2016年01月25日

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「神」という呼び方と一般的な神の概念にずれがあるのでは?と前回は書いてみた。
人間界とは別の世界(非物質世界)があるとして、そこに意思を持った何かの事を霊界と呼んでいるのが一般的だと思う。

その霊界の中で神とそれ以外の霊がいるというイメージなのだろう。
先日拝見させていただいたサイトにも神の世界も結構忙しいという書かれ方をしていた。
また別のサイトでは神聖な存在、神々しいと言った崇める存在という表現も多い。

日本神界という言葉も普通にあちこちで書かれているように、神の世界も国境がありそれぞれ性格が違っているという表現も多い。そして神の世界でも勢力争いがあり、混乱も多くあるような表現も結構見かける。

実態を持たない霊界の住人達は、人間が発する感情エネルギーを食べているという表現もある。これは卵とニワトリの話に行き着いてしまうのでデリケートな話だ。

「食べる」という行為について、地球上では食物連鎖があり、循環している。その始まりも地上の有機成分であったり空気中の酸素であったり。太古の昔は地上に酸素は無く、途中から出現した成分の為に酸素は毒という生命も有ったようだが、今では酸素を必要とする生物も多い。

つまり地上の成分が集まって生命体を構成し、それらが他の生命体を「食べる」事により必要な養分を取得、そして生命を繋ぎ「食物連鎖」が起こっている。

実態を持たないとされる霊が人間の感情エネルギーを「食べる」という事は、地上の酸素と同様に途中から食べるようになったと解釈すればよいのか?霊界も最初は食物連鎖的な事は無かったのか?

人間が科学的に知らない未知のエネルギーの様な集合体が霊では?と考えられているが、それらが何かしらの社会とでも言うか集合体とでも言うか難しいが集まりになり、物理的な生命体が発生したらそこから得られる「感情エネルギー」がうまかったのか(笑)

霊の世界、神様の世界も色々な特性や思考パターンの違いから争いのような事が起こっていてそれぞれが希望する方向へ動いた結果、人間社会へも似たような勢力争いの構図が表現されている、といった表現が多いように感じる。

そして肝心なのがここからだ。
そんな勢力争いをしながら時には人間の魂や感情エネルギーを食べる存在達は、なぜ人間に「守護霊」としてつくのか?

「守護」と言う表現はなぜついたのだろうか?なぜ人間を守るといった表現になったのだろう。過去にそう思われるような事が数多くあったからそう思ったのか、昔の支配者が人々を支配しやすいよう宗教を利用したという話もよく聞かれるが、支配しやすいようにそう思わせたのか?

とある霊能者は「守護霊は厳しい」とも言う。これは人間が成長する為に必要な試練を与える事が守護霊の使命だからとか自分で決めた人生の予定実現を助けるために敢えて事故に巻き込まれるよう仕組んだり病気にさせたりすると。

人間社会は神の世界の反映という人もいる。そう考えると我々人間社会は神様ごっこをやっているようなイメージなのだろうか。崇高な精神と潔白な行いで神々しい神を表現する人間もいれば、破壊神の反映で社会的には問題だと言われる行動を起こすテロリストとか。

極端な例ではなくとも身近にいる「人の嫌がる事が好き」な人や、「隙を見ては人の物を盗む輩」はたまた「性的欲求を貪る輩」どこぞの掲示板を見ると「困った」という書き込みの何と多い事か。

そんな困った人達にもほぼもれなく守護霊がついていると言う。「他人を困らせるのが好き」な守護霊?「他人の物を盗むのが好き」な守護霊?本人が困った欲求を持っているのを更生させようと試練ばかり与える守護霊?ただ単に人間が困ったり喜んだりした時に発生する感情エネルギーを食べたくて人間のそばにいるだけ?

神の世界が統一見解で動いていないとして、その反映が人間社会だとしたら、神の能力とはどの程度人間社会に影響を及ぼすのか?神と守護霊の関係は?人間本人の意思もあるだろう。人間本人の意思より守護霊の力の方が強いか、それ以上に神の影響力の方が強いのか?

そもそもなぜ霊が輪廻転生で人間社会へ何度も転生してくるのだろう。そのサイクルに守護霊がついて回り、神のお告げで振り回されるのか?人間とは一体何のために存在するのか?と疑問が疑問につながり矛盾と混乱は激しくなるばかりである。

「○○の為」という目的がはっきりしない。多くの人は平和を望むが争いは無くならない。

こう疑問と矛盾が混迷してくると、そもそも「意思」とは?という究極の疑問に到達してしまう。

宗教も霊能者もチャネラーも何もかも言っている事は、一部正解なのかもしれない。

それが全てという統一見解にもなる事は今の所出来ない。

それでは原点に戻ってみよう。

自分自身はどう考えるか?

