2013年02月12日

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ここ数日プライベートで様々な出来事が発生していた。

家庭の事、仕事の事、そして今日一つの答えに到達した。

ある一定の法則に従ってこの世も霊界も全て繋がって動いているのだと。

感覚的に感じたことなので言葉として書き残すと、読む方のその時の感情や背景によって解釈が変わってしまう可能性も考えられる。

その事を考慮したうえで、言葉の意味だけにとらわれずに読んで頂ければよろしいかと思う。

人は人との繋がりの中で、様々な事を伝え合う。

それは、時に「言葉」であったり「一瞬の表情」であったり「態度」であったり、「後からじわじわ思う事」であったりと情報というひとくくりにするのは難しいかもしれないが、何かしら伝わる。

随分前であるが、悪いタイミングが重なり友人が本当にお金に困ってしまった。

大した金額ではなかったのだが、私もそうたいして持っていた時期ではなかった、とりあえず直近をしのぐために1万円だけ渡した。

返す必要はないという事で、その時私に出来る精一杯の事であった。

そしてその日の夜、別の人が「今まで立て替えてくれたりした分返すね」と言って1万円渡された。

 !?

これは一体どういう流れなのだろう?

何の催促もしたこともないし、返してほしいとも思っていなかったので、非常に驚いた。

その人からは初めての事である。

どういう事?

以前「雲黒斎」さんのサイトで「極楽飯店」(あの世に聞いたこの世の話)というWEB小説を読んだことを思いだした。

黒斎さんは今日本全国を講演してまわり、書籍も出版されている。

この極楽飯店の言っている事は、自分より人、人にしてあげた事が自分に帰ってくる。という内容。

読まれてない方で、興味ある方の為に詳細は書かないでおくことにする。

この極楽飯店で言われている事が、現実の現象として自分に発生した事に非常に驚いたのだ。

それから数か月後、そのお金に困った友人はまだ状況が改善されておらず、月半ばなのに財布には数千円しか入っていなかった。

自分の財布には数万円が入っていたので、また1万円をその場で彼に渡した。

この時自分の心境はどうだったのか?

本当に困った友人に手を貸してあげたい、という思いと同時にこんなことは考えては良くないと思いつつ「前回面白い事に、彼にお金を渡したその日に同額が別の所から帰ってきた。また試してみたい」と、こんな事も思ってしまった。

もうこの時点で、「彼の為に」という気持ちから「試してみたい」という気持ちに変化してしまっていたのだ。

結果はもう書かなくても分かると思うが、その後何も不思議に思えるような事は起こらなかった。

そして、私の知らない所で私の悪口を言っている人がいて、私が悪者にされている事が発覚した。

自分としてはどうでもよかったので放置していたのだが、私の悪口を信じた人から話をしたいのでと言う事で、会う事になった。

そして、話の流れで「実はこうなんですよ」と真実を私が勘違いしている人に伝えた。

その裏付けとなる数々の証拠も提示して、淡々と話は進んだ。

「えぇ1?話が全然違うじゃないか!」

勘違いしていた人は非常に混乱し、両方の話を聞くという事で3者で会うことになった。

結果、私の悪口を言っていた人が全て嘘だという事が判明し、その場の流れで私もうかつにも「怒ってしまった」

「怒り」を飛ばしてしまったのだ。

本当に久しぶりである。

そうしたら、即その反動が別の所から跳ね返ってきたのだ。

予定していた仕事が、行き違いであっけなく流れてしまった。

こんな事も珍しいのだ。

過去にも記憶に無い位の流れ方であった。


こういった現象を考え込むのではなく、何が起きたのだろう?と感じてみることにした。

そして浮かんできたのが、人々は見えないが何かで常に繋がっており、その繋がりに変化を伝えるとそれが伝達し、反動が戻ってくる。

「暖かい気持ち」を送れば、それが様々な温かい気持ちとして周囲に広がる。

帰ってくるという認識を持つと、そこに「期待」が発生し、「期待している、待っている」という振動が周囲に広がる事になる。

「優しい気持ち」は文字通り「優しい信号」なのだ。

「怒り」の振動はそのまま「激しいノイズ」となる。

激しいノイズは「優しい、儚い振動」をあっさりと消し去り、ノイズが強烈に広がる。

人にとって「ノイズ」は嫌な物であり不愉快な気持ちになる。

別の事で不愉快であった人へ別の人の「ノイズ」が伝わると、合わせて増幅されてしまう。

いがみ合い、憎しみ合いの連鎖である。


ではどうすれば良いか?

