2016年10月31日

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地球外生命体

「現実」
「非現実」「虚構」「まぼろし」「空想の世界」
我々人間がこうした定義をした言葉がある。

スピリチュアルの世界の話は「現実」と「非現実」の話が混在する。

現実の世界とは?

唯一無二の世界

現実の世界という今ここに感じている世界があるが、突き詰めると現実の世界があるのであれば、スピリチュアルの世界の話はつじつまが合わない。

「パラレルワールド」
今ここに現実として実感している世界と似たような、でも違う世界が他にも無数に存在するという話。

現実という言葉の定義として考えると、この広大な宇宙空間で広がり続けていると言われている世界が空間が無数に存在するという事。

「次元」がという話が必ず登場するが、これは今現実の世界では空想の世界。

一般的に「次元が違う世界が・・・」と安易に使われ説明されている事が多いが、その違う次元という世界はどこに「ある?」

現実世界では移動するにも時間が必要。パラレルワールドへ「移動」するにはどうやって移動するのか?

パラレルワールドの他の世界にも自分がいたりするという話が多いが、その他の世界の自分に出会えるのは「夢の世界」だけ。

「霊界」という定義もまだあやふやで有り、現実世界にいる自分の魂?霊?が寝ている間に抜け出し、他の次元の世界の自分の霊と出会ったり会話したり?

現時点では霊界も「ありそう」と思われているだけであり、そのあやふやな定義を利用し「次元」という言葉を安易に使いパラレルワールドという空想の世界のお話をしているだけに過ぎない。

現実は現実であり、唯一無二の世界であると定義をしながら、パラレルワールドは別の次元に「存在する」と言うのは、おとぎ話であると考えざるを得ない。

別次元だから現実の空間という概念は通用しないとか、言うのは簡単である。
「現実」を「現実であるから」と現実を突き付けてくるという現実の話もある。

その一方、現実という概念では説明できない現象もあると思えると思ってはいるのだが。

もしこの世界が現実であり唯一無二の世界であるという定義するならば、未来予知など無意味である。未来が決まっているという事は現実的にあり得ない話だ。

アカシックレコードという魂の計画書とか地球のアカシックレコードだとか今後世界がどうなっていくのかという事が「記録されている」なんて話は、完全なおとぎ話と言えるであろう。

魂が人間に転生するとき、「人生を計画している」なんて話は単なる希望論であり、ひどい環境に置かれてしまった人の心を癒す目的の慰め的な考え方であると考える方が現実的である。

つまり人生は計画など無い。地震や災害なども計画など無い。全てはその時の状況により起こる現象であり、見えている物は結果出来た事であるという事になるであろう。

人は結果出てきた事を見て、それに意味を見出したい生き物である。

なぜそうなってしまったのか?

その理由を知りたい。

同じ失敗を繰り返したくない。

だから人は未来を知りたくなる。

そして未来を予知できる、という人がいる。

災害発生を言い当てた人、人の結婚を言い当てた人、未来に起こる出来事を言い当てる人というのは一体どう考えれば腑に落ちるのか?

現実世界というこの世界で肉体を意思が動かし、その結果起こる事が予定されていた事であると言う事は現実世界という定義と合致しない。

魂とか霊と言われている存在に「意思」があり、それが輪廻転生を繰り返しているという話は物理的な現実世界と実態の無い虚構の世界の融合の話なので、ここでは無理が無い話であろう。

スピリチュアルの世界の話は、なんとなく「そうかも」と思える様な話があり、それを商売にする人もいる。そして商売にするからには相手に信じ込ませる必要も出てくるため、あたかも真実であるがごとく創作の話もあり、その創作を信じてしまった人が伝言ゲームとして広がるという側面もある。

その結果、現実世界という部分からどんどん飛躍してしまって行くことになる。

なぜこうした現象が起こってしまうのかと考えると、それぞれの人が何かしらの「体験」をするからであろう。

「体験」という意味も広くある。何かしらの「メッセージ」「お告げ」のようなものを受け取ったと言う人。

「霊的現象」を目撃したり、そうとしか思えないような現実的な体験をしたりするからである。

私自身もそうした「体験」と思える様な事を数多くしてきた。

妻の父の兄弟は全て女性であると聞かされていたのだが、父の葬儀の直後、父とそっくりなのだが、中身が違う、これは誰だ?という人に妻の実家で遭遇した。これは寝ている時ではなく、庭で遭遇した。現実的に見えているという感覚とは違い、背後に彼が立っていたのだが、その時私は360度全ての方角が見えるという不思議な感覚になり、明らかにそこに「意思」を持つだれかが存在したと実感できた。勿論現実的な物質は無い。

