2015年01月25日

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前世からのカルマのせいで、とか先祖の怨念がとか恐れる事は不要なのではないか?

様々な宗教やスピリチュアルの活動をしている方々、霊能者の方等皆「カルマの解消」又は「業」とかの重要性を語っている。

果たして本当にそんな因縁のような物が残っているのだろうか?

以前もこのブログで探索してが、前世等で人間として生きている時にカルマを背負いこんでしまった、だから今そのカルマを解消することが必要だという話の展開だ。

前世でも今世でも人間として生きて生活している事には変わりは無い。
しかし、その生き方考え方が原因でカルマを背負いこんでしまうという現象が起こると言うのであれば、人間を沢山やった魂ほどカルマを背負いこんでしまうリスクが高いのではないだろうか?

輪廻転生で生まれ変わる時、前世でのカルマを背負いこんだ原因や失敗例等をしっかり覚えていて、今世では同じ過ちを犯さないようにしようと気を付けるのであれば、確かにカルマは解消されて行くだろう。

しかし生まれると人間は前世の事を忘れてしまう。
更に失敗した事もその時の考え方も忘れているが、考えの元となる性格は忘れていない可能性がある。
考え方の癖とでも表現するのが正しいか分からないが、基本的に同じような性格では同じような失敗を繰り返す事は可能性として非常に高い。

カルマの本質とは何か?

前世で戦国武将であった魂は戦場で多くの人と戦い命を奪ってきた。
その結果今世では怪我や事故が多いのです、と霊能者が言う。

これはどういうことか?

戦闘の結果「人の命を奪った」という自責の念が残り、それがカルマとなるのか?
それとも「命を奪われた人」の恨みの念が残るのか?

何方にしても「念」である。

戦闘で戦って斬られてしまった人は斬った相手に呪いの念を送るのか?
斬られたその怪我が原因で1年後に亡くなった場合、斬った相手は特定できるのか?
大混乱の戦場で兜をかぶり顔や名前の認識等は非常に困難であると思われる。
それでも魂というレベルになると相手を特定できるのか?

過去に多数あった怖い話、体験談等に出てくる「人を探している幽霊」はどういう事?
車のフロントガラスに無数の顔が出てきて「こいつじゃない〜」とか探し回る浮遊霊はどういう存在なのか?

どういった経緯でカルマと呼ばれる状態になり、それはどのような判断基準なのか?

当時の価値観で「理不尽だ」と思うような事がカルマとなるのか?
それとも霊界の独特の判断基準によりカルマとなるのか?

思い違い、勘違い、こうした状態でもカルマとして残ってしまうとなると、その念をかけられた人はいい迷惑である。

自殺はよくないという事は昔から言われている。
命の無くなる過程が印象として強く残り、その苦しい状態を永遠に繰り返してしまうから、と言われている。

とある霊能者のブログでこういった事が書かれていた。
戦国時代、戦いに敗れた武将は「切腹」をさせられる。
これは形式的には自殺だが、当時の価値観で周囲から迫られてやむなく行った事、これも自殺となるのか?

結果、形式はどうであれ自殺には変わりがないので、その状況を霊となっても永遠に繰り返すと。

また、今生きている人を戒めるのが目的では?と思われるような話もある。

今ホームレスをしている人は、前世で大金持ちで、、、とか。
前世で徳を沢山積んだので、今世では運がいい、だから「陰徳」と言って人に気付かれないように良い行いをするのが良いとか。

まだ多数あるが、こうした話は人間としての目線で考えると非常に納得できるし心が乱されてしまった人が心を落ち着かせるためには聞こえがとても良いと思われる。

しかし価値観が違えばその年代でいい事とされたことも迷惑な事になる可能性もある。

徳を積んだ人は本当に運がいいのか?
運がいいとはどういった状態なのか?

