2017年01月30日

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子供自転車

自分のことを自分だと認識しているこの意識って何?

例えば、車を肉体と考えて、運転している人が意識と考えてみる。

自分を自分だと認識している意識は、運転手であり魂とも呼ばれる?

それとも運転手とは別に助手席に魂が同乗している?

肉体専用の運転手がいて、助手席から魂が「そこは一旦停止した方がいいですよ」とか、「ここは右へ曲がった方がいいですよ」とかアドバイスしているが、運転手は助手席にだれかいるという事に気が付いていない?

はたまた半自動運転のような車で、ハンドルは握っているが車が勝手にウインカーを出して曲がったり、速度を上げたリ停止したり?

自宅の駐車場で近所の子供が遊んでいる。子供用の自転車に乗り、毎日遊んでいる。そこに私の車が置いてあるのだが、接触や事故などは起こったことが無い。

先日、車の中で探し物をしていた時、ふと車の窓の外を見ると、その子供と目が合った。その直後、その女の子は何を思ったのか自転車を走らせ、私の車めがけて走り出し、車のドアの辺りに激突した。

距離的にはほんの3mほどなので、女の子にケガも無く、車も少し傷がついた程度だった。その直後に女の子の母親が家から出てきて、子供に駆け寄った。母親に状況を説明すると母親は子供に「どうしたの?」と聞くも「わからない・・・」「けど、ぶつかっちゃった」と答えた。

母親は眉毛がハの字になりながら謝っていたが、子供にケガは無く、車の傷はコンパウンドですぐに消えたので気にしないよう伝えたのだが、あの目が合った直後からの子供の動きが何度も脳内でリピートされていた。

これまで一度も車にぶつかった事の無い子供が、どうしてあのような動きをしたのだろうか?

そして、その後何か状況に変化があったのかと言うと、何も無い平常通りの日々が過ぎている。
何かしら関連する事も起こらないし、自分自身の心にも変化は無い。あの母親の心に何か変化があったのか?それは分からないが、あの子供の不可解で何かに操られたような動きの不思議さだけが残った。


幽体離脱を繰り返して体験しているという人の話では、「半離脱状態」というのがあり、中途半端に幽体離脱している為、意識は肉体にあるのだが、腕だけがまだ離脱していて自分の意思で動かそうと思うと、透明な腕は確かに動かしている感触はあるのだが、肉体の腕は動かないというのだ。

この時の意識状態は、覚醒と睡眠の間の中間意識状態だという。

そして意識が中間意識から覚醒に移行すると、この半離脱状態からグラウンディングと言って、肉体と完全に同化し、肉体の腕を自分の意識で動かすことができるようになったという。

この中間意識という現象に関しては正しいとか、夢だとか、否定する言葉はいくらでもあるが、そんな話ではなく、スピリチュアルの世界はこうした不確定な世界なので、本人がそう思っている以上外部の人間は「そんな感覚だったのですね」と聞くしかない。

この話から解釈すると、助手席の魂などは存在しなく、意識として認識している自分自身が魂の意識であると考えることもできるが、そう簡単ではない。

潜在意識とも呼ばれているような、自分自身の意識でも認識できない「何か」が心のどこかにもう一つの意識があるのでは?と思えるような事もある。

むしろ感覚的に自分の意識の他に別の意識があるように感じている人も多いのではないだろか。

また、助手席だけでなく、後部座席にはさらに別の意識がいて、「守護霊?」とか考えていたり、車の外から地図を見ながらサポートしていたり、ラジオ放送に乗せて新しいアイディアを送っていたりとサポートチームがいたりするとかという捉え方もされている。

何のためにそんな事をしているのか理由はわからない。

人間の感覚からすると「成長の為」という簡単な解釈で済まされるかもしれないが、物理的実体が無く、時間という感覚も死とかという現象も無いと思われる存在に「成長」が必要という考え方も無理があるように感じてしまう。


(09:48)

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この記事へのコメント

1. Posted by 名無し2017   2017年02月01日 20:01
般若心経では、見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる・思う(眼耳鼻舌身意)は無いと説きますが、これらは脳の神経細胞の活動が基盤となる感覚ですので、これは我々が普段かんがえている『心』にあたると思います。
心は脳の活動と言えます。

