2017年02月18日
太古の昔、世界各地で「〜の神」という感覚で目に見えない何かを「神」とイメージした。
日本でも北海道の原住民アイヌが沢山の神を「八百万の神」としたり、中国でももちろんヨーロッパでも様々な神が祭られている。
勿論政治的に国民を統率するために定義されたものもある。
しかし自然発生的に祭られた神様もある。
政治的な事は、このブログでは無関係なので自然発生的に出てきた神様の事を考えてみることにしよう。
太古の昔は交通網等無いので、遠くの地の思想などが伝わったとは考えにくいし、言語ももちろん違うからそう簡単には伝わらないであろう。
原理や理屈は分からないが、確認されている現象はある。
「101匹目の猿」と呼ばれている現象だ。
遠く離れた地にいる猿も同時発生的に同じことを始めるといった事なのだが、ここでは詳しくは書かないので、気になった方は各自で調べてみて頂きたい。
と、物凄く簡単に世界各地で同時発生的に神の信仰が始まる、といった事の原理を書いてしまったが、実はもっと他に理由があるかもしれない。
理由や原理はともかくとして、どうして人種も民族も文化も違うが人間の体といった哺乳類が世界各地に出現したのかもわからない。
どこかで発生した人類が旅をして世界各地へ広がったという研究結果もあるが、世界各地では環境が違う。寒かったり暑かったり、穀物や草食、肉食等と食べるものも違うのに、人間の体は似たような形、大きさになっている。
そして考え方も似ているところがあり、「神」という信仰を始めている。
そして「魂」という考え方をして、死後の世界をイメージしたりしてもいる。
まだ、この「魂」という事に関して明確な説明をしている人はいない。
もしかしたら、正解が発表されているのかもしれないが、それが正解だと認識できていないだけかもしれない。
なぜ太古の昔の人々は「魂」という考え方を持つにいたったのだろうか?
やはり現代でもあるように、霊的能力を持つ人が太古の昔からいて、そのころから死後の世界はある、だから〜 とかとシャーマンのような存在が説いたのだろか。
現代でも何やら凄い霊能者と呼ばれる人はいるのだが、どう捉えていいものか。
私自身が実際に直接コンタクトを取った霊能者でも、どう考えてもあり得ない能力を見せてくれた人は確かに存在した。
後で他の人が「それは〜だから・・・」といくらでもひっくり返そうとする人はいるが、それはちょっと苦しい・・・笑
だから神は存在し、魂は・・・と直接結びつけるのはまだ早計であると思っている。
現代の理屈では説明できないだけである可能性も十分あるから。
最先端の物理学の世界では、この現実世界はパラレルワールドとして無数に他にも存在するという仮説を証明しようと真剣に取り組む学者もいる。
霊的世界と物理学の世界はかなり接近してきているのではないかな。
不思議な現象は太古の昔からあったのだろうと思われるのだが、その解釈が違っていて、「神の御心」であるとか「〜の祟り」であるとかだったのかもしれない。
昔は「神の恵み」だと解釈していたものが今では「引き寄せの法則」とかだったり。
人類は数千年も前から「神」「魂」という概念を持ち、世界各国で独自にその解釈をまとめ上げてきて、「時の政治家が便利に利用」とかもありながら宗教が確立されてきたのであろう。
結局「神」や「魂」、「死後の世界」は「解釈」の領域を出ていない状況なのではないだろうか。
死後の世界は「ある?」「無い?」の2択では無く、もしかしたらもっとまるで違う概念なのかもしれないし。
このブログでも過去に第三の解釈として全て「仮想」の世界では?という解釈に到達した事もある事だし、まだまだ他にも色々ありそうだ。
どちらにしても、この得体のしれない世界の事を考え続けると、現実世界の生身の人間としての生活という概念は成り立たなくなる事は事実だ(笑)
この辺りの解釈も無数にあり、考えすぎる、と、深く考えない、という2択でくくるのも違和感を感じたりする。
唯一指針として意識を向けてもいいかな?と思えるものが自分の心の中に時々湧き上がる「感情」という不思議な意識だ。
しかしこれも、例えばオキシトシンという「幸せホルモン」があるスイッチを押されると体内に放出して、「幸せ」という「感情」を引き起こすという事が判明している。まあ、全ての感情が何かしらの生体反応であるとは言い切れないかもしれないが。
まだまだ不思議発見の旅は続きそうである。
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