2016年08月28日

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そこにコップが「ある」

という事は、そこに空間という概念が「ある」という事

空間という概念は物理的な思考が基本になっている

存在する、、、と
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人間は生まれた時からこの物理的概念の中にいる

「ない」という概念も「ある」の裏返しであり同じこと

近年VR(バーチャルリアリティ)という仮想現実が進化していて、N高校なる学校も登場した。

例えば、

肉体等が無い頃、世界は魂だけの世界であったとしたら

思考が進化して「物理的世界」を作り出そうとした魂が有ったかもしれない

そして出来上がって来たのが宇宙空間であり地球であり人類であった

そして人類という物理的世界を楽しんでいると、そこからまたVRを作り出して次の刺激を楽しもうとするものが現れる

魂の世界から見ると

「実態の無い思考」→「物理的世界」→「仮想現実」と移り行く

となると、元の魂の世界は?という疑問が出てくる

もしかしたら更にその上の世界があり、その存在達が魂の世界を作り出したのかもしれない、、、と永遠続いてしまう

この現実社会では仮想現実の世界の中にAI(人工知能)の登場人物が出てくるだろう

仮想現実の中に人工知能が登場し、その人工知能は進化し続け

「はて?自分とは一体何者なのだろうか?」

と考え出すかもしれない

その人工知能が存在している世界はコンピューターのプログラムの中だ

果たして人間がそのプログラムを作っているという事まで辿り着けるだろうか?

また、その人間を動かしているのが魂だという所まで辿り着けるだろうか?

仮想現実の中にいる人工知能がプログラムの中から出る事は出来ない

人間が人間のいる現実世界へ物質的な乗り物を用意し、そこへ人工知能を導いてあげればプログラムの中からの脱出が可能かもしれない

我々人間もまだ魂という存在についてよくわかっていない

魂というものが「ある」と思っているが、ここでは「ある」という概念は物理的概念ではない

しかしそれも実は魂と言う概念を作り出した何者かが作り出したプログラムの中かもしれない

永遠に続くこの謎は追いかければ永遠に同じ答えを出し続ける為、終着点という概念は「ない」

仮想現実の中の人工知能も電源を落とされれば、その思考も瞬時に消える

人間が現実世界だと思っている世界ももしかしたら電源を落とされる事があるかもしれない

しかしその世界に入り込んで熱中していたり、楽しんでいればその後電源が落とされると分かっていてもギリギリまで楽しもうとするだろう

私はこの世界の謎を考え続けた結果、この世界に入り込んで楽しむという事が出来なくなってしまった

現実世界のプログラムの中で人間が命を失うと、魂だけになり・・・という概念も正しいと言えば正しいし、電源が落ちればそれでおしまいという概念から、死んだら全て終わりという考えも正しい

この謎を追い続けた結果、楽しいと感じたり、一生懸命になれる事があったり、集中出来る事、またそれらを行うためにリラックスや秘め事に時間を費やしたりするのも全て気兼ねなく思うがままでいい

ドイツでは今、国家が非常食等少なくとも10日分位は確保し、非常事態に備えて欲しいという発表が出ているそう

理由は不明だが、憶測が飛んでいるようだ

何があるのか分からないが、大きなプログラムが発動するのだろう

何十年も先の事を考えて「今」を犠牲にした生き方もいいだろう

もし電源が落ちてしまえば「後悔」という概念も味わう事は無い

「信じる」という事もそれぞれ違う為、このブログの考え方に賛同される方も否定する方も信じない方もいて当然

そうでないとこの物理世界は成り立たなくなるから

お医者さんごっことか物理世界「ごっこ」に楽しさを感じなくなってしまった私もまだこのプログラムの中に存在している

今後何か新たに楽しさを見出すことが出来るのか自分自身も分からない

先日自分自身の人生を年表として作成してみた

明らかに大きな流れがあり、突然切り替わる様子もはっきり見て取れる

ロールプレイングゲームのようにマルチエンディングとして「選択次第」で未来が変化するのか、その選択さえも予定通りなのかは判断する事は出来ない

何故ならその時の選択とは違う選択をした場合の結果を見る事が出来ないから

自分の年表で分かったことは、その時気になった事が7年前後で何かしらの現実になっているという事

その7年前後という期間が重なっている事もある

こうした規則的とも感じられる出来事にはどのような意味が隠されているのか

これには自分自身も興味が有るので今後も注視してみようと思う

またここに書けるような内容であれば書いていこうと思う

何を目的に私はこのブログを書いているのだろう?