太平洋戦争の頃、1つの部隊が全滅しそうになり一人だけ助かったとう話がある。
その後日本へ帰還すると、当時の価値観では「最後の一人まで戦うのが軍人の務めではないか!」と責められたこともあった。
ヒソヒソ「一人だけ逃げ帰ってきたんだよ」と陰口を言われ、非常につらい思いをしたであろう。
戦場から一人だけ生きて帰ってしまったとう自責の念に押しつぶされて自殺したという話もある。

平成の今の時代では戦争では無くても「よくぞ生きて帰ってきてくれた」と歓迎されるのではないだろうか?

御巣鷹山で墜落した飛行機で奇跡的に生き残った少女は、本来購入した席ではなかった。
機内で他の人に席を変わって欲しいと依頼され、最後尾の席へ移動した事が生還に繋がったと言われている。
今の価値観ではその少女は「運が良かった」と思えるだろう。

戦場から生きて一人だけで帰ってきた人は「運が悪かった」と思ったかもしれない。

その時は「運が悪かった」と思える現象も、しばらくしたら運悪くと思えた出来事が今の成功につながったという事もある。

瞬間だけを見た場合、JAL123便に予約をしていながら乗らなかった人もいた。
著名人は公開されているだけでもこれだけいた。

明石家さんま
舛添要一
稲川淳二
逸見政孝(民法アナ)
逸見晴恵(逸見ファミリー)
逸見太郎(逸見ファミリー)
逸見愛 (逸見ファミリー)

こうした事故を回避出来た人は「運がよかった」と分かりやすい。

こうした「運」という存在も、何の根拠も無く大昔から言われて来たとは思いにくい。
昔の人々も、何かしらの体験から思った事が集まり「運」という表現になったのかもしれない。

では、徳を積むと運がよくなるのか?
これは前世と今世という違う人生を「あの世」を経由して繋げる話なので、信憑性は低くなる。

「あの人は運がいい」きっと前世で「善行」を行ったに違いない。
こう昔の誰かが言った一言が、多くの共感を得て「きっとそうだ、そうに違いない」と広まる事はよくある。

伝言ゲームだ。

今一般的に言われているカルマやその解消の事等も、確実に言える事は少ない。
私は霊能者でも無いし何かしらが見えているわけではない、しかし霊能者と呼ばれる人たちは何かが見え、そして言葉を発する。
これがどうしてカルマでありその解消が必要なのだと見えてるかは分からない。

霊界は「陰と陽」のバランスであり、それがそのまま人間界にも展開されていると思われている。
今人間界で悲惨な事件が多く目につくが、これはもしかして「陽」の世界が広がっているからそのバランスで「陰」の世界も広がっているのではないだろうか?

霊界でも「陽」ののエリアにいる魂達はより陽の世界へ導きたくてメッセージを送り、それに必要なサポートをしているのではないだろうか。

そして同時に「陰」の世界でも同じことが起きており、何とか引きずり込もうとしている勢力も存在する。

人間一人一人の性格も違うし考え方も感じ方も違う、その人間に入っている魂を「陽」の世界へ導くためにそれぞれのメッセージが発せられるから霊能者と呼ばれる人たちが受け取るメッセージも矛盾が起きてしまう結果となる可能性が考えられる。

つまり霊界の見識について矛盾があろうが何であろうが、それらは聞く人個人にとっては全て正解であるとも考えられる。

陽の世界を体験する為には陰の世界も同時に存在しなければバランスが取れない。

しかし誰しも陰の世界は体験したくないと思いつつ、何かの拍子に引きずり込まれてしまう。

結果悲惨な事件に巻き込まれたり事故に遭ったりしてしまう可能性が高いと考える方が腑に落ちる。

人間としての日々の生活で運がいいとか悪いとか前世に問題があってとか考えていると、もしかしたら陰の世界へ足を滑らせるきっかけになるかもしれない。

カルマの正体ははっきりとは分からないが、どちらにしても「念」「想念」「思い」「考え方」「癖」という心の中の事であろう。

だから、そちらに意識を向けるのではなく先人たちが「よし」とした考えを取り入れて「気にしない」というのが一番の対策なのではないだろうか?

