2019年01月10日

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砂時計

さて、いよいよこのブログも最終回を迎えたようだ。

どういう理由から最終回なのかというと

私の身体がついに寿命を迎えたようだ。

そして非常に面白い現象が周辺に付随してきている。

詳しくは書かないが、自分の身の回りの環境の流れが全てにおいて丁度いい区切りに来ているのだ。

これについては反論を言いたい人もいるだろうが、一番は自分の身体の寿命なのだ。

それに全ての事柄がタイミングを合わせるようにぴたりと一致している。

そして自身の心の状態はとても静かで、穏やかな状態だ。

一般的に言われる執着、思い残した事等どれだけ考えても見当たらない。

砂時計をじっと見つめていて、最後の一粒がさらさらっと落ちた。

客観的に第三者視点で見ている感じだ。

そして、

そして今、

一番きになる事があるw

このブログに関心のある皆様ならピンと来ているでしょう。

今このブログを穏やかな心境で書き綴っている私の「意思」は一体どうなるのか?

ブラックアウトしたままか

これまで散々推測してきた別次元からの視点として目覚めるのか

そんな事も考えず、ぼ〜〜っとした何かになるのか

実は自身の寿命が終えるのだと確信した頃にタイミングを合わせたかのように別の書き込みを拝見したのだが、それが自分でも驚くほど す〜〜〜〜っっ とすんなり受け入れる事ができ、そしていつものように疑問が湧いてこなかったという不思議な体験をしたのだ。

読む人によっては、引っかかり、疑問、矛盾、色々感じるかもしれないが、なぜか今回私にはそれが無かった。
なので一応リンクを貼っておくので、興味のある方はご覧ください。
内容は古来から言われていることを現代風に書き下ろしただけなのに、不思議な文章でした。



現在私はこれまでの人生で味わったことの無い激痛を鎮痛剤で押さえながら終活をしている。

詳しくは控えさせていただくが、この痛みという感覚も不思議である。

この現代社会はだれもが最終的に「生存したい」という欲求を持っているからそれが下支えになっている。

私のように「生」に執着を持たない状態になると、現実社会は人々の営みも全てが「テレビドラマ」のように見えてくる。

そして今、とても思う事

この社会に於いて「義務」など存在しない

「やりたい」と思える事がある人は幸せで、その事に没頭すればいい

いや、それでも国民としての最低限の義務が、、、とか間抜けな事を言う人間は幸せを感じられない残念な人だろう

本当にやりたいと思える事がある人は、それに付随して必要となる事(国民の義務だとか言われている事)は当然として行うのである。

義務が〜〜法律が〜〜マナーが〜〜!!と大騒ぎしている「やりたい事の無い残念な人たち」がネットというスピーカーを手に入れて社会をがんじがらめにし、己の首も絞めている。

もう少し人々が人間として社会を生きるのであれば、人間としての「生きがい」を尊重できる価値観に変化する事を願っているが、現代では「AI」が進化して来て、人間として社会を生きるのか?という事に疑問を投げかけている。

昭和の時代を生きた自分としては、あの頃と社会の価値観が物凄く変化したのを感じている。

私の勝手な見立てで言うと、昭和の頃から現代にかけて社会や法律は整備され綺麗になった。

しかし人々の心は汚くなった。

退化であるように思える。

進化とはとてもじゃないが言えない。

そんな社会の人々を見て、この世界が「魂の修練の場?」だと??

どう考えてもそこに行き着かない

まあ、いつもの汚い心の人たちが言う「新しい魂が増えているから」とか「他の惑星からも来てるから」とか。。。

そもそもこれまで言われて来た魂というものがあるとすれば「生まれるなら純粋無垢では?」と思うのである。

新しい魂が増えたからという事が理由なら、魂は生まれながらに「汚い存在」という事になる。

綺麗、汚いの定義は確定していないので私の勝手な設定である事をご了承くださいw

こんな事を考えてしまっている私が、現在の社会で「生き延びたい」と思わない理由もこれでご察し頂けるのではなかろうか。

銀河系

今になりこれまでの人生を思い起こして見たところ、大げさかもしれないが大きな銀河の中に自分は意識を持っていたように感じられる。

その銀河は、ゆっくり、ゆったり、そして大きく渦を巻いている。

これまでの自分の痕跡を繋げてみると、そん大きな銀河の外側から気がつかないほどのゆっくりな速度で、しかし確実に中心へ引き込まれてきたように思える。

そして今、中心のブラックホールの真上に来た感じだ。

これまでに人生の大逆転!とか引き寄せがうまく実現できてピンチを切り抜けられたりと劇的な事も数々あったのだが、実はそれも大きな銀河の流れの中に予定されていた事、なのかもしれない。

人生は実は決まっているのでは?とこれまで散々考えて来たのだが、決まっているという定義の仕方次第で別の解釈が生まれる事もある。

無数に存在するパラレルワールドのような世界でそれぞれ似たような自分が似たような環境で人生を過ごしていれば、1つのパラレルワールドで起こることは決まっているが、隣のワールドでは違う結果になっていたり。。。

まあ、この辺りはどれたけ議論しても結論には到達できないので、もしみる事ができればこれから私は見に行って見たいと期待している。

霊能者の人が言うように、霊界からもネットをみる事ができるという話がある。

もしかしたら、このブログを私が霊界から観れるかもしれない。

もし私がみる事が出来れば、皆さんがコメントを書いてくれれば観れるかもしれない。

そんなささやかな楽しみもあったりw

返事を書けないのが残念だろうけどw

これまで長い事、私の取り止めのない散らかったブログを読んで頂き、ありがとうございました。

コメントを下さったり、お付き合い頂き本当にありがとうございました。

これにて「スピリチュアルの疑問」は閉店とさせて頂きます。

コメントに返信するのも相当きつい為、多分読むことは出来ても返信できるかどうか。。。

それでは皆さま、さようなら〜〜〜〜〜〜!

四季





(22:52)