2012年12月26日

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日本国 天皇陛下 この名前は知っていても実際何をされているのか知らない人は多いのではないだろうか?

一般的には「公務」と表現されているのだが、私もそれほど詳しいわけではないが本質は聞いている。

それは「祈りをささげる」こと。

世界の歴史の中でも最も長い歴史を持っているとされている。

支配するというより「祈る」、祈るとはどういう事か?

平和を祈る、健康を祈る、健闘を祈る、様々な祈りがあるのだろうか天皇家は全ての人の為に祈りをささげる事。


平成6年2月に「硫黄島」へ行き、英霊たちに「祈りをささげた」。

以前このブログでも硫黄島の不思議について直接体験した人の話を書いたが、この天皇陛下による祈りの後、それまでにあった硫黄島での幽霊騒動は沈静化したという。

当時の兵は「上官の命令は天皇陛下の命令」であった。

その天皇陛下が硫黄島を訪れて、当時の栗林陸軍中将、市丸海軍少将の短歌に返歌をして礼を尽されたという。

この事により、英霊たちは終戦を確信したのか安堵したのか、迷い出る英霊が減ったと言われている。


この人の意思、肉体が無くなっても意思は残り、祈りによって浄化する事が出来ると思われる。

硫黄島は一般の人が観光などで足を踏み入れる事は出来ない場所である。

防衛大学では過去の激戦の場所を訪れて、その歴史を実感するという研修があるようだ。

なので、硫黄島の幽霊騒動に関しては、全て自衛隊の方々の話が主である事は事実だ。

前回私がブログに書いた事は友人の体験談であるが、友人は自衛隊員では無い。

関係者という事で帯同した時の体験談であった。

と、硫黄島で不思議な現象を体験した人はかなりの数にのぼると言う。

そして自衛隊の方々は硫黄島へ赴くときの礼節は欠かさないという。

こうして人々がその昔から体験してきた事の積み重ねで「霊」とう認識を持ち、その存在を認め「祈り」を捧げてきた。

それぞれの人もご先祖様や友人知人等のご霊前で祈りを捧げる事もあると思う。

その祈り、ちゃんと届いていると思える事例が天皇陛下の祈りによる幽霊騒動の沈静化ではないだろうか。


経験則としてこれまで積み上げてきた事は決して無視できないと思う。

最近のスピリチュアルブームについて、ここが一番引っかかる部分なのでもある。

「人の意識の扱い方」だ。

これまでの経験則で積み上げられてきた考え方では、「霊」となった意識も社会を見る視点は人間と同じ視点で見ていたと思う。

が、最近のスピリチュアルは肉体を離れると、光に包まれ全てを思い出すと言う。

何故人間として転生していたのか?何を目的として転生したのか?目的は果たせたのか?

そしてこの世は「演劇」である為、悪役も役者の一人であり、人間界で悪事を行った者は地獄へ落ちるという事は無いと言う。

まあ、閻魔大王がいて地獄行きを宣言され、釜茹でにされ苦痛を味わい続けるとかと言われ続けてきたのは歴史をひも解いてみれば、子供等のしつけの一環として大人が作り出した話と言われているが。

スピリチュアルでは地獄は無く、自らの固執した概念で自らをそこへ縛る事が身動きが取れなく地獄の様だといった表現である事が多い。

確かに硫黄島に残っていた英霊たちは何かしらの概念でその場所へ残り続けていたが、天皇陛下の祈りでその呪縛が解け、浄化することが出来たと考えられもする。

経験則で言われてきた事から見ると、英霊となっても視点は人間と同じ目線で社会を見ていると考えられる。

一方最近のスピリチュアルでは、霊となると即霊界からの視点に切り替わるように思える。

よく、人間界と霊界の中間に「幽界」があると言われてきた。

この幽界に霊がとどまっている間は、人間界に未練を残したり、肉体の死を受け入れなかったり、はたまた自分自身の肉体が死んだことに気が付かない霊もいるという。

この幽界をさまよう霊が人間界に現れるというか周波数が同期した人に映像として見えたりすると考えられている。

肉体が死んで霊だけとなってから、幽界を抜けて霊界へ行くという時間の経過と共に視点が変化していくというのが今の所自然な考え方ではないだろうか。

前回も取り上げたが「言霊」という言葉のパワーだが、これが意思に何らかのパワーが宿ると考えられると思われたが、その意思そのものにもパワーがあると考えられる。

これが「祈りのパワー」ではないだろうか。

何かを祈る、自分の事を祈るも人の事を祈るも何らかのパワーが存在し、現実社会に影響を与えている、更に霊界、幽界へも影響を与えている凄いパワーではないだろうか。

誰かの考えが伝わり、その内容によって誰かの考えが変化するというだけではパワーと言うには少々抵抗があるように思う。

しかし万全でもない。

祈り空しく。。。という事も多々ある。

こういった現象から、霊界という世界は・・・と想像して、数々の事例や現象、体験談等から構築され現在に至っているように思う。

そうした基本知識があり、これらの知識が潜在意識へ沈んでいった後、無意識の世界から「神の啓示」という人格を作り出した脳が「お告げ」をもらう形になり、今までの精神世界では納得がいかなかった部分が編成され、スピリチュアルブームを引き起こしているようにも思える。

霊能者の方に話を聞いてみると、実際そういった本当の霊能者でないヒーラー(という言い方をしていたが)、が存在するのは確かです、と言っていた。

こうした事例から、スピリチュアルブームの中、様々言われている事に矛盾が発生してもなるほど!と納得出来てしまう。

しかし、その中にも本当に霊界から「神の声」を受け取っていると思われる人を見つけ出すのは一般人では不可能だろう。

この事については追々探りながら見ていこうと思う。

そして確信を持てるような霊能者に出会う事が出来れば、そこから本質を追及してみたい。

そして初めて「祈り」という意味も判明してくるのではないだろうか?

時々出てくる天皇不要論もあるが、1500年も続いてきている歴史を大切にすることには私は大賛成である。

そして天皇にしか出来ない事も数多くあるので、1500年の歴史を背景にした「祈り」は純粋に凄いと思う。

目に見えないが、そこに存在すると確信できる事を信ずる、これは人間にしか出来ない事である。

この人間にしか出来ない事がまた不思議な世界も作り出している。

まだまだこの探求は続くであろう。




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