2012年11月29日

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まだ若いころ、ノートパソコンを使っていて、さて、風呂に入ろうかという事でノートパソコンを片付けた。

風呂に入っている間に子供にノートパソコンをいたずらされたくないので、立ち上がった時片手に持っていたノートパソコンを隣にあった家具の上にポンッと置いた。

そして風呂にゆっくりつかっていると、「コラッ!頭の上に物を置くな!」と急に怒られた。

というか、暖かな風呂でぼ〜〜っとしていたら、突然頭の中で怒りの声が聞こえたような気がしたのだ。

私は慌てた。

バスタオル1枚で急いで風呂から上がると、先ほどノートパソコンを何気なく置いた場所は「仏壇」であった。。。

ご先祖様に怒られた。。。

何となくそう思ったので、思わずすみません。。。と言いながらノートパソコンの置き場所を移動して、風呂へ入りなおしたのである。


中学生の頃の事、自宅周辺の上空を自分は気持ちよく飛び回っている。

行きたい方向へすいぃ〜〜〜、宙返りしてみたり学校の上空に行ってみたり、思い通りに飛び回っていた。

次に覚えているのが、朝布団で目覚めて「さっきのは何だったんだろう?」と思った事。


学校のグランドで、自分の体がふっと浮く感覚を覚えたのでもっと上空へ浮かんでみようと思うと、す〜〜〜〜っと浮き上がった。

「おぉ、飛べるじゃないか!」と思ったのを覚えている。

そして布団で目覚める。

翌日も、気が付くとグランドにいる。

ようし、もう一度!

やはり、す〜〜〜〜っと浮き上がり、昨日よりもっと高くまで行くことが出来て、そこで記憶は途切れる。

それまでと、それ以降もこの「浮くとか飛ぶ」という感覚が夢で見るときのそれとは明らかに違ったように感じられる。

上空を飛行している時は、風をほぉに受けている感じをはっきり覚えていた。

グランドで浮き上がったときは地面のじゃりじゃりした感覚をしっかり覚えている。


初めて一人で行った先祖のお墓参り、お墓の場所が分からず数時間探し回った。

見つからないので、あきらめたその直後、今歩いてきた細い道に竹筒が落ちている。

細い道を遮るように直径15cm位の竹筒が横たわっている。

当然歩いていれば、つまづくだろう。

しかし自分が歩いた時にはそんなものはなかった。

拾い上げてみる。

そこに捜していた先祖の名前が書かれていた。

横を見ると、まさにそこが捜していた先祖のお墓であった。

この状況で、これは偶然とは絶対言えない出来事であった。


ある人と電話で話をしていた。

私が頭の中でイメージした事を伝えようとした処、相手の人がダイレクトにそれを言い当てた。

これは驚愕である。

電話の相手は距離にして1000km以上離れたところにいた。


とある霊能者と言われている人と会ってお話をしていた。

その霊能者の方は話を勘違いし怒りだした。

私は、いやいや勘違いですよ、それは・・・と説明しても収まらない。

すると、霊能者の方の後方に祭られている神棚から白い花瓶が すーっと落ちてきてガッシャーン!

勘違いで怒っていた霊能者の方は、はっ!とした様子で落ち着きを取り戻した。

地震があったわけでもなく、静かな部屋で神棚から花瓶が落ちるって、、、理由がわかりません。

その霊能者の方は「ご先祖が怒っている」と一言言いました。


まだまだ沢山不思議な出来事はあるのだが、ちょっと凄すぎてここでは書けない内容のものもあるのでこの辺りにしておきたい。


こういった不思議な出来事を客観的に見てみると、

仏壇で怒られたのは、まさにその通り怒られたのでしょう。

墓場での出来事は「場所を教えてくれた」と思われる。

上空を飛び回っていたことは「幽体離脱」と思われる。

電話でイメージが伝わった事は「テレパシー」と言うのかな?

