2013年09月08日

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これまで思いつくままに疑問を様々な視点で掘ってみたこのブログ、いったん辿り着いたように思えていたのだが、どこかにまだ表現できない疑問が残っていた。

それが、どのようなものかも言葉にできなかったのだが、ここ最近ぼんやりしていた疑問、矛盾が見えてきた。

そして、その細切れの疑問がまとまってきて、全体像が姿を現してきた。

ここからは、第二弾としてその疑問を掘ってみたい。


これまでの霊界について様々な角度から見てきて、人間界は霊魂のアトラクションセンター、遊び場、いったん記憶を消して新たに様々な経験を楽しむ場だというところに着地した。


自分も人間として生きていて、そこから見えている疑問を掘っている。

つまり視点が人間としての視点であり、不思議に思ったり理不尽に思えたりすることの理由を探るというスタートであったのだが、今度は視点を人間からだけでなく、もう少し飛躍してみようと思う。


半年くらい前から、頭の中に「法則」という言葉が何度も出てきて離れないのだ。

この法則、仕組みとでも言い換える事が出来る現象には「あたかも意思がある」ように思えてしまう現象もある。


まだ解明できていない現象、法則もかなりあるというより解明されていない現象の方が数が多い。外科手術の時の麻酔、ある成分を人体に入れると麻酔が効くが何故効果があるのかその仕組みはわかっていないという。経験則の積み上げなのだ。


まだ解明されていない現象の一つに霊界もある。霊と会話が出来る人もいる。霊が見える人もいる。そうして会話やメッセージの積み上げにより宗教が出来たり、儀式があったりと数多くの「説」が存在する。


自分自身も霊とは?と思い続けて30年以上が経過し、その間不思議現象と思われる経験もしており、未解決のまま自分の中に残っている。「そういうことか!」と納得しても、しばらくすると矛盾を感じたり、納得できなくなっていたりする。そうした矛盾や疑問を少しでも減らせる事が出来るのでは?と思いつつ更に掘り進めていこうと思う。


このブログを書き始めてからトータルでアクセス数が数万を超えている状況から見ても、やはり興味を持っている人が多いのだな、と実感している。このブログはアフェリエイト等の収益が発生したりという事がまるでないので、完全に個人的な世界である。


では、第二弾


因果応報について、これは違うだろうという記事を書いてみた。社会学とか学問の分野はわからないので、その道のプロからすれば当たり前か、見当違いだとか言われるかもしれないが、霊の世界の探求という事で学問のフィルターは外していただければ幸いである。


自分のしたことが良し悪しに関係なく自分に返ってくる。

人に喜ばれることをすると何倍にもなって自分に返る。

逆の事をすれば、、、


表現は違えど様々な分野の方々が言っている。

本当にそうなのだろうか?

人が集団で生きるという環境、日本人だけの感覚で考えているとずれてしまうかもしれない。大義名分や理屈をこねて他国を侵略するという行為。

世界の情勢が不安定になってきている。

侵略された側の人間は、最悪である。

現在もウイグル地区と呼ばれることで侵略され、拷問され命を落としたり、家を燃やされたりと、人間の感覚的に「いやだ!」と思える事が今現在実際に行われている。


人が嫌がる事をすれば、何倍にもなって自分に返ってくる?


「返る」とは?


いやな事をしてしまった人へ「仕返し」をする。

仕返しという事は、嫌な事をする人が何倍にも増えている。

お互いに人がいやだと思える事を「する」のである。

仕返しをされた人の関係者に更に仕返しをされる。

どこかで止めるか収めなければ互いに消滅するまで突き進むかもしれない。


そこで霊界の法則として因果応報が言われてきた。

現在生きている人間の期間だけでその仕返しは完了せずに、次の人生でその報復を受けると。

今の人生、輪廻転生という事があるという事で考えると前世の記憶を消去して生まれてきている状態で、前世の報復で嫌な事をされる。

嫌な事をされてしまった人は意味が分からない。

「なぜ自分がこんな目に会わなければいけないのか?」と。


人は何かの現象が起きると、理由を求める。


人間社会は野生の動物の延長だと私は考えている。

食物連鎖の中から文明という力を得る事により外れてきた。

しかし、世界の歴史を見てもわかるように「戦いの歴史」が繰り返されているし、今現在も進行形で繰り返されている。

動物が生命の糧を得るために他の動物を襲い、力ずくで欲しいものを奪う。

人間が財産を得るために他の地域を襲い、戦争という力ずくで欲しい財産を奪う。


こうした肉食系と思える人間もいれば、争わず皆で分け合い自然とともに暮らしたいという人たちもいる。

草食系という表現が合ってるかな。


動物の場合は、肉食系か草食系かは姿が違うので見れば判断できるが、人間の場合はわからない。また、両方の要素を半々で持ち合わせている人もいる。


自然の法則も経験的に分かっているのが「バランス」である。何事も全て絶妙なバランスの上に成り立っていて、何かのアクシデントでバランスが崩れてもやがてはバランスを保った状態になる。


