2016年07月17日

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長文です、お時間のある時くつろいでご覧ください。

長年霊界の事を考え続けてきて、また一つの大きな答えに到達したのかもしれない。

文字を使い文章として書き表すのは、テレビの画面に映っている一つ一つの光の点(画素)の状態を書き表しているかのようだ。
1枚の絵を文字を繋げて文章で書き表し、それを読んでいる人は画素の情報を頭の中でつなぎ合わせ、1枚の絵をイメージする。

しかしそれはほんの一瞬の出来事であり、その絵は次々と姿を変える。
それを文章として書く方は、出来上がった全体の動画をイメージしながら書くが、時として画素の情報を書き漏らしたり、順番が前後したりしているかもしれない。

読むほうも、根気よく読み続け、そこにどの様な絵が、動画が浮かび上がるのかイメージ力を要求される。
だからすれ違いや勘違いが発生する。

そんな不安定な文字情報としてしか書くことが出来ないもどかしさを十分理解したうえで読んでいただければ幸いである。
動画として表そうにも現実社会に存在しない状態なので、絵に出来ないという限界もある。

それでは。。。

この世界はファンタジーである、と言った霊能者がいた。
その一行の文章の中にどれだけの思いが詰まっていただろうか?
それは実感した人でないと同じ思いを共有するのは無理であろう。

私は私自身の経験と思考、他の人の体験などを総合的に考え続け辿り着いた一つの答えだ。

全ての出来事、全ての世界は、全て「想念」の中にだけ存在する。
想念
 
極端な考えという感じ方は、どこかに「極端でない」という基準を持っているため、そこから外れたら極端だと思う。
それは各個人それぞれの基準で有る為、判断材料にならない。

そうした既成概念を取り払い、思うがままに書いてみる。

宇宙空間や惑星、地球、人類等々「物質」として存在していると思っているこの世界も実は後に詳しく書く「想念」の中だけに存在するのではないだろうか?

宇宙空間があり、そこは無限に広がっているという定義があり、そういう物だとなんとなく思っているだけ。

こうした考えに至るには過去の膨大な経験や知識、経験談等を総合して辿り着いた。

その一例として、「死者は自分が死んだことに気が付いていない」という話がある。とある会社の事務所で私は、そこにいるはずの無い女性の気配を感じていた。薄いブルーの事務服を着ているミドルヘアーの普通の雰囲気の女性だ。

仕事をしながら「後ろにいるな」と感じていたところ、隣に座っていた同僚が「後ろにいるね」と言ってきた。私は「どんな人?」と聞いてみた所「薄いブルーの事務服を着た普通の感じの女のひと」と言った。

同僚は同じ姿を感じているのだ。
私の思い込みや気のせいでない事がそこではっきりした。

その女性は普通に何やら仕事をしている感じなのだ。
向こうは我々に気が付いていない様子で普通にふるまっている。
我々の世界と違う世界にいる事に気が付いていないのか。


一般的に人間は夢を見る。
夢の世界での出来事を目覚めた後覚えている人もいると思う。
その夢の中での出来事で、夢の中にいるという事を自覚できる人は少ないのではないだろうか?

また夢の中での出来事で、目覚めた後「あんな状況はありえないな」と夢から覚めた時に不自然さに気が付く場合もあるだろう。

夢の中にいる時はどれだけ不自然でもその時は不自然だと思わないのだ。

もしかしたら、夢から覚めていると思っている自分自身が不自然に思わない現在の状況もどこか違う世界から見たら不自然極まりないのかもしれない。

でもこの世界が当然だと思っている。

その時は気が付かない状況、なぜそうした意識になるのかは分からない。

我々はこの現実社会に「生まれてきた」と思っている。
2時間位の映画やドラマ等での登場人物も人間であり、様々な展開が起こりその世界で各登場人物の人生が展開されていく。

そうした劇の世界も現実世界も基本的に地面があり、重力があり空には星が輝いていたり太陽が昇ったりしている。

まあ現実社会を模写しているので当然ではあるが。

そうした現実だと思っているこの世界はもしかしたら全て「想念」というプログラムの中で実行されている劇なのではないだろうか。

現実社会と霊界があり神がいて・・・こうした構成は基本フォーマットとしてあり、そこへ生まれてくるというストーリーを自分自身で描き出して体験している。

これは過去にも同じような事を書いてきたのだが、この基本フォーマットを用いて、オプションとして時代背景を載せていく。

だから生まれる時代は自分で選択する事が出来、意識としての自分が現実社会から見た感覚としては現代にも過去にも未来にも生まれてくる事は可能と言う事になる。

そして全てデータという考え方なので、意思が複数あればその世界も複数あるという事になる。ここに物理的な概念を持ち込もうとすると物理の法則的に破綻する事になる。

つまり「意識」としての自分がいれば自分を中心に基本フォーマットを用いて世界を構成し、そこで人生を経験し楽しむことが出来る。

意識が複数いればその分だけ個別の世界はあるという言い方が適切かどうかは深く考えずに。

これはパラレルワールドと呼ばれている世界観である。

自分を中心とした世界を基本フォーマットから起こしてオプションを追加し、自分が経験してみたい世界を時系列ごとに並べて展開して行く。
なので、その世界で自動生成されたエキストラは、自分の体験したい世界をプログラム通りに展開してくれる。