見えない世界、ややこしい世界の事はわからない。では個人的に幸福感を得る事が出来ればひとまずそれで良いのではなかろうか?

その為に、特定の宗教や霊能者、チャネラーの言葉に振り回されるのではなく、自分の直感とでも言うか感性で感じるように生きればよいのだろう。

何も霊界の知識を持たずに自分の直感で決めると言うのはまず出来ない。
だからとりあえず世の中には色々な「説」があるというある程度の知識は必要であろう。

特定の考え方だけに絞り込んでそれを信じ込んでしまうというのがよろしくない。

なんでかんで神様だから。。。という必要も無いだろう。
何せ一般的にはコンタクト出来ない相手なのだから。
医者と同じでセカンドオピニオンも必要という事だ。

こうしてブログで神についての威厳を落とすような記事を書いて一般に広げた場合、神罰が下るというのであれば見てみたい。一般社会の政治の世界でもどこか特定の党を批判すると、あらゆる方法を使って反撃してくる事もある。しかし反対に、その批判のおかげで脚光を浴びる党もあったりするが、その場合ご褒美をもらえるような事も無い。

神の世界も様々な勢力が存在して、批判されたからと言って攻撃してくるような存在であるならば、大勢に影響のない神なのであろう、と推測も出来る。どれだけ国民が反対しても増税はするわ戦争できる法案を作るわと国民の意に反する事をやり続ける政治家は神の世界の反映という事だとしたら、ブログで神の威厳を落とす記事程度ではスルーされるのが落ち程度だ。

何せコンタクトが取れない相手という事で、反応が無いから全くわからないのだから(笑

神とコンタクトを取って情報を事前に受け取れる人が増えていると言う。そして自然災害も神の計画だと言う話もある。それなら、そろそろ神とコンタクトが取れる人に正確な情報を一斉に伝えて、その通り自然災害を発生させ、神の存在をアピールして頂きたい。

人間社会の混乱は神の世界の混乱の反映だとすればの話だが。。。


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(13:54)

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この記事へのコメント

1. Posted by 無人くん   2016年01月26日 19:30
こんにちわ

>そんな勢力争いをしながら時には人間の魂や感情エネルギーを食べる存在達は、なぜ人間に「守護霊」としてつくのか?

お目付役でしょうね
高次元にアクセス出来なくなった人間の知性が暴走しないように
マンツーマンで付くようにしたのではないかと思います
「次元上昇」により人間の能力が復元されれば
「守護霊」の役割は変わるのではないでしょうか

「守護霊」がいたとしても判断するのは人間です
テロリストが具体的な行動を起こすのは個人の決断によるものでしょう
憑依されていれば別ですが・・・

>「○○の為」という目的がはっきりしない。多くの人は平和を望むが争いは無くならない。

人間はエネルギー供給源であると仮定するなら、
エネルギーは常に活性化する必要があります。
平和というのは安定であり、エネルギー的には変化がなく停滞を意味します
エネルギーを受けている存在からすると全然嬉しくありませんよねw

この世界が競争社会なのはそういう理由だと思います。
常に進化しなければ滅びる・・・というのが自然の摂理でもありますし
我々はブラックな世界に生きているんですよw
2. Posted by 無人くん   2016年01月26日 19:32
続きです

>見えない世界、ややこしい世界の事はわからない。では個人的に幸福感を得る事が出来ればひとまずそれで良いのではなかろうか?

その通りだと思います
加えるなら、目先の幸福に囚われないことですかね
結局それは幻であり、固執することは不幸の始まりでしかないですから

重要なのは節目ごとに「流れ」を読み、進む方向を決めることでしょうね
流れに反するより乗っていく方がはるかに楽です

そのためには「思考」と「感情」をうまく使いこなす必要があると思います
私の場合は、新しいアイディアを生み出すときは「感情」を、
物事を決断するときは「思考」をフル回転するようにしています。

「感情」で物事を決断すると大抵失敗しますね
マスメディアなどは目的を曖昧にするために感情に訴えることで洗脳しますし・・・
怒り・憐れみ・自尊心をくすぐる等でアピールしてきたら気をつけるべきでしょう

3. Posted by 四季(管理人)   2016年01月26日 23:42
無人くんコメントありがとうございます

人間、守護霊、神、それぞれの力関係が気になりますね。

神から役割を託されたのか命令されたのかわかりませんが、何か役割を言いつけられたとしたら、とまずこうした考えが色々出てきますが、必ずわからないのが目的です。

なぜ?

