2017年01月04日

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フクロウ


自分が「心」と感じる何か、これを魂だとしたら。

そして、魂が人間界では無いどこかから、人間界へやって来たとしたら。

魂は一体何をしに来たのだろうか?

人間界で感じる事。

人の心が嫌いだ。

それは自分の心と相性が合わないからだと思っていたが、何か違う。

ビジネスの世界ではひたすら騙し合い。

人が集まると笑顔で会話しながら、勢力争いが起こったり陰口が蔓延する。

先日、お店で若い女性が財布を落としたことに気が付かずに歩いて行った。

その財布を拾い「お財布、落としましたよ」とその女性に声をかけ、財布を手渡そうとしたら、、、

ギロリと睨まれ、ひったくるように財布を奪い取り、「フンッ!」と顔をひるがえして歩き去って行った。

私は何か余計な事をしてしまったのか?

ネットニュース等は「揚げ足取り」、「屁理屈と暴論」が毎日踊り、事件の被害に遭ってしまった人が悪者にされたりと意味不明。

勘違いの思い込みで怒り狂っている人がいる、まずは怒りを落ち着かせようとなだめてみると、隣の人が私を攻撃してくる。

なぜか人は戦い、争う事が好きなようだ。

本能なのか?

本能とは魂に刻み込まれた性質なのか?

それとも肉体に性格を決める要素があるのか?

そもそも魂等という概念は無く、単に動物の脳が発展して思考しているだけなのか?

もし、魂が何かの目的を持って人間界へ輪廻転生してきているとしたら、何が目的なのだろう。

弱肉強食という考え方でこの社会は成り立っている。

心が純粋であったり争う事が苦手な人は生き残れない世界だから、消えていくだけなのだろうか。

この事は子供の頃からずっと思っていた事。

社会は「厳しい世界だ」と言われている。

「厳しい」とは?

騙されたら、騙された方が悪いといった風潮が蔓延し始めているように感じられる。

すると、人を信じるという事がとても難しくなる。

誰かの言葉で「人を疑って生き延びるより、信じて死ぬ事に美徳を感じる」という言葉を思い出した。

やはりこの部分で悩む人も昔からいたという事であろう。

私も長い事人間をやって来た。

若い頃は、信じるという事を優先していたが、数々騙されて来た。

結局自分がダメージを受けてしまい、傷つく。

金属を磨き上げる、磨くという事は表面を削る、表現を変えれば傷つける、だからピカピカに光ると誰かが言っていた。

しかし大きなダメージで深い傷が多数の場合、ピカピカ光る事は無い。

自分の経験から、この「傷付く事=磨き上げる事」という表現は、相手にダメージを与えたり、ダメージを受けた人への「詭弁」であり「言い逃れ」の言葉に過ぎない。

それは心が「弱すぎる」という言い方をした人もいた。

弱いとは?

人を騙す人が強い人か?

何か違う。

人間の心が「魂」であり、霊界等から何かの理由でやって来たとしたら?