それでも誰かの「恨み」のような想念に運を邪魔されるのであれば、それはもうカルマどころの話では無く「呪い」というレベルではないだろうか。

そう感じるのであれば、呪い返しの「護符」を身につけたり、信頼できる霊能者の力を借りて迷っている魂を成仏に導いてあげる事が対策としてよいのではないだろうか。

そこにも「陰側」の霊能者等に引っかからないよう気を付けていく必要があるだろう。

高額な費用を請求したり何か高額な物品の購入を促されたりは気を付けた方がいいと思うがいかがか?

これは霊能者自身が言っていたのだが、霊能力とは自分自身の能力では無く、霊界の協力者としての霊が力を貸してくれるから人間界でも霊とのコミュニケーションが図れるのであり、人間を助けるために選ばれたので出来れば無料で行いたいがそうもいかず少額の報酬を頂いているという話もある。

そう言いながらしばらくしたら高額なセミナーを始めたりしているので、なかなか信頼することが難しい所はあるが。。。

それにしても「カルマ」という言葉に振り回されず、まずは自分自身の精神状態をしっかり保ち、気にしないという事がまずは重要であろう。

最近誰もが言うように「引き寄せの法則」は自然界にいつも存在しており、自分が色々な現象を引き寄せているという。
何か気になる現象が起きた時、それは果たして「カルマ」なのか「自分自身の考え方の癖」から引き寄せてしまった事なのかと考えてみる。

考え方の癖が引き寄せるのであり、その癖がカルマだと思われるとするならば、自ら考え方を変えて行動してみるといった方法がカルマの解消という事に繋がるのではないだろうか。

霊的な何かが自分に蓄積されてそれが今の人生に悪さをしているという事ではなく、考え方の癖が残っていてそれが同じような現象を引き寄せているだけである、要は考え方次第である。

変な現象を引き寄せない為にも気になる現象が起きた時、考え方をおさらいしてみて「もしかして!」と思う事があれば変えていけばいいだろう。


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この記事へのコメント

1. Posted by 無人くん   2015年01月26日 18:31
四季さんへ

>考え方の癖が引き寄せるのであり、その癖がカルマだと思われるとするならば、自ら考え方を変えて行動してみるといった方法がカルマの解消という事に繋がるのではないだろうか。

カルマとは想念が蓄積してサイキックなエネルギーを持つようになったものです。
この想念はカルマから来ているのかな・・・
と思ったときは、まず第三者的な見方でその状況を眺めていれば良いと思います。
カルマの塊から薄皮が剥がれて想念として解放している状況ですので、
時間をかければいずれそのカルマはすべて剥がれて消えていきます。
注意点はその想念に反応してエネルギーを与えないことですね。

カルマからのエネルギーが強いときは、解放すると「引き寄せ」が発生することがあるので、別の想念に書き換えてキャンセルするのも有りかと思います。
出てきた想念を否定するのではなく、あくまで書き換えです。

あとカルマの種類によりますが、想念にエネルギーを与える前に代替手段で欲求を満たしてしまう手もあります。わりとみんな意識せずにやってると思いますよ


2. Posted by 四季(管理人)   2015年01月26日 23:10
>無人くん

面白いですね〜
「どーして私はいつもこんな男ばっかりしか出会わないのかしら」って悩む女性もいます。

やはり何かしらの引き寄せが働いていると考えられるのでしょうね。
例えばいつも貧乏性な男性としか出会わない女性、リッチまで行かないにしても普通の経済状態の男性と出会ったとき、どこかで拒否反応を覚えてしまう、だからそれ以上発展できないとか。

貧乏性の男性を見ると何とかしてあげたくなってしまう。。。

しかしこうした女神様のような女性がいると人間社会が成り立つ?
それ相応とでも言うのか、表現が難しいのですが男性も何かしらの考え方の癖があり、その癖に惹かれる女性、その癖がいいとか悪いとかは人それぞれ時代背景も含めて判断基準が違うので、その女性自身がいやだと拒否すれば変えればいいだろうし、仕方ないと思えばそれもまた正解かと。

