2015年01月20日

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スピリチュアルの世界では、「欲を無くす」という言葉がキーワードの一つになっている。

何か欲しい物が有ったら、欲しいと執着すると欲しているその状態が叶う為、手に入ったというイメージを持つことが大切と。

霊能者と呼ばれる人達が皆同じように言っている事は、欲望が無い状態なら霊感が働く。

宝くじの番号もいい当てるという霊能者は宝くじを買わない。
お金を得ようとすると当たらなくなるという事らしい。

無欲になると霊能力が冴える。
欲が出ると霊能力は力を貸してくれない。
欲と霊能力は相反する位置にあるようだ。

これらは皆「我欲を無くすと平和になる」というメッセージのように聞こえる。
そのままストレートに言っている人もいるようだ。

現実の人間社会は「我欲の競争」である。

国という単位で世界を分割し、税金という仕組みで他人の分まで仕事をし、働かなくなると家を追い出される。
否が応でも仕事という競争社会へ出て行って他人と争わなければならない。

大きな会社で一部門の仕事、例えば「研究開発」等を行っている人は、直接的な競争の場にさらされる事は少ない。
しかし、他社の開発に負けないよう競争している事には変わりない。

いかに安く消費者に受け入れてもらえる商品を作り沢山売るか。
買ってくれる人が少なければ外国へ売りに行く。
外国の競争相手に負けないように物価の安い国の人を使って安く製品を作る。
その結果物価の安かった国は仕事が増えて豊かになっていく。
人件費が上がってくるとまた人件費の安い国へ工場を移動してそこで製品を作る。

とにかく競争だ。
奪い合い。
都合が悪くなると戦争を起こしてでも自国に有利な状況を作り出そうと皆必死だ。
この社会は「奪い合い」と「競争」で成り立っている。

この地球に生きている限り、この仕組みが崩壊するまでは生命を維持しようと思ったら競争に参加しなければ生きていけない。

日本と言う国に生きている人は、自分の見える範囲で判断し、自分が豊かであるか、もっと豊かになる為にと考える。
水道すら無い国をネットやテレビ等で見ていても、遠い世界の話なので比較基準は隣近所だ。

同じ会社の社員同士、その奥様方、皆「見栄」を張ったりローンを組んだり大変である。
サラリーマンは給料から税金や保険など無条件で持っていかれるのできっちりルール通り法を守る事になる。
だから政治家などがルールを守らないと、それは怒り心頭である。

結局社会全体に「あそび」が無くなってきたので、息苦しくなっている事は確かだ。
それでも法の隙間をうまいこと抜けている連中もいる。
しかしきっちり法を守る事を強要されている人たちは、それを許さない。

そんな追い詰められた社会の中で、豊かさを求める事は非常に難しい。
精神的にそのような余裕も無くなっている。

そんな中、旦那さんが奥さんが浮気等しようものなら完全IT装備の探偵の出番だ。
生涯を誓い合った二人は敵同士となり裁判で財産を奪い合う。

心身ともに疲れ果てボロボロの状態でスピリチュアルの世界に出会い、今回の騒動は前世でのカルマが原因だと言われ愕然とする。
そして心のリハビリを行いながら時間が傷を癒してくれるのを待ちながらスピリチュアルの本を読みふける事になる。

見栄を張ったり欲を持ちすぎると、執着となりそこからまた逃れられなくなる。
だから欲を捨てる事が肝心だと思い、心穏やかになろうと瞑想したりパワースポットに足を運んだりもしてみる。

最近の若者は「欲が無い」という話がとても多い。
彼女はいらない、車も不要。
スマホがあればそれでいい。
出世も拒否、結婚、マイホームなど考えた事も無い。

草食男子という言葉まで出現してくるほどあっさりしている。
それでも少しは野獣のように激しい若者がいたりもするが、これまでの自分の周辺では少なくなったと言う印象は確かにある。

欲が無ければ「豊かに」という目標も無い。
高級な家も車も時計も服もといった昭和の感覚と言ったら異論が出るかもしれないが適切な表現が見つからないのでこう書いておく。

