2017年03月09日

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不思議

この世界は不思議で満ち溢れている。

色々考えても調べても体験しても、納得という部分に到達できない。

魂とか霊界とか、有るように思えたりもするが、実はまるで別な要因で、人間が勝手に解釈して作り上げた世界である、とも考えられる。

そうは言っても、実は霊界は存在し、魂も一般的に言われているように有る。

として、ああらゆる方面から考えて、次に思うことは「何か理由があるのか?」という事に繋がる。

「理由はある」として考えてみると、魂の体験とか気づきであるとか、魂の修行だとかと言われているような事を思ってみたりもする。

しかし、どうしてもカルマの解消という言葉は「理由」の原因として考えるには無理がある。
これはとても単純な事で、因縁だとか色々言われているが、その始まりを考えるとわかるだろう。

カルマと一言で言っても、負のイメージが多い感じだが、こだわりだとか欲望だとか別の感覚も含んでいるという定義がある。まあしっかりと定義されたわけでは無いので、一般的にという意味合いなのだが。

今度はまるで逆に考えて、魂や霊界等はあるとしても、人間界で魂の修行の為であるとか体験の為であるとかという意味合いはまるで無いという考え方。

人間界で起こることは、実はまるで魂的に意味は無い。

こう考えてみると、異議を唱える人も出てくるだろう。

目に見えないストーリーがあるかのような体験をしている人もいるからだ。

そしてそのストーリーには、完璧なタイミングが仕組まれているように感じてしまう所だろう。

そんな体験をしてしまった人には、その理由として運命だとかそういう言葉がすんなり入っていく状況になる。

また、自分の人生のストーリーは自分が生まれる前に自分自身で組み立てて決めてから生まれて、自分自身で自分の作成したストーリーを体験すると唱える人もいる。

これとは似ているが、生まれる前に霊界で人間界に生まれたくないのに幾つかの人生の中から選択を迫られ、気乗りしないがその人生に生まれてきたという話もある。

以上の簡単なまとめの内容を考えてみると、1か0かという白黒の2択の話に見えてくる。

こうした見方では無く、混在という考え方もできる。

魂や霊界はあるとして、それは人間が考えているような世界ではないと考えてみる。
そして、人間界での出来事に意味は無く、肉体の感覚から取得する刺激で思考ができるようになる。

だから人間界で起こる事は全て偶然であり、意味はない。

しかしストーリーがあるかのごとくタイミングが揃うのは、人間界に存在する物質それぞれが放つ「何か」。これを波動とかという表現で言われていたりもするが、ある種の振動でありその揺れ同士が影響しあい、タイミングを揃えているという考え方。

そして、個々の人間がその環境で思う事も波動という波で伝わり、それが現象化して現実の出来事に繋がっていく。

だから特に理由の無い世界の出来事に人間の心の波動が影響し合い、様々な出来事に繋がっていく。
なのでストーリーが有るかのようなタイミングも感じられたりする。

すると、そんなストーリーを感じるような出来事に遭遇などした事が無い人、神も仏も無いものかと嘆きたくなるような災害や犯罪に遭遇した時、運命だとかという言葉に縛られなくなるかもしれない。

全部入りという考え方もできる。

魂もあり、人生のストーリーを決めてきた魂、決められた魂、何もストーリーの無い魂、そして理由の無い世界でそれぞれが混在する世界。

人間の思考として強い希望を持った時、その波動で現象化された世界は当初の希望の出来事とは違うが、感情的に受け取るエネルギーは同じという事もあるかもしれない。

私自身が今感じていることは、もしかしたら全部入りという考え方がとても違和感が少ないという状況だ。

以前も書いたが、この人間世界も実は全て仮想現実、バーチャルの世界での出来事だという考え方も底辺にある。そしてそのバーチャルな世界の中で全部入りの世界が展開されているのではないだろうか?

もっと何かヒントがないものだろうか。。。


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この記事へのコメント

1. Posted by 名無し2017   2017年03月11日 00:53
ヒントという点では大乗仏教の華厳思想の四法界(しほっかい)が参考になるかも知れませんね。同じことあるいは補足することを述べています。wikipedia のコピーを一部貼ります。

ちなみに以下の『礙』という文字はたしか『妨げ、障害』と同義だったはずです。


理事無礙法界(りじむげほっかい) 実体がなく空であるという理と具体的なものごとが妨げあわずに共存しているという見方。

事事無礙法界(じじむげほっかい) 一切の物が空であるという理が姿を消し、一切の物事が妨げあわずに共存するという見方。
インド仏教が空の世界に行きっぱなしなのに対し、一度空の世界には行ってから現象世界に戻ってくるところがいかにも中国仏教らしい現実性を感じさせる。禅の十牛図で最後に町中に帰ってくる(入鄽垂手)のと共通のものを感じさせる。


自分もそのあたりは以前に考えていて、ネットで調べるとだいたい仏教で似たことが述べられていることを知らされるのでそれなりに合理的な宗教なのかも知れません。

人間が脳の束縛を受けて限定的な認知、認識を繰り返している以上、現象を脳の背後から支配する理法を追い求めても人間の能力では太刀打ちできません。

時間の無駄が多く合理的ではないと判断し最近はこれらの追求については放置傾向です。

理法はあるでしょうし、厳密には自由意思はないのでしょうが、それを前提にしても、いかに現象世界にアプローチしてそのフィードバックを受けたいのか、つまりどのように人生を生きたいのかというありふれた普遍的な問いに立ち帰るだけかも知れません。