どの話も目的が不明瞭な為に目的が見えてこないのですよね。

このブログも掘り進んでいくうちに目的が2つに絞れてきました。

最初は不思議世界の解明と世で言われている矛盾の解決でした。

現在は、完全解明は人間のレベルでは無理であろうと思えてきたために、それならある程度目的を探り、それによって人間界で起こる現象を理解する事。

そうする事により見当違いの努力や間違えた信仰から来る争い等の回避が出来るであろうと。

そしてその事によりこのブログを読んだ人が、自身の悩みの根源を理解し、適切な解決方法に自分で辿り着けるであろうと。

そんな合理的な事を考えては見たものの、間違えた選択から発生した苦労や失敗、事故等が次へ繋がるという「必要な失敗」という部分に影響があるのでは?

と考えると、精神世界を解明してもそれは意味のない事?とここでも自己矛盾に繋がっていきます。

そしてこのブログを続ける意味も着地点を見失うというこれまた大変な状態にもなりました。

困りましたね〜

無限ループです。

車を購入するときも、購入するまでが楽しいのであって、納車されると楽しみは無くなります。

精神世界も巧妙に出来上がっている謎の世界、ここがどうなっているのか探っている冒険状態が楽しいのではないのか?という自問自答がグルグル回っています。

しかし脇道にそれようとも知らない世界を解明したいという欲求は消えないし、「知ってはいけない事」とは知ってからでないと判断も出来ません。

人間というレベルで探れる処までが限界という事でしょうかね。
4. Posted by 無人くん   2016年01月27日 13:11
>必ずわからないのが目的です。

そうですねえw
集合意識として見た場合、自己保存が根底にあって活動しているのでしょうが、
守護霊のレベルでは我々の世界と同じようにそれぞれの利害で活動していると思いますね
個々のレベルではランダムに活動しているようで、全体から見ると1つの流れに沿っているのではないでしょうか。
木を見るより、森を見た方が分かり易いかも知れません

>車を購入するときも、購入するまでが楽しいのであって、納車されると楽しみは無くなります。

車を購入すれば、こんどは使う楽しみが出てきますよね
私は、ある時期から夢を観察するようにして、精神世界の仕組みを検証するようにしています。
夢を見るだけなら霊能者でなくても非物質世界をアクセスできますし、
得られるものは大きいです。
謎も増えますけどねw

5. Posted by 四季(管理人)   2016年01月27日 17:36
無人くん コメントありがとうございます

集合意識としての目的、もしかして人間レベルでの感性では捉えきれない感覚かもしれないという見方も出来ますね。
この視点、ほんの少し立ち位置が変わるだけで人間レベルでは正反対の考え方になる可能性も出てくるだろうし、争いに勝つという目的で発生する感情を得たいとしたら争う相手が必要だし、生還した喜びをと考えれば災害で命を落とす人も必要という考え方になってしまう。
範囲が広大すぎてエキストラの一人としての物語が終わった時、初めて全体の意味が少し理解できる「かも」しれないレベルですかね。

夢の観察は本当に面白いですね。
私も夢というか覚醒と睡眠の中間地点で見られる不思議な世界は、次はどんな世界が見られるのかと楽しみにしている所です。
不可解な事の方が多いですけど(笑
6. Posted by 万年素人   2016年01月28日 23:18
神=崇高な存在 とするならば、崇高な存在ほど、自我が薄くなっていくはずですので、神をけなしても、攻撃されないと思います 笑
自我がなければ、成り行きまかせ。常に微笑んでいるだけしょうね 笑
守護霊は自我があるので、人間に近い存在だと思います。
自我が強い=人の心を動かす力が弱い となるかもしれません。
7. Posted by 色即是空5    2016年02月01日 02:15
どもども四季さん♪
ちゃんと観てますよ〜(笑)

自分がどうも解せない話を1つ

この世は魂を修行する場所で、輪廻転生を繰り返し、大いなる魂になることが終着駅、というのが共通項ですよね

自分がよく壁にぶち当たるのはこうです

大いなる魂になる理由がわからない

いつまで続くの?っと疑問に思えばこう返ってくる『無限に、永遠に』
無限に永遠に魂を磨くのはまず私達レベルでは不可能という、それこそ無限に月日がかかるからと

そんな果てしないことを人間レベルの生き物がやるのか?
しかも終着駅が無い?
無限にだと?

