2017年12月31日

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メビウスの輪

本当に魂を磨かなくてはならないのだろうか?

とある霊感のあるという方のブログを読んでいると、かなり不思議体験をされているようで、その体験から霊界についての見解が色々書かれていた。その内容を参考にさせて頂いた。

・魂が「ある」として

魂は存在し、人間として生まれて来たからには厳しい環境や境遇に負けず「慈悲の心」を持ち「人に与え」「他人を助け」「悪魔の心」に負けずに「強く」生きていく事で魂が磨かれる。

・魂なんて「ない」として

そんな魂や輪廻転成など空想のお話で、その昔宗教として人々をまとめるために考え出された方便である。

様々な人はそれぞれどちらの考えも持ち合わせており、深く考えていない。

自身に何か脅威が襲いかかり、意味不明な理不尽に押しつぶされそうな心を立て直すために「神様に試されている」とか「魂を磨くチャンス」であるとか、要は考え方、気持ちの持ち方の指南書的な考えが宗教であったと考えられる。

いやいやそうでなくて、実際に魂は存在し、輪廻転成も行われ、魂の次元が高くなると次のステージへ上がっていくのだから、バカにしてはいけない。

そしてこの世界では、霊界等の「真理」は絶対明かされず、分からないように隠されてるふしがあるとも言っていたり。

霊界の真理を探究していくとわかるのだが、魂が「ある」として散々考え、次にやはり魂など「ない」という考えに至り、また、でもしかし魂は「ある」のでは?とぐるぐる回ってしまう。

では時間という考えは「今」この瞬間だけに人間は存在し、タイムマシンは空想のお話、いや科学的に・・・

宇宙空間はどこまで続くのか、区切りは「ある」のか、「ある」としたらその向こうには何が?その向こうに何かしらの空間が「ある」としたら更にその向こうには?

どの方面の思考にも全て「合わせ鏡」の現象が現れ、決して最後まで到達できない仕組みになっている。

魂があり、人生はそれを磨く事が命題だという考えについてずっと考え続けた。

「優しさ」「与える心」「人のため」・・・なんだか「いい人になろう教」のような宗教的な匂いがして来た。

なぜそのような匂いがして来たかというと、最近の社会を見渡して感じた事がある。

エゴ丸出しの人がなんと目立つようになって来たか。

なぜか人々が対立する姿が目立って来ているように感じる。

まあネットの普及と報道の拡大でいままで目立たなかった事が、、、とかも言えるが。

現実社会で恵まれた環境にいる魂は人間初級編だという「いいひとになろう教」的な考えがある。

過酷な環境にいる人ほど上級編であり、ハンディキャップを持つ人等は更にその上のステージであると。

人それぞれ同じ世界を見ても見えてくる世界は違い、思考も違うため、私の目に入ってくる事から私自身が感じることも、これを読む人には違うと感じられるのが当然であろう。

もしかしたら、この世界の「真理」とは「永遠に到達できない」という事が答えなのかもしれない。

魂や霊と呼ばれる何かは、一体どうして存在するのか?

もしかしたら、人間の思考が神として作り出し、霊的に霊の次元で神として出現し、人間が宗教などでその考え方を広めた結果、多くの人間の「念」が集まり、霊的に存在しているのかもしれない。

神社などで人々が念を送り続ける結果、人々が「神とはこんなんであろう」と思った「姿」になっていくもかもしれない。

だから、人間社会で理不尽に苛まれ怒りが「鬼」を作り出し、他の人の「怒りの念」を吸収し続け「邪神」となって来たのかもしれない。

では、そうして出来上がって来た八百万の神々は人間社会に何かしらの影響を与える事ができるのだろうか?と考えて見ると、状況的に「何かの力が働いた」としか思えないような出来事等から「神様のおかげで助かった」という体験の話が出て来たりすることにより、やはり何かしらの影響力を発揮できるのでは?と考えて見たりもする。

どのような現象にもそれなりに説明をつけることはできるし、正反対の説明もできてしまう。

最近モスルで神に祈りを捧げているところをマシンガンでテロリストにやられるといった事件のニュースを見ると、神さまに祈りを捧げている人でも神さまに守ってもらえなかったんだ。。。とか漠然と思ったり。

