2015年12月07日

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人間死んだらどうなるのか?
霊界はあるのか、それとも無になるのか?

こうした疑問は長年議論されてきて、まだ答えに到達できていない。

霊感があり霊が見えたり会話出来たりする人もいる。
そんな人たちは自身が「見えた」「会話出来た」という確かな
「実感」から確信しているので「霊界はある」「死後の世界はある」と断言している。

一方霊的な経験のない人、個人の考え方にもよるであろうが「そんなものは無い」と断言する人もいる。

科学的にとか量子論で説明したり、人間界の基準で判断しようとしたりと議論は尽きない。

霊能者の様々な話や様子を伺うと、確かに霊界というものはあるかもしれないと思わせる現象も数多くある。

そうした現象が世界中で数多く報告されており、その現象と霊能者が実感した感覚から、霊界の姿や様子を推測していたり、霊から霊界の様子を教えてもらったりしている為に、人間界では霊界の話がとても広く伝わっている。

霊界なんて本当は無い、こう考えてみるとどうか?

人は死んだら終わり、だから生存本能も強く持ち、救急の病院もドクターも一刻を争って命の危険にある人を助けようとする。

やりたい事があり夢を追いかけて必死に頑張る人が何かのきっかけで失敗したり、病気や事故に遭ってしまうと本当に無念の思いは強くなる。だから細心の注意を払いながら事故や病気にならないように気を付ける。

こうした事は人間界では当然の常識であり、これを否定する人はまずいないだろう。

しかしこの人間界の人々の常識に疑問符をつけるような出来事が発生している。

医学的にも死亡。葬儀も終わり火葬していると数百分の一位の確率で、火葬場のバーナーで焼かれている最中に悲鳴を上げて生き返る人がいると言う。火葬場の係りの人はまるこげになった状態で生き返っても助からない為、苦しい心を抑えながら焼き続けるのだという話があった。

アメリカなど土葬で埋葬する習慣のある国で、かなりの数の棺桶を掘り返し、遺体の状態を調査するという事が行われた結果、やはり数百分の一位の確率で、もがいたり棺桶の蓋をかきむしったりして埋葬後に生き返ったとしか考えられないような痕跡が認められたとある。

医学的に死亡。この定義は100%正しいと言えない人体の不思議現象であろう。

人間界の科学技術はまだ完全では無い。
もし完全であれば毎年新しい発見でノーベル賞受賞といった事は無い。

まだ発見されていない現象、発見されてない元素、新しい組み合わせによる新しい物質等発見の旅の途中なのだ。

最近よく言われる「ゾーンに入った」という言葉がある。
何かの試合やコンサート等通常の実力以上の事が本番で出来てしまう状態の事を言っているのだが、私もこのゾーンに入った感覚と言うものを実感した経験があるため、よくわかる。

こうした現象も科学的にはまだ解明されておらず、身近に起こっている事でさえ理由が分からないのだ。

さて、霊的な世界の話ではどうか?

この世界の話は本当にたくさんあり、不思議な事を体験した人が物凄く多い。
臨死体験などは医学界でも様々言われており、ドクター自身が体験した臨死体験から現実世界の事を考えたとき、どうしてもつじつまが合わない、臨死体験中に体験した事、その時見たものが事実であるとしか思えないといった話が数えきれないほどある。

臨死体験をしたドクターはそれまで死後の世界は無である、何もない、臨死体験等で見たと思っている事は脳内の夢と同じで意味はないと言っていた。所が自身が臨死体験で事実としか思えない体験をしてから考えが変わり、本も出版するなど完全肯定派になっている。

全部作り話だ、、、と言われてはみもふたもないので真実であろうとしておこう。

このブログでも再三言っているのが、その目的である。

もし霊界がこれまで言われてきたように存在するとし、人間界での死後、魂となって霊界へ帰るという事だとしたら、それは一体何が目的であろうか?

人間界の常識を完全に覆すだろうし、人間界の常識、生命倫理、生き方、様々な物を否定する事に繋がる。

最近本当に死後の世界の事を考える人が増えている。

人間界は修行の場であり魂を磨くためという説が真実だとしたら、霊界の存在等人間界へ知らせる必要も無いだろうし、霊界から見たら人間界は刑務所のような更生施設という位置づけのように思えてしまう。

前回も書いたが人間界は魂のワンダーランドだと考えた場合、様々な人間としての体験をする事が目的となり、悲惨な事も壮大な事も何でも体験なのであり、と考えられるが唯一このワンダーランド説が真実だとした場合、「それならやなやつは殺してもいいじゃないか」という考えが広まっても嫌だなと思う。

そして最後に単なる生命の仕組みで霊的な物もあり肉体の生命体もあり、大自然の法則的に展開しているだけなので理由も目的も無いという考え方も出来る。

根本的には「意思」とは?という疑問点に集約されるため、この問題が明確になって来ないと、様々な説が入り乱れ混乱したままの状態が続く事になるだろう。

それは宇宙の始まりはなぜ起きた?という事に近い考えの為、現段階ではどうにもならない。

死後の世界にとらわれすぎて、今生きている人間の生き方を左右するというのはいかがなものか?とも考えられる。

霊能者の言葉で、生き方を誤ってダークな世界に行ってしまうと「死んでからが大変だ」という言い方をしている人がいるのだが、これを否定も肯定もしない。霊能者が言っているからと言ってもその霊能者も人間として生きており、死んだ世界を体験した記憶が無いのである。

