2017年06月23日

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love

霊界は「愛」に溢れている

そんな事が言われてきたりした

フリーアナウンサーの麻央さんが本日旅立たれたとニュースで大きく取り上げられていた。

最期の言葉は「愛してる」

人間の視点ではとても悲しい旅立ちである。

しかし、これまで霊界の事を愛溢れる世界だとか、人間界の修行が終わった後に帰る場所であるとか言われたりもしていた。

そんな霊界視点で見ると、霊界の魂たちは「おかえり」と歓迎しているのだろうか?

この「愛してる」という言葉が本日はとても気になっていた。

愛される、愛するという感覚。

自分に向かってじっくり考えてみた。

もしかしたら私は「愛」という感覚を知らないのかもしれない、と思ってしまった。

人間界でも私には当然、親がいる。そして家族もいる。

愛は冷めるのだろうか?

その時は愛していたのだろうか?

「愛」という言葉の定義というか意味合いは、なんとなく皆解っているのだろうか?

「お前のことを思って敢えて厳しく」という「愛のムチ」という言葉もあった。

そんな事を言う先生もいたのだが、今考えてもなんの役にも立っていない。

それどころか不愉快な思いでだけが残っている。

すると「お前はあの先生の愛を感じられないのか」と叱られたりもした。

人の思いを察する感覚が私は一般的な人より鈍感なのだろうか?

愛されている感覚というのはどう言った感じなのだろうか?

「好き」と「愛」は何か違いがあるのか。

その定義は人それぞれ尺度が違うように思ったりもした。

愛に溢れる霊界、もし私も魂だけの頃この世界にいたのであれば、少しぐらい感覚を覚えていてもいいのでは?とか思ったり。

そんな鈍感な魂だから人間界で本当の愛を体験してくるのが今世のミッションだとか言われたとしたら、、、

でも元々はハイヤーセルフとか集合意識だとかという塊から分離したのが魂で、それが愛溢れる光の世界から輪廻転生してきて人間界にいるって、、、

何かちぐはぐ。。。

これまで言われてきた霊界の姿が多少の誤差などありながらもその通りであるとすれば、フリーアナウンサーの麻央さんは「人間界のミッション、お疲れ様でした」という人間界で言う「卒業」のようなイメージになるのだろう。

似たような疑問の流れはこのブログでも何度も出てきたので結局同じような所をぐるぐる回っているだけである。

日本人とアメリカ人、この人種の違いは「愛」という定義もアメリカのドラマ等を見てると随分違うように感じる。

アメリカ人は「愛」という感覚がドラマの中でも映画の中でもとても重く表現されているように感じるが、日本の文化の中ではそれほど重視されていないように感じている。

「愛」という感覚がわからないと自覚している自分がアメリカの映画やドラマを見ると、いつも「愛」の部分の重さで違和感を感じているのだ。

愛を数値化して比較するというのはとても大変な作業になるであろう。

何せ見えない感覚なのだから。

人それぞれ感じ方に差があるだろうし、私は愛という感覚がわからないと思っているが、それは思っているだけで他の人が見れば「それは愛だよ」と言われるのかもしれない。

逆なこともあるだろう。

人間の脳の中は随分研究が進んでおり、脳の中を覗いたり、ハッキングすることも後数年で可能になるというのだ。

脳の中ではニューロンが回路を形成し、そこに電気が流れて感覚を受け取ったり思考したりしているのだが、アイディアなど独創的な事を考えつく為には何かが動かなければ脳の神経回路に電気は流れない。

その大元はどこから発生するのだろうか?

