2014年05月12日
循環という言葉の理解は人により違うだろう
「全てが循環している」
この事は分かってはいた。
理解したつもりでいた。
しかし、ずっと「なぜ?」と言う疑問は消えなかった。
起きる事に理由はあるのか?
この事をずっと考えていたのだが、どうしても腑に落ちる理由が見つからなかった。
いや、循環なのだ。
「神」が全てを作り出したとか誰が最上位だとか誰の意思なのかとか、まるで関係なく循環しているのだ。
大自然の法則として、全てが循環している。
地球の地下深くにあるマグマ、これが火山から噴き出してごつごつした岩が出来る。
山から地下水が湧き出て川になる。
そこをごつごつした岩が流れて行き下流に辿り着くころには丸くなる。(と言われている)
そして何万年という年月をかけて地下へ埋もれて行き、マグマに再度溶かされて行く。
「神」と呼ばれる領域も大自然の法則で何かしらの存在があるのだろう。
そして、魂が地表に降りてきて(表現上降りてくるとした)植物を成育させたり昆虫や動植物を動かす。
勿論人間も動かしていく。
地表に降りてきた神は魂と呼ばれており、それが人間界で幾度となく輪廻転生というループをする。
これは、地表に降りてきたばかりの魂はごつごつしており、自然の法則で安定した「丸」になろうとする。
「丸」になる為には人間界の中で角を取るという人生が効果的なのだ。
その輪廻転生を繰り返していくうちに安定した「丸」に近くなり、人間界を必要としなくなる。
結果、魂としての磨き上げの活動に切り替わり「霊界」と呼ばれるエリアで自然の法則に乗って研磨する。
何度となく研磨された魂は「神」と同質な存在となり「神」と同化していく。
活動記録のような年輪が含まれているので、その総合体の神は万能となっていく。
ある程度の大きさ?質量?を超えると「神」も不安定となりその集合体からこぼれる魂が地表へ降りてくる。
私たちは理科の実験等で、コップから溢れる寸前の水は表面張力で踏ん張っているが、ある量を超えると水がこぼれる現象を知っている。
神の世界の現象等はまだ解明されていないが、おそらく何かしらの大自然の法則の中では同じような現象が起こっていると考えられる。
動物が持つ「本能」と呼ばれる性質は誰に教えて持ったわけでなく発揮されている。
これまで精神世界で言われてきた事。
「魂を磨く」
この人生でカルマを解消して魂の位を上昇させる。
もう輪廻転生が不要となるまで学習?修行?磨く?適切な表現が見つからないが人生勉強とされてきた。
これらはなぜ?
ここがこのブログの最大の疑問点であった。
誰かが誰かの意思で意図的に人間社会を作りだし、何かしらのルールを決めて何かを「行わせる」と考えられてきた。
実はこうした考え方も全て「循環」の中の一場面であって大自然の法則の流れで自然発生しているだけに過ぎない。
この考えに至るに、ピースさんのブログがきっかけになりました。
「魂のプロセス」を拝見させていただきました。
http://ameblo.jp/superh100/entry-10756184751.html
『生存』→『欲』→『犠牲』→『慈悲』→『貢献』→『覚醒』というプロセス。
一人の一生の中でその人は「慈悲」のプロセスまで進んでいた、しかし災害に巻き込まれて亡くなってしまう。
実はその人は魂の段階ではまだ「生存」のプロセスであった。
これは時計の「長針」と「短針」のように魂は短針の動きの中で、長針は人間の一生と考えると理解が早い。
これはピースさんの「あるじ」と呼ばれる守護霊との会話で教えてもらった内容だと言う。
何故こうしたプロセスを経なければならないのか?
覚醒した後、再度生存に戻り、大自然の法則の中でぐるぐる回っているからだろう。
これら「大自然の法則」の中で魂と呼ばれる存在が人間にも入っていて、「意思」を持っていると人間は感じている。
この意思もベースに「感情」があり、感情は自然に湧き上がるもので自然の法則からくるものだろう。
もしかしたらこの「意思」と思い込んでいる感覚も大自然の循環の複雑な流れの中から出来たものであろう。
「意思」と思われる存在も循環しており太平洋の中に流れる黒潮のようなルール的なものを作り出しているかもしれない。
ここまで非常に雑な文章だと実感しながら書いているが、感覚的に思っている事をひとつひとつ文章にしていくのは困難だ。
映像のようにしてイメージ的に作り出した方が「誰かに伝える」という目的の場合最適だろう。
長い年月をかけて精神世界が語り継がれ、分析され、無数の仮説の上に不安定な状態で人々の思考にある。
山間部から流れ出る水は川を作り、その流れから蛇行する。
蛇行しすぎて湖を作ったり水たまりであったりを残して反対方向へ蛇行していく。
残された水たまりは、澱み、腐る。
もしくは蒸発して無くなる。
株式やFX等の人の心理で動く市場も行き過ぎては戻るを繰り返している。
人間という存在が数多く存在すると、村となり、そこには村の掟が出来てきて長老が支配するようになる。
時が流れ、村は市となり県となり国となる。
村同士の争いは後に国同士の争いとなり戦争と呼ばれる。
そして悲惨な戦争という記憶から二度と戦争は起こさないように、と過剰なまでに生命の保護に走る。
視点を今現在人間として生きている我々の視点に戻してみる。
人間社会は厳しいと言われている。
だれが厳しくした?
