2016年09月18日

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人生は苦難の連続である とか 波乱万丈 であるとか。

楽しい事や充実感もあるにはあるが、ほとんどの人が何かしらの苦難を経験しているのではないだろうか。

何故そういった事になるのか?

このブログでは全ては想念の中の出来事という決着を見た。
その想念の中に、何かしらのルール的な決まり事のようなものがあるように言われている。

今度はそのルール的なもの、何故そういう展開になるのか?という部分を少し考えてみた。

どう考えても答えに辿り着けない「意思とは何?」という謎のテーマは追いかけても困ったままなのだが、「自分」という認識を各自持っているので自分を感じている以上、それは「ある」としか言いようがない。

その意思が自分を感じて肉体を感じて霊界も感じながらもやもやとした苦難に襲われたりしている状況、自分の意思が苦難と判断している状況を考えてみた。

魂だけの世界、天国とかあの世だとか言われているが、その世界を見てきた人、覚えている人、色々な証言が世界中にある。

それが正解だとか間違いだとかという判断は意味のない事なので置いておく。

そうしたあの世の話を色々見ていると、総じて共通している事がいくつかある事に気が付くと思う。

イメージした事が瞬時に目の前に現れるとか、自分と似たような感覚の意思が周囲には沢山いるとか、そこにストレスや苦難という事は無い。

そんな平和な世界に時間と言う感覚も無くひたすら居続けるとその世界は当たり前のものになり苦難ってなんだっけ?という事になるかもしれない。

苦労や苦難があるから平和を実感できるとか過去にも散々思いながらこのブログにも書いてきたが、肉体という感覚の無い意思だけの存在では他に考えようもない。

ヒゲさんのブログ(最後にリンクを載せておきます)でも言われているように、「この世とあの世は本当によくできたシステムで成り立っている」という言葉。

システムというルールの塊でたまにシステムエラーやバグがあったりもするが、そうしたルールでこの世界は動いているという考えには私も賛同する。

このブログでも最後に到達した想念の中という表現では肉体とか物質という感覚も全てイメージの中の話という事。今回はそのイメージ中でルールのようなものがあり、そのルールを解明してみようと考えている。

もしかしたらこれは第3部の始まりになるかもしれない。

怪談話や体験談が膨大にネット上にあり、それらが実体験なのか作り話なのかの判断は無理だが、実際に友人が体験した事等を参考に考えると、まんざら作り話だけでは無さそうな話も数多いと思う。

霊感が非常に強い友人は普通に霊がそこにいるのが見えると言う。
ごく一般的な家庭のお父さんである。

その人が若いころ、心霊スポットへみんなで行ってみようという事になり行ったのだが、相当ヤバイ雰囲気を感じ、どうしようかと迷いが出た頃、背中を平手で思い切りバーンと叩かれて行くのをやめたと言う。その時は瞬間的に守護霊に怒られたと感じられたと言う。

私自身も過去に仕事で深夜の午前2時頃、山中の河原へ行かなくてはならず一人で行ったのだが、途中で動けなくなり引き返そうと思うまでの数分間全身から汗が止まらなくなっていた事もある。

体験談等では寝ている時、布団を引っ張られた、足を掴まれた、息を吹きかけられた、等色々あるが、足を掴まれた人は翌日足に手形のアザが残っていたとかと言う。実際にそんなアザを私自身が見た事も無いので何とも言えないが、霊は物理的な肉体が無いのにどうして物理的肉体にアザを残すことが出来るのか?

どうして物理的な人間に髪の毛の感触や息が吹きかかると感じさせることが出来るのか?

地震等部屋が揺れたり風が入らない締め切った室内で、神棚から音も無く花瓶が落ちてくるという現象を目の前で体験した事もあるが、現実世界と霊界とがどういったルールで干渉出来るようになっているのだろうか?

干渉出来たり出来なかったり、もし何らかの条件を満たせば霊界から物理界へ干渉出来るとすれば、それはどういったルールなのだろうか?

怪談話や体験談でもよく出てくる「怨念を持った地縛霊」の話で殺されたという展開の話もあるが、もし霊界から人間界へ干渉出来るのであれば自分を殺した犯人に仕返しをしたいと思う霊もいても不思議ではないだろう。

肉体の動きを止めたり、背中を叩いたり足を掴んだりできるのであれば、自分を殺した犯人に仕返ししたいのであればその犯人の心臓を掴んだり、呼吸を止めたりといくらでも方法は有りそうである。

そうした仕返しは出来ないが、うらめしや〜と登場する事は出来たり、関係ない人を事故現場で同じようにがけ下へ引きずりこもうとしたりは出来るのか?