一方で魂や意識に言及すると、『心』とは独立しているだろうとは誰もが推察しながらも定義があいまいすぎ『心』と同一視している場合もあるため最低でも議論を行う他者と定義を確認しあう必要性があります。

しかしその前提を経て議論を深めても決定的にわかることはないかも知れません。それは四季さんが薄々気づいているところかも知れません。

2044年頃に起こると予測されるシンギュラリティ(人工知能が人間の能力を超えることで起こる何かしら)を待つまでもなく、人工知能研究の進捗によってマシンとしての人間が暴かれますので、そのときマシン以上のものが魂、意識であると確認されるはずです。

動物のクローンで有名なところでは韓国、スアム生命工学研究院がすでに10年間にわたり1000体に近づく数のペットクローンを生み出していますが非公式で人間のクローン研究もどれだけ進んでいるかわかりません。

これは軍事分野で進んでいるはずです。
マシン以上のものは軍事分野先行で確認済みの可能性もあります。

ここからが面白い時代ですし、まだマイナーな位置にあるマシン以上のものを対象にする『スピリチュアル』を先取りしている人たちにとって実りが増えると思いますね。

万年素人なチャネリングブログの万年さんのように『スピリチュアル』の試みが経済的な方向では報われず一時的には気分が晴れない人もいるかも知れませんが物事を先取りしている人というのはスタートはだいたい不遇かも知れませんよ。つまりのちのち大当たりする人ですね。現時点では、まったく慰めにはならないと思いますが。








2. Posted by 四季(管理人)   2017年02月01日 23:27
名無し2017さんコメントありがとうございます

心でも魂でも「定義」は本当に曖昧で、多分〜であろうという推測が長年語り継がれているうちに、なんとなく定着した感じでしょうかね。

しかし長年多くの人が似たような感覚で感じているという事も事実として認識しておく事が重要でしょう。

DNAの特徴として、全く同じ配列でも環境が少し違うだけで発現する個体に差が出るという不思議があるとのこと。だからクローンで同じ配列の設計図を持っていても個体差が出てしまう。
面白いですね。

スピリチュアルを先取りしている人達は、先駆者として不遇の境地に置かれるって、面白いですね。昔、地球は球体であると唱えて責められた人のよう。

しかし、スピリチュアルの世界は価値観の世界とも言えると思うので、人々の価値観が変化して、スピリチュアルが市民権を得るまでには、明確に一般人が認識できるような「何か」があり、そして数世代の時間が過ぎてようやく、、、といった感じなのではないでしょうか。

だから、現代の先駆者は市民権を得た世界を見ることなくこの世を去っている感じで(笑)


3. Posted by 名無し2017   2017年02月02日 08:23
たしかに引き寄せ本がコンビニに売っている昨今でも『スピリチュアル』が市民権を得ているかと言えば否と答えるしかないですね。

オウム真理教の関わる一連の事件が1995年あたりに発生しましたが麻原なんとかさんという教祖もやっている怪しげな体操としか認知されていなかったヨガは2000年以降のブームで一気に市民権を得た感じはあります。

当時も今もヨガは美容、ボディメイクの側面で注目されることが多いのですが当時はスピリチュアル界隈のものであるヨガのブームに非常に驚いたものです。おいみんな、どうした?正気か?と。

スピリチュアル界隈の情報に親しみすぎる『先駆者』の人は(悪い意味で言うわけではないのですが)先を行きすぎているが故に世間のスピリチュアルの浸透度に鈍感になっているかも知れませんよ。立っている距離が離れすぎて進み具合に気づかないという(笑)

世間の基準ではかなり浸透していてもその基準を現在進行形で走り続ける自身に置いているスピリチュアル系の人は世間と認識の開きが縮まらないのではないかなどと邪推してます。

お亡くなりになった人でいうと2016年秋に高速道路上で単独事故死した葦原瑞穂(永留さち男)さんというスピリチュアル系の人がいるのですが、『黎明』という上下巻の著作で知られています。

