2014年09月28日

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もうそろそろ50才が見えてきたある日、数ヶ月位「またバイクに乗ってみようか」などと考えていた頃の事。

同年代の知り合いもハーレーが、と言っていた。

しかし20代の頃に1000ccのバイクに乗っていた頃と比べて、筋力は確実に落ちているし反射神経も視力も自覚しているだけでも相当落ちている。

大型バイクはやはり危険だからやめた方が。。。という自分と、若い頃のイメージだけは残っているのでまだ行けるという自分がいた。

 

まあ、久しぶりに見に行くだけでも行ってみよう、と近所のショップへ出かけるも定休日。

諦めて数週間が経過し、またふと見に行ってみようと思うと、ショップの定休日。。。

こんな事が3〜4回ほど続いたころ、定休日を回避し日曜日に行ってみようと車を走らせる。

車を走らせること5分、いつもはあまり通らない道へ左折すると後ろからパトカーがサイレンを鳴らして大騒ぎしている。

ぴったり後ろについて止まれと言っているので停車してみると「運転手さん、一旦停止違反ですよ。気が付いていますか?」との事。

全く気が付いておらず、通過していた。。。

そこは変則な合流で一旦停止を皆見落とすので、パトカーがいつも隠れているという名所だとあとで分かった。

せっかく数十年ゴールド免許であったのだがブルーになってしまった。。。


バイクショップの定休日に阻まれ、定休日を回避してショップへ向かえばパトカーに止められる(笑)

その時思ったのが「バイクはもう乗るな!」と言われているような気がしてならなかった。

自分の感覚として「わかったわかった、もうバイクは乗りませんよ!」と守護霊に向かって言っていた。

 

これはそれまでに起きた事を関連付けて考え、「自分は守られている」と感じてみる。

自分の生活パターンから自由に動ける日程がちょうどショップの定休日と重なった結果&パトカーの隠れている名所という近所の情報を知らなかったという事から来る単なる思い込みという見方も出来る。

 

若い頃1000ccのバイクで信号無視して突っ込んできた車に衝突され、車もバイクも廃車になるという大事故があった。病院へ来た警察官は車とバイクの壊れ具合からバイクのライダーは死亡していると思って神妙な雰囲気で病院へやってきた。しかし私は打撲だけの軽傷であったため警察官は本当に驚いていた。

これも私は守られていたと考える方がいいのであろう。

こうした経緯から現在はバイクに乗る事は無い。

 

他の人でも大事故の最中、奇跡的に助かった人の話を聞いたりする機会があり当時の様子を教えてもらうと、ちょっと不思議な出来事が重なり奇跡的に助かったという。

助かった人は奇跡的にという話になるが、助からなかった人もいる。

旅客機が墜落し、数百人が無くなった中から数名だけ生き残ったりした事例は有名である。

助からなかった人は守ってもらえなかったのか?

また大災害で多数亡くなった人も守ってもらえなかったのか?

 

この辺りは「魂のレベルで亡くなる事に同意していた」という話がスピリチュアルの世界ではよく言われていたりする。生きているという感覚を持つ我々は「亡くなる事に同意」という部分、非常に違和感がある。

人間以外の動物も「生存本能がある」と言われている。

何があっても「生きていたい」のだ。

本能として持つこの感覚に「魂のレベルで相反する事に同意する」という矛盾。

ここが解決出来なくて様々な考え方が多数存在している。

「運命」「寿命」等とも言われてみたり、「人間としての修行が終わり」や「修行が急遽終了する」または「生まれる前から自分自身で決めた事」とか。

 

今こうして書かれている文章も、人間が人間の感覚として会話したいという感覚から作られてきた言葉なので、この生存本能をもった感覚の人間が作り出した言葉では表現できない、または理解できない世界を表す事は難しいのだろうか?

理解できない世界は本当に我々の感覚的に「存在する」という認識で方向性は正しいのだろうか?

