2012年12月08日

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昨日の内容で後半焦点がずれたまま終了してしまったので、引き続き掘ってみたい。

脳の特性の事を考えてみたのだが、結局は私の疑問テーマに行ってしまった。

今日はぶれないように。。。

脳の特性として「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」という3大特性が主軸にという話は昨日したのだが、この2番目「知りたい」という欲求はやはり大きいのではないだろうか?

私もこの「知りたい」という欲求から、疑問を解決していきたいという方向に、そしてその手段となりえるかどうかは別としてブログに書いてみることにより、整理している。

引き寄せの法則という現象なのか、法則なのか不明だが、こういった疑問を持って考えていたりすると、

「ふと、目に留まる」

とでも言うのか、関連のある事柄に出会ったり、偶然WEBサイトで見かけたリンクをクリックしたら、そこにヒントがあったりと「引き寄せの法則」がちゃんと活きてきているようにも思える。

やはり「知りたい」という欲求は世界的にブームとなっているスピリチュアルの影響もあるだろうが、何よりスピリチュアルは他人事ではなく「全ては自分の中」という事に尽きるだろう。

その自分の中に意識出来ている部分とは違う「人格」が有るように思えるもう一つの自分、ここが瞑想等を行わなくても体験している人が多いし、瞑想を行う事により体験できたり、ヒーリング等でも同様の体験が可能という事が「不思議探検」に繋がっているのだろう。

自分の中に自分の知らないもう一人の誰かがいるように感じる。

それはだれ?

それが「魂」であり「神」であると。。。

悟りというテーマには様々なことが言われており、最終的には自分自身は実は何も無いのだという。

「無」

般若心経も「全ては無である」という事を弟子に説いている。

何も無い、今の現実は現実でなく、自分が作り出した幻想の世界だ、だから今起きている苦労や問題に振り回される必要はない。

こういう思いが少なからず働いているように思える。


さてと、私の疑問テーマだ。

今人間として肉体を感じながら、生きていると思いながら、日々生活をしていると感じているのは一体なんなんだ?

この現実と思える世界は、実は何もない幻想の世界だと言うのは個人の勝手だろう。

今目の前で起きている事は、「何の意味も無い」それを見た人間が、それぞれ「解釈」し「意味を付けている」こうも言われている。

だから同じ現象を目撃したのに「受け取り方は人それぞれ」それが言葉を通じて他の人に伝わるとまた「受け取り方は人それぞれ」で伝わる。

それでも今までに行われてきた社会での「教育」であったり「一般常識」であったりという共通認識の上に成り立つので、それほどぶれは無いと思うが価値観は人それぞれなので「表現の仕方」も変化する。

「うわさ」は聞き流すが新聞等の「活字」になると無条件で信用してしまうという人の特性もある。

最近はインターネットが影響力を非常に高めているので、ブログ書かれているというだけで鵜呑みにしてしまう人もいる。

今までスピリチュアルに対して「真っ向から否定」する人は見てきたが、信じたいけど信じられずもがいている人にはあまり出会った事もネットで見かけることも無かった。

そんな中でブームと成っている「自分の中のもう一人の自分」と出会う為に、また新たな発見や境地に至りたくて悟りを追及するのかそれも人それぞれだろう。

自分が興味を持った新しい世界というのは非常にワクワクする事が多い。

しかし、その内容が徐々に解ってきたら新鮮なワクワク感は薄れてくることも多い。

瞑想を行ってなかなか中間の感覚を維持することが出来ず、スピリチュアルの書籍やネットで書かれている所に到達できない、「難しい」と思えると更に興味が出てくる。

実は私自身も非常に興味を持ち、瞑想も行ってきた。

中間の感覚というのも実感し、声や映像を感じたりもした。

それ以外にも「ふとした瞬間に不思議な体験」もした。

その中で「無」を追及しているうちに、入り込み過ぎたのか考え違いなのか「今の現実社会での出来事」や「未来への期待」「解決しなければならない困難な問題」等が「色あせて見えてきてしまった」という現象が自分の中で起きているのである。

現実社会のルール等はスピリチュアルの世界ではまるで違う意味となり、まさに異次元なのだ。

現実社会での出来事等とルールが違うと簡単に説明できるほど単純ではなく、もっと複雑に様々な感情や知識が絡み合っているので、順番に書いても読んでいる人により順番が重要であったり、その他要因が影響して違う意味として伝わったりするので、そこは敢て自然に任せるとしよう。

どっぷり人間社会のルールと感情で生きていると、誰かが殺されたというニュースに不快感を覚えるだろう。

スピリチュアル感覚の意識が強いと「生れる前から殺人者となる人、殺される人、悲しみの影響を受ける人」等が決まっているという事だ。

その人間社会の舞台裏(スピリチュアル)を知っている人にとっては、映画を見ているのと近い感情になり、殺された人への無念の思いは少ない。

どっぷり人間社会の感覚で生きている人に対して、悲しみの感情を和らげるという目的でスピリチュアルの世界を説明し、悲しみを和らげるとう目的なら「あきらめ」という気持ちも湧いてきて、復活につながるかもしれない。

