2016年02月14日

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猫後姿

スピリチュアルの世界は本当に幅が広く歴史も長い。全てを網羅して知る事はなかなか難しいのであろうし言われている事が真実なのかどうかも判断が難しい。更に真実とは?という定義にもスピリチュアルの世界は疑問を投げかけている。

こんなスピリチュアルの世界は人間が生きている社会には直接関係ないと思えば関係ない。
間接的に関係があると思えばあるのかもしれない。

偶然とは思えないようなドラマティックな展開に「神様のおかげ」と思えばそうかもしれない。また最悪な展開が次々と連なり、悲劇な状態になってしまうのも「神様の試練」と思えば試練かもしれない。

しかし後にその試練があったから事今の幸せに辿り着けたという展開に「神様に感謝」という180度方向転換が有るかもしれない。

インターネットや情報網が今ほど進化していない頃は人々の話題はご近所のお話が中心であり、テレビが普及して流れてくるニュースも遠い世界の話で、庶民の生活には直接大きくかかわる事も無かったからどこか他人事であった。

今は地球が狭くなったと言われるように、遠く離れた国でイランとサウジが対立するとホルムズ海峡を日本のタンカーが通れなくなると国家存立の危機となり、自衛隊が集団的自衛権を行使する事態になるとか。。。

戦争がとても身近になってきている。

神様の世界があるとして、人間の生活に関わってきてるとして、何の為かという理由は未だまるで皆目見当がつかないが、そんな神様の人間社会への介入があるとして考えてみよう。

事故が起きて人が命を落とす。または奇跡的に助かる。この分かれ道は果たして神様の采配か?

いや、人間は生まれる前に自分で自分の寿命も決めてくる。こうした話もある。ではもし寿命を決めてきたというのであれば、救命救急で救われる事も寿命のスケジュールに組み込んで考えているのか?

こうなると他人を自分の寿命のスケジュールに組み込んだ事により他人の人生とも予定がガッチリかみ合う必要が出てくる。するとそこからは様々な人間の人生ドラマ全てが連動しているという考え方も出てくる。果たしてそうなのか?

では他人のスケジュールとは連動しない、とした場合はどうか?寿命は自分自身で決めてきたというのであれば救命救急はあまり意味のない事になるのでは?決まった寿命に対して何とかしようと他人が手を出しても大きなお世話ではないだろうか。

おおざっぱに寿命を決めてきて、予定外の事故や病気になった時救命ドクターが助けてくれる、それでも予定通り寿命が決まっていればドクターでも及ばないといったところか。

ケースバイケースの様々な状況でそれぞれの心を落ち着かせるために都合よく解釈しているに過ぎないという見方も出来るであろう。

自分の心に素直に生きる事が出来る。こう書くと素晴らしいように見えてしまう。その心に「略奪」や「暴力」「悪意」とかを持っている人間もいるという事は社会を見ればすぐわかるように、性善説で考えては本質が見えてこない。

動物世界では弱肉強食で自分が他の動物の栄養源として食べられてしまうという危険と常に隣り合わせであるが、言語で知識を継承するという事を動物の世界では行われていないと思われている。しかし本能的に危険を察知し逃げるという行動を取り、多様な種が食物連鎖の輪を形成している。

人間の社会では知識を勉強し貯えておかないと平気で騙されるし殺される。情報通信が発達したおかげで社会は更に複雑化し、国家が自国民さえ騙すという状況になってきた。

人間同士が殺しあう状況が戦争、これはビックビジネス。金儲けである。判明している人類の過去の歴史を見ても、常にどこかで戦いが起きており、常に人は殺しあってきた。今ではその殺し合いの状況を金儲けの手段にしている。

自分は殺されたくないと思いつつ他人を殺さないと金儲けが出来ない。なんとも不愉快な社会ではないだろうか。そして社会を見てみると、老人からお金をだまし取る連中がうじゃうじゃいたりもする。

悪い状況は書ききれないほどあるが、スピリチュアルマスター達はこんな状況は「学び」の場として絶好な場であるとか言っていたりする。

こんなひどい社会でも他人の事を考え、人の為になる事をとか、そうして魂を磨くと言うのだ。

磨くという事は削る事、研磨という作業でも荒削りから順番に目が細かくなり最終仕上げでもコンパウンドで削るのだ。これが磨くという事であり、魂を磨くには悲惨な状況というコンパウンドが必要と言いたいようである。

磨く目的は?

どうしてもここに行ってしまうのだが、何のために自分の魂を磨く?自己満足の為?
自分の魂が磨かれて素晴らしくなったので、他の磨かれていない魂と差をつけたい?

ではコンパウンド役として汚れ仕事をしている魂は最終的にはゴミ?

強化合宿所(人間社会)の鬼教官が敢えて厳しくしているのがコンパウンド役という事か?

