2012年12月16日

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

人にはそれぞれ「ジンクス」というものを持っていたりする。

何かの競技を行う人、試合前に必ずスパイクは左足から、とか。

勝負の時はこのシャツを着るとか、これらのジンクスを持ち、勝負に挑んだりする。

勿論これはそれぞれの人の気持ちの持ち方なので、いい悪いの話ではない。

人には「何をやっても当たる」という時がある。

麻雀が好きな人は経験的に思っているかもしれない。

何故か勝てる日、どれだけ慎重に打っても負ける日。

パチンコなどもその運があるように見える。

しかしその運も長くは続かない。

何か波のような物を感じることがあるように思える。

ここ数年、パワースポット、パワーストーン等という言葉を多く聞くようになった。

石の種類によって、金運、恋愛運、仕事運、健康運等様々だ。

これはどうやってこの効能を見つけたのだろうか?

誰かが統計などで調べたのか、霊能者がそう感じたのか不明である。

パワーストーンに関しては、ある霊能者は「あんなのは単なる石だよ」「石は石だから」とそっけなく言われた。

「但し、それを身に着けている人の気持ちは入るよ!」と付け加えた。

そしてたまに、パワーストーンの糸が切れて石をぶちまけることがある。

この現象について霊能者は、「何か災難等を石が受け止めてくれてはじけたのだから、拾い集めて繋げてはいけない。神社等で処分してもらうのが良い」とも言われた。

何かの力が働いているかのような助言である。

霊能者からこう言われてしまうと、流石に気にしないわけにはいかないという気持ちになる。

一時期私もパワーストーンを付けていた時期がある。そして糸が切れ石ははじけ飛んだ。

そしてその石は拾い集めて神社で処分してもらった。

この様な事が「災難を避けた」という事になるのか?

時間を巻き戻して、パワーストーンを付けていない状態で同じ時間を過ごして比較することが出来ればその違いははっきりするだろうが、そうもいかない。

災難を石が受け止めてくれた、そう思って感謝しておく位しか出来ないのが現状だ。


以前にも書いたが、人の波動というか集中しているというか表現が難しいがそんな時は、色々な事が起きる。

気運が高まっているので、いい事も悪い事も全て引き寄せてしまうという状態。

これは過去の経験則でも実感がある、それがどうして起こるのか説明は出来ないが。

「よりによって、こんな時にそんな事が、起こるんです」という言葉。

私は確かにその通りではないかと思う。

引き寄せの法則とはここ数年でメジャーになってきた言葉であるが、引き寄せるために様々な方法が言われている。

共通している事は、願いはその状態になった事をいかにイメージ出来るか、感情が伴うかが重要としている。

これは「法則」と言う言葉を使っているので、どの様な事もそのやり方を踏襲すれば自動的にそうなるような印象を受ける。

確かにいいことも悪い事も(自分にとっての事)引き寄せる事はある。

以前私は、市役所等である市民法律相談という所に相談に行った事がある。

そこで相談した弁護士の先生が、相当ひどく、私の相談内容の出だしを聞くとすぐ持論を展開し始めて話がそれていく。

私は、いやそういう事では無くて、、、と話を続けるとまた聞きかじりで話を持っていかれる。

結局相談ごとは何一つ解決せず久しぶりにイライラした。

無駄に時間を使ってしまい、帰りの車の中で怒りが収まらず不愉快なまま運転を続けた。

そして1週間後、再度法律相談を申込んだ。

弁護士の先生と話し始めて、ふと気が付いた。話を持っていかれる。弁護士の先生の顔をよく見てみた。

先週と同じ弁護士なのだ!

