2014年08月12日

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ここ1週間ほど探求してきたスピリチュアルの世界の疑問が別の深まり方をしてきている事に気が付いた。

そこで考えをまとめていた所、いつもお世話になっている万年さんのブログにも同様な事が書かれていた。

一番最後に万年さんのブログのリンクを記載させていただくので興味のある方はご覧頂きたい。

神様は万能で何でも知っていて何でも出来てこの世界を作り出した偉大な存在というのが一般的な認識ではないだろうか。

しかしこの考え方では人間社会と照らし合わせてみても矛盾が多すぎて納得が出来ない。

しかし神の存在を思わせるような出来事もあり、伝説、言い伝え等古くからの話も多い。

では視点をもっと自分自身に近づけてみてはどうだろうか?

2014年に生きている人間の感覚とは合致しない部分が多い。

人は神に古くから「救い」を求めてきた。

戦争へ向かう我が息子が生きて帰ってきますように。。。

結果、生還した人も多いだろう。

その時お百度参り等したりお供え物をしたりしてお願いした人は「願いが通じた」と神に感謝するだろう。

戦死の通達を受け取った人は、運命、宿命、きっと何か理由が有るという何かしらの理由を付けて自分を納得させるのではないだろうか。

西洋の神への考え方など深く調べた事は無いが、基本的に神のしもべという考え方を映画の中でも盛んに使っている。

実は我々が考えているような神等存在しないのではないだろうか?

愛を求めているとう感覚も人間の今の感覚で解釈している人が多い事だろう。

交通事故等に出くわしてしまったがぎりぎり回避し、命は助かった。

神様に感謝?

いや、交通事故等瞬間のタイミングで発生してしまうのだから、神が助けてくれたという考えなら、そのタイミングを少しずらすだけで事故にはならないだろう。

よく霊能者が「それは経験しなければならない事」とか「生まれる前からの計画」とか色々言うがこれも疑問だ。

六十数年前戦争に無理やり駆り出されて、戦場で飛び交う銃弾の中を進まなければならない状況を作り出したのが神なのか?

何万人という兵士が銃撃戦を行い、被弾して命を落としてしまった人、生き延びた人、戦国時代に米や野菜を作っていた人が戦に駆り出されて戦死する。

こうした状況で亡くなった人は?

現象を書き出していくといくら書いても書ききれない。

しかし、これまで神がいる、そしてその意思で何かしら事が起こっている。

こうした大前提は揺らいでいなかった。

最初から信じていない人も多数いるだろうが。

私自身もその大前提を否定するほどの考えを持たなかったために数年にわたりブログで探求してきた。

しかしここ最近、そうでもないという事に気が付き始めたのだ。

少し前の万年さんのチャネリングで、「こうでも言っておかないと人間が言う事を聞いてくれぬではないか」という発言があった。

これがずっと引っかかっていたのだ。

魂等がどうして出来上がってきたか?という理由に関してはまだ探索中であり解決に至っていない。

しかし、神という存在がそれほど人間社会に関わっているとも思えないのだ。

ある霊能者が「神からのお告げ」で品行方正を保たないと幸せになれない等といった発言もあった。

だから私の言うとおりにしなさい、と高額なセミナーの招待があった。

いや、あなたが神ではないでしょうと一気に信頼を失った事があったが(笑)

人間が生きるにあたり必要な事、それは

「目標を持つ」

という事ではないだろうか。

目的地も分からず理由もわからず、ただ苦労しているだけ、これほどつまらない事は無いだろう。

人が命を輝かせるには明確な目標があればいい。

仕方なく持たされる目標はつらいだけである。

こうして目標を持っても志半ばで病魔に倒れる事もある。

そんな人がいるから健康に気を使い、といった考えも生まれるのだが。。。

一部の人の目標、軍上層部の目標だけで戦場へ駆り出されてはたまったものでは無い。

企業の役員の目標だけで社員がこき使われても命は輝かない。

主眼を人間の幸せという所に置いて考えた場合、全ての人が幸せと感じる社会は不可能であろう。

全ての人が幸福を感じていたら、それは普通の状態である。

酷い環境に置かれて苦労する人、悲惨な事件に巻き込まれて命を落とす人、空爆に巻き込まれて命を落とす人。

こうした幸せを感じる事が出来る為の対比が無ければ幸福という概念は存在しない。

戦争が無い場合、平和という言葉も無い。

詐欺師等人を騙す人がいなければ信頼という概念も無い。

何かしらのポイントを中心に全てがバランスを取っている。

偉大な自然現象という解釈がすっきりはまる。

こうした不思議な自然現象を見て「神の存在」を感じているだけではないのだろうか?

