2012年12月14日

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霊が見える人がいる。

見えるとはどのような状態なのだろうか?

もしかしたら私も見た事になるのか?

そんな私の事例を書いてみよう。

ある駅の階段を上っていた。

勿論照明もしっかりついていて明るい階段だ。

私の前方5m位に若い女性が階段を上っていた。

出口は1箇所なので同じ方向へ歩くのだが、階段を上りきって外への出口をその女性が先に出た。

続いて5mほど距離を空けて私が出口を出る。

女性は出口を出て右へ曲がった、私と同じ方向だ。

そして何気なく出口から右を見ると、つい数秒前私の5m前を歩いていた女性がいない。

出口を出たら歩道なのでどこにも隠れる所はない。

そこからタクシーに乗ったというわけでもない。

消えたのだ。。。

他には歩いている人はおらず、その時間帯は私とその女性だけ2名が階段を上がっていた。

これは一体どう考えればよいのか?

階段を上がっている時の前方を歩く女性が何か変な所はあったか?

いや、普通だった。

半分透けているとかそんな状態ではなく、帰宅途中の人といった具合だ。

こういう状況に遭遇した場合、その女性は霊であった、という事になるのだろうか?


もっと霊が見えている人は、生きている人と霊の区別がつきにくいという。

更に、その霊と会話もして生きている人だと思い込んでいる時もあるという。


霊が見えない人には全く見えていない、見えている人にはそこに人がいるように見えている。


こういう状況を考えると、霊が見えている人はそこにいるように見えるが、実はそこには何もなく、脳の中で見えているだけという考え方は出来ないだろうか?

そこには意思だけが存在し、その波動とでも言うのか信号なのか分からないがそれをキャッチできる人の脳に見えているように思えているのではないか?

するとまた疑問が湧き上がる。

では写真に写りこんでしまった霊はどう説明するのか?

数十年前だろうか、念写という能力がありポラロイドカメラに自分の念で写真を写しこむというテレビの番組があったが、結局あれは写真をすり替えていたという落ちがあった。

フィルムの写真の時代には数多く心霊写真としてあったが、デジタル全盛時代では簡単にレタッチで心霊写真のような物を作り出す事が可能となり、心霊写真は過去のものとなりつつある。

私も数多くの写真を撮影してきたが、一度も心霊写真を撮影したことは無かった。

心霊写真を狙って、墓地で撮影したこともあったが何も映らなかった。

だから心霊写真という物について自分自身での検証は出来ていない。

最近では監視カメラの映像に得体のしれない霊が写っていたり、だれも乗っていない三輪車がキコキコ動いたりというものを目にする。

これも分からない。実証できないからだ。

総合的に考えて、「魂」という存在があるという前提で、その魂とは何か?

これは解明することはまだ出来ないだろうと思うが、いかがだろう?

その魂があるとして、何かしらの波動が出ており、その波動をキャッチできる人にだけ映像として見ることが出来るという感じなのだろうか?

では、私が駅で見たあの「消えた女性」は何だった?

やはり私の脳が見ただけなのだろうか?

その時の階段を監視カメラなどで記録していてくれたら、あとで検証も出来るのだろうがそれも叶わない。

憶測だけでなく、先入観も捨て、現実的に検証出来ればもう少し認識も変化するのだろう。

このブログで何度も書いている「霊との会話」についても同じことが言える。

はっきり分かる形で検証出来ないのだ。


霊の存在を検証しようとした記録はいくつも残っている。

1848年ニューヨーク「ハイズビル事件」というのが有名だ。

部屋のあちこちで「ラップ音」がするので、子供が声をかけて人間なら1回、霊なら2回音を鳴らしてみて?

との問いかけに、2回鳴らしてきて、それから様々な会話ができ、最終的にその家の地下から遺体を発見するにまで至ったという。

この頃スピリチュアルブームが起こって、当時の科学者達が真剣に調査したという。

結局明快な答えは出てこなく、今も同じような状況なのである。


通常では考えられない事象はいくつも報告されている。

友人の車に乗車中、大事故に遭遇したのだが、ぶつかった瞬間に自分がバリアのような物で覆われて結局怪我は何もなかったが友人は重体となり入院したとか。

説明が出来ない出来事は数多いのが現実だ。


あまり関係は無いと思うが、私は学生の頃自転車で転倒し意識を失った事がある。

その後タクシーのドライバーが発見してくれて救急車で救急病院へ搬送された。

頭蓋骨骨折、脳内出血とかなりの重傷であった。

お見舞いに来てくれた両親は何か落ち着かない。

どうしたのか聞いてみると、私が入院した病室は、数か月前私の祖父が救急搬送されて入院した時と同じ部屋だというのだ。

救急病院は数多くある。

その数多くの病院が同じで更に病室まで同じとうのは何か意味があったのだろうか?

「偶然」という言葉で片付けていいのか、何か意味を見出すことが必要だったのか?

結局未だにその答えというか、意味というのは見いだせないまま記憶に残っている。


何か意味がありそうに見える出来事、それは守護霊からのメッセージだという話もある。

だとしたら、それは何を伝えたかったのか?


逆に明快なメッセージのように思える事もあった。

私が車を運転中、カーブの先が見えない狭い道に差し掛かった時「何かヤバイ!」という思いが湧き上がってきて、前後左右に何も危険は無いのにそのカーブの手前で停止した。

その直後猛スピードでセンターラインの無いカーブを対向車が突っ込んできた。

もし私が停止していなければ間違いなく正面衝突であっただろう。

この時は流石に「守ってくれた」と心の底から思い感謝した。


守護霊が確かに存在し、メッセージを伝えてくれている。

そう思える場面もあれば、意味が読み取れないときもある。

人間社会は複雑だが、それ以上に複雑だと言われている霊界の仕組みはそう簡単に解明出来ないようになっているという事だろうか?

守られているという人もいれば、1m位の段差で足を踏み外し転落死した人もいた。


大きなワンボックスカーで運転席の後ろが一番安全と言われている場所へベビーシートを置いて、そこに赤ちゃんを寝かせ、最後尾のシートにも大人が乗車、総勢大人5名赤ちゃん1名でドライブ中、後ろから追突された。

ワンボックスカーの真ん中の赤ちゃんだけが死亡して、大人は軽傷という事故が過去にあった。

一番大切にされていた赤ちゃんが一番安全な場所へ乗り、赤ちゃんだけが亡くなる。

これにどの様な意味があるのだろうか?

当事者であれば考えたくもないであろう。

悲惨な事故であった。

少々話がぶれたが、こういった不思議な現象の影で霊の存在はどう受け止めればよいのであろうか?

その様な霊が見えるとは、どういう状態なのだろう?

私の子供も時々、部屋の中で「あそこにおじさんが座っている」とか「女の人がこっちを見ている」とか言って怖がっている。

私には見えない。

この子はようやく話せるようになった頃から「あそこに誰かいる」と言って指さしていた。

小学生高学年になってからは姿は見えないが、気配は感じるという。

その気配で、引っ越し先の部屋を下見しているとき、隠された遺影を発見したという事実がある。これは私の子供の事なので、実例である。

もしかしたら私も見ているのかもしれない。

それとは気づかずに。

この答えが人間として生きているうちに分かる時が来るのであろうか?

まだまだ疑問は尽きない。。。



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