花瓶が落ちたのは「落ち着け!」と言わんばかりのタイミング。


人間には見えないが、見えない何かの「意思」がそこに存在すると考えると考えるのが自然な流れだと思う。


こういった体験をした人は日本だけにとどまらず世界中にいる。

こういった体験から「見えないが、そこにある意思」という存在を認識し、体験からそれを信じる。

すると他人の不思議体験も自分の体験と同様に信用することはたやすい事であろう。


しかし世の中にはもっとすごい体験をした人が多数いる。

経験から「見えない意思」を信用するというレベルではなく、その見えない意思と会話するという人もいる。


「神との対話」等は書籍として出版され、世界中で売れている。

これは自分とはまるで違う考え方を、自分の中に聞こえてくる言葉として書き残したというものだ。

他にも様々な書籍も販売され、セミナーも行われ、ヒーリング?も行われている。

このヒーリングについては私は未経験であるため分からないが、インターネットの中でも有料ヒーリングは市民権を得ているようである。


この見えない意思について、これは一体何なのか?

更にこの見えない意思からのメッセージは何を意味するのか?

この人間社会において、意味づけを行うのは肉体を持った人間である。


地域や国、更に時代の違いにおいて同じ出来事も意味づけは違っている。

しかし、一様にこの見えない意思からの言葉は「神のメッセージ」と解釈されている事が多いように思える。


それでも、このメッセージを受け取る人によって解釈は違いを見せるようで、メッセージを受け取る人同士で食い違いを見せ、互いに否定しあう論争もあるようだ。

見えない意思からの言葉をなぜ「神」とか「高次の存在」と認識できるのであろう?

また、霊感の強いという人はこのメッセージを「神を装った動物霊」である可能性もあるから何でも信用してはいけないともいう。


どう判断して高次の存在とするのか?はたまたどうやって動物霊と断定するのか?

映像として見えるという人もいる。


映像として見えるという人は「見えない意思」ではなく、映像を伴うそこにある意思として認識している。

しかし、見せ方も化けることが出来るとも言う事からすると、例え見えたとしても信用できる範囲では無い事がわかる。

しかし、世の中はスピリチュアルという言葉が先行し、ブームとなり、数多くの霊能力?を持ったとされる人たちのブログであふれている。


中にはスピリチュアル関連ブログランキングの上位にあるブログは全て偽物であり、それを伝えるためにブログを書くことを指示されたという人もいる。


自分の意思でブログを書いている人も実は指導霊に導かれ、何となくそんなブログを書かされているという話もある。

では、このようにスピリチュアルに疑問を持ってこのようなブログを書いている私は、何かの導きもしくは何かの意思が働いているのだろうか?

あまりにも様々なスピリチュアルなブログが多すぎて、間違えた解釈を信用してしまっている人もいるから、そのような人に考えるきっかけとなる為のこのブログを私か書かされている、もしくは導かれているとでも言えるのだろうか?

不思議な体験から見えない意思という事、霊界等に興味を持ち、調べたりしているとどうしても出てくるのがスピリチュアル関連である。

そこに不思議な体験の理由はこうですよ!と説明されていれば、思わずそれを信じてしまうではないか!


しかし、他の書籍を読んだり、他の説明を見たりしているうちに私は迷子になったようだ。

どれが正解なのか分からなくなった。


もしかしたら信じたものが私にとっての正解という事で解決されているという可能性もある。

万物共通の理由もあるかもしれない。

そんな思いが、更なる探求をし続け、新たな疑問に当たる。

その繰り返しから、おぼろげながら見えない意思とは、霊界とはこのような感じ?と思えてくる。


しかし、今自分が知っている知識だけではどうしても矛盾が生じてしまう。

この矛盾が生じているうちは探求は終わらないだろう。

もしかしたら生涯探求は終わらないかもしれない。


今言えることは、これが真実だ!と言えることが無い。

自分の不思議体験は体験であり、真実のかけらであろう。

このかけら、他の人のかけらとも組み合わせていくと、もしかして真実の全容が見えてくるかもしれない。


この探求がもたらすもの、今現実に生きている肉体を持った人間として、生きがい、楽しみ、生きる理由、等が見えてくるかもしれない。

今まで思っていた事とは違う理由が見えてくるかもしれない。


津波で亡くなってしまった人の理由がわかるかもしれない。

出来れば私自身も見えない意思と会話をしてみたいものだ。




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(19:36)

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