2014年05月04日

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スピリチュアルの世界では「悟り」が一つのテーマになっている。

悟る事が素晴らしい、悟とはどういった視界が開けるのか?など。


しかし、なぜ悟る必要があるのだろうか?


生きる事は厳しい。

生きる事に疲れてしまった。

生きる事に疑問を感じる。

理不尽な目に遭う事に耐えられない。

生まれつきの病に苦しめられている。

思いが通じない。


書き始めたら切りが無いほど出てくるのでこの位にして。


共通点は「原因不明」という部分ではないだろうか?

もしくは、「飽き」。


理不尽な目に遭う事の理由、不幸が立て続けに襲い掛かる運。


こうした人生における様々な出来事に「なぜ?」となる。


解決するには「悟れば心が軽くなる、悩む必要が無くなる」といった流れ。


私自身も悟りの先人達の実感から悟りに興味津々な時期が続いたことがある。

そして自分も悟りの境地へ辿り着きたいと思い、水をかぶってみたり座禅を組んでみたり、様々な事をしてなんとなく悟った気分になった事もあった。


そして心が軽くなり、思い悩むことも減り、自分で自分の首を絞めていたようなストレスも無くなり「なんとなく悟りとはこんな感じか?」と思い込んでいた時期もあった。


しかしその状態で時が過ぎ、しばらくするとまた矛盾に気が付くようになる。


大雑把に悟りとは、と書き出してみる。


悟りとは?

・欲が無くなる

・争いが無意味な事を知る

・雑念が消え、心が穏やかになる。


まだまだあるだろう。

言葉ではこうして書き出すことが出来る。


人間が人間社会で生きているという事は常に競争を強いられることになる。


空腹に打ち勝つ為に仕事をしてお金を得る。

お金を得る為に他社と戦う。

他社と戦うために社内競争を戦い抜く。

様々な事と戦う為に自分自身の体は重力と戦って立ち続ける。

戦いは無数に繰り広げられている。


生まれて物心つく前から幼稚園、小学校と競争することを強要され当然と思いながら成長する。


競争という概念が無い世界に生きていたとしたら文明は発達しただろうか?

もしかしたら自然界の法則は競争が当然なのだろうか?


重力と戦って自分の体を立ち上がらせると先ほど書いたが、実はこれでバランスを取っているとも言える。

食物連鎖で次々と食べられてしまう生物も生き残りをかけてと書きたくなるが、実はDNAの突然変異で様々な形態に生物は変化し、自分自身が食べられないように(逃げ切れるよう)変化したから生き残る事が出来た。


食べられる数が少なければその生命は爆発的に増え、ほとんど食べられてしまえば絶滅してしまう。

そうして自然界は循環のバランスを保っている。


こうした大自然の法則の中にいる人間にもその法則性はあり、結果「競争」が行われるとも考える事が出来るだろう。


生物が「進化」するという表現は、何かしらの意思を持ってその方向へ進むように錯覚してしまうが、どうやら違うようだ。


では、理不尽な目にばかり遭ってしまう悲惨な人生を歩んでいる人が思う「なぜ?」という疑問。

スピリチュアルに辿り着いて「悟りを開けばいいのか?」と思い、試行錯誤したり書籍を読み漁ったりする。


物事の「理由」「原因」が判明してしまうとこれまで不思議だと思っていたことも当然の事になる。

マジックショーもタネが分かってしまうと「驚き」が無い。


物凄く大雑把にまとめると


人生「理由や原因」が分かってしまうと「つまらない」のでは?


マジックショーのタネも分からないから「知りたい」のであって、分かってしまえば「なぁ〜んだ」になる。


でも自分自身が理不尽な目に遭ってばかりでは納得がいかない。

理由が知りたいし、不運を回避したい。


では、こうした不運や理不尽は「明確な理由」があって何かしらの「意思」で行われているのか?


悟るという事は、その理由が判明してしまうか、思考回路を変えて「気にならない精神状態」へ持っていく事か?


大自然の法則の中で法則通りに動いているので、不運や理不尽は無作為に発生し、そこには「何の意思」も無いのだろうか?


では、不運が連鎖する事も法則か?


【自分自身の行い】前世のカルマ

【人生計画】生まれる前に自分で人生の出来事を決めた

【大自然の法則】無作為に起こる出来事

【引き寄せ】自分自身の思いで引き寄せてしまう出来事


霊能者の方はまだ沢山あると言いたいと思うが、この位でまとめて話を進めてみる。


大自然の法則以外は全て自分自身に理由が有ることになる。


一般的に自動車で走行中、釘等を踏んでしまいパンクする。

タイヤの空気が抜けてきて、そのまま走行するとタイヤはボロボロになる。

単純に空気が抜けた時点ではタイヤはそれほど傷んでいない。

しかし無理に走り続けた結果ボロボロになる。

高速走行中でありボロボロのタイヤが外れてしまいホイールだけになると火花を散らしながらホイールも傷める。

そして真っ直ぐ走れなくなりガードレールにぶつかれば、綺麗だったボディにも傷やヘコミが出来て事故となる。


始まりは「釘」を踏んだこと。

物事は連鎖している


パンクだ!と早く気が付けばタイヤを痛める事もホイールやボディまで傷める事も防げるであろう。


悪い事が起こると次々連鎖するのは運が悪いから?