この本には宇宙の真理が書かれていると感じて著者を崇める人がいる一方で巷のスピリチュアル情報をまとめただけと感じる人も多いです。それだけ巷の水準はじつは着々と上がってきています。

その巷は一般的な『世間』とはズレた先駆者周辺にとっての巷でしかなければ笑い話ですが。オチになってしまいますね。
4. Posted by 四季(管理人)   2017年02月02日 22:33
サティアン、懐かしいですね。昔車で30分位の場所に住んでいて何度か見に行ったことがありました。不気味な白装束の人たちが5人位で一列に並んで歩いていたりと、車を止めてみる勇気は無かったですw

葦原瑞穂さんとかはすみません、知りませんが各種書籍はそれらしいことが書かれて世界中に氾濫?していますね。

聖書もその一つですが、信じる信じないというレベルでは無く、どうなっているのか、という部分について最近思うのは、もしかしたら我々がもち合わせる概念とかの枠を超えているとかというレベルでは無く、衛星とか航空機等が無い時代に、地平線は平らで無く、球体であると理解できなかったように、理解するための概念を構築する為に必要な知識をまだ持ち得ていないのではないだろうと感じています。

今見れば笑ってしまうのですが、インドの人が太古に考えた地平線の下の構造に大地を支えるゾウが描かれていたようにまるで見当違いの方向を向いている可能性も多分にあるでしょう。

真実と、先駆者、そして一般人が同じレベルに到達できるのか、永遠にできない仕組みなのか、まだまだ試行錯誤は続くのではないでしょうかね。
5. Posted by 名無し2017   2017年02月04日 18:48
すでに一部の跡地は公園になっていますが当時のサティアンを見てみたい人もまだ大勢いるでしょうからネタ的に貴重な経験ですね。

氾濫するスピ本はもっともらしいことを言っているのは同感です。本人が意図的に事実を歪めて書いていないと思われるものでも、その内容のすべてを真実と仮定して蓄積した情報の再構築を計ると矛盾が生じます。
理由はほぼわかっているのですが、色(光源の部分反射)が視覚にとらえられる仕組みを用いて説明は可能かと思っています。

可視光線領域は太陽光(光源)の47%程度にあたりますが太陽光は電磁波なのでより範囲をひろげ電磁波の説明を用いてこの世界の部分的、あるいは包括的な説明が可能であれば面白いかも知れません。

聖書という単語が出ましたが創作物でネタになってきた旧約聖書の創世記にある通称バベルの塔は、画家のブリューゲルの作品では360℃あらゆる方向へ窓がついています。

人は見たい方向に窓を開いてよいのですが、スピリチュアル系のなかでも特にニューエイジは、意識進化の必要性やアセンションを掲げていて開く窓がかなり制限されていると思い込ませる点で有害です。主体性の剥奪が度を過ぎているからです。

アメリカ発のニューエイジ、イギリス発のスピリチュアリズム、仏教やノンデュアリティの悟り系、この主な3つの流派が日本で混同されてざっくりとスピリチュアル系と呼ばれますが、スピリチュアル系を含めどんな思想、宗教でも、信じる当人の主体性を奪うなら有害です。

これは『進化』、『成長』がある種の誤解であり幻想であることを前提に生きる意味のなさへ通じるよう説明せざるを得ないので喋るほどに角が立つため黙っておきます。

ここに関しては今後ものらりくらりで通しますが、核心的なことを喋ってリアルで人間関係を壊したばかりなので、バベルの塔ならず共通言語を喋っていても会話ってつくづく難しいなと痛感しています(苦笑)
6. Posted by 四季(管理人)   2017年02月04日 23:44


もう最近はサティアン跡地は行っていませんが、公園になっているんですね。サティアン内部へ物品搬入した業社の友人の目撃情報とか公には書けないような話とか沢山あったりしますが、懐かしい昔話ですw