翌日妻にその事を伝えると、実は言ってなかったのだが父には弟がいたのだと。女性ばかりではなく不遇な存在で隠しておきたい弟がいたと初めて知り、姿かたちがそっくりであると教えられ、初めて前の晩見たのは弟であろうという事ですんなり納得できたのだ。

現実的に知らないことを霊的に知る事が出来たという私自身の「体験」である。

まだ他にもあるのだが、こうした体験が数多く伝えられることにより霊的な世界という存在が認められてきたのだと思う。

他の人の体験談などがネットの普及により数多く見る事が出来るようになった現在、それらすべてが創作でなくその人が本当に体験した事であるならば、そうした体験談から現実的には見えない霊界の事も組み立てていくことは可能であろう。

しかし創作が混じっている。

90%の真実に10%の創作を混ぜると、人は見抜くことは不可能。

その10%の創作が、他の人に信じられそこから新たな霊界の構造の組み立てを考えたリすることにより、本当の世界から少しずつ離れていく事になる。

そして霊界の事は創作から空想され飛躍していく。

だれもそれを検証し現実世界で実証する事は出来ない。

現実を現実としてここに基準を置くのであれば、パラレルワールドは存在出来ない。

未来予知など空想のお話。

人生が決まっている、未来に起こる事も決まっている等という事は単なる希望論。

確かにパラレルワールドが有ったり、未来に起こる事が決まっている、もしくはある程度決まっているが、それは知る事が出ないという事であるならば、それはそれで面白いと思う。

だからお話としては「謎」があり興味を引く、楽しいお話だ。

しかしそれでいて現実世界は唯一無二であり現実なのだという事になるのであれば、スピリチュアルの世界はもっと単純な話になるであろう。

このブログ等も時間を使って遊んだだけという事になる。

技術の進歩により「量子論」が盛んにスピリチュアルの世界でもまことしやかに使われている現実がある。

量子の振る舞いがこれまでの現実社会とは異なる現象を見せているからだ。

「見る」「観察する」という事が量子の振る舞いに影響を与えるとか、同時に違う場所に同じ量子が存在するであるとか、テレポーテーションするとか何やら夢のある世界だ。

だから、現実世界の物質もパラレルワールドが存在するだとか、という話に直結するのはどうかと思う。

地球が誕生してから数十億年と言われており、こうして言葉で書けば数文字で表されるが現実的に考えると途方もない長い時間が経過しているという事になる。

こうした長い時間の最後の最後とでもいうか、最新最先端とでもいうか、ここ数百年の間で考えると人間が誕生して今に至るまでは地球の歴史から考えると一瞬とも言えない短い時間で”いっ”位だろう。

数百年前まで人間は地球が平らだと思っていた、今そんな事を言う人はいない。

ここ数年で量子という存在が色々解明されメジャーな存在になりつつある。

「現実」という定義は今の定義のままでいいのか?

まだ我々はこの現実と言っている世界の事をよくわかっていないのではないのだろうか?

そんな事を広範囲で深く考えていくと、現実という言葉そのものも現実味がないと感じてしまう(笑)

このブログで辿り着いた所は、この現実世界そのものも「虚構」であり「まぼろし」であり「あると思っているだけ」という場所である。

般若心経のように昔の方が辿り着いた場所も「無」であり、実は何も無いという処である。

人がこの世界の事を考えると結局どうしても最終的には「無」に辿り着いてしまうのではないだろうか?と自分自身も辿り着いた所が「無」であるという部分で一致する。だからと自慢しているわけでも何でもなく、私自身も40年近くこの事を考え続けた結果同じ処に辿り着いたという事である。