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(12:35)

この記事へのコメント

1. Posted by 無人くん   2016年08月31日 20:12
こんにちは

人工知能の例えは面白かったです。

「魂」の視点から見ると、「人間」は一種の制御デバイスですよね
そして「自我」は魂の負担を軽減するための人工知能という見方もできると思います。
正常な「自我」は独立しているように見えて、
実際には魂と連携が取れているのだとと思います。

人工知能も人間と連携を取ることで機能するでしょう。
プログラムの組み方によって人間から独立することは可能だと思いますが、
人間の思うとおりに動かないプログラムに価値はないですよね
意図しない動作をしたら止めるしかありません。

人間も同じで、自我に溺れて魂の思うように動かなくなると、
ある時点で強制停止させられるのではないかと思います
個人で停止させられるケース、集団で停止させられるケース、
状況も考えてみると色々出てきそうな気がします

2. Posted by 四季(管理人)   2016年09月01日 11:42
無人くん コメントありがとうございます

放し飼いにされてとんでもないAIも賑やかしとして面白いかもしれませんねw
自分自身の認識と感覚として今現在も世界は存在するし、何かしら変化や事件が起こっています。

その世界が消えた、と認識できる自分の意思が残って「おぉ〜」となるのか、一緒に消えてしまい「消えた」という認識すら出来ないのか、どちらにせよ今の所「意識」はあるので、まだ当分楽しめると思います。

客観的に世界を見るという意識が以前よりかなり強くなりました。
これも「個の意識の個性」が強まったせいですね。
意識的に人生が物凄く「楽」に感じていますw
3. Posted by かみ4    2017年09月01日 23:02
かなり似た部分を感じたのでコメントさせて頂きます。
ぼくも悩んでいた時期がありました。それが、あるきっかけで境地に達し、答えを導き出しました。

テーマは「AIに魂は宿るのか?人間とは何者?」です。
人類の始まりを調べますと、わかるかもしれません。
脳の構造も大切です。
4. Posted by 四季(管理人)   2017年09月02日 21:54
「かみ」さん コメントありがとうございます

辿り着きましたか。
どのような感覚なのかもう少しお聞きしたいです。

この概念の世界の疑問は永遠に同じ繰り返しを見せてくれるため、私は無限ループを迷走中です。
数十億の人間がいて、それぞれの人生があり、考えることも選択も人の数だけあるので、中には私のように迷走するのがいても不思議ではないだろうと思っています。
これがいいとか悪いとかの問題でもなく、そこに意味もなくただ迷走する人間が「いる」と自分で思っているだけですw
5. Posted by れい   2017年09月06日 12:07
万年素人さんのブログのコメント欄でお見掛けして、たまにこちらを見させて戴いています。

人間の意識と人工意識をいろいろと検証して見せてくれる小説に、グレッグ・イーガンの「順列都市」というのがありまして、これを読むとかなり人間意識ついての認識にかなり刺激を得られると思います。
人間の意識も非連続である、という事がなんとなくわかってきます。

四季さんがたびたび話題に出される「あの世」ですが、私の場合、「あの世」というのは人間の解釈によって生まれた概念であるし、仮にそのよう「世界」を自分が見たとしても、それは自分という枠組みが見せた世界であって、「自分」という枠組みが無くなれば、当然「あの世」なども無くなる、と思っています。
死んだ後、そういう世界を見る可能性はありますが、そのそもこの自分という枠組みが普遍であるとは思えないので、最終的には自己の枠組みが取り払われてしまえば、「あの世」なども消えてしまうのではないでしょうか?

自分が認識している「世界」は、自己という「枠組み」においてこのように現出しているのだと思っています。

こんな考えはどうでしょうか?(笑)
6. Posted by 四季(管理人)   2017年09月06日 22:56
れいさん コメントありがとうございます

万年さんからの繋がりですね、宜しくお願いします。
順列都市、これは感想を述べている人がかなりいるようですね。感想だけはまず拝見してみました。面白そうですね。グレッグさん、かなりのハイレベルなプログラマーであろうと推測されているようで、興味が湧いてきました。

「あの世」の解釈について、「自己の枠組み」と言う視点、れいさんの思考もその通りだと言えばその通りだと思います。
「解釈」と言う事の解釈にも幅があり、どこまでの範囲で解釈するかと言う広さも結果の相違につながると思います。

この定規も広げれば無限大まで広がり、出発点を探せば「無」に辿り着くと言う人間の思考の外側というか、限界を超えていると言う表現が適切なのかも判断が難しいと考えています。
「納得」を目指して考えると、範囲を決めたところでの納得は必ずあるのですが、相対性理論と量子論の接続点を世界中の科学者が追い求めているように「落とし所」が見つからず漂流していますw

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