2016年11月16日

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スピの世界では輪廻転生という概念は広く知られているが、時間軸と言う考え方とどう関わるのだろうか?

先日思い付きで小説を書いてみたが、時間軸を基準点とした場合、小説の展開は矛盾となる。

まず、現実世界が我々の考える「現実」として「存在」するという概念を基準として見る。

すると、現実世界は過去から現在未来においてタイムマシンのように時間を遡ったり出来ない世界。物質がそこにあり、変化していく。

こうした物質という世界が基準として、そこへ魂が降り立ち、生命と考える人間に同化して展開されていく。

その物質世界の生命体である人間の寿命が終わると、魂は霊界へ帰っていく。
輪廻転生という概念では、その魂がまた物質世界のどこかで生命体として生まれてくるという考え方である。

この現実世界という認識の仕方、には2通りある。
その1
過去〜現在までは確定しており、ここから未来は「未定」
その2
過去〜現在〜未来まで全て出来上がっており、未来は決まっている

そして、ここにもう一つ「パラレルワールド」という考え方が加わる。

我々が「現実世界」と認識している物理世界が、無数に存在すると。

これらの考え方は、それで面白い。
否定する気も無い。

だとすると、我々が「現実世界」だと思っているこの「物理空間」はどう考えればいいのか?

ここで便利な言葉「次元」という考え方が登場する。

「次元」とは?

よく波動であるとか、電波のような概念で説明されることが多いように感じられる。

現実世界の物理空間上に飛び交う「電波」これは「周波数」が違えば互いに干渉することなくデータを転送できる。こうしたニュアンスを「次元」という表現で表しているようにも見える。

この次元という概念で、我々が「物理空間」と認識している「現実世界」の振動周波数が違う空間が、重なるように存在し、そこに「別の現実世界」があるという考え方だ。

仮説としてなら、今後の検証を待つという事で何ら問題は無いと思う。

が、今現在の段階において、この次元という曖昧な表現で別の物理世界が存在すると言い切る事がとても話をややこしくしているのではないだろうか。

私の仮説では、現実世界であると認識しているこの世界も仮想世界であり、物理空間があると思っているだけではないだろうか、と考えている。

反論もツッコミどころも満載な状態なのだが、どれも確証が持てない。。。

時間軸も「実はあると思っているだけ」その流れも「一つの仮想空間の中だけ」の話で、別の空間(パラレルワールド)では、別の時間が流れている。

こんな風に考えた時、小説のテーマである輪廻転生も同じ地点へ生まれ、何度も同じ人生を過ごしているというフィクションとして取り上げてみた。

物理空間、現実世界は唯一無二であり、他には存在しないとし、更に未来は未確定でいくらでも今後選択の仕方で変化する。

これが一般的な常識という言い方で言われて来た事だと思う。

果たして、今後こうした仮説だらけの世界が、少しでも解明されるときは来るのであろうか?







(13:54)

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この記事へのコメント

1. Posted by 無人くん   2016年11月18日 12:20
四季さん

こんにちは

パラレルワールドについての私の考えですが、
「集合意識」の視点でみると、意識が「現在」に存在し、
「現在」を中心にして波紋が広がるように「過去」と「未来」がセットで展開されるイメージだと考えます。

通常は「集合意識」の変化が少ないので連続性を保っていますが、
外部からの大きな介入があれば「集合意識」にも大きな変化が生じ、
連続性を維持出来ず意識の分断が生じます。
そうすると分断前後で独立した過去・未来が展開されることになります。
これがパラレルワールドではないかと考えます。
人間に例えれば二重人格のようなものでしょうかね

分断したといっても意識はひとつですから長い年月が経てば主体となる世界が残るのではないかと思います。
2. Posted by 無人くん   2016年11月18日 12:21
続きです。

>私の仮説では、現実世界であると認識しているこの世界も仮想世界であり、物理空間があると思っているだけではないだろうか、と考えている。

まず、現実世界の定義って何でしょうかね?

私は「認識できる世界」が「現実世界」だと思っています。
仮想空間であれ霊界であれ、認識できればそれが「現実世界」です。
対して「思っているだけの世界」は認識するという術がありませんから、
それは「想念の世界」なのかなと思いますね
能動+受動的世界か能動主体の世界かの違いでしょうか
3. Posted by 四季(管理人)   2016年11月18日 13:21
無人くん コメントありがとうございます

>独立した過去・未来が展開されることになります。
そこなんです。

パラレルワールドに関して、特に注目している点。
それが「物理空間」という表現なのですが、「物理的」と我々が認識しているものとは一体どういった性質のものなのかという事です。

過去や未来が展開されるという表現は、それでいいでしょう。
しかし、そこに「物理的」と考える品物がありますよね。

人間の肉体も地球も宇宙空間も、全て「物理的」と我々が認識している「物体」が「存在する」と思っています。

この「物体」がパラレルで「存在する?」という表現自体、現代社会の文章表現としては成立できないのでは?と考えているのです。

触ればそこにある品物、衝突すれば物理の法則に従い「破壊」「損傷」が起こる。
そんな物理的な品物がどうやって「存在」すると考えればよいのか?

