2017年04月16日

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舞台

不思議な感覚や不思議な現象を体験したりして、それが「霊」や「魂」といったものであると言われていた。
真実としては多分わからない。
追い求めても永遠に同じ答えを繰り返してくる不思議な世界。

もうこうなったら真実を探求しても意味がない。

タイトルに書いたように魂があるとして、それらは現実世界を体験する為であると考えてみると、これに対しても反対意見の考え方も当然出てくるが、それも永遠に繰り返す無限ループなので、人間の思考としてエリアを区切って考えてみることにしてみた。

一般的に言われているように魂の状態では制限が無い。

食事も不要、働くとか、何かを達成するとか、義務も無い。

姿形も無く、大元の魂から分裂したのが個々の魂だとすると、他の魂との「差」も無い。

人間が生存しているこの現実世界は「差」を感じたり楽しんだりする世界である。

そして肉体は食事やメンテナンスが必要であり寿命がある。

つまり制限があるので、その範囲内での体験となる。

実体の無い魂の状態では「接触」という概念は無いであろうと想像してみる。

しかし肉体へ同化すると皮膚等の接触という現象を経験できる。

そして肉体のメンテナンスを怠ると動けなくなったり、思うように操作ができなくなる。

そして寿命という時間の制限と年齢というタイミング、更に全ての記憶を封印されて生まれてくるために、最初から色々な事を学ぶ必要がある。

魂の概念では現実世界の「善」とか「悪」といった概念も無い、もしくは違うと考えられる。

様々な制限(限界)が有る世界では「何かを守る」という考え方が生まれてくる。

水や食料、地上の人間全てにふんだんにあれば問題は無いが、全ての人に行き渡らないから奪い合いが起こってしまう。

自分は空腹であるが、隣の人は沢山食料を持っている。

ここに「差」が生まれる。

「羨ましい」という感覚が生まれると、自分も工夫して食料を手に入れようと考えてみる人もいれば、奪ってやろうと考える人もいるだろう。

水や食料だけでなく、自分が生まれ育った場所にいる仲間ではない、他の見たことも無い人が近寄ってくると、何かを奪われるかも、という疑念が生じ、戦闘態勢に入るかもしれ無い。

それは過去に痛い思いをした人がいれば尚更であろう。

こうして知ら無い人とは対立関係になり、集落に発展するかもしれ無い。

更に時間が進めば、その集落の中でも個々の考え方の「差」から対立が起こることもあるだろうし、「性別」という「差」があるために異性の取り合いという争いも生まれてくる。

