2012年12月04日

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私の疑問を無計画に書き連ねているブログを見に来てくれる人がこれほど多いとは思わなかった。

誰かに見てもらう為というより自分の考えの整頓の為という方が大きいのに。

しかし、誰かに読んでもらえているというのは、ある意味緊張感があり真剣に書こうと思える気力が湧いてくる。

なんだかありがたい気持ちになってくる。

このようなブログにお付き合いいただき、感謝しています。


今回は、私がこれまでに聞いてきた生れる前の自分自身の人生設計についてまとめてみようと思う。

まず、大前提として輪廻転生もあり、肉体を持った人間としての意思とは別の意思があるという事。

自分も含めてかなりの人が、これはあり得るのでは?と思っていたりすると思う。

そんなことは決して無い!と言い切る方もおられるがここは「あり得る」という前提のブログである。

まず自分自身は生れる前の計画の記憶があるのか?

残念ながら無い。

しかし、不思議な事例はある。

それは私が20代半ば頃の事だが、何度も不思議な夢を見たのだ。

ある日を境に毎日同じ内容の夢である。

それは、自分はプールのような中に沈んでいて上から白い服を着た大人が2人こちらを覗き込んでいる。

それが何を意味するのかさっぱり分からなかった。


ちょうどその頃、地元で有名と言われていた霊能者を知人の家に遊びに行った時紹介してもらった。

その霊能者は私には本当は生まれてこれなかった姉がいたんだと言う。

もちろんそんな話は母に聞いたことも無かった。

生れてこれなかった姉は流産ではなく、降ろされたとの事。

この話を聞いた私は、早速母に聞いてみた。

すると、当時貧しくて産むことが出来なく、泣く泣く降ろしたのだと。。。


そして私はピーンと来た。

あの夢である。

私の見た夢、水の中に沈む感覚は、降ろされた私が水の入った容器に沈んでいた状態だ。

それを白い服を着た大人というのは白衣のドクターだ。

しかし、何故私の夢の視点は降ろされた胎児なのか?


つまりは私が一度生まれようとして母のお腹に飛び込んだが、降ろされてしまった。

そしてその後もう一度飛び込んで、今度は生まれてきたのだ。

そして今の私がいる。


では、計画は?

具体的に計画という記憶は全くないのだが、状況からすると最初私は女性として生まれてくる予定であった。

という事は、その家を出るという流れ。

私には弟がいて兄弟2人である。

しかし私が2回目のチャレンジで生まれた時には男性であった為に、長男だ。

覚えていない計画の中に「家を出る」という事が含まれていたのだろうか。

今現在私は別の家に養子として入っている。

弟は何故か長男の名前が付けられていて、現在跡取りとなっている。

そう簡単に思い出せないように完璧に計画の記憶は封印されているのだろうか?

いるはずだった姉の事を想っても、何も感じない。。。

自分だったのでは?という思いが強いせいだろう。



私の息子は小さなころ、生れる前の覚えている事を自分から話し出した事があり驚いた。

前世での暮らしぶり、そして死に方、そして息子の知らない爺さんが出てきて、ここへ生まれなさい、と指示されたという事だ。

そして息子は承諾した直後、ぐるぐる回りながら母親のお腹に飛び込んでいったという。

お腹の中での様子もしっかり覚えており、大人が会話した内容もしっかり聞いていた。

そして成長するにつれ、その当時の記憶は消えていった。

息子の記憶には、生れる前の計画などは全く無かった。

前世で死んでから、ぼーっと景色のいいところで寝転がり空を見つめていたという。

今世の計画は無いのだ。

もしかしたら、綿密に計画は立てられていて、封印されたのち生まれるチャンスを待っている所から覚えているのだろうか?


芸能界マッチと言えば知っている方も多いと思うが、彼について霊能者が教えてくれたのは、彼は生まれる前からレコード大賞を受賞する事が決まっていたという。

こういった話があるから、話がややこしくなり考え込むことが増えてしまうのだが。。。笑

もし生まれる前から決まっていたという事が事実とするならば、人生における目標や、挫折を味わいながら手にした栄光も決まっていた事なのか?

計画では、決まっていた事を知らず、がんばることが出来たのか?

今現在、スピリチュアルブームで世界中にこういった内容の話が広がっている。

すると、最初から結果が決まっているとなったらそれは出来レース。

スピリチュアルな事を知っていると、目指すという意欲は消えて行ってしまう。

はて、もしかしたら栄光を手にする計画の人はこういったスピリチュアルな話には聞いても信用せず、意に介さない精神状態になる仕組みなのだろうか?

それでは、スピリチュアルに耳を傾け、私のように不思議な体験も併せて生まれる前の計画という事を信じている人間は、もはやこの先決まっている栄光等無いという事なのか?

とてつもない努力をして勝ち取るという世界を出来レースと思ってしまっては、気力が湧いてこない。

実はこのようなスピリチュアルな世界に興味を持たず、ひたすら人間社会の中であえぐ事をしていたほうが人生を楽しめるという事にはならないだろうか?

出来レースの結果を知っていて、そのレースに参戦するとよほどの名優で無ければほとんどが大根役者となり、レースにももちろん勝てないし、つまらない。

せっかく生まれてくる前に記憶を消しているのに、そのネタをばらすような事なのではないか?

人間社会がつまらなくなるのではないか?


はたまた、壮大な神の計画があって、アセンションという言葉で言われているように「次のステージ」へ移行していくのだろうか?

もし次のステージへ移行していくという事が真実だとしたら、一体人間社会はどのように変化していくのか?

物凄く興味が湧いてくる。

出来レースで遊んでいる場合ではなくなるかもしれない。

勿論そのような次の計画等知らないので、出来レースではなくワクワク感が湧いてくる。


横道にそれるが、ここまでもほとんど一気に書き進めてきている状態は自分でも不思議である。

次々と言葉が出てきて、キーボードをすらすら打てるのである。

しかし誰かに書かされているという認識は無い。

しかし、それが書かされている状態だよ、という人もいる。

この辺りは解明できないだろうが、書きたいから書く、これで自分は解決しているのでよしとする。


と、また長い文章になってしまった。







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