2013年06月05日

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霊と人間世界はどうして出来たのか?

霊界の疑問を探求し、もう完結したと自分でも思っていたのだが、なぜかまだ消化不良であった。
今回は全ての根源を探求してみたい。

これは長年私が思い続けてきたテーマである。
数々の不思議な体験から、今の社会環境や様々なものに疑問を持ち続けてきた。

前回は霊の世界について考えてみたのだが、今回は霊界も人間界もなぜ生まれてきたのか?
という事について、ある一定の答えにたどり着けたような気がする。
また今回も、書くことによって考えをまとめてみたい。

宇宙が何故出来たのか?等、到底考えも及ばない事はもう事実として受け止めてみる。

水、液体、こうした物体は地球の引力に引っ張られ、その液体を受け止める容器があり初めて存在出来る。
液体がどうして出来たのか?は、物理の詳しい人にお任せしよう。
液体と、それを受け止める容器。

この時点で既に2つの異なる性質に分離されている。
液体は常に形を変化させる。
月の引力に引っ張られて、風にあおられてかき回される。

その液体の成分の一部がかき回される中で、何かの化学変化なのだろうか、単細胞という性質のものに分離された。
これで単純に、液体の容器となる「陸地」、液体(海)、単細胞(生物の根源)と3種類に分離が起きた。

そこから何億年が過ぎたのだろうか、単細胞は更に細胞分裂という動きを見せ、海から分離したひとかたまりの状態で内部が分裂を繰り返していった。

単細胞だったかたまりは長い年月を経て複数の細胞のかたまりとなり、環境に適応しながら形を変化させ、より複雑な構造になっていった。

この単細胞が出来た時点に焦点を当てて、ここに神の意志があったとする考えもあるようだ。
そうすると地球に生命体が出来る前から神が存在するという事になり、今回の話は成り立たなくなる。
私の場合その神すらどこから来たのか?という事も今回探求してみたい。

地球の引力という性質も人類はまだ完全に攻略できているかというと、まだであろう。
まだ未知の性質を見せる現象等は数えきれない。

私は、この単細胞が出来た頃から今人間社会で言われている「幽体」のようなものがあったのではないか?と考える。
この頃はまだ魂と呼ばれるような存在は無かったのではないかとも同時に考える。

解明されていない不思議な現象に、「同様な事が同時期に各地で発生する」という事がある。
単細胞が発生したという現象が発生すると、同時期に地球上の海の中各地でその環境に合わせて単細胞が発生する。
地域ごとに異なる性質も細胞が分裂を始める。

この細胞が分裂するという現象も見方によれば、何かしらの意思が働かなければ起こらないという考えもあるだろう。
何かしらの意思が無いと、現象は起こらないという先入観ともいえる。
全ての事に意味があるのだ、という考え方も正解なのであろう。
と同時に全ての事に意味などない、という考えもまた正解なのだろう。
ここは正解を求めてという観念は持たず、どうなっているのだろう?という探求で行くので議論という形はまだまだ登場が早い。
もっと後で出てくる。

こうした不思議な現象で複雑に環境になじんだ細胞の塊たちは更に巨大化していく。
大きくなりすぎて環境に対応できなくなり細胞分裂が出来なくなる。
生物の死である。

ジェネシスと呼ばれる「地球創世記」では様々な形が試されたようだ。
目玉が5個も6個もあったり、大きかったり、細胞の外側を堅い殻で覆ってみたりと。

そして大きく成長した細胞が、小さな細胞を飲み込む。
この飲み込むという現象も何故こうした事が起こるのか説明出来ないが事実ですね。
こうして食物連鎖が起こっていったのでしょう。

もうこの時点で、陸地、海、多数の細胞の種類と数えられないほどの「分離」が起こっている。
せっかく分離し環境に合わせて増殖した細胞が他の細胞に飲み込まれる。
この分離し増殖した細胞はその形を壊したくないという「意識」がここで生まれてきたのではないだろうか?
すると、自分を飲み込む相手を認識したいという「欲望」が生れる。

その「意識」が「欲望」を受けて「眼」を作り出したり、海の水の振動を感知する器官を作り出したりしたのではないか?

ここで既に矛盾が起きている。
強い細胞に飲み込まれた小さな細胞は、飲み込まれたという経験を最後に死んでいる。
新しく生まれた細胞はそうした危険に対しての「教育」も無ければ「経験、知識」も無い。
大きな細胞に飲み込まれて死にゆく中で、何かを感じていたのだろうか?

冒頭で書いた、この細胞が生まれたと同時に「幽体」のようなものが一緒に生まれたのではないだろうか?
この考えは、こうした細胞レベルでの飲み込み合いの姿をイメージしている時思ったのである。

例えDNAにこうした感情的な事を刻んでも、大きな細胞に飲み込まれたら消えてしまう。
何となく「やだな」と思ったような「感情」が残るのではないだろうか?
それが「幽体」のような物。

しかし新しく生まれてくる細胞にも新しく何の記憶も持たない幽体が生まれてくる。
その周辺には何となく「やだな」と感じた幽体が漂っており、それが新たに生まれた細胞へシンクロし、同化していくのではないだろうか?

こうした事が数億年もの長い期間繰り返し繰り返し行われ続け、気が遠くなるような時間の中からなんとなく「やだな」と思った感覚が鮮明に残るようになっていったのではなかろうか?

「やだな」という「感情」を味わいたくないと思うと、次は危険から「逃げる」である。
逃げれば、元いた環境と異なる未知なる環境へ飛び込んでしまう事もあるだろう。
そして環境に対応できず死んでしまう。
また、「やだな」と感じる。

中にはそうした環境でも生き延びる事が出来る細胞もいたであろう。
そうした環境適応型の細胞へ「やだな」と思った感情を持つ「幽体」がシンクロする。
シンクロするとはどういう状態か?

ラジオの周波数が一致して受信する事が出来る状況、幽体とは現在もまだその存在を確認されてはいないが、あると信じられている。
明確な定義のある「物質」ではないのだ。
こうした幽体がそう存在しているのかは全くの謎である。
が、情報を持っていると思われる。
その情報を新しい幽体がキャッチした時点で、その情報は新しい幽体に流れ込むというイメージという表現が適切かどうかは判断できないが、文章として表すとこうした感じだろうか。

こうして意思が受け継がれて行ったのではないだろうか?
そこから長い年月を経て、海から陸地へ進出した細胞は、新たな進化を遂げ、しかしまだ「動物」というレベルで生存していた。

この頃の動物では既に「いやだ」という感情も自分を食べようとする相手を見る「眼」も危険から逃れるための「足」や「羽」「擬態」等様々な方法で生きるという選択を行ってきた。
何故生きたいのか?
死ぬときは「痛い」から「いやだ」なのだろう。
この「いやだ」が受け継がれ、生存本能として受け継がれている。

こうした本能的な感覚はDNAにも刻まれて子孫へ受け継がれて行ったのであろう。
と同時に幽体にも経験した感覚(DNAには記録できない事)が残り、生物としての基本的な性質とは別の個別の感覚が受け継がれていったと思われる。

何やらわかりにくい事を書いたが、ここがスタート地点であろうと私は考えている。

本日はこの辺で。



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