何の制限も無い魂の世界で、この未体験の「差」の世界に興味を持った魂が体験を望んだかもしれ無い。

そして「差」を体験した魂の体験談を聞いて、他の魂も興味津々。。。次は自分が。。。

と魂の世界にも「差」が生じたのか、大元の魂から分離するときに既に「差」をつけたのかわから無いが、「差」の世界は伝搬して広がっていくだろう。

肉体的な感覚で、水や食料、異性や居住地、更には社会が発展して仕事の種類や所持金の多さ等、この人間世界は「差」で成り立っている。

肉体的な感覚で「欲」が発生する。

肉体を維持するための食料、本能に埋め込まれた子孫繁栄の精神、そして子孫を守ろうとする防衛本能、更に社会が発達してくると「欲」の種類も爆発的に増える。

そんな肉体の本能的な欲や社会欲等を満たしたいという気持ちを魂は体験しているのかもしれない。

生まれてから何の病気もトラブルにも出会わず、何のストレスも感じないで生涯を過ごす人もいるだろう。

そんな人生はつまらない、と敢えていばらの道を選択する人もいるだろう。

いばらの道を選ぼうと思う為には平々凡々と過ごす人がいて、「差」を見せてあげなければ「いばらの道」も「いばら」とは気がつかない。

役割として「平々凡々」の生活を見せる魂、そして「いばらの道」を体験する魂。

こうして「差」の世界でこんなブログを書くと必ず考えてしまうのが「殺人や災害」等で被害を受けた人の家族に面と向かって「役割だから」なんて言えるか?という考え方。

過去にも何度もこの問題を考えたが、結局「役割」だとしたら「言う必要は無い」ということだ。

この意見に文句を言う人はこの考え方を否定したい人であろう。

真剣に悲しむ人がいてこそ、真剣にこの「役割」という考え方に激怒する人が出てくるということ。

そして次に来るのが「それなら自分が殺されそうになった時、笑って殺されることができるか?」ということであろう。

本当に魂の世界から「体験」を目的としてそれぞれの役割をする為にいるとしたら、また人間界に来たければ来ればいいではないか、と言われそう。

でも、肉体の感覚として殺されるのは遠慮したい。更に人間界の他の役割もあり、自分が寿命と思っている時期より早く帰るのは如何なものか、とか思ってしまう「欲」もある。

一般的にはそう思うのではないだろうか。

実際の所、私自身は痛かったり苦しんだりしなければ、今すぐに帰っても構わないがw

「体験」という事で考えながら人間社会を眺めてみると、毎日物凄い量のニュースがあり、空き巣から戦争までの恐怖系ニュースもあれば、スポーツやビジネス等の達成系ニュースに動物や人々の助け合い等のほのぼの系ニュースとか、本当に皆それぞれ色々な体験で楽しまれているようで、何よりですw

そんな魂の体験の為の世界に「義務」など何も感じられない。

そしてまだ考えがまとまらない、そんな体験の世界に「ストーリー」はあるのだろうか?




(22:00)

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この記事へのコメント

1. Posted by 無人くん   2017年04月19日 13:27
こんにちは

「差」の認識、それが魂が求めているものなのでしょうね

魂は不死であると言われていますが、肉体的な死とは別に魂にも死はあると思います。
魂が何も認識出来ない状態、たとえば人類が滅亡して霊界もなく、
どこからも情報が全く与えられない虚無の状態、
魂にとってこれは死と等価でしょう。

魂あるいは意識の存続・繁栄のために、個に分離されたこの世界に存在していると仮定すると、
自分達がこの世界で喜怒哀楽にまみれながら生きているのは、
巡り巡って自分達自身の魂を生かす為ということなのかも知れません
2. Posted by 四季(管理人)   2017年04月20日 00:08
無人くん コメントありがとうございます

>巡り巡って自分達自身の魂を生かす為ということなのかも知れません

面白いですね、そうかもしれません。

ただ、魂には時間という縛りも生命という縛りも無い為、人類が滅亡しても延々と地球時間で数億年待ち続け、次に体験できそうな生命が誕生したらそこで楽しめるかもw

以前ブログでも紹介した「ヒゲさん」のサイトでは、神様の世界等はとても人間界のイメージと近くて、新年を祝ったり今年の漢字があったりと、かなりクリアーな意思を持っている様に描かれています。

私はどちらかというと魂の状態では「ぼんやり」した状態なのでは無いだろうか、と思えてしまうのですが。。。

本当に分からない事ばかりなので、その中で悩む事も体験かな?とか、もしかしたら魂レベルでは楽しい事なのかもw とか、あらゆる可能性が駆け巡っていますw

3. Posted by 無人くん   2017年04月20日 13:31
そうですね

>私はどちらかというと魂の状態では「ぼんやり」した状態なのでは無いだろうか
魂の状態によるのかも知れません。
魂そのものが集団化して繋がりを持てば、我々の世界に近いものになるでしょうし、
でもそういう繋がりがない魂は、「ぼんやり」した世界になるのかも知れないですね

>ただ、魂には時間という縛りも生命という縛りも無い為、
魂の存在する次元には時間の制約はないですが、魂そのものには寿命があると聞いたことがあります。
つまりスタンドアローンになった魂は自身でかってに時間を作りますが、魂そのものは経年劣化していくと・・・
ややこしい話ですけどねw

>本当に分からない事ばかりなので、その中で悩む事も体験かな?
悩むことで魂が潤うなら、悩むこともさほど悪くないかも知れませんw
4. Posted by 四季(管理人)   2017年04月21日 00:52
>悩むことで魂が潤うなら、悩むこともさほど悪くないかも知れませんw

同感ですw

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