つまり安心安全で平和な世界で生きてみたいと思えば、その環境が構築され、テロ等に巻き込まれたりしない。

自分がもしニュース等でそうした悲惨な出来事を見ていたとしたら、自分が描いたストーリーの中にそうしたオプション的な思想があり、それを自動生成プログラムがエキストラを動かして見せているだけに過ぎない。

自分がその世界で死なない限り、その世界は次々展開されていく。
そして自分がその劇の中で死亡すれば、その時点でそのフォーマット上の世界は終了し、全てのプログラムは終了する。

意思の中に「記憶」だけを残して。

この考え方には少し第二案とでも言うか、いくつかのオプション扱いなのか、表現が難しいが可能性があるように思う。

自分が描いたストーリーを体験する為に、仲間の意思が同じ基本フォーマットの中に登場するかもしれないという可能性だ。

全てが自分一人という考えと、誰かを中心とした劇団での演出の可能性も考えられる。

この場合、劇の終了は中心人物の死亡により終わるのか、最期の一人まで続くのかは定かでない。


文頭で書いた「想念」についてであるが、この想念そいう考え方は言い換えると、何度か登場している「意思」とも言えるが、この意思の集合体とでも言うか、大きな意思が分離して多数の意思が出来ているという表現が適切か断言できないが、最終的に大元となる意思とでも考えて頂けるとありがたい。

この想念がそういった姿形をしているのか、この辺りを適切に表現できる言葉も単語も見当たらない。

宇宙空間という概念すらこの想念の中でのみ存在するように見えるデータであるとすると、全く別の考え方となる。

人間は波長として伝わる周波数のほんのごく一部のみを認識出来て、それで「視る」と思っている。

無線で用いられている電波等は見えない。

そんな人間の想像できる範囲の外に存在?ある?どう表現していいか分からないが、想像外の存在という映像でも文章でも表現できない世界だ。

それが「想念」であると考える。

そんな想念の中に多数の「意思」が存在?しており、それぞれがその意思の中に基本フォーマットを用いて世界を作り出し、その世界を体験したりしているのだ。

大きな想念の中に存在する意思はひしめき合っているかどうか不明だが、接触も有るかもしれない。そうするとその接触によってありえない出来事が発生したりして、パラレルワールドがあるのでは?と基本フォーマットの世界の中の人に思わせているのではないだろうか。

もしかしたらそうした出来事も基本フォーマットの中に組み込まれたプログラムかもしれない。

おちゃめな意思が面白がってそんなイタズラを仕掛けているのかもしれない。

そんな意思の作り出し、時系列に沿って発生する出来事や登場人物も全て自分自身で描いたストーリーで有る為、そこで「自分」と感じている意思は主人公でもある。

その主人公がストーリーの中で基本フォーマットの中にあるプログラムに触れた時、「引き寄せの法則」ってホントか?と思えば実験してみようという事になり、劇中の自分自身がその役柄の中でイメージをしてみるという事はストーリーを書いている自分自身(脚本家)にリクエストをしている状況となり、それがストーリー上邪魔にならない限り、実現したりするのではないだろうか。

だから同じ世界に登場するエキストラは引寄せに成功できるのも出来ないのもいるし、バカにしたり否定するものもいる。

全ては自分自身のストーリー(人生)の為であり、誰の為でもない。

生まれてすぐ亡くなってしまうといった状況はその時点でその劇は終了し、もしかしてそれは自分自身が脚本の失敗や基本フォーマットのエラーである可能性もある。

他の人の子供が生まれてすぐ死亡してしまった状況を見ている人は基本フォーマットのプログラム通りなので自身の人生はまだ続くのだ。

自分が死なない限り自分の世界は続き、災害やテロ、戦争等で他の人が死亡していくのはエキストラの演出であり自身が死なない限り劇は続く。

一体自分自身はどのようなストーリーを体験したくてどういった展開をこの先用意しているのか?これを知りたくて占い師に聞いてみたりすると、占い師はその用意されている脚本を薄ら見る事が出来て一部だけ教えてもらえるかもしれない。

