2012年12月18日

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人の人生が見えてしまうという霊能者の方のお話。

道端を歩いている時、すれ違った人の人生の初めから終わりまで一瞬で全てが見えてしまうという。

実際はもっとじっくり聞かせていただいたが、ここでは簡略化して記載しておこう。

人の人生は「輝かしい」所もあれば「非常に醜い」所もある。

それらをひっくるめて、全てが見えてしまうというのだ。

輝かしい部分だけであればまだいい気分でいられるのだが、醜い部分を見てしまうと心底幻滅するし、気分が落ち込むと言う。

よく霊能者の方が「集中」したり、目をつぶって上を向いたり、となんとなく何かに意識を持って行っているような姿を見ることが多いが、その他人の人生が見えてしまうという霊能者の方は、他人の人生等見るつもりも無く、見たくもないのだという。

しかしすれ違っただけで見えてしまうので非常に苦しいという。

そんな他人の醜い部分を見たくない!見たくない!とずっと思っていたら、段々視力が落ちてきて失明してしまった。

この話を聞いた当時は「未来が決まっているのか?」等と疑問を持っていなかったので聞いていない。

私も遠くへ引っ越ししてしまい、20年以上連絡も取っていない。

また縁があればお会いして、今持っている疑問を聞いてみたい。


今ブームと成っているスピリチュアルの方々とお話をした時、霊能者にも様々な種類があるので気を付けたほうがいいと言う助言を頂いた。

それは、霊とコンタクトを取れるというだけで霊能者として活動している方が多いのだが、助言してくれる霊にも種類があると言う。

このブログでも何度か登場している「動物霊」「守護霊」「指導霊」「○○の神」等だ。

中でも気を付けなければいけないのが「動物霊」、これは人間を騙し、振り回して遊んでいるというのだ。

では霊能力を発揮できない一般人はどのように見分ければいいのか?

この動物とそれ以外には明確な違いがあると言う。

動物霊に力を借りている霊能者には独特な特徴があり、これを知っていれば判断できるのだと。

その判断材料はまず「威圧的」「強引」であると言う。

更に少々霊感の強い一般人では「生臭さ」「動物特有の臭い」「焦げ臭い」等を感じられるというのだ。

そんな判断材料を持たない我々一般人は、そう言われると「なるほど!」とつい思ってしまう。

霊能力を持っている人の言葉に弱かったりする。


冒頭で紹介した他人の人生をすれ違いざまに見てしまう人は、非常に威圧的で強引である。

動物霊の力を借りているのか?


では、守護霊であったり○○の神らの力を借りていると言う霊能者は?

肉体を持たない「意識体」とでも言おうか「霊」と言おうかこれらの存在は「光の存在」と言うとのことだが、動物霊は光の存在では無い?

これはスピリチュアルの世界の人でも様々な言い方をしているが、そもそも動物霊というものは存在しないという人もいる。

この表現は様々なので、ここで何かの言葉で表現しても必ず反論が出る。だからここは省略する。


どの程度の光なのか、動物霊というカテゴリーに分類されている「霊」は光らないのか?意見が様々ではっきりしない。

しっかりカテゴリー分類出来ない動物霊というカテゴリーに入れられている存在と、それ以外の存在。

これらはどう違うのだろうか?

スピリチュアルの方々は、何かしらの信念を各自お持ちなので「自分が必ず正しい」と言います。

これも遠い昔からありますね、「宗教戦争」です。未だに続いています。

また団体として活動している方々は、その団体の主たる神お教えを揺るがすものが社会に出始めると、変な噂を流したり様々な工作を行いそれをつぶしてきました。

そしてその行為を納得させる為に新たに教義が追加されたり「聖なる戦い」と言ってみたり様々です。

こうなると本筋からずれると言う事はすぐにわかります。

結局数千年前から様々な事が言われて続けているのに、動物霊のカテゴリー分類が出来ないのです。

この現状を客観的に見て、その力を貸してくれている存在は「神」と断言できるのであろうか?

確かにそう思いたいという気持ちはよく分かる。

脳の特性で「思い込み」という誤作動も古くから一般的に知られている。

すれ違いざまに人の人生が全て見えてしまうという霊能者の言葉、もう一度冷静に考えてみる。

生れてから今日このすれ違った瞬間までの人生が見えてしまうとは言っていない。

人生が終わるまで、どのような終わり方をするのかまで全て見えると言うのだ。

当然私もすれ違いどころか、向かい合って何時間も話をしたので、最後まで見えているであろうと考えられる。

流石にその時にも疑問が湧いたので、「私は最後どうなりますか?」と聞いた。

どうやらかなりの爺さんになるまで生き、最後は老衰という感じで話された。

まあ、一般的にこう言っておけば問題はなかろうという内容である。

こう話をしておいて、実は明日にでも事故で即死する運命が決まっていたとしても、そう告げず老衰と言って安心させておけばと解釈もできる。

即死してしまえば、あの時もっと爺さんになるまで。。。って言ったじゃないか!と抗議も出来ないのだ。


では、未来は決まっているのか?

このブログのテーマの一つである。

今回言葉としては初めて登場するが、私のテーマの一つでもある「パラレルワールド」という考え方もここで登場する。

最近のスピリチュアルの人の言葉で、「未来は決まっているが、それはいくつも無限に存在する」という話を聞いた。

パラレルワールドだと言うのだ。

ロールプレイングゲームのようにプレーヤーが行く先を選択でき、宝と武器を探しながら進むのだが、途中で出てくるモンスターも最初からプログラムされている、しかしプレーヤーがモンスターと出くわす行動をした時初めて登場するのだと言う。

つまり数多くの人生のストーリーがあるが、そのうちのどれかを毎回選択して生きているというのだ。

表現の仕方の問題なのか???