>主体性を奪う思想は有害

その通りですね。宗教という組織と言えばいいのかわかりませんが、それぞれ目的が異なるようで、そこに義務が発生した時点で私の中では終了、となりますw

過去に本当に多くの宗教団体から勧誘され、何時間も拘束に近い軟禁状態で説得され続けたりしましたが、結局私を納得させる事を言った団体はありませんでした。

もう最近は議論すら面倒なので門前払いですけどw

>『進化』、『成長』がある種の誤解であり幻想であることを前提に生きる意味のなさへ通じる・・・

ここ、物凄く重要なポイントだと私も思います。

前回ボツにしたブログ記事があるのですが、その内容でした。
そして読み返したら、「こんな事書いたら身も蓋もない、ブログも人生も全て終了」になってしまうと感じたのでボツにしたのです。

同じようなポイントを見ていますね。

スピに関して知識の浅い、もしくは希望を見出しているような人には本当にアイスバケツをぶっかけ続けるような展開になってしまうので、もろに話したら、それは人間関係壊しますねwww

知り合い関連でも私がこのブログを書いているのを知っている人はいません。
説明しきれないので、無理ですからw
諦めてますwww
7. Posted by 無人くん   2017年02月05日 13:44
こんにちは

>何のためにそんな事をしているのか理由はわからない。

守護霊、指導霊、背後霊・・・
何故そんな存在が身近にいるのか?

肉体を乗り物だとするなら、彼らはメカニックみたいなモノじゃないかなと思っています。
肉体は何回もバージョンアップを経て高性能化していると言われていますね
そして、暴走すれば手が付けられないじゃじゃ馬であるとw
F1だってドライバーの他にメカニックやチームスタッフ、リーダー、エンジニア等
多くの関係者に支えられていますよね。

だから「成長の為」ではないでしょう

どちらかというと「性能を出し切る為」だと思いますね
つまり我々はドライバーなのかなと・・・
8. Posted by 名無し2017   2017年02月08日 20:16
メカニックの件は考えたことがなかったので分かりませんが万年さんがいつか回答してくれると面白いですね。

軟禁状態で説得とはよっぽど好かれるものを持ってたんですね。たぐいまれな聞き上手とか(笑)
宗教団体となんらかの縁がありそうな四季さんですが、アイスバケツチャレンジは危険ですよ。重いバケツを頭頂に落としてしまう動画は多数アップされていますからきっと自らをも追い込みかねません。

のらりくらりを通すつもりでも、なにかコメントしたい気持ちもあったので誰にも理解できるよう部分的に考えを言語化させたかったのですが、やはり危ない匂いがして逡巡してしまいますね。自分にも毒です。

手に負えない物事に労力を掛けすぎると狂うらしいですからね。気を付けたいものです。のらりくらりが、わたしにとってはより良い選択かも知れません。
9. Posted by 四季(管理人)   2017年02月11日 01:47
無人くん コメントありがとうございます

長期留守でした。また出かけますが。。。

世の中で起こる事、興味深く観察しています。
自宅途中のサラリーマンが満載の電車の中、皆一様にスマホを覗き込んで何か見ています。見るからに疲れている、くたびれているといった感じ。

しかしそれらの人が、それぞれ次の日には巨大なビル群の中に吸い込まれていき、それぞれのフィールドで何かしらの仕事と呼ばれる行動をしている。

公園で長いヒゲを伸ばし、よぼよぼになりながら何かを食べている。
河原で小屋を作り、畑で作物を作りながら空き缶を集めている。

野生の動物が巣穴を作り、そこへ藁をひいて寝床を作る。そこに子供が生まれて餌を探しに親は出かけていく。

違いがわからないですね。

とりあえず「生物」というカテゴリーに分類されている位でしょうか。

それぞれのフィールドにいる人たちに、それぞれの役割がある?

役割というと何か目的がとか考えたくなりますが、どのフィールドでも同じように生命を維持するという一点でしょうか。

観察をすればするほど、虚しくもなってみたりw
10. Posted by 四季(管理人)   2017年02月11日 02:00
名無し2017さん コメントありがとうございます

>手に負えない物事に労力を掛けすぎると狂うらしい

そこ、今、とても実感しています。そろそろ私も狂うかな?w
いや、すでに狂ってる?