そして登場した表現が「次元」です。

次元とは「次元が違えば互いに干渉しない」といったニュアンス的な表現に利用されています。

物理的な解釈では「物質」という品物が、同じ「場所」で違う「次元」で存在する事はあり得ない現象であり、証明もされていません。

物質というプログラムが仮想空間の中にあると思っているだけであれば、プログラム上の座標というデータがあるだけであり、他のプログラムに同じデータがあり、それを次元の違いと表現するのであれば、物理的な解釈として成り立つでしょう。
この辺りの定義が人それぞれな状況で会話が進んでいるのが、今のスピリチュアルの世界だと思います。

だからどうしても矛盾が拡大して行ってしまうのですね。

4. Posted by 無人くん   2016年11月18日 21:46
四季さん

>触ればそこにある品物、衝突すれば物理の法則に従い「破壊」「損傷」が起こる。
そんな物理的な品物がどうやって「存在」すると考えればよいのか?

私の2番目のコメントがその答えだと思います。
その品物を人間が「認識」すれば「存在」するのではないでしょうか
人間が認識できることが物理法則のルールですから

>物質というプログラムが仮想空間の中にあると思っているだけであれば、

プログラミングによる仮想空間なら自由に変更が可能なはずですが、
実際は制限だらけの世界という疑問がでてきますけど、どう思われますか?

5. Posted by 四季(管理人)   2016年11月18日 23:22
>人間が「認識」すれば「存在」する

量子論の話で、「見る」と「対象物が影響を受けるという量子の振る舞い的な感覚ですね。
これもよくわかります。

しかし、例えば地球内部の構成物は我々人類が認識できておらず、「何かがある」と思っているだけで、古代の人たちはそんな事考えもしなかったと推測されます。更には古代の人たちは「地球」では無く「地平」だと思い込んでいたと言われています。

それでも物質として地球はここにあり、ある時誰かが地球という球体の惑星が「ある」と認識し、今に至ると思われます。

つまり人間が認識出来ていても知らなくても物理的に「存在した」という表現の方が無理が無いと思うのです。

>実際は制限だらけの世界という疑問がでてきますけど、

物理的に存在すると我々が思っているこの世界とプログラミングの仮想空間で、どういった違いが考えられるのでしょうか?

プログラムの世界だから「制限」が多くなるという根拠が見当たらないのです。イメージするプログラミングというのはシリコンチップで構成されたコンピューター上で何らかの言語を使い、人間が生存する世界を真似て作り出された世界と考えると、視点がずれてくると思います。

例えば、江戸時代の人にはプログラムという概念すら理解する事が難しいように、現代の我々でもまだ理解できるだけの知識が無い概念での仮想世界と考えています。

なので、物理的に存在すると思える様な身の回りの品物、自分以外の生命体、その先がどうなっているのか観測できていない宇宙空間、こうした物理的に「存在する」と「思われている」物質&空間は、実は仮想現実の物理エンジンの「ような感じな世界」ではないかと私は仮説を立てているのです。
文章で表現するのがとても困難であり、例え会話であっても似たような困難な状況、伝えたいと思う情報量が多すぎて、本当に難しいですね。
6. Posted by 無人くん   2016年11月19日 13:50
>プログラムの世界だから「制限」が多くなるという根拠が見当たらないのです。

すみません
質問の趣旨が正しく伝わっていますかね?
物理法則に基づく制限はプログラミングで自由に変えられるのではないですか?という意味の質問なんですが・・・
実際にはこの物理空間において物理法則は不変ですよね


7. Posted by 四季(管理人)   2016年11月19日 16:19
失礼しました。
逆に読み違えていましたね。

私がどうしてそう思うかというのが、現実世界と言われるこの世界で、とても法則通りとは言えないような不思議な出来事が発生しているのでは?と感じているからです。

具体的にという話になると、検証論になるのでここでは書きませんが、どうしてそのような不思議な事が起こるのか?
しかし、もしかしらたその不思議と思われる現象も、実はまだ物理法則として知られていない現象なだけという可能性も残しています。

そんな可能性も考えつつ、しかし、現段階ではそんな不思議現象は概念的に理解の範囲を超えていると考えている、という表現が適切かもしれません。

そうした例を考慮して辿り着いている所が、全ては想念の中の出来事ではないかと。
8. Posted by 無人くん   2016年11月19日 19:12
仮想空間という考え方は同意します。
しかし物理空間を仮想空間と呼ぶには矛盾が多すぎるような気がします。
物理法則による制約もその1つです。