こうした欲の無い人々は、対極にあると先ほど書いた霊能力を発揮したりする事はあるのだろうか?
これもあまり話は聞かない。

現在霊能者であると言っている方々からすると「いやそういうものでは無い」と言われるであろう。

最近のテレビ番組では「日本は凄い」という内容が非常に多い。
海外の人から見ると日本は実はこんなに凄いんだ、という内容だ。

誰かがその方向へ誘導しているのだろうか?
日本に住んでいる人たちは、毎日の暮らしは当たり前になっている事が多く、凄いとも思っていなかったりする。
電車は秒単位で正確に走る為、5分も遅れるとイライラしている人が目立つようになる。
そんな国は他には無い。

でも日常と違う状況が発生すると密度が高い社会となっている為、影響が即他へ広がってしまう。

そんな海外から見ると凄いを言われる国に生きていて、豊かであると実感しながら毎日生活している人はどの位いるのだろうか。

スピリチュアルの世界で言われている「欲を無くす」という方向性は、どの角度から捉えたら活きてくるのだろうか。

一生懸命、がむしゃら、モーレツ等、目標に向かって突き進むという行為は今の所それほど否定されてはいない。
むしろこんな若者が減ったと嘆いている位だ。

食事にしても40年程前の自分の頃と比べると、食べる量がとにかく少ない。
本当に大丈夫なのだろうか?と心配になる位食べないし、激しい運動部にいながらその同級生も食が細いのだ。

精神的、肉体的にも最近の世代の若者は以前とは種類が違うように感じてしまう。

止まった状態の振り子を動かそうとする時、最初はとても大きな力が必要になる。
動き出すと少ない力で振れはどんどん大きくなる。
しかし時間が経過すると、振れは段々小さくなる。
丁寧に手入れをしても劣化という現象があり、サビが発生したり振り子の糸が切れたりする。

生命の一生も同じ経過を辿り、国という社会も同じように成長し衰退していく。

その途中経過で自分のいる周囲を見渡し、比較し、豊かだ貧乏だ正義だずるいだと思ってしまう。

こうした環境に生きている人間は何を感じ経験する為に輪廻転生してきたのか?
前世で人の命を奪った人はその償いを行う為に転生してきたという霊能者もいる。
自ら命を絶つと、長い間転生も出来ず大変な目に遭うとも言っている。
戦国時代、追い詰められて「切腹」した人も自殺と同様だとも言っていた。
そうすると安楽死も自殺と同様の目に遭ってしまうという事だろうか。

欲を無くして人の為に生き、喜ばれる事を生きがいとすると言った事をスピリチュアルでは推奨しているように感じる。

否が応でも競争社会へ繰り出されて、税金や見栄やローンに追い回されている人たちは人に喜ばれるために欲を無くすという方向転換が出来るのだろうか?

こうした過酷な現実社会を実は魂の修行の為に作り出してあり、霊界は管理しているのか?

人間社会の管理と比較してみると、ちょっと面白い事がある。
大きな組織になればなるほど、管理している上層部は現場の事が肌身で分からなくなるため、とんでも判断をすることがままある。

学校の部活等で監督が学生にきついトレーニングをやらせているが、どれほどのものか自分の現役の頃を忘れているので、熟練監督ほどトレーニングはきつくなる。

ある高校野球の生徒たちの会話で、あまりにキツイのでランニングロードの途中の橋から飛び降り自殺したくなる事がしょっちゅうあるという。
甲子園常連校という強豪高校での話だ。

管理している側は、現実がどれだけ過酷なのか分からなくなっているという事はある。
また現場で修行している人間が限界を超えて失神するとニヤニヤしていたりと少々ずれているのでは?と思いたくもなったりする。

霊界が人間界を修行の場として作り、そこへ若い魂を送り込んで鍛え上げる。
限界を超えて人間の肉体が死んでしまったら、はいもう一回生まれ直し。
限界を超えて肉体から逃げ出したら、懲罰房へ1000年入っていなさいという感じだろうか。

そんな過酷な環境で人の為に生き、喜ばれる事を目指す事が目標?

もしこれが本当の事だとしたら、皆大変な修行を行う同士だ。
もっと目的を共有して、何回も生まれ直しをしないよう協力していこうという流れになるのだろうか。

でも生まれ直すと当初の目的など完全に忘れ去り、現実社会の競争に打ち勝つ方法を子供の頃から叩き込まれる。

で、ボロボロになりながら競争に明け暮れる。
そして何かショッキングな事が自分の身に起きて、霊能者に「実はね・・・」と生まれる前の目的を教えてもらったりするのだろうか。

しかしその霊能者にも偽物というか、動物霊という言い方をするようだが人を惑わし財産を奪おうとする霊能者もいたりして真実に辿り着けなかったりもする。

さらに前回人間だった時に失敗したり間違えた判断でおこなったツケを今世で払わされる?