ほんとうだろうか?


単なる大自然の法則ではないだろうか?

と疑ってみる事も早期解決の糸口になるかもしれない。


こうした負の連鎖のようなループから抜け出す方法が世には沢山あるようにも思える。

かなりの効果が世界中で確認されている「ホ・オポノポノ」この単純な事を実行すると流れが変わる。

負の連鎖から抜け出す事にもなると言われている。

私自身も実行しているが、はっきり証拠を示すことが出来ないスピリチュアルの世界では「感覚的」に思えば効果ありだろう。


人は何かと勝手に理由を考え、原因を突き止め「安心」したい生き物。


人に嫌われるのはきっと自分の顔の創りが悪いからと決めつけ、人前に出なくなる。

その事ばかり考え人と会わないから、ラフな服装で家にこもる。

人とのコミュニケーションが無いので「笑顔」になる事が無い。

結果雰囲気が暗くなる。

暗い人は避けられたりするので嫌われていると思う。

以下迷路ループ(笑)


実は嫌われる原因が他に有ったかもしれない。

ホントは嫌われてなどいなくて、相手が別の事で不機嫌だっただけかもしれない。

自分自身の心が繊細すぎて不機嫌でもないのに勝手に嫌われたと思い込んだだけかもしれない。


自分自身で作り出した「負」を「本当の負」にしてしまっているとも考えられる。

そのループから抜け出す方法を知らないから迷って悩んでしまうのでは?


そのような悩んだ状態から「悟り」に興味を持ち、自分自身で作り出した「負」の原因を「前世の行い」に探し続けてもそこに答えは無いだろう。


ここまで書いた内容は主に「人間目線」である。

全ては今現在生きている人間の心のハンドルが「負」の方へ切られてしまったという事から起こるのでは?と。


では本当に「前世の行い」から発生したカルマが原因で人生に「負」が起きているとしたら?

悟りを開こうが、座禅を組もうが、関係なく事件は起こるという事になる。

この辺りの考えは、このブログでも以前散々書いた内容であり、繰り返しになってしまうのでここまでにするが話のつじつまが合わない。


生まれる前に自分で作った人生プランのイベントとして「負」な出来事が起こるのならそれは予定通りであり嘆く必要もない。

予定通り事件は発生したので、その難題をクリアするというゲームのスタートである。

悟っている場合では無く、ゲームを進行させ攻略して人生を楽しめばいいだけの事なのだ。


では「引き寄せ」てしまっているとしたら?

これはちょっと話が違ってきて、前世の結果でも無く自然の法則でもゲームでも無い、無用な出来事である。


私自身「引き寄せ」という現象はかなり思い通りになるので不思議で仕方がないという状況なのだ。

これは「思い通り」になるので自分にとって「負」と思える出来事があったらそれは自分でその事件を引き起こしているという自分にとって迷惑な話なのだ。


インターネット上で様々な引き寄せの事例が報告され、様々な方法論も展開されている。

しかし全て思い通りにならない部分もあり、意図した方向とは違う結果になっている場合もある。

しかし意図した結果と違う状態も実は別の意図を達成する為の布石という事もあるので一概に否定はできない。


「引き寄せ」という現象は分かっているようで実はまだ全て解明されてないというのが現状認識として正しいと思われる。


実際の所、真実はどこになるのか?まだ誰も知らないのだろう。


思い悩んで「なんでだろう?」と原因を探るのは罠にはまりそう。


私のように面白がって「なぜこうなるんだろう?」と探るのはある種探検のような事。

考える事が非常に楽しいのだ。

地底の洞窟を探検するのでなく、自分の心の底を探る旅だから終わる事のない旅かもしれない。


無理やり悟りを得る必要もなく、まずは面白がってみると違う側面が見えてきたりもするだろう。


今現在詳しくは書けないが、自分自身の人生で非常に大きな実験を行っている。

他の人が聞けば、それは無謀だろう!と言うと思う。

しかし引き寄せの世界では普通に起きている現象でもある。

どうなるか?というより博打のようにでは無く結果思い通りになると思っている。

こうした実験がとても面白い。

悟っている場合ではないというのが今の私の本音でもある。


こうした事から、気が楽になり全てが楽しくなり、全てが自分にとっていいと思われる方へ動いている。


もしかしたらこうした心境になっている事自体「悟り」の一部なのかもしれないが。


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