たとえばプログラミング言語はコンパイラで「バイナリコード」に変換されますね
バイナリコードはプログラム実行の最小単位です。

物理世界では「物理法則」が「バイナリコード」だと仮定すると、
同様に霊界にも固有の「物理法則」があり別の「バイナリコード」があると考えられます。
「想念」が展開した「仮想空間」はコンパイルで「バイナリコード」に変換され、
それぞれの世界に展開され、それぞれの法則に束縛されるのではないでしょうかね。

そして物理世界と霊界は波長が異なる世界とすると、
それぞれ異なる物理法則の世界ということも想定できますね。

たとえば「トンネル現象」という量子レベルの振る舞いがあります。
原則として「量子」レベルの振る舞いは「物質」レベルの振る舞いと異なりますが
トンネル現象は物質レベルの振る舞いに影響を与えることで知られています。

同様に現実世界の不思議な現象は霊界からのトンネル現象であると考えれば、
全く断絶した世界ではないということになります。
9. Posted by 四季(管理人)   2016年11月19日 21:49
なるほど、おっしゃりたい事は理解しました。

霊界も存在するとして、物理空間も宇宙空間も全て仮想であり、同一のフォーマット上にあるとは考えられないですかね?
私はそう考えています。

バイナリコードで霊界と物理界を分けて考えなくても、量子コンピューターとして同一のバイナリを使用し、物理界と霊界をレイヤー的な感覚で捉えてみてはいかがでしょう。

同一レイヤー上では見えないが、重ねてみるとそこには別のレイヤーのものも見えてくるといった感じで。

自分の意識が物理界の肉体に物理的に存在するという事自体が単なる思い込みであると私は考えています。

この見解の違いは、やはり物理的に品物や空間が存在する世界と、何らかのエネルギー体(霊体)で出来上がっているという考え方と、全てが仮想の世界に展開されているだけであるという考えの相違ですね。

今後も不思議な現象の報告もあるでしょうし、自分自身も何かしら体験していくと思います。私は私の仮説をベースにそれらを見て判断していきます。

無人くんも貴殿の仮説をベースに判断し、互いに気が付いたことを意見交換していけば、また面白い発見があるかもしれません。

そんな新たな発見を楽しみにしています。
10. Posted by 無人くん   2016年11月20日 14:36
>霊界も存在するとして、物理空間も宇宙空間も全て仮想であり、同一のフォーマット上にあるとは考えられないですかね?

いまのスピリチュアルの世界観では、階層化された世界であることが一般的な解釈ですね
もし、同一フォーマット説を唱えるなら、既存概念の反証が必要かなと思います。先の物理法則による制限もその1つですね。
反証をブログに順次上げて頂けると説得力が増すと思いますよ。

私は同一フォーマットが実現出来なかったからこんな世界になったのだと考えているんですよ。
「カステラ」というお菓子がありますよね
元々はポルトガルから伝わったお菓子で、当時の日本国内には適切な材料がなくて今の「カステラ」になったらしいです
それと同じで、あり合わせの材料で作ったら、こんな物理世界になったのではないかと考えています。
ある意味、想念も発展途上なのかなあということですね



11. Posted by 四季(管理人)   2016年11月20日 20:49
そうですね〜私は誰かを説き伏せるつもりも無いので、そんなに反証を上げ続けるというのも、なんだか気乗りしない感じですね。

既存概念で言われている事そのものが矛盾をはらんでいるので、変だと思いこのブログを書いているだけですし。

新たな体験談や様々な仮説も登場しており、それらが正しいかどうかも検証できず、私が小説を書いてみたように単なるフィクションの可能性も多分にあると思われます。

そんなフィクションの話が伝言ゲームで伝わっているうちに、誰かが体験したと思う事とそのフィクションの話が、なんとなく似ている事から、フィクションがノンフィクションに変化し、商売としての霊能者が顧客を信じ込ませるために誇大広告的に持ち上げられ、それを信じる信者が・・・と、今に至る部分は、かなりありそうだと思っています。

そんな曖昧な世界なので、私が私の仮説を力説した所で、どうにもなるものでも無し、といった脱力的な感覚も持ちつつ、長年の疑問を探索しているのです。

科学者の世界がそうであるように、それぞれが独自の仮説に基づいて、そこを掘り下げていけば、何かにぶち当たるのでは?と思っています。

対立軸や論争も意味が無いと思っていますので、第三者的な視点で冷静に淡々と探索しています。

そんな感覚をベースに考えていますので、勿論「想念」という概念もこれからでしょうね。

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