よく言われるように浮遊霊が怨霊化してパワーアップすると出来るようになるとでも言うのだろうか。

それでいて霊も死後肉体から離れると、どうして自分は死んだのか記憶が薄れてなぜ彷徨っているのかすら分からなくなると言う事?

逆に人間に生まれてくる時には過去の記憶は消される?消えてしまう?一時的にロックされる?とか、前世の記憶を思い出すとか前世でどうして自分が死んだのか思い出せるとかと言う話もあるのに、死後肉体を離れると自分の死んだ原因を忘れてしまう?

こうした話を単純に並べていくと矛盾だらけになる。
人間と言う感覚で考えると、ルールに矛盾があっては成り立たない。
魂レベルで個々の個性があるから一概に同じでは無いという話になると、それはルールでも何でもない。

個々の魂のレベルに応じて出来る事出来ない事の差があるとしたら、それは「意思」という正体不明のものの「差」であり、その差はどこから来るのかはまた意思とは何かという話に繋がってしまうので、ここは危険領域だ。

話が大きくそれたままになっているので、一旦元に戻そう。

人生の苦難という感覚は平和を知っているから。

この現実世界と思える世界と霊界との間に何らかのルールがあり、そこを行ったり来たりしながらこの明と暗を体験している事により現実世界では苦難であると感じるのかもしれない。

なぜそんな苦難を好んで?かどうか不明だが現実界へ行こうと思ったのか?

何らかのルールで行かされたのか?

何らかの支配がありその命令で行かされたのか?

人間が現実世界で「お化け屋敷」や「心霊スポット」へ怖いもの見たさで行ってみようと思うその心理はもしかして自分が霊でいる時に怖いもの見たさ的な感覚で「現実界へ行ってみよう」とか思っちゃったりしたのか?

霊界から見たお化け屋敷、それはもしかして人間界の事かもしれない。

そしてその恐怖レベルには段階があり、自分で選んで来ているのかもしれない。

つまり霊でも人間でもいつも刺激を求めているのかもしれない。

最初からジェットコースターへ乗ろうと思えば、初めての体験ではどんなコースなのかその落差も分からない、水を掛けられるかもしれないし真っ暗なトンネルに入るかもしれない。

しかしコースは決まっている。

そんなジェットコースターで恐怖を体験したら、しばしカフェで一息。

次は船に乗ってジャングルクルーズ。

目の前の船頭さんが解説をしながら、時折登場する何かに大騒ぎして盛り上がりながらもクルージングコースは決まっているのでその通りに進む。

船を下りてそろそろ空腹なのでレストランで食事を楽しむ。

それぞれの人が自分の人生で、「どうしてこうなっちゃうの?」と嘆きながらも、「こうするしかない」という選択肢で追い込まれて渦中の人になって行く。

人生では色々な選択肢があり、その連続だが、その選択した先にあるのが何かしらのアトラクションなのではないだろうか。

人生という遊園地に遊びに来ているという事を忘れてしまう人がほとんどなのだからそれぞれのアトラクションの世界に入り込んで恐怖を体験したりしている。

この遊園地は「命」という事も体験できるアトラクションがある。

事故や病気等のアクシデントにより、命を落としてしまうかもしれない。

このアトラクションは遊園地究極のものだ。肉体の命を落としてしまったら遊園地での入場パスが無効となり強制退場させられてしまう。

そんなアトラクションに参加の仕方は色々ある。救急車を走らせ、救命救急のスタッフも懸命に時間と戦いながらゲストの命を落とさないようにとスタッフ側を体験する魂もいれば患者側を体験する魂もいる。