結局先週と同じく相談などまるで解決しないで、同じことの堂々巡りであったのだ。

そこで帰りに窓口の人に弁護士の先生の数や、どうして弁護士が選択されてくるのか仕組みを聞いてみた。

すると相当数の弁護士が対応している為、何度も法律相談に行っても同じ弁護士に当たることはまず、絶対と言っていいほどあり得ないという事であった。

今回は先週とは違う庁舎だし同じ弁護士に当たるなんて。。。

窓口の人も相当驚いていた。そんな偶然があるのか?と。

その時思い返してみたら、先週の帰り道、車の中であの弁護士の先生の顔を思い浮かべてイライラした。人の話を横取りして勝手に話し始める様子を思い返してはイライラした。

これはもしかして、その状況を思い切りイメージして、しかも感情をもろに伴ってイメージしてしまったから「引き寄せてしまったのか?」と。

引き寄せの法則は「気持ちのいい状態でイメージする」と言われている。

イライラした状態でイメージした悪い事は、翌週に即実現された。

これもある意味すごい事ではないか。

これが「法則」と言われる所以なのではないか?とも思えた出来事である。

では、「運気が上がる」「下がる」という状態はどういう状態か?


最近のスピリチュアルで言われている「法則」の使い方。

「○○が欲しい〜」とお願いすると、○○が欲しいと思っている状態が叶うからずっと○○が欲しいと思い続ける状態のままだという。

これが難しい。

でも「願掛け」は「願い事」を神社等でお願いする。

願っている状態ではずっと願っている状態のまま。

「このプロジェクトが成功しますように」・・・ずっと成功を祈った状態のままなのか?

結果が出るだろう。

期限という時間を基準とした区切りがあるからだ。

「運気が上がらない」のはキツネとか蛇に取りつかれている状態だという霊能者もいる。

では、「除霊」そして本人はスッキリしていい気持になるからいい事をイメージする。

するといいことを引き寄せる、「運が向いてきた!」と思える。

こういう関連付けも出来るのではないだろうか?


先日のニュースでアメリカの心理学者が「子供は褒めたほうが伸びるのか?」というテーマで実験を行った結果が出ていた。

褒められると、脳の中である成分が分泌されてのびのびした状態でいい結果に結びつく。反対に「怒られる」と萎縮して、いい結果に結びつかない。脳の成長度合いに違いが出てくるという結果だ。

「除霊してもらった」にしても「褒められた」にしても共通するのは「気分がいい」という状態ではないだろうか。

ゴルフをプレーしていてもスコアのいい日はひたすらうまくいく。しかし何かでつまずくとそこから崩れていく、こんな事を経験した人は多いのではないだろうか?

自分もそのような経験をしているので、そう思えるのだが。

結局うまくいっている時は気分がよく、ひとたびつまずくとそこから崩れる。

自分という存在が、心の持ち方の違いで結果に影響を与えている。

周囲の霊や何かの力が人の運に影響を与えている。

はたしてどちらが正解なのだろうか?


古くから「神」と呼ばれている存在もその生い立ちというか、何故神と祭り上げられたのかをたどっていくと、結構伝言ゲームのように言い伝えが簡略化されたりして今に至っているパターンもある。

元々「蛇」がどうして神となったのか真意は不明だが、この蛇から「龍」という存在が派生したとも言われている。

結局「龍神」というのは架空の存在だと真っ向から否定する集団もあるようだ。


では、生霊と呼ばれるものはどうなのだろう?

よく「生霊を飛ばす」という言葉があるが、飛ばしている本人に自覚は無いようである。

その生霊により様々な霊障が起きているとも言われている。

この生霊を意識的に飛ばして、相手の状態を知るという霊能者もいるようだ。

生霊がイメージとして蛇のようになってまとわりついている事もあるようだ。

このような状態の人から蛇を祓う事が出来れば本人はスッキリする、しかし生霊を飛ばした本人は自覚が無いので、また飛ばす可能性があるとも思える。

この様な事で他人に影響を与えることがもし可能であるとすれば、もっと不可解な事象が氾濫していてもいいようにも思える。

人は何かを予測する場合「最悪の状態も想定しておく」という言葉をよく言う。

確かに危機管理としては絶対必要であろうと思う。

人は悪い結果を予測する事が非常に得意であるように思える。

悪い結果を予測して、それを他人に伝えておけば結果が悪かった場合「ほぉ〜らやっぱり」としたり顔で言うのが大好きではないだろうか?