結局トラブルや金貨は途中に隠れているが、見つけ出しモンスターを倒すか回避してクリアすればよいという事か。

オリエンテーリングのようにチェックポイントはあるがルートは自由という話?

それは未来は決まっているとは言えないのではないだろうか?

確かに決まった未来はというか、ルートはいくつか存在するが、毎回選択して進める自由がある状態では1本道で決まっているわけではないという解釈でよいのだろうか。

ちょっと話がややこしくなってきた。

簡単にモンスターと武器と宝等と書いたが、人間が生きているフィールドは人間社会であり、そこに登場しているアイテムはすべての人間に共通しているものであり、どれを選択するかも自由であるならば「決まった未来」という表現は詭弁ではないだろうか?

パラレルワールドの解釈も少々違うようだが、並行する無数の同じ世界という認識が私にはまだどうしてもイメージできない。

このパラレルワールドに関しては、また次回じっくり掘り下げてみようと思う。

話を戻すと、人生の未来は決まっていないと解釈するのがよさそうに思えるのだがこれを読まれている方々はいかがお感じであろうか?

冒頭ご紹介したすれ違いざまの霊能者の方が言う「人生の全てが見える」というこの「全て」とはもしかして私の解釈が違う可能性も考えられる。

ある程度その人の人生で起こりうることは決まっていて、その事を言っているのか?

また、別のスピリチュアルの方は「人生で起こる事象は全て生れる前に自分で決めた事」であると言っている。

すると、自分で決めたイベントがあり、転生するにあたりその記憶を消し、人間として生きてイベントを乗り切る。

これらの一連のイベントの事を「全て見える」と言っていると考えると、ほぼ無理が無いのではなかろうか。


なんとも言葉の解釈の仕方でどんどん方向性が変化していくので、整合性のある話にまとめるのは難しい。

この他人の人生が見えるという霊能者の方は威圧的で強引な方、スピリチュアルの方は動物霊が力を貸しているので信用しないほうがいいと言う。

信用しないほうがいいと言ったスピリチュアルの方もかなり強引だという印象が私の中にあるのだが、それはどうなのだろう?

お互い動物同士でお前は信用ならん!と言い合っているだけなのか?

これを検証する手段が無いのがまた謎を深める原因となってしまう。

このような解決方法の無い疑問へ突っ込んでいくこと自体変な行動だと思いつつ、それでもスピリチュアルの世界がちゃんと存在し、正しい向き合い方をすれば人生にいい事がプラスされ、より幸せに過ごせるようになってほしいという願いが根底にあるので、やめられないのだ。

有形無形関係なく、目的のある物は正しく使用方法を誤らなければ目的通りの結果に結びつくと思っている。


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(01:52)

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この記事へのコメント

1. Posted by ドット   2013年04月28日 00:43
Unknown<br>
はじめまして。<br>
自分も普段同じようなことを疑問に感じています。<br>
先日とある視えるという方から不本意な未来を聞いてしまいまして、疑問を解決したいという欲求がますます加速した次第です。<br>
<br>
人生が決まっているのか、努力で変えられないのか…気になります。
2. Posted by 四季   2013年04月28日 10:16
ドットさん コメントありがとうございます<br>
非常に気になる所ですね。<br>
「全ての会話まで一語一句決まっているのだ」と言う凄い霊能力をお持ちの方ともお話しました。<br>
私の場合、どうしても腑に落ちなくて探索しました。<br>
そうしてたどり着いた所が、このブログの一番最後に書いた内容でした。<br>
霊的な事は証明する事は不可能であり、人間として生きている状態では確証を得られません。<br>
私もまだどこかで探索中なのですが、現実に起こる事はいつも一歩引いて客観的に見ています。<br>
その分人生もすこしつまらなくなっていますが。。。<br>
ドットさん自身が腑に落ちるまで探索をしてみてください。<br>
その不本意な未来の出来事が、実は更に先の未来での充実感や喜ばしい事の布石の可能性もありますから。
3. Posted by 万年   2014年11月09日 20:10
Unknown
>これはスピリチュアルの世界の人でも様々な言い方をしているが、
>そもそも動物霊というものは存在しないという人もいる。

動物霊ですかぁ・・・
人間も動物ではないのか?
虫霊はいないの?
などと質問したら、霊能者さんに起こられるのでしょうね(笑)
なぜ、動物だけが悪者になってしまうのだろうか?
動物でも人間に優しい動物もいますしね(笑)

たぶん、この見え方は何らかの仕組みがあるのかもしれません。
例えば、日本人の場合、臨死体験で三途の川で追い返された・・という話が多いですが、
私の祖父もそうですし、知人の姉も追い返された・・と
言ってしました。
なぜ、三途の川?って感じですよね(笑)
そう考えると、動物霊ってのも
そう見える理由というか仕組みがあるのかもしれません。

4. Posted by 四季   2014年11月09日 22:12
万年さんコメントありがとうございます
動物、、、昨年飼っていたインコが寒さで死んでしまいとても悲しい思いをしたことがありました。とても私になついていていつも一緒でした。

そのインコが死んだ後、何度か私の背中辺りをパタパタパタと飛び回る雰囲気を感じた事があります。
明け方の寝ている時、PCのモニターに集中している時など様々ですが、いわばあれも動物霊という認識になるのでしょうかね?

イヌやネコも同様な事を言う人はとても多いですね。

三途の川も世界各国バラバラな景色の報告等ですが、知り合いに追い返されたとか後ろから呼ばれたとかは共通しているみたいですね。

まだきっと何かありそうですね(^^)

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