自然の法則の中から出てきた村長が決めた「貨幣」という仕組みの延長線上に我々は生活しており、その貨幣を支配しコントロールしている誰かがいる。
学生時代に勉強を頑張らないと社会人になっていい生活が出来ないから頑張る?
今大好きな事を諦めて、資格を取る為に時間を使わないと生きていけない?
未来の為に今を我慢する?
現代の社会を維持してその価値観の中で生きていきたいと思うのであれば、これまで通り今を犠牲に頑張ればいいであろう。
しかし、今の社会に疑問を持ち、誰かの為に自分が必死になる事が変だと感じている人も多いのではなかろうか?
では社会を自分で変えるために政治家になるのか?
結局は今の社会の仕組みに入り込んでいかないと、変える事は出来ないが、変えるとは何を変えようとするのか?
これによっても考え方は変わるだろう。
では真っ向から現代社会に対抗して?現代社会を無視して?生きていくのもまた大変だ。
それならこの社会をぶっ壊して作り直す?
そんな大変な事をしなくても、現実は少しづつ、ほんの少しづつ変化している。
誰かの意思でなく、大自然の法則に従って何かしら何処かへ向かって変化している。
自分を磨く、魂を磨く、カルマを解消して位を上げる、輪廻転生のループから卒業する。
魂のプロセスを経て成長?する。
「神の意志」として、これは大自然の法則で、神から溢れ出た魂がまた神へ戻る旅。
そしてまた繰り返す。
その途中の神もまた大自然の法則に乗っ取り、霊界のルールを作り出したりしている。
結局辿り着いた所、それはルールのように思える事、法律のような我々が認識できるルール等、大自然の法則の中から出てきた事であり厳守しなければどうにかなってしまう訳でもない。
非常に冷静な見方として、非情な言い方をすれば、ルールを無視した動きも自然の流れ。
だからどうした、と。
その自然の循環の中で「意識」と思える「感覚」を「認識」している我々を縛り付けるものは無い。
「〜しちゃいけない」「〜しなければならない」等という義務も無い。
全て自由であり自由な流れなのだ。
本当に雑な文章なので、もしかしたら誤解だらけとなるかもしれない。
が、それも自由。
魂に記録される体験は多分しっかり蓄積されており、その蓄積の結果人間として生きている時に影響を受けたような現象があると思われる。
それをカルマと呼んだりして、輪廻転生してカルマを解消するという事も自然の循環の一部であろう。
そうした魂同士の影響はとても深くて、様々な現象を起こしていると思われる。
引き寄せと呼ばれる法則もその一つであろう。
ある「意思」が「思う」(イメージ)すると現象化する。
因果応報という現象も自分が「悪い事」という認識をどこかで持っているから、その反動が来ると「思い込む」事により悪い事と思える事を引き寄せて現象化が起こるのかもしれない。
次から次へ思いつくままに書き出してきたが、切が無い。
しかし、この全てが循環しているという流れが私の頭の中で完結出来た時「腑に落ちる」状態となった。
とても安定している。
こうなったら義務もルールも無い、自由な考えで心底自由に振る舞ってみようと思う。
自分も魂のひとつとして、他の人も同じ魂であり、自分がいやだなと思う事は人もほぼ同じ。
人に迷惑と思われる振る舞いは極力避けて、やりたいと思う事をやってみれば良いであろう。
他の人も同じ魂だからと言っても現社会では分離されており、性質も違ったものになっている。
無理やり「愛す」等という事も不要であろう。
「やなやつ」とか思い意識してしまうと引き寄せの法則で囚われてしまう。
そうした人は自分から離れていくというイメージを持っていれば全く問題ないだろう。
完全にふっ切れた感覚からどんな事が起きてくるのか?
こうした事に興味津々である。
スピリチュアルの疑問としては、ここで解決出来たと思われる。
第二幕が終了したのだろう。
だからと言って、更新を止める必要は無いだろう。
これから起こる興味深い現象の記録としても楽しい。
本当にこれまで沢山の人がこのブログを読んで、沢山のコメントも頂いた。
読んでくれる人がいるという不思議な状態がブログを書き続ける事の原動力にもなった。
まずはお礼を言いたい。
本当に皆様ありがとうございました。
これからは、ふっ切れた目線で更新していくと思います。
またよろしくお願いします。
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!
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