すると、人間社会で非人道的な行為や詐欺、とかひどい事をしている人たちの魂は本当は光り輝いているという事?

魂を磨く為という言葉も色あせる。

昨日よりも今日、そして今日よりも明日はより良くしたいと誰もが思い仕事をしたりしている。
太平洋戦争でひどい状況になった日本で道端の草を食べていた時代からは良くなったとは思うが、それも一時的で、今では頑張って学校を卒業したり資格を取得しても仕事が無くアルバイトで食いつなぐ中年も数多い状況。お金を稼ぐことが難しくなってしまい日本だけで見ても貧困と言う言葉が飛び交う状況だ。

状況は悪くなっているように見える。
そしてその貧困を解消するためにビックビジネス(戦争)に歩を進めようとする政府。そしてお金を得るために人を殺す事をしなくてはならない、または兵器を作ったりしてその手伝いをしてお金を得る。

やはり歴史は繰り返している。
技術的には進歩しても人間としての本質に変化はない。

自分が今生活している環境だけを見て判断基準を持つこともいいだろう。
職場だけの人間関係、生活水準、家族の環境等で見える範囲だけの事を見て生きる。
人によって見える範囲、見たい範囲は違うだろうが、そこへスピリチュアルの思考が入り込むと見えている範囲だけでも相当な混乱が生じる事は確かである。

今まで当たり前であると思っていた事、それが実は神様の仕業だと思い始めたら見えていた事と思っていた景色がまるで違う世界に見えてくるだろう。

社会の混乱も神様の仕業、殺人で家族を奪われた事も神様の仕業、津波にさらわれた、詐欺で全財産を奪われた、会社をクビになった、彼女に振られた、妻が寝たきりになった、親の介護で追いつめられた、いくらでもある。

では自分で決めてきた人生の出来事だと考えたら?
子供が誘拐され殺された、生涯かけて築き上げてきた会社を乗っ取られて追い出された、自分の子供だと思って何十年も育ててきたが実は不倫相手の子供だった、事故で車いす生活になってしまった、悲惨な状況は無数にある。その結果素晴らしいと称賛される展開になって脚光を浴びる人もいるが、それはほんのわずかな人だけで大多数は悲惨なまま人生を終えていく。

そんな人生をどうして自分で計画した?
何が目的でそんな人生にしようと思ったのか?
そんなに悲しい事を体験したかった?
魂とはそんなに悲惨な経験を望むのか?

そんな悲惨な社会の中でほんの一握りの人間たちは人生を謳歌している。

これらは各種魂が持ち回りで「今回俺は悲惨な人生な」とか「やった〜今回はセレブ!」だとかやっているのか。神様世界も勢力争いで忙しいと言う話もある。神界で勢力争いをやっているのであれば人間界だけが持ち回りで役をやっているというのも変な話だ。

多分違うだろう。

人間社会も勢力争いで、勝ち組負け組と別れているのだろう。
そんな中で魂を磨くとか愛だとか光の世界だとかというのは単に「そうであって欲しい」という願望だけなのではないだろうか。

では負け組は何か逆転する手段は無いのだろうか?
「ザ・シークレット」とか引き寄せの法則が強力な武器になる事は出来るのだろうか?
物理的な世界で物理的に劣勢状態が続いたが、精神世界の法則、パワーを活用して形勢逆転が出来ないであろうか?

そう考える人もブログを見ていると数多くいるように思うし、結果を出している人も結構いるように見えるが、実際ブログ記事だけでは確認のしようがないため、文脈や前後のブログ等から判断するしかないのが現状だ。

私自身もそう考え、精神世界を活用できるかと考えている。
勿論、宗教団体のような変な事を始めるつもりはない。

高額なセミナーとか講習会とかあるが、何か違うと感じている。
これも新しい世界への移行期間なのだから仕方がないのかもしれない。

それにしても今の社会の現状では行き詰まり、閉塞感の充満が物凄いのでいよいよ何かの変化が始まるのであろうと日々感じている。

その変化も神様主導ではなく人類の想念がそうした流れを作り出していると考える。
ここ最近本当に思う事は、スピリチュアルの話に振り回されすぎてはつまらないだろうと。

分からない世界、不思議な世界に興味は湧くが、まだ事実として確認されたわけでもなく証明された世界でもない。主軸を霊界に持っていかずに人間としての自分自身に主軸を置くことをお勧めする。

本日も長い事読んでいただきありがとう。
お疲れ様でした(^^)


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(18:04)

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この記事へのコメント

1. Posted by 無人くん   2016年02月15日 12:51
>物理的な世界で物理的に劣勢状態が続いたが、精神世界の法則、パワーを活用して形勢逆転が出来ないであろうか?

何か具体的なアイディアがあります?

