2013年01月06日

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過去記録や言い伝え等がある頃から、様々言われてきた「幽霊」や「怪奇現象」そして「祈り」や「輪廻転生」等あまりにもそれぞれ矛盾があり、どうしても総合的に考えることが出来なかった。

所が、このブログを書いている時ふと思いついたのが今回第二弾として書いてみる「仮説」である。

まだこの仮説には名前すら付けていないが、掘り下げていくうちに思いつくかもしれない。

仮説についてまとめてみる。

今まで肉体を持った人間が生きる「人間界」と霊だけの世界として「霊界」というカテゴリーに分類して考えている事が基本であった。

その霊界も段階に分けての説明等もあったが、今回の解説では線引きを1本で考えている。

人間界と人間が時折目撃したりする霊がいるとされている「幽界」。

そして「成仏」している、もしくは「昇天」したとされている世界を「霊界」として見る。

ここで「霊界」と分類した世界の中に「幽界」「人間界」が含まれるという考え方だ。

全てを統括していると考える「霊界」の基本方針に沿って「幽界」「人間界」が運営されていると考える。

人間は霊が肉体に重なっていると考えられているので、肉体がある、なしを考えなければ「霊界」「幽界」という事になる。

人間社会の中でも人は生まれてから、家庭で、学校でと様々な場所にて「教育」を受ける。

これは文明が始まってからの考え方であり、その前は動物の本能だけで生きていたと考えられており教育という概念は存在しないと考える。

進化論そのものを否定する方には、この私の仮説に関しても意味の無い話となるので、そこはご理解いただきたい。


「霊界」にて「個別の魂」が生まれるという概念があるのかは不明であるが、「源」から分離して新たに「個」が誕生するというふうに考えてみる。


まだ、「なぜ霊界の個別の魂に教育が必要なのか?」という事に関しては「謎」である。

この部分に関しても最近のスピリチュアルの世界で様々な説明が行われているがこれらも皆バラバラなのでつじつまが合わないのが現状である。

霊界から分離した個別の霊は幽界へ行き、様々な事を経験することが「出来る」のではないだろうか?

この部分に関して「魂を磨く為」とか「様々な経験をする為」とか「楽しむ為」とか色々言われているが、これらは全て正解なのではないだろうかと考えている。

つまり人間の学校のようにレベル別に学校や教室を分けることをしないで、全てのレベルが同一の場所に集まり、社会を形成しながらそこで様々な事を経験、又は学習、修行、遊び等目的に応じて自由に行えるのではなかろうか?

そして人間と言う肉体を使い、物質の感触や時間という概念を経験することが可能となる世界。

肉体が寿命を迎え、動かなくなると人間的には「死亡」という形になるが、「霊」はそこから離れ、新たな肉体へ入る事が可能なのでは?と考えてみる。

霊とは肉体を持たない「概念」または「想念」「意識体」等今我々が持っている言葉で表現できる範囲で表現してみるとこの様な言葉になるのであろうが、この後時間が経過して、もっと適切な表現が出来るかもしれない、今は「概念」「想念」「意識体」等と呼ぶことにする。

この「意識体」が次の肉体を得られるまで順番待ちをしているというスピリチュアルの経験談もある。

また、肉体が死亡した後、想念の世界で人生を振り返る事もあるという。

更に、肉体でいた頃のこの世への未練等が強すぎたりした場合、肉体を離れてもその事を認めないで人間界のエリアに残り続ける意識体もあるかもしれない。

これが、振動数というは波動というか波長というかが人間と近いため人間に「認識」されてしまうと思われる。

霊となると時間の概念が無くなるので、数百年でも数千年でもそこにあり続ける可能性はあるだろう。

どういった状態でその意識が肉体を離れても記憶を保持するのか?仕組みはまったく説明できないが、否定する事は不可能と思われる。

人生は死んだら終わり、あとは何も残らない、という考えもあり、霊等存在しないという方もいる。

しかし、霊というカテゴリーの何かしらの存在が無いと説明できない事象が発生している事も確かである。

そして、そのあると思われる「霊というカテゴリー」の世界がどうなっているのか探求している段階なのである。


人間としての意識の記憶は人間でいる間はせいぜい数十年である、これが前世と呼ばれる記憶を覚えていたりする事があるのはやはり輪廻転生という仕組みがあると考えるのが妥当であると思われる。