世間では引き寄せと呼ばれるような現象、興味を持つものが次々と現れる、という不思議な動きが加速して、議論が議論を呼び、さらに次の宗教団体が近づいてくる、といった感じで若い頃追い回されてしまいました。

ある時、意図的に断ち切るようにしたらその現象は沈静化。
不思議ですね。

引き寄せという現象を客観的に観察すると、自分にとって好ましいと感じること、好ましくないと思う事、関係なく「縁」がある事が連続してきます。

本当に面白いです。現実世界で遭遇している事、そして久しぶりにテレビをつけてみたら、ちょうど同じ内容の事をテレビが解説していたりw

こうした事からも、自分が意識を向けている事に関連する事、好むと好まざると、メリットがあろうがなかろうが、影響があろうがなかろうが、連続して自分の眼の前に展開されてきます。

自分の判断で、よくないな、と思う事があれば、意図的に見ない、聞かない、意識を向けない、関わらないといった事をフラットな精神状態で無感情のまま忘れる事がコツのように感じます。

危ない匂いがしたら、自分にとって好ましいく無いと感じたら、無表情で忘れていきましょうw

まだまだ解明が進まない引き寄せですが、日々こんな不思議現象に驚いています。

こうした現象が最初から確定していたと考えるのは本当に無理があるように思えるのですが、やはり最近は「人生の流れは流動的」なのでは無いかと感じています。
11. Posted by 名無し2017   2017年02月11日 11:22
留守してらっしゃったのですね。
コメントした内容がもとでマズイことになっていたらと心配はしてました。
率直に言うと発狂です。大袈裟ですね。

8年前に仕事で客先を訪れて庭で待っていたときに変性意識状態に入り必死に戻ってきた経験があります。狂いかけた唯一の経験です。

当時に日頃聞いていたヘミシンクの影響かと思っていますが物理法則を操れる現実感が半歩先に存在するので踏み込んでみたい気持ちは強いのですが同時に路上で脱糞することにすらためらいのない社会性に堕することも理解できたので踏み込まずに戻りました。

2分間もその状態にいなかったはずですが客観的に見たら庭の巨木に手で体重を預けて一人でイッテる危ない人です。客が玄関から出てこなくて救われました。

このブログは私はフツーに興味深く拝見してますがリアルで友人等に知られるとイッテる危ない人に見られる危険性はあるのでしょうね。黙っていて正解かと思われます(笑)

ただいま絶賛引き寄せ実感中ですか。

おそらく認知心理学からの反論も多数でている引き寄せの法則ですが経験上から言ってもたしかにあると言えます。

ただなぜ引き寄せの法則は引き寄せの法則なのか、なぜ万有引力は万有引力なのか、あるいは存在が存在するってなに、のような解答のない追求は人を狂わせるかも知れません。

人生に意味がないと私は仮定していますが、働き(作用)に達成したい目的がなくただ作用しているという点から意識は万有引力や、光学現象のような作用、自然現象と仮定しています。人間的な解釈では自己に独自性や自由があるという信念が邪魔をして到底受け入れられない仮説のはずです。

電磁波でいう可視光領域のように、生まれたのがガラガラ蛇やコウモリではないのだから人間であれば人間が解釈できる領域で生きていれば幸せな人のほうが圧倒的多数です。なので私もリアルではこの手の話は黙っていたいタイプです(笑)
12. Posted by ななし   2017年02月11日 13:41
>役割というと何か目的がとか考えたくなりますが、どのフィールドでも同じように生命を維持するという一点でしょうか。

動物的本能という意味ではそういうことになりますね。
同じフィルターで見ると全て同じに見えるのだと思います。
フィルターを変えてみたらどうでしょう
たとえば、自分で役割を見つけている人、他人・組織から役割を与えられている人などですね
私はそれらが住み分けられつつあるような気がしています。
所詮、この世界は役割の押し付け合いですから、自分自身の役割を認識している人なんて微々たるものでしょう
だから役割を見つけるということは価値があることなのかもしれません。



13. Posted by 四季(管理人)   2017年02月12日 00:26
名無し2017さん コメントありがとうございます

>コメントした内容がもとでマズイことに・・・

大丈夫です、文字程度の事ではもう今の自分は動じませんからw
突然変性意識に行ってしまうと困りますね。
私もふいに飛んで、驚いたことが何度かありますが、外では無かったです。