こうした肉食系の人間の暴走を止める、または抑制する為に人の考え方として「因果応報」という話をすることにより、抑制になったりもする。

「人にひどい事をすると、来世で仕返しされるよ」と。

今ひどい事をされた人には「きっと前世で悪い事をした報いが今来ているのだ」と。


こうして人間社会を社会としてまとめる為の宗教としての教えにその昔使われていた。

社会をまとめるだけでなく、支配するための道具として使われていたこともある。


こうした事が、何か理不尽な事が起きた時の理由として使われてきたと考えるのが筋が通るであろう。

宗教とは心の支えと言われている。

考え方なのだ。


戦国時代貧しい暮らしの農民が「南無阿弥陀仏」と唱えると「極楽浄土」へ行ける。と教えられ、心の支えにしていたという。貧しい暮らしから脱却できるという考え方である。


極端に見ると、因果応報も輪廻転生もたんなる「考え方」という見方も出来る。

これには、いやいや「現実」に起きている「現象」があるから単なる考え方ではないという反論もあるだろう。

もちろん私もそう思っているから、極端な考え方や違った視点からの考えを持ちこのブログで掘っている。


ここは因果応報に絞って掘っていこう。輪廻転生はまた別の機会に。


「泣きっ面にハチ」という言葉が昔から言われているように、「繰り返す」という現象がある。逆に「いいことが重なる」こともある。

これはいったいどうした現象なのだろうか?


悪いときは悪いことが重なる。

非常にいやな言葉である。

人の思考の癖とでも言おうか、習性とでも言おうか、人は悪い方に考えるのがとても得意である。ネットで口コミ情報を読んでいて、「このお店はとてもおいしい」という肯定的な書き込みが多数を占めている中で、ほんの少し「接客が最悪、こんな店だとは思わなかった」という書き込みを見ると「あ〜やっぱりそうか」と納得してしまったりもする。


良いことは続かない。

これも私は好まない言葉である。

宝くじが当たると、後に人生が壊れる。今まで懸賞など当たったことが無かったのに当たった!このあと不幸に見舞われなければいいけど。。。

など、いい事と思える現象が起きると、そんないい事ばかり続くはずがないと思うのである。でも、実際にそういう人が多いのでは?という意見もあるであろう。私もそう思った時期があったが、そういう人「も」いる。というのが実際であろう。私の親戚の家で3億円の宝くじが実際に当選していた。その家はいたって普通の今まで通りの暮らしをしている。そして、孫が結婚した時に家を建てる費用に充てたりと堅実に活用している。


と思えば、現象としてこれ以外の現象もある事を見逃してはいけないと思う。

オーストラリアで高額宝くじに当たった人を取材した番組で、再現映像を作成していた時の事、「この窓口でこうして・・・っとと、、、」撮影の最中にこの人が買おうとした直前、影で見ていた人が横入りしてきて、高額当選者の人が購入するはずであったくじを横取りして買っていったのである。まあ、再現映像なので気を取り直してもう一度、「こうして買いました」と実際に購入。すると、、、またここで高額くじが当選してしまったのである。


横取りしてくれた人がいなければ、横取りの人が順番を守っていれば横取りせずに当選していたのに(笑)。

どうしてもこの当選者に当たってほしかったようである。


乗ってる人、勢いのある人、何か成功のオーラが輝いて見える人等、次々と成功を収めていく人もいる。(もちろん影の努力もあるだろうが)。

しかし、では成功しない人は努力していないのか?

地道に努力、強引に突き進む、色々あるだろうが、うまくいっている人は振り返ってみると、自然に成功の流れに乗っている人が多いことに気が付く。


たまたま知り合いになった人に紹介してもらった所から成功の扉が開いた、等。

ここで登場してくる言葉が「運」であろう。

「運」がよかった、「運」が悪かった。

では「運」とは何者?


「運」とは引き寄せるもの。とも言われている。

スピリチュアルの世界でも「引き寄せの法則」と言われて実践している人も数多いであろう。私自信も引き寄せを実践して、その威力には驚いている。


この引き寄せに関しては既に様々な書籍が発売され解析されたノウハウの本が多数あるのでここではノウハウに関しては省略するが、要は「良い事」も「悪い事」も結構自分で引き寄せている場合が多いと思われる。


しかし、この考え方にも矛盾と思える部分が潜んでいることも確かである。

人間の視点として見たとき、人生を人のために尽し、それを喜びとするようないい人と思われていた人が災害で悲惨な最期を遂げてしまう。これは自ら引き寄せた災難なのか?


万年さんというチャネリングで霊とコンタクトを取るという事を行いながらも、チャネリングに疑問を持ち、半信半疑でありながら探索を続けている方がいる。

この方のブログにあるチャネリングでの回答に、「災害などで亡くなる方は魂のレベルでは人生を終える事に同意している」というメッセージがあった。


よくスピリチュアルの世界では、自分の考えたことが現実を作ると言われているが、魂のレベルでの同意、人間としての視点では「まだ人間として生きていたい」と思っているのに、魂のレベルで「人生を終わらせる事に同意」とは2重人格的な意識の構成で今自分自身が思っていない事でも勝手に思っている自分もいるのでは困ってしまう。

これでは自分の意思(今感じている自分)の思いが現実を作るとは言えないのではないだろうか?