2. Posted by 四季(管理人)   2016年02月16日 11:32
まだ構想段階なので秘密です(^^)
3. Posted by 無人くん   2016年02月17日 12:02
>主軸を霊界に持っていかずに人間としての自分自身に主軸を置くことをお勧めする。

「自分自身に主軸を置く」というのは人によって認識が異なると思いますが、四季さんはどのように定義しますか?

4. Posted by 四季(管理人)   2016年02月17日 14:58
無人くん コメントありがとうございます

そうですね、何か奇跡的な事が有ったりした時、神様に感謝だとか事の原因を霊界に持って行かない感じとでも言いましょうか、精神的に頼るのをやめると言ったイメージです。

嬉しい時には感謝しやすいので良いのですが、悲惨な時の拠り所で迷子になってしまった時手におえません。

霊界は有りそうだと思えますが、人間的な感覚で捉えるとどうも様子が違う様なので、結果現在でも解釈がバラバラなままです。

こういった状況で心の拠り所に据えるのは選択のミスに繋がる可能性が高くなりかえって状況を悪化させかねません。

なので、神頼みでなく全ての決定の基準点を自分に置き、判断する事が良いのでは?という感じです、

5. Posted by 無人くん   2016年02月18日 17:29
自分を基準に置くというのは妥当な考えだと思います。

しかし、自分を基準に置くにしても不安がつきまといますよね
本当に正しいのか?
自分の考えに基づいているのか?
知らないうちに誰か(神・霊・人)に影響され操作されたのではないか?

そう考えたときに出てくる答えは、
回答1「自分の考えは個性だから無条件に受け入れる」

対極の答えとしては、
回答2「結局、本当の自分など存在しないから何も決断しない」

どちらも間違ってはいないでしょう。

回答1の場合、「自分自身の考え」と信じ込まされて
末端の神や霊の先兵としてこの世界で戦わされるリスクもあるので避けたいですし、
回答2を受け入れられる人は、おそらくこの世界に積極的に関与できないでしょう

私は中間を取ることにしています。
つまり、自分を否定せず出来るだけ「純粋な自分の考え」だけを探求することです


6. Posted by 無人くん   2016年02月18日 17:30
続きです

そのためには、思考の取捨選択が必要になります。
具体的には、
【情報の取捨選択】
思考の元になるのは情報です。
余分な情報は排除、必要な情報なら誤解なきよう徹底的に調べる・・・
TV,新聞等のマスメディアの情報は信用しない方がいいでしょう

【刷り込みの排除】
受けた情報により感情が左右されたり、今までにない考えが浮かんだら、
他の存在からの介入を疑ってみる。チャネリングはここに入るかも

【思考の身辺調査】
既存の考えについても何処から出てきたものなのか
ソースを全て洗い出し、外部からの影響なら排除する

【カルマの洗い出し】
ソースは見つからないけれどもパターン化している考えがあれば、
それはカルマの可能性が大です。
排除するしないはケースバイケースですね。

これら余分な考えを排除したものが「純粋な自分の考え」ということになります。
「純粋な自分の考え」=「ハイアーセルフの願望」なのかも知れません。
常日頃から自分自身の思考を疑え!・・・ということです。

「純粋な自分の考え」に従って行動を起こして、失敗や後悔したことは今のところありません
少なくとも誰かに騙されるということは無くなると思いますよ


7. Posted by 四季(管理人)   2016年02月18日 17:43
無人くん コメントありがとうございます

その通りだと思います。
自分の思考を信じ、怪しまれるふと思い浮かぶ考えなどを自分の判断基準で精査し決定する。

知識の蓄積は人それぞれレベルが違う為、単純に区分けする事は難しいでしょう。

もしかしたら今回私が決定した霊界の思考を完全排除するという方針は、蓄積した知識が潜在意識で行っている為、自然と配慮した思考になっている事も考えられます。

この私の方針で今後進んだ場合、また不具合が出たりして分析熟慮を繰り返し、新たな方針が出来るかもしれません。

しかし今回決定したという事により自分の思考に「芯」が確立されたという事も有る為、今後もこの芯となる基準点を元に世界を見る事が出来るようになります。

その上で、もし騙されたら。。。

「あはっ!やられたぁ〜 あっぱれ」

位の感じで笑い飛ばすことも可能かと(笑)

これまで全方位に神経を尖らせ、緊張した中で探索していた事に気づいたので、中央にドカンと芯を据え周囲は脱力系でゆるく柔軟に行こうと思っています。

そんな感じで今後ブログの内容もゆるくなるかもです(笑)

では(^^)また!
8. Posted by 万年素人   2016年02月25日 08:58
>どうしてもここに行ってしまうのだが、何のために自分の魂を磨く?

