2012年12月23日

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私の過去の経験から感じている現象に、人と縁が出来ると連続して出会う事が多い。

あるお店で酔っ払いに絡まれた。

そして最後は握手をして争いには発展しなかったことがあった。

その翌日、まるで関係の無い場所で、昨夜の酔っ払いと出くわしたのだ。

向こうも私の顔を見て「あっ!」と言い、会釈をしてばつが悪そうにそそくさとその場を去って行った。

決して狭い町では無く、人口もそれなりに多い地域で起きたこの現象は何故なのだろう?


別の事例、名古屋市内での出来事だが、車で移動中に狭い路地を私は運転していた。

両サイドに駅へ向かう人で混雑していたので徐行運転中、後ろにいた車の運転手がクラクションをビービー鳴らしながら煽っている。

しかし多数の歩行者がいたので後ろのヤンキーを無視して徐行運転を続けた。

その後広い通りへ出ると、そこは名古屋市だ、片側6車線もあるような広い道路なので後続の車はすぐ追い越せる。

しかし先ほどのヤンキーな兄ちゃんは怒りが収まらなかったのか、私の車に幅寄せしてきたり、窓から靴を投げてきた。

それでも私は無視して運転していたのだが、それが益々ヤンキー兄ちゃんの怒りに火をつけたようだ。

赤信号で止まるとそのヤンキー兄ちゃんは車から降りてきて私の車の窓をゴンゴンと殴り始めた。

ま〜まいった私は車を降りると、ヤンキー兄ちゃんすかさず、物凄い勢いで殴り掛かってきたのだ。

憂さ晴らしの相手に使われるのも後味が悪いので、私も反撃し、結局ケンカになった。

幸い私は殴られることなくかわすことに成功したのだが、相手の兄ちゃんには数発顔面にパンチがヒットしてしまったようで、目の周りがパンダになっていた。

20代前半、私も若かった。。。

そしてタクシーの運転手が仲裁に入ってくれて何とか収まったという事件があった。

そして、やはり翌日、あの広い名古屋市内で昨夜の事件があった場所とは数十キロも離れたお店に友人とランチを食べに入ると、ナントそこに昨夜のヤンキー兄ちゃんが目の周りをパンダにしているのだ。

どうして昨夜いいとは言えない縁が出来た相手と翌日出会うのだろう?

以前のブログでも書いたが、出会う確率が非常に低い弁護士の先生と連続で出会ってしまった事例。


こういった不可解な出来事は、あまりスポットライトを浴びて取り上げられることはないが、事実として発生している。

まだまだ沢山同様な現象は起きている。

この「縁が出来る」とか「縁が繋がる」とう事は一体どのような事なのだろう?

「噂をすれば影」ということわざがあるように、人の噂を」しているとその人物が登場するという事が起きている。

普段見ている町の風景の中に、いままで気が付かなかった事がある事をきっかけに目につくようになる。

これは、自分の意識の問題なので、見ていなかっただけとう事が言えると思う。

しかし人と出会うという事は自分だけでなく、他人の意思も関係し、行動に結びついた結果同じ時間帯に同じ場所へ出向き出会うという現象、これを「偶然」という根拠の無い言葉で片付けるのは無理であろう。

この様になにかしらそこに「法則」のようなものが存在するのでは?

と思わせるような出来事である。

人の「意思」や「思い」「意識」等は、単純に脳の中だけの出来事では無く、現実社会に何かしらの影響を与えるパワーがあるのではないだろうか?と思わされる事である。

「言霊」という言葉はよく真剣な会話の中で使用されることが多い。

言い放った言葉には「魂」が宿っているという。

そこに強い意志があればあるほどその言葉は「重く」なる。

そして影響力も強くなる。

言葉に乗る「霊」もしくは「魂」や「意思」等は、霊、魂、意思と言った皆が知っている言葉を使用して考えていると、霊的な発想方面へ考えが流れていくと思う。

しかし、別の言葉でたとえば「パワー」という言葉を使用しても、理屈は説明できない。

確かに説明している人や霊能者等もいるが、それは私から見て一つの「説」であり真実までたどり着けない状況なのだ。

それは、これまでの私のブログを読まれた方は理解していただけると思うが、一つの現象、事例はその事だけで完結する事は無く、他の現象や事例の根拠等と密接に関係していると思われるからである。

そして、それらの事例がまだ矛盾を抱えている状態なので、理論として確立出来ないのである。



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(23:04)

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