 

このブログでずっと探索している事の中では「理解できない世界」は存在するという前提で考えてきた。

だから「守られている」とか「宿命」とか「導かれる」とかという感覚を持つ。

霊能者という方たちが断言する世界にも様々な矛盾がある。

矛盾しているように思える話や出来事も全部実は正解で、場所や時間、対象の人により違う現象であったり、人がいれば人の数だけ別の世界があるという話もあり、「新説」の登場は続いている。

 

しかし多くの人に共通して起こる「引き寄せ」とかの法則的な事もある。

この引き寄せに関しても、様々な事が言われているが自分自身の経験で言えば、100%では無いにしてもかなりの確率で引き寄せられたと思われる現象を体験している。

これもどういった仕組みなのか興味津々で、身の回りに起こる現象を注意深く観察している。

 

考え方は大きく二通りに分かれると思う。

自分自身の心の持ち方で「法則」として現象化するという考え。

または、神様のような他の「意思を持つ何か」により願いを聞いてもらえる。

 

単純な法則として発動するのであれば論文にも出来るかもしれない。

しかし他に意思を持つ何かの産物であるとすれば法則とは言いにくい。

 

日本のことわざで「憎まれっ子世に憚る」という感覚、昔の人が自然に思った事であろう。

良い人ほど早死にする。

酒もたばこも手を出さず、食生活も気を付けて健康に生きてきた会計士がいた。

40才の頃ガンで亡くなっている。

こうした現実を見ると、健康志向と病気の因果関係に疑問を持ってしまうであろう。

 

「自分は守られている」という感覚を持った時点で、別の意思を持つ何かが存在すると思っている。

しかし、実は意思とかでは無く単なる法則で、それは「自らの心の持ち方」から来る現象化であるという考え方もある。

実は未来も過去も無くて、全て「今」の瞬間にあるとかという「新説」もよく見かけるが、私の感覚からすると腑に落ちない。思考が発展していかないので今の所見送っている考え方だ。

 

芸能界に「丹波哲郎」という霊界からの使者だと言い、もし自分が死んだらあの世からコンタクトしてくるから、と約束したが未だに何もないという芸能人のコメントに思わず笑ったが、人間としての肉体の寿命の範囲内で見のまわりに認識できる現象をもっと観察していくうちに、何かまた見えてくるのかもしれない。



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(13:23)

