2016年09月03日

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禁断の果実

運が良くて人生が好転、神社へお礼のお参り。

これから大一番の勝負、何が何でも勝ちたい、最後は神頼み。

もうダメかと思ったが奇跡が起きた、神様ありがとう。

スピリチュアルと人生は非常に縁が深い。

勝に拘ったりと「自分の意向」を何としても思い通りにしたいと思う時、人は人知を超えた「何か」でも使えるものは使いたいと思ったりする。

勝負師やスポーツ選手で有名なのが「ジンクス」である。

必ず靴は左足から履くとか、ルーティーンと呼ばれる同じ動作もこの一種だろう。

こうした人たちは、明確に目的がありそこを見ているからそれでいいのだろう。

私自身もそんなジンクスを気にしていた時期も有ったが、それよりもスピリチュアルの不思議の方に意識が向いていた為に、「どうしてそうなるのか?」と深堀をしていた。

自分自身はスピリチュアルとは?という問いに自分を納得させるに十分な所まで辿り着けた。完全解明では無いが。。。

その結果、人生における苦悩という事から解放された。

精神的に非常に穏やかであり、怒りという感情にとらわれなくなった。

とてもいい気分である。

しかし、これがまた面白いと言うか弊害とでも言えるのか感情が沸き上がる事が極端に減ってしまった。

自分の人生も含め、全て他人事になってしまったのである。

まるでテレビドラマを見ている時のような、しかも何か別の事をしながら時々画面を見る程度、音声も聞き流しといった感じなのだ。

そう、例えるなら、まるで僧侶?

これを悟りの境地とでも言うのだろうか?

そうは言ってもまだ美味しいものは食べてみたい、とか「欲」と言われる部分は完全には消えていない。

この欲も完全に消えたら、多分「仙人」のように山中へ消えて行ってしまっているのかもしれないがw

人間でいる事の醍醐味は「人生を楽しむ事」

この「楽しむ」という言葉には色々な事が含まれる。

「歓喜」の楽しみもあればストイックに「何かを極める」という楽しみもあれば、「苦悩」を味わう事も人生の醍醐味であろう。

「愛」を楽しむ事も、人生で起こる事は全て包括されるのであろう。

私は自分の納得する境地へ辿り着けたおかげで、この「楽しむ」という体験がもう出来ないと思うと同時に、このスピリチュアルの「謎解き」を楽しんできた人生で有ったのかもしれない。

スピリチュアルの世界を深く探求する事はもしかしたら禁断の実を食す事になるのかもしれないが、それを望んでいるとすれば迷う事は無い。

食べて見なければ「味」は分からないからだ。

もしかしたら人によっては「食あたり」を起こしたりするかもしれないが。。。

それでも食べた物は体の一部となる。

スピリチュアルは心の栄養となる。

味見するもよし、口に含んでみるだけで吐き出すもよし、これも自由。

人それぞれ。

禁断の実と思われる果実を食し、咀嚼(そしゃく)し、飲み込んでみた私の実感だ。




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(11:53)

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この記事へのコメント

1. Posted by 無人くん   2016年09月05日 12:16
こんにちは

私にとってスピリチュアルは禁断の実というより漢方薬みたいなもので、
目的に沿って人生を進んでいて調子がおかしくならないように服用する感じでしょうか
どの程度効いているかは分からない怪しい漢方薬ですけどw

スピリチュアルが示す真実は、現時点における自分の真実でしかないんですよね
そして全てが解明されることは決してない・・・
個人が成長すれば真実は変わりますし、
時代の流れによっても変わりますから、
常に流動的なものと思った方が良いでしょう。
「すべて悟った」と思った時点で、それが個人の限界となります。
結局、自分を納得させるための理由付けなんですよね

スピリチュアルはパターン化されていてつまらないという認識になったら、
ある時点で自分は成長していないということになるでしょう。
あるいは試行の段階にあるとも言えます。
精神的な成長のバロメーターにもなりますね

スピリチュアルは人生の幅を広げることができますが、
依存しすぎると人生の幅を狭めてしまうことになります。
処方には注意が必要ですね。
2. Posted by 四季(管理人)   2016年09月05日 16:43
無人くん コメントありがとうございます

スピリチュアルは人それぞれ効果効能が違うでしょうね

そして「成長」とか「個人の限界」だとかといった定義は物理世界の上に成り立つもの

私自身全ての真実を受け入れたとは思っておらず、まだ不明な点も多々あるのが現状

過去の有名な方が悟りの境地に達した時、それを見ていた人たちが「悟った人はこんな人」「こんな行動」「こんな考え方」と勝手に解釈し「悟った人とは」と定義をしているだけ

私自身そんな悟りを得た方と会った事も無ければ書物で見る位しか無いので、自分自身がどのような状況なのかの比較対象もありません

自分自身の心境と過去の有名な方の話から「悟りとはこんな感じ?」と勝手に解釈しているだけです

成長という事も「生まれ」て「成長」し「老衰」の後「滅却」そして「生まれる」といった循環の現象の一部に過ぎません

単に循環している事に、人の「意識」が定義づけしているだけで、その意識とは一体何者なのか?

永遠の謎と思うこの意識の不思議といった所でしょう

言葉での表現の限界を感じているところです

3. Posted by ぽん   2016年09月13日 00:14
四季さん、こんばんは。

いつも楽しみに読んでいます。
自分が何か不思議に思うことが日常に
あって、ふとこちらのブログを
のぞくとヒントがあったりして、
リンクしてることが多いと嬉しく
なったりしている者です。

人が目指したりたどり着く境地は
さまざまなんですね、きっと。
人の数だけあるんですね。
自分だけのオリジナルの境地に
いつか終着したいです。

私は、スピリチュアルそのものを探求する
のでなく、どうしても道具として
ハマってしまいます。
いつも自分の望んでたのとは別の形で
結果が起こり、全く道具として使い分け
できていない感がすごいです。

四季さんのように穏やかになるどころか、
さらに激化する心境に困惑気味です。

自分が描いてた人生とは、全く別な方向に
いってる気がしますが何故か不思議と
止められないので
客観視しながらスピリチュアルを
食あたりしながらも使い進みます。
4. Posted by 四季(管理人)   2016年09月13日 11:04
ぽんさん コメントありがとうございます

>いつも楽しみに読んでいます。

ありがとうございます

>自分だけのオリジナルの境地にいつか終着したいです。

そうですね、辿り着く事を目的にすると面白くないかもw
結果こんな所に来ちゃった、と楽しめるといいですね。

穏やかになった自分、って言葉で書くとすごくいい感じに見えてしまうかもしれません。

私の実感としては味気ない人生という部分も感じている為、どうなのかな〜?とも思ったりとまだ未消化の部分もあり、まだまだですと言った感じでしょうかね。

スピリチュアルで食あたり(笑)きつい時は特効薬かも!と思い服用してみたら更に悪化、、、とか思いもよらない体験が有るかもしれません。私もありましたw

後になって、なるほどそういう事ねと決着したりと不思議世界を楽しむことが出来るかもしれません。

色々体験してみてください。

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