2013年01月15日

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映画「セブンイヤーズインチベット」を見た。

ブラッドピットが主演の映画である。

この映画にダライラマ14世が少年時代の姿が描き出されていた。

そして中国軍の容赦ない軍事攻撃等、あまりにも穏やかなチベットの人々の暮らしを見ていた流れなので、インパクトが大きい。

中国政府にとって都合の悪いシーンがあったのだろう、中国国内では上映を全面禁止され、ブラッドピットは無期限の中国入国禁止となったようだ。

映画「セブンイヤーズインチベット」予告編


そして、中国軍による侵略を簡単にまとめたサイトを見つけたので、興味のある方はご覧ください。

チベットへの侵略と虐殺


この記事と映画を見て、完全に真実なのかの検証は出来ないが、これだけ政治色の強い映画を撮影するからには相当な調査があったと思われる。

大筋この通りなのであろう。

昨日もブログで書いた2013年年初に中国軍が「戦争に備えよ」と号令を出したというニュースに、心の底から中国指導者達に幻滅した。

まあ、また時事内容が色濃くなってきてしまったが、ここからはこのブログの趣旨に入っていきたい。


ダライラマは17世紀からその受け継ぎ方が確立したようだ。

その受け継ぎ方とは、代々ダライラマの魂は生まれ変わるという輪廻転生である。

前世での出来事や様々な記憶を持って生まれてきたという事が確認されてダライラマとなる。

チベット人が定めたルールに合格する輪廻転生の詳細は不明だが、これもまた凄い仕組みだ。

それがもう既に14代も受け継がれているという。

何を持って前世の記憶と認定するのか?これからもう少し調べてみたい。


そして中国軍、チベットが2000年かけて築いてきた寺院や経典などほとんどを破壊しつくして120万人のチベット人を虐殺したという。

日本人も満州戦争時代、目を覆いたくなるような事をやってきたという記録もある。

731部隊は本当にひどい。。。

これが人類の歴史であり目を背けてはいけないと思いながらも心は曇ってしまう。


これまで何かする時、挑戦する時、始めるとき、「神のご加護を」という言葉がある。

先日アメリカで映画「スターウォーズ」に出てくる帝国軍が作成した「デススター」という惑星を実際に作ってほしいという嘆願が政府の定める数以上集まったため、議会で検討したようだ。

その結果85京ドル、、、アメリカ国家予算25万年分の費用がかかるという事で却下された。

この政府の回答の最期に「フォースのご加護を」という映画のシーンで使用された言葉がある。

宇宙に満ち溢れている「フォース」という存在。

映画でこのようなセリフが使われていても、そんなに違和感なく見えてしまったのは、これまでの人類に同じような心境があったからではないだろうか?


はい、来ました。「神は加護してくれるのか?」

チベットの虐殺の記事を読んでいて、チベット人の腕を切り落とし仏陀に返してもらえ、と中国軍兵士に言われた人はどう思ったのだろう?

それ以外にも記事の内容は想像したくないほど悲惨な事が書かれていた。

この当時に比べ今現在はそう簡単に命を落とす事は減ってきている。

そして九死に一生を得たという体験をした人は、度重なる偶然から助かった、運が良かった、神様に助けてもらったと、様々な事を思っている。

この「偶然が重なる」という出来事は一体どういう事なのだろうか?

数十年前の事故ではあるが、これまた中国での列車事故があった時の事、日本の宗教団体の方がその列車に乗っていて事故に遭遇したというのだ。

そして偶然乗り合わせた列車の隣の席の人と仲良くなり、トランプをして楽しんでいたその時事故が起こった。

隣でついさっきまでトランプをしていた人が、次の瞬間シートごといなくなりぐしゃぐしゃに潰れた列車の中に巻き込まれ亡くなったという。

その宗教団体の方は、信心を熱心にしていたから助けてもらったという事で、集会で話題となりよく聞かされた。

だからあなたも入信しなさい、、、と。

私は納得がいかなかったのでもちろんお断りしました。


このブログでよく登場する「解釈」である。

助かった人は「○○が助けてくれた」と解釈し、助からなかった人は「○○だったので仕方がない」等と解釈する。

様々な事例を見ていると、九死に一生を得た人の話では本当に神様が助けてくれた、もしくは守護霊様が助けてくれたと思えてしまう。

社会の中で通常考えにくい状況でも助かった人は、何か神がかり的に見えてしまうような事がある。


では、ぎりぎり助からなかった人は?

どう「解釈」では無くて、どう「考えれば」よいのか?

これは難しい。。。

亡くなった方を「冒涜」する事につながりかねない。


別の見方で考えてみることにする。

以前見かけたチャネリングを行った人が受け取ったというメッセージだ。

転生する前の「人生の計画」とは、「性格」や「人生のおおまかな趣旨」位を決めて、あとは結構自由なのだという。

つまり転生し、人間となった後は結構束縛も無く自由裁量で生きていくという。

もしこのメッセージが全ての人間に当てはまるのであれば、「運命」「宿命」といった言葉はあいまいになってくる。

完全に詳細な事まで決まった人生を歩む人と、自由裁量で生きる人が混在していると考える方が今の所無理が無いように思える。

自由裁量で生きている状態であれば、人間としての寿命も肉体の管理次第で変化するとも考えられる。

そうすると、偶然事故が発生した、災害が発生した場所に居合わせたことが「不運」という事にもなりかねない。

そこで、「神様」や「守護霊様」が助けてくれるという現象があるとしたら、助からなかった人のショックは大きいのではなかろうか?

すると、全ては決まっていたと考える方が、亡くなった人の家族や友人は気持ちの整理がつくのではないか?

九死に一生を得た体験の人は、物凄い偶然で助かったのだから「何かに感謝したい」という気持ちが湧いてくるのもよくわかる。

その感謝の対象を「神様」とするのが今の所自然な流れでは?と思える。


霊感の非常に強い人が友人の車の助手席に乗っていた時、正面衝突という事故にあってしまった。

運転席の友人は重体となり救急搬送され長い事入院していたようであるが、助手席の方は無傷であった。

助手席で事故に遭遇した霊感の強い方はその瞬間「スローモーション」のように全てが見えていて、目の前に透明なバリアのようなものが出てきて自分に向って飛んでくるフロントガラスやその他の物から守られていたという体験をしたという。

この方は職業霊能者ではなく一般の方で単純に霊感が非常に強いのだ。

どうやら祖母が守ってくれたと感じたと言う。

この方の他の出来事や、その不思議な能力は私も実感しており凄いと思っている。

こういった事例からすると、「守ってくれた」という「現象」は「ありうる」と考える事が出来ると思う。


すると、度重なる偶然のような現象で九死に一生を得た人はやはり「何かに守られた」と考えることが出来るのだが。。。

惜しくも亡くなってしまった方はどう考えればよいか、、、何か他の理由があったのか?

もしその理由が分かるのであれば、知りたいと思うのは人の心であろう。

そのような気持ちにもこのブログが通じる事ができれば、本当にうれしいと思うがまだまだである。


以前にもブログに書いたが、両極がありバランスを取っているという考え方からすると、「理不尽」や「悲惨」という両極の片方を担ったという事くらいしか思いつかない。

損得で考えるのは方向性が間違えているかもしれないが、人が「よくない」と思える役割を担った人たちは何か得るものがあるのだろうか?

この辺りもこのブログの趣旨である、「なぜ?」という所にひっかかる。

もっと掘り下げていきたいところだ。

本日のまとめとしては、やはり「何かに守られている」という考え方が正しいように思えるが皆さんはいかがお感じか?




本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!

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(15:15)

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