外界にある電磁波や光、闇、匂い、音、雰囲気などなど様々な刺激からも脳はものを考え出したりしている。

もし魂が脳の中で発想の源となる部分に何か刺激を与え、その刺激から脳が様々な発想等に繋がるのだとしたら、科学の世界はその魂との接点の部分の目前まで来ているのかもしれない。

脳の仕組みが解明され、どうして思考が動き出すのか、その発生源がどうしても謎であるというところにたどり着けば、もしかしてそこに魂があると結論づけられるのかもしれない。

脳が人間自身の手でハッキング出来る時代になると、それを悪用され操られる危険性もあり、すでに倫理に関する団体の設立も検討されているという。

魂だけでは体験出来なかった事を人間という肉体を利用して実現してきたのに、脳をハッキングし、バーチャルの世界で体験しようという方向に今人間社会は向かっている。

バーチャルの仮想体験も技術が進めば、脳の感覚器官を擬似的に騙して人間の現実の世界と区別がつかない体験も可能な方向へ進むであろう。

それなら結局人間という肉体など不要だろ。

ここでも無限ループが起こっている。

と思っている今現在の世界がバーチャルの世界では無いと言う事が前提ではあるが。。。



(23:42)

この記事へのコメント

1. Posted by 名無し2017   2017年06月30日 07:19
与える側と受けとる側で認識・解釈の異なるものであるため愛の定義は私もわかりませんが、愛がわからないと明言するほうが誠実かも知れませんね。
それだけにスピリチュアル業界という分野に曖昧なものをもっともらしく語る不誠実さが濃厚なのかと。

議論する上で定義の確認というものは見過ごされがちですがもっとも大事ですよね。共通認識のズレを補正してくれますから、それなくして議論のスタートも切れません。

スピリチュアルで理屈っぽさは忌避されますが理屈っぽさこそが物事を考える上で大前提になるため、霊的感覚あるいは単なる思いつきに依存した語りは騙りでしかなく、書籍にして文章化されると世間に誤謬をばらまく形になります。

私は小林麻央さんが亡くなる少し前に個人が存在しないことに気づいたのですが、業界で流布されてきたいわゆる自他一体論が誤謬だとわかりました。

集合意識もありません。さらに言うと自由意志もないだろうと日々確信を強めています。

これらの気づいたことは背景を説明せずに聞いても誰もが安易に反発を覚えるものです。誤謬が根深いからです。

私は卑怯なので、暴論を唱えっぱなしで説明する気はないです。リアル以外では説明は面倒なので(笑)
2. Posted by 四季(管理人)   2017年07月01日 00:22
名無し2017さん コメントありがとうございます

愛やスピリチュアル、本当に定義がそれぞれ異なった状態で議論が展開されているので決着もつかず、益々混迷を深めているようですね。

個人が存在しない事、集合意識も自由意志も無いという考え、そこに焦点を当てて考えると同意する方向へ流れていくのが自分の中でも感じられます。

今日は少々根本的な部分で何時間も考え続けてしまいました。

自分と認識している意志とは?から始まり、目の前に「ある」と思っている「空間」これが「ある」と認識すると、宇宙空間もあり、さらに境目があるのかどうかもわかりませんがその外側にも「空間」があるとなります。そして無限ループというか、永遠に空間はあり続けることになる。

では、自分の意志が「あると錯覚している」で、実は空間も「あると思い込んでいるだけ」とすれば、すべては「存在」という定義が消え失せる事になります。

では「意志」が感じている「ある」という感覚はどこにあるのか?
なんて考えると、「ある」の外側にも永遠にあり続けるという合わせ鏡の状態で答えにたどり着けなくなります。

実際はもう少し多方面に思考を巡らせて複雑に考えていたのですが、やはりその事を考えている「意識」とはどういう位置付けの存在として捉えればいいのか、答えが出ませんw

その迷宮の中で、未だ彷徨い続けている感じw

何か別のアプローチが無いものか、新たな視点を模索しています。
3. Posted by 名無し2017 コメントを二分割1/2   2017年07月01日 17:42
私の見方だと自由意志はないため意識もやはりないですね。意識と呼んでいるのはある条件によって表出される反応です。

この回答に対して
『バカじゃないの?』と口に出して反応してみてください。

次に実験させてもらいますが『🌑🌑🌑🌑?』と伏せ字に自由な言葉を当てて口に出してみてください。
いままでの意識の話や文脈は考えなくてもよいです。奇想天外な言葉でもよいので当てて口に出してください。