これはもう、欲求でしょうね〜 笑
磨きたい欲求でしょう。全てを満たされた・・と、意識したときには次にこれをしたくなるのかもしれません。
何のために食事をするの?の問いに近いかもしれません。
魂を磨くと気持ちがいい・・・が理由でしょうね 笑
9. Posted by 四季(管理人)   2016年02月25日 15:52
万年さん コメントありがとうございます

なるほど、そうかもしれませんね > 欲求

こればかりは理由の説明も出来ませんね。
なんか納得です(笑

筋トレで疲労する快感はその欲求がある人でないとできないし。
とにかく走りたい人に説明も後付だったり。
山中に籠って生涯修行だ!と言っている人を止める事も出来ない。
魂を磨くという事も特別な事では無く、その人特有の欲求なのでしょうね。
10. Posted by 出之   2016年07月02日 15:51
>遠く離れた国でイランとサウジが対立するとホルムズ海峡を日本のタンカーが通れなくなると国家存立の危機となり、自衛隊が集団的自衛権を行使

すみませんこれは錯誤です。

改正憲法にすら先制攻撃とか唄ってません。
外国から日本に対し宣戦布告を受けたばあい、
現行憲法ではそのまま降伏するしかありませんが、
(9条2項 国の交戦権は、これを認めない。)
防衛戦争くらいしようよ、というのが改正の趣旨です。
自国を助けてくれる友邦と力を合わせて国を守ろうよというのが(日本でいう)集団的自衛権です。
因みに日米安全保障条約は攻守同盟ではない米国の日本防衛片務規約ですので米国の戦争に巻き込まれるというのも悪質なデマです。

失礼ながら、精妙な精神世界に言及する一方こうした齟齬は不用意です。知らなければ言及しない事です。
11. Posted by 出之   2016年07月02日 15:56
スピ視点でしたら、

イエスが示した自己犠牲という愛の至上を、

民族で示すのが日本のお役目だ
(それが9条だ)

という事でしょうか。

日本仏教の原型が景教つまりキリスト教、
(空海 景教)
という巡りからも整合性はありますが。
12. Posted by 四季(管理人)   2016年07月03日 14:23
出之さん コメントありがとうございます

錯誤とのご指摘について
これは正しいと主張する人がいる一方、錯誤であるとの対立主張があります
このブログは霊の世界も霊を感じる、見る、会話できると主張する人の話を総合的に探っています。
問題のホルムズ海峡の部分も、全体の文脈の中で重要なポイントではありません。

このブログの霊的表現自体、全て錯誤であると主張する人もいます。
議論が好きな方は政治の話などになると白熱してしまいますが、このブログは議論が目的では無いので、本文中の一部が錯誤であると指摘されても、「そうですか」としか言いようがありません。

まあ、これで私の思考の評価を落とし、興味を無くされてもこのブログ、金儲けや客集めで行ってるわけではありませんので、貴殿の思うままでよろしいかと思います。
13. Posted by 出之   2016年07月05日 11:47
>失礼ながら、精妙な精神世界に言及する一方こうした齟齬は不用意です。知らなければ言及しない事です。

すみません明らかな暴言でした、お詫びして取り下げさせて下さい。
14. Posted by 出之   2016年07月05日 12:10
議論好きと申しますか。

先の311の事態で危機に直面して平常な日本国民の模様が世界から驚嘆されましたが、店頭から物が消える、最長1月なら我慢のしようもありましょうが1年以上続いたらどうなのでしょうね。
ホルムズの様な遠方でもなくフィリピン近海で共産中国が武力発動の機会を窺っている旨報道がありますね。
他国が武力行使を以て権益を主張しても日本はこれに応じないとの理念ですが、通商路を閉ざされ国内に餓死者が溢れる状況になってもその矜持を維持出来るものでしょうか。日本人は粛々とその宿命を受け入れ滅亡していくものでしょうか。これからの日本国民の選択と姿勢は興味深いですね。

それが、「この世は幻想である」という多くの目覚めの端緒となるとよい、その役目を担わされている、とすると、今後はより慎重な人生が求められのでしょうか。貴殿、貴所のような存在はその灯であるようです。
15. Posted by 四季(管理人)   2016年07月06日 00:02
出之さん コメントありがとうございます

あまり気になさらないでくださいませ
現象界というか人間界の人が決めたルール等で議論しても虚しいだけと感じている変人ですからw

この世は幻想である、と突き詰めていくと今の私がそうですが無気力という表現位しか適当な言葉が見つかりませんが、心に波風が立ちにくい、それでいて激しい感情を体験していた頃の感覚だけは残っているので、極端な発想になりがちとか表現が難しい状態です
そんな人ばかりではないとは思いますが、幻想の世界を頭で理解するのでなく感覚で感じるという矛盾の中で彷徨うようになってしまうかもしれません。

まだ私も答えに辿り着いたとは思っていないので、今後どのような変化が起こるのか、自ら興すのか分かりませんがそんな状態です

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