引き寄せの法則の書籍でもこの辺りをノウハウとして説明しているが、矛盾は解決されない。


そしてこの部分に関連しているのが、「宿命」という言葉であろう。

人生は実は予定表があり、このスケジュールに基づき実行されている。

不幸な事や嫌な事、魂の試練の為に予定されており、人生が終わるときも予定されているという。


東北の有名な霊能者の母が自分の息を引き取る時間まで正確に言って、予定通り人生を終えたという話がある。

こうした現象の積み上げから「宿命」という言葉が現実味を帯びていると思われる。


また、沢山の兄弟姉妹の中の女の子が不治の病にて、臨終のときを待っていた時、沢山の兄弟の中の兄の一人が病室を訪れて、「自分が身代わりになるからお前はもっと生きろ」と伝え、その後兄は原因不明で亡くなり、妹は奇跡的な回復を見て退院したという話もある。


こうした現象の話は、この世界で現実として起きたことなのか、作り話なのか、今となっての検証は不可能である。

しかし、結果としてそんな事があったかもしれない、あったらいいな、等という感想が残る事も確かだろう。そうした感想が信憑性を増し、ある時点からだれかの「確信」へと変化するかもしれない。


こうした不確定な要素の上に「運」という事が成り立つと思われているから運とは自分ではどうにもならないものと思われてきた。

しかし、それは自分の意思で引き寄せられると言われ、実践してみると確かに結果に結びつく事もある。


ではどうして引き寄せられるのか?思い通りになるのか?

自分の魂のレベルでの思いと自分の意思を統一させるという。しかし、そうすると「宿命」との絡みはいったいどうなるのか?「もっと生きたい」と思う若い人でもその思いの引き寄せはならず、という事もある。


引き寄せでちょっと寄り道になるのだが、「生きたい」と思うという状態は「自分は死ぬ」と思っている状態。

思ったことが現実になる、生きたいは希望なので思ったことでは無いという意味不明な理屈がある。死ぬと思っていない人は生きたいとは思わないという。

しかし、突然事故で命を失う事もある。「思ってもみなかった事」である。


全ての事に理由を求めるという人間の心理から、きっと何か法則なり原因なり理由があるはず、という思いから様々な思考を巡らせることになる。


そうした理屈を求める心理がもろに私にも当てはまり、こうしてブログに書き続けているのだが。。。


死ぬと思っていた状態から奇跡的に生還すると、まだ死ぬ時期ではなかった。

思いもしない突然の死を迎えると、宿命だった。


実は、宿命等で人生の終わりが決まっている事等無く、理由も何も無いのでは?




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(23:36)

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この記事へのコメント

1. Posted by 万年   2013年09月09日 20:00
Unknown<br>
こんばんわ〜<br>
<br>
その可能性も十二分にあると思います。<br>
単に物理法則のごとく、<br>
なるべくしてなった結果かもしれません。<br>
そこに理由をつけたいのが人間なのかもしれませんね〜<br>
宗教の延長か、わかりませんが、<br>
そこに神聖な理由をつけたいのもまた人間なのでしょう。<br>
<br>
宿命とは違うかもしれませんが、<br>
数分後の出来事を察知し、そのとおりの現象が起こる。<br>
これもある意味、運命を察知したことになるのかもしれませんが、これは単なる確率的な偶然なのか否か。<br>
私は予知??で事故を回避したことがあるのですが、<br>
単に五感が鋭い状態だったので、<br>
脳が五感に集まった情報を元にカンを働かせ<br>
危険を回避したのか?それともトンデモ法則が<br>
存在するのか?まだまだ謎はありそうです。<br>
<br>
何回も<br>
人生が終わってしまうほどの事件が<br>
直前で回避されているので、<br>
どんな危険なことを冒しても、死なないような<br>
気がするんです。理由無き自信がありますね・・・<br>
私自身は長生きしたいとは思わないのですが。
2. Posted by 四季   2013年09月09日 22:59
万年さんコメントありがとうございます<br>
そう、未来の予知に関してですが、これは私も深く考えていました。<br>
単純な円運動として、ヒモの先にオモリのついたものを振り回すと、回転運動でオモリがやってくるのを予測することが出来ます。<br>
当然見えているので当たることなくよける事が出来ますよね。<br>
こうした単純な円運動ではないにしてもこの世の法則を肌で感じていると、その先の法則の予測が出来るという見方が出来るのではないだろうか?とも思っています。<br>
直前になればなるほど様々なサインが出てくるので、それをキャッチする事ですね。<br>
<br>
私も何度も人生の終焉を直前に回避してきたので、万年さんの言われる感覚が非常に良く分かります。<br>
<br>

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