もっとしっかり見る事が出来る霊能者もいたりして、未来を教えてもらえたら、それは脚本の一部かもしれない。

だからここでこうした文章を書いていること自体、自分に向けて書いているだけで、読んでいる人はエキストラという可能性も考えられる。
また、もしかしたら劇団の仲間かもしれない。

基本フォーマット、この中の構造は現実社会と霊的社会に分かれていて、神や悪霊、浮遊霊に地縛霊と様々な登場エキストラが用意されており、死後の世界は霊になると思い込んでいるだけかもしれない。

死後の世界も実は存在しなく、霊的世界の階層といった概念も全て基本フォーマットの中に構築された幻想の世界であろう。

魂と呼ばれる存在はもしかしたらこの文章の中に登場する「意思」かもしれない。しかしそこに魂としての階層、カルマ等はあらず、単純に意思があるだけかもしれない。

想念という概念の中にある意思等、これらは存在という表現が正しいかどうかも分からない。

こうして全てをファンタジーだと考える私自身の人生とは一体何を目的としているのだろうか?

私の元となる意思は今回は「探検」がテーマなのかもしれない。

この世界の謎解きを行う事を楽しみ、もしくは最終目的としているのか。

だから若いころの不自然な事故の数々でもかすり傷程度で生きながらえ、不思議な縁で繋がる人々から仕事も不思議な展開を見せ、一般的な人はあまり経験した事の無いような人生を経験してきた。

全てはこの為に有ったのだろうか?

それともまだこの先に新たな展開を用意してあるのだろうか?

これも全く不明である。

これを読んでいる方々は私の劇団の仲間で、あなた自身の人生を考えるきっかけにこのブログを読んでいるのだろうか?

それとも私の人生の終了と同時に全て消えてしまうのか。

それぞれ別の基本フォーマットの中で生きているが、こうした情報等は共有できる仕組みがあったりするのかもしれない。

今日はスマホの環境でうまく動作してくれなくて1時間位久しぶりにイライラしてしまった。その結果直後に重体に巻き込まれ、ここ数年でそんな渋滞などしたことの無い場所であったため、これはイライラを引き寄せたな、と感じ、心を静かに収めてみた。その後もしばらくは、このタイミングかよ、という信号のひっかかりから、道を間違えたら迷路に迷い込み、結局元の場所に戻ってきたりとイライラする状況が続いてしまった。

早めに気が付いて心を静めた為に、それ以上イライラに襲われる事は無かったwww

この世界で出会う人、縁の繋がる人、こうした人達は同じ基本フォーマット上にいて同じ時間軸を体験しているのだろうか。

それぞれ別のフォーマット上にいながら、時折出会ったり縁が繋がったりとそれぞれのプログラムが交錯したりするのか。

この「全て」がという全ての意味を自分自身でこれまで勝手に範囲決めしてきた為に、矛盾が発生し、迷宮の館から出る事が出来なかった。

全てが想念の中にある、とするとこれまで悩んできた矛盾は全て無くなり不思議であると思っていた事も当然の事になる。

一番の問題点であった「何の為」という答えもここにある。

人工知能のプログラムをどれだけ高度に人間が作り上げても、人間の事を表面上しか理解できない人口知能と同じで、プログラム上の自分自身も元となる「意思」を理解する事は出来ないであろう。

想念の世界をイメージするにはその元となるデータが無い。

概念を持っていないので予想すら出来ないのだ。

もしかしたら基本フォーマットと言っているこの仕組みはそれぞれの意思が使い個別の世界を作り出してはいるものの、共通で利用している部分もあるかもしれない。

その共用部分がネットであったりして、他の世界にいる意思の主役もこのブログを必要な場合読んでいるかもしれない。

そう考えると、自分一人では無いという感覚が出てきて少し楽しくなる。

ここまで書いてきた考えも、人間の現実社会的に実証する事は不可能である。

しかし私自身がこれまで体験したり聞いたりしてきた事の総決算である事は間違いない事なので、私の答えとしてはこれで正しいのだ。

他のフォーマット上にいる人にとっては違うかもしれない。

似てはいるが違うかもしれないし、その人の意思が描いたストーリー上邪魔であればこのブログには出会う事は無いであろうが、必要であれば多少違っても参考程度に読まれるかもしれない。

ここまでの道のりは大変長かった。

探し求めてきた答えが見つかったという安堵感。

勿論これを読まれている方で、違和感を感じている人はいると思う。
その人なりの正解があるはずなので、気になればそれを探して頂きたい。

今後このブログを更新するかどうかはまだ決めてはいない。

過去にも答えに辿り着いたと思い、一度は更新を終了した事も有る為、今後またという事が無いとも言い切れないというのが正直な所。

当面はこの辿り着いた答えをベースに視点を決めて社会を見て実感して楽しんでみようと思う。

これにて第二部の終了

長い事皆さまお付き合いいただきありがとうございました。

しばらくは他愛のない事でも書くかもしれませんが、また遊んでください。

では(^^)/

四季




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(00:13)

