2015年03月05日

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自分に起こる事象は全て神の計画通り。

 

こんな言葉が広く伝わっている。

本当にそうなのだろうか?

そう思いながら探索を続けている。

 

江戸時代は265年間続いたと記録には残っている。

様々なドラマになるように明治維新の時代は大混乱であっただろう。

 

平成と言われる今の時代とは貨幣の仕組みも社会の仕組みもまるで違っていた。

身分の高い家に生まれれば能力など関係なしに高給が約束され、格下の家に生まれたものはそれに従わざるを得なかった。

 

現代の我々の社会の仕組みは明治以降に確立されて来た。

今は資本を沢山持っている者に従い、資本を持つものが決めたルール、法律に従わざるを得ない。

 

時代が変化しても、何かしらの「支配」という仕組みは変わらない。

昭和初期までは人の命は非常に軽かった。

 

それから70年程経過した今は、怪我一つで大騒ぎとなり人命第一。

そんな仕組みへと変化していると同時に他の地域では戦争が行われており人命は軽い。

 

しかしそんな現代、日本に焦点を当ててみると社会の仕組みがどんどん崩壊している。

数百年数千年という長いスパンで考えれば「変化している」という事であろう。

 

どのような仕組みに変化しようが、価値観がどう変化しようが、「支配」したいという人種は必ず現れ、支配構造を作り上げていく。

 

人を支配して自分は楽をしたいのだ。

 

会社という仕組みも、国家という仕組みも変わらない。

 

物の見方、スパンの取り方で「見え方」は変化してくる。

 

これまでの長い年月であまり変化してこなかったのが、霊に対する感じ方だろう。

 

人それぞれ感じ方に違いはあれど似たような感覚を持つ人は多い。

 

だから、そうした共通の概念が「霊」という概念として捉えられてきた。

 

時の権力者はその概念を巧みに利用し、社会を支配する道具として活用してきた。

 

だからといって「霊」という感覚が全て嘘の世界とも言い切れない。

 

このあいまいな感覚があるから未だに謎の多いというより謎だらけの世界であろう。

 

社会の変化崩壊は神の仕業か?

 

そう考えている時点で、既に過去の権力者が作り出した概念に取り込まれているのではないだろうか?

 

自分に起こる事象も全て必要であるから起こるのか?

 

人間社会はとても密接に繋がりながら機能している。

 

ある霊能者は、交通事故も自分が予定していた事だと言う。

 

車同士の事故の場合、相手がいるからこそ事故が成り立つ。

 

被害者は自分の計画という事であれば問題ないが、加害者は予定していた事故なのか?

 

加害者になるという予定だけはあったもののとう事であれば、その事故から発生する様々に連鎖していく事象も計画があるのか?

 

事故の加害者になってしまった人に奥さんがいて、加害者も大きな怪我をして入院生活となり、その介護をしながら子供の世話をして疲労が蓄積していく。

その結果精神的にイライラして、奥さんが行く職場で対人関係が悪化。

その相談にのってくれた上司と不倫の中となり、事故で入院してきた旦那が退院する頃には離婚の話へ発展していたり。

 

そうした環境で育った子供は、その様子を見ていて母親と距離を置く。

そんな子供を不倫相手の男が暴力で攻撃する。

そんな少年時代を過ごしたが、大人になりそんなことは忘れていたが気が付いたら自分も自分の子供に暴力をふるっていた。

 

暴力の連鎖という事は言われているが、多分そうであろうという領域は出る事が出来ない。

 

こんな人生を過ごしていた奥さんは、不倫相手が自分の子供に暴力を振るうとき、どうにもならなくて霊能者に相談すると「神の計画通り」または「自分が生まれる前に決めて来た事」と言われてしまう。

 

文章では読む側も各側もひとつの事しか書くことが出来ないので、非常に単純な内容になってしまうが、実際はもっと多様な事が複雑に絡んで様々な事象として現れている。

 

これらに関わる人達も同様に同じ時間経過という概念の中で様々な事象と出くわしている。

 

寸分の狂いなく計画通り行われているのか?

 

とある霊能者は、ある程度の事は決めてきているが大枠だけで、仕様変更はいくらでもあるという。

 

何の為に?

 

実は神の計画や自分自身の計画等というものはまるで存在しないと考えてみては?

 

動物や植物等にも意識があるという事は知られている。

サボテンに電極を付け、枝を折っやろうかと脅すと波形が乱れると言う。

 

キルリアン写真というのをご存じだろうか?

 

ある特定の条件で葉の写真を撮影すると、葉が切られて無くなっている部分も、あたかもそこに葉があるかのように写真に写る現象である。

 キルリアン写真

人間でも腕を切断してしまったりしても、その先に「気のフィールド」があるように本人は感じており、痛いとされる場所(切断されて無くなっている部分)に温熱治療等を行うと痛みが改善されたりするという現象もある。
 
このフィールドエリアが実は霊魂と言われているものと同一では?とも考えられる。

まだ科学で解明されてないこのフィールドという存在、ここにもしかしたら肉体が感じた事等がここへ記憶として保存されたりするのでは?と考えると魂という概念が少し変わるかもしれない。
 
現代はネットの普及が進み情報の共有が多くなったので、霊界に対する考え方もこうした不思議な現象を含め、他の考え方も容易に統合比較が出来るようになった。
 
その結果、これまでは違和感を感じなかった霊的な説明も矛盾が感じられるようになり、謎の解明が少しは進むかもしれない。
 
視点を高い上空から、我々人間がいる高さへ下げてみてみると、様々に発生する現象は実は人間が発している何かしらの「気」とでも言おうか、「波動」でも「エネルギー」でも何でもいい、こうした何かしらのものの影響で「運がいい」時はリズムに乗りとんとん拍子に進み、悪い事を感じる事が起こる時はガタガタなリズムで次々同じような現象を引き寄せてしまう。
 
だから主体は「人間」であり、その感覚を感じて気のフィールドへ記憶を残した魂と呼ばれる存在になった意識が、人間時代に記憶した「神」とか「守護霊」とかという記憶から、それらしい振る舞いをし、年月の経過と共に積み重なってきた「気のフィールド」の総合対もそのような振る舞いを起こしているのではないだろうか?
 