はっきり言って目眩がします

目的も曖昧で達成感すら感じない

そんな悠久の刻をただひたすら真面目に生きることにどんな意味があるのか?

苦しみは長い目でみれば一時だから大したことはないという、ということは幸せも長い目でみれば一時なのだから、この世で好きに生きた者が勝ちのようが気がしてくる

他人に迷惑をかける、罪を犯す、人助けや良いこともする、かたや偽善もしよう、暴飲暴食、ニート、人を騙す、宗教に入り浸り勧誘、挙げ句の果てには殺人やテロ
8. Posted by 色即是空5    2016年02月01日 02:35
でも長い目でみれば一時なのだから、大したことはないのでは?

自分がされて嫌なことはしたくない、そんな考えや性格を持っている人間が世の中に果たしてどの程度いるのか?
ほとんどの人間はただ『捕まりたくないから、刑務所に入りたくないから、ニュースに載りたくないから、友人や家族に知られたくないから』ではないのか?

憎まれっ子世に憚る、悪い奴ほどよく眠る、とはよく言ったもので、自分のことだけ考えて生きた者の方が、現世では得をし、悪いことをしてきたとしても、一時のことだから痛くも痒くもない気がします
更には寿命をまっとうすれば魂の向上まで付いてくる

来世やあの世も含めれば皆平等と言いますが、平等と決まっているなら現世で好き勝手生きた者が勝ち

っと思うんですよね

この『魂の向上は永遠で終わりは無い』に行き着くと、真面目に生きているのが馬鹿らしくなりますね

このモヤモヤややる気の無さはどうすれば解決できるのか(笑)いくら神様が目の前に現れて説明されても変わらない気がします(笑)
9. Posted by 色即是空5    2016年02月01日 02:41
宿命は決まっていて運命は変えられる、だから人生は自分次第!
よく上手く言っている方がいますが、結局宿命は決まっているし、長いスパンでみれば一時のことだし、終わりは無いしで、簡単に言えばRPGですよね?
人生リセットは出来ないと言いますが、いやいやいや!宿命(シナリオ)は決まっていて、魂の向上は永遠で輪廻転生もするんだよ?完全にリセットじゃないか

そんなRPG人生を勇者が如く正義面して生きていって苦痛だらけの人生?
宿命は決まっているんだから、正義面しなくても、初めから正義の勇者は勇者としてどこかに存在しているし、その勇者には最初から勇者としてのシナリオがあるし、無意識に正義をし、無意識にボスを倒す力を手に入れて世界を平和にする

他の者は今世では村人Aだから、もう何をしても努力しても村人Aどまり
そんな村人Aが正直者は馬鹿を見る人生をしている

来世で勇者なら、無意識に勇者の行動力をしていて、勇者の器だろうさ
その時が来るまでは好き勝手生きた者が勝ちなのがこの世の理

ってのが最近の持論ですかね(笑)
10. Posted by 四季(管理人)   2016年02月01日 03:45
色即是空さん コメントありがとうございます

霊界がありその世界のルールのような法則のようなものがあり、輪廻転生して今人間を生きているとすれば、その目的が不明な今の状況で到達する考え方。

ついにそこへ到達しましたね。
ようこそ(笑)

このブログを書く前からずっと考えてきたあらゆる可能性、考え方の終着点がそこなんです。そしてその考え方をためらいも無く実行している人もいればためらう人もいる。この差は一体何だろうか?

つまり霊界のルールや法則、これまで様々語り継がれてきた愛や光の話、単なる夢物語かもしれないという事です。

長い年月をかけて生命体が進化し続けて、まだ発見されていない意識体のような現在は霊や魂と呼ばれている何かはあるが、それらに支配されているわけでは無く、肉体を構成する成分の一つに過ぎないかもしれないという考え方の方がしっくりくる感じなのです。

だから魂の修行とかという話では無く肉体としての意識がその特性上思う事、正義感であったり悪意であったり優しさや非常さ等の差として個々の人の生き方を決めていると考えられます。

悪事を働いても何とも思わない人はその道に走るでしょう。正義感の強い人は阻止する為に働くでしょう。

こうした考え方の場合、肉体の命に執着する可能性も十分あり、魂側に意識が依存しすぎると生命観は軽くなってしまいます。

今現在ではどちらに主眼を置いて考えればいいのかを決定するには時期尚早だと思います。しかしこうした議論を続けながら現実の現象を検証し続けていくうちに正解へ辿り着けると信じています。

決めつける事をせず、冷静に状況を分析し続けるつもりでいます。
現在の寿命では間に合わないかもしれませんが。。。

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