2013年01月26日

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

前回、全体意識に人間の未来は全て管理されているという場合について考えてみた。

今回は人の「自我」と「全体意識」が混在しているとして掘ってみる。

人類は人類として「食料」をキーワードとして「自我」を発達させてきたという考え方がある。

地球上の数ある生物の中で、人類という種族が他の動物から抜きんでて文明を発達させてきた。

そのきっかけを「全体意識」が作ってきたと考える仮説をもとにしてみる。

スピリチュアルの世界で言われている内容で、「他の惑星」というキーワードがある。

他の惑星でも知的生命体がおり、その発展には「全体意識」が後押ししているとう。

そして、「魂」と呼ばれる「個」の霊は一人ひとりの生命体に重なり、人生を経験していると考えられている。

万年さんのチャネリングでも、他の惑星の生命体への転生実験という言葉があった。

そう、地球と言う惑星の生命体も他の惑星の生命体も物質的社会の実験という考え方。

この実験という考え方が今回はしっくりくるので、これをテーマの一部に加えてみたい。


日本史でも有名な「豊臣秀吉」であるが、この母はある日「燃え盛る日輪が落ちてきた」のを見たという記録がある。

そして1月1日に秀吉は生れるのであるが、それまでの日本社会は荒れにに荒れた状態が100年も続いてきた。

その社会をまとめる為の役割を持って強烈な魂が降りてきて日本を統一し、戦乱の世を治めていったと考える事も出来る。

全体意識という霊界には時間とう概念が無いと言われている。

人間には時間と言う概念があり、その感覚を自然にカウントしている。

だから100年もの間、という見方が出来るが、霊界からしてみると100年も一瞬も変わらないというか違いが無い。

人類の状況を見て、荒れているから次には統一させてみよう。

という全体意識の目的があった可能性もある。

人間は全体意識から「全て」管理されているという前回のテーマでは不自然な事が沢山あった。

人間社会を全体意識が見るという姿を人間社会に置き換えてみよう。


動物園で暮らしているサルを管理する人間。

動物園という「擬似的に作り出した野生の環境」の中でサルたちが生きている。

ここを管理している人間は、より自然に近い環境でサル達が暮らせるように日々手入れをしている。

勿論サルとは言葉が違うため、人間の言葉を完全にサルは理解できない。

しかし管理人である人間に怒られると「何かまずい事をしたかな?」という「感覚」が伝わる。

管理人はサルが大好きである。

そのサル達に向ける瞳には「愛」が満ち溢れている。

サルにはサルの社会があり、群れを作りボスがいてそれに従う仲間とで秩序が保たれている。

しかし管理人はサルがその猿山内での行い全て「一挙手一投足」全てを管理は出来ていない。

ケンカするサル達も遠目に見ているだけ。

そして個々のサルの「性格」を把握したり、猿山内に新しい遊具を置いてみたりと日々試行錯誤もしている。


この姿、全体意識が管理する人間社会という見方と重なるとは思えないだろうか?

大局的に見ている全体意識は、個別の一人ひとりの思考や行動まで全て管理しているのではなく、大局的な流れは促しているのでは?

秀吉のように大きな目的を持って転生してきた魂には「明確な目的」があるので、それを邪魔する事は極力避けるように全体意識側からサポートされる。

また、社会を形成するのに必要である「一般の人」も当然必要である。


では一般の人はどこまでの「目的」を持っているのか?

