2013年03月03日

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「悟りの境地」?

何事にも動じない「無」の境地?

自分とは一体何?

自分とは?

頭だけ取り外してもそれは自分の一部。

腕だけでも胴体だけでも自分の一部。

全てを合わせた総称が自分。

無の境地とは、全てが無となる感覚。

そこには何もない。

「ない」という分類は何かが「ある」から「ない」と言える。

「ある」事を知っている時、「ない」という分類をすることが出来る。

分類すら「ない」、「ある」という事を捉える感覚も「ない」。

こんな境地まで生きた人間の状態で達する事は果たしてどういう事なのだろうか?

では、なぜ人間には「感情」があり、生存「本能」があり「食欲」「性欲」等があるのだろうか?

仮説その1

「霊界」が存在し、そこから魂が人間に降りてきて「人間としての感覚を楽しむ」という目的があった場合。

五感で刺激を感じ、そこから発生する感覚を楽しむ。

辛い事を経験しているからこそ、幸せを「感じる事が出来る」

まずいものを食べ続けているからこそ、たまに食べる「おいしい食事」に感激することが出来る。

苦しい試練を乗り越えたからこそ、競技等の「優勝」した事に感激出来る。

こうした「感情」を体験したくて人間に入って生まれてくるのだろうか。


仮説その2

「霊界」等無くて、魂等という存在も実は無く、動物として進化した感情がそこにあるだけ。

五感の刺激も「嬉しい」と思えるもの、「嫌悪感」を感じるもの、大まかこの2種類に分類できる。

動物の本能として「食欲」「性欲」等があり、それが発達して「支配欲」「名誉欲」等様々な「欲」が出てくる。

動物の世界は食物連鎖の輪の中にいるので「弱肉強食」の世界で、食うか食われるかである。

食われたくないという「欲」から、防衛本能が発達し、その発展形が「セキュリティ」。

「支配欲」の原型は「強い腕力」等の肉体的強者であり、肉体的にかなわないが頭脳で勝てるための方法を考案。

「お金」という方式を生み出し、全てをお金で置き換える事が出来るようにする。

そこには肉体的に強くても「お金」が無ければ食事が出来ない。

「頭脳」で「お金」をコントロールすることにより「食物連鎖」から抜け出し、肉体的強者もねじ伏せる。

こうして支配された「後から生まれた人」も既に支配体系の下に位置する事になる。

生かさず殺さずの状態で管理されると、「生きる」という「欲」を満たす為に「労働」をする。

こうした管理体系の中で「生きがい」という「欲」を満たすため、協会を作り、スポーツ、文学、芸能、などなど沢山の世界が出来る。

その中で「活躍」すると「脚光」を浴びるし、応援する人は脚光を浴びた人と一緒に感動する。

この生まれながらに管理下に置かれる人生という仕組みに立ち向かう人、対応できない人、無視する人等様々な人がいる。

この仕組みに苦しめられ、逃れられない状況で「悟り」という感覚で「現実」を軽視してストレスをかわすという事か?