悟りの境地へ向かう、人間社会のルールに縛られ過ぎてはいけない。

この考え方は、受け取る人によっては非常に危険思想につながる可能性もある。

スピリチュアルだけに言えることではないが。。。

しかし非常に重要だと思う。

人は何かを思い、行動する。

この思いが、他の人と同様の価値観ならさほど問題にはならないだろうが、今現時点ではまるで正反対なのである。

この人間社会の今までの考え方が変わっていく時代の事を「アセンション」という名前で呼び、「意識の進化」等という言い方で、ある種傾向が出来ているように感じる。

これが「いい事」なのか「悪い事」なのかは人それぞれが判断するので、起きている事自体に意味はない。

それを見た人がどう思うかなのだ。

大きな見えない力が働いているようにも思える今のスピリチュアルブーム、この根源は一体なんなんだろう?

人の意識の中にもう一つの別人格の意思、これは「集合意識」とか「大元」「源」等様々な呼ばれ方をしているがこの意思による現象なのであろうか?

新しい社会へ進化すると期待する人もいる。

この進化できる人は元々地球にいた「源」であり、戦争を起こしたり、搾取したりという人間には別の惑星から来た魂が入っているので、アセンションで進化する流れにはついてこれないという話もある。

全ての大元は一つ、それを「源」と呼び、地球とそれ以外の惑星で別の「源」???

一つでは無いと思えるのだが、これは私には理解できない。

単純に思い込みの世界と見えてしまう。

私のような事を言う人は他の惑星から来た魂で、地球でのアセンションにはついていけず、アセンションの邪魔をする魂だと言う。

こういう話を信じ切っている人もいる所から私の疑問は深まったのでもあるが。


これらの考え方、もしくは感じ方は全て想念の世界の事という位置づけになっている。

現実社会とは直接の接点は無いのだが、人は思いを抱き行動する。

間接的に影響があることは間違いないのだが、スピリチュアルの世界ではちょとそこだけにとどまらない話がある。


起こったことが現象化するというのだ。

主には「引き寄せの法則」という事になるのだろうが、ここに興味を持つ人はかなり多いと思う。

そして、自分の希望を叶えるために引き寄せの法則を勉強していくとスピリチュアルの世界へ入っていく。

そこには「気持ちを落ち着ける」「イメージする」等からそのイメージに「臨場感を持たせる」つまりは希望した事がすでにかなった状態で自分がワクワクしている事が重要なのだという。

この状態を作り出すのに「瞑想」が推奨される。

瞑想に興味を持っていると、瞑想にまつわる事柄として、真っ先に出てくるのが「悟り」の世界でもある。

現実社会での希望を叶えたく引き寄せの法則に興味を持つ。

そこから悟りの状態に近づくにつれて引き寄せの法則で希望した現実社会での事は悟りとは距離が離れていく事に気が付く。

私の場合はこの矛盾のループが解消できず探索中なのだ。

スピリチュアルの世界は非常に守備範囲が広い。

分厚い書籍で何冊もあり、これを全て理解するには相当時間が必要だと思う。

私自身も全ての書籍を読んだわけでもなく、悟りをテーマにした人の講演等を聞きまくったわけでもない。

今まで出会ってきた不思議な人たちとの交流や、自分に縁があった書籍に目を通している。


人によっては、引き寄せから悟りのループは関係ないという。

私の思いとはまるで異次元の感覚でいる人もいる。

矛盾そのものを気に留めない人もいる。

私は矛盾に引っかかった人なのだ。


こうしてみると、受け取り方は人それぞれ、その事をどう思うか?

ここに行きついてしまう。


人は「魔法使い」が好きである。

「不思議現象」も好きである。

人にできないと思える事が出来る人、単純に「すごい!」と思ってしまう。

人に出来ない事をする、これは仕事の定義の一つでもある。


悟りの境地へ達した人。

自分の中の別人格と会話する人。

この別人格は守護霊で、この現実社会の裏側でサポートしたり導いたりする魂だという人。

この別人格は「神」だと言い、その言葉に従う人。


何かしら「すごい!」と思って、でもこれはすごい人だけのものでは無く、瞑想という訓練を積めば「悟り」という境地へだれでも達することが出来る。

こう言われると、自分もすごい人の仲間入りしたい(直接こうは思わないかもしれないが脳の特性で「仲間になりたい」かもしれない)。

この様な考えが心の底で「無意識」に展開されて、世界的なスピリチュアルブームになってきているという考え方は出来ないだろうか?

もしかしたら、本当に人間社会の裏側(この表現が正しいかどうか不明だが)に魂の次元があり、その次元でのルールに乗っ取り(自然の法則とも呼ばれている)展開する世界があるのかもしれない。

どこは、どの様なルールで動き、何を目的としているのかまだまだ不思議は尽きない。



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