魂の存在や輪廻転生、とんとん拍子に上手く行く時の何か意図的な現象等は神の意思とは別な所に何か理由がありそうである。

もしかしたら輪廻転生を思わせるような現象やとんとん拍子に上手くいく時の流れも大自然の法則に沿った現象であり、神の仕業と言えない事も無いだろうが。

こうしてこれまでの人間が神として思っていた概念を否定するような事を書いた場合、「そんなことは無い!」と反発する人もいるかもしれない。

そしてこいつは間違えている、とんでもない奴だ!と怒りの念を送ってくるかもしれない。

その念がまた自然のバランスに何かしら影響を与え、新たな現象を起こすのかもしれない。

「人を呪わば穴二つ」といったことわざがあるように、人に何かしらの悪意の念を送ると、そのまま自分にもその念が返ってくるといった考え方。

自分が作り出した自然の法則への影響は発信源と周波数が同じなのだから自分自身も自然の振動と同調するのは理科の実験の通りではないだろうか。

おとなしくしていても人間は脈動し思考し生きている。

こうした動きから自然の法則の中へ何かしらの影響を与えている。

他の人もそうした何かしらの影響を振動として放っている。

ラジオもそうだが、同じ周波数成分を持っていると、相手の波長と同期する事が出来る。

これがもしかしたら引き寄せの法則の根源ではないかと最近思っている。

だから、常にいい気分でいるとか、望む姿をイメージし続けるとか誰にでも理解しやすい言葉で説明しているのではないかと思う。

魂の輪廻転生による出会いの影響等はまだ探求しなければ分からない事が非常に多いので、こうした事と引き寄せの関係はまだ断言できない。

今思う事は「神とは?」という問いに対して、人間の考えるような「意思」を持たない大自然の法則であろうと言う事。

運命や宿命、カルマ等といった解釈に振り回されないで自らの考えで行動することが良いのではないだろうか。

人間の脳の特性として、思い込むとその脳の回路が補強され、よりそうした思い込みが行いやすい思考回路になってしまう。

こうした悪循環とも思える特性を知り、カルマと思われるような現象等を回避していけばよいのではないだろうか。

これまで考えられてきた「神は自分の中にいる」という考え方は、まさに考え方一つで人生いくらでも変化できるという事を言っているのだが、ここで「神」という言葉を使うから解釈の違いや勘違いが発生してしまうのではないだろうか。

ワンネスとか元々は一つとか、こうした考え方も確かに元は一つだろう、しかし現在「個」という認識を持ち活動している状態で悟りを開くといった考え方へ進む事は、振動が起こったがそれが自然と終息へ向かう事と同じであろう。

収束へ向かう事が悪いという解釈は無い。個別に肉体を持ち生命を維持しているだけで何かしらの波動を放っている限り大自然の法則は振動をし続けるだろう。

出来れば心地よい振動を皆が放ってくれる事が嬉しいと思える。

こうした思いが昔の人には宗教といった伝え方が適しており、今日まで広がりを見せているのではないだろうか。

職場に笑顔が溢れ、大変と思える仕事も協力し合い達成していくといった雰囲気があれば明日もまた頑張ろうと思えるだろう。

未来が決まっているという事は考えにくい。

そしてとてもいい波動を出し続けて幸せに生きていた人が、自然災害に巻き込まれて命を落としたりした事は運命等では無く、自然現象の大きな流れに巻き込まれてしまっただけであろう。それを運命と言う言い方も出来るが、決まっていたわけでもないと思う。

地球と言う惑星も永遠ではない。いつか無くなる。太陽にも寿命があり太陽の寿命が尽きた時爆発すると言われているが、その爆発に巻き込まれるか、太陽の重力圏から放たれて宇宙空間へ氷の惑星となって漂うか分からない。

この不思議な自然現象の中で生まれたという表現をするが、その命といった概念を持った生命の一つが人間であり、その生命が自分自身を認識し考える事が出来る意思を持った。結果、その意思は人間の今現在の科学では解明できない何かの方法で記憶を保持している。