最初から「絶対信じているから大丈夫だ!」と言ってくれるのは、ごく身近な人だけであとはほとんどが失敗を期待しているかとも思える。

自然と「悪い事、失敗する事をイメージしている」のだ。

それでいて自分が何か始めようとすると、いつもの癖で「失敗をイメージ」する。

運気が上がらない人ばかりではないか!

まとめとして、私自身は法則として作用するのではないか、と感じている。

スピリチュアルブームで盛んに引き寄せの法則を成功させるには、と言われているが、「愛を感じて」「焦点の合ってない目で遠くを見つめて」「成功をイメージして」と雲の上に行かずに「法則」なら法則として具体的に伝えたほうが伝わる人も多いのではないだろうか?

この運気を左右するのは自分自身であり「神」や「守護霊」の助けでは無い、と言い切りたいのだが、それも断言できない部分がある。

それは、思いもよらない成功というまるでイメージしていなかった状態へのプレゼントのように思える出来事もあるからなのだ。

脳の特性と今の社会の人々の思考の傾向、そしてスピリチュアルと古くからの精神論(宗教として伝わっている)等が、どう作用しているのかは、解明できていないというのが現状ではないかと思う。

更に探求を深めることにより、もっと具体的な「法則の活用」が出来るようになれば私としては非常に嬉しい。

それは、ちゃんとした知識を持っていれば人々が人生をより楽しく過ごすことが出来ると信じているからである。

他のテーマと関連するが、未来は全て決まっていないという前提に基づいている。


本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!

↓↓いつもクリックありがとうございます↓↓


スピリチュアル ブログランキングへ




(23:49)

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by M   2012年12月17日 09:43
Unknown<br>
立て続けにコメントしてすいません。<br>
スピリチュアルでの矛盾は目をつぶるという<br>
雰囲気がある中、冷静に分析されている方がいて、<br>
嬉しくなったもので・・・<br>
今のスピリチュアルに必要なのは<br>
現実とあちら側の架け橋だと思うのです。<br>
仮にそのような使命があるならば、<br>
これも時代の要請かなぁ・・・とも思います。<br>
スピリチュアル的には<br>
見えざる力が働いているとなるのでしょう(笑)<br>
なぜか、自称光系を称する人々からは<br>
純粋に探求をしはじめた者に対して闇という烙印を<br>
押したがるようです。<br>
思考は御法度ということで、<br>
なぜなにを持たず、感じるのみが正しい道というのが<br>
私には理解できません。<br>
私には真実を隠すための方便にしか思えないのです。<br>
自称光系とその裏側??につく存在??<br>
は裏側のシステムを知られてはまずい為に<br>
情報の錯乱を狙っているようにしか思えません。<br>
答えは現実の断片から必ず導き出されると思います。<br>
なぜ、人間は記憶を消すのか?<br>
人間が記憶を消したいと思う時の理由は<br>
都合の悪い場合です。<br>
人間がヒエラルキーの最上位だとも思えませんし、<br>
何か都合の悪い真実があるような気がしてなりません。<br>
考えすぎかもしれませんが・・・(笑)
2. Posted by 四季   2012年12月17日 23:11
Mさん コメントありがとうございます<br>
いえいえコメント頂けると嬉しいです<br>
矛盾に目をつぶれない性格な変わり者ですが、賛同してくださる方がいると心強いです。<br>
<br>
私は闇の住人として敵視される可能性は十分ありますね。<br>
あまり使命感は無いのですが。。。<br>
<br>
裏側を知らないほうが幸せという場合もありますが、それが全てとも思えないし、自分が感じるままに書いているのでこれもある意味スピリチュアル的なのでしょうかね(笑<br>

コメントする

名前
 
  絵文字