その癖の事をカルマと呼んだり、その癖のおかげでとても幸せな人生になったりと、どこでどう影響があるか分からないので、何でもかんでもカルマは解消しなければという考えは腑に落ちないですね。
3. Posted by 無人くん   2015年01月27日 12:48
四季さんへ

>その癖の事をカルマと呼んだり、その癖のおかげでとても幸せな人生になったりと、どこでどう影響があるか分からないので、何でもかんでもカルマは解消しなければという考えは腑に落ちないですね。

カルマとは前世からの欲求不満みたいなものですから、満たされた人生であればそのカルマは解消だと思います。
でも、その境地に至るまでは、ある程度の妥協は必要でしょうね。
実際、妥協によって学べることは多いです。

昔、趣味で四柱推命を勉強していたことがありますが、相性において相思相愛はなく、原則として片思いだけなんですよね。
どうすれば相思相愛かというと、思われ側の片思いのエネルギーが弱い(つまり妥協し易い)と良いようです。カルマも同じような気がします。

軽いカルマなら、普段の自分の行いに気をつける程度で良いと思いますが、強いカルマに縛られているときは、袋小路に入る前に何らかの手段を講じた方がよいと思いますね。個人的な経験からですが・・・


4. Posted by 四季(管理人)   2015年01月27日 17:23
>無人くん

一般的な人は袋小路に入ってからようやく変だと気が付いて、これはもしかしてと思ったりするんじゃないですかね(笑

最近本当に強く思うのが、カルマと呼ばれる思考の癖等自分自身がいやだと思えばカルマとなり、拒否しなければカルマにはならないですね。

皆が皆同じように性格がよくて欲求不満が無い幸せな生活を送れていたとしたら、それは多分成り立たないのではないでしょうかね?

次回のブログで書こうと思っていた内容に繋がる感じです。

5. Posted by 無人くん   2015年01月27日 21:59
>四季さんへ

>一般的な人は袋小路に入ってからようやく変だと気が付いて、これはもしかしてと思ったりするんじゃないですかね(笑

その通りです。というか普通の人はカルマなんか知らないんでそのまま蛸壺状態でしょうw
前世で精神世界に触れた人は気がつくのかも知れませんが・・・

>皆が皆同じように性格がよくて欲求不満が無い幸せな生活を送れていたとしたら、それは多分成り立たないのではないでしょうかね?

チャネ情報だと今のプレアデス人がそんな状況みたいですけど・・・(内心信じてませんw)
そうならないようにこの世界は巧く作られているんでしょうね

次回のブログも楽しみにしています。
6. Posted by 万年   2015年02月05日 15:02
>霊的な何かが自分に蓄積されて
>それが今の人生に悪さをしているという事ではなく、
>考え方の癖が残っていてそれが同じような現象を引き寄せているだけである、
>要は考え方次第である。

そう思います(笑)
考え方=経験=記憶
つまり、記憶=体験の上塗りが必要なのかもしれません。
体験の上塗りが臨界点に到達すると、
自己が変化し、運命が変化するのかもしれませんねー

陰と陽の世界からの働きかけは私もそう思います。
つまり、人間を使ったゲームをしているのではないかと(笑)
それが宇宙規模で起こっているのか、地球特有の問題なのかはわかりませんが・・
7. Posted by 四季(管理人)   2015年02月06日 00:46
>万年さん

最近全体的なパーツが出そろった感があり、なんとなく全体像がおぼろげながら見えてきたような気がしていました。

しかしまた強烈なブログに出会い、毎日4年分更新された内容を全て読破してみました。
これまでの疑問、矛盾が90%位つじつまを合わせて来た内容だったので衝撃的だったのですが、内容的には原点に戻った感じです。

そして今は時間をかけてその内容を自分の中で整頓消化している所です。

やはりそうなのか、、、
いや、でもその場合、、、

思考が目まぐるしく展開しては落ち着きを繰り返している状態で、まだきちんと整頓できていません。

どちらにしろ人間が死亡した後に感じると思われる世界の事を生きた状態で推測しているので必ず無理な事はありますが、人間として生きていく時間を未解明な部分に振り回されないよう、少しでも解明していきたいと思っています。

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