それにしても仏教は若干鬱陶しいですね。毎度『やりおるな。先回りしおって。』と思ってますよ。しかし信仰する気はないです。体質に合わないのでしょう。
2. Posted by 無人くん   2017年03月11日 12:50
こんにちは

全部入りでいいと思いますよ。
「理由」も色々あるでしょう
整理する意味で、縦と横の関係に分けてみてはどうでしょうか

>魂もあり、人生のストーリーを決めてきた魂、決められた魂、何もストーリーの無い魂、そして理由の無い世界でそれぞれが混在する世界。

これらは横の関係ですよね

それでは縦の関係は何か?
食物連鎖のような関係です。
分かりやすく言えば利用する、されるの関係ですね

とすると、我々を利用している存在は霊界で、その上は神界?
最上段にいる存在は、この世界(バーチャルの世界?)を造った存在かもしれません
我々がそうであるように、利用される側の存在は利用されていることを知らない可能性が高いですよね
あるいは、知っていてもどうすることも出来ないのかも知れません

個人がそれぞれの「理由」に基づき生きているとして、
それぞれの「理由」が誰の利益になるのか考えてみると、
縦の関係が見えてくるのではないでしょうかね。
縦の関係が見えれば、それぞれの「理由」の因果関係も見えるように思われます。

現実世界にも存在する「利用する・される」の関係を、観察してみるとヒントが見つかるかも知れません。



3. Posted by 四季(管理人)   2017年03月11日 18:21
名無し2017さん コメントありがとうございます

>人間が脳の束縛を受けて・・・

その通りなんですね。
私もこのブログを書いていて、何度もその部分に行き当たりました。
そして同じところへ戻って、無限ループw

様々な昔からある宗教でも同じような所で皆さん苦労してこられたようで、そう考えるとこの謎解きは太古の昔から行われ、結局進歩していないということなのでしょうね。

20代前半の頃、私を勧誘しようと次々現れた信者たちが退散していったのもこうした謎に明快な回答を持ち得ていなかったからです。

その頃から、自分なりにあらゆる方面からアプローチしてはみたものの、前進できていないこの現実に脱力感だけが増すといった状況です。

それでも人生は次々と難題をぶつけてきてくれるので、そのたびに真剣には取り組むものの、出口のないトンネル、ゴールのないマラソンのようなパターンにも「またか・・・」という対応に飽きてしまっていますw

そうなんです。
飽きたんですw

参りましたね。。。
4. Posted by 四季(管理人)   2017年03月11日 19:43
無人くん コメントありがとうございます

面白いですね、全ての現象が何かしら連鎖していて影響し合っている仕組みは、本当に感心させられてしまいます。

DNAの仕組み等から宇宙の仕組み等、根底には同じ理論が展開されているように感じるし、それでいて不確定な多様性が生命には満ち溢れているこの世界、不思議で不思議でw

突き詰めて考えていくのも、思考を放棄して目の前の出来事に集中する事も、どちらも正解であろうし、視点を変えると不正解とも思える。

2面性などという単純な見方はできないが、基本的に表裏一体で構成されている世界、捉え所が有りそうで、実は掴めない。。。

困ったものですw
5. Posted by 出之   2017年05月13日 13:38
もっと面白いゲームへの参加アカウントの獲得でしょうか
例えば惑星クラスの魂ともなれば
現今の人間の一喜一憂、
生命が誕生した
滅亡した
随分発展した
また自滅した
とか全部生温かい眼で見守だけの立場になる以上克服出来ないと
そんな高度な神様ゲームには加えて貰えないでしょうと

或いはそうした宇宙の営みを千年万年億年観劇するチケット

そうしたものに興味なければ次も人間続ければいいだけで

でもここでコメントしてる魂たちはもう人間は飽きたという雰囲気ですね
6. Posted by 四季(管理人)   2017年05月14日 12:27
出之さん コメントありがとうございます

色々な説があるので確かなことはわかりませんが、人間界から見た神様という存在も、魂の体験ゲームのポディションの一つであり、神様の役が終わると次はまた人間やってみたりと、上位下位という差があるわけでは無いという話もありました。

また魂にも寿命があり、どのくらいか不明ですがある程度経過すると消滅するとも。
そんな話を聞くと「え?霊界にも時間という概念があるの?」と疑問を持ってみたりもできてしまいます。

人間を体験している時、高層ビルからダイブして肉体から抜け出すタイミングが遅れると、魂も破壊されてしまうこともあったり、他の強力な魂に食べられたりと魂のレベルでも危険があるような。。。

どこまでが真実なのか、真実は変化してしまうので過去は真実であったが、今は違うという展開になるのか、もうなんでも有り的な展開でぐちゃぐちゃですw

「飽きた」という体験をすると「充実」を実感することができる、私はそう思っています。

私は現在「もう人間は飽きてしまった」という心境ですが、この体験は意図的でなく「結果そうなった」だけで、また今度は何か別の「充実」を味わい「実感」できる為の栄養ではないのかな、とかという考えで「現在の暇」を乗り切っていますw

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