『🌑🌑🌑🌑?』←ここに何が入りましたか

私は『ンジャメナ?』です。誰も予想だにしなかったでしょうがアフリカはチャドという国の首都名を挙げました。

これは誰も予想できないから個人の自由意志の賜物だと普通は思いますよね。しかし『ンジャメナ』は、おそらく条件次第で100%口から出ます。反応だからです。
『ンジャメナ』に決めるまでのその他の思いつきや迷う過程、決心して口に出す未来も寸分たがわず決まってました。口が動くことで剥がれ落ちる古い角質の落下地点すらも決まっていました。

未来とはおそらく選びとるものではなく寸分たがわずはじめから決まっているものです。しかしパラドックスとして選びとる作業が必です。
言葉あそびのように表現を換えると『未来が決まっているから必要な作業に迫られる』になります。

我々は何かにつけて未来を選びとるだとか、過去に戻れるなら別の選択をするだとか、別の選択をしたパラレルワールドがあるだとか騒ぎますが、ないですね。断言するには早すぎますがきっとそんなものはないです。

個人の自由意志なる錯覚によって自由を行使できると錯覚できるのがこの世界のマジックだと考えています。

4. Posted by 名無し2017 コメントを二分割2/2   2017年07月01日 17:44
個人はひとつの視点なのではないでしょうか。数あまたある『私』のひとつの視点です。そこにリアリティーを錯覚できるのがこの世界のマジックだと考えています。

www.worldometers.infoを見ると世界中で一日に15万人以上の個人が死んでいます。同時にそれをすこし上回る人数の赤ちゃん、というか個人が生まれています。ぎょっとさせてしまうかもしれませんが、これは全部『私』です。

亡くなった小林麻央さんも『私』の視点のひとつでした。もちろんこれを書く名無し2017も『私』の視点のひとつです。

結局のところ『私』とは分断された個人ではなく『可能性や多面性すべて』と言えるかも知れません。個人とは視点、さらに言うと可能性や多面性すべての中から一部を表出される、ひとつの窓。

そこに本来的な意味で個人の生死はありません。しかし、生死にリアリティーを錯覚できるのがこの世界のマジックだと考えています。
5. Posted by 四季(管理人)   2017年07月02日 01:19
<長いので、コメント1>
面白いですね。

言わんとされていること、とてもよくわかります。

前回も書きましたが、私はそんな世界が「ある?」「無い?」「あるとは?」という部分の思考が頭から離れません。

個人は無く一つの窓という視点の一つ一つに「意識」があるように感じている、とても不思議な状況です。

この世界が「ある」とすれば、は前回も書いた通り永遠に続くかのように思われますが、「無い」としたら、「個人」を感じている「意識」は一体なんだろう?

VR(仮想空間)の中だから、実際は「無い」と表現するのもいいと思いますが、パソコンで考えてみても実際の空間は無くても、そのデータがメモリー上に展開されている、という事で、データとして「ある」という人間的視点が消せません。

仏教の世界などで「無」という表現がありますが、この定義は非常に難しいと感じています。

その特定の場所に「無い」とすれば、その周囲には空間なり何かしらが「ある」という白黒表裏一体の発想が湧き上がり、完全に「無」というのであれば、こうしてコメントを書いている意識とか個人だと思っている視点だとかの説明がつかなくなる。

やはり意識が個人を感じながら時間軸という概念の上を「動いている」と感じているこの世界は「VR」でも「物質世界」だとしても何かしらが「ある」というところに決着してしまいます。

頭の中で小説のようなストーリーを考えている時、一応時間軸に沿って考えますが、そこに時間の流れは存在しません。
6. Posted by 四季(管理人)   2017年07月02日 01:19
<コメント2>
いつでも時間をさかのぼって、ストーリーの見直しや複数のストーリーを考えたりもします。

このストーリーを考えている自分の意識は、私の感覚では自分の考えというより、登場人物や基本属性をある程度決めると、頭の中で登場人物が勝手に動き出して、それを私自身が見て、文章に書き残すといった現象が何度もありました。