だから寺に籠りお経を・・・という流れが決まっているわけでもなく、現代の環境で自由に経典ではなくパソコンを使っているだけである。

だから現実世界は現実であり・・・と突きつけられても考え続ければ最終的には必ず「無」に辿り着いてしまう。

「悟り」という言葉も登場してきそうだが、悟ったからといって仙人のように世捨て人になるわけでもなく、それほど重い事であるとも思っていない。

こういう話になると「悟り」という言葉の「定義」に発展してしまうのだが、そんなことは私自身どうでもいい事だと思っている。自分自身がそう思うだけの事なのだ。

現実世界と思われる場に「自分」「私」という「意思」があり、自分自身でその意思の存在を感じていて、現実と思える世界を感じながらこの世界を「見て」いる。

その意思がこの世界で「楽しい」と思える事がり、それを「楽しむ」事は楽しい。

「苦しい」「きつい」「理不尽」「不愉快」といった事があり、その対極として「楽しい」「嬉しい」と実感できる。

こうしていくと、やはり思考は永遠にループしてしまう。

だからやはり「現実」という言葉に重きを置いて現実世界を中心に物事考え判断していくと、私としては偏った思考というか現実世界という「概念」に益々振り回されていくことになると感じている。

我々「意思達」の世界では、よく「バランス」が大切と言われたりすることもある。

これは多くの解釈を生む言葉だ。

現実世界と霊界の考えはバランスを持つ事が重要だとか、栄養バランスに、スポーツと学問のバランス、経営と社員のやりがいのバランス、仕事と家庭のバランス、いくらでもある。

何と何を天秤にかけてバランスとするのか?

それはそれぞれの意思が何かしらの考えで天秤に乗せるものを決めて行くのであろう。

人それぞれ、意思それぞれ、魂それぞれ、どのような言い方をしてもいいのだが、どれが正解という物もない。正解とは誰かがルールを決め、正解不正解と定義し、その価値判断からの事である。

その価値判断の中に、仲間に入れてもらわないとゲームは楽しめないこともある。

スピリチュアルの世界は商売的な騙しも含めて話がまことしやかに飛躍している事も多々あり、それを信じすぎて振り回される事も多い。

そうした「信じる」という心の特性が極端というか大きくなった結果が「宗教戦争」であり、人々の争いである。

誰かが決めたルールのゲーム世界に入り込んで楽しむという考えで宗教世界へ入り込んでその世界の価値観を楽しむのもそれぞれの意思の自由。

それを他の人に強制してくるのは迷惑は話だ。まあ、自分が素晴らしいと感じてしまったら他の人にも賛同してもらいたい味わってもらいたいと考えるのが人の意思であり、口コミと言われる商売の戦術もその特性を利用したものである。

これが現実世界だという表現をする人もいたりする。

やはり定義は広範囲に及び、所々意味合いが違っていたりもするが、スピリチュアルの世界を語るとき、現実世界をもっともっと突き詰めて考えてからスピリチュアルの事を考えると、もう少し何かが見えてくるのではないかと感じる。

それぞれの意思が体験したと思っている事は、現実と向き合ったときどういった位置づけで捉えたらいいのだろうかと、もう少し深く考えてみてはいかがであろうか?

本日は現実について思いつくまま書いてしまったが、最後までお付き合い頂きありがとう。






(01:14)

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この記事へのコメント

1. Posted by ぽん   2016年11月01日 18:24
四季さん、こんばんは。

今回も読み応えすごかったです。
読んだあとの充実したみたされ感が
あり、テンションあがったので
コメントしてしまいました(*^^*)

‘思いつくまま’書かれてるとありますが
何度も探求されてきた深さがこちらにも
伝わってきます!

