2017年05月29日

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ルーレット


「ラッキー♪」

運がいいと思った時、思わず口にしてしまうかもしれない言葉。

「うわっ 最悪〜」

運が悪いと思える時、こんな言葉が聞こえて来るかもしれない。

「運」って一体なんだろう?

このブログで探索してきた中で、人生は詳細部まで決まっているという説がある。
もし、あらかじめ人生に起こる事が決まっていたとするならば、運など何も関係ない予定通りの事であろう。

人生の先が決まっていないとしたら、運というものは結構重要な位置を占めるかもしれない。

魂が輪廻転生していて、何度も人間に生まれ変わっているのでは?という説があるのだが、「やっぱりそうかも」と思わせるような話は沢山ある。

そしてどのような目的があるのか無いのか不明だが、輪廻転生していて魂レベルでポイント制のように蓄積されていくものであるというイメージの話が「徳を積む」という言葉であろう。

今、運がいい人生を送っている人は「前世で徳を積んだ人である」というどこかで聞いた事がある話。

若い頃はそんな話を聞いた時、「へ〜そうなんだ」位に聞いたのだが、その後の人生で、何かしら選択を求められた時、気にして「善行」方面を選択したこともある。

しかし、今考えてみると、心がひねくれたのかもしれないが、それは人々を善行に向かわせようとする何かしらの「意図」がその後ろに隠れていそうに思えてしまう。

善行とは何か?

人のために何か役に立つ行い。人に喜ばれる行い。人が見ていないところで何か良いことを行う。

例えば、誰もいないところで神社の境内を掃除したり、公衆トイレを掃除したり。そこを利用する人が気がつくことなく快適に利用できたり。

ビートたけしはテレビ局のトイレを誰も見ていない時掃除していた、とかよく言われる話であるが真実かどうか、それが徳を積む、運気を上昇させる事に繋がったのかは不明である。

こうした話はいくらでもあり、絶対的に否定もできない話だ。

(実際にあった出来事です)
ある人が人生に完全に行き詰まりビルの屋上から飛び降りた。

下には沢山の道ゆく人が歩いている。何か目的を持ってそのビルの下の道を歩いていた人に上から人が落ちてきた。

飛び降りた人は勿論亡くなったのだが、そこをたまたま歩いていた関係のない人が道連れにされ、亡くなってしまった。

ビルから飛び降りようとフェンスを乗り越え、決意を固めて飛ぶまで、その間もビルの下の人達は何人も通り過ぎていった。
沢山の人が歩いている時、上から人が落ちてくる時間は数秒、その瞬間に落下点を通過してしまった人は「運が悪い?」

ほんの1秒前後にずれているだけで歩いていた人の目の前か真後ろにずれていた可能性もある。

この事は、運が悪かったのか、人生が決まっていたなら予定どおりなのか、単なる偶然であったのか?

昔中国で起きた列車事故、日本人も乗っていたという。4人掛けのシートに座り皆でトランプを楽しくやっていた。そして事故。4人掛けの窓側に座っていた人は助かり、通路側の2名が亡くなった。この生死を分けた線は一体どう考えれば良いのか?

運という言葉で片付けるしかないのだろうか?

私自身も前にも書いたが、一般的には死亡事故と見られるような事故に何度も遭い、しかし今でもこうして人間として生きている。

かと思えば、1m位の段差で足を踏み外し、打ち所が悪くあっさり亡くなってしまった若者もいた。

「解釈」という言葉がある。

この解釈次第でどうにでも考えられるのだが、解釈の仕方では正反対になることも多い。

人は目の前で発生した出来事を自分の中で解決しようとする。悲しい出来事であれば少しでもその悲しみを和らげたい。

結果、酷い出来事でも「不幸中の幸」という言葉を生み出して衝撃を悲しみを和らげようとしてきた。

「運が悪い」と解釈してしまったとしたらどうであろう?

その後は運気を上げたいという希望が出てくるであろうから、運気の方面の情報に敏感になるかもしれない。

しかし、その時は運が悪いと思える出来事でも結果その後の幸運な出来事に繋がり人生が開ける事もあり、その瞬間だけでは判断しきれない事もある。

ある霊能者が言っていたが、大人でも子供でも「いじめ」や「理不尽」な行いをする人がいるが、やられてしまった被害者は「実は加害者から運を頂ける」と言うのだ。

だから、子どもの頃にいじめられっ子だった子供は大人になってから成功する人が多いという。

いじめられた人が受け取った運はカードのポイントのように貯まっているので、何かしら運が良い事が多いのだが、ポイントが貯まっている事を知らないでいると使わないまま人生が過ぎてしまうという。

どこかの会社へ理不尽なクレームの電話を入れると、それに対応したオペレーターに運ポイントがどんどん貯まり、クレーマーは運が尽きていくのだそうだ。

学校の先生へ理不尽な要求、取引先の理不尽要求、警察官等の横暴な振る舞い、情け容赦ない税務署の取り立てなどなど双方が納得しない一方的な圧力にそれを受けた人は「理不尽」を感じる。すると運ポイントがどんどん貯まると言うのだ。

これが本当にそうした仕組みで動いているのであれば、ちょっと面白い。

一方、「憎まれっ子世にはばかる」「いい人は早死に」という言葉もあるように、運ポイントの話と対立するような話もある。

真実が判明しない場合、やはり「解釈」が出てきてしまう。

自分の人生を思い出してみると、あまりに私へ理不尽な事をした人は成人する前に事故で亡くなったり、40歳台で亡くなったりしたのを見てきた。

解釈。偶然なのか、そういう予定の人生だったのか、運を使い果たしてしまったのか。。。

どれも断定はできない。

生まれた時点で初期「運ポイント」は一定であり、人生の中で使ったり貯めたり?

前世でも徳を積んできた結果、生まれた時点で他の人より運ポイントが大量にある人もいるのか?

世の中を見渡してみると、紙一重で運を逃している人もいれば努力とか関係なくラッキーを手にする人もいる。

自力で運を貯めていく事がその後の人生に大きく影響するのであるのなら、運を気にしていけばいいと思う。

人生予定通りであるならば、へ〜 くらいでやり過ごしてもいいし、気のせいなら気にする事も無いであろう。

私自身はどう考えるのか?

自分自身は長年の人生経験から、なんとなく「運ポイント」はあるような気がする。反論も勿論あるだろうが、それは他人の言葉。私自身の経験から思う事を自分は信じてみる。

だから理不尽な事をされてしまうと心の中で「ありがとう」と思ったりもするw

ブログへ攻撃的なコメントや嫌がらせのメッセージもあるのだが、「ムフッ ありがとう」と言いながら削除したりしているのだw

先日携帯電話の会社が間違えて多く引き落としをしている事が判明したのだが、こんな私は窓口の人に強烈なクレームなど言わないw

電話の先では企業の担当者がものすごく小さくなって、恐る恐る言葉を発していた。

「ちゃんと戻してくれれば問題ありませんよ」

こちらからの、そんな優しい言葉に逆に恐怖心を抱いてしまったようで、困惑している様子もあったようだが、それ以上言うこともないので、その後の処理をお願いして電話を切ったのだ。

クレーム?

そんな自分の運ポイントを人にあげてしまうような勿体ないことはいたしませんw

最近本当にクレーム社会なので、日々多くのポイントを受け取るチャンスに溢れているように思っている私は変人なのだろうか?www




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