スピリチュアルの世界でも精神世界でもよく言われる事が「悟り」というキーワードだろう。

しかし、私の感覚からするとこの「悟り」という言葉の意味はまだ様々な解釈があり、この言葉一つではしっかりと意味が伝わらないように思える。

ここまで書いてきた実体験で、まだ他にも書ききれないほどあるのだが、それも含めて「悟り」という言葉の一側面を感じる事が出来たように思う。


今回の事が何故起こってしまったのか?

何故私は「怒り」の信号を発信してしまったのか?

その理由には「譲れないこだわり」がどこかにあったのだろう。

その前までは気にせず放置していたのに、ぬれぎぬを晴らすチャンスが巡ってきてしまったが為に、ついその流れを自分が作り出してしまったのだ。


気にしなければ気にしなくても済んでいたのに、やはり何処かに「気にしない」と思いつつ「気にしていた」自分がいたのだろう。

見方によってはこれが「闇の勢力」等と表現されるかもしれない。

結果的には「自分の不徳の致すところ」であろう。

気にしなければよかったのだ。

その前に気にならない精神状態になっていれば、その様な事も考える事すらなかったと思う。

この気にならない精神状態になっている状態こそ「悟り」の状態と言えるのではないだろか?


これは人は人と見えない何かで繋がっているという事を実感して、初めて解ってくる事であろう。

いくら知識として持っていても、「意識」を押さえつけるような考え方ではそこに「ストレス」という信号を発信してしまう事になる。

これまで何百年もの間、僧侶の方々が言ってこられた言葉に通じるものがる。

こういった繋がりや、現象は「霊界」の誰かの「意思」をもった何かが、意図的に行っているという事は無い。

単純に「法則」なのだ。

そこに意図は無い。

何かの信号を発信すれば、それが自動的に伝わっていくのだ。

その信号を受け取った人が、増幅したり、変化させたりして更に周囲へ広がる。

そのうち、最初に自分が出した信号に様々な信号が付加されたのもが自分の所にも伝わってくる。

強い「ノイズ」を出しては人を不愉快に、不幸に導き、自分にも及ぶ。

強いノイズも伝わってきても、受信しなければそのうち減衰していく。

優しい信号だけにチューニングし、その信号だけを受信し、それを増幅して周囲へまた伝えていく。

自分の周りは素晴らしい信号で満たされることになる。


長い間宗教からスピリチュアルと色々な話を聞き、体験として実感したものが全て積み上がり、今回の心境を「得る事が出来た」

やはりこれは、知識ではなく体験である。


今回書いたことは悟りという心境の「一つの側面」として感じたことであり、これ以外にもまだあるはずであろう。

このブログで探求している「霊界の謎」に関しては、まだ不明な事だらけであり、「意味」や「目的」よくわかっていない。

その環境の中で「人が人間として生きる」という上で、知らないより「悟り」の感覚は知っていた方がいいであろう。

また、知っていればいつかそんな現象に出くわしたとき「あ、これがもしかして」と思う事が出来ればこのブログからの信号も役に立つのではないだろうか。

「悟り」という言葉の持つ他の意味もまだ多数あると思われる事も、ぜひ実感してみたいものである。


本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!

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(14:31)