アメリカでも教会で祈りを捧げているところを銃で撃たれて亡くなっていたり。

いや、そこで亡くなった人は予定通りだから、いや祈ってはいたが実は悪人で・・・、祈りが足りなかっただけで。。。、亡くなってしまった人は言葉を発することも考えを述べることもできない。

そこで生き残った人が言葉を発し、考えを述べる事ができる。
「神様のおかげで助かった」と。。。

こうした思考を根本から覆す考えもある。

実はこの世界はバーチャルリアリティで仮想の世界であるとか。

こう言われるともう散々考えたのがバカバカしくなるほどのインパクトだ。

70億人の人類を仮想現実の世界で動かすことは現在のコンピューターの性能で十分可能なのだそうだ。

しかしまだAIの進歩が足りず、現実の人間社会ほどのリアリティまでは出来ないそう。

ここでも合わせ鏡の現象だ。

今の我々がいると思っている世界が仮想現実だとしたら、それを作り出した何かしらの知的生命体でもいるのか、我々がコンピューターの世界で仮想現実の世界を作り出しているように我々の世界を作り出した誰かは、それももしかしたら誰かが作り出した仮想現実?

終わりがない。。。

自分自身は宗教の教えには全く興味がない。

様々な人の霊体験などからくる「いい人になろう教」にも興味が持てない。

では凶悪な邪神的思考に染まるか?と聞かれると、それも無い。

自分を自分だと思い、感じているこの人間という肉体に自分がいると認識している。

その自分が思うこと、静かに暮らしていたい。

しかし人間社会に人間として存在していると、様々な考えの人間が攻撃して来たり嫌がらせをして来たり、騙そうとしたり、環境的金銭的、人間関係的に私を「支配」しようと襲いかかってくる。

かわし続けても相手に戦意がある限り攻撃は続く。

ダメージを与えて戦意消失させようとすると、警察やら弁護士やらが登場し攻撃パターンが変化する。

こういった自分を取り巻く環境から思うこと。

魂があるとして輪廻転成等でこの世界に生まれて来たとしたら、「なんでこんな所に来てしまったのだろう」。

一般的な人たちと私は意見が合わない。サラリーマンも挑戦してみたこともあるが、我慢の限界を超えてやめた。

それではあとは自営しかないと思い、個人でやってみたり会社を作ってみたりもした。

結局やってることに大差はない。

人の役に立つことを、与える精神で優しく、、、根こそぎ取られます。

防御が甘かったという事で防衛対策を立てると、今度は相手を信じられなくなる。

長い時間かけて信頼できるようになったと思うと、、、騙されます。

こんな世界でのし上がろうとすると、人を格安でこき使い、顧客を宣伝でだまくらかし、優位な立場で法的に締め上げて、そんな事をする同じような人たちで仲間を作り、そんな中でも騙しあう。

どれも私の苦手とする種類の人たちである。

どうしてこんな世界へ来てしまったのだろう。。。

と考えるということは、もっと他に違う世界があるということか?

他の惑星が、、、と、また話が飛躍し確証のない世界へ話が飛んでいく。

どの視点からどう考えても小さな世界では完結できそうに見える考えも、隣の世界と連結してみるともう矛盾の沼から出てこれなくなる。

ここ最近、もうどこまで考えても意味がないと思い、このブログも更新してなかったのだが、なぜか頭のどこかで常に考えている自分がいるのだ。

自分自身で肉体を持たない「意識」とコンタクトを取ったり、はっきり意図がわかるような霊体験とかは無い。なんとなく感じたりといったあやふやな体験はあるのだが、明確にはわからない。

受け取り方で思考が反転してしまうこともあるため、自分自身で確証が持てない。

もしはっきり自分自身で確証が持てるような状態になれば、何かしら見えてくるのであろう。

人の体験談では自分の思考は固まらない。

今後どうなるのか、何もなくまたあやふやな日々が続くのか、わからない。

もう少し真理に近づいてみたい。。。

メビウスの輪から抜け出してみたい。




ちょっと気分を変えて、もう少し気楽にブログを書いてみます。
こちらにも更新していますのでよろしければどうぞ!
https://ameblo.jp/shiki-sub/ 


こんなスピリチュアル的な小説も書いて見たりしています。
「前世の記憶と約束」
http://shiki-novel1.officeblog.jp/



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