2015年04月14日

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精神世界の事をずっと探求してきて、常に第三者の中立的な視点で見てきたのだが、もう究極の所まで辿り着いてしまった感がある。

何故究極かと言うと、考え尽くして残るは「証拠だけ」といった感じなのだ。

もしかしたら証拠という概念も人間特有の考えかもしれない。

人間という視点で物を考える限り真実へ辿り着く事は出来ないという感じだ。

そんな所へ考えが及んだ結果、気が付いたら「気力」が無い。。。

何をするでもなく、好きな事をすればとか言うが、それも無い。

もう無条件反射のように「引き寄せの法則」の考え方になっていたりするので、ちょっとした事はすぐ引き寄せられるという感じ。

もしかしたらこれも単なる思い込みなのかもしれない。

ちょくちょく少額のお金は、「おーそんな所から!」という意外な感じでやってきたりもするが、まとまった大金は来ない。

まだどこかで大金に関しては抵抗している潜在意識があるのか?

仕事も全然気力が湧かない為に、全くやってない。

ただ毎日何でもなく過ぎて行く。。。

「何かしなければ!」という脅迫観念も無い。

そんな平穏な毎日なのだが、

今日は日中突然、左胸が急激に痛くなり「うわ!」という感じと、思わず左胸を右手で「ドンドンドン!」と叩いた。

1分位で収まったのだが、もしかしたら狭心症?
肺気腫とか色々考えられる。

そんな激痛の中で思っていた事。

「あ〜もしかして、これで人生終わりかな?」

と、冷静に思っていた。

「まあ、終わりなら終わりでいいか」

そして痛みが収まった後は、また平穏な空気に戻り、入れてあったコーヒーを飲み、静かに椅子に座っていた。

家には誰もいないので、先ほどのように突然来られると、多分だれも気が付かないであろう。

そんな事を思っていたのだが、「感情が何も反応しない」。

人生に執着も無いし、やり残したと思える事も無い。

だから、「死にたくない!」とか「救急車!」とか全く思い浮かばなかった。

とにかく感情が何も反応しないのだ。

スピリチュアルの世界でとにかく重要視されるのが感情であり、これが様々なキーワードになっている。

心が「カラッカラ」に乾いているという感じだと自分では思っていた。

ところが映画等を見たりして「感動のシーン」等を見た時、ふと込み上げてくる感情があったりするので、完全に乾いているだけでもないか、とも思える。

が、しかし、もしかして人間の体の特性で、熱湯に触れると「熱い!」と感じる条件反射のような物で「感動するシーンを見ると、自動的に感動する」という体の作りになっているのではないか?とも考えられる。

まあ、魂という概念の何かは存在という概念で存在するのであろう。

その魂が何かを体験したいという意図で人間の肉体を利用しているという考えは、否定のしようがない。

生まれるときにはほとんどの人が以前の記憶を忘れている。
だから様々な体験は初体験という感じでワクワク出来るのだ。

時々、「生まれて来る子供は母親を選んで・・・」という話があり、母親の胎内へ飛び込む頃には「既に子供のような」感覚で語られている事がある。

80〜90才まで人間やっていて、輪廻転生してくるとしてその間100年だと考えてみよう。

よく人は亡くなると、その最後の姿のままでいたりして、その後怪我や手足が不自由でもそれは無くなり、健康の感じで若返るという。

逆にどんどん若返り、子供まで若返ると輪廻転生か?

人間界で散々経験した事、幸も不幸も全て消化し、魂が綺麗になっていく。
そして、純粋になり子供のようになって輪廻転生でまた人間界へ様々な事を経験しに行こうという事だろうか?

以前霊能者の方に見てもらった時の内容からすると私の寿命はあと30年。

しかし別の霊能者の方は、今のままタバコを吸い続ければあと3年で寿命だと私の守護霊が訴えていると言う。

私の守護霊は「私が生き続ける事」に一生懸命のようだと聞かされた。

しかし、当の本人が「もう飽きた」と思ってる。

タバコを止める気配も無い(笑

そんな時、左胸の激痛。

やはり兆候が出ていると思っておけばいいのか。

まあ、肉体も自動車と同じでちゃんとメンテナンスしてあげないと壊れてしまう。だからしっかり手入れをして使えばあと30年もつのだろうが、今の使い方ではあと3年といった感じだろう。

今の段階でこんなに飽きているのに、あと30年も何する?

よく、「やりたい事を見つける事が重要」というが、「やりたい」と思うと言う事は「湧き上がってくる」ので、わざわざ見つける必要は無いのである。

ここを勘違いしている書籍やブログは結構見かける。

若い頃、音楽に明け暮れていて、車を運転していても、食事中でも、風呂の中でも何をしていても頭の中から音楽が抜けなかった時期がある。

ギターを持てる時は、ひたすら弾きまくり、ギターを持てない時は聞く。

リズムを取る。繰り返し好きな音楽を聞き続ける。

傍から見たら多分「キチガイ」のように見えたかもしれないが、本人は何とも思っておらず、とにかく「やりたい事をやっていた」のだ。

こうした状況になる事が「やりたい」と思える事だと知っているので、わざわざ何かを探してという思いはどこにもない。

命への「執着?」・・・無い。

こうなると、仕事だお金だ名声だ何だといっても、それが?・・・だ。

ここまで様々な事を「手放した」。

さて、これからどうなるのであろうか?

投げやりという感じでも無く、淡々と冷静に自分を見てる。

どうなるのだろう?

どうなるのか分からなければ、分からないでもま、いっか。

このブログが続いていれば、とりあえず私の体も「命」がある状態。

更新が止まったら、、、察してくださいな(^^)

今後は極力更新をまめにやってみよう、、、かな(笑

このブログ、流れが変わってきた。

路線が変わるかもしれないが、当分まだ続けるつもりです。




本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!

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(02:55)

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この記事へのコメント

1. Posted by ゆい   2015年08月29日 07:24
私もまったく同じです。
生きる気力がわかない。今生きているのは、両親と飼っている猫を残して先には行けないからでそれだけです。
彼らがこの世を去ったら自分もさる用意をするつもりです(自死ではないですよ、身辺整理)
つい昨日、健康診断で隠れ脳梗塞が見つかってやはりなと思いました。このままの状態だと肉体は長く持たない30年が10年くらいかしら。
けど、私を守っている存在もあなたと同じで「生きていることが大切」だと。

けどねぇ〜〜、肉体のメンテナンスも大切だけど生きる気力はそれ以上に大切なんだけどそこは自力で見つけて頑張れよ!って感じみたいです。

2. Posted by 四季(管理人)   2015年08月29日 12:55
ゆいさんコメントありがとうございます

飽きちゃった?疲れた?どうでもよくなった?
ゆいさんはどの辺りから気力が失せていったのでしょうか?
私は人生一通り欲張ったので色々やってきました。
で、もういいかな。。。という満腹感からとでも言うのでしょうか。

新しい出来事や新製品、新しい考え方の精神世界、どれに当たっても感情が反応しなくなってきたのです。
年齢的な事もあるかもしれませんが、満腹感から人生飽きちゃった感じです。

国家や権力者、大企業等人間界では圧倒的なチカラを持っている存在が個人の可能性をことごとく粉砕する現代の状況も人から気力を奪う一因かもしれません。

視点を変えると現代のこの状況で気力を失ったものは「淘汰」されていく対象かな?とか考えても、まいっか。。。と思えるので「抵抗心」が無い辺り気力はカラッカラなのでしょうw

乾いた雑巾みたいです(笑

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