変性意識にスイッチし、いきなり別の世界が広がり、知らない人に挨拶されたときは驚愕で、そのショックでいきなり戻ったりという経験もありますw

やはりこういった説明のつかない現象世界の事に関して本音をブログで書き綴るというのは匿名でなくては出来ません。

引寄せに関しては、今考えても引寄せだろうなと思える事が二十歳代からありますが、引寄せと言う言葉を知ったのはほんの3年位前です。それまでは、なんとなく思うとその通りになる事があるのだな、という実感だけでした。

自分に関係の無い現象であれば冷静に観察できますが、引き寄せはもろに自分の心に関連する現象なので、観察する興味対象としてはこれほど面白いと思える事は他に見当たりません。

私も人生に意味は無いと思っています。意味なんて人間が後から付けた物だし、視点の位置で変化してしまうほどあやふやな事なのであまり真剣に取り組めないですねw
14. Posted by 四季(管理人)   2017年02月12日 00:37
ななしさん コメントありがとうございます

フィルターを変える、そうですね。
フィルターの数だけ世界の種類を捉える事が出来るのでしょう。
その視点が人それぞれであるから多様な社会が構築されている世界で、自分のフィルターを持つ人は安定して思考出来るが、他人にフィルターを渡された人、強制的にフィルターをかけられた人、のように自分のもので無い場合、潜在意識というか魂というか心とのギャップがストレスや病気の原因になったりするのでしょうね。

「〜すべき」という事を盛んに言う人が多いですが、私はいつも「どうぞ、ご自由に〜」というスタンスですw

環境的と言うか立場上、「〜すべき」という状況に追い込まれる事もありますが、それでも心の中で私は「役者」の心境で、周囲の人におつきあいしてあげていますw

だから逆に見ると、私は楽しいと思える状況でも冷めていて、人生を楽しめない人種となってしまいましたw

価値って何だろう?
15. Posted by 無人くん   2017年02月12日 11:19
名無しは私ですw
なぜか別ブログでコメントした名前が引きずっていたようです

「価値」とは次の行動へ移すための評価基準と私は認識しています。
私は自分自身の役割を見つけることに価値を見いだしていますが、
そうでない人もいると思います。
人それぞれの評価基準があるでしょうね




16. Posted by 四季(管理人)   2017年02月12日 17:26
ななしさん 無人くんでしたか!

私は自分の役割に関して過去に相当考えましたが、関連する他の事も同時進行で考えているうちに現在のブログで書いている状態になってしまいましたw

名無し2017さんがコメントで書かれているように、答えが無いと思われる事への探求を深めすぎて生きる楽しみを失った状態ww

ちょと腹痛がすると「おや?お迎えか?」と思い、ブログやパソコンのデータを私の没後どうしようかと真剣に考えていると「はて、こんな事を考えているという事は・・・近いか?」とか何となく思ってみたり、生命や生きるという部分にも何も執着していない状態ですwww

開き直るという書き方が近いのかなwwww

困った事なのか、精神を病んでいるとみられるのか、スピ廃人とはこういう人だというサンプルになるのかwwwww
17. Posted by 名無し2017   2017年02月13日 08:21
そろそろ廃人ですか。

生きる意味はないのでしょうけど、生かすための方便として『愛』も『成長』もありますし、今生で得たい『経験』も決めているようですのでヒントはそこかしこに存在するのでしょう。

それを基礎に目的、価値などを窺い、改めて自分の解釈による意味を付加するのが精神衛生上はよいのかも知れません。このあたりの作業はけっこう骨が折れますがいろいろ追求してしまう既成概念デストロイヤーである求道系の人達には避けられないかも知れません。

取り巻く文化などからあてがわれた人生の意味で満足できれば楽なのですが、それは安易にひとつの新興宗教に人身を委ねられるタイプの人達の特権です。

万人に統一的に適用しうる意味が見つからず各人が好きなように人生を解釈しても安全に生きられているところを見てもやはり人生に意味はないと言えます。しかし霊性や霊的な作用、霊界の存在は否定しません。