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この記事へのコメント

1. Posted by 岡ぴよ   2013年02月12日 21:47
Unknown<br>
>単純に「法則」なのだ。<br>
>そこに意図は無い。<br>
<br>
真実だと思いますねー<br>
<br>
宇宙とは法則そのものであり、個とはその法則に抗おうとする因子だと思います。<br>
その法則とは、活用して楽しむべきものであり、呑まれてしまえば宇宙の静かなる闇へと同化するのではないかと。<br>
呑まれることが法則そのものであり、そのような結末から逃れるように意図することが個にプログラムされているのではないかと。<br>
壮大な話しですが(笑)<br>
<br>
既存のスピの誤りとは、法則を「愛」と謳っていることだと思います。<br>
如何様なことも法則の範囲内なら存在が許されることが「愛」だとは思いますが、法則自体は機械的なもので、そこには愛と呼ぶよりむしろ、非情な因果律しか無いと思います。<br>
<br>
以上、持論ですが四季さんはいかが思われますか?
2. Posted by Unknown   2013年02月12日 21:52
Unknown<br>
初めまして。<br>
いつも楽しく拝見してます。<br>
悟ると言っても、日常生活はまだまだ生きている限り続いてますから、日々仕事やら人間関係やらこなしていかなければならないんですが。。<br>
私の中では、チャネリングというと自分の感情に応じた存在が入りこんでくる感じです。<br>
書かされているより、やらされている感じが多いです。<br>
それにしても、ここんとこ本当に歯車狂っているような気がするのは、自分だけではないんでしょうか?<br>
何をやっても言っても、変なほうに転がっていってます。。<br>
このコメント記入している最中も画面が勝手にスクロールします。。<br>
3. Posted by 四季   2013年02月12日 22:57
岡ぴよさん コメントありがとうございます<br>
前々からずっと思ってはいたのですが、今回私の所の出来事から実感として感じ取る事ができたので、決め打ちの書き方をしてみました。(私としては珍しく:笑)<br>
<br>
そうですね、既存のスピは法則の一部の出来事にクローズアップし、その現象を並べて、ほら愛でしょ、とやっている様に見えた事もありました。<br>
<br>
誰の意図でもない単なる法則として解釈すると、かなりの事がすっきりすると思います。もちろんその法則にまぎれて、誰かの意図がうごめく事もあるかも。
4. Posted by 四季   2013年02月12日 23:08
Unknownさん コメントありがとうございます<br>
楽しんで頂けているようでなによりです。<br>
<br>
ほぉ〜チャネリングでメッセージを受け取られている方が本当に沢山いるのですね。<br>
やらされている感じが多いのですか。<br>
やらされていて、歯車が噛み合わない状態ってむなしいですよね。<br>
<br>
やらせている存在の干渉が中途半端なのか、「自我」が何か思い込みをしていて、どこかへの依存度があがってしまっていたりしても変な流れになったりする事ってありますね。<br>
<br>
私も過去ににたような感情に陥った事があるので、こう思いましたが、私の場合チャネリングという現象が明確に感じられていない(もしかしたら、見過ごしているかも)ので、そこが違う所ではありますけど。<br>
<br>
「あ”〜〜なんでもぉ〜〜」という状態になっていると感覚的に歯車を狂わせようとする存在があるとしたら、そいつの思うつぼかもしれません。<br>
5. Posted by 123   2013年02月13日 10:47
Unknown<br>
コメント失礼します。<br>
<br>
>その理由には「譲れないこだわり」がどこかにあったのだろう。<br>
>やはり何処かに「気にしない」と思いつつ「気にしていた」自分がいたのだろう<br>
↘<br>
四季さんが素晴らしいのは、自分が発している元を<br>
隠さず感じる事ができることだと思います。<br>
<br>
人は、理由や意味を探すがあまり、一番単純な思考に目を向けないことが多いと思います。<br>
<br>
今回、「気にしない」とフタをするのではなく、<br>
「気にしている」自分に気づくことが大きなカギだと思いますよ。<br>
だって、「気にならない」状態ではないですよね?<br>
気にならなくなったら、自身の中心は平らな状態であることを腑に落とせるのではないでしょうか?<br>
<br>