私の魂は「場違いな場所」へ来てしまった。

人間社会の中でも「危険なエリア」があり、一般の人は近づいてはいけないと注意されている場所がある。

そんな注意されている危険な場所へ来てしまった感がある。

何も得る事が無い。

自ら望んでやって来たという解釈も散々考えたが、成り立たない。

これは自分自身が何か「偏見」のようなフィルターを通して見てしまっているからなのか。

人それぞれ「気になる」ポイントや「程度」が違う。

壁に掛けてある時計が、ほんの少し傾いていても気になる人は気になる。

それを直すと「神経質だ」と攻撃される。

気にしないでいると、別の時には「無神経だ」と攻撃される。

「何が言いたいのか?!」と反論すると、人は離れていく。

とにかく攻撃したい人が多いのだ。

だから、面倒なのだ。

この世界は「正と負」「右と左」「表と裏」とバランスが取れていると思っている。

だから、自分とは相性の悪い人が印象に残り、そんなイメージばかりになってしまうのかと思う事もあった。

また、引き寄せの法則的な考えで、そんな攻撃型の人間の事を強く考えたリするから、似たような人を引き寄せているのかもしれない、とか。

人の心の中にも多様な性質があり、自分の心が相手の醜い部分を引き出してしまっている可能性も考えてみたリ。

結果、一人で静かに過ごしている時間が多くなる。

霊界や魂の事を考えるのに、人の心の動きや種類を観察していると、本当に深いというか、多様性というか、神秘的というか言葉での表現は本当に難しい。

新年第一発目の記事が、なんだかヘビーだが、今年も何かしら思ったら思った通りに書いてみようと考えています。

それでは今年もよろしくお願いします。




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(01:48)

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この記事へのコメント

1. Posted by 無人くん   2017年01月06日 16:55
明けましておめでとうございます
年末は忙しくて、あまりスピリチュアルな生活をおくれませんでしたw

この現実世界には色々な波動が飛び交っています。
「人間が嫌いになる」というのも飛び交っている波動の1つでしょう。
私も波動が見えるタイプなので、都心など人の多い場所は特別な用事でもない限り行きたくありません
今は意図的にネガティブな波動が増大しているように感じるので、気をつけた方が良いでしょう。

別の波動に同調すれは別の世界が見えてきます。
平和な気分に浸るのであれば公園などで頭を空っぽにしてボーっとしていると良いかも知れません
重要なのは1つの波動に囚われないことですね

2. Posted by 四季(管理人)   2017年01月07日 00:52
無人くん コメントありがとうございます

今年もよろしくお願いします
昨年父が他界したので、おめでとうの挨拶は控えさせていただきます。

私は波動と言うか、人の感情がダイレクトに伝わってくる事が多くて(時々ですが)参る事もあったりします。

都心の人込み等、先入観を持たずに行くと、いきなり怒りの波動が飛び込んで来たりして周囲を見回してしまったりと驚くので、意識的にガードして受け付けないようにする事を学びました。

それでも親戚等、近い関係の人は言葉でダイレクトに来るので静かにその場を離れるのに苦労したりと心労が続く。。。

感度が良すぎるのも本当に苦労しますね。

それにしても近年の社会環境は本当に荒んでいるというか、酷さが増しているという実感です。
意図的なのでしょうかね?
だとすると何者の意図なのか、、、
あまり考えたくない相手ですね。
3. Posted by 名無し2017   2017年01月13日 08:55
こんにちは。
読ませていただきいろいろ考えさせられる記事でした。
ブログタイトルをスピリチュアルの疑問と銘を打っていますので身の周りの事象をスピリチュアル的解釈する習慣のある素直な感性をお持ちなのでしょう。

最近とくにおもうのは人間関係において、スピリチュアル的解釈をしたところで無駄に疲弊することが多いということです。

不快な人物と相対した際に引き寄せ、カルマや潜在意識の投影などの視点を持ち込むのは間違いではないのですが、それは数多くの視点のひとつでしかありません。
その視点から考えることはできますという可能性に過ぎません。

一線を越えた相手には暴力で対応したほうが早く、効果的であることも多いため、ある視点から正解だと思います。

人生の先輩に対してはこの点は言及するまでもないのですが、資格試験や各種テストとは異なり世の中のほとんどは答案が用意されておらず正解がありませんので、自身の納得に近い形で、現実との折り合い、おとしどころを見つけるしかありません。

素直な感性や純粋な精神を持つ人にとっては、白黒つけられない清濁併せ持つグレーの世の中は水が合わないのかも知れません。

共食いもいとわない卑しい魚の世界に降り立ち戸惑っているのかも知れませんね。
水清ければ魚住まずという諺がありますが魂が魚類や爬虫類でない人には苦しく、呼吸の難しい世界かも知れませんね。

苦しい世界で魂を磨くといった決定事項のようにスピリチュアル界隈で語られる戯言は私は受け入れませんので苦しむことはないのですが、波動、感情に敏感な純粋な人ほど悩み苦しむさまを見るのは辛いところですね。