仮説その3

「霊界」は実は存在し、そこから「魂」が「修行」の為に人間社会へ降りてくる。

「修行」が目的なので、厳しい状況は当然であり、常に考えさせられたり、考える時間すら無かったりと振り回される。

「修行」という目的すら忘れて生まれてくるので、厳しい状況に「理由」を探す。

「修行」が目的である為、人間社会の仕組みは厳しく管理され、生半可な状態ではクリアできないようになっている。

「修行という目的」を忘れているので、誘惑として用意されたものの効果は絶大である。

「引き寄せの法則」という法則があり、これを活用すると人生を大きく素敵な方向へ変化させることが出来ると。

その信憑性を上げるために実際に「引き寄せの法則」を活用して「大成功」している人を作らなければならない。

「運」がいい人という状況を作れば「天にお願いする」という仕組みが出来、神社等の対象が必要となる。

そして何度も「輪廻転生」を繰り返して「魂」を磨くというプランが「霊能者」と呼ばれる人から説明される。



今の人間社会ではこれら3パターンの事が主に言われているように思う。

そして時代と共に言われている内容が変化したり、つじつまが合うように説明や表現が充実してきている。

他にもパラレルワールドや自分だけのイメージの世界等という「説」も多数存在する。

どれも説明する人は「自分の説」が正しいと主張している。

そして現実的な社会の中に「常識では理解できない事象」も確認されている。


結局探れば探るほど、どれも信憑性があり、どれも正しいように見えてしまうが、それぞれの説は真っ向からぶつかる事が多々ある。

それぞれの人がそれぞれに正しいと思う事を「信じる」というしか言いようがないのが2013年お現時点ではないだろうか。


しばらく忙しくて更新が全く手つかずであった時期も探索の思考はずっと働いていていた。

ようやく手がすいたので、更新してみたが探索の状況はまったく更新出来ていない。


こうした世界の探索の目的は人間として生きている時、判断に迷ったからである。

重大な判断をしなければならないときには、判断の為の材料を探す。

その材料の中に「霊界」の事や「魂」の事、「生き方」等のテーマが絡んできたのだ。

結局これらは人間として生きている状態での判断の材料にならないと言う事が今の段階では言える。

こうした目に見えない世界の事を考えずに生きるのか、完全に信用し「神棚」に手を合わせる、仏壇に花を添える生き方をするのか。

形式として過去からの「慣習」を行うのか。

「慣習」も「心」を入れて行うのか。

現実の状況として実際に身の回りで起きてくる事が、総合的に「何かを意図している」ように見えてしまう。

何かの「意思」なのか「流れ」でそう感じてしまうのか、非常にややこしい。

現実社会に存在する「霊能者」として商売をしている方々に問いたい。

「何がしたいのか?」

「一体どうなっているのか?」

言葉だけでなく、明快に現象として見せて頂けると非常にありがたい。

これまでお金を沢山支払っても、だれも明快に答えてくれた人はいなかった。

私のパソコンのモニターにメルアドレスを書いたタックシールを張り付けておいた。

このシールに書いてあるアドレスを読める人、ぜひメールを頂きたい。

そしてもう一枚シールが貼ってあるので、その内容をタイトルへ書いて送ってくれる人がいたら何かわかるかもしれない。




本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!

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この記事へのコメント

1. Posted by 万年   2013年08月02日 17:32
悟りですかぁ<br>
悟りとは言葉のイメージで言えば、<br>
全てわかった・・・という感じでしょうかね。<br>
悟りとは言葉では説明できないものかもしれません。<br>
例えば、チャネラーですと、自我を入れ替えて会話をするのですが、その切り替え時に自我の空白が生じるんです。<br>
それは無我の状態なのですが、<br>
その無我とは何かといいますと、人類の自我を束ねている器の状態なんですよね・・・<br>
その器が集合意識といわれるものだと思います。<br>
その状態が悟りのヒントになるかもしれません。<br>
あと、記憶と自我は別のところに保存されていますので、正確に記録を読み出すには特殊な方法が<br>
必要だと思います。<br>
文字などの記憶は頭、思いなどの記憶は意識に保存という感じでしょうか。<br>
ですから、集合意識をまたいで、<br>
他人と接続したとしても、思いは感じることが<br>
出来ますが、記憶まで読むのは難しいと思います。<br>
虫の知らせ等を見てもわかるように<br>
思いの情報しか、相手に伝わりません。
2. Posted by 四季   2013年08月03日 01:41
悟りですね〜<br>
最近思うのですが、果たして悟ることは必要なのでしょうかね?<br>
様々な事象を納得する、腑に落ちるという精神状態に持っていきたいという欲望がある為、どうにも解決できないと思われる事象を悟りという状態で解決しようとするというややこしいですが、流れのようにも思えているのです。<br>
精神世界に興味が湧いたり、探索してみたりする行動の原点は解決できない悩みだったりもしますよね。<br>
<br>
何の悩みも無く、いつも晴天のような精神状態で暮らしていれば、考えもしない分野でもあると思います。<br>
こうした状況からみても、原点は解決できない悩みでしょう。<br>
<br>
私もブログを書き続けて自分なりの結論に到達した所で精神状態が安定しました。すると精神世界への興味が薄れたのを覚えています。<br>
<br>
しかし、やはり興味だけでなく解決できない悩みが浮上してきたとき精神世界がまたやってきました。<br>
現実世界だけの判断材料で決断を下して現実世界だけで生きていくという事にほんの少しでも疑問があるとやはり決断に迷いが出てしまうんですよね。<br>
<br>
一度深く探索した世界なので、もう忘れ去ることは出来ないでしょうから、今後も自己完結するまで続くことでしょう。<br>
<br>
そのうち万年さんとオフ会でも開いてじっくり話してみたいですね(笑<br>

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