2013年01月28日

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スピリチュアルの様々な矛盾に対して疑問を持ち続けながらも、スピリチュアルを否定したくないという思いもあり探求を続けていました。

このブログで知り合った万年さんのご協力を得て、公開質問という形でチャネリングをお願いしたところ、回答を頂くことが出来ました。

私からの呼びかけに万年さんが丁寧に質問をしてくれ、それにメッセージを回答していただいたので非常に感謝している。

今回は、この回答の内容から探ってみたいと思います。

チャネリングで頂いた回答はこちらをご覧ください。

「万年素人なチャネリング日記」



コメントで頂いたチャネリングの「・・・じゃ」という語調の指摘、本当に多いと私も感じていました。

イメージからすると爺さんといった感じであろうか。


そしてメッセージの内容全体について。

これも数々のチャネリングの内容に共通して言える傾向があった。

質問に対しての回答が、直接ではなく何か別な事を多数付加され、そして質問で返される。

この傾向は、他のチャネラーの方もほぼ同一な回答形式である。

このメッセージ形式で受け取ると、理解できたような、なんとなく煙にまかれたようなといった感じを受けるのだ。

そして常に上から目線で、何かニヤニヤしながら楽しんでおられる様子。

これがいいとか悪いとか、信憑性がとかの話でなく「傾向」がという事でご理解いただきたい。


メッセージの内容について。

万年さんの頂いたメッセージの中で、全体性とシンクロするにはまだ早かったのでチャネリングに「戻した」とあった。

この事から私は、チャネリング能力は「あちらがわ」からの「選択」にて行われているのでは?と思ったのだ。

しかし今回はチャネリングなどは簡単、と書かれており、もしかしたらもう既にメッセージを受け取っていたとしたら驚くか?ともある。

スピリチュアルの話では、全ての記憶は自分の中にあり、思い出せないだけ。という事が言われている。

「全体性へのシンクロからチャネリングに戻された」
「チャネリングは簡単で誰でも出来る」
「自分で情報を引き出せばよい。」

この3つの文から、チャネリングは全体性との「単なるコミュニケーションツール」であり電話やメールのようなイメージ。

「全体性とシンクロ」という事は、何か媒体を介してではなく現地へ行くといったイメージと考えることが出来る。

なので、シンクロから格下げされた場合は、通行許可証が無く、電話やメールでのやりとりのみ可能といった所か。

1998年頃の人間社会では電子メールはまだ一般的では無く、半角カタカナでは文字が化けてしまうなどシステム側にも未発達な部分があった。

2013年の今では電子メールは一般的にだれでも使えるし、環境も、人々の使い方の知識も普及しているから通信手段として確立されている。

チャネリングという手段は、この電子メールのような次世代の通信手段というイメージと考える事は出来ないだろうか?

今はまだ人々が使用方法も分からず、そのような通信手段がある事すら知らない。

人間社会に置き換えると、こういった位置づけで考えることが出来るであろう。

また、「すでにメッセージを受け取っているとしたら驚くか?」の部分であるが、これはスピリチュアルの世界で盛んに言われている。

何気なく心に浮かんだこと、どうにも目についてしまう言葉等はメッセージである可能性が高いと。

しかしこれがどういったものなのか理解しにくいし、自分の思いすごしとどう違うのか等判別できにくいから探求しているのだ。

「こちらがわ」ではこういう不安定な状態なので、何とか確証を得たいと思っている所なのだが、ここで「信用しろ」という言葉では判断を誤ることがあるので慎重に行きたい。


〜〜〜〜抜粋〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

純粋な疑問は全体性からもたらされたものじゃ。
その過程が大切ぞ・・・
体験によって、答えを得る・・・
チャネリングによって答えを得る・・
みな同じじゃ・・・・
そうして、学びを行っておる・・・

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「純粋な疑問」これはスピリチュアルに疑問を抱く人にかなり多いのでは?と推察する。
私も単純に疑問が多く、それが積み重なりブログに書いてみようと思い、頭で考えるだけより文章に起こすことにより明確に整頓してみたいと思っている。

これは「純粋な疑問」なのだろうか?

純粋なのであればこれは「全体意識」から送られてきた考えで、元々答えを知っている私が、忘れているだけであり、何かの目的のために思い出そうとブログに書いているといった流れか?

ここが疑問の焦点なのだ。

「知っているのにわざわざ忘れて転生してきて、思い出す作業が必要となるのか?」

今回のメッセージの内容では、それぞれの人全てに「転生の目的」があり、不自由な肉体から「その気になればすぐ覚醒する」そして「正しきルートに戻す」とある。

これは地球上に生まれた人間としての肉体にある「本能」から発達した「意思」は「全体意識」の一部では無く、全体意識から分離した「魂」が人間の意識へ繋がり、そこで何かを学ぶという読み取り方が出来る。

全体意識は、全てを知っている唯一無二の存在である「源」とも呼ばれている。

一部では「源違い」とかの表現もあるが、これは意味不明であるから除外しておく。

全体意識というものを人間の知識では、まだ正確にとらえることが出来ていないので理解が浅いと思われる。

そうでなければ、全体意識から「分離」した「魂」には全体意識の全てがあるのでは?と思ってしまうからである。

その全体意識の出先機関である「魂」が何を学ぶのか?

人間の持っている「意思」を成長させる手助けをしているというのであればまだ納得は出来るのだが。

また、肉体に宿るのは「魂の隠れた性格をあぶりだす」ともある。

全体意識から「無垢な魂」が生まれてくると考えた場合、人間の意思と共に成長し、輪廻転生を繰り返し「魂」が成長していくという事か?

やはり「全体意識」とそこから分離したと考えられている「魂」という存在について我々人間はまだ知識が足りないのだろう。

この事は次回の質問のテーマにしてみたい。


「我」の無い人が世界を動かしていく。

日本の戦国時代の武将たちは「やぁやぁ我こそは・・・」と名乗りを上げて戦っていた。

そのような時代は終わったとある。


肉体に感謝すれば、それぞれの特徴のある所が進化するともある。

「そうなんだ」としか言いようがない。


そして「我」をなくしていけば「宇宙のパワーを利用できる」という。

思い通りに現実を変化させていけるともいう。

これに関しては実際の現場で私も実感している事なので、非常に納得である。

通常では考えにくい状況も、なんとなく思った方向へ流れていく。

そしてそこには全く無理が無い。がむしゃらな頑張りも不要である。

こういう現象を「引き寄せの法則」というのであろう。

この辺りは納得できる内容である。


「全体意識」「霊界」「あちらがわ」と様々な呼び方をしているが、その全体意識側でも「弱肉強食」の世界が繰り広げられていると書かれている。

肉体が滅んで「霊体」になっても骨董品とも言えないガラクタは廃棄、切除されるという。

そうなのか、肉体でも霊体でも生き残りをかけて必要な事があるという事なのか。


今回、初めての公開質問とう形で試行してみたが、効果はあったように感じる。

メッセージを鵜呑みにしないという前提で中立的に見てきたつもりである。

そしてご協力頂いた万年さん、ありがとう。

連続してチャネリングをお願いしていると収拾がつかなくなりそうなので、ちょっと間を開けてまたお願いしようと思う。

まだ、もう少し掘ってみたい部分があるのでその時にまたご協力をお願いしたい。




本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!

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(22:23)

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この記事へのコメント

1. Posted by 万年   2013年01月29日 12:21
Unknown<br>
また、問答してみましたので、<br>
お時間のあるときに<br>
よろしくお願いします。

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