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この記事へのコメント

1. Posted by 無人くん   2014年09月28日 16:01
Unknown<br>
こんにちは無人です。<br>
おそらく、私は四季さんと同世代の人間ですね<br>
<br>
自分も似たような経験をしたことがあります<br>
<br>
一昔前は、いじり系の中年暴走族(?)で、車をいじっては峠をよく走り回っていました。<br>
思い入れのある車で、13年乗り続けてきました。<br>
当時はとにかく事故が多く、加害・被害・自損あわせても10回以上は何らかの事故にあっていました。<br>
ある日、車のセッティングをミスって崖から転落するという大事故を起こしてしまいました。<br>
不思議なことに全く外傷はなく、JAFの人からはよく生きていたねと言われる始末でしたw<br>
<br>
その後、車を廃車にして、安い中古車を買ってまたいじり倒そうショップをあたっていました。<br>
しかし、なかなか目的の車が見つかりませんでした。<br>
そうこうしているうちに3ヶ月が経ったころ、某ディーラーが家に訪れ新車のセールスにきました。<br>
多分ディーラー系の中古車ショップを訪れたときに情報が入ったのでしょう。某スポーツセダンのカタログをくれました。<br>
いじり系の自分としては、基本的に完成された新型のスポーツ車には興味なかったのですが、中古車+チューニング代を考えると、こちらの方が安く予算の範囲内でしたので、なんとなく勧められた新型スポーツ車の方を選びました。<br>
<br>
しかし乗ってみると、走りの次元の高さにびっくりで、とても公道で限界まで使いこなせる代物ではないことが分かり、いままでの暴走行為は一体何だったのかと自問自答するようになりました。<br>
いつの間にか限界走行もしなくなり、心に余裕が出来たのか周囲の景色を楽しむようになり、県外の名所へドライブ旅行するようになりました。車の別の楽しみ方を見つけることが出来たわけです。<br>
今年8年目で、エンジンは若干ヘタり気味ですが事故は0です。<br>
<br>
この出来事を引き寄せで考えてみると、自我の欲求と根源的な欲求の選択の違いではないかと思います。<br>
自我では継続してスリルを求めていたのに対し、根源的な欲求としてはもう懲り懲りで違う楽しみ方を模索したかったのだと思います。<br>
結果として根源的欲求の方を選択し、望む現実を実現したのでしょう。逆の選択もあったと思いますが、おそらく同じ事をしていたでしょうし、最悪事故で死んでいたかも知れません。<br>
<br>
結局のところ自我の欲求よりも、根源的な欲求を選択した方が、自己の本質に近い何らかの進歩があるのではないかなと思います。自我の欲求は無限ループに陥りやすく、ある意味カルマの様なものではないかと思っています。<br>
以前、引き寄せのときのコメントで、 アクションを起こすときは能動的に、受け取るときは受動的にといいましたが、このときの出来事が起点になっています。個人的な経験則として、受動的に受け取る方が、根源的欲求を選択していることが多いです。<br>
<br>
四季さんのバイクに関するトラブルは、パイクに乗るのを諦めろということではなく、別の楽しみ方を模索する機会を与えられているのかも知れません。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
2. Posted by 四季   2014年09月30日 11:33
無人くんさんコメントありがとうございます<br>
そうですか、同世代ですか、よろしくお願いします(^^)<br>
<br>
現象の受け取り方によって意味が大きく変わってしまいますね。<br>
自らがガンガン行動していっても結局「あれ〜こうなるか〜」と、なるようにしかならない事はとても多いと思います。自我から出た行動は実を結ばない?それとも自我でも何でもいいから行動すると何かを受動的に受け取れる?<br>
<br>
この辺りの現象化の理屈に、なんとなく意味がありそうに感じてしまう事はとても多いからスピリチュアルという世界が発達してきたのかとも思えてしまいます。<br>
<br>
自我でもいいので行動に出られるうちにこの仕組みを少しでも解析してみたいですね。<br>
3. Posted by 無人くん   2014年10月02日 12:53
Unknown<br>
>自我から出た行動は実を結ばない?<br>
<br>
行動の起点はたいてい自我からの欲求だと思います。<br>
<br>
>それとも自我でも何でもいいから行動すると何かを受動的に受け取れる?<br>
<br>
周辺環境の制限により、必ずしも受動的に受け取れるとは限りませんが、経験上、受動で受け取れたものが、本質的に欲しい物である確率が高いです。<br>
また、自我で取りに行こうとすると、受け取った物に満足せず、どんどんエスカレートしていくことが多いですね。つまり、本質的に欲しい物ではないんですよね<br>
<br>
>自我でもいいので行動に出られるうちにこの仕組みを少しでも解析してみたいですね。<br>
<br>
色々なやり方があっていいと思います。<br>
自分は今まで自我丸出しで生きてきて、ようやく自分の本質に立ち返ったところですw<br>
<br>
<br>
<br>
4. Posted by 四季   2014年10月04日 00:43
無人くんさんコメントありがとうございます<br>
私のこれまでの記憶で、引き寄せ?と思える現象が起きた時、どう行動のスタートを切ったか?思い返してみました。<br>
<br>
なぜか追い立てられるように出かけた時。<br>
全く別の目的で出かけた時。<br>
何も意図せず自宅でくつろいでいる時やってきた。<br>
<br>
その事ばかり考えている時は、まるで結果に繋がりません。<br>
まさに忘れたころに、という現象ばかりでした。<br>
<br>
引き寄せ等知らない頃も既に引き寄せていたんだと思える現象も多数あり、引き寄せという言葉を知って、以前の出来事もあぁあれが引き寄せたのか、と納得です。<br>
<br>
引き寄せとは違い、何かしらの意図を感じてしまう出来事も多数あり、偶然と言う言葉で片付けたくない位重なった事もありました。<br>
<br>
どういった仕組みになっているのか?<br>
興味津々なので、もっと仕組みを理解し、コントロール出来たらもっと面白いし、人助けにもなるかもしれないと探索は続いております(笑

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