もしも、もしも本当にこうした世界だとしたらいやはや皆様ご苦労様。

本当に自分も含めてお疲れ様という事になるだろう。

そして今悪事を行ったり、他の人に迷惑をかけているひとは因果応報という事で、来世で苦労してねという事か。

これは真実であると実証することは出来ない。

覚えているのは今生きている時だけの記憶なのだから、前世でひどい目に遭わせた人が今世悲惨な目に遭っている状況を見て「あぁスッキリした」という事にもならない。

だから人からの迷惑を許すという事はとても決断のいる事であり大変だ。

仕組みが分からないからこそ、決断が重くなるのであってそれが成長に繋がるという感覚。

だから霊界の事はわかるような、しかし確信も持てないようなというあいまいな状況となる。

このテーマを追っていると結局ここへ辿り着いてしまうという事か。。。



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この記事へのコメント

1. Posted by 無人くん   2015年01月21日 08:16
四季さんへ

>最近の若者は「欲が無い」という話がとても多い。

まあ、自分もあまり欲のない人間ですが、昔の日本人はあまり欲がないですよね
なんとなく昔の日本人が転生してきているような気がします。
今の日本人は戦後の物欲指向により、無理に欲望を刷り込まれていたと思います

>こうした欲の無い人々は、対極にあると先ほど書いた霊能力を発揮したりする事はあるのだろうか?

全てではないですが資質の一つではないでしょうか
欲の無い人は肉体的自我に束縛されにくいので霊的自我が目覚めやすいと思います。

>欲を無くして人の為に生き、喜ばれる事を生きがいとすると言った事をスピリチュアルでは推奨しているように感じる。

無意識下に刷り込まれた欲に気づくことが第一歩だと思います。
その欲は本当に必要なのか?
次に欲にまみれた環境から自分を隔離する・・・
欲に執着しなければ、いつかなくなってしまうものですし、自分のための欲がなくなってしまうと、自然に誰かのために何かしたくなってくるものだと思いますよ。

>そして今悪事を行ったり、他の人に迷惑をかけているひとは因果応報という事で、来世で苦労してねという事か。

カルマを善悪で考えるのは仏教的教義から来ているのでしょうね。
カルマとは個人の感情・観念への執着ですから、悪事でも本人に認識のないものは自己のカルマにはならないと思います。他者(被害者)から受ける可能性はありますが・・・
逆に変な教義を信じることによって、余計なカルマを植え付けられるということは有るかも知れません。
教義とは信者を獲得するためのツールであって、獲得後の心のケアはありませんので・・・w

2. Posted by 四季(管理人)   2015年01月21日 14:06
>無人くん

そうですね、昔の素朴な日本人が多く転生してきていると思わされますね。
カルマの捉え方や教義等人間が都合よく解釈していると考えられる部分も多々あります。

根本的な所(魂とはなんぞや?)がぼやけたままだったので、どうにも解釈次第で話を展開出来てしまう状況では求めている答えに辿り着けそうにも無かったです。

が、この次に書いたブログの内容をご覧いただけると、もしかして!と思われるかもしれません。

ブログを書きながら、心理に少し触れる事が出来たような感覚になりました。

まだぼやけていますが、何か感触があったような。。。
3. Posted by 万年   2015年01月21日 21:38
>カルマとは個人の感情・観念への執着ですから、
>悪事でも本人に認識のないものは自己のカルマにはならないと思います。
>他者(被害者)から受ける可能性はありますが・・・

私もそう思います。
というか、そういわれました(笑)
単に潜在意識に埋もれた思い癖ですね・・・
それが現実を左右させていると・・・
4. Posted by 四季(管理人)   2015年01月22日 00:49
>万年さん

そうなんですよね、引き寄せの話も含めて総合的に考えてもやはり、想念というか思った事の波動がシンクロした世界を引き寄せ、その現実を引き起こすと考えるのが自然に思えます。

何かカルマというルールが作成されていて、それに反すると、、、とかいう話では無いですね。

自然界に広がる自然の法則に沿って現実が形成されている感じです。

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