結局「幽界」の中で様々な目的「修行」であったり「経験」や「遊び」などの事をしたいと考える霊があつまって「幽界」を形成していると考えられる。

「霊界」という全体のカテゴリーから見てみると、その中にある「幽界」は娯楽施設でもあり、学校でもあり、厳しい修行の場でもあったりするのであろう。

「霊界」全体の中がどうなっているのかは全く不明であり、今この世界を説明している人もいるが、憶測の領域を出ないと私は考える。

そして「幽界」の中で更にカテゴリーが分かれて「娯楽部」「学習部」「修行部」等私が適当に命名しているが、こういった部署の担当者がいて、そこから人間に入る霊、その霊をサポートする霊(守護霊とかがそうだと思われる)、その地域なのか、分からないが
小規模なエリアを統括する霊(地神様がこれに当たるのか)等がいると考えられる。

人間に入る霊の中には何度も転生している霊もあればまだ回数が少ない未熟な霊もいるのであろう。

その中で霊界からのメッセージを受け取る役割を与えられた人間が今この人間社会で「霊能者」と呼ばれているのではないだろうか?


「源」から分離した「個」の魂は、どの様にして「個性」を身に付けるのか?

もしかしたら、人間社会を経験することによりその中で個性が積み上げられて、「個」という概念が強くなっていくとは考えられないだろうか?

今現在の人間社会を見渡しても、本当に「純粋」な人も「曲者」もいる、純粋→曲者→純粋と繰り返して個性が磨かれていくのでは?


「幽界」というアミューズメントパークで霊が様々な経験を積んでいる世界があるとする。

しかし「霊界」がどのような構成になっており、何の目的で「幽界」を作ったのか、自然に出来たのか、経緯と目的はまるで不明のままである。


この私のブログでは、最近流行しているスピリチュアルの世界で言われている事に大いに疑問を持っているため、掘り下げて納得できるところまで行ってみようという所が目的である為「霊界」全体の事に関しては、深く追求しない事にする。


人間として生きていて「結婚したい」「お金持ちになりたい」「子供にいい学校へ入ってもらいたい」「旦那さんに出世してもらいたい」「両親に元気で長生きしてもらいたい」様々な思いがあるであろう。

しかし、怒りから人に呪いの気持ちを向けたり、肉体的に破壊を行ったりとひどい事も行われている。

この件に関しては後にテーマとして取り上げて、深く追求してみるつもりである。

話を戻して、人にそれぞれある「希望や欲」に対して、障害となる事、まだ来ない「運命」に辿り着くには?と方法を求める人、これらの気持にスピリチュアルの世界でヒーリングが行われたり、様々なイベントが行われている。

「幽界」から見渡した時、霊が人間界という遊園地へ遊びに行った時、「占いのゲーム」で「運命の人は現れるでしょう」と書かれていて「きゃぁー」となるようなものではないだろうか?

もちろん人間界で行われる社会は、人として真剣に生きるために「霊としての記憶を消す」という工程を経ているのでまじめだ。

だから相談者も真剣である為、それを占いのゲームだと!といって怒るかたもおられるのではなかろうか?

これは私の仮説である為、その一部だけを取り上げて噛みつかないで頂けるとありがたい。


では、どうしてわざわざ記憶を消すという肯定を経ているのにここで、その仕組みを解読するような事をするのか?

もしこの仮説がまったく見当違いの場合、逆に混乱する人も出るのではないか?

という批判もあるだろう。

しかし、私は既にこれまでの精神世界、スピリチュアルの情報で大変混乱しており、その結果がこのブログなのである。


目的を忘れてさ迷うより、自分の目的を思い出すことが出来れば、もっと人生は楽しくなるのではないか?

そして、この世とあの世の仕組みを少しでも理解しておくと、無用な恐怖や事故に会う事も回避出来たりするのではないか?

やはり正しい知識は必要と思う。

今回は仮説について、思いつくままどんどん書いてしまったので、いつもに増して文章のまとまりが無いと思いつつ、、、でも修正が出来ないという混乱もありながら、というのが今の私の心境でもある。

これがまた徐々にまとまってくる事を自ら楽しみにしてみたい。


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