保持された記憶を再利用して輪廻転生が行われ、そのサイクルの中で私は「どういった原理なのだろうか?」と疑問を持っている。


どちらにしても解釈なので、また時代が進みもっと様々な事が分かってきたらこの解釈も変化するだろう。何故意思を持ったのか?という理由もまだ不明だ。

神はいる、という考え方も間違いではないだろうが、人間のように意思を持っているか?という事に関しては持っていないだろうと考える。

偶然という事は無い、全て・・・といった話もあるが、人間だけでなく大地も空も存在する物体全てから何かしらの波動が出ていると考えているので、それらの周波数の同期のしかたで様々な現象が起こるという概念で見ると、偶然という事は全ての事柄に於いてありえないというのが正解と思われる。

まだまだこのテーマは深く掘る所がありそうなので、今後も探求し続けてみよう。

 

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この記事へのコメント

1. Posted by 無人くん   2014年08月13日 11:40
Unknown<br>
私は宗教的な意味での「神」はいないと思っています。<br>
しかし、「創造主」として意思を持ち、創造物の観察に専念している「神」ならいるんじゃないかなあ・・・と思っています。<br>
というのも世の中の現象を見てみると、常に観察されていると思うことが多々あります。<br>
たとえば、<br>
>>戦争が無い場合、平和という言葉も無い。<br>
>>詐欺師等人を騙す人がいなければ信頼という概念も無い。<br>
>>何かしらのポイントを中心に全てがバランスを取っている。<br>
これは、おそらく「創造主」としての「神」は、どちらにバランスと取るのかを観察して、次の創造へ<br>
フィードバックをしているように見えます。<br>
<br>
それに関連して、万年さんのブログも興味深いですね。<br>
神や霊は思考を持たないとのことですが、正直なところ、あまり信じていませんw<br>
一般の人は神に頼ろうとしますから、思考を持たないということで、神への依存心を排除させようする意図があるのではないかと思います。<br>
神の意志で運命が決められていると知ったら、人間はモルモットの気分になり、自分で運命を切り開く意思を持たなくなってしまうでしょう。<br>
神の側としても、観察対象への干渉を極力抑えることで、観測データにノイズが入らないようにしたいでしょうし、もし変な方向に振れてしまったら、当事者に分からないように修正するのではないかと思われます。<br>
たとえば、日本の歴史です。<br>
戦国時代とか明治維新、第2次世界大戦あたりは不可思議な修正がやたらと入っているんじゃないかと考えています。<br>
これは明らかに偶然ではなく、集合意識による多数決による決定でもない、何か大きな意思が働いていると感じています。ついでに宇宙の生成についても同様ではないか思っていますw<br>
2. Posted by 四季   2014年08月13日 15:15
無人くんさんコメントありがとうございます<br>
非常に面白いですね!<br>
確かに管理されていると思えば自主性を失うかもしれない。<br>
これは私も感じていました。<br>
かといって全く関与は無い、何の意思も無いのか?と考えても引っかかる部分もあります。<br>
<br>
それにしてもここの所スピリチュアルの広がりは大きく、精神世界へ意識を向ける人の数も増えているように感じます。<br>
ここまで精神世界の内部構造に興味を持たれてはまずい、という事で万年さんのようなチャネリング、またスピリチュアルのブログをこうして書いている私が利用されているという事も考えられます。<br>
<br>
私自身何かしら証明は出来ないが、何かの力が働いているように感じられることも多く、核心部分に近づくことが出来ていません。<br>
<br>
確かに神という我々の定義している存在が有ったとして、意図的に人間への関与を否定しても、意思を持たない存在だとしても、この意図的な作用は一体何なんだろう?<br>
<br>
ここにもしかして、過去人間を経験した事のある魂と呼ばれるような存在が、何かしら人間へと関与し、それがあたかも神の意思のように見せているとも考えられます。<br>
<br>
霊能者と呼ばれる人が高次の存在と言っている何かからメッセージを受け取り、それが神のお告げと思っている、思わされている可能性も考えられます。<br>
<br>
人間のこれまでの歴史で言われてきた神と魂、こうした分類事態にももしかしたら思い違い、定義の誤り等がある可能性も十分に考えられますね。<br>
<br>
敢て神と定義しなくても、何かしらの介入をしてくる存在は完全に否定できないので、まだまだ探求が必要だと思われます。<br>
<br>
またコメントで考えを読ませていただけることを楽しみにしております。

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