救急措置がうまく行けば命を落とさずにコンプリート!となるかもしれない。

しかし遊園地に遊びに来ているゲストの入場パスには有効期限も有り、救命措置がうまく行っても期限切れで強制退場させられるかもしれないのだ。

そんな遊園地も恐怖レベルにより種類は豊富だ。

高度な設備の遊園地もあれば、公園の遊具的な所もあり、単なる河原という所もあるかもしれない。

単純に人間の肉体を体験してみたいという初心者ではもしかしたらアフリカの草原に暮らす人々の所へ行くかもしれない。

人間界へ何度もいった事のある魂は知識も多いのでもっと恐怖レベルか高度なアトラクションのある所を選ぶかもしれない。

現在日本は人口が減少している、これはもしかして霊界から見て魅力が減ってきているから人気が無いのかもしれないw

楽しみ方は色々、人それぞれ、魂それぞれ。

何の刺激も無い平和な世界に飽きて、平和でない世界を体験しようとやってくるのか、誰かの命令によって行かされる場合もあるのか不明だが、ある程度のルールの中で人間界と霊界を行ったり来たりしているのかもしれない。

人間界にいる時、お腹が空いた「何か食べた〜い」と思い、それがうまく伝わると
給しロボ


食事がやってくる。

しかし、船の上だとかアトラクションの最中では給しロボはやってくることが出来なかったり。

これが引き寄せの法則がうまく働いたり働かなかったりする原因の一つか?

あまりにも人間界が広いため、色々な現象等を考えていると頭がパンクするw

では大ざっぱに考えてみると、矛盾が発生。

広大な世界の事を考えつつ、一つ一つの事例を掘り下げてこの世界のルールを探っていくという地道な方法しかなさそうである。

私は一体何をしにこの世界へ来ているのか?

この世界のルールを解明する為か?

そしてどうする?

物事色々意味を考えると、それ自体意味のない事というパラドックスに襲われながらも入場パスの有効期限もまだ切れていない事だし、命のアトラクションにも挑戦していないようなので、当分このまま思考の海に飲み込まれていくのだろうな〜


ヒゲさんのサイト、一部リンクを載せておきます

前世の記憶1

前世の記憶2

輪廻とか魂とか・・・
http://reitekidetaihen.blog.fc2.com/blog-date-20120602.html 

輪廻とか魂とか・・・続き
http://reitekidetaihen.blog.fc2.com/blog-date-20120603.html 



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この記事へのコメント

1. Posted by 無人くん   2016年09月24日 17:15
こんにちは

ルールにも2種類有ると思います
人が決めた「決め事」と「法則」ですかね
前者は変更可能ですが、後者は変更不可能です。

ルールを解明するとしても、
これらは切り分けないとややこしくなると思います。
四季さんが解明しようするルールとはどちらでしょうかね?


2. Posted by 四季(管理人)   2016年09月24日 21:36
無人くん コメントありがとうございます

法則でしょうね〜やはり。
この法則とそれに伴う揺らぎから人が影響を受けて出来上がったのが人の思いから来るルール的な事、掟とか、しきたりとか色々。

でも、人と言ってもその決定は「意思」であり、それが人なのか魂なのかあまり関係はないと思っています。

根源的な法則の探求となると現在の寿命では足りないと思うので、結果我々人間が認識できる現象などから考察する形になるでしょう。

それが誰かの役に立つか?とかあまり考えておらず、結果判明した事により役に立つ人がいればそれもそれでOKといった所でしょうか。

以前より深く考える時間が増えた感じで日々過ごしております。
3. Posted by 無人くん   2016年09月25日 19:54

>でも、人と言ってもその決定は「意思」であり、それが人なのか魂なのかあまり関係はないと思っています。

「意思」にもいろいろなレベルがあるでしょうね
人の自我やエゴからなのか、魂からなのかで、「意思」の性質は変わってくると思います。
これを切り分けることは最低限必要でしょう

世界を探求することは自分自身の探求でもあるのかも知れません。
私も自分自身の探求から始まり、ようやくハイヤーセルフとの関係がいくつか見えてきた所です。

法則と思えたことも実は自分でルールを決めていた・・・なんてことはよくあると思いますよ




4. Posted by 四季(管理人)   2016年09月26日 14:47
意思にも色々ありますね、この意思から来る決まり事のようなものも何かある種の法則によって誘導されたり影響を受けてという事もあるかもしれません。

我々が漠然と想像する霊界という存在があるとして、そこから現実界と思っている人間がいる世界への干渉なども、何かしらプログラム的に属性がありそのルールに基づいた影響力なのか、もっとOS的な基本ルールからの事なのか、見る角度により見え方が変化する事もあると思われます。

なので、現実界への影響などの現象を中心に考えて、「どうしてそうなるの?」という部分を探ってみたいというのが最近一番思っている事なのです。この疑問文、守備範囲が非常に広大なので数個の体験談や事例などでは判断できないのではないかと思っています。

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