この自分の意識を例えば人間世界で「神」とでも表現してみましょう。
どうとでも登場人物を動かせるし、その先の展開も知っている。

そして重要なのは、登場人物はその状況に「疑問を抱かない」と言う状況です。

自分の頭の中の登場人物は、それなりに個性を持ち意志を働かせて勝手に動き回る。
そんな風に私自身は感じながら小説を書いてみました。

その時の感覚的に感じた事が、名無し2017さんのコメントを見て思い出した事です。
この事を書くために非常に長い前置きになってしまいました。

自分自身が寝ている時に見る「夢の中」ではコロコロ変化する場面に違和感を感じず、起きてからその夢の内容を思い出して違和感を感じたりする状況もありますよね。

違和感を感じないという不思議も事をややこしくしている要因では無いかと思ったりもしますw
7. Posted by 名無し2017   2017年07月02日 09:34
丁寧な返信コメントありがとうございます。

やはりこのあたりの話はネット上で他人に話しても負担になるだけでやめたほうがいいなと思いました。

リアル以外では説明は面倒ですし、定義の話と同様に認識を共有しない場合には議論が堂々巡りになります。

わたしは哲学にも宗教にも通じておらず、さらに通じていない量子力学から自分の考えを否定する可能性がないか探るだけが残された作業です。

さいきんはスピリチュアルの情報から収穫もなく、哲学的諸問題の解決も哲学から助力を得ず連鎖的に解決したので、それらへの期待度は限りなく低いです。

ということでROMってろという結論になりそうです。駄文にお付きあい頂き感謝します。
8. Posted by 四季(管理人)   2017年07月02日 19:21
名無し2017さん

やはりネットで文字で話す内容ではありませんね。
同感ですw

私も書きながら、難しさを感じていました。
いっそ返信コメントを記事にでもして書こうかと思ったくらいですw

ROMっていても何か気になる事とか発見などあれば、また懲りずに書いてみてください。
9. Posted by どう思われますか   2017年07月10日 12:32
こんにちは。カテ違いで申し訳ありませんが、見つけたコメント、どのように思われますか。

  慂質(原子)は誰が作ったのか』

 物質(原子)は百余り有りますが、陽子・中性子・電子の3者での構成しか存在せず、生成過程で発生するはずの「多様性」が無いのは不自然です。

 原子は規則性や法則性に支配されますが、自然や偶然で規則性や法則性まで作れるものでしょうか。

 中性子は中性子線を内包し、特定の物質(原子)は放射線を放射しますが、自然や偶然で放射線を作れますか、膨大なエネルギーを内包できますか。

◆ 悵篥岨DNAは誰が作ったのか』

 全ての生命に遺伝子DNAが組み込まれていますが、肉眼で見えない微細なものが1mとか2mとかの長さがあり、4種の塩基配列は複雑精巧なもので、自己修復機能まで有します。

 こんなものが自然や偶然に出来るものでしょうか。

 宇宙の始まりが無機であったとしても、進化の途上で有機(生命)が生まれ、さらに彼らが多様な進化を遂げたうえに、「未詳の存在」が人間や様々なものを作り出した可能性は否定されるものでしょうか。

ぁ 愃の世界は虚構であり、私たちは人工的に作られた肉体を使って、人工的に作られた「場」で生活をしているのであり、本当の自分は「遠い未来」(真実の世界)にいます。』という発想は成り立つでしょうか。

 (平行宇宙だとか重畳宇宙だとか「メビウスの輪」だとかの難しい解釈ではなく、もっとシンプルで単純な答えが見つからないものでしょうか)。
10. Posted by 四季(管理人)   2017年07月11日 23:23
どう思われますかさん コメントありがとうございます

私もずっと同じような事を考えていました。
この事にコメントを返すにはこのコメント蘭だけでは足りず、読むにも読みにくいと思いますので、ブログ記事蘭へ書いてみたいと思います。
しばしお待ちを。。。

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