2017年04月23日

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ピタゴラスイッチ


前回のブログで、魂という存在があり、そしてそれが人間界での体験を目的としているならば、と考えてみた。

今度は、体験とは?という部分について考えて見る。

人間の感覚にとって体験とは何だろうと考えると、何処かへ旅行してみた、何かに挑戦して達成感を感じた、とか普段の生活は当たり前とし、それ以外を体験と考えがちであろう。

当たり前の事には気がつきにくいものだ。

一般的な人間としてはなかなか経験した事の無い不思議な体験をしている人のお話を聞かせてもらった時、驚いた。相当驚いた。

それから似たような経験をされている人のブログも次から次へ見つかって、当たり前という概念が簡単に消え去っていった。

人間としている事そのものが体験なのだ。

息をしている。
空気を吸い込み、吐き出す。気持ちのいい場所で深呼吸すると空気が美味しい。
水の中に落ちてしまうと苦しい。

風が吹いている。
その風を感じる肌感覚。春の草原、心地いいと感じるその温度。
柔らかく肌をすり抜ける風。

山の源泉から湧き出る水。
冷たくて美味しい。

太陽がまぶしい。
光という粒子を受け止める目があり、色を感じ、その組み合わせから美しいという感覚を味わう事ができる。

こんな当たり前と思っていた「感じる」事ができる人間の感覚を体験出来る。

人間でありながら、魂が肉体から離れてしまい、こうした感覚を感じられなくなってしまい、また肉体へ戻った時その全身が感じる感覚が嬉しくてたまらない。

「だから人間はやめられない」

こんな言葉もあった。

体験を求める魂があったとすると、人間界での体験とは勝負に勝ったり負けたり、登山での過酷な出来事、修行僧の荒業とかの特別な体験だけではないのかもしれない。

綾野剛という俳優が小学生の頃、秘密基地を作りたくて山の斜面を無心に掘り進んでいたという話があった。深い理由も無く無心に掘り続ける。知り合いの若者で、とにかく細かなミリ単位で様々な模様を組み合わせて大きな図柄を書いていた。50cm離れると、もう細かな図柄は見えないが全体が素晴らしい。この若者は絵を描いている事が息をするのと同じくらいで、書いていないと心が苦しくなるという。

なぜかわからないが、他にも色々な人がいて、それぞれが湧き上がる衝動に突き動かされて何かに無心に取り組んでいたりする。

周囲の人にイジメられて、痛かったり悲しかったりするのに、なぜかイジメられるのがやめられない人もいた。表現が適切では無いかもしれないが、いじられると言う方が適切かもしれない。

現代社会では一般的にイジメられるのは良くない事という定義に反対できる人はいないだろう。しかし彼はそうして仲間からイジられていない時、空虚感を感じてしまい寂しくなっていた。
そして自ら仲間の所へ行き、仲間をイラッとさせるような事を自ら発し、ジュースを買いに行かされたりと、はたから見ると惨めに見えてしまう状況に喜びを感じているかのような笑顔を見せていた。

SMプレイと言う性の世界では、ムチで打たれたり虐げられたりする事に興奮して病みつきになる人もいる。

ボクシング等の格闘技は、試合と言う光の当たる舞台があるが、そこに登るためのトレーニングは想像を絶する過酷なものである。

筋トレ等をする人は、その苦しさが楽しいのである。その気持ちは自分も少しわかる。若いころの自身の体験からである。

前回のブログでも書いたが、この世界は「差」を体験できる世界だ。

「差」を体験できるとは、楽しめる「差」もあれば苦しむ「差」もある。

この「差」について考えてみた。
「差」が「僅差」の場合と「大差」という場合があるのだが、なぜか人は「僅差」で興奮するのだ。

スポーツ等の差を競う競技で「僅差」であると目が離せなくなり興奮するが、「大差」がついてしまうと、もうつまらなくなってしまう。

戦う当人たちは「圧勝」を望むが、そう簡単にはいかない。

例え圧勝しても、その結果「おごり」が出て、試合後に不祥事を起こしてしまったりと、戦いとはちょっと違う場所で「何やらバランスを取ろうとする」不思議な力が働く。

引力のような見えない力が働いている世界は、とにかく「平坦」になろうとするのだが、「動こう」とするのか動いてしまっているのか不明だが、何やらのエネルギーがある。

静かな水面に石を落とすと波紋が広がるが、波紋が波紋を広げ、やがて平面に戻ろうとするが、波紋で揺すられた何かが次へ影響を与え、まるでピタゴラスイッチのように連鎖していく。

そんな連鎖の揺れの中に人類は誕生し、そこで発生する世界で魂が体験しているのであろうか。

もしかしたら太古の昔、魂は恐竜の体を利用して体験を楽しんでいたのかもしれない。

「電気」も人類は便利に活用して、うまく制御しているが、なぜ電気が流れるのかは根本的にはわかっていない。

なぜ人類がいるのか、なぜ魂があるのか不明だが、そこにこれまた不明な「意志」という捉えられないものがあり、「自分」という概念を理解し、人間を体験しているのかもしれない。





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