この辺りからあいまいな部分が多数出てくるのだ。

全体意識からサポートされる人、一般人としてその他大勢でくくられる人。

言葉に変換して感覚的な事を表現するのは非常に難しいのは、書きながら実感している。

立体的に様々な事が構築され、影響しあっているように感じられる。

このブログで探求しているのは、個々の人、一人ひとりにどこまで霊界からの影響があるのか?という部分なので、この辺りが非常に重要なのである。

映画を制作する時にも「エキストラ」は必要であり、映画制作時には個々のエキストラに細かい指示が出るときもあれば、みなさんこんな感じで動いてくださいといった大まかな指示の時もある。

こういった感覚が全体意識から管理される人間社会にも同様に適用されると考えると、人間一人の人生にも詳細な支持(目的)がある場合と、無い場合が考えられる。

こうなってくると、スピリチュアルという見方で全体を見渡した時疑問の原点に帰ってしまう。


霊界からの管理指示等が「明確にある人」「ある程度ある人」「何もない人」では、どうやって自分の役割を確認するのか?

霊能者に聞いてみるしかないという原点回帰なのだ。


しかし別の見方をすると、「人生にはかなりの自由度がある」という見方もできる。

そして全体意識と繋がる人々はどこかで意思疎通が出来る。(人の認識としては実感できなくても)

すると、霊界や人間界自然界にも「法則」があり、この法則を理解して活用すれば目くらめっぽうに行動するよりは「成果」に繋げる事が出来る可能性が出てくる。

ここで思い出されるのが「引き寄せの法則」である。

私が沢山の疑問の起点となっているひとつがこの引き寄せである。

人生が決まっているのであれば、自分の希望を引き寄せる事は意味のない事であると思えた。

しかし人生にかなりの自由度があり、霊界からの影響も目的が違うとすれば引き寄せという事は非常に意味のある事だと思える。

そして以前仮説として書いた「人は2つの意識を併せ持つ」という考え方。

人間の本能とそこへ追加発達してきた「自我」による人間社会の構築、この目的は「食料」であり「子孫繁栄」であり「住居の確保」でもあった。

この欲を満たし、これにより得られる「幸福感」を追求するために「引き寄せの法則」が「法則」として活用できると考えられる。

また「霊の意識」としての欲とは「全体意識への回帰」であり、これにより得られる「幸福感」であると考えられる。

肉体の生存に興味の薄い「霊体」の意識としては「全体意識」は「故郷」であり人間的に言うと「愛に溢れた母親」でもあると考えられる。

こういった見方をしてみると、これまでスピリチュアルで言われてきた言葉、「愛」という感覚も辻褄があってくる。


どのような理由で人間に転生してきたのか、それぞれ目的も違うだろう。

早く全体意識へ帰りたいと思う「魂」もいれば「明確な目的」を持ち、「使命感に燃える魂」もいるであろう。

これまで人間社会では様々な研究が行われ、法則を見つけ出してきた。

そして見つけ出した法則を活用し、社会が発展してきた。

スポーツ競技でも、「絶対勝つ!」と力んだ状態より「リラックス」した状態の方が肉体的な実力を」発揮できるといった法則を活用し、記録を伸ばしてきた。

「引き寄せの法則」もこれまでの経験から「もしかして?」となんとなく気づいた事をまとめて出来てきたのであろうと思われる。

理論として確立されたものでない状態なので、各個人がそれぞれの経験により感じたことが広く伝えられてている状態だ。


これまでの探求で、個々の人全ては霊界から全てを管理されているのではない。

かなりの自由度があり、その目的も様々。

自分の人生という事で自由に楽しめる範囲が広い。

といった部分に到達しつつある。

「引き寄せの法則」で願っても、もしかしたら自分の転生してきた目的に反するものであれば願いは叶わない。

自分の人生の目的とは関係ない所であれば「自我」の欲する目的には「引き寄せの法則」は作用する。

こう考えると、かなり人と全体意識との関わりについては自然に感じることが出来ると思われる。

不自然であったりどこか腑に落ちないという部分が無いのだ。

私自身もここまで文章として書き残してきて、疑問と思われる部分の整理が進んできた。

しかし疑問の対象としている全体意識の世界はまだ広いので、探求は終わらない。




本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!

↓↓いつもクリックありがとうございます↓↓


スピリチュアル ブログランキングへ




(17:10)

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字