だから、なんとなく感じる「神」?とか、メッセージを送ってきたり、守護霊という存在として人間の近くにいたりして応援したりしているのでは?
 
まとめると、言葉としての表現は古いかもしれないが
 
「魂」は存在する
 
「神」という感覚をもった魂の集合体もいる
 
人間の人生で起こる事は「神や自分の計画でもなんでもない」
 
時の権力者が作り上げた神という存在では無く、元々は人間であった気のフィールドが多数集まり、気のフィールドの世界を作り上げ、「神界」としている。
 
「守護霊」という存在は、過去人間であった時の価値観や考え方を持ち、その意識を人間へメッセージとして送り出している。
 
人間が災害や危機に陥った時、物理的に助ける事は出来ない。
「なんとなくいやな気がする」といったメッセージを送り、危険な場所へ近寄らないようにさせる事くらいしか出来ない。
 
きっちり判明したわけでは無いが、こういった雰囲気で霊界を捉えて人間も生きていけばもう少し霊界への印象も変化するだろうし、支配を目的とした宗教等に惑わされる事も無くなるのではないだろうか?
 
そうすると、霊とのコミュニケーションが取れる方は、霊との付き合い方が分かってくるのではないだろうか。
 
闇雲に「霊は怖い」という感覚では無く、怒りを持った人は霊でも人間でも怖いのだ。
 
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!

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(15:06)

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この記事へのコメント

1. Posted by 万年   2015年03月08日 20:05
このスレッドでやりとりされている内容が
私が感じている神であり、運命ですねー
これに意識の次元が絡んでいるような気がします。
どの次元から、介入するのか?で、運命は変化させられるのかもしれません。

http://world-fusigi.net/archives/7598225.html

2. Posted by 四季(管理人)   2015年03月09日 01:34
>万年さん

全部読んでみました。
面白いですね。
この人私と同じ思考で考えているようです。

途中の色々な人のコメントも、おぉ!と思える事もあり。
印象に残っているものの一つで
「そもそも自分の意思で生まれてきてない」
という部分、深いですね〜

これまでの人類の宗教観は私の中で完全に崩れています。
完全に迷宮入りしているので、逆に不安定な状況になってしまいました。
面白いですね、間違えていてもいいから宗教のような「教え」があった方が人間は安定できるという事を実感しました(笑

それでも自分自身の人生を使って実験は進行中です(^^)
3. Posted by 万年   2015年03月09日 10:51
>完全に迷宮入りしているので、逆に不安定な状況になってしまいました。

仮に輪廻転生しているとしたら、誰でもたどり着く不安定な状況ではないでしょうか?
外界に答えを見つけようとすると不安定になる・・・
ならば、自分で答えを作るしかない・・
となるのかもしれません(笑)

何のために生きる?なぜ生きる? 究極の問いだと思います。
そういう疑問が発生しない精神構造がもっとも幸せなのかもしれませんが(笑)
ですが、輪廻している以上は誰でも到達する疑問だと思います。

で、その先に・・・ でしょうかね(笑)

>間違えていてもいいから宗教のような「教え」があった方が人間は安定できるという事を実感しました(笑

人間、バカになってみるのも一つの手かもしれません。
仕事で大儲けできた・・ うれしい・・ とか、
子供が無事、就職できた・・ うれしい・・ とか、
大多数の人と同じ感覚を再度、感じてみると、
新しい視点が生まれるような気もします、たぶん・・(爆)
4. Posted by 四季(管理人)   2015年03月11日 00:49
>万年さん

そうですね〜バカになってみる(笑
これはずっと前から私には出来ない事でした(^^;

想像以上に世の中の人には悪人、いや極悪人が多くてこれも人類に幻滅した要因でもあります。
「明るく前向きに」という考え方も極悪人たちが一般人を支配するには最適な方法です。
宗教的な考え方などどう考えても人々を支配するにはこれ以上無いというくらい最適な方法だし。

そんな感覚で人間社会を見ていると、そこに「学びが」とか「試練が」とかどうでもいい事です。
だからと言って極悪人たちに一矢報いてとも思いません。
そう思えるよう教育されてしまった結果とも言えるでしょう。

こうした環境が混迷してしまう要因かもしれないです。
以前万年さんが茶太郎ブログを紹介してくれた時、あれを見て脱力した感覚と似たような感じです。

真面目に働くという行動も、正直に申告して税金を納めるのも、こうした極悪人達が作り出した彼らに都合のいいルールで、いいように搾取されるという現状がよけい気力を奪う形になる。
分かっていても怒りも湧いてこない。
脱力。。。

こんな混迷状況です(^^;
いっそバカになれたら本当に楽しいのかも(笑

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