すぐそばにスピリチュアルがある時代で
手っ取り早く使えるお手軽感覚に誘われ、
足を踏み入れるのですが…
気づいたら振り回されてることも
多々あるので(食あたり経験ばかり)

四季さんの探求を読むと、いい具合に
バランス感覚がとれていつも
私は現実世界に戻れてホッとしてる
気がします。

2. Posted by 四季(管理人)   2016年11月01日 20:51
ぽんさん コメントありがとうございます

何やら私の文章がお役に立てたようでよかったです。

何せ証明できにくい世界の話なので本当に掴みどころの手がかりさえもあやふやですからね。

スピの世界にとどまらず世の中騙しがあまりにも多くて信用という概念の方が幻状態になってきているような感じですので困ったものです。

人間社会、意思の世界とはこんなものなのでしょうかね?
少し寂しさを感じている今日この頃といった感じです。
3. Posted by ぽん   2016年11月02日 11:22
四季さん、こんにちは。

スピリチュアルの世界は、掴みどころ
がなくあやふやなのをいい事に
最近は何でもアリですね(笑)

私は人間の「信じる心」を利用するのは
一番危険であり罪深いと思っています。

四季さんのブログは、冷静な視点から
丁寧に着実に探求されてる貴重な場所と
感じてます。

今はスピリチュアルの世界も試行錯誤して
淘汰されていく過程の途中なので、
混沌としてるだけですよね?
私は振り回され寂しいと思いながらも
その先にある光のある新しい
人間社会、意思の世界がくるのを
待ってます。
もう少しの我慢でしょうか(笑)





4. Posted by 四季(管理人)   2016年11月02日 16:01
ぽんさん コメントありがとうございます

ホント最近なんでもありですね(笑)
最近心底思うのは「人を信用する」という事に以前よりも増して勇気が必要だと感じています。
積み重ねた信用も一瞬で吹き飛ばされてしまう風潮も拍車をかけている感じだし。
信用してもらったらその心にとことん応えるという事を出来る人も減っているよに思えてなりません。

スピの世界も混とんとしていますが、根底に人を騙す事を目的としている人は相手を単なる収穫物とみなしている、つまり昆虫が餌となる相手を捕食する行為と大して変わらないと思っています。

生物の食物連鎖という観点からすると仕方のない部分もあるのでしょうが、人間と言う文化を形成している立場でも行動は昆虫と言うのは、、、どうなんでしょうかね?

人生の指標や心の探し物、霊能者として商売している人もそんな人たちの役に立てればいいのでしょうが、一般の人としては探し物をするときにゴミが多すぎて見つかりにくくなっている感じですね。

今回のブログテーマである現実世界という概念、本当に現実とはこんな世界なのか?
思い込んでいるだけで実は想念の世界であり、社会に詐欺師が増えた事は実は自分自身がそう思った事が反映されているだけという可能性も考えて、まだまだ探索は続くと思われます。

辿り着けるのだろうか?
5. Posted by ぽん   2016年11月02日 22:49
四季さんなら辿り着けるはず!と
期待です(^-^)/

そうですね、私の現実世界にも詐欺師が
多い現象が起きてますが
それも、自分が体験したい想念の願望かも
ということですね。面白いです。

ウェルカム!と言いたいところですが、
でも世界の基本の「信用」がぐらつくと
基礎がないことになるので、世界は
何処へ向かってるのでしょうか(笑)
私のまわりも「人を信用してはいけない」
と念を押すように言います。

昆虫の世界は、興味深いですよね!
寄生虫など本当に破壊的に迷惑なの
ですが、かなり影で重要な役割をしてたり、私も人間界と重ね合わせたりしてヒントを
もらおうとしますが、
人間の尊厳みたいなものを
見出だしてしまいたくなりさらに悩まされ
ます。自分は何をしてるんでしょうか(^_^;)

商売化が過剰になった占いなどは、本当に
さらに追加して撒かれたゴミの中へ
自分からダイブしに行ってるような状態
ですね。
脳内がさらに混乱させられます。
混乱した中から何か見つかるのでは?と
荒療治のように期待して行くのですが、
もうカオス状態になります(笑)
そうなるのがわかってるのに、何かを
求めて本能でまた行ってしまうのですが…
人間って不思議です。

四季さんの
探求が続くのを楽しみにしてます(^-^)
6. Posted by 四季(管理人)   2016年11月03日 15:45
ぽんさん コメントありがとうございます

辿り着ければそれはそれで面白そうだし、新たな発見があるかも?

そして、その道のりで出会う事も興味津々。

多分、心の放浪記のようになるのかもしれません。

面白いと思うこの意思も不思議ですが、まだ探求は続くと思われます。

すぐ飽きてしまう私がこれだけ続けているという事は自分でも結構驚いていたりします(笑)

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