苦しみに利点や価値を見出だせるのもこの世の不思議なところでもあるのですが。

4. Posted by 四季(管理人)   2017年01月13日 19:32
名無しさん コメントありがとうございます

一線を越えた相手に対しての考え方は賛同です。
スピ的に人間関係を考える事も、私の思考の一部分で有りながら、自分の思考を全てスピ的思考に支配されているという訳でもないという事もお伝えしておきます。

こうした意味不明な疑問が湧き上がるとき、ある程度時間が経過した時、何らかの意味が見えてきたり、まあ、捉え方でそう思えるだけかもしれませんが「そうかも」と一部なんとなく納得というカテゴライズも出来ます。

おっしゃる通り、正解という概念は無いので後に捉え方がガラリ変化する事もあったりします。グレーと思いつつ保留したままの状態と表現するのがいいのか分かりませんが、現世は息苦しいのは確かです。

その答えを見つけ出したいという欲からあらゆる方面の考え方を試し、その一つがスピリチュアルという感じで、このブログを書いていたりもします。

それにしても不思議で何とも面白い?のか分かりませんが、考える時間を使う事は多いです。
5. Posted by 出之   2017年05月13日 12:49
お久しぶりです

構造のハナシになりますが、

向こう側、が所謂rom
で、こっち側に来るとramになって、
魂コードの書き換えが出来るのかなと

色々悩み学び考え至ると、
つまり此の世の全ての事象は自分が自分の為に、
あっちで準備用意した教材で
また自分以外の数多の支援協力も得ている

それを活かすも殺すもまた自由ではある

此の世の損得とかも貨幣経済やら何やら幻想に惑わされての
価値評価であって本質とは無関係ですよね

微積分が暗算出来るスキルがあるのに九九を練習しても意味ありませんし
自然と難易度の高いエクササイズを
向学心、向上心が高ければ、
有能であればあるほど求める高みに合わせ課す負荷もまた

何にせよ選択の自由は最後まで自分のものなのですよね
6. Posted by 出之   2017年05月13日 13:10
実はまた大宮駅西口に復帰しまして、

プールに侵入する一般車殺す
右折待ちの前をてれてれ歩く歩行者殺す

な日々を送っているのですが

これも職業選択の自由意思のオウンリスクで

つまり此の世の事象は、

損得善悪聖邪も自己都合、利益確保に集約されるのではないかと

その性根を鍛えたい、
不動不朽の安寧を得たくて私たちは

少なくとも私は此の世を選択したのかなと

再訪に辺り思い直しまして
その機会の場を提供頂いた四季様に感謝申し上げます有難うございます
7. Posted by 四季(管理人)   2017年05月14日 12:15
出之さん コメントありがとうございます

>この世は利益確保に集約される

まさにその通りですね。
猿が集団を作り、餌場の縄張りを守る。
私には、この発展した姿が今の人類の社会構造に見えています。

更に極小の世界で、細胞が「膜」を持ち、外部と「差」を作り出した辺りから、始まっているようにも思えます。

電子殻の周囲を電子が飛び回り、分子を作り、組み合わさり、様々な性質を持つ物質を作り、その結果地球のような巨大なものを作っても、太陽という物質の周囲を電子のように周回する。

こうした物質の世界でも、規模は違うが同じ構造を延々と作り続けている姿までは人類が確認できたが、あとは想像で、ここまで同じ構造なのだから、多分きっと。。。という事しか考えられません。

魂の世界も「意志」について考えると、同じ構造を延々と繰り返していくので、その先の想像は不可能になってしまいます。

そこまでだけでもわかった状態で、此の世に「自分」と認識できている「意志」を持っているので、あとはその意志が考え、選択した方向へ行ってみる位しかないですね。

それも自由意志と自分自身で認識していると思いたいです。

結果人類、人間一人ひとりに「目的」は無く、人類に「大いなる目的」も見出せないと悲観的では無く、冷静に見つめています。

それぞれの人の意志がそれぞれの解釈で選択して、この多様な楽しい世界を作り上げているのだと思っています。

そんな自由意志を私はとても尊重します。

もう、自分が楽しいと思えることを楽しむしか無いですねw

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