6. Posted by ジェラルミン   2013年02月14日 09:58
Unknown<br>
こんにちは。<br>
<br>
「霊界」と言う響き。<br>
様々な現代スピ系に触れれば触れるほど<br>
なんとなく・・・・人間社会の単なる縮図のように思えるのは私だけでしょうか。<br>
<br>
派閥とか教祖さんとかが居そうで・・・行きたくない・・・と思ってしまいがちです(笑)<br>
<br>
「悟り」は<br>
悟るために何かする、という時点で迷路行きのような。<br>
私なんかが悟れるわけないや。<br>
そう思うとなんだか楽になって、しなきゃいけないことや<br>
してみたいことに<br>
前向きになれたりすることもあるかもしれません。<br>
<br>
四季さんのシンプルな疑問は<br>
もう一度見直して考えなおすタイミングに来ている<br>
根本的な疑問なんだと思います。<br>
7. Posted by 四季   2013年02月14日 14:10
123さん コメントありがとうございます<br>
ありがとうございます。<br>
単純に中立的に探求してみたいので、第三の目で見るようにしています。<br>
<br>
「気づき」も、スピリチュアルの世界では「必要」的なニュアンスで言われていますね。<br>
一般的には気づく事がいい事のように使われているので、同様な感覚だと思います。<br>
<br>
単なる不思議な人になりたくない、と思いつつ結構不思議な人のように感じていたりもします。<br>
視点を変えると、神経過敏で考え過ぎという側面から今の状態になっているともいえるでしょう。<br>
<br>
自分の感覚では感情的に起伏があるより、外部の出来事には平静な状態で対応したい、これも時代の潮流でそう思っているだけかもしれません。<br>
どう感じれば自分が腑に落ちるのか。<br>
先は長そうですね。
8. Posted by 四季   2013年02月14日 14:21
ジェラルミンさん コメントありがとうございます<br>
そうですね「悟り」、「しなければ」という義務感のような感覚があると苦しくなってしまい、でも何も考えないと腑に落ちない。<br>
<br>
しばらく考えてみて、ふと力が抜けたとき「あ・・・」と感じるような物でしょうか。<br>
<br>
「霊界」の仕組みが「人間社会の縮図」、または「人間社会を似続けた人間の感覚」が「霊界」という概念を作り出して、こちらこそバーチャルな世界と認識しているのか、本当の所がまるで分らないですよね。<br>
<br>
人間社会での常識では起こりえない事が起きる、その理由が分からない。<br>
もしかして、言われている「霊界」のような存在があるとしたら、人間社会で起きている不思議な現象も、なんとなく説明出来てしまう。<br>
<br>
こういった現状がスピリチュアル世界を脈々と続けさせてきた理由だと思います。<br>
<br>
そのスピリチュアルの世界も矛盾だらけなので、どうしたらつじつまが合うのだろうか?という疑問です。<br>
<br>
既に迷路の中にいると思います。この矛盾を見ない事にすれば迷路から出る事が出来ると思うのですが、自ら迷路に入って、もしかして楽しんでいるのでしょうかね?<br>
<br>
変な使われ方をし続けてきて、色々なイメージがこびりついてしまった「霊界」という言葉、この言葉を使用して探求している事が、自らを混乱させている可能性も感じています。<br>
<br>
スピリチュアルという言葉も既に同様な響きを持ち始めているように思えてならないので、何か次の展開が必要なのでしょうかね?<br>
9. Posted by 123   2013年02月14日 16:33
Unknown<br>
>単なる不思議な人になりたくない<br>
>視点を変えると、神経過敏で考え過ぎ<br>
<br>
上記のボーダーラインが今はよく解らないところが<br>
あるのではないですか?<br>
今回訪れた事象のように、目の前の展開を経ながら<br>
理解が広がり頭の理解ではなく、感覚の理解に繋がると思いますよ。<br>
一つ、一つをこなすことが、実際の土台を太くしてくれますから。<br>
<br>
四季さんはすでに、良い感じの不思議さんだと思いますよ! はい!
10. Posted by 万年   2013年02月18日 07:42
Unknown<br>
私が四季さんの記事を読み、<br>
コメントを入力したくなる・・・<br>
これも自我の反応のなせるわざだと思います。<br>
悟りの究極は無我だと思いますので、<br>
コメントを残そうという反応も起きませんし<br>
淡々と眺めているだけになるのでしょうね・・・<br>
自分の中に共鳴する何か・・・<br>
自我に蓄積された体験?があるから、<br>
共鳴し、コメントを残すのでしょう・・(笑)<br>
無我では何も生まれませんよね・・・
11. Posted by 四季   2013年02月18日 10:18
万年さん コメントありがとうございます<br>
面白いですね、人間界というネットを通して光と闇が更新している(笑)<br>
<br>
想像したら笑えてきました。<br>
<br>
物理的に人が生きるにはエネルギーの循環が必要になります。<br>
食事をして排泄、子孫を残し育てる。<br>
そこには生きがいや楽しみ感動、充実感等まとめて幸せと呼べる精神的充実があってこそですよね。<br>
<br>
無我や悟りに向かっては、精神的充実とは別の方へ向かうように思えてしかたがないのです。<br>
無我や悟りの方向は理不尽を乗り越える手法と言えるのではないでしょうか?<br>
<br>
スピリチュアルの方向性は、昔へ遡れば文明を築くのに必要な人々の統制を図るために出来上がった仕組みを元に、支配へ変化し、支配抑圧された人々がその抑圧をかわす為に発展してきたようにも思えます。<br>
<br>
過去の歴史は美化されて伝わり、思い込みが発展してきた弊害の可能性は十分考えられます。<br>
<br>
この考え方に一石を投じてみようかと思案中です。<br>
<br>
私の方向が間違えていれば霊界から淘汰される事でしょう(笑)

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