし、子供に喜ばれるとそれが自分の喜びになったり、自分だけで解決できない喜びも沢山有りそうですね。


12. Posted by ぷらとーん   2018年11月02日 00:03
>失敗、嫌なこと等の経験が多い人ほど感動が大きかったりw

いんや、そんなことはないな。
そんな人もいるかもしれんがな。
じゃが、そんな人は地上世界の人間だな。肉体に閉じ込められている人間ってことだ。


>自分自身の心でコントロールが非常に難しい「感情」

非常に・・・(?
そんなふうに言っているうちは、肉体に閉じ込められた人間の域を出ていない。
自我に振り回されてるということだな。

その自我意識が自我思考を繰り返し、それがやがて霊界とかいうものを作る。
いや、他の誰かが作ったものだとしても、それを補強する。
それを使ってまた自我思考が・・・の繰り返し。
いらんもんまでくっつけて、どんどん膨らむ。
しまいにはカオスになって、見えるもんまで見えなくしとる。

地上の人間は、そんなふうに見えるがな。
こりゃ言い過ぎたかな。
すまん。
13. Posted by 四季   2018年11月02日 21:22
@ぷらとーんさん

面白い!もっと言って下さい!
14. Posted by たかし   2021年10月27日 00:19
意味がないとおもうからこそ、

繰り返されるとおもいます。

繰り返すにも、負にむかえばやはり無くなる?

その逆にいきつくためにも、まずは人として、利他の考えを人だけでなく、すべてに持てることかなと日々精進しています。煩悩うずまく今でありますが。

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