悪い事をすると死んでから大変、地獄へ行くことになるというのは混乱した無秩序な時代に人々を戒め、犯罪を自主的に抑える事を目的としていた名残であろうと思われる。

別の霊能者は、現生で苦手な人がいるのだが前世を思い出したらその苦手と思える人に前世で殺されていたという。だから現生でもなんとなく苦手意識があるのだと。こうした話とカルマという話が混在し、前世の行いが今の不運につながるとかややこしい話になってくる。

そして現生はカルマを解消しなくては、と因果応報の話へつながるのだが、この辺りは過去にもこのブログで書いてきた通りつじつまが合わない。

「先祖の因縁が」という話もよく聞くが、自分の先祖をちょっと遡って計算してみよう。
自分(1)→両親(2)→その両親(4)→その両親(8)→と10代遡っただけで1023人の祖先がいる事になる。

昔の人は20歳頃には出産しており、もっと若いころの出産も有っただろう。
平均20歳の出産としても10代遡った時で200年ほどしか経過していない。
1000年遡ったら一体どれだけの祖先がいたのか数えきれない。
それだけいたら、何かしらやらかしてしまった祖先がいてもおかしくはないだろうし、悲惨な目にあって悲惨な亡くなり方をしたり、怪我や病気で子供に面倒を見てもらっていたかもしれない。

どの世代のどの因縁が今生きている人間に影響を及ぼすのだろうか?
円満な家庭ばかりでは無かったはずだ。

もしそうした先祖の因縁というものがあるように霊能者に見えた場合、もしかしたら解釈の違いの可能性も十分考えられる。

霊界からのメッセージだとか色々言われる事は「あやふや」な内容の事が多く、解釈に困る事、まるで正反対にも解釈できるようなあやふやな事が本当に多いのも現状だ。

だから霊能者は人間としての精神を高めるために修行をして、と品格を高めた人、そして相談者の事を親身になって考える事が出来る人が良いとされたりもしている。

私も出会った事のある霊能者で「神からのメッセージ」だと言って自らが神のごとく振舞う勘違いした者もいる事は確かだ。だからと言ってその者に見えた事がいい加減かと言うと、そうでは無く解釈の仕方により意味合いが変化してくるので伝え方の問題なのだ。

現段階で死後の世界はという定義そのものが正しいのかさえも不明だ。

よく幽霊として目撃される霊は「自分が死んだことに気が付いていない」という言い方をされることがある。自分は生きていると思っているのだ。生きていると思っている者に見える世界、感じられる世界とは一体どのような世界なのだろうか?

そう考えると、ここでこのブログを書いている自分自身も生きていると思っているだけなのかと疑問も湧いてくる。もしかしてこのブログも私の想念だけの世界で、読んでメッセージを送ってくれる人も全て私が実は死んでいるという事に気が付かせるための協力者の魂であったり(笑)

パッセンジャーズという映画の影響が強すぎるのかもしれないが。。。
パッセンジャーズ

信じ込んでしまうともしかして真実を見失う可能性もあるので、現段階では自身の判断がとても重要だと思われる。誰かの話を聞いても違和感が無いと思えば信じればいいし、しばらくして違和感が出れば他の話を聞いたりして納得できるところで自身の気持ちの安定を図るのが最善であろう。

自身の体験から得た情報が絶対だという思いが強すぎると宗教戦争のように信念の争いになってしまい、だれもその争いを治める事が出来なくなってしまう。とても危険な状態になるので注意が必要である。




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この記事へのコメント

1. Posted by 無人くん   2015年12月09日 13:12
こんにちは

>もしそうした先祖の因縁というものがあるように霊能者に見えた場合、もしかしたら解釈の違いの可能性も十分考えられる。

先祖の因縁も色々あるでしょうね
本当に家系として影響のある因縁というのは数世代がいいところではないでしょうか

長く続く場合は土地に起因した地縛霊であることが多いです
昔の人は不遇の死を遂げた場所には塚を立てて弔ったりしていますよね
これは子孫が近づかない(住まない)為の目印でもあったわけです
他には因縁の当事者が自分自身の家系に転生したときでしょうか

つまり、霊的な接点がなければ因縁は発生しないです
霊能者でその因縁が家系によるものだと分かる人はかなり優秀だと思いますよ
ちょっとした霊感程度では因果関係までは見えません

>生きていると思っている者に見える世界、感じられる世界とは一体どのような世界なのだろうか?

地縛霊の場合はただ夢を見続けている状態、
浮遊霊の場合は彷徨いながら周囲を傍観している状態でしょうかね

>そう考えると、ここでこのブログを書いている自分自身も生きていると思っているだけなのかと疑問も湧いてくる。

言い古されていますが、頬をつねってみれば分かります
死んでいれば五感はありませんから
もし死んでいるなら、ブログを書き続けるという夢を見続けているのかも知れません

2. Posted by 四季(管理人)   2015年12月09日 22:08
無人くんコメントありがとうございます

先祖の因縁、因縁を作り出した人がもう一度その家系に転生してきたら先祖のではあるけど自分自身のという事になりますね。

それは面白い発想ですね。
もしかしらたそれをカルマと呼んだりしている可能性もありますね。


夢を見続けているとき、これは夢だと気が付かない状態になるし、以前の記憶を無くしているから比較も出来ないという状態になっているのかもしれませんね。

肉体が無くなってしまい、現実世界は見えていても触れない、生きている人と会話出来ないという状態はおかしいと気が付かなければ永遠にそのままとか。。。

自分自身にそうした肉体が無い状態の記憶が残っていないので、肉体が無い状態は未体験という判断にるから想像は本当に難しいですね〜〜

五感という存在自体忘れていたりしたら。。。

それにしても不思議過ぎます。。。

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