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この記事へのコメント

1. Posted by 無人くん   2016年07月17日 21:13
こんにちは

いきなり2部終了なんですねw
ご苦労様でした。

>全ての出来事、全ての世界は、全て「想念」の中にだけ存在する。

意識という視点で見た場合、そこに帰結するでしょう

ひとつ疑問なのは、「現実世界」でドラマを演じるにしても、元ネタはどこから来るの?ってことです。
「想念」は外部からの刺激に意識が反応して生み出されるものですよね。
意識のみの世界では、ネタをひねり出せるような刺激はないように思います。
つまり、刺激のないところに「想念」は存在し得ないということですね。

私は元ネタも「現実世界」で探しているのではないかと考えています。
あるいはそのために「現実世界」が作られたといえなくもないかなと・・・

例えば、ワザと不確定な因子をいれて予想しえない結果を出すようにしているのではないでしょうかね
そこからネタをさがして、それを元にドラマを作る・・・その繰り返しかなとも思えます。

まあ、簡単に解明できる世界ではないですね

四季さんのやり方で気長に続けるのがよいと思います
継続は力なりといいますしね

第3部、期待してますよw
2. Posted by 四季(管理人)   2016年07月18日 11:54
無人くん コメントありがとうございます

いきなりイメージがまとまったのでいきなり終了ですw

元ネタに関してもおっしゃる通り不確定因子の投入でしょうね。

意思と想念という言葉を選択したのも今の所私にはこれ位しか選択肢が無かったと言う事です。

そして勝手に意思と想念という言葉に定義づけを行いましたw

本当に説明が難しいです。。。

今後はこの想念の世界について補足があれば追加していくかもしれません。

第三部が今後あるかはまだ不確定ですが

今後もよろしくお願いします。

3. Posted by 出之   2016年07月19日 05:47
お早うございます。

昨日は久しぶりにアニメ、前から気になっていた「魔法少女まどか・マギカ」劇場版三部作を一気観していました。
近所のゲオでレンタルしたのですが驚いたのは、セルフサービスが開始されていまして、結局人件費なのねー、という。
それを早朝先ほど返却して来たのですが、道すがらに通る墓所に真新しい卒塔婆が幾つか目に付き、死者の園にも世俗の経済活動が循環しているなあなどと。

貴殿に私は、私に貴殿は幻想の存在かもしれませんが、各人にとっては自身のみが真実でありその交歓が世界の姿であるのだと私は、思います。

貴方はいる、私も、います。
4. Posted by 四季(管理人)   2016年07月19日 22:40
出之さん コメントありがとうございます

そうですね、確かに私もあなたもいますね。
その通りだと思います。
そう信じて疑えないこの状況は見事だと思います。
自分自身の価値観、判断基準、常識的思考、知識等全て打ち破りあらゆる可能性を考えていますが、今現在これ以上の到達地点は見つかりません。
いくつか細かな所で悩む部分はありますが、大枠ではスッキリしています。
時間が経過すればするほど自分自身の思考が透明度を増している事に快感を覚えていますw
5. Posted by 出之   2016年07月20日 15:11
四季様。

大我の分裂でありつまり想念という幻想に過ぎない、
のは、同意する処です。
世界とは壮大なる自問自答の場である、環境である、
想念がそれを必要とした、
それが結論ですね。
6. Posted by 四季(管理人)   2016年07月20日 17:38
出之さん コメントありがとうございます

大我の分裂、その通りですね。

物理世界の法則にどっぷり浸かった人間の思考で思い付く所
反発と吸着、これが始まりで陽子&電子の世界が構築され、そこから様々な組み合わせで多様な分子構造が展開し、その組み合わせから様々な性質、特性を持つようになり、その結果「意思」があるように思います。

画面の中でマリオが次々と敵を倒し、難関を乗り越えていく様は、実は人間が操作していた。。。という事をマリオは知りません。

「あなたを動かしているのは私ですよ」といくら画面に語りかけても世界が違うのでその声は届く事はないのです。

この現実社会と我々が感じている世界を作り出した何かは、我々からは到底理解できたりするものでは無いと理解しておくのが一番無理が無いのでしょうね。

その「何か」がどのような意図でいるのか、とても興味があります。
何とか我々キャラクターのレベルからでも理解できないか、コンタクト出来ないか、つい考えてしまいますw

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