安全に生きていてもときどき襲ってくるトラブルや苦悩は、ある種の装置だと解釈していますがこの先を整合性のある脈絡で展開しようとすれば、のらりくらりを通せなくなるので一旦切ります。

わたしのように白けた話をする人を信じる必要はないと思います。幸福を感じられたり、ハイになれる生活のほうが白けた人生よりおすすめです。

というわけなので、スピリチュアル系の人達が読者さんにいるなら、世界三大宗教であるイスラム教、キリスト教、仏教をはじめ、各種新興宗教を並行的に信仰してしまうのもいいですよと提案します。これは割と真面目に言ってます。

私はスピリチュアル系ではなくニューソート、ニューエイジや悟り系の矛盾点や問題点を見つけるのが楽しくてやってるだけなので、たぶんなにも信じてません。

そうですね。強いて言えば私はコンビニで売っている100円シュークリームの信者です。毎朝、三つくらい食べてます。
18. Posted by 四季(管理人)   2017年02月14日 08:58
名無し2017さん コメントありがとうございます

コメントを見て、昨夜シュークリームをコンビニで購入してみましたw
クリームが流れ出るほどトロトロでおいしかったです。はまりますねw

白けた話、全く問題ないですよ。
私も同じで完全に人生そのものが白けている状態だしw

子供のころから「〜式典」とか「〜のご挨拶」等の儀式が大嫌いであり、立派な話をする人を見ていて、聞けば聞くほどその人が遠くへ離れていく感覚を覚えていました。
ネットで言われているインディゴチルドレンの定義に7割以上当てはまりますw

それでも周辺環境では変化が起こり、立場上それに巻き込まれるという事で時間つぶしにはなっていますがw

「生きる意味」に関しては、無いと思うし、「〜しなくては」という義務も無し。
また、「〜すれば〜になる」といった自分の感情が反応しない時に無理やり反応を呼び起こすような事を意欲的に行うといった行動にも疑問を感じてしまいます。

ここまでの人生で、一般的と思える同年代の人達よりはかなり数多くの経験をしてきたと思っています。その結果、「お腹いっぱい感」もあるし、何かをすればどういった反応が感情に現れるかも、おおよそ見当がつくといった感じなので、簡単に言えば「飽きちゃった」というのが正解かもしれませんねwww
19. Posted by 名無し2017   2017年02月14日 19:32
外界に働きかけて得られる結果が生む感情のパターンにも飽きちゃいましたか。
立派な末期症状ですね(笑)

まさかのシューコメントを頂けるとは驚きました。
スイーツの評価が高いセブンイレブンも定番商品は1割だけで9割が商品化早々に入れ替わる運命にあるそうです。
『消費者の飽きが来る前に』とのことでしょう。

ご存じでしょうか。
数週間前まで販売していたダブルクリームのいちご練乳シューという傑作も一ヶ月ほどで店頭から姿を消しました。あれほど、私が胸を痛めた失恋経験はありません。

いつでも捜しているよ どっかに君の姿を 向かいのホーム 路地裏の窓 こんなとこにいるはずもないのに

そうつぶやきながら来店するたびに店の棚を覗いたお客は私だけでしょうか。ええ、私だけのはずです。

四季さんはインディゴチルドレンの確率が高いようですね。記事を見ていても伝わります。クリスタルチルドレン、レインボーチルドレン、ミスターチルドレンなどと次の世代へ変革の波を伝える先駆けとなる魂なのでしょう。

いま調べたらミスターチルドレンはちがうようです。

豊富な人生経験により引き出しはたくさんあるとは思いますが次の記事を書くためのネタを身勝手に先取りしても恐縮ですのでこの記事に対するコメントはここまでにさせて頂きますね。

暇人の魂を受け継いで地球に降り立った私にコメントの機会を提供してもらえていつも感謝しております。
20. Posted by 四季(管理人)   2017年02月15日 09:17
名無し2017さん コメントありがとうございます

コメント